「む、クッキー……捕虜の飯としちゃ、なかなか贅沢な……」
……正直、アリウス分校での食事よりも豪華な気がする。
「うまっ」
フローラルな香りがする。というか、甘い。すごく甘い。おいしい。
ちゃんとした甘味を食べたのなんて、それこそ十年ぶりかな。みんなにも食べさせてあげたいな。
あ、いや、もう会えないんだったか。
「……はははっ」
調印式まで、数えであと一週間。『ヘイローを破壊する爆弾』は、おそらくミカが持っている。
脱獄は当日の朝。だが、それを許すミカではないだろう。
逃げるだけなら簡単だ。しかし『ヘイローを破壊する爆弾』を回収しなくてはいけない以上、戦いは避けられない。
だったら、先にミメシスを回収して……マコトとの関係は、シオがうまく保ってくれているはず。
ベアトリーチェは俺を回収しようとするか?もし、もしも俺がロイヤルブラッドだという仮説が正しければ……するだろうな。
おそらくそれもまた、調印式の当日になるだろう。
「……ま、その辺は先生をうまく利用しますかね」
本当なら、もう話すつもりなんてなかったけどさ。さっきから、聞き覚えのある足音が聞こえるから。
「……それで。何か用ですか、先生?」
「“スオウ、一日ぶりだね”」
重たい金属の扉を開けて入ってきたのは、先生。
ありゃちゃんと寝てないな。目の下に隈ができてる。や、それは前に会った時も同じだったか?
「“ちょっと差し入れ。大丈夫、ちゃんと許可は取ってるから”」
「む……お茶?」
というか、紅茶か。さっきのクッキーに合いそうだな。
値段高いな……ペットボトルのお茶にしては。先生にそんな甲斐性があるとは思わなかった。
「ありがとうございます。いただきますね……って、取りに行けないや……投げてください」
「“いや、それは流石に……”」
「あ、じゃあこうしましょう……この毛布でいっか」
薄い布を紐状になるように捩り、ピンと張って固定する。
そのロープの先端に食事用のスプーンを取り付け、鉄格子の隙間を縫ってペットボトルに絡ませる。
「“っ……!”」
「ほい、ナイスキャーッチ……あ、大丈夫ですよ?悪用するつもりはありませんから」
ペットボトルをベッドに置きながらそんなことを話すと、軽く引いたような目で見られた。失礼な。
「それで、用事はそれだけですか?あ、いえ、別にお話するだけでもいいんですが……ちょっと私の方から伝えておきたいことがありまして」
「“それじゃあ、先に聞こうかな”」
「はははっ……相変わらずですねー」
だからこそ信用できる。先生はたとえ俺が何者でも、妹を助けてくれる。
ある意味では利用しやすくて、でも、確かにこの人の美点の一つなのだろう。俺にはできなかったことだけど。
「ま、この前と違ってそんなに長ったらしい話じゃありません」
手で合図をして座るように促しながら、先ほど受け取ったペットボトルを開けて少し飲む。
「……おいしい……あ、ごめんなさい、お気になさらず」
少し強めの渋みに、鼻腔を刺激する豊かな香り。冷たい清涼感が、喉の奥を通り抜けるような感覚。
味が随分濃く感じる。うっすい煮出した紅茶じゃない、量産品なれど確かに品質を保って作られたものだ。
「さて、今日私がお話ししたいことについてですが……調印式の当日。多分ここには、私を助けるために救援がきます」
「“救援……それは、アリウスの子達かな?”」
「はい。驕るつもりはありませんが、私はアリウスでも有数の戦力ですから……実は私、ちょっぴり強いんですよ?」
……なんて、この場にサオリ達がいたら軽く睨まれてただろうな。
『お前はちょっぴりなんてもんじゃない』だとか、『その力で妹扱いしてくるから厄介』だとか……いや、話が逸れたか。
「ですので、その子達は……まあ、私がなんとか説得しますが。トリニティから調印式の会場ですので、合流が遅れるんです」
「“あ、そっか”」
「はい。というわけですので、気にかけておいてもらえると……」
「“うん、わかった。ありがとう、教えてくれて”」
……お礼を言うのは、こっちなんだけどなぁ。先生がいるおかげで、俺の計画も随分やりやすくなった。
あと一週間。できることは最大限するが、多分ここから計画が大幅に変わることもない。
「それで……先生の方の用事は?」
「“……”」
「ここに来た以上、何か理由があるでしょう?」
つっても、ある程度察しはつくけどさ。でもそれは、一番当たっていて欲しくないパターンだ。
考え得る限り、最悪の展開。だから、できれば他のことであってほしい。
けどさ。
