「確かに、代わりの案内人が来るとは聞いていたがな……なぜそれがよりもよってお前なんだ、ヤーカ?」
「それはむしろ、こちらが聞きたいぐらいですが……」
オペレーター・マッターホルンは、ラタトスが滞在している客室の入口で立ち尽くしていた。
外勤任務に出かけるドクターから、客人の案内を頼まれたのが昨日の夜。
厨房勤め以外、任務らしい任務の無かったマッターホルンは、これをふたつ返事で了承した。
だがまさか、その客人というものが、よりにもよって生まれ故郷の有力者。それも、自身の主人たるシルバーアッシュが陥れただとは、さすがに思いもよらなかった。
当のラタトスも同様なのだろう、待っている間に読んでいたらしい、膝の上の本を閉じて、椅子からじろりと嫌な視線を投げかけてくる。
マッターホルンは、咳払いをした。
お互いの事情はどうあれ、ここはイェラグにあらず、互いの立場も国の外ゆえ持ち出すべきではない。
ひとりの客人と、その案内を任されたオペレーター。今はただ、それが全てだ。
「改めまして、本日ドクターより案内役を仰せつかりました。俺はロドスのオペレーター、マッターホルンです」
「マッターホルン? 山から名前を借りたのか。まあ、アークトスには及ばないまでも、お前の図体は、私からすれば山々のように大きいしな」
「誉め言葉と受け取りましょう。どこか、見学したい場所などはありますか?」
「そうだな、言うなれば、ここの全員と話でもしたいものだが」
「全員と、ですか」
「全員と、だ」
憂いを帯びたような表情で繰り返すラタトスを、少し意外に思った。
マッターホルンの知る彼女は、いつも己が策謀家であることを隠さない、不敵な笑みを浮かべている。
エンシオディス、アークトスと並べば子供のようにすら見えるラタトスだが、その腹に一物抱えているぞと言わんばかりの微笑と、それが醸し出す雰囲気は、決してイェラグ御三家の名に恥じない。
それが今は、雨を眺めながら物思いに耽っているかのようだ。
「一通り、あのドクターに案内してもらったよ。
「……ドクターは、一体何をお話になられたのですか?」
「いろいろだ。本当にいろいろ。だから今日は、もっと深堀りしたいと思ってね」
「なるほど、わかりました。では、講義に出てみるのは如何でしょう?」
「講義? ここには学校もあるのか?」
「似たようなものです。ロドスには、まだ幼いオペレーターたちや、医者に学者の卵も多く集っています。なので、オペレーターたちが教鞭を取ることも、少なくないのです」
「もしかして、お前も教室を持っていたりするのか、ヤーカ?」
「まさか。俺は厨房で包丁を握る程度が関の山ですよ。それと、ここではマッターホルンとお呼びください、お客人」
「ふ」
ラタトスは鼻を鳴らして笑うと、本を閉じて席を立った。
訓練場の扉を開くなり、わっと幼い歓声が波を打って押し寄せてくる。
ここでは、患者の子供たちのために、ジュナーが体育の授業を行っているところだった。
アシスタントにはズィマーが就き、子供たちが怪我をしたり、どこかへ行ってしまわないように気を配っている。
この光景だけを見れば、イェラグの子供たちと大差ない。しかしそのように在れるのは、ロドスの中だけなのだろう。
ドクターが敢えて差し出してきた、理論もなにもない、鉱石病患者への差別・偏見・具体性のない憎悪に満ちた悪本のことを思い出していると、子供のひとりがマッターホルンの巨体に気が付いた。
「あ、マッターホルンおじさん!」
「料理のおじさんだ!」
「おじさーん!」
球技に熱中していた子供たちは、ジュナーの制止も聞かずにマッターホルンの周りに集まってきた。
マッターホルンは低く屈んで、子供たちに視線を合わせながら笑顔を向ける。
「こら、まだ授業の途中なんだろう。教官が怒っているぞ」
「おじさん、今日のお昼ご飯なーに?」
「おじさんおじさん、グムお姉ちゃんは?」
「そっちの子はだーれ? 新しいお友達?」
「こう見えても、私はお前たちよりも長く生きてるよ、チビども」
たちまち幼い興味を向けられたラタトスは、苦笑いを浮かべながら近寄ってくる子供たちを撫でる。
そのうちひとりを、ズィマーがひょいと抱き上げた。
「お前ら、まだ試合の途中だろ? ほら、戻れ戻れ」
「はーい!」
思いのほかすんなりと、子供たちは競技の場へ戻っていった。
ジュナーに注意をされてしょげている姿もまた、可愛らしいものだ。しかし、彼らが着る服や袖の隙間から覗く黒い煌めきが、無垢な光景に影を差す。
子供を全員追い返したズィマーは、改めて闖入者に目をやった。
「で、オマエらはこんなとこで何してんだ? 昼飯の仕込みはいいのかよ?」
