桐花スオウとの面会時間が終わり。地下からゆっくりと、先生が歩いて出てくる。
「“……”」
スオウの様子。一見すると何もないような、むしろ愛嬌さえも感じるような接し方。
果たして本当に、ミカの言う通り……そんなことを、するつもりだったろうか。
しかし、収穫もあった。ほんの僅か、小粒ばかりだが……彼女の表情が、違っていた。
快活な、穏やかな、優しげな。そんな印象を抱かせる、張り付いた笑顔。
ほんの数刻、気を抜けば見逃してしまうほど僅かばかりだが、それらは消え失せていたのだ。
確か、そうなったのは。
───“ここにいる子供達はみんな……私にとって、大切な生徒だから”
そんなことを言った頃だった。
何故だろうか。スオウにとって、この発言の何が許し難いものだったのだろう。
そんな答えのない思考が、ぐるぐると巡って。
「“あ……”」
気付けば、トリニティの別館に来ていた。
この一ヶ月ですっかり癖になってしまったなと、何処か複雑に苦笑いし頭を掻く。
アズサを引き止めることができなかった後悔を、誤魔化すように。
「“……”」
なんとなく止まるつもりにもなれず、ガラッと教室の扉を開ける。
ヒフミと、コハルと、ハナコと、アシリと……アズサと。彼女達が共に得難い時間を共有し、笑い合い、高めあったその場所。
残された青春の痕跡をなぞるように、扉を潜って。
「……あ……えっ?」
「“……コハル?”」
明らかにオーバーサイズな、正義実現委員の制服。
中にいるコハルと目が合った。
「せ、先生!?なんでここに……!」
「“特に深い意味はないんだけど……コハルこそ、どうしてここに?”」
「待って!それ以上私に近づかないで!」
手を押し出してストップの形を作るコハルに、相変わらずだなぁ、と微笑ましげな笑みが漏れる。
「“わかった”」
「なにが!?」
無論特に気にする理由はないので足を踏み入れるのだが。
「ちょ、ちょっと……!ほ、本当にストップ……!止まってよ……!」
「“……うん、ごめん”」
しかし反抗的な態度は徐々になりを潜め、むしろしおらしくなって言った。
ともすれば泣き出してしまいそうなその様子に、これ以上は冗談にならないなと足を留める。
「本当、相変わらず……スケベ魔人……」
「“……?”」
特段心当たりのない批判にはて、ハナコのことだろうかなどと惚けながら、ふと視線を巡らせて。勉強道具の入った鞄に目が付く。
「“あ……荷物、取りに来てたんだね”」
「う、うん……」
そうして、ふと目に暗がりを落として。とあるぬいぐるみに目線を送る。
「……あいつの荷物……いつまでも置きっぱなしで、迷惑なのよ」
その鞄と同じく、いっぱいいっぱいな感情を詰め込んだ声で、そんなことを言うのだ。
「“コハル……”」
「だっ、大体!!」
その様子を誤魔化さんばかりに……いや、実際誤魔化す意図もあったのだろうか。大声を上げた。
「信じらんない!!ヒフミに銃を向けるなんて……!!なんで私たちに、もっと早く言ってくれなかったのよ!!」
「“っ……”」
コハルとは、何度か話していた。その度に彼女は、いつも通りに強がって。誤魔化して。
漸く、本音が溢れたのだろう。
「最初っから疑わしいことばっかだったわよ!!変に距離感近いし、頭いいんだか悪いんだかわかんないし!!せーせーした!!」
溢れたものは、もう止めることなんてできなかった。
「そうよ!!最初からずっとずっとずっと!!」
───疑ってた。
そう言おうとした。言うつもりだった。
「……っ……信じてたのに……!」
できなかった。
「う……うぅーっ……!!」
「“コハル……”」
先生の知る下江コハルは元来、人とコミュニケーションを取ることが苦手だ。
最初の頃、アズサへのツンケンした態度も、話したことがない人間を疎外しようとする現れだったのだろう。
その彼女が、同じ時間を。同じ苦しみを。同じ喜びを。分かち合って、分け合って。
時間をかけて何度も、何度も。そうして、漸くできた信頼できる友達。
そんな友達が、自分には言えない何かを隠していた。そのせいで、裏切られた。
許し難いことだった。許し難いが同時に、否、それ以上に……悲しかった。
自分に何も相談してくれなかったことが。自分が気づけなかったことが。悲しくて、悔しくて、仕方がなかった。
「っ、何よ……!近づかないでって言ったでしょ……!」
もはや涙を隠すこともできず、そのブカブカの袖で拭き取って、顔を覆って。言葉だけでも取り繕う。
「“あまり強く擦らないで。目を痛めてしまう”」
しかしそれは、先生に手を取られて遮られてしまった。
「っ……!」
