「ただいま・・・」
覇気を感じさせない静かな声で挨拶をしながら玄関のドアを開けて帰宅した瀬那は、玄関の段差に腰掛て、靴紐を解いて靴を脱いだ。
あれから「残念だったね」と悲しんでいるまもりに言われるまで呆然と合格者発表掲示板を見上げていた。
もしかしたら自分が見落としているのではないか、と何度も確認したが結果は変わらない。
何度見ても瀬那の受験番号021は無かった。
瀬那は泥門高校の受験に落ちたのだ。
つまり瀬那は泥門で、泥門デビルバッツというチームでクリスマスボウルを目指せないということだ。
泥門高校の入試合格発表を見に行った後の事を瀬那は呆然としていて覚えてない。
まもりが励ましか何か言っていた様な気がするけど耳に入っていない。
これは何かの悪い夢なんだ、一度寝て起きれば全て元通りなんだと思って帰路に着いていた。
「・・・まもりちゃんから結果は聞いたわ・・・残念だったわね」
「・・・・・・うん」
背後から母の美生に声を掛けられた瀬那は申し訳無さそうに頷いた。
受験に落ちて家に帰っていたらこんな感じだったのかと自嘲したくなるが、今はそんな気分じゃない。
早く寝てこの悪夢から目を覚ましたかった。
「ごめん、ちょっと寝るよ」
「その前にお父さんと話があるからこっちに来なさい」
「今じゃなきゃダメ?」
「泥門に落ちちゃったから、滑り止めで受かった高校についての話よ」
そう言えば嘗て滑り止めで父親の母校を受験した事があったな、と瀬那は思い出した。
「・・・・・・うん、わかった」
さっさと話を聞いて部屋に戻って寝ようと思いつつ瀬那はリビングへ向かう。
そこには父、秀馬がおり、瀬那はテーブルを挟んで向かい合う様に座り、美生は秀馬の隣に座った。
瀬那は両親の顔を窺うが真剣そのものであり、秀馬と美生も初めて見る瀬那の弱々しく申し訳無さそうな姿に怒る気も無かった。
しばし互いに無言だったが、呼び出した秀馬の方から話を始めた。
「泥門高校の件は残念だったな」
「もう終わった事だから別にいいよ・・・・・・」
「そうだな・・・確かに泥門は落ちたが、滑り止めで受けた父さんの母校には受かっている」
「うん、知ってる」
「それでだな・・・父さんの母校、私立誠光学院は兵庫県にあってね、全寮制の学校なんだ」
「つまり、家から離れて高校生活を送るってこと?」
「そうだ」
その程度のことなら問題ない。
瀬那自身は大学生の時に一人暮らしの経験がある。
よく鈴音に家事など手伝ってもらったが、一人でも何とかできる自信はある。
その後も父の母校の話が続いたが、瀬那の耳には入っていなかった。
話が終わり、部屋に戻って寝ようとした瀬那は気になる事があって秀馬に聞いた。
「父さん、その高校って、アメフト部あるの?」
「アメフト部?」
いきなり瀬那とは無縁そうなスポーツの名前を出されて秀馬は意外そうな顔をするが、気にするのはやめて真面目に答えた。
「父さんの時は強豪として有名だったよ。それがどうしたのか?」
「ううん、何でもないよ。ありがとう・・・」
聞きたかった事を聞いた瀬那は自室に戻ると、制服姿のままベッドに寝転がって目を瞑る。
一度寝て目を覚ませば子供の自分から大人の自分に戻る。それを願いながら瀬那は眠りについた。
★☆★☆★
「・・・・・・此処は?」
気が付くと瀬那は自分の部屋ではなく別の場所にいた。
元の世界に戻ってきたのかと思ったが、自分が着ている中学の制服と、成長途上の身体が違うのだと分かってがっくりと肩を落とすが、自分が今いる場所に気付いた。
