通信ではなくモモトークの通話機能にて伝えられたのは、アシリの憂いの声。耳を切り裂くような金切り声に、マユミの鼓膜は鋭い痛みを伝えた。
『マユミちゃんっ!!色々っ、色々危険が危ないよぉ!!』
「言葉は正しく使いなさい頭フワフワ黄髪女ァ!!というか一旦落ち着きなさいっ!!」
涙目で耳を押さえて画面を見つめ、その額に青筋を浮き立てる。
『ま、マユミちゃんッ!!今どこで何してる!?無事なの!?』
「私は無事よ!!落ち着けったら!!」
『よかったよぉ……!本当によかったっ……!』
画面にアシリの顔は映っていないが、それでも涙で顔がぐちゃぐちゃになっているのは想像に難くなかった。周りの宥めるような温かな心配が、マユミの耳にも届いていたから。
「……ふふっ……アシリ。またいい友達ができたのね」
『え……う、うん、四人も……って、そんなこと言ってる場合じゃなくって!!マユミちゃん、状況わかってる!?』
少し落ち着いたかと思えば、再びとてもスマートフォンから出るとは思えない大きな音を出すアシリ。画面を地に叩きつけようとする衝動を左手で静止し、冷静になった頭を回す。
「ええ、なんとかね。そっちには浦和ハナコがいるんでしょう?状況はわかってると思う……桐花スオウが危ないわ」
『う、うんっ!!でもそれだけじゃないのっ!!トリニティもゲヘナも、怪我人でてんやわんやだよおっ!!』
「てんやわんや……」
緊張感ないわね、という言葉を吐息に乗せて放り投げ、アシリの先の言葉に耳を傾けた。
『ほ、奉仕活動部の子はアリウス分校の子達を探しててっ!!でもあの黒い奴らのせいで行けないのが現状……!あ、あと学園活動補助部!多分だけど、ゲヘナの子達を助けてる!』
「む……」
学園活動補助部と言えばゲヘナのあんちきしょうことサユリが部長を務めるアレだ。確かエデン条約の調印式では、ゲヘナ自治区を通ってアリウス生が脱出できるための保険。山海経に向かうのであれば、必然ゲヘナ自治区付近も通る必要がある。なるほど、ゲヘナの手伝いをするのも納得ではあるが、しかし、と。
「救急医学部に任せて、こっちに来させなさい。事態は急を要するわ」
『そ、そう伝えたんだけど……サユリちゃんも黒いやつのせいで下手に動けないって!!なんか、倒してもすぐに復活するみたいで……!』
「……あー、そういうことね」
サユリは元アリウス生の中でも、かなりの武闘派だ。とはいえ、その強さはドローンをフルに活用したマユミをわずかに上回る程度。彼女率いる学園活動補助部がいたとしても、聖徒会の戦力の前では容易く動けないのだろう。
「情報の共有は?」
『してるよ!』
「オーケー、なら問題ないわ。ゲヘナ生は向こうに待機、アリウス分校の生徒を見つけ次第逃しなさい」
性格が良いとは言えないサユリだが、決して頭が悪いわけではない。情報は共有してあるのだ。ある程度は考えて動いてくれるだろう。そんな思考に従って、一度深呼吸を置き。
「よし、それじゃあ」
『ま、待って!!』
「……なに、どうしたのよ」
珍しい事だった。アシリはいつもの三人の中で最も優しく、常識的で、人を気遣うことが出来る人間だ。その点についてはマユミもサユリも、他の部員たちだって認めている。たまにおかしくなるのが傷だが。
その彼女が緊急事態にて、マユミの言葉を遮ってまで伝えたい事。少し考えて。
「あー……」
『あ、アズサちゃんっ!!既読がついたって!!もしかしたら、メッセージ気づいてて……!トリニティの近くにいるかもっ!!』
「っ……アシリ……」
あまりの大声に、スマートフォンから遠いアズサの耳にも届くアシリの声。
アズサにとって彼女の言葉は、素直に喜ばしいものだった。あんなことをした自分をまだ友達だと呼んでくれて、心配してくれて。あの時冷え切った、否無理矢理に冷えたことにした自分の心に、じんわりと溶け込むように、優しく刺さり込んで。
「……えーっと、白洲アズサね。あの子、は、っと……」
「……」
けれど、だから。だから怖かった。またみんなの信頼を裏切ってしまうことが。自分のせいで傷つけてしまうことが。今度は、銃を構えるだけでは済まないかもしれない。
……何より。自分はあの時、選んだのだ。アリウス分校の人間を助けることを。最悪の方法で。今更どんな顔をして、のうのうと戻れるだろうか。
「やめて」
「……ったく……あんたも強情ね」
自分のことを、周りが案じてくれるのはわかる。この選択を、アリウスのみんなもトリニティのみんなも望んでいないことも。だからこそ……そんなみんなだからこそ。アズサはもう戻るつもりはなかった。
