マウンテンは読書に集中できずにいた。
周囲は静かで、応接室のソファは座り心地も良い。空調も効いており、広々としていて文句の付けようは全くない。
となれば集中できない理由は明白。部屋の中をちょろちょろと動き回っている少女のせいである。
「……ミス・ハニーベリー、少々落ち着かれては?」
「えっ!? あ、はい! すみません!」
ふわふわした服を着たザラックの少女は、目にも止まらぬ速さでマウンテンの向かい側に腰を下ろした。
が、それで解決したわけではない。すぐにまた落ち着かない様子で足を揺すりはじめ、辺りを見回し始める。
マウンテンは止む無く本を閉じた。
「どうかしましたか? 退屈であれば、私の本をお貸ししますが」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「では、緊張なさっているのですか? 今回はあなたが主役ということでしたし」
現在地はリターニアのとある大学。ドクター曰く、ここではメンタルケアの研究が盛んであるため、カウンセラーの資格を持つハニーベリーと一緒に意見交換に来たのだと言う。
大学の概観は神殿じみており、マントを羽織った学生たちも、威厳ある教授たちも、どこか別世界の人々のようだ。そうした環境に気後れしてしまったのだろうか。
ハニーベリーは膝を擦り合わせながら、もごもごと返答する。
「そういうわけでも……ないんですけど……」
「では、何故?」
いよいよ思い当たる節がなくなり、マウンテンは問いかける。
ハニーベリーは恥ずかしそうにしばらくそわそわする。彼女の胸の内には、申し訳ない気持ちと我慢が効かない気持ちでいっぱいだった。
立派な大学に招かれ、緊張しているのは確かにそうだ。しかし、落ち着かないのはまた別に理由がある。
ハニーベリーが落ち着いていられない理由、それは……長いこと、高いところに登って飛び降り、誰かに受け止めてもらっていないからである。
レム・ビリトンの森で育ったハニーベリーは、木々に囲まれた環境での遊びが好きだ。その最たるものが、高い場所に登って飛び降りるというもので、それはロドスに来てからもしょっちゅう行っている。
しかし、最近はそういうことも減って久しい。カウンセリング室には中々人が来ないし、よく抱き留めてくれるミントもドクターも出ずっぱりで構ってくれない。仕方なくひとりで飛び降りても楽しくないので、ここしばらくは登ることもしていなかった。
そうした欲求不満が、今になって爆発しそうになっているのだ。
久しぶりに顔を見せてくれたドクター、リターニアの街並みや高塔。そうしたものがハニーベリーの飛び降り欲をくすぐってくる。
ただ、そんなことをマウンテンに言うわけにはいかないし、この応接室には登れそうな場所もない。結果、持て余した欲求のままに部屋中を歩き回っていたのだが、マウンテンに迷惑をかけているとなると控えねばなるまい。
と、そこでハニーベリーは何か閃き、やや前のめりになってマウンテンを凝視した。
あまり会う機会はなかったが、隣を歩いている姿を見てその大きさに驚いたことを思い出す。彼は背が高く、肩幅も広い。両腕などは丸太のようだ。
真剣に見つめられたマウンテンは怪訝そうな顔をする。
「……あの、私の顔に何か?」
「マウンテンさん、ちょっと立ってもらってもいいですか!?」
「はい? ……こうでしょうか?」
「腕も上げてください!」
立ちあがったハニーベリーの剣幕に圧され、マウンテンは困惑しつつ言われた通りにした。
やはり、大きい。195cmの巨体が腕を上げると、優に2mを越える。良い高さだ。
我慢の限界に達したハニーベリーは、マウンテンに飛びつくと、背中をよじ登り、腕にしがみついた。
マウンテンは突然の行動に驚きつつも、まさか振り払うわけにもいかず、されるがままとなる。一体何が起こっているのかもわからないでいると、応接室の扉が開いた。
立派な角を生やしたエラフィアの老人を連れて入って来たドクターが、ぴたりと足を止める。気まずい沈黙が波紋を広げた。
「……あっ」
「……えー、これは……?」
ハニーベリーが顔を赤くし、エラフィアの老人が言葉を探す。
一瞬で全てを察したドクターは咳払いをすると、老人に一言断ってふたりの方に近づいてきた。
マウンテンの傍で両腕を広げ、ハニーベリーを見上げる。さも当然のような態度が、マウンテンの混乱をますます深めた。
「ハニーベリー、おいで」
「……! はい! 行きますよー! 受け止めてくださーい!」
ハニーベリーは勢いをつけ、マウンテンの腕から飛び降りた。
小柄な少女はドクターの胸の中に収まり、彼女を少しよろめかせる。ドクターは嬉しそうなはにかみ顔で見上げてくるハニーベリーの頭を撫でつつ、腕を震わせながら下ろしてやると、エラフィアの老人の方を振り向いた。
「失礼。こちらの彼女が先ほどお話したハニーベリーです。ロドスのカウンセリング業務を担当しており、資格も取得しています。勤勉で優秀なオペレーターです」
「ああ、はい。どうぞよろしく……」
何か釈然としない表情で頷くエラフィアの老人に、ハニーベリーは頭を下げる。
エラフィアの老人はドクター、ハニーベリー、そして腕を上げたままポカンとしているマウンテンをそれぞれ見渡すと、白いひげを掻きながら言った。
「えー……そちらのおふたりはご家族でいらっしゃいますかな?」
「ふたりとも私の部下です。こちらの彼はマウンテン。護衛を務めてくれています」
紹介されたマウンテンは上げっぱなしだった自分の腕を見上げ、ひっこめながら会釈した。
「お初にお目にかかります。先ほどはお恥ずかしいところをお見せしました」
「いえいえ、私も驚きましたが、仲睦まじきことは良いことです。ではこちらへ。お二方もぜひ聴講していってください」
ドクターはハニーベリーにせがまれて手をつなぎ、老人の案内を受ける。
結局、マウンテンが納得できる説明を受けたのは、その日の夜になってからのことだった。