「此処って・・・東京スタジアム・・・?」
高校アメフト選手にとって夢の舞台であるクリスマスボウルが行われる最終決戦場。
嘗て瀬那がデビルバッツの仲間達と共にプレイし、全国制覇を成し遂げた場所であり、偽りのヒーローだった自分が本物のヒーローを倒して最強を証明した場所でもある。
たった一試合、僅か数時間の出来事だったが、今でも瀬那はあの試合の事を憶えている。
出来るならもう一度仲間達と一緒に試合をしたかった。
しかしその夢が叶うと思った今日、泥門不合格という結果に終わって断たれた。
瀬那が泥門で今年クリスマスボウルを目指す事は出来ない。
その事実だけが辛かった。
泥門の部活動は二年の秋まで。つまり今年しか二年のヒル魔や栗田と一緒に戦う事は出来ないのだ。
瀬那は空を見上げながら嘗ての仲間達の事を思い出していると、背後から声を掛けられた。
「ケケケケ。糞チビ、何バカ顔して呆然としてやがる。フィールドのど真ん中で絶賛野グソ中か?」
「してないよ!!」
思わず自然と声を漏らして振り向くと、そこには見知った人物がいて瀬那は驚いた。
逆立てた金髪にエルフみたいに尖った耳。ギザギザの歯が生えた不敵な口に整った顔立ち。体付きはアメフト選手としては細身でスラリと背も平均よりも高い。
泥門デビルバッツの赤いユニフォーム姿の彼は、マシンガンを肩に担ぎ、いつもどおりの不敵な顔をして立っていた。
「ヒル魔さん・・・!」
瀬那は男の名を嬉しそうに呼ぶ。
彼の名は蛭魔妖一。泥門デビルバッツの主将で司令塔を務める男であり、瀬那を無理矢理アメフトの世界に引きずり込んだ張本人である。
「飛行機墜落に始まり、今度は泥門不合格か、落ちる所まで落ちたじゃねぇか!」
「楽しそうですね・・・・・・」
ケケケケ、と人の不幸を笑う悪魔に、瀬那はいつものヒル魔さんだと思いつつ溜息を吐いた。
「それでどうするんだ糞チビ? そのまま現実逃避をして泣き寝入りすんのか、それとも新天地で頂点を取りに足掻くのか、どっちだ?」
「・・・・・・僕は・・・」
泥門に落ちた自分は別の学校に通う事になる。
父の母校である関西の高校へと。そこでも必ずアメフトを続けてクリスマスボウルを目指すだろう。
瀬那の夢はNFLの選手なのだから。
瀬那は自身の覚悟が決まると目の前で真剣な顔でこちらを見据えるヒル魔に胸中を吐露した。
「―――僕は関西の高校でクリスマスボウルを目指します・・・! 帝黒学園を倒して、クリスマスボウルで必ずヒル魔さんと、泥門デビルバッツを倒します!」
その真っ直ぐな想いの込もった言葉を聞いたヒル魔は楽しそうな笑みを口に浮かべる。
「ケケケケ、糞チビが言うようになったじゃねえか。おもしれぇ、俺とお前との戦績は一勝一敗だ。クリスマスボウルで決着を付けようじゃねぇか・・・!」
瀬那とヒル魔は大学時代に二回だけ戦った事がある。
どちらもクリスマスボウルを超える大イベント、ライスボウルの出場を賭けた大一番だ。
ヒル魔と決着を付けたいという思いは今もある。
ヒル魔はその決着をクリスマスボウルで付け様と言っている。
「俺たちは必ずクリスマスボウルに行く。糞チビ、お前も関西の奴等をぶっ殺して必ずクリスマスボウルまで這い上がって来い。今年の12月25日のこの場所が俺とお前の最終決戦場だ・・・!」
「はい!!」
ヒル魔からの挑戦状に、瀬那は胸の奥から熱い何かが灯るのを感じてはっきりと返事をした。
★☆★☆★
「・・・・・・やっぱり夢だったのか・・・」
目を開けるとそこは自分の部屋だった。