「見てないわ。もしかしたら、ゲヘナの方に向かったかもね」
『……そ、っか。うん……そっか。わかった。ごめんね、話遮って』
「構わないわよ……で、これからどうするかだけど。私たちは先生を探そうと思うわ」
『え、なんで……ちょっと待って、私
マユミの言葉に引っ掛かりを覚えたアシリは、はて、と疑問を口にして。
「いいえ、アリウス分校の人間よ。さっき接触したの」
『……え?』
言うのが遅れたけどね、などと大した事でもないように言ってのけるマユミに、わなわなと震え始める。
『さっ……!』
「……さ?」
『先にそれを言えよぉ!!』
再びの轟音。三度目はないぞと、予め耳を押さえておいたためマユミにはあまりダメージがないようだった。
「だってあんた、早口で捲し立てまくったじゃないのよ」
『うっ……!そ、それはごめんだけどぉ……!って、ちょっと待って!?マユミちゃん今どこにいる!?』
今思い至ったとばかりに間髪入れず言葉を詰め。
「古聖堂括弧跡地よ」
『……あ、あぁぁああああ゛……!もう!!言いたいことは色々あるけど、全部後っ!!そのアリウスの子達に奉仕活動部の座標伝えるから、一旦こっち寄越して!!それで、アリウスの子供達は奉仕活動部と学園活動補助部のみんなに任せて山海経!!わかった!?』
色々と文句を垂れたくなるのを全て押さえつけて、なんとか今後の方針だけを伝えた。
「……アリウスっ娘。それでいい?」
「ああ、私たちは構わない。各分隊長に伝えておこう」
「らしいわよ」
いちいち伝言をするのも面倒だったのか、スピーカーモードに変更してサオリたちの答えを告げる。
『わ、わかった!それでその、桐花スオウのことなんだけどっ……!ど、どうするの?』
「……どうするって、そりゃあ助けるわよ。じゃなきゃ私は……あの人に顔向けできないもの」
『そ、そんなの私だってそうするつもりだよっ!!でもその、アリウスの人たちにどのくらい協力してもらうのかってこと!』
急ぎ誤解を解こうと弁明するアシリにああ、そういうことねと納得しながら、顎に指を当てて考える。
アリウス分校の協力は、勿論欲しい。自分たち元アリウス生にも隠し玉はあるが、それらはあまり使い易いとも言い難いのだ。最低限の戦力は必要になってくる。
「……とりあえず、桐花スオウの説得までは協力して欲しいわ。残りはそのあとの展開次第ね」
『展開次第って……』
「説得できなかった場合……助けられなかった場合の話よ」
『っ……!』
その場合、敵になるであろう者達。アリウス分校の上層部。彼女達の戦力は測りかねている。その上、『ヘイローを破壊する爆弾』を使われてしまっては堪らないどころの話ではない。アリウス分校に死人が出る。まず間違いなく。
つまりここでの最適解は、少数精鋭での最速行動。ただしケースバイケースで、戦力を確保できるように。
「……とにかく、アリウス生は一旦待機。ここにいる……あんた達って部隊名とかあるの?」
「アリウススクワッドだ」
「スクワッドのかわいこちゃんたちに協力してもらうわ」
『……』
通話の奥から伝わる呆れた空気を感じ取りながらも、本題に入ろうとして。
「待て。他の分隊長たちだが……」
「……多分この話を聞いたら、無理矢理にでもスオウのことを助けにくると思うよ」
サオリとミサキの発言に、まだ問題が残っていたのかと深いため息をついた。
「……慕われてるのね。らしいわよ、アシリ」
『えっ……!ど、どーするの!?』
「どーするって秘密にしとくしかないでしょ。嘘も方便よ、なんとかなさい」
『そ、そんなの言われたって私じゃ無理だよぉ!!』
そういえばアシリの演技力ってカスだったわね、などと思い返して、呆れから苦笑いをした。
「そっちには浦和ハナコがいるでしょ。それと、戦力もできることなら集めて欲しいわ。これから必要になるはずだから」
『っ……!う、うんっ!わかった!マユミちゃんはこれからどうするの!?』
「どうって……あー、説明する時間も惜しいわね。先生を探す予定よ。必要だから」
『え、せ、先生?』
先生、という言葉に反応したアシリ。その反応は、マユミにとって久方ぶりのいい予感を告げて。
『せ、先生の場所ならわかるよっ!!ピーちゃん使って案内するから、ちょっと待ってて!!』
続く言葉に、予感は確信へと変わった。
◇
目の前には、無数の銃弾の嵐。込められるは過剰な神秘。物静かな紫がぼんやりと弾丸の周りに浮き上がって、つい見惚れたくなる。