いつものように妄想など浸れるはずもなく、ただその涙を誤魔化すように、気まずげに視線を逸らすだけ。
「“コハルの気持ちは、わかるよ。せめて一言、相談して欲しかったんだと思う”」
その赤く泣き腫らした目に視線を合わせながら、それでも尚こちらを向くことがない彼女に声をかけ続ける。
「“でもアズサにも事情があったのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。それは私にはわからないし……起こってしまったことは、変えることはできない”」
「だったら……」
漸くこちらを向く目線。しかしそれは反抗的な、拒絶するような尖ったもので。
「“じゃあ、これからどうしたい?”」
「え……?」
けれど、続く先生の言葉に途端に丸くなった。
「それ、は……あいつ……あいつ、と……」
「“アズサと仲直りしたい?”」
「……」
「“もう一度……アズサと、話したい?”」
続く先生の言葉に、何故か涙はその勢いを強めて。
「っ……うん……!」
「“わかった。それじゃあ、少し待ってて”」
涙が混じった声で、強く頷くしかできなかった。
「で、でもどうやって……?アリウス分校って、アシリの話じゃ……」
『任せてください、コハルちゃん!』
「え……?」
どこからか、声が聞こえた。具体的には、窓の外から。
『私たちも同じ気持ちです!』
「っ……!!っ……!?」
入り込んでくる黄色い鳥……の、ような機械に、コハルは声にならない叫びを上げた。
当然だろう。鳥のような見た目のそれが、親しげに話しかけてくるのだから。
「“ヒフミ”」
「……え、ヒフミ?ひ、ヒフミなの!?そんな……!ペロペロ様が好きすぎて……!?」
『ち、違いますからね!?あとペロロ様です!なんですかペロペロ様って!?』
どうでもいい訂正を流しながら、コハルは少し引き気味に、けれどもその鳥がヒフミであることを理解して。
「っ、あ……!手!!ちょっと、手!!いつまで握ってるの!?」
「“あ、ごめんね”」
照れ隠しからそんなことを言ったが、なんの気なく離されてしまった。
「……」
そこまで何も思われないとそれはそれで腹立つな、もう少し握られててもよかったかななどと考えながら、残された脳のリソースでおかしな状況を整理する。
この鳥は一体なんなんだろうか、と。
『こ、これはアシリさんにお借りしてる鳥さんです!私が部室から操ってて……確か名前は……なんでしたっけ?』
『マユミちゃんが言ってたことだから覚えなくていいよ!!』
『そ、そうなんですか……?』
「……ごめん、余計わかんない」
「“はは……”」
アシリらしからぬ辛辣な言動に、またマユミが何か変なスイッチを入れたのだろうと苦笑いを返す。
「と、とにかく、なんかの機械なのね?それで、今どこに……というか、どうしてここに?」
『私たちは今部室ですよ。先生がふらふらと別館に入って行ったので、つけてみたんです』
「あ、ハナコもいるんだ……」
先生が別館に行って、なるほどねぇ。
そんなことを頭の片隅で考えて、徐々に、徐々に思い至る。
「……待って。あんたら、いつから見てたの……?」
『あっ……そ、それは、えぇっと』
『最初から』
「え……!?」
誤魔化そうとするヒフミを無視し、ハナコがピシャリと言い放つ。
『コハルちゃん、そんなふうに思ってたんですね……』
しかし彼女にしては珍しく、特に揶揄わないで、真剣な態度でコハルに寄り添おうとしたのだが。
『私たちも、気持ちは一緒です。アズサちゃんと、もう一度話がしたい。ですので……』
「わっ……!」
『……わ?』
「忘れろ!!今!!すぐに!!」
顔を真っ赤にしたコハルが鳥へと殴りかかってきた。
『わ、わーっ!?ちょっと待ってコハルちゃんやめてぇ!?これ壊れちゃったら困るから!!』
「うるさいうるさい!!スクラップにしてやる!!」
『ど、どうしてこうなるんですかぁ!!』
銃撃に巻き込まれては本気で重症を負いかねないため、机の下に隠れた先生の元にポロッと何かの機械が落ちる。
『つ、通信機です!先生、コハルちゃんの説得を……!』
「“……ごめん、できない”」
『そ、そんなぁ……』
コハルに関しては、感情を抑え込んでいた面もあったのだ。ここらで一度発散しておくべきだろう。
決して今のコハルには話が通じなさそうだとか、そういった理由ではないと言い訳をしながら通信機を手に取る。
「“でも、ヒフミと会えたのは丁度よかったかな”」
『え?わ、私ですか?』
「“ついてきて欲しいところがあるんだ”」
◇
「え、えと……一応準備してきましたけど、ここって……」
