仕事してたら、絹旗ってのにからまれた   作:バージ1590

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衝動的なのよ


第一話

 綿竿天秤(わたさおてんびん)は煙草に火をつけた。

 仕事前の至福の一時だ。紫煙を深々と肺に入れて、空気に混ぜるように吐き出す。

 楽な仕事だ。特に考えることはない。

 闇の中、腕時計に視線を落とし現在時刻を確認した綿竿は駐車したセダンに背を預け、眉を顰めた。

 

 「こねぇな……」

 

 『4F』とスロープの近くにある表記を苛立たしげに睨みつけ、照明のついていない無人の立体駐車場で1人。夏の余韻に肩を落とした綿竿は、5分ほどで煙草を吸い切ると胸ポケットから簡易灰皿を取り出し短くなったフィルターを収める。

 予定時刻をすでに10分以上過ぎていることは不吉な前兆だったが、今回の依頼が武装無能力集団(スキルアウト)の過激派関連のものであることを知らされていた綿竿は「そんなこともあるわな」と特に気にしない。暗闇に眼を慣らすため、1時間も前から待機していることもあり、黒いジャージの下に着ているシャツは汗で肌に張り付いていた。

 それからさらに5分後。

 未だ姿を現さない標的に苛立ちを深め、ジャージのポケットから無造作に携帯電話を取り出した綿竿は遮光フィルターの液晶を、暗闇に慣れた右眼を閉じたまま見つめる。アドレス帳を開き、目当ての人物に発信する。

 1コールもしないうちに電話はつながった。

 

 「こねぇんだけど」

 

 開口するや否や不満を滲ませた綿竿に、電話の相手からは知ったことではないというような雰囲気で溜息が返される。

 

 『お客さんから連絡があったら、こっちからお前に電話してるっての。もういょいそこで待ってろって』

 

 スピーカーを越しに鼓膜を揺らす軽薄そうな声に、綿竿はさらに眉を顰めた。

 

 「なぁ。お前は現場の人間の気持ちってやつを考えたことがねぇんだろうな。もしあるんだったら、まだ残暑って言葉がしっくりくる月に働いてる人間が1時間以上エアコンもねぇ空間で立ち尽くしてるって状況。つまり俺の状況だな。ただ煙草吸うくらいしかやることがない俺に対して、『待ってろって』とは言えない」

 

 『煙草吸ってんの? 現場で』

 

 僅かにこちらを責める雰囲気を電話の相手が滲ませたことに、綿竿は余計なことを言ったなと舌打ちする。

 

 「あのな。落とした灰から何が検出されると思ってんだ。風に流されて散るような灰から」

 

 『知らねぇけど。フィルターから指紋が検出されたりとか?』

 

 「なぁ。俺今日プライベートな予定あるんだよ。お前が聞きたい言葉、フィルターは簡易灰皿に収めてるんだ、わかるか? 現場で俺がナンパされるようなことはほぼない上に、されたところでお客さんから先輩紹介やろって言われたところで、どう紹介するんだ?」

 

 『先輩イケメンだよ、とか?』

 

 こいつふざけてんなと思った綿竿はさらに口汚く罵ってやろうと脳内で罵倒の言葉を思いつく限り並べ、いざ言葉にしようとと口を開けたところで、閉口して耳をすます。

 僅かに聞こえたエンジンの駆動音。

 車だ、と即座に判断した綿竿は苛立たしげに首の骨を鳴らす。

 

 「荷物が届いたらしい」

 

 『ほらな。そんなに待たなかったろ』

 

 言っただろ、と続く声に、そんなことは言ってないと返して電話を切った綿竿は本日何度目かもう分からない溜息をこぼす。

 電話の相手は『人材派遣(マネジメント)』と呼ばれる、仲介業者だった。ある特定の、とてもではないが求人広告を出して集まるような人材以外を探している人間に対して、人材を紹介する。

 綿竿のような、個人で客を取るスタイルではなく、仲介人から仕事を請け負う人間には重宝されている。

 

 綿竿天秤はフリーの殺し屋だった。統括理事会直轄の組織の暗部構成員ではなく。

 