「“……ミカから、話を聞いたよ”」
「……そう……ですか」
そんな表情されたんじゃ。否応にも、わかっちゃうなぁ……。
「“ミカとは、友達だったんだね”」
「とも、だち……」
友達……そっか。友達、か……そんな風に、思っててくれたのか。だから気付いたのか。
多分ミカは、先生に話したんだろう。どうやったのかはわからないけど、契約の穴をついて。
他でもない、俺を……止めるために。自惚れでなければ、きっとそうなんだ。
「……そう、ですね。ミカさんとは、セイアさんを襲撃するよりさらに前……彼女が和解しようと、話を持ちかけてきました。恐らく、何があったかはもう聞きましたよね?」
「“うん……それと……”」
苦虫を、まとめて数十匹も噛み潰したみたいに。重苦しくて、暗くて、陰鬱で、そんな様子で。
先生は、ゆっくりと口を開いて。
「“……スオウが、何をしようとしていたのかも”」
「……」
やっぱり、か。
いや、まだだ。情報は正確に把握しなきゃいけない。
まだミカがどこまで気付いて、どこまで話したのか。それがわからない。
「ミカさんは……何と?」
「“スオウが、アリウスの上層部と……もしかしたら、刺し違えるつもりかもしれないって。『ヘイローを破壊する爆弾』。それを使えば、実現できてしまう”」
「っ……」
……『ヘイローを破壊する爆弾』、か。ベアトリーチェが生徒でないことを、大人であることを伝えていたからこそ気づかれてしまったのか。
確かに、生徒相手ならアレは致命的なダメージをもたらす。ベアトリーチェ相手には……賭けの要素も大きい。
効かなかったとしても、十分に殺し切るだけの策はあるが。
だが、生きてきた。十七年間、この世界を。そして、見てきた。ベアトリーチェを。
……予想に過ぎない。予想に過ぎないが、アレは……ゲマトリアの中でも、ことベアトリーチェにおいては……殺し得る。
それを補強するだけの根拠もある。
確かにミカの言う通り、俺は『ヘイローを破壊する爆弾』を使うつもりだ。それが先生にバレてしまったのは痛手、だな……。
「“……スオウ。あなたは……それを、やるつもりなの?”」
だが、今ならまだ誤魔化せるかもしれない。
「……何を、根拠に」
「“根拠ならある”」
「……」
「“スオウは私をここへ呼び出す時、食事を拒絶していた”」
……そこに気付かれたか。
「“そこにどんな意図があったのか、それはわからない。けど、少なくとも……自分のことを粗末に扱う。扱えてしまう。それだけは確かだ”」
「……バレちゃいましたかー……はははっ」
「“スオウなりに考えて、それで出した結論だと思う。でも、それを含めた上で言うね”」
途端に先生は、その目を細めて。
「“自分の命を粗末にしちゃダメだ”」
「ッ……なに、も……」
何も知らないくせに。最初に出てこようとした言葉は、そんなものだったと思う。
おかしな話だよな。自分から拒絶して、何も知らせないようにしてる癖にさ。知らないことについて怒るなんて。自分でもよくわからない。
俺はもう、戻れないし。戻っちゃいけないんだよ。
別に、命を棄てるわけでもない。使うだけだ。ベアトリーチェを殺すために。
俺なんかの命一つで、あの子達は救われる。コストパフォーマンスとしちゃ最良もいいとこだろ。
「……私がどうなろうと。私の勝手でしょう?」
「“それは違う”」
「……?」
「“スオウの妹や、ミカや……私が悲しむ”」
「……!」
だから。だから、なんだって言うんだ。
ああ、怒鳴り散らして。なかったことにはできないかな。それができるなら、この気持ちを抑える意味だってないのに。
「はははっ……まだ出会って一日ですよ?チョロいですね」
「“そうかもしれないね。でも……”」
「……でも?」
「“ここにいる子供はみんな……私にとって、大切な生徒だから”」
子供。ああ、子供。そうか、子供か。
「違う」
「“……スオウ?”」
「違う、それ、それは、それは違う」
違う。俺は、違う。そうあっちゃいけないんだ。
俺が、俺は守らなきゃ。だから、だから俺は。
「それは……わた、しに。向けるべきものじゃない。私は、そうじゃない。先生、わかりますか?」
「“……どういうこと?”」
「……」
ダメだ、抑えろ。これ以上はダメだ。
先生は、先生にだけは、絶対に『今』バレるわけにはいかないんだ。このことだけは。
「……いや、ごめんなさい……ちょっと誤魔化そうとして。でも、無理みたいですね」
「“……”」
大丈夫。いつも通りに、『私』を演じろ。