「“うん。ティーパーティの建物だね”」
足を震えさせながら、サァっと青ざめた表情で先生の方を見るヒフミ。
けれど同時に、その表情はどこか真剣だった。
「用事って、もしかしなくても……!」
「“……アズサと、アリウスの件。ナギサには伝えなくちゃいけない”」
無論、ヒフミを連れてきた理由はあまりそこには関係のないことだ。
否、ヒフミとしては自分からナギサに伝えたいことがあるかもしれないが、これはどちらかと言えばナギサのためでもある。
「先生、予定通りの時間ですね。こちらへ」
先生の背を追いながらも、慣れない足付きで建物の中を駆けていく。
ナギサに呼び出され何度か訪れた事はあるが、未だに慣れない。何度か紅茶を出されたような気もするが、緊張で味などしなかった。
何故平凡な自分がナギサに好感をもたれるのか、きっかけはなんだったろうか。取り止めのない思考をぐるぐる回していると。
「わぷっ」
「“ヒフミ……?”」
「ご、ごめんなさい……」
先生の背中に鼻から突っ込んでしまった。ヒフミとてキヴォトスの生徒だ、痛くはない。痛くはないが、申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだった。
「……ゴホン」
「あ、な……ナギサ様……」
僅かばかり機嫌が悪そうな様子で着席を促すナギサ。
その席の裏に、『さっさと座れやなにしとんねんお前ら』というニュアンスが感じとれた。
実際にはそんな意図は一切なく、困り気味なヒフミに助け舟を出しただけだったのだが。
「さて……それで、先生。お話というのは?」
「“……”」
着席する先生に倣い、ヒフミもまた椅子を引いて座る。
周囲には、おそらくは親衛隊と思しき生徒が二、三人。部屋の外にも待機しているのだろう、厳重な警戒体制を取っていた。
「すみません、ここ数日のあれこれで少々ピリついていまして……」
ナギサがニヒルな笑みをポロッと溢して見せれば、親衛隊のヒフミ達に向いていた警戒が瞬時に消えさった。
冷たさを保つような、まさしく鉄仮面とも呼べるその笑顔。
先生がナギサと出会って以来、ずっとこんな調子だった。唯一その仮面が剥がれたのは、あの夜のみ。
「“……今日ここにきたのは、他でもないよ。アリウス分校について”」
「……そう、ですか」
先生の言葉に応じるようにパチン、と指を鳴らすとその場にいた親衛隊が立ち去り、先生とナギサ、加えてヒフミだけが残される。
「何やら話しにくいお話だったようですので。これで気兼ねなく話せますね?」
「“……”」
表情に出ていたかと自分の顔を揉みながら、なんとなく手持ち無沙汰に紅茶を拾い、口元へと運ぶ。
「さて……アリウス分校について、でしたか」
同じくして皿へ紅茶を置いたナギサ。小さく一息付きながら、ゆったりと冷淡に。鋭い視線を、先生に向け。
「昨日、先生が得た情報……それらを共有していただける、という認識で間違いありませんね?」
小さく顎を引き、肯定を返す先生。まずは、そこから。ナギサの信頼を、勝ち取らなくてはいけない。
「とりあえず、一通り聞かせてくださいな。その情報をどう扱うかは、そのあとお話します」
「“うん、それで構わないよ”」
そんな覚悟を元に、先生は話を始める。
一方ヒフミと言えば、横で借りてきた猫のように固まりながらちびちびと紅茶を飲んでいた。借りてきた猫だけに、猫舌だからちびちび飲むのか、などと下らない考えを振り払う。
「“まず、アリウス分校についてなんだけど……”」
◇
「“っていう、感じかな……”」
先生は話した。スオウから得られた情報、そのほとんどを。
「ええと、つまりまとめると……」
ナギサは心底呆れた様子で、わざとらしいため息を吐き。
「アリウス分校に、こちらと敵対する意図はなく。調印式のタイミングを利用して、支配者から逃れようとしていると」
「“そうだね”」
「……」
───この人は、どこまでも。
怒りではない。これは、呆れ以外の何者でもない。
あれだけこっ酷く騙されて、裏切られて。それでも尚、信じるなどと宣うのか。
「先生、忘れた訳ではありませんか?白洲アズサさんは、現に……ヒフミさんに、銃を向けたのですよ?」
「っ、そ、それは違います!!!」
今まで固まっていたヒフミが、突然立ち上がって大きな声を上げた。
「あ、ご、ごめんなさい……で、でもっ!!」
向けられる目線に少したじろぎ、辿々しくも言葉を続け。
「アズサちゃんは、本当にとっても良い子で……ずっと頑張って勉強してて……そ、それに!優しいんです!」
「ヒフミさん……」
ナギサからヒフミに向けられるのは、同情。