 電話を切ってから1分も経たないうちに、無灯火でスロープを登ってくる車を視界にとらえた綿竿はポケットから取り出したレーザーポインターを2回ほど地面に向けて照射する。

 その合図に気づいた運転手が、照射された駐車スペースとは別の場所に車を停めた。

 ひねくへてんなぁ、と綿竿は苦笑いを浮かべる。

 エンジンをかけたまま、SUVから3人の男が降りてきた。運転手は車内に残ったままだ。

 綿竿は違和感を覚える。

 思っていたより、警戒心の強い連中だ。

 3人で降りてきた男達のうち、2人は綿竿を直視しているが、1人はときおり後ろを振り返りつつ全周囲を警戒していた。

 男達の様子を見た綿竿は内心で舌打ちする。

 

 (こいつらプロじゃねぇか)

 

 いつもこうだ、と綿竿は今すぐにでも人材派遣(マネジメント)に電話をかけたい衝動を堪えつつ、両手を男達から見えるよう高い位置に上げて口を開いた。

 

 「俺の右にあるセダンのトランク。もう開いてんぞ。俺が取ってやろうか」

 

 「……手順は伝えてある」

 

 3人のうち、綿竿の左に位置する男が無表情に、無感情に返答した。綿竿は肩をすくめる。

 

 「ならとっとと持っていってくれ。『林檎(りんご)』って名前らしいぜ。あんたらも知ってるかもしれないけど。果物の名前ってのはいかにも偽名くさいよな」

 

 男達が無造作に腰の後ろに手を伸ばし拳銃を手にする。意外な反応でもねぇなと内心で苦笑いを浮かべた綿竿はセダンに向けて顎を振った。発砲するつもりだったら、SUVの到着前に2人くらい徒歩でこっちに向かわせて射殺しにくるだろう。ただの脅しだ。

 

 「はやく持っていったらどうなんだ」

 

 「お前は車から離れるなよ」

 

 男の言葉に、俺の身体を視界から外したくないかと、綿竿は内心ではなくしっかりと顔面に苦笑いを浮かべた。

 

 「はいはい。仰せのままに」

 

 「いけ」

 

 男の言葉は綿竿に対してではなく、男の仲間に対して放っているのだろう。3人いる男のうち、1人が綿竿から3mは距離を取るように、不自然にセダンの後方にむけて歩き出す。

 

 歩き出した男が綿竿の真左3メートルの位置に達した時、綿竿の身体が爆発的に加速した。

 

 地を蹴り、1ステップで男との間合いを詰めた綿竿は、拳銃を手にした男が反応するより前に右の拳を男の顎の先端に掠らせるように放つ。効率よく男の脳をクラッシュさせるべく放たれた綿竿の右ストレートは真芯を打ち抜かず、男の頭部を首を支点に、顎先を力点にして回転させる。脳震盪を起こした男が崩れ落ちるより前に、綿竿は左手で男の喉輪を掴み、振り回すようにして眼前に突き出した。

 

 「「ッ!?」」

 

 SUVから降りた2人の男が息を呑み抜いた拳銃を綿竿に向けるが、仲間の背中が射線を遮り発泡を躊躇させる。

 その躊躇は1秒にも満たない短い時間だったが、綿竿を前にした男たちにとっては致命的な躊躇だった。

 

 「やっぱ防弾かよ。思ったより重ぇからな」

 

 呟いた刹那。綿竿は左手一本で男を眼前に突き出したながら、SUVに向けて駆け出す。意識のない男を肉の盾として、間合いを詰め切ると、綿竿は身体を捻り、勢いを利用して左腕一本で男をSUVに向けて投擲した。

 SUVのフロントガラスを突き抜けた男の体が運転手の体を押しつぶすのを視界の端にとらえ、最も近い男が拳銃をこちらに向けるより先に、綿竿の回し蹴りが男の頸部を捉える。硬い脛が男の頚椎を破壊し、一瞬で絶命した男を尻目に、綿竿は最後に生き残った男に視線を移した。

 

 「クソ、がッ……!」

 

 生き残った男は綿竿に照準すると、引き金を絞る。乾いた銃声。

 放たれた凶弾を、綿竿は回し蹴りの勢いをそのままに身体を反転させて避けた。

 

