「これは……何があったんだ?」
ドクターは目を丸くして、この世のものとは思えない惨状を前に、呆然と立ち尽くした。
現在地はクルビア領。その移動都市のひとつが天災に遭ったことで大打撃を受け、立往生してしまったのだ。
しかも、話はそれだけに留まらない。ベテランの天災オペレーターすら予測出来なかった、大規模な地割れ。そこから飛び出した超巨大な源石結晶の棘に刺し貫かれ、二進も三進も行かなくなってしまった都市に、クルビアの開拓者たちが雪崩れ込み、あろうことか都市全体を人質に立てこもる事件が発生。
クルビアで鉱石病に感染した者に降りかかる、保険という名の法外な重税。
荒野に追い出され、危険な仕事に従事させられて一生を終えるどん詰まりの生活。
そうしたものを撤廃し、かつての生活を保証しろ、というのが彼らの訴えだった。
クルビア政府から、ライン生命を通して依頼を受けたロドスは、エリートオペレーター率いる小隊を複数投入した。
その結果、都市の一部が更地と化した。
いくつもあったはずのビルは、輪切りにされ、あるいは粉々に砕かれ、瓦礫となって堆積している。
足場の悪い中を、転びそうになりながら慎重に進み、ドクターは呼び声を放つ。
「ロスモンティス? ロスモンティス! どこにいるんだ、返事をしてくれ!」
荒野の乾いた風が、粉末コンクリートをさらう。
そこに乗って、すすり泣く声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だ。
ドクターは瓦礫に足を取られながら、微かな嗚咽を頼りに歩く。
やがて、大規模な破壊の中心に、打ちひしがれてへたり込む、小柄な後ろ姿が見えた。
「ロスモンティス!」
ドクターは急いで駆け寄り、華奢な少女の肩を叩く。
銀髪のフェリーンは、体をこわばらせ、深く深く俯いた。
「どうした、まさか怪我を? どこか痛むのか?」
屈んで、顔を覗き込もうとするが、長い髪に隠れてしまって伺いしれない。
ロスモンティスは耳を塞ぎ、激しく首を振って、ドクターの手を振り払う。
唐突かつ、頑固な拒絶に、ドクターは面食らってしまった。
「ロスモンティス……?」
当惑しながら名前を呼んでも、返事がない。
しゃくり上げ、ただ涙をぽろぽろと落とす彼女に、一体何があったのかと訝しんでいると、複数の足音が近づいてきた。
ロスモンティスが率いる小隊のメンバーだ。
「ドクター、危険です! まだどこが崩れるか……あっ」
先頭を走ってきたオペレーターが、ロスモンティスを見て足を止める。
ドクターはロスモンティスの傍にしゃがみ込んだまま、竦んだオペレーターたちに問いかけた。
「何があった? 詳しく教えてくれ」
「それは、ええと……。と、ともかく、隊長と一緒にこちらへ来てください! あの源石結晶が見えるでしょう? こんなに破壊されてしまった以上、崩落したっておかしくありません!」
目を泳がせるオペレーターに、訝しげなものを感じながらも、ドクターは忠告に従うことにした。
改めてロスモンティスへ、“立てるか?”と声をかけようとする。
ドクターの言葉が出る前に、ロスモンティスの体がぐらりと揺らいだ。
「ロスモンティス!? おい、しっかりするんだ! ロスモンティス、ロスモンティス!」
力なく横たわりかけた体を抱き止め、小さな体を大きく揺する。
相当顔色が悪い。周囲の状況から考えると、アーツを限界以上に酷使したのだろう。
まだ幼い少女の目元は真っ赤に腫れていて、ひどい有様だった。
ドクターはロスモンティスを横抱きにして抱え上げると、通信機のスイッチを入れる。
「こちらドクター。ケルシー、聞こえるか? 今どこにいる!?」
「現在、ポイントFだ。戦闘行動は終了、感染者たちの捕縛と応急処置も完了している。君はどこにいる?」
「さっきの轟音の場所だ、君にも聞こえていただろう。どうやら原因はロスモンティスのアーツが暴走したことのようだ」
「なんだと?」
