「きょ、今日の勉強はっ……!ここまで、だよっ……!」
ゼェゼェと息も絶え絶えに、アシリはなんとか終了の時刻を告げる。
「なんであんたが一番疲れてるのよ……」
「そ、そんなことはっ!!?」
思わず図星を突かれ、あからさまに動揺するアシリ。
とはいえ、今の彼女を見て疲れていないと判断する人間の方が少ないだろう。
「と、とにかくっ!みんな、明日も頑張るよ!!そのためには、今夜ゆっくり休むことっ!!いいねっ!!?」
「は、はい!……その、アシリさんもしっかり休んでくださいね?」
「……あー、うん。そうだね。善処するよぉ……」
───どうせ今夜も、監視カメラに張り付くことになるんだよなぁ。
心の奥底で大きく項垂れながら、ヒフミに対して曖昧な返事を返す。
はっきり言って、向こう一週間自分がまともに休めないであろうことは予想できている。だが自分の意思で始めた以上、甘んじて受け入れるしかないのだ。
……何より。
「……」
「……?どうかした?」
白洲アズサ。彼女に至っては、その多くの時間を眠らずに過ごしている。
一日や二日じゃない。アシリが監視を始めてからそのほとんどの夜を見張りや、トラップの設置、銃の手入れなどに費やしている。
加えて、仮眠を取るためにテントを設置し始めた時などはさすがのアシリも呆れたほどだ。
そんな彼女の健気な行為を鑑みれば、自分の疲労など大したものでないように思えた。
……もっとも、それらはアリウス分校と通信する行為を誤魔化すための行為でしかないのだが……アシリにしろマユミにしろ、その事実を知ることはなかった。
「ううん、なんでもないよ。……そ、その、アズサちゃん、ごめんね?」
「……別に」
「う、うぅぅうぅ……!?ご、ごめんってぇ!!モモフレンズのこと忘れてたのは謝るからぁ!!」
「……」
「うわーん!?」
そんなアシリといえば、完全に拗ねてしまったアズサに平謝りするしかなかった。
「うぅ……!あ、後で奉仕活動部の子が洗濯物とか取りに来るから、まとめておいてねぇ……?」
「わかりました。ではみなさん、今着ている服を脱いでこのカゴの中に入れてください。下着も含めて、全てです!」
「はぁ!?な、なんで今!?」
「わかった」
「わかるなぁ!!!」
「み、みんな元気ですね……」
一日中地獄のような勉強をした後だというのに元気な一同に、若干一名着いていけないヒフミ。
アズサは言わずもがな、アリウス分校にて訓練を受けている。
ハナコも、その肉体に秘められたポテンシャルは秀才だけあって凄まじい。
とすれば一番不安なのはコハルだが、彼女とて正義実現委員会の一員だ。疲労には慣れている、とまではいかずとも、耐性はあるのだ。
「はぁ……」
つまりこの場においては、必然的にヒフミが割を喰うことになる。
「“ヒフミ、大丈夫?”」
「わたっ、は、はい!なんとか!」
それとなく心配した先生が、そう声をかけた。
ひどく動揺しつつもなんとか繕った言葉を返す。
「“そっか。無理はしないでね”」
「あ、ありがとうございます……あ、それと……」
「“……?”」
「ちょっとお話が……あとでお部屋に行っていいですか……?その、ハナコちゃんのことで……」
そんなヒフミの不安げな言葉に、先生は小さく頷きを返す。
「……」
その一連の会話を、甘川アシリは見逃さなかった。
◇
「ってことでマユミちゃん!今日もバリバリ電波法違反、および軽犯罪法違反、やっていくよ!!」
夜も更け、奉仕活動部の部室の一角にて。
今日も今日とてマユミと通信を繋いだアシリは、監視カメラと睨めっこをしていた。
『わざわざ嫌な言い方するんじゃないわよ、罪状で……というかそのテンション、エナジードリンク飲んだわね?何本目?』
「二桁に入ってからは数えてないよぉ!!!」
『……あなた、今日からカフェイン禁止ね』
「そんなぁ!!?」
『当たり前でしょ。明らかに飲み過ぎよ』
とはいえ、連日の監視でアシリにガタが来ているのも事実。
マユミは不眠や疲労など慣れっこだが、アシリは違うのだ。
誤魔化すためにエナジードリンクに頼ってしまうのも、ある程度致し方ないことであろう。
「それでねそれでねっ!みんな成績がすっごい上がってて!!だからヒフミちゃんと先生の会話を監視してみようと思うんだぁ!!」
『もはや文章も怪しくなってきたわね』
どうしたものか、一度アシリを休ませた方が良いだろうか?