 「は?」

 

 男が間の抜けた声を漏らす。

 男の視界から綿竿の姿が消えた。それが男の最期の記憶。自身の頚椎を砕く一撃を、男が自覚することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤黒く腫れ上がった色付いた左拳の中指の付け根。熱を帯びた拳を冷ますように振り、SUVの中から生気の感じられない男達を引き摺り出し、その首を踏み抜いた綿竿は携帯電話を手に取った。依頼を完遂した旨の報告を済ませ、後は清掃よろしくと人材派遣(マネジメント)に要求すると、ここを立ち去るべくセダンへと足を向ける。

 

 「撃たせせちまったか……」

 

 タイヤがパンクしたような乾いた銃声を思い出し、綿竿は眉を顰めた。人材派遣(マネジメント)に文句をあーだこーだ言われる未来は想像に難くない。

 後払いの報酬を減額されるだろうか?

 そんなことを考えながら綿竿は肩を落とし、セダンの運転席側のドアに手を伸ばす。

 

 足音が響いた。

 

 スニーカーのアウトソールが地面のコンクリートを擦る音。

 セダンのサイドウィンドウに人影が映る。

 

 「ーーーーッ!」

 

 綿竿が横に跳んだ直後。数瞬前まで綿竿の身体があった空間を小さな拳が切り裂き、サイドウィンドウが砕け散った。

 訳のわからない状況ではあったが、即座に綿竿は蹴りを放つ。能力で強化された右脚。ただの横蹴りも、綿竿が放つ一撃は相手の内臓どころか芯を捉えれば、対象の脊椎まで破壊することも稀ではない。視界がとらえた人影は想像より遥かに小柄であることに気づくが、構わず蹴りぬく。

 衝撃。

 

 硬い衝撃。

 

 人体の横っ腹に打ち込んだとは思えない衝撃が足裏を通して身体に突き抜ける。数メートルほど小柄な人影を吹き飛ばした綿竿は眉を顰めた。慣れ親しんだ人体を蹴りぬく感触ではない。装甲を打ち抜いたような感触に違和感を覚えた綿竿はセダンに目を向ける。

 

 (走って帰るか?)

 

 サイドウィンドウの破片が散らばった車内を覗き、思わず苦笑が浮かぶ。このセダンを走らせて、警備員(アンチスキル)に職質でもされたら冗談にも程がある。

 歩きだな、と肩を落とした綿竿の鼓膜を、予想外に高いソプラノの声が揺らした。

 

 「超痛いですね」

 

 声のした方向に視線を向ける。綿竿の視線、数メートル先に小柄な人影があった。

 少女の姿を視界にとらえる。

 肩にかからないくらいのボブカットの茶髪に、オレンジのパーカーに白いシャツ。カットしたショートジーンズ。

 12.3くらいの年頃の少女に向けて、綿竿は苦笑いを浮かべた。冷や汗が頬を滴り落ちる。

 

 「おいおい。殺しちまってたらまずいな、って後から不安に思うくらいの威力で蹴り飛ばしたんだけどな。痛いで済まされるのは、ちと凹む」

 

 本音だった。硬い衝撃に違和感は感じたものの、すぐに起き上がれるほどのダメージしか与えられていないというのは予想外だ。ほぼ無傷に近いだろう。

 眼前の少女との距離を測る。5メートル程。少女はまだ武器を手にしていない。厄介だなと綿竿は判断した。能力だけでこの場を思い通りにできる自信があるのか。

 思考を働かせる綿竿などお構いなしに、少女は短く嘆息した。

 

 「蹴り1発でくたばるわけがありません。超舐めらてるんですね」

 

 「大抵はくたばるんだがな。超どころか毛ほども舐めたつもりはねぇよ」

 

 距離だ。距離が重要だと綿竿は判断する。少女には5メートルの間合いがあっては綿竿を直接殺傷できる能力を備えているわけではない。先の一撃は拳によるもの。自分と同じく、近距離を得意とする人間。

 どういう能力だろうか。蹴りに耐えられた際の感触を思い出すと、打撃でダメージを与えるのは難しいだろう。

 

 「一応聞いとくが。会ったことはねぇよな」

 