「ロスモンティスは保護した。だがアーツの酷使のせいか、意識を失っている。見たところ外傷はないが……すぐに診てくれ!」
「構わないが、作戦はそちらも終了しているのだろうな?」
「頭数が多少多いだけで、素人だらけの戦場だ。パトリオットの遊撃兵や、特殊感染者とは比べ物にもならないさ。ポイントCで合流しよう」
「いいだろう」
通信を切ると、すぐそばでロスモンティス小隊のオペレーターが、不安そうな顔をしている。
眼差しはロスモンティスの寝顔に向いているが、どこか目覚めを恐れているようでもあった。
「この区画が完全に崩落する前に、巻き込まれた者がいないか探し出して、手当をしてくれ」
「あ、はい……。けど、こんな有様じゃあ……」
「その泣き言は、駄目だと確定した時だけにしてくれ! 私の小隊も救助を手伝わせる。ファントム!」
「ああ」
ドクターの背後に、一瞬背の高い影が現れ、返事をしてから消え去った。
これで率いてきたメンバーにも、すぐに指示は伝わるだろう。
戦闘はとっくに終わり、移動都市を占拠していた感染者たちの捕縛も終わっている。
アーミヤたちの方も、そう苦労はするまい。今はとにかく、ロスモンティスを助けなければ。
気が急いて走り出すドクターの腕の中で、ロスモンティスが揺れる。
彼女の体は、まるで風船のように軽かった。
PM16:00、ロドス本艦・病室。
不安に苛まれる時間が、どれだけ経過したかわからなくなってきた頃、ケルシーはようやく病室を開いて、ドクターを中に招き入れた。
ベッドの上に寝かされたロスモンティスは、苦しそうな表情で、眉間に眉を寄せてうなされている。
尋常な様子ではないことは明らかだった。
「どうだ?」
「ひとまず、アーツは落ち着いている。精神力が限界に達したため、一時的に出力が大幅に低下している、というだけだがな」
「問題は、回復して目覚めた後か」
「そうなるな。何が起こったのか、既に聞いたな?」
「ああ。原因は、今回の事件の首謀者にある。“ローキャン”の、関係者だったそうだ」
「……なんだと? 馬鹿な」
「ロスモンティス小隊のオペレーターたちが証言している。なんでも彼は、ロスモンティスに向かって、こう言い放ったそうだ。“お前がローキャン水槽の成功例か”と」
ケルシーの無表情が、険しくなる。
オペレーターたちによれば、首謀者の男は、動揺したロスモンティスへ、さらなる侮辱の言葉を投げかけたそうだが、それは報告書を通して伝えられるだろう。
少なくとも、眠っているとはいえ、ロスモンティスの前でこれ以上の言及はしたくなかった。
ケルシーもまた、ドクターにさらなる説明を求めはせず、ただロスモンティスの寝顔を見下ろして呟く。
「捕縛はしたのか?」
「いや。捜索したが、見つからなかったらしい。ただ、大量の血痕が見られた。ちょうど、人ひとり分ほどの、な」
「そうか」
ローキャン。ロドスの一部オペレーターの中で、その名は悪名高い。
もっと言うと、その名を冠した研究機関“ローキャン水槽”が。
ドクターも書類上でしか知らないが、かの研究機関は、人工的に強大なアーツマスターを生み出すために、非人道的な人体実験を行い、そして壊滅した。
彼らの生み出した実験体のひとり、ロスモンティスの手によって。
今は生存者もおらず、研究所は廃墟と化した。
しかし、そこで行われた非道の数々は、今なおロスモンティスの心に暗い影を落としている。
たった十四歳にして、戦略兵器に仕立て上げられた少女に。
「ローキャン水槽は壊滅した。その残骸は、私がこの目で確かに見たものだ。生存者など存在しない」
「直接研究に携わっていたわけではなくとも、何かしらの関係者だったのかもな。ローキャンは大学で講義を行っていたこともある。今となっては、確かめるすべは無いかもしれないが」
「例え確かめるすべがなくとも、見過ごすことは出来ない。ロスモンティスがこうして我々と共にある以上、悲劇の種は潰さねばならない。それがロスモンティスのためでもある」