さっきの出来事は夢だったのだとすぐに悟るが、普通の夢と違っておぼろげなものではなく、はっきりと瀬那の記憶に刻まれている。
夢の中で瀬那はヒル魔と約束した。
クリスマスボウルで大学時代に付けられなかった決着を付けると。
窓の外を見てみれば既に夕日が沈み始めていた。
どうやら自分は半日近く寝てしまっていたらしい。
「・・・行かないと」
瀬那はこちらの世界のヒル魔に言いたい事があってベッドから身を起こすと自室を出て玄関に向かう。
「どうしたのセナ、そんなに急いで?」
玄関で靴を履いている瀬那に気付いた美生が声を掛けると、
「ちょっと用があって泥門に行ってくるよ」
いつもと違う堂々とした態度で言うと瀬那は、玄関のドアを開けて走り出した。
突然家を飛び出して行った息子の何か吹っ切った姿に首を傾げながら美生は、どんどん後ろ姿が小さくなっていく息子を見送った。
「ハァハァ・・・・・・」
走る。ひたすら走る。
泥門へ、言いたい事を言う為に瀬那は通い慣れた通学路を猛スピードで走り抜ける。
商店街の人ごみをすり抜け、急な坂を駆け上がり、泥門高校が見えると正門を飛び越えてアメフト部の部室がある場所へと向かう。
そこには探し人のヒル魔がおり、すぐ近くには栗田と都合良く武蔵がいた。
キキキ、と靴底をすり減らしながら急ブレーキを掛ける。
三人は突然現れた瀬那を驚いた顔で見た。
「何か用か糞チビ?」
全力で走って息を荒くしている瀬那に、ヒル魔が試す様な視線を向けつつ口を開くと、瀬那は口許に笑みを浮かべて彼らに宣戦布告する。
こちらの世界の彼らは自分の事なんか露も知らないだろう。
それでも瀬那はこの想いを伝えたくてはっきりとした声で伝えた。
「今年泥門を受験して落ちた小早川瀬那です! 今日はヒル魔さん、栗田さん、ムサシさん、泥門デビルバッツに宣戦布告に来ました!」
「僕達に宣戦布告?」
「「・・・・・・・・・・・」」
不思議な顔をする栗田に対して、ヒル魔と武蔵は無言で瀬那を見据える。
「僕は関西の高校へ入学します! そこでアメフト部に入部して、必ず帝黒学園を倒してクリスマスボウルに行きます! そしてクリスマスボウルで泥門デビルバッツに勝って全国制覇してみせます! 今日はそれだけを伝えにきました!」
言いたい事を言った瀬那は溜まった物を吐き出した様にすっきりとした顔をすると、三人の前から走り去った。
「何だったのかな?」
見知らぬ少年にいきなり宣戦布告された栗田は訳が分からないといった顔で二人に話を振るが、
「知るか」
「ライバルの出現と言ったところだろう」
ヒル魔と武蔵は楽しそうに笑っていた。
★☆★☆★
「とんでもない事を言ってしまったな」
昔の自分では考えられない大胆な行動だが、後悔は無い。
瀬那は走りながらこれからの事を考える。
今の自分のスピードは恐らく出会ったばかりの頃の進と同じ位。
未来の自分と比べれば遥かに遅いし体力も無い。
今の自分にあるのは長年の知識と経験で磨き上げた技術のみ。
こんなレベルではクリスマスボウルなんか夢のまた夢だ。
もっと強くならなければならない。
「これから忙しくなるぞ。明日から猛特訓だ!」
知り合いが誰もいない新天地での不安はある。
それでも瀬那の目指す場所は変わらない。
どんなに高い壁が立ちはだかろうとも必ず乗り越えてみせる。
それがアメリカンフットボールを始めて学んだ事の一つなのだから。
次話から入学します。
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