「……気持ちはわかります。しかし、事実は事実なのです。白洲アズサさんはトリニティに潜入していた。そして私たちを裏切り、あまつさえヒフミさんを傷つけようとした」
「そ、それは……!」
「もし、仮に」
ピシャリ、と。出来の悪い生徒に言い聞かせるように。子供に対して、親がそうするように。
「もし仮に……先生の言うように、アリウスがトリニティと敵対するつもりがなかったとしましょう」
つらつらと、事実を並べ立てていく。
「だとして、ヒフミさんに銃を向けた……これはアリウス分校が我が身のためならトリニティを傷つけるという、紛れもない事実」
どこまでも冷淡で、冷酷で。正しい言葉だった。
「そして、同時に……白洲アズサさんが、トリニティではなくアリウスを選んだということでもあります」
「っ……!!」
だからこそ、残酷で。ヒフミの心へと、深く剣を突き立てるように刺さり込む。
「……理由はどうあれ、自分たちから傷つけておいて和解したい、など、随分勝手な話ではありませんか?」
「“ナギサ……”」
理由はどうあれ。つまり、彼女たちが殺されてしまう状況にあったとしても、それでも尚。トリニティと敵対したことは事実であると、そう言いたいのだろう。
「私は、そのような人間を……信頼するつもりなど、毛頭ない」
話は終わりだ、と言わんばかりに、ナギサは深く目を閉じて。
「ナギサ様は……」
「……?」
「ナギサ様は……なんで、私に……裏切り者を探して欲しいって。そう、言ってくれたんですか……?」
けれども縋り付くようなヒフミの言葉に、フッと目を開いた。
「……私も、裏切り者だって、そう疑われてたんですよね?だったら、どうして……」
「……それは」
答えられなかった。自分の矛盾を、証明してしまっているようで。
「驕るつもりはないです……ナギサ様がなんで私なんかによくしてくれるのか、それもわかりません。もしかしたら、裏に何か意図があるのかもしれない」
「っ……!」
違う。それは違うと、口に出したかった。それは、それだけは誤解してほしくなかった。
ナギサにとってヒフミは、救いそのものだった。どこまでも平凡で、天真爛漫な。
自分を唯一対等な、ティーパーティの『桐藤ナギサ』として扱ってくれる。
敬語や気遣いはされど、利用する気なんてなくて。自分とは違い、どこまでも真っ直ぐで、優しい。
そんなヒフミに憧れて、救われて。だから、だからきっと。
「でも……!でも、私を犯人探しに選んだのは……!嫌でしたけど……!どこかで、信用してくれてたからじゃないんですか……!?」
「……」
そして、ヒフミはカバンから紙袋を取り出して。
「私が疑われた理由は……犯罪集団の、トップだからかもしれないからですよね……?」
「は、はい……しかし、それは……?」
「せいっ!」
勢いよく、それを被り込んだ。
「私は、『覆面水着団』のリーダー……ファウストなんです!」
「……はいぃいぃぃいっ!?」
続くヒフミの言葉に、驚愕のあまりティーカップを落としてしまった。
「えっ、ちょっ、ど、どういう!?いえ、そもそも覆面水着団とは!!?いや、あの噂は真実だったなんて、そんなバカな!?」
「同じです!!」
混乱するナギサの冷静さを取り戻させるように、ヒフミは精一杯の大きな声で。
「私も、事情があるんです!それはもう、すごく複雑な!!」
「……!」
「でも、ナギサ様を裏切ったり……トリニティを滅ぼそうとか、そんなこと思ったこと一回だってありません!!」
その紙袋は、徐々に湿りを帯びてきて。即席で書いたようにしか見えない五という数字が滲んでいった。
「私はアズサちゃんを信じます!!きっとそこには何か理由があるはずだって!!知りたいんです!!どんな理由があるのか!!」
もう役に立たなくなった紙袋を取り、今度はしっかりとナギサの目を見据えて。
「ナギサ様も、信じてとまでは言いません!でも、ちょっとだけ……!チャンスをあげてくれませんか!?」
「っ……!」
「私と同じように、ちょびっとだけ……一回だけでも良いんです!!知ろうとしてください!!もし、もし嫌なら……!私はファウストです!!先に私を退学にしてください!!」
詰まるところ、ただの感情論だ。
訳がわからない。自分を信じるなら、アリウスを知ろうとしてみろ?何を言っているのか。
「っ……!そんな……!そんなの……」
けれどもナギサはその眩しさに、顔を上げることができなくて。
あれは確かに、自分自身が救われていた光、そのものだから。その光に、仮面を外されてしまったから。
「そんなの……!ずるいじゃないですか……!」
その感情論を、認めるしかなかったのだ。