「同感だ。だが……」
ふたりの会話を、呻き声が遮った。
病床に横たわるロスモンティスの周囲の空間が、陽炎に炙られたかのように揺らめき始める。
回復しつつある精神力をアーツが食らい、再び暴走しようとしているのだ。
まずい。ケルシーが直感するのとほぼ同時に、ドクターはロスモンティスの手を取った。
白く小さな手を握りしめ、手の甲を額に当てる。
目を閉じたままのロスモンティスの耳に口元を寄せて、柔らかに囁きかける。
「ロスモンティス……大丈夫だ。何も恐れることはない。大丈夫、大丈夫だ」
「ん……っ!」
ドクターの声が聞こえたのか、ロスモンティスの眉間の皺が僅かに浅くなった。
ドクターの手が握り返される。ドクターはそれを、宝物のように抱きしめ、繰り返し繰り返しロスモンティスを励ましながら頭を撫でてやる。
ケルシーは危険だ、と言おうとしたが、徐々に和らぐロスモンティスの表情と、弱まるアーツの陽炎を前に、制止の言葉を飲み込んだ。
そして、察する。ここは自分の出る幕ではない。少なくとも、今はまだ。
時間をかけて、ようやく陽炎が立ち消えたタイミングで、ドクターは息を吐く。
ロスモンティスの手は、まだ握ったままだ。仮に手放そうとしても、孤独な少女は決して離れまい。
ケルシーは声量を落とした。
「任せてもいいか。彼女には、君が必要だ」
「わかった」
ドクターはロスモンティスから目をそらさずに頷く。
踵を返し、病室を後にしたケルシーに、程なくしてアーミヤが駆け寄ってきた。
「ケルシー先生! ロスモンティスさんが倒れたと……!」
「落ち着け。命に別状はない。今はドクターがケアを担当している」
「そ、そうでしたか。あの、私も一緒にいていいですか?」
「駄目だ。今はまだ、君や私の番ではない」
「番? ええと……」
言葉の意味を捉えかねて困惑するアーミヤの背中を叩く。
そう、今はまだ、出番ではない。目覚めたばかりのロスモンティスに必要なのは、自分やアーミヤではない。
ただ無言のうちに傍にいて、共に時を過ごしてくれる相手が必要だ。
きっと自身やアーミヤでは、説教臭くなってしまう。それでは、彼女は救えない。
「アーミヤ。ロスモンティスが元気を取り戻して来たら、君が声をかけてやれ。それまではドクターに任せるんだ。いいな?」
「……はい。ドクターと一緒なら、ロスモンティスさんも、きっとすぐに良くなりますよね」
「そう願おう」
疑問の全てを信頼で飲み込んだアーミヤは、ケルシーと並んで歩き始める。
去り際、アーミヤは一瞬だけ病室を振り返った。
離れすぎているせいで、はっきりとは感じ取れない。
だが、遠くに雷雲を臨むような、不穏な気配が、確かに病室から漂っていた。
ロスモンティスは真っ白な闇の中でもがいていた。
何もない、ぼんやりとした、虚ろな視界。しかし、完全なまっさらではない。消しゴムで乱暴に消したかのように、かすかに残るものがある。
ロスモンティスは、その残りかすに手を伸ばし、必死でかき集めようとする。
もはやなんであったかもわからないそれに、縋りつくかのように。
―――やめて、消えないで。
―――忘れたくない、覚えていたい。
―――お願い、持って行かないで。
懇願が喉から出てこない。声の出し方も忘れてしまったのか。
砂漠の砂を掻くような手ごたえばかりが、指の隙間から抜けていく。
その指先さえ、薄れて消えていくようだった。
ロスモンティスは、声にならない悲鳴を上げた。
吐き出したそばから掠れて消えていく吐息。聞こえてきたのは、嘲笑う声。
“そのアーツ! そうか、お前が!”
“ローキャンの忘れ形見、奴の成果か!”
“はは、はははははははは! どうりで僕たちが負けるわけだ”
“奴の作った最強の兵器に、荒野を転がる枯草が叶うわけない!”
“全部おしまいだ! お前につぶされて死ぬんだ!”
“ローキャンの最高傑作、最強のアーツマスター、最大にして最小の殺戮兵器……僕が作りたかったなあ!”