「……認めます。私は確かに、『ヘイローを破壊する爆弾』を使い……アリウス分校の追手を、排除するつもりでした」
「“っ……!”」
「ですが、死ぬつもりだ、なんて思われるのは心外ですねー……」
先生にこれが露見する可能性なんて、ほとんどゼロなんだから。安心して、ゆっくりと。
一つ一つ、嘘を塗り固めて。模って。作り直して。
「確かにそのリスクはありました。でも、死ぬつもりで作戦を立てる馬鹿がどこにいますか」
「“……”」
「アリウスの追手を……止めなきゃ。救える命も、救えない。でも、私だって死にたかないですよ」
嘘は、演技は、これでもかと上手くなった。
先生だろうと誤魔化せるだろう。
「だから、ミカさんの言っていることは全部が正しい、ってわけじゃないです……それに」
「“……?”」
「この拘束じゃ抜け出せませんよ、流石に!私どんな化け物だと思われてるんですか!?全く、失礼な……!」
「“はは……”」
いや、ミカならなんの苦労もなく抜け出せるだろうが……流石に、ちょっと策を弄さないと出れそうにないかな。ここは。
「“……スオウ。あなたが言っていることが本当なのか、私にはわからない。何を考えて、何を思って。どんな決断を下すのかも”」
「……」
「“でも、たとえ何があっても。どこにいても。スオウが自分の命を犠牲にしようとするなら、私が絶対止めに行く”」
「っ……は、ははっ……」
ああ、知ってるよ。知ってるさ。
「……だから、そんなこともうできませんってば」
だからアンタは、『
◇
場所は変わって。見渡す限りの灰色。暗い、廃墟のような。
石造りの建物、そこに住まう生徒達。
その一角。
「……アズサ」
「大丈夫。もう、大丈夫だ」
「……」
虚勢を張る言葉。明らかな嘘であることは、その真っ赤な目を見ればすぐにわかった。
「……みんなは?」
小さな、消え入りそうな声が、サオリの元へ届けられる。
「アツコはようやく傷が治った……ヒヨリも、なんとかな」
「ならよかった」
弱々しい、諦めたような笑み。
何かを思い出した。見覚えのある誰かだった。
幼い頃のアツコだったり。それとも、一年前……弱音を打ち明けた。あの時のスオウのような。
「……分隊長は……第七分隊長が、特に荒れていた。今は気絶させて大人しくさせている」
「……そうか。確かに、彼女は荒れそうだ」
「だが、第七分隊長だけではない。他の面々もそうだ、みんな……」
スオウが捕まったという事実。帰還した第八分隊によって、すぐさま全体に伝えられた。
反応は多様、しかし喜ぶものは誰一人としていない。それだけは確かだった。
「……マダムには?」
「事実は伝えた……聖園ミカの裏切りについてもな。結果としては、スオウの救援隊が組まれることになったよ。調印式の監視が甘くなるタイミングで」
「……」
「……アズサ。もし、お前が望むなら……」
スオウは現在、トリニティにて拘束されている。トリニティのどこかは不明だ。
だが、スオウを助けに行くのならトリニティへ赴くことになる。
「……もう、トリニティは戻れないかもしれない。だが、もう一度だけ……友人と、話すことはできる」
「……マダムが、それを認めるとは思えない」
「っ……」
図星だった。サオリにしても、相当な無茶を通そうとしていたのだ。
救援隊のメンバーはすでに組まれている。自分たち第八分隊は、それに含まれていない。
「それと……スオウからの伝言についてだが」
「そ、それは……!私から、伝えます……!」
フラフラと、おぼつかない足元で扉を開いたのは槌永ヒヨリだった。
「ヒヨリ……傷はもういいのか?」
「いえ……まだ痛いです……!休みたいですぅ……!!」
「……」
気にかけたのは自分の方だが、そこは嘘でも気にするな、と言って欲しかった。
そんな腑に落ちない感情を無視するように、ヒヨリは言葉を続け。
「で、でも……!任されましたから……!」
「……そうか」
痛みから目に涙を浮かべ、それでも尚決意するように話し始めた。
「計画について、スオウさんから伝言です……!」
「計画……脱出のためのアレか」
通信機で話していたのを思い出し、少し懐かしむ。
「……支障なし。本来の通りに進めてください」
「え……?」
「そ、そう言っていました……!私にもよくわかりません、支障がないわけないのに……!!」
本来の通りの計画。詰まるところ聖徒会の戦力を利用し、逆に逃げおおせてやるというあれだろう。
確かにスオウという戦力がなくともできる、しかしそれでは救出が困難だ。もしくは、救援隊と共に脱出する算段だろうか?