「っ……!」
けれど、そんな珍重を以て銃弾を見る余裕なんてなかった。
「は、ああああっ!!!」
右腕に髪の毛ロープを巻いて神秘を込め、最小限の動きとダメージで防御。同時に左腕で爆弾による加速を行い、ミカの方へ瞬時に移動する。
「もうその移動も、慣れてきたよっ!!」
迫るは拳。狙いは鼻先。右足で急ブレーキをかけ、地面を蹴り上げた。弧を描くようにして空中に立ち昇った両の足で腕を挟みこむ。
「っ……!」
「ふんっ!」
背筋を躍動させ収縮、後ろへと力を込め、ミカを空中に十メートルほど投げ飛ばす。
「くっ……!」
重力に従って自由落下を開始するミカ。そのミカに向けてハンドキャノンによる追撃を試みるも、最低限のダメージに抑え込まれてしまう。
「甘いよっ!!」
「ぐ……!」
地上に到達したミカ。来るべき衝撃に備え、両腕に神秘を込めて。
「なっ!?」
ブラフだ、と答え合わせをせんばかりに空中へと再び跳び上がった。瞬時に天井へと到達、同じくして地上へと加速。
「っ……!」
ミカが構えるのは拳だけではなく、岩石。天井に到達したその一瞬で、砕けた天井の破片に神秘を込めて蹴り落としたようだった。
なればこそ、あえて避けない。
「迎え撃つ!」
複数の爆弾に、過剰な神秘を込める。その総量に従い妖しく、鈍く輝き始める爆弾。その輝きが頂点に達した瞬間を狙い、一つは自身の足元へ、その他は投げつけて岩石を破壊する。
「そう来ると、思ったよっ!!」
爆発により宙へ持ち上げられる身体。ミカがこちらへ迫る速度がさらに増し、右拳が迫る。
「ふっ!」
「っ、らぁっ!!」
その拳を寸前で避け、左の掌をミカの右腕に当て自身の背面へと加速させる。
「なっ!?」
「で、りゃあっ!!」
ガラ空きになったボディに右拳を全力で打ち込む。漏れる呻き声を無視して間髪入れず首元に蹴りをぶち込んで、地上へと墜落させた。
「ふぅっ……!っ、なっ!?」
一息をつく間もなく、地面が迫ってくるような錯覚に苛まれる。コンマ数秒もなく、ミカが地面を宙へ昇らせたものだと気づいた。
「芸がねぇなぁ!!?」
「防いでから言いなよ!!」
迫る岩石群。空中で崩壊し、一つ一つが足場のように、三次元的な散らばりを見せる。
「空中戦をお望みかぁ!?」
「立派な翼があるからねっ!!」
視界の隅に白い残影が映っては消え、映っては消え。その度に足場たる岩石は破壊され、その姿を消していく。
「……」
あえて空中の岩石を使うことはせず脱力、重力に従って落下。岩石との速度は同程度、周囲の足場は止まって見えた。そうして、白い残影にも規則性が見え始め。
「……そこだっ!!」
次の加速軌道上に向けてハンドキャノンを放つ。かなりの神秘を込めた弾丸、当たればダメージは必至。その部位は下手に使えなくなるはず。
これでミカのスピードも落ちる。その隙を狙って、さらに追撃を仕掛ければいい。
「っ……流石だね、スオウちゃん」
ミカの声、姿。弾丸の跡を探す。足、腕、胴、胸、顔、そのどれにも映らない。
「しばらく翼は、使えそうにないよっ!!」
「っ!?」
赤く染め上げられた翼が、急速にこちらへと向かう。予想外の動き。対応しきれず。
「は、あああああっ!!!」
「がっ……!」
その美しく輝く拳で、地面へと叩きつけられた。
「ご、ほっ……!げほっ、ぐっ……!」
神秘を込めて防御した。その筈だった。だというのにこんなにも血が流れ、軋む骨はまともな動きを許さない。
「はぁ……!はぁ……!」
ミカもまた息が上がり、先程負った傷を押さえている。互いにダメージは深いように思える。気を伺うようにして、距離を取り合うも。
「けほっ……ねぇ、スオウちゃん。こんなこと、もうやめようよ」
「……?」
途端にそんなことを言い出したミカに、耳を疑わざるを得なかった。
「スオウちゃんにどんな考えがあるのかは知らない。あなたは私なんかよりもずっと優しくて、賢いから……もしかしたら、間違ってるのは私の方かもしれない」
「……あ?」
諭す様に、そんなことを語り始める。
「でもね、スオウちゃん。今からあなたがやろうとしてることは……多分、それも間違ってる」
「……んだと」
「だって、そんなのは……サオリちゃんも。アズサちゃんも。みんなの気持ちを、無視したやり方だから」
「っ……!」
……ごちゃごちゃ。うるさいなぁ。
「……はっ。はははっ……囀るなよ、クソゴリラ。俺の目的は伝えた筈だろ?キヴォトス全土のしは」