「黙って!」
ようやく声が出た。
ロスモンティスは両手を握りしめて、記憶の砂漠に振り下ろす。
ザン、と巨大な黒い剣がいくつも落ちてきた。
それはロスモンティスが腕を振るうと、白い記憶の砂を跳ね上げ、砂丘を抉り、砂埃を巻き上げる。
声は消えない。
大切なものばかりが無くなって、消えてほしいものだけがこびりついている。
ロスモンティスは、絶叫した。怒りに任せて、拳を振り上げる。
砂漠を切り裂き続けた刃が、見えない手によって掲げられ、振り下ろされようとする。
あたたかな温もりが、ロスモンティスの拳を止めた。
「ロスモンティス」
誰かの呼ぶ声。
優しくて、暖かくて、けれど誰だかわからない。
とても大切な人であることだけは、わかるのに。
もう一度、声がする。
ロスモンティスは、泣き腫らした目で空を見上げた。
どこまでも高い、青いだけの空に、白い輝きが見えた。
「は……っ!」
ロスモンティスは、ベッドからガバリと起き上がる。
全身汗びっしょりで、ひどく寒い。
見慣れたロドスの病室。見慣れたベッド。着ている質素なワンピースにも、見覚えがある。
ふと、自分の手を、誰かに包まれているのが見えた。
そちらを見ると、頭をすっぽり覆い隠すフードに感染対策の金属マスクをつけた人物が、不安そうな眼差しを向けているのがわかった。
誰、と問いかけて、思い出す。
「あ、ドクター……」
「おはよう、ロスモンティス。うなされていたが、大丈夫か?」
寝起きと悪夢で混乱した頭が、少しずつ落ち着いてくる。
すると、途切れ途切れの光景がフラッシュバックした。
座礁して占拠された移動都市、大勢の感染者たち、ばらばらに引き裂かれるビルと地面。
ロスモンティスはドクターにつかみかかった。
「みんなは!? 任務は、どうなったの?」
「落ち着いてくれ。大丈夫、みんな無事だ。任務も成功したよ」
「ほ、本当に……?」
「ああ。後でアーミヤに聞いてみるといい」
体から一気に力が抜ける。
ぐったりと俯いたロスモンティスの瞳に涙が滲み、ぽたぽたと滴った。
ドクターは、ロスモンティスの肩に手を置く。
「何があったか、覚えているか?」
「うん……。私、私……」
視界がぼやけ、眼球が熱を持つ。
体温が目に集中し、涙とともに失われていくようだ。
ロスモンティスは、体を折り曲げる。
「ごめんなさい……!」
「……君の小隊メンバーから、何が起こったかは教えてもらった。何を言われたのかも。ロスモンティス、おいで」
ドクターが軽く背中を撫でると、ロスモンティスは勢いよく抱きついた。
エリートオペレーター。ロドスの切り札にして、最も信頼できる者。その体は、たびたび虚弱と指摘されるドクターよりも、ずっと小さい。
ドクターはロスモンティスを抱き返し、頭を優しく撫でてやる。
少女は、声を上げて泣き始めた。
「うう、ああああああ! ドクター……私、あの人を……!」
「君を怒らせたという彼なら、行方不明だ」
「違う……私が、殺したの。覚えてるの……!」
「……そうか」
「気持ち悪かった……やっちゃいけないことだって、わかってた! でも、カッとなって……殺戮兵器とか、最高傑作だとか言われたことが、許せなくって……私だって、こんな風になりたくなかった!」
「そうだな。君にも、アーミヤにも、そんな言葉は相応しくない」
ロスモンティスは、ドクターの服をぎゅうっと握って、肩に目元を押し付ける。
涙に蓋をしようとしたのか、涙を拭いたかったのか、自分でもわからない。
「私だって、綺麗な服を着て、みんなで学校に行って、ごはんを食べたりしたかった」
「ああ。君は可愛いし、優しいから、きっとたくさんの友達が出来ただろう。ロドスで、たくさんの仲間に恵まれたように」
「パパとママと、一緒にいたかった。誕生日のお祝いをしたり、いろんなところに遊びに行って……普通に、暮らしたかった」
「……ああ」