 他人から恨みを買う覚えは腐るほどあるが、少女と面識はなかった。困惑しつつ言葉を選ぶ綿竿に、少女は「ありませんね」と首を振る。

 

 「あなたのことは知りません。ただ、昔の知り合いが何やら超めんどくさいことになってると噂を耳にしたので」

 

 「……プライベートな行動か、なるほどな。その知り合いに情でもあるのか」

 

 「そこまでは」

 

 ありませんねと答えた少女は表情を変えない。

 

 「ただ、私に対して何かしら弊害が超あるかもしれませんから。巻き込まれる前に、一応関係者っぽいのに話を聞いておこうかなと」

 

 「あぁ。なるほどそれで」

 

 知り合い? と綿竿は頭の中で疑問符を浮かべるが顔には出さない。この少女が少なくとも先の一撃で自分の頭部ではなく身体を狙ったのは、何かしらの情報を自分から聞き出したいからだと判断する。

 自分が何の情報も持っていないと少女に判断されたら、一瞬で終わりかねない。

 苦笑を浮かべながら、綿竿は肩をすくめた。

 

 「なんだ、何を聞きたいんだ。話ってのは」

 

 言いながらも、綿竿は依頼主の情報について詳しいことは知らされていない。『紅林檎(ゆずりはりんご)』とかいう少女を攫おうとしている男達の一部を始末してほしいという依頼内容から推測すると、目の前の少女は、紅林檎とやらの知り合いだったのだろうか。だとしたら、むしろ綿竿自身はその紅某を守ったようなものだ。攫おうとしてる連中を誤情報を餌にお陀仏させているのだから。紅とやらと少女が親しいのであれば、敵対される筋合いはない。 

 綿竿の言葉に、少女は一言で答えた。

 

 「『暗闇の五月計画』」

 

 時が止まった。

 少女が放った単語の意味を理解するのに数秒かかる。暗闇の五月計画。その名称の計画について深く知っているわけではないが、かなり機密レベルの高い計画だということだけは知っていた。

 綿竿は依頼を選ぶ。仲介業者が回してくる仕事の中には泥沼に陥りかねない仕事も多々ある。特に、学園都市には統括理事会直属の暗部組織も存在している。汚れ仕事のプロフェッショナル達が。その面々に恨まれるような可能性のある仕事は決して選ばなかった。

 今回の依頼にしても、『少女を誘拐しようとしているロリコン共の討伐』というようなもので、特に泥沼に落ちいるような要因はなかった。誘拐対象の少女についても名前と顔写真程度しか知らなかったが、そこを深掘りするような不粋な真似はしていない。

 

 (泥沼案件じゃね、これ)

 

 動揺した。

 

 動揺が表情に現れただろうかと綿竿は不安に思うが、その答えはすぐに分かった。

 少女は溜息をこぼすと、一歩踏み出す。

 

 「知っていること。超話してもらいます」

 

 「くそったれ」

 

 駆け出す少女に、綿竿は構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女ーー『絹旗最愛(きぬはたさいあい)』は間合いを詰めると、その小さな拳を硬め、少年ーー綿竿の身体に向けて振るった。小柄な彼女のフィジカルから放たれる拳は客観的に見れば大した脅威ではないように見えるかもしれないが、それは彼女が保有する能力がなければ、の話だ。

 絹旗は大能力者(レベル4)だった。『窒素装甲(オフェンスアーマー)』。空気中の窒素を自在に操る能力。圧縮した窒素が生み出す力は強大で、数100キロの鉄塊を持ち上げることもできれば、小火器の弾丸程度なら真正面から受け止められる強固な装甲を身に纏うこともできる。

 

 (狙いは腕、ですね。死なれてもらっては超困りますし)

 

 絹旗は『アイテム』の正規構成員だ。統括理事会が直轄する組織の一員であり、学園都市内の不穏分子を抹消する実行部隊に所属する絹旗は、しかし、今回に限ってはアイテムの仕事内容とはまったく関係なく行動していた。

 絹旗自身が過去に被験者として参加した暗闇の五月計画。計画の被験者である別の人物が狙われているという旨の忠告をアイテムの管理者である『電話の相手』から受けていた絹旗は、一応、紅林檎が単身狙われているのか、もしくは暗闇の五月計画の被験者全員が狙われているのか。その有無を確かめるべく行動していた。

