一通りロドスを案内してもらったラタトスは、応接室に戻ってきていた。
大量に頭に流れ込んだ情報の整理に、少し手間取る。
鉱石病、源石機械、アーツ、多種多様な武器。子供を贄にしてまで進められる研究や戦争の数々。
両手で包んだコーヒーカップの水面へ、小さく呟く。
「外圧。同じように外を見ていれば、か。確かに、お前の言う通りだったよ、エンシオディス」
天地の間に満たされた、風雪に彩られた平穏。イェラグの民の多くにとって、それが世界の全てだった。
だから、誤解していたのだ。エンシオディスは、外から良からぬ者を持ち込んで、平穏を台無しにしようとしていると。あるいは、外の世界の技術を用いて、イェラグを
手のひらが
カランド貿易によってもたらされた技術は、イェラグの生活水準を底上げしている。便利な機械、寒さを和らげる道具、素早く効率的な移動手段。シルバーアッシュの領地にいる民が率先して恩恵を受け、ブラウンテイル家の者や、ペイルロッシュ家の者もおこぼれに預かりたがる。
頭の固いアークトスでさえ、エンシオディスが持ち込んだ技術の凄まじさは理解出来るだろう。
しかし、理解はそこで止まっていた。
技術は生活を豊かにするためだけでなく、命を奪うためにも利用されること。
さらなる発展を求めるあまり、信仰どころか、人倫すらも平気で踏み躙る者がいること。
ドクターや、オペレーターたちから語り聞かされた世の残酷さに比べれば、エンシオディスが起こした一連の事件など、可愛いもののように思えた。
それがイェラグに対して牙を向いた時、一体どのような手段を取るのかなど、想像もしたくない。
ラタトスは立ち上がって、応接室の窓から外を見た。
砂の風が吹く、茶色い荒野が眼下に広がる。
命の影があまりないその風景は、色の違う
きっと、寒くはないのだろう。雪のひとつも見当たらないのだから。ならば、そこには何があるのか。
遠くに見える暗雲が、ピシャリと鋭い光を放つ。あれが“天災”というものだろうか。イェラグにはついぞこない、それから逃れるためにイェラグが狙われかねないとエンシオディスが危惧する嵐。
ぼうっとその場に突っ立っていると、応接室にドクターが入ってきた。
「待たせて済まない、ラタトス。……どうかしたのか?」
「いいや。ただ、少し考えていたんだ。外圧は、私では想像もつかないほどに、強大で、恐ろしいんだな」
ラタトスは窓枠に背中を預けて、ドクターを見つめる。
ロドスにやってきてからずっと、どこか生気の失せたような顔に、皮肉っぽい微笑みが浮かぶ。
「今度、アークトスの奴も連れて来ていいか? あの頑固頭も、ここに来れば、少しはほぐれるだろうからね」
「御三家の当主がふたりも留守にして、領地は大丈夫なのか?」
「問題ないよ。ブラウンテイル家はエンシオディスと従属協定を結んで、今や当主なんてお飾りだ。アークトスの奴も、この間の事件で責任を取って当主の座を退いた。まあ、巫女様を守るんだって息巻いているのは変わらないけどね」
「プラマ……いや、巫女様も、彼のような戦士が居てくれて、心強いだろうな」
ドクターが言いかけた単語に、ラタトスが片眉を持ち上げた。が、笑顔だけではぐらかされてしまう。
―――まあ、エンシオディスの妹が世話になってるし、この男はエンシオディスの賓客だ。
―――巫女様と何か関係があっても、不思議じゃないか。
―――……待て、そういえば、たまに巫女様は曼珠院を抜け出すとかいう話だが。
―――まさか、ロドスに……?
僅かばかりの疑問が鎌首をもたげたところで、ドクターの咳払いがそれを押しのけた。
どのみち、巫女様が何をしようが、ラタトスにはどうしもできない。首を振り、別の疑問をぶつけてみる。
「エンシオディスとは、どれくらいの付き合いなんだ?」
「それなりだな。元々、私は訳あって、ロドスを離れていた時期がある。エンシオディスは、そのころからロドスの顧客だった」
「良客だったと見えるね」
「ああ。鉱石病感染者を労働力として抱える企業は数あれど、カランド貿易ほど感染対策に注力し、感染者の待遇に手厚い企業は他にない。場合によっては、我々からカランド貿易に人材を斡旋することもある」
「もっと詳しく聞いても?」
「もちろん。珈琲のおかわりは?」
「頂くよ」
それからしばらく、ふたりは応接室で向かい合い、エンシオディスについての会話に花を咲かせた。
ロドスとの関係、エンシオディスの留学のこと、彼がイェラグに戻ってきた後。
気が付けば、ドクターから話を引き出すはずが、ラタトスの方から、話すつもりのなかったことまで洗いざらいしゃべってしまっていた。
“腹黒いラタトス”が聞いて呆れる。そう思いながら、語るたび、肩の荷が下りるように感じた。
一通りしゃべり終えると、どっと疲れが押し寄せてきた。
応接室のソファに背中を沈めて、ぽつりと呟く。
「やっぱり、来てよかったよ。いや、もっと早く来るべきだった」
「それは何よりだ。いっそ君も、エンシオディスのように、オペレーターとして登録してみるか?」
「やめておくよ。アークトスと違って、武芸はからっきしなんだ。ああでも、悪くないかもとは、思うけどね……」
ラタトスは、エンシオディスやドクターと肩を並べて闘う自分を思い浮かべて、苦笑いをした。
同じイェラグを治める三家の当主だというのに、随分と違うものだ。
ラタトスは重くなった目蓋が落ちないように気を付けながら、ドクターと見つめ合う。
容貌はまるで似ても似つかないのに、あの雪山事変の折り、ラタトスに無理心中を仕掛けられたエンシオディスの姿が重なって見えた。
憎らしいほど冷静で、周りを包む炎など無いかのような、あの態度。
当時と違って、ラタトスの心は、出来たばかりの屋敷のように、広くがらんとしていた。
「オペレーターにはならないが、もうしばらく、ここに居てもいいか? せっかくだ、出来る限り知見を深めたい」
「構わない。だが、明日から数日、私はロドスを離れて任務に行かなくてはならない。変わりの案内役を用意しておくよ。君の妹夫婦には、伝えなくていいのか?」
「今から書いた手紙は、私と一緒にイェラグへ帰る羽目になるだろう。心配ない、スキウースには、しばらく家を空けると伝えてある。ちゃんと帰ってくるともな」
「そうか、なら良かった」
「当たり前だ、あいつにブラウンテイル家を任せたら、それこそお取り潰しになる」
ドクターは肩をすくめるラタトスの手を取って、宿舎へと案内をする。
窓の外の日はとっぷりと暮れて、暗い青色の空が荒野を見下ろしていた。