「ドクター、私、憎い……。あの人、私のことを知ってた。あの人も、私をこんな風にした人たちと関わってた! 憎くて、憎くて、怒って潰して……なのに、全然気が済まないよ……。後から後から溢れて、止まらない……」
ロスモンティスの背中が揺らめく。
彼女の感情に呼応して、再びアーツが動き始めたのだ。
このまま暴走を許せば、ロドスが吹き飛びかねない。そうなる前に、ロスモンティスは殺されるだろうと、ドクターは思った。
その役目を果たすのが、背後に立つリーベリ女性、エリートオペレーター・Pithであろうことも。
ドクターは、目を閉じ、息を吸って、覚悟を決めた。
「憎いか、ロスモンティス。君をこんなにした者たちのことが」
「憎い……! 殺したいぐらい、憎い……!」
ドクターの服が強く握られる。抱きしめられていたのなら、きっと血が出るくらい、爪を立てられていただろう。
ドクターは、ロスモンティスを、より強く抱き寄せる。
「わかってる、こういうこと、言っちゃいけないってこと。アーミヤも、ケルシー先生も……」
「いいや、君は正しい。君の怒りも、憎しみも、誰にも否定することはできない」
「え……?」
ロスモンティスだけでなく、背後のPithも動揺したことがわかる。
当然だ。感情によって暴発するロスモンティスのアーツと向き合って、その暴走を助長するようなことを言ったのだから。ケルシーでさえ、ロスモンティスの感情が揺るがないように鍛えようとした。
しかし、それではダメだ。感情を押し込めれば押し込めるほど、爆発は強く、大きくなる。
吐き出させる。この少女が抱えてきたものを、全て。
「当たり前だろう。君は、奪われるべきではない権利を奪われた。あるべき幸せを踏みにじられ、望まぬ力を押し付けられた。制御しきれないほどの、強い力を。君は、憎んでいい。怒っていい。だがロスモンティス、ひとつ聞かせてくれ」
「な、なに?」
「君は今、何をしたい? このロドスで、君がやりたいことはなんだ?」
「私の……」
肯定されたことが意外だったか、ロスモンティスはきょとんとして繰り返す。
驚いたからだろうか。煮え滾り、噴きこぼれた憤怒は、少しだけその温度を下げたようだ。
それでも、最初に脳裏に浮かんだ言葉は、“復讐”だった。
ロスモンティスは心に浮かんだそれを、砂を払うように避ける。
その下に、答えがあった。
「……守りたい。みんなを、アーミヤを、ケルシー先生を、守りたい……」
「復讐ではないんだな」
背後のPithが、一歩踏み出して制止しかける。
ドクターは肩越しの一瞥で、逆に制止し返した。
信じてほしい。視線だけの訴えが、Pithの足を止める。
ロスモンティスは、震えながら呟く。
「憎い。復讐……出来るなら、したい。でも、アーミヤが……」
「アーミヤは関係ない。ケルシーも、誰も関係ない。君の本音を教えてほしい」
「……っ」
「大丈夫だ。君の憎しみも、怒りも、正当なものだ。それは誰にも奪われてはならない。私が、そうさせない」
「……守りたい!」
血を吐くような叫びだった。
ロスモンティスは、額をドクターの胸に押し付けながら、声を枯らす。
「憎いけど、殺したいけど……でも、守りたいの! もう失くしたくない、忘れたくない。誰にも、傷つけられたくない……!」
「そうか」
ドクターは目を閉じて、一定のリズムでロスモンティスの背中を叩き始める。
少女は荒い息を吐いていた。付きまとう憤怒と憎悪、失った悲しみと今の苦しみを振り払うのは、どれほどの痛みを伴うことだっただろう。
大地に蔓延り、幾度となく悲劇を生み出し、今も絶えず血と涙を絞り出すその感情を、吐き出させ、認めさせ、受け入れさせる。
「いいか、ロスモンティス。憎んでも、恨んでも、怒っても構わない。だが、それに支配されてはならない。今まで君が出会ってきた者の中で、憎しみに憑りつかれ、我を忘れた者の悲惨な末路を、我々は何度も目にしてきた」