 

 「時間もないですし。超さっさと潰れてください」

 

 絹旗は綿竿の肩の前に構えられた拳の下部ーー前腕を狙って拳を振るう。

 

 「あ……?」

 

 怪訝そうに眉を顰めながらも、綿竿はバックステップで絹旗の拳を避ける。ほぼ同時に、絹旗の顎先めがけて左拳を飛ばす。ステップワークと完全に連動した重い、打ち終わりへの、カウンター気味の左ジャブだ。まともに捉えれば大の男であってもそれなりのダメージを与えるその拳を、絹旗は認識していない。

 

 ガンッ‼︎‼︎ と重い打撃音が空気を揺らす。

 

 頭部に受けた横殴りの衝撃に絹旗は小さく呻くが、結果、ノーダメージ。絹旗は、時計回りにステップした綿竿に向き直りつつ右腕を水平に振り抜くが、それより先に絹旗のサイドをとった綿竿の左拳が届く。

 再び時計回りのステップで絹旗の右側面に移動しつつさらに左拳を2発。ステップで一定の距離を保ち、自身のリーチの差を活かしたボクシングのテクニックだった。2発目に至っては絹旗の後頭部を捉えたかのように見えたが、綿竿は打ち終わった瞬間すぐに後ろに跳んで距離をとった。

 絹旗は無表情に、背後にいるであろう綿竿に呟く。

 

 「超残念でしたね」

 

 「おいおい……」

 

 絹旗は振り返り、綿竿の瞳を正面から見据える。再び開いた5メートルほどの間合いの先の、隠し切れない動揺を浮かべた綿竿の表情を。

 今の攻防において、絹旗は綿竿の打撃に対して、完全に反応できていなかった。暗部で修羅場を潜り抜けてきた絹旗の経験からしても、目の前の少年の格闘スキルは目に余るものがあった。フィジカルの差が生み出す不利な要素からも、絹旗と綿竿が素手で打撃競技で競おうものなら綿竿に分があるだろう。ただし、あくまでそれは絹旗の能力がなければ(・・・・・・・)という条件付きにはなるが。

 綿竿が背後にちらりと目を向け、苦笑いを浮かべる。

 

 「見えてなかっただろ。俺の打撃」

 

 「ええ、そうですね」

 

 絹旗は小さく肩をすくめる。

 

 「超不本意ながら、まったく見えていませんよ。しかし、あなたの打撃では私の『装甲』を突破できません。私の防護は360度、私の意思に関係なく自動展開されます。理解できますよね?」

 

 「……」

 

 「超詰みなんですよ。あなたはどれだけ私より速く動けようが、致命的なダメージを私に与えることはできません。一方で私の拳は、あなたの身体のどこに届こうが、当てた部分から超確実におしゃかにしていくことができます」

 

 絹旗は大雑把に自身の能力を開示する。自身の能力の有用性を突きつけ、優越感に浸りたいわけではない。目の前の少年から一刻も速く情報を聞き出したいだけだ。無駄な時間を過ごしたくないという、合理的な思考だった。

 数秒の沈黙の後、綿竿が口を開く。

 

 「どうりでお前の初撃は、俺の腕を狙ってたのか。俺からなんかしら聞き出したいなら、腕へし折るくらいで済ませたいもんな」

 

 綿竿が苦笑いを浮かべ、嘆息した。

 

 「お前のその細腕からは想像もつかねぇが、当てた部分からぶっ壊していくってのも、ハッタリじゃなさそうだ」

 

 「超事実ですからね」

 

 少年の諦念と呆れが滲む声音に、絹旗は短く答えながら予定には間に合いそうだと判断する。

 

 「それで、あなたはどういう目的で今回の件に絡んでるんですか? 超簡潔に説明してもらえると助かります」

 

 「あー……」

 

 困ったように頭を掻きながら言い淀む綿竿に絹旗は先を促そうと口を開きかけるが、その刹那だった。

 

 「舐めんなよクソガキ」

 