とはいえ、自分一人でミレニアムから監視するのも限界がある。だが、負担をかけるのも忍びない。
「それじゃあ、いっくよぉ!!!」
『あ、こら勝手に』
そんなマユミの逡巡をよそに、アシリは画面に映す監視カメラの映像を切り替え。
『本当に失礼しましたぁ!?ご、ごめんなさい!私、そんなこととは知らずに……!ぜ、全然知らなかったんです本当です!?え、一体いつから!?』
『……ヒフミちゃん、今昨晩より遅い時間って言いましたよね!?つまり昨晩も来たということですよね!?そうなんですよね!?』
「わ、わひゃぁ!!?水着!?なんで水着まさかそういうってヒフミちゃんも!!?ハナコちゃんにお話しじゃなくてさんぴぃ!!?だ、だめだよいけないよぉそんなの!!!」
画面に映し出された水着のハナコ、ジャージのヒフミ、追い討ちと言わんばかりのラフな格好の先生に、とんでもない奇声を上げる。
『落ち着きなさいったらぁ……』
そしてマユミはあまりの振り回されように若干涙目になりつつ、こんな感じで例の噂も広まってしまったのだろうなぁ……と、どこか途方もないものを見た気分に陥った。
◇
『ですので、アズサちゃんが心配になって……先生とヒフミちゃんも、ですよ?』
「そ、そういう事情だったんだね……」
『……』
「ま、マユミちゃん……?その、そろそろ機嫌を……」
『……っさい。いいから集中』
「ひんっ……!」
いい加減堪忍袋の尾が切れたのか、普段に比べてあまりに冷たい反応のマユミ。
カフェインを摂取してからというものの、今日はこんな失敗ばかりだな、と、アシリはかなり猛省していた。
自業自得とはいえ若干啜り泣きながら、再度監視カメラの音に耳を傾ける。
最近アズサが姿を晦ますことが増え、眠れていないのではないかと心配したハナコが先生を訪ねた、というのがことの次第らしい。なぜ水着だったのかは意味不明だが。
『確かに試験も大切ですが、ただ落第というだけです。身体の健康と比べられるようなものではないと思いませんか?』
『“それは……”』
『普通だったら、そうかもしれません……けど……』
『……ヒフミちゃん?』
『ただ落第で済む話ではないんです……!あと二回とも不合格だったら、私たちは……!退学なんです!トリニティを去らないといけないんです!』
言い放ったヒフミに対し、ハナコはわずかに動揺しつつ純粋な疑問を投げかける。
そして、先生たちは話した。今回の一件に関わる事情、全てを。
アシリやマユミ……アリウス分校に関することは伏せて。
『……なるほど、そうだったのですね。全て不合格であれば、全員退学……』
それを知ったハナコは、非常に複雑な感情を抱いていた。
ヒフミの苦悩に気づけなかった自身の不甲斐なさ、罪悪感。いつまでも変わらないトリニティへの呆れ、諦観。
気付けばその両の手をつけ謝罪を送ろうとしていたが、流石に先生達に止められてしまった。
『ミカさん……は無理でしょうし、まあこんなことを企むのはナギサさんでしょうか』
『“……!”』
聡い彼女だ。補習授業部を作ったのは誰なのか。その察しは、すぐについた。
『ですが、どうしてエデン条約を目の前にしてこんな……いえ、むしろ目の前だからこそ……?……なるほど。この補習授業部は、エデン条約を邪魔しようとしている疑惑がある容疑者達の集い、というところですか』
『“……!?”』
『え、えっ!?』
そして、その者の目的でさえ。
『ナギサさんらしいと言いますか、相変わらず狡猾な猫ちゃんですねぇ』
『ね、猫……?』
『どうせならまとめて始末してしまった方が効率的、と……先生も、ナギサさんにしてやられた形でしょうか』
「えっ!?そ、そうなの……!?」
ハナコの予想外の発言に、大きな声を上げて驚くアシリ。
夜中であることを忘れていたのか、口を塞いで声を抑え直した。
『成績の振るわない生徒たちを助けるという名目で善意を利用され、シャーレの権限を好きなように扱われている……ですが、逆に言えば先生は私たちのために頑張ってくれていたということ。……ありがとうございます、先生』
「っ……そんな、ことが……」
『……浦和ハナコ。中々どうして侮れないわねぇ』
「ま、マユミちゃん……!」
ようやく口を開いたマユミに、目を潤ませて言葉を詰まらせるアシリ。
はて、なぜだろうかと考えてみれば、自分が怒っていたのをすっかり忘れていた。