「うん……」
「憎しみを支配するんだ。絶やさなくていい、忘れなくていい。ただ、腹の底で燃やし続けるんだ。重要なのは、その憎しみで何をするかなんだ」
「私は、何をしたらいいの?」
「守るんだ。君の失いたくない人たちを。君の大切なものを傷つける全てを、拒絶するんだ」
ロスモンティスはドクターの胸に縋りついたまま、呼吸をしていた。
自分の中で、何度も何度も、言われた言葉を反芻する。
怒りと憎しみが、願いの糸で、使命に結び付けられる。
そこに、アーツで引き裂く感触が、巨大な剣を振り下ろす音が、重なっていく。
「私に、できる? 壊して、引き裂くことしかできないのに……」
「大丈夫だ。私にひとつ、アイデアがある。やるかどうかは、君次第だが」
握りしめたドクターの服を引っ張り、胸元に顔を押し付ける。
雨に打たれる水たまりのように、緑色の瞳は不安定に揺れていた。
「ドクター、教えて。私、どうしたらいいの?」
「もう教えたよ、ロスモンティス。怒りと憎しみを、君が支配する。出来るか?」
「……出来なかったら?」
「破滅と悲劇が、我々を食らいつくす。憎しみに囚われ、まき散らすだけの存在になった時、君は天災以上の脅威となり、ロドスは君を排除するだろう。誰も幸せにはならない。破壊と、悲しみと、後悔だけが後に残る。他には、何もない」
ぶるっ、と肩を震わせる。
そんな未来は嫌だと、泣き叫ぶ自分が居た。
“エリートオペレーターがやると言ったなら、それは出来て当然のことでなければならない”
“俺たちに不可能は無いんだ、ロスモンティス。誰がなんと言おうが、俺たちに二言は許されない”
ふたつ、声がした。
どちらも男の声だ。誰の声だっただろう。名前が出てこない。いつ言われたのかもわからない。
不確かなその言葉を、ロスモンティスは抱きしめた。
―――みんなを守るためなら。
―――これ以上、失わないためにも。
ロスモンティスはドクターの胸倉で涙を拭うと、顔を上げた。
「教えて、ドクター。私、やる」
ドクターは破顔した。
アーミヤ、ケルシー、Raidian―――ロスモンティスの家族が微笑みかけてくれる時と同じ、優しい表情だった。
「ロスモンティス。私は君を、誇りに思う」
「うん……!」
ドクターは肩越しにPithへ目配せをした。
彼女は何も言わず、足音を殺して病室を去っていく。
かつてロスモンティスの処遇を巡ってケルシーと言い争った術師の女性は、ゴーグルを外して目元を覆う。
指の隙間から、涙が流れた。
「それで、新たな技を編み出したと聞いたが。君は、あの子に何をさせるつもりなんだ?」
「見ればわかる。君を失望させることはない」
「君と違って、ロスモンティスが私を失望させたことなど、今までに一度もない。むしろ不安要素は君の方だ、ドクター」
「…………」
真横から辛辣な言葉を浴びせられて、ドクターは思わず閉口した。
あれから早二週間。ドクターはほぼ、ロスモンティスに付きっ切りとなっている。
アーツの手ほどきや、彼女の小隊員たちとのコミュニケーションを中心に、ずっと寄り添い続けていた。ここしばらくは、ロスモンティス自身の希望で、ドクターの部屋に寝泊りすることも許している。
途中からはアーミヤも加わり、仕事の合間を縫って交互にケアをするようにした。
その甲斐あってか、ロスモンティスの表情は柔らかくなり、笑顔を見せるようになった。
そして今、ロスモンティス自身の成果を、ケルシーに見せようとしている。
訓練場の扉を開くと、既にロスモンティスはスタンバイを終えていた。
「ドクター、ケルシー先生!」
「来たぞ。……その服は?」
「ドクターがくれたの」
ロスモンティスは軽く両腕を上げると、訝しげなケルシーの視線を受け止める。
いつもの質素なワンピースではない。銀糸のゴシック調のドレスだ。