「嘘かゴリラしか言えない悪いお口は要らないよ?」
「っ!?」
突然ミカに投げつけられた小石。口元に向けられたそれをキャッチして砕き、パラパラと地面に撒き散らす。
「おいおいお嬢様、随分とお淑やかじゃないの」
「あ、やっと知的な嫌味が言えたね。褒めてあげよっか?」
「要らねぇよ、お前から貰っても悪評にしか繋がらねぇ」
「悪評で言えばすでに最悪レベルだと思うけどね」
……ああ言えばこう言うな。まあ、もとよりまともに会話するつもりなんてないけどさ。
「ねぇ、スオウちゃん。あなたがいなくなって、本当にサオリちゃん達は大丈夫だと思う?」
……そんなこと。たくさん考えたし、想定したさ。そのために十年間、必要なことを教え続けたんだ。
「……知ったこっちゃねぇ」
「ううん、思ってるんだよね。だってそうじゃなきゃ、スオウちゃんがこんな事するはずもないから」
「はっ……人を見る目がねぇなぁ」
「でも、それは勘違いもいいとこだよ」
ミカ俺の話を聞く気ある?全然言葉に反応してくれないんだけど。
「断言するよ。わかりやすくシオちゃんは駄目。スオウちゃんがいなくなったら後追いするんじゃないかな?」
「っ……」
……そんなことはない。シオだって少しずつ、俺以外のやつと話せるようになってた。ちょっとずつだけど、強くなっていた。
「……ねぇ、スオウちゃん。立場には責任が伴う、って言ってたよね。あの言葉、そっくり返すよ。妹にしたんだから、ちゃんと責任を取って……最後まで一緒にいてあげないと駄目じゃん。何してるの、本当に」
「……」
果たすべき責任は果たした。あとはベアトリーチェさえ殺せば、みんな幸せになれるんだ。俺がいなくなれば、エデン条約を破壊した大犯罪者がいなければ……みんな、普通に生きれるはずなんだ。
「こんな、こんなやり方が本当に正しいと思ってる?そんなの、みんなが可哀想だよ」
……ああ。そうか。そうかよ。
「……っきから……」
「……え?」
「さっきから!!!ごちゃごちゃうるさいんだよ!!!」
「っ……!?」
俺が死んだあとみんながどうなるか?そんなことを、俺だって考えなかったわけじゃない。考えた。考えたさ。沢山、沢山、沢山、沢山。
でもどう考えたって、俺みたいな人間一人ぽっちいなくなるだけのことが、みんなが犯罪者として追われることよりいいことだなんてほんの少しだって思えない、思わない、これが正しいはずなんだ。
「黙って聞いてりゃ上から目線で偉っそうに!!!他に方法があったかよ!!?なあ!!?言ってみろよ!!やってみろよ!!!俺がいなくなったらどうなるかって!!?変わらねぇよ!!何も変わらねぇさ!!誰が困るよ!?俺なんかが消えて!!」
「……スオウちゃん」
ああ、駄目だ。こんなのは駄目だ。八つ当たりに過ぎない。一時の感情に任せて。あの時みたいに。
違うだろ、そうじゃねぇだろ。俺は、『俺』はそうじゃない。『私』もそうじゃない。
「……私が哀しむよ?」
そんなこと、わかってる。ミカは優しいから。
「知ったこっちゃねぇなぁ!!所詮他人如きにどう思われようと!!」
「……私は友達だと思ってる」
俺だってそう思ってた。けど同時に、守らなきゃいけない。
「俺は一度たりとも思ったことはねぇ!!」
「……まだ戻れるよ。一緒に逃げよう?みんなと、さ……」
戻れないよ。戻っちゃ駄目なんだから。
「何の話をしてるのかわかんねぇって、言ってんだろうが!!!」
「……なんでスオウちゃんは、そんな風になっちゃったの?なんで自分なんか、なんて、そんな事を言っちゃうの?わかんないよ。私にはわからない」
「はははっ!!そりゃお前の頭が悪いからだ、聖園ミカァ!!!」
ミカの顔面に向けて放った、ハンドキャノンの弾丸。一切動くことなくその口に咥えて止められる。
「威力が落ちてるよ?動揺したね」
「……もういい。時間稼ぎも十分だろ?」
「あちゃ、バレてたかぁ」
今の会話の間に、俺の体力も回復した。聖徒会の
「……それじゃあ、第二ラウンド開始だね」
「かかってこい。楽には殺さねぇ」
「だから演技下手くそだってば……」
……先生が起きるまで、多分まだ少し時間がかかる。アリウス分校の子供達は、もうすぐみんな逃げ切れるだろう。
あと少し、あと少しだ。あと少し耐え切れば、先生はここに来る。直接だろうと、そうでなかろうと。それまでの間の辛抱だ。耐えて、ミカから『ヘイローを破壊する爆弾』を奪え。そのあとの動きは、想定どうりに。
問題はない。何も問題はない……問題、ないよな?