「今日はグムが仕切っている。君こそ、子供にずいぶん人気のようだが」
「チッ。別にアタシは好きでやってるわけじゃ……」
「満更でもない顔をしていたと思うが」
「うるせえ」
ズィマーはマッターホルンの足を蹴りつける。その頬は、少し赤い。
このまま会話を続けると分が悪いと考えたか、今度はラタトスの方を見る。
「そっちのは? 新人オペレーターか?」
「昨日から、よくそんな風に聞かれるんだが、ここはそんな頻繁に人が増えるのか?」
「あー、まあな。アタシらが来た頃はそうでもなかったけど、最近は知らねーやつも結構増えて、誰が誰だか……。んで、そんなことを言うってことは、違うんだな」
「ただの社会科見学だよ」
「ま、いいけど。あんまはしゃぐなよ、アタシらはあのガキどもの面倒を見るだけで限界だからな」
「言っておくが、お前よりも年上だよ」
「ん? あー……そういう感じか。ガキ扱いして悪かった」
「意外とすんなり納得するな?」
「ロドスじゃ珍しくねーからな。ワルファリン先生とか、ドゥリン人とかよ」
ばつが悪そうに、ズィマーは目をそらしながら頭を掻く。
その頭に乗っているのは、小ぶりな丸みを帯びた耳。見覚えのある、ウルサス人特有の耳だ。
「ところで、失礼だが、君の出身は?」
「……ああ?」
ズィマーの機嫌が、急に悪くなった。
害意の籠った怒りの眼差しが、ラタトスに突き刺さる。しかし、年下の少女に睨まれた程度で怯むようでは、“腹黒い”ラタトスは勤まらない。
マッターホルンがにわかに緊張する。ズィマーは態度こそ粗暴だが、弁えることが出来るタイプだ。
それでも、万が一が無いとも言えない。客人の案内を言い渡された以上、ラタトスを守るのはマッターホルンの役目である。
緊迫した睨み合いは、幸いジュナーにも、子供たちにも見られていなかった。
ジュナーが勢いよく吹き鳴らすホイッスルの音色を合図として、ズィマーは目をそらす。
「ウルサス帝国。これでいいか?」
「充分だ」
全ての感情を押し殺したぶっきらぼうな返答を聞いて、ラタトスは頷く。
ウルサス帝国。イェラグからそれほど離れていない、雪の大地の巨大帝国。
感染者に対する仕打ちが特に厳しいと言われる場所。
案内中のドクターが、言及の際に言葉を濁しつつも解説してくれた国家。
―――感染者の徹底した排斥と搾取、そして処分。
―――ウルサス以外にも、同様の措置を取る国家はあるそうだが、ウルサスは特にひどい国のひとつ言っていたか。
―――そういう連中に限って、強国だから始末に終えない。
―――イェラグは寛容だ。エンシオディスのやつも、ロドスと提携して感染者の社員を庇護している。
―――だがもし、そいつらがイェラグに根を張ったら?
―――今後、発展に伴って、ヴィクトリア以外にもあちこちから色んな来るだろう。
―――そいつらにイェラグを奪われないようにするためには、どうしたらいい?
―――お前は答えが見えているのか? なあ、エンシオディス。
「ラタトス様、何をお考えに?」
「……いや、なんでもない。ただ、あの子供たちは、ここに居られて幸せなんじゃないかと思ってな」
「少なくとも、ロドスに居る間は、石を投げられることはありません」
つまり、一歩でも外に出ることがあれば、迫害を受けるかもしれない、と。
そこでふと、疑問が湧いてきた。
ロドスに来る前、あの遊びまわっている子供たちは、どのような生活を送っていたのだろう。
あのズィマーという少女は感染者なのだろうか。目に見える分には源石結晶は見当たらない。服の下にはあるのだろうか。それとも非感染者か。
友人に感染者はいたのだろうか。どのような経緯でロドスにやってきたのだろう。
その疑問の先に、何か大切なヒントが隠されているような気がしてならない。
ロドスのオペレーターたちがそうであるように、エンシオディスがそうであるように、感染者について考える中で、“外圧”に抵抗できる糸口をつかめないだろうか。
「ヤーカ、いや、マッターホルン」
「なんでしょう」
「エンシオディスの奴は言っていた。イェラグには、イェラグ特有の技術がないと。ロドスはどうだ?」
「ロドス特有の技術は、数多くあります。鉱石病抑制薬は、その中のひとつに過ぎません」
「そのことについて詳しく聞きたい。心当たりはあるか」
「ロドスの技術全般について聞きたいのであれば、適任はひとりだけですね」
「連れて行ってくれ」
「構いませんが、彼女も多忙の身ですからね。会えるかどうか」
「だめなら、近くで暇そうにしてる奴を捕まえるさ」
「ほどほどにしてください。皆、忙しいので」