スカートの縁や要所に空色のレースがあしらわれ、胸元には翡翠のブローチ。ポニーテールにまとめるのは、金色の髪飾り。まるで、リターニアの貴族令嬢といった雰囲気だった。
似合うかと視線で訪ねてくるロスモンティスの頭に手を置き、ケルシーはドクターをひと睨みする。
まさか、こんな服で来るように言ったのだろうか。しかし、ドクターの苦笑いを見るに、そうではないらしい。
「ロスモンティス、汚れてしまうぞ」
「大丈夫だよ。汗をかくわけじゃないし、汚させないから」
「その服はどうしたんだ、ドクター?」
「バイビークお手製だ。ここまでのものが出来るとは、私も思っていなかったが」
「なるほど。で、相手は……トギフォンスにマドロックだと?」
ケルシーは少し離れたところにいる、退屈そうな赤毛のヴイーヴルを見て目を丸くする。
大型の機械弩弓は、持ち主と同じ混じりけのない赤。
その傍には、石の巨人を従えた、サルカズの女性が立っていた。
「ドクター、何を考えている?」
「まあ、見ていてくれ。マドロックの石巨人が仮想敵だ。準備はいいか、ロスモンティス」
「いつでも大丈夫だよ」
「よし」
ドクターは片手を挙げて、遠くの二人に合図を出した。
トギフォンスは不満を隠しもせず、槍のように大きな矢を番える。
マドロックとのマッチアップでさえ、自慢の弩弓で狙うには不服とのたまった彼女は、さっさとロスモンティスに矢を放つ。
やる気の無さを表すような雑な狙いだが、彼女の爆発矢ならば、十分にロスモンティスを吹き飛ばせる位置。ケルシーはとっさにMon3terを呼び出そうとしたが、ドクターが手で制止した。
「ドクター、君は……」
「見ていてくれ」
爆発音がした。
ケルシーがそちらに目を戻す。そして、驚愕を露わにした。
虚空に、大きな黒い箱が浮かんでいる。矢も、炎も、煙さえ、どこにも存在しない。一瞬にして箱に取り込まれ、内部で爆発したのだ。
驚いたのは、トギフォンスも同じだった。
「はあ? ちょっと、何よそれ」
「アーツの鉄板を出現させ、矢を飲み込んだ。いや、それだけではないな」
マドロックが対爆スーツの下から、冷静に分析を立てる。
耳をすませば、箱の中からごうごうと炎の燃える音。中でまだ燃焼しているのだ。爆発の炎が、空気も入ってこられないように密閉された、箱の中で。
マドロックは、浮遊する箱と床の隙間から覗く、ロスモンティスの顔を見た。
歴戦のサルカズ傭兵にはわかる。彼女の瞳には、怒り、憎しみ、そして恐怖がない交ぜになった、闘志が燃えていることが。
「面白い」
重々しい足音を立てて、ゴーレムが動き出す。
緩慢な動きでロスモンティスへと接近し、拳を振り上げた。
覆いかぶさるような巨体を前に、ロスモンティスは一歩も引かない。
詩を読むように呟くのは、ドクターに幾度となく言われた言葉だ。
「絶え間なく燃える憤怒と憎悪を、恐怖で律する……手の中を、ほんの少し、握って、離す。逃げていかないように、ボールを投げて、キャッチするように……!」
握りしめた左手を持ち上げ、開く。
すると、ロスモンティスの巨大な箱がゴーレムの方向に向かって開かれ、閉じ込められていた炎が吹き出した。
吹き出した爆風が炎を伴い、ゴーレムの分厚い胸板を突き飛ばす。
大きく後ろへよろめいたゴーレムは、マドロックに操られるまま後ろを足で踏みつけ、前傾姿勢を取って転倒を回避した。
その直後に、今度は前へと重心が傾く。
上から見えない手で押さえつけられ、ゴーレムはうつ伏せに倒れ伏した。
「ゴムボールを床に押し付けるように。飛んでいかないように、力加減は慎重に……」
「……これは」
ケルシーは唖然と、目の前の光景を見つめていた。
金属の箱は既に閉じており、吐き出した爆炎を飲み込み直して無害化している。
左手で箱を操作し、右手でゴーレムを押さえつけながら、ロスモンティスは堂々とその場に佇んでいる。
傷はおろか、汚れのひとつもない。
