「お腹空いた!」
腹の虫を吠えさせながら、ケオベが叫んだ。
ぐぎゅるるる、という切なくも欲の皮の張った音に負けじと声を張り上げる。
「お腹空いた! お腹空いた! お腹空いた!」
「うるさいぞ……腹が減ったのはルナカブもだ」
ケオベと一緒に歩いていたルナカブがげんなりした顔で言う。
食堂は既に閉まっているが、ふたりには関係ない。空腹になれば忍び込み、冷蔵庫を漁ればいい。
そう思っていたのだが、流石に常習しすぎたせいか、厨房係も対策を打っていた。イグゼキュター及びグレイの指導の下、セキュリティシステムを導入していたのである。
ふたりもまた、今や歴戦のオペレーター。この程度どうということはない、と意気込んだはいいものの、野生児に機械の相手は荷が重かった。怪我しない程度の電流に苦戦した挙句、警報を聞いて駆けつけてきた夜勤のオペレーターたちにこっぴどくしかられ、空腹を強めたまま尻尾を巻いて逃げる羽目になってしまったのだ。
ルナカブは眉間に皺を寄せて臍を噛む。
「あいつら、ルナカブたちの食い物を……こういう時、ルナカブは外が恋しくなる。あんなのないからな」
「う~、すぐそこにあるのに食べられないなんて……おいら、ますますお腹減っちゃったよ」
「言うな。もっと腹が減る」
ぐぅぅぅぅ、とふたりの腹がユニゾンした。ふたりはそろって肩を落とす。
時間は既に夜を回っているせいで、ハガネガニカフェも閉店済みだ。あそこはあそこでガードが堅い。
ヴァルカンも含めてみんな寝静まっており、起きているのはケチなクロージャや医療オペレーターぐらいのものだ。
この空腹を一体どう沈めたものか。ふたりが尻尾を引きずりながらトボトボと歩いていると、通り過ぎた廊下の壁に一組の目が浮き上がった。
「おーう、どうしたイヌ公コンビ。そんな捨てられたみてぇなツラしてよ」
「むっ!?」
ルナカブが振り返って弓を引く。警戒態勢を取る彼女とは逆に、ケオベは目を輝かせた。
一見何もないはずの場所から声が聞こえてくる。つまり、ケオベにとってもはやおなじみとなった彼がいる。
案の定、渦巻型の尻尾が特徴のサヴラが姿を現した。
「イーサン! おいらお腹空いた!」
「んなの見りゃわかるっての。さっきの警報騒ぎはお前らのだろ? ったく、最近は食堂の連中も一層ケチになったよなぁ」
「あー!」
愚痴りながら、イーサンは小ぶりのウィンナーを指で弾き、口でキャッチする。
それを指差して咎めるケオベの横で、ルナカブは一層強く弓を引き絞った。
「お前、持ってる食料をルナカブたちに渡せ。でないと……」
「悪ぃな、俺のヘソクリは今ので最後だ」
「……おい」
「まあそう怖い顔すんなよ。俺だってこれで満足したわけじゃねえ。ってことでよ」
イーサンはふたりに近づき、口元に手を添えて囁きかけてきた。
「これから美味い菓子が食えるところに行くつもりなんだが、どうだ?」
「行く!」
「騙したら承知しないからな」
「なーに、嘘なんか吐かねえよ。お前らもよく知ってる場所だからな」
剽軽な態度のサヴラを睨み、ルナカブは弓を下ろした。
ケオベはもう待ちきれないのか、イーサンの袖をつかんでしきりに引っ張っている。口の端からよだれを垂らして。
「どこ!? どこに行くの!? おいらお腹空いた! もう待てない!」
「わかったわかった、ほら行くぞー! 俺についてこーい!」
そう言って暗い廊下を歩くことしばらく。扉を開けて入った先は……。
「ドクターの巣?」
「執務室な。まあ巣でもいいと思うけどよ。四六時中ここにいるし」
イーサンは突っ込みながら電気をつける。中はがらんとしていて、今は誰もいない。
普段、ドクターが昼夜を問わず書類と格闘している部屋だが、そのドクターは現在外勤任務の真っ最中だ。それに伴い、手伝いのオペレーターたちもここには来ていない。
イーサンは鼻歌を歌いながら、部屋の奥にある棚を開く。中から取り出したのは、縞模様の包み紙に収められたキャンディである。限界になったケオベがイーサンに飛びついた。
「キャンディー!」
「ほれ、食え食え。お前も食うだろ?」
「うむ」
ケオベとルナカブはそろって包み紙を剥がすと、中に入っていた糖衣錠のような形のキャンディを口に放り込む。
ふたりの動きがピタリと止まった。
「ん?」
「んん……?」
イーサンがピクリと片眉を吊り上げた。
ドクターのお菓子には、時々変なものが混ざっていることがある。塩卵味のチョコレートだとか、サボテン味のガムだとか。
そういうのは得てして不評で、嬉々として食べるのはドクターぐらい。
つまりこのキャンディは……ハズレのお菓子だ。
イーサンがそう察すると共に、ふたりは大声で泣き叫んだ。
「「辛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!」」
ケオベが悲鳴を上げながら執務室内を駆け回り、誰かのデスクに向う脛をぶつけてもだえ苦しむ。
ルナカブの方は口元を抑え、床に蹲って震えるだけだ。
イーサンは腕を組むと、まだ残っているキャンディをじっと見た。見た目は糖衣錠のようで甘そうだが、一体何が入っているのだろうか。
―――こんなもん食って、あんな顔するもんかねぇ。ドクターの考えてることはよくわかんねえな……。
内心で、このキャンディを口に含んだドクターの横顔を思い出していると、目の前を足が横切った。
ドン、と重い音を立てて壁に突き立てられる細い脚。イーサンがぎこちない動きで足の来た方に視線を向けると、そこには弓を限界まで引き絞ったルナカブがいた。
「お前……っ! ルナカブに何を食べさせた……!?」
「ままままま待て待て待て! わざとじゃねえんだ、弓下ろせ!」
たまらず両手を挙げて見せるも、ルナカブの目は殺意にぎらついている。その背後では、体を丸めたケオベが飢えた獣のような唸り声を上げていた。
本格的に命の危機を察したイーサンは、アーツを発動。背景に溶け込んで姿を消し、床を蹴った。
ルナカブがいるせいで、逃げ場は一方向にしかない。それを察したルナカブの矢と、山勘で飛び掛かって来たケオベをギリギリで回避し、イーサンは給湯ポットの置いてある棚に飛びついた。
引き出しを急いで漁り、飛び掛かって来たふたりに中の物を投げ渡す。
それぞれ受け止めたふたりの殺意は、たちまち収まった。イーサンが放ったもの、それはドクターが良く食べているカップ麺だ。
今度こそ、味の保証されているもの。急いで湯を沸かしながら、イーサンは慌てて取り繕った。
「そ、それ食おうぜ! そっちは絶対変なもんじゃないからよ! さっきのは悪かった、俺もアレが辛い飴だなんて思わなかったんだよ……だからそれでチャラにしてくれ! な?」
殺意こそ消え去ったものの、ルナカブとケオベはふくれっ面をしている。丸くなったそれが赤らんでいるのを見るに、スコヴィル値は相当高いものだったらしい。
―――あのキャンディに何を突っ込んだんだ?
早く湯が沸くように祈りながら、イーサンは湧き出る疑問を抑えられずにいた。