『もう怒ってないわよ。ほら、鼻かみなさい』
「ずびっ……」
なんだってこう、アシリは子供っぽいのだろうか?自分より年上だというのに。
別段批判する意図があったわけではないが、マユミはふとそう思った。
実際にはアシリは非常に打たれ弱い上、マユミが世話焼き気質なだけなのだが。
『まさかアレだけの情報から、先生が利用されたことまで見抜くなんてね』
「ま、マユミちゃんはわかってたの……?先生が利用されたって……」
『ま、ね。でも、それは相応に情報を得た後よ。落第したら退学、それだけの情報で……』
わずかに身震いしながら、マユミは改めてハナコに畏敬の念を抱く。
恐らくほんの少しでも情報を与えてしまえば、自分たちの真実に辿りつくのもそう遠くないだろう。
流石にアリウス周りの事情には気づかずとも、少なくともトリニティに迎合せず、何か別の目的意識を持っていることは勘付かれるはずだ。
『そう考えると、盗聴器と盗撮器に気づかれていないのは幸いね……というか、軽率だったわ』
苦笑いをしながら、ぼそっとそんなことを呟いた。
「で、でも、あんなに頭がいいのに、盗撮と盗聴には気づかないのかな……?」
『そりゃそうよ。そういう能力は別物だもの』
浦和ハナコ、げに恐ろしきはその考察力。わずかな情報から、真実を導き出す力。
だがそれは前提がある上での能力であって、そもそもの前提がなければ、つまり考察しようと思えるだけの材料がなければ使えないものだ。
『まさか自分たちの会話が盗聴されてる、とか思わないでしょ。何かやましいことがあるわけでもないのに』
「た、たしかに……」
『それに、見つけ出すのにだって相応に経験が必要よ。いくつかは防犯カメラにカモフラージュさせてる、し……』
そこで、ふと思い至る。盗聴器、盗撮器、それらを見つけ出せる可能性がある生徒。
『っ……!!』
どうして気づかなかった。否、最初から可能性を排除していた?
先生やハナコでも発見できなかった、なればこその慢心、油断、この上なく驕っていた。
まさか補習授業部の人間が……白洲アズサが盗撮、盗聴に気づくはずがない、と。
『馬鹿っ……!!大馬鹿よ!!!』
探せ。あったはずだ、どこかに。
白洲アズサが自分たちの目から、耳から、認知から外れる瞬間が。
『……!』
マユミの脳は急速に回転を始め……そして、辿り着く。
仮眠の瞬間。テントを張ったあの時。
トラップの確認、設営。深い堀や煙幕、毒ガス。
手洗いへ行く瞬間。
この三つの場面、わずかな時間ながらアズサは自分たちの視線から外れていた。
映像、音声での通信は不可能。なら、暗号を用いた通信なら?
一定のリズムでボタンを押し、信号を送り、その情報を伝える。
それが可能だったならば?
『っ……!!このっ、大馬鹿!!!その頭なんのためにあるのよ、切り落としちまいなさい!!アホなんじゃないの!!?』
「え、えぇ!!?いきなり酷い!!?」
『あなたじゃないわよっ、私!!いいこと!!?これから指示する通りの機材を揃えて……』
「マユミちゃん!?」
突如としてザザッ、とノイズが走るようにマユミの体がブレる。
そして、次の瞬間。
「わきゃぁああぁああぁっ!!?」
腹の奥深くまで轟く雷鳴に、アシリは半狂乱で補習授業部の元へと向かった。
◇
「そういえば今トリニティのアクアリウムで、『ゴールデンマグロ』という希少なお魚が展示されているらしいですね」
「あ、それ私もパンフレットで見ました!『幻の魚』と呼ばれているんですよね?」
補習授業部の面々と先生は、体育館にて雑談に花を咲かせていた。停電と大雨につき、避難していたのだ。
……ただし先生を除いた全員が水着姿で、だが。
「はい、どうやら近くの海で発見されたとか。見に行きたいのですが、入場料も安くないので……」
「“ゴールデンマグロ……”」
先生はふと美食研究部のみんなが欲しがりそうだなと、頭の片隅に思い浮かべる。
「海、か……そういえば一度も行ったことはないな」
「そ、そうなんですか!?一回も……!?」
アズサの衝撃的な発言に、ヒフミは目を見開いて驚いた。
「塩辛い水が、たくさん……取りきれない程広がっていて、とても美しいところだと聞いた。青くて、冷たくて……だけど、とても深く心に残るって」
「……はい、海はとてもいいところです!今度アズサちゃんのこと、連れて行ってあげますね!」
ともすれば、内陸部の出身だろうか?