ドクターは、ケルシーに告げる。
「ロスモンティスはこれまで、アーツでの防御がそれほど強くはなかった。アーツと触覚が繋がっていたから、熱や冷気を防ぐと、ダメージがダイレクトにロスモンティスへフィードバックしてしまう」
「だから、剣の代わりにあの箱を作らせた、と?」
「そうだ。イメージが出来れば、習得は早かったよ。それともうひとつ、気づかないか?」
「ロスモンティスのアーツが生み出すエネルギーが球を形成し、彼女の頭上を漂っている。バスケットボールほどもない」
「漏出したアーツを、高密度に凝縮させて、周囲に漂わせておく。風船のようにな」
ケルシーの目が細くなる。
ロスモンティスのアーツは、本人でさえ制御が難しい。
かつて暴走するままローキャン水槽の研究所を跡形もなく粉砕し、その後もかなり長期間に渡る訓練を必要とした。そうせねば、癇癪ひとつでロドスが滅びかねないからだ。
それは、先日の外勤任務でも証明されている。突発的に激怒したことで、街の一角がほぼ更地になる大惨事。
住民が退けられ、移動都市を占拠した者の多くが巻き込まれる前に逃げ出したから、最小限で済んだものの、もし普通の都市で起これば、取り返しがつかなかった。
そんな代物を、たった二週間で、高度にコントロールさせている。
にわかには信じられない光景だった。
「一体、何をした?」
「自分の心と向き合わせただけだ。怒りと憎しみを受け入れ、従え、守るための力に変える訓練をした。それだけだよ」
「どのように?」
「アーミヤの手も借りて、イメージを膨らませた。ちょうど、ロスモンティスが敵や味方の位置を探るように」
「……危険だ」
「大丈夫さ」
ドクターは視線でロスモンティスを指し示す。
対抗心を燃やしたらしいトギフォンスが二の矢、三の矢を放つが、それらは箱に取り込まれ、あるいは箱に激突する。ロスモンティスには傷ひとつつかない。
再び手を掲げて終了の合図を飛ばすと、ロスモンティスはパタパタとこちらに駆け寄ってきた。
「ドクター、ケルシー先生、見ててくれた?」
「私もケルシーも、しっかり見ていたよ。よく頑張ったな」
「えへへ」
満足そうな笑みを浮かべてしがみついてくるロスモンティスの髪を、ドクターは優しく手櫛で梳いてやる。
その様子を見て、ケルシーは珍しく感慨に浸る己に気づいた。
美しいドレスをまとい、誰かに甘えるその姿は、まぎれもなく普通の少女のそれだ。
ロスモンティスは今、兵器でも、実験体でも無くなった。そのように思った。
「この制御法に、難点はある。原動力は何にしても、負の感情だ。制御出来ているとはいえ、やり過ぎればストレスになるし、ロスモンティス自身に大きな負担もかかる。だから、終わった後はこうして、好きなように甘えさせて……ケルシー?」
「いや、なんでもない。ケアについても考えてあるのだろうな」
「君に、アーミヤに、隊員たち。ロスモンティスは、誰に甘えたっていい。小隊メンバーとも、ちゃんと話し合った上で決めたことだ。いい仲間を持った」
ドクターは嬉しそうに動くロスモンティスの耳に触れた。
彼女の小隊に属するメンバーとは、既に話をつけてある。かの任務で起きたこと、これからのこと、全て。
ロスモンティス小隊のオペレーターたちは、最初こそ不安そうにしていた。自分たちの隊長を恐れていたのではなく、心配していた。だから、ドクターがケアの方法を伝え、しっかり受け入れてあげれば、今回のようなことは起こらないと説明すると、納得し、力になりたいと言ってくれた。
それでいい。ロスモンティスは、普通の女の子なのだから。
近づいてきたマドロックの賞賛、不満そうながらも渋々爆発矢を凌がれたと認めるトギフォンスの言葉を聞き、感謝の言葉を伝えながら握手するロスモンティスを見て、ドクターは胸を撫でおろす。
今後の道行きも、その笑顔とともにあればよいと、強く願った。
〈完〉