「す、スオウさんのことですし自力で脱出するかもしれませんね、えへへ……!」
「いや、それは流石に……」
ないだろう。サオリは言いかけたが、それはふと思い出された記憶により否定された。
幼少期、初めて出会ったあの日。
髪の一部に白髪が混ざった、焼けたような、けれども艶のある焦茶色の髪。自分よりも小さく見えるその少女が、焦ったような苦笑いと共に縛られて、こちらを見据えていた。
もっとも、直後拘束は解かれてしまったが。
七歳時点であんな芸当ができるのだ、今なら鎖の一つや二つ引きちぎってもおかしくはない。
「……あいつは、何者なんだろうな」
「え……?ど、どういう事ですか……?」
「ん……?」
ふと自分の口から漏れた言葉に、サオリは自分でも疑問を抱いた。
何者か。決まっている。姉を名乗る異常者で……ちょっとばかしの、恩人だ。
ならば自分が今疑問を抱いたのはそこじゃない、つまりこれは……。
「ヒヨリ……私たちがアツコと出会う前。一度でもあのバカを見かけたことがあったか?」
「……あ、ありませんね。あんな強烈な人、会ったら忘れられませんよ……!」
「ふっ……アズサ、お前はどうだ?」
「私も……ない」
この場にいる人間は皆ストリートチルドレンか、捨て子だ。故に、幼少期の行動パターンも似通っている。
一度も見かけたことがない、というのは少々違和感があった。
「……」
思えば、あの知識。あれらは何処から仕入れたものなのか。考えたこともなかった。
何故こんなことを今更考えているのか、スオウがいないからだろうか。それもあるだろう。
だが、それ以上に。
───きっと、きっと今度こそ……なんとか、してみせますから。
弱さ。桐花スオウが一度も見せたことがなかった、あの弱さ。
いや、あった。あったのだ、確かに。先日以外にも、一度だけ。
───私はね?…私の失敗で……人を、殺してるんです。
あの時、あの時だけだ。スオウがあそこまでの弱音を漏らしたのは。
何故今更になって思い出した?否、疑問に思った?
「ミカは……何故……」
そうだ、ミカだ。何故ミカは、スオウを捕まえようとしていた?何故裏切った。
セイアを殺されたという疑い?それはあり得ない。
ミカは何度も、何度もスオウに話しかけていた。気にかけるように、何度も。
自分たちと戦っているときにしても、スオウを回収されないように立ち回っていた。つまり。
「スオウに何かあるのか……?だから裏切ったのか……?」
そう考えれば辻褄が合う。ならば、その『何か』とはなんだ?
そうだ、それを無意識に疑問に思い自分は考えていたのかと、どこか納得する。
わからない。考えても、わからないことだらけだ。思えばずっとそうだった。
昔からずっと、ずっと。自分にできることを精一杯にやるしかなくて、それで失敗してしまうこともあった。
「……」
ミサキは自分の苦心を感じ取り、自死を図ったことや。仮面と手話を強制され、アツコから笑顔が消えたことや。ヒヨリが段々と、己の欲を封じ込めるようになったことや。
そんなことがあって、でもそれは……スオウが来てから、随分マシに、むしろ良くなった。
同じだ。今の自分は、あの時と。
スオウという人間に隠れた何かを見逃すまいと、必死に考えて……それでも、いまだに答えは出ない。
スオウならば、こんな疑問にもすぐに答えを出せるのだろうか。
「お前は……何者なんだ……?スオウ……」
そんな呟きは、誰の耳にも届くことはなかった。