そんな疑問を抱きつつ、どことなくそんな約束をする。
「……ありがとう。楽しみにしている」
「いえいえ!海の近くには、アミューズメントパークなんかもあります!一緒にいきましょうね!」
「アミューズメントパーク、ですか……そういえば最近、こんな噂話を聞きました。ミレニアム自治区のどこかに、潰れたアミューズメントパークがあるとか」
「……?別に珍しいことでもないんじゃない?……ちょっ、近い!」
あっけらかんと言ってのけるコハルをロックオンし、一気に距離を詰め、おどろおどろしい笑みを見せつける。
「いえ、それだけではないんです……夜になるとなにやら、騒がしい音が聞こえてきて……」
「……えっ、何?怖い話?そ、そんなわけないじゃん!聞き間違えよ!」
「そして楽しげな声に混じって……ほんの少し。啜り泣くような声がするとか……」
「いやだっ!絶対嘘!全部誰かの悪ふざけ!」
そしてハナコは、耳を塞いで現実逃避しよとするコハルへそっと近づき……フッと、首元へと息をかけた。
「わ、ひゃあっ!?ちょっと、なにするのよ!!」
「いえ、もう話はおしまいですので伝えようと」
「だったら普通に伝え、むぐっ!?」
「シッ。静かに」
突然アズサがコハルの口を塞ぎ、場に静寂が落ちる。
「”……何か……聞こえる?”」
「……気のせいでなければ……啜り泣いている、ような……」
「むぐーっ!?」
先程の話を思い出し悲鳴をあげそうになるが、口を塞がれているため呻き声しか出ないコハル。
そんなコハルを傍目に、アズサはより耳を澄ませる。
「……!い、今の!私にも聞こえました!」
「ああ……だんだんと、近づいてきている?」
「っ……!!っ……!」
もはや抵抗することも取り繕うこともやめ、コハルは静かに泣いた。ただ泣いた。それだけしかできなかった。
「……こっちに向かっている。みんな、武器をとって。指揮は不慣れだから……先生、お願いできる?」
「“任せて”」
「む、無理……私、腰が抜けて……」
「大丈夫。私が守る」
銃をしっかりと構えながら、音のする扉の方へ視線を向ける。
だんだんと、だんだんと泣き声が大きさを増し続けていた。
……そして。
「っ、来た!!」
「ぐすっ……うぇぇ……!」
「何者だ!手を挙げて!じゃないと」
「待ってください、アズサちゃん……これ……」
ビショビショの制服のまま、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる黄髪の生徒。
「“……アシリ?”」
「わぁああぁあぁん………!怖かったよぉ……!」
顔から雨だか涙だか、汗だか鼻水だかわからない液体を滴らせながらアズサへと抱きつくアシリ。
さしものアズサもかなり、否、とても嫌がった。
「あら、なにがあったんですか?」
「ぐすっ……ひと、ひとりで……ぶしつ、いたら……通信、きれて……雷、ぴかって、どぉーんって……!こわくって、こわくって……!それで、別館来たら、みんないなくて……!身体、びしょびしょで……!水の跡、たどって……!」
もはや文章にならない言葉を伝えながら、それでも状況を説明するアシリ。
昼のキャラ付けは見る影もなかった。
「そうですか、それは大変でしたね……あらあら、制服もびしゃびしゃじゃないですか……お着替えしましょう?」
「うん……なにに……?」
「水着です」
「あたまおかしいよぉ……!」
続くハナコの発言に、普段より幾分か弱いツッコミを返した。