 一段低くなった綿竿の声が絹旗の鼓膜を揺らすより先に。

 5メートルの間合いを瞬きほどにも満たない刹那に詰めた綿竿の前蹴りが、真正面から絹旗の小さな身体を吹き飛ばした。

 2回3回と固いアスファルトの上を小柄な肉体がバウンドする。不意の衝撃を受けるも、絹旗は冷静だった。衝撃に身を任せ、転がりながら立ち上がり前を向くーー。

 

 「ッ!?」

 

 そして息を呑む。絹旗の目の前に、綿竿の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 某マンションの一室で『人材派遣(マネジメント)』と呼ばれる男はソファーに深く腰掛け、額に手を当てていた。自身が依頼を仲介した殺し屋ーー綿竿天秤が窮地に陥っていると、今では確信を持っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綿竿には驚愕を浮かべる絹旗の表情が、軽いスローモーションのように見える。

 絹旗が転がった勢いを利用して立ち上がるより前に、一瞬で駆け出し間合いを詰めていた綿竿は、絹旗が立ち上がると同時に右足で強く踏み込み左の回し蹴りをとばす。絹旗の右脇腹を狙って的確に放たれた蹴りは、すんでのところで『装甲』に阻まれるが、装甲を通して衝撃は絹旗の腹部に、肝臓に届く。

 

 「く……ッ!」

 

 絹旗から苦悶の声が僅かに漏れるのも気にせず綿竿は左脚を振り抜く。

 吹き飛ばされた絹旗の身体が、フロントガラスの割れたSUVに叩きつけられた。

 

 (痛ッ! 超速すぎる!)

 

 叩きつけられた衝撃も束の間。鈍い痛みに脂汗を流しながらも絹旗は背後に手を伸ばした。掌をSUVのサイドドアに向けて『掴み取る』。

 ベゴリと嫌な音が立つと同時に、金属製の車体に無数のシワが刻まれた。まるでクッションでも手に取るように、絹旗はSUVを片手に身を捻る。

 その様子を視認した綿竿は、追撃のために駆け出しながらも目を見開く。

 

 「は?」

 

 (ーー超くたばれッ!)

 

 綿竿の顔色が変わる。

 お構いなしに、絹旗は窒素の力で『掴んだ』SUVを片手で頭上に掲げる。

 当然、殺すつもりで。

 直後ーー。頭部を直接クラッシュするような、重低音が空気を揺らした。

 爆弾でも炸裂したような轟音とともに、金属製の車体がアスファルトに叩きつけられ、その巨大な質量が地面を割り、視界いっぱいに炸裂した車体の破片が撒き散らされる。

 絹旗は一歩後ずさりながら、思考を働かせる。

 車体を叩きつける直前。綿竿は左右に跳んで避けられるような体勢には見えなかった。

 が。

 

 (私の予想が超正しければーー)

 

 もう一歩、絹旗は後ずさる。

 飛び立ったSUVの残骸の一部、ガラス片をスニーカーが踏み抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (留まったな)

 

 その音を確かに綿竿は聞いた。

 

 数秒前。

 絹旗がSUVを咄嗟に鈍器として活用する判断に関して、綿竿は完全に虚をつかれた。

 追撃するべくすでに駆け出していた身体に即制止をかけることは不可能に近かった。ただし、あくまでそれは綿竿の能力がなければ(・・・・・・・)という条件付きにはなるが。

 綿竿天秤もまた、絹旗最愛と同様大能力者(レベル4)だった。

 

 『暴君外装(マーベラスアウト)』。

 

 体細胞の電気信号操作による肉体強化に突出した能力だ。

 綿竿が慣習化している能力の活用法は、心拍数を高い位置(最高値が一分間に800)で安定させること。脳細胞における電気信号により、認知機能を錯覚。脳の安全機能を解除するとともに、bエンドルフィンの分泌を促し痛覚を抑えていた。この過程を踏むことにより肉体は常に急激な運動に対して準備が施されている状態を保てる。

 心拍数を高い状態で安定させることが前提であるため、能力使用時は、当然のことながらリスクを伴う。限界状態に近づければ近づけるほど、全身の血管が破裂するも、血栓症を引き起こして即死する可能性は高まっていく。

 