◇
「……どうだい、先生。これが今、今この瞬間に起こっている出来事だ」
「“……”」
夢とも現実とも言えない、世界の狭間。再び戻ってきた二人は、対面して目を合わせていた。
「なんとも陰鬱で、寂寥的で、悲哀に満ちた話だろう?もっとも、この先はさらに……辛抱が必要になるお話だ」
「“……そっか”」
先生はどこか穏やかに同情するような瞳で、ぼんやりと視界を眺めていた。
「互いに想い合うが故にすれ違い、ぶつかり合い……そして、最悪の結末を招く。一見上手くことが運んでいるように見えても、その裏には悪意に満ちたような最悪の準備が着々と進められている」
セイアはいつも通りの迂遠な言い回しで、諦めた目で。持論を語り始める。
「しかし、紛れもなく真実の物語でもある。皮肉なことに、これを否定した彼女自身の行動がそのことを証明する結果になっているんだよ」
何度も見てきたことだ。そんな風に、その瞳を瞼の奥に隠してしまった。
「……不信が。恐怖が。不安が。相手を思う気持ちが。その全てが降り積もり、通じてこの条約は歪な形で完成された。物語が歪んだ。まさに、楽園に追放された私たちにふさわしい結末かもしれないね」
セイア自身、何度も考えたものだ。今回に限った話ではない、幾度となく……未来を変えられるのではないかと。諦めさえしなければ、きっと未来は変えられるのかもしれないと。
しかし、結果としてそれは間違いだった、そう断言せざるを得なかった。今起きている出来事、その全てが……セイアが見てきたものと、相違なかったのだから。
「“……セイア”」
「先生、座りたまえ。どうして立ち上がるんだい?そこに何の意味があるんだい?」
「“……”」
「納得がいかないと言うのなら、私が結末を教えよう。所詮私は、傍観者に過ぎないからね」
傍観者。動くこともせず、話に影響を与えるわけでもない。ただ、そこで見ているだけ。
「どうせ何をしようと、誰しもが私に取って傍観者と変わらない。違いがあるはずなんてない。何も変えられないのだから」
「“……それでも、私は行かなきゃ”」
「……どうして?」
不安げに。一人で家にいるのを怖がる、小さな子供のように。セイアは先生を引き止める。
「“見ているだけでは、わからないこともあるから”」
「わかったところで、何の意味がある?その先に続くものなんて、何もないのに……どうしてそこまで、無意味なことを好む?」
「“……怖かったよね、セイア。一人で見続けるのは。見ることしかできないのは”」
「っ……何を」
優しげな先生の声に、セイアは動揺した。動揺せざるを得なかった。
「“少し待ってて。今は、動かなきゃいけないから”」
「……どうしてだい、先生。なぜそんな無意味な行為を、証明を続けようとするんだい?理解できない。七つの古則にも書かれていただろう、全ては……」
「“うん。でも、それは割とどうでも良くって”」
「……?」
どうでもいい。古来から続く言葉を切って捨てた先生に少し怒りを覚えながらも、その大きな耳をよく澄ませ。
「“私にできることは少ないよ。それでも、無為に時間を過ごす訳にはいかない”」
「……それが、無意味な行為でも?」
「“無意味じゃないかもしれない”」
「どうやってそれを証明するんだい?その行為に、なんの意味があるんだい?」
「“……水着じゃなくて下着だと思えば、それは下着だから”」
「……はっ?」
突如として訳のわからぬことを宣う先生に、顔を赤らめるセイア。逃げ去るように、先生の意識は浮上していった。