 (最初から殺す気でくるべきだったな)

 

 綿竿は微笑を浮かべた。

 絹旗がSUVを片手で持ち上げた直後に、綿竿は暴君外装を発動。心拍数を上げ、外眼筋も含んだ肉体の潜在能力を一気に引き上げた。超人的な身体能力と動体視力を発揮する。

 鈍器として頭上からせまるSUVのサイドドアもスロモーションの景色に変わり、綿竿は左に跳躍。着地すると同時に、SUV内のガソリンが引火する可能性を懸念して両手で耳を塞ぎながら柱の陰に駆け抜けた。

 轟音。

 爆発はしていない。

 柱の影に身を潜めた綿竿は、一度、暴君外装の強度を下げ、心拍数を落ち着けた。

 

 (さぁ。どうする?)

 

 絹旗最愛の行動に対してのカウンター。後出しジャンケンで動けなくさせる。それが綿竿の狙いだった。素性もわからない相手を殺す気はない。リスクが大きすぎる。動けなくしてから、相手の目的を聞き出し、誤解があるなら解けばいい。

 

 数秒の静寂。

 スニーカーがガラス片を踏み抜く音が綿竿の鼓膜を揺らした。

 直後に綿竿は暴君外装を展開。音源から絹旗が移動していないことを察し、柱から飛び出す。

 

 (留まったのは悪手だったな)

 

 飛び出して即座に絹旗の姿を視認した綿竿は既に暴君外装(マーベラスアウト)を発動。

 

 絹旗が足音に気づき振り返る動作を見せるが、その時すでに綿竿はトップスピードに到達している。

 

 (1発じゃ厳しいだろうが連打で肝臓(レバー)にインパクトすりゃ、スタミナは大幅に低下するだろ)

 

 間合いが2メートルを切る。

 1ステップで打撃の届く距離になった時、絹旗が綿竿を視認したのか、右拳を握る。

 カウンター前提で極められる。

 目の前の少女の打撃には合わせられると綿竿は確信していた。

 そして、困惑した。

 

 (なんで打ってこねぇ?)

 

 実際にはコンマ数秒にも満たない瞬間の動揺。綿竿が予想した光景が、訪れない。絹旗は右拳を握るものの、綿竿に対して半身のままだ。右拳を当てにくる体勢ではない。

 その瞬間、綿竿の超人レベルまで引き上げられた動体視力も、半身の体勢である絹旗の小柄な身体が死角となり左手は視界に捉えられていないという懸念材料が芽生えた。

 

 (武器かーー)

 

 実際のところ。

 絹旗最愛という人間は用心深い人間だった。自身の持つ強大な能力を信頼するはするものの、慢心せず、必要とあらば様々なアイテムを活用するタイプの人間。

 綿竿が動きを止める。

 そして、笑った。

 

 「拳銃程度なら、話にならねぇぜ」

 

 絹旗が武器を隠し持っていた可能性に気づき、綿竿は呟く。その言葉は本音だった。仮に絹旗が拳銃を隠し持っていたとして不意を突くつもりだったにしろ、綿竿の今の状態であるならば、銃口を視認してから、射線を回避してリスクの低い方法で距離を詰める自信は十分にあった。

 動きを止めてカウンターを確実に極める隙を窺う綿竿に対して、絹旗は薄く笑った。

 

 「そうですか。超残念ですね」

 

 「あぁ。残念だったな」

 

 直後、絹旗が動いた。右脚を引いて身体を綿竿に対して開くように正対する。

 発砲した瞬間に終わりだ、と綿竿は判断した。想定できる全ての状況に、見てから反応できる、カウンターで詰む盤面だと。

 絹旗の左手が視界に入る。やはり手に何かを握っていた。

 拳銃ではない。

 握られたそれは、一見すればボールペンのようにも見える。一瞬綿竿は、ボールペンに見せかけた、単発式の火器か何かだと思った。

 1秒もしないうちに、綿竿はその正体に気づく。自分自身も似たようなものを携帯していた。

 

 「クソーー」

 

 結論が出たころには、手遅れだった。

 絹旗が左手に持つ小型のフラッシュライトの光を、綿竿は真っ向から眼にした。

 

 

 

 

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