<Reisen side>
たきなが来て約一ヶ月が経った。
そんな今日もお店のドアが開く音がした直後、元気のいい、息をわずかに荒げた声が聞こえる。
「お待たせ~、千束が来ました~!!」
「今日もお寝坊ですか~?」
「いやいやいや! 何てことゆーのこのお口はぁ!! 今日は、今日も私のせいじゃないから!! それもこれも……」
「『全部面白すぎる映画が悪い!』って昔から相変わらず毎回言ってるじゃん……。健康のと美容の秘訣は睡眠だよ?」
「また夜更かしして寝坊ですか? もう開店してるので早く着替えてきてください」
「そ~よ~? アンタがだらしない分かわいい後輩ちゃんたちが頑張ってるんだからぁ」
「ぐっ……ミズキに言われるとは……ある意味説得力が違う」
「どの意味よ……」ジトー
今日に限っては疲れ果てた様子で働いているからか、
それとも、いつも二日酔いで死んでる人が言うからなのか……
……あ、ミズキさん! 私は変なこと何も考えてませんからその目でこっち見ないで!
ちょっと怖いから……!
「だぁって~、目のクマさんすっごいじゃん」
「忙しくて眠れなかったのよぉ……。今日ももう用事あるから行ってくるわ……」
「行ってらっしゃ~い、安らかにね~!」
「用事だっつったろ! 誰が
今日もキレッキレのギャグを言い放ち、ミズキさんが勢いよく店のドアを閉め飛び出していった。
なお、ハイレベル(?)なギャグセンスにたきなはついてこれなかったようで、首をかしげている。
そんなことがあったのも数時間前。
相も変わらずリコリコの営業は千束の明るく騒がしい声で満たされ、いつも通り目まぐるしくも何も変わらない平常運転をしている。
強いてあげるなら吉松シンジさん……たきなが初めて喫茶店の仕事をした日に訪れたお客さんが二回目の来店をしてくれたことくらいかな。
ちなみにその吉松シンジさんのことについてだけど、一ヶ月前のあの日、たきなが初めて給仕服を着た日に来店したお客さんで……ミカさんのお友達(?)らしい。
なぜ「らしい」と断定しないのかというと理由は二つある。
理由一つ目は吉松さんの初来店時にミカさんが目を見開いて驚いていたのが気になってミカさんに直接聞いたら「まあ、シンジとは友人のような関係かな……ロクに連絡も取っていなかったが、久しぶりの再会は嬉しかったよ」という何か含みのある返答だったから。
もちろん詮索はしないで置くけど、ミカさんと知り合いということは殺しや社会の後ろめたい部分に関わる仕事をする人なのは確実。
つまり二人の間柄とか経歴とか何かと隠し事が多そうだから、少なくともただの友人ではなさそうだなぁって思った。
そして理由二つ目は今目の前で起きている。
「ヨシさん、今度はどこの国に行ってきたの? アメリカ? ヨーロッパ? あっ、中国でしょ!」
「残念、ゥラッシァだよ。はい、これお土産」
「ナニコレ~!」
千束が吉松さんからでんでん太鼓みたいな使い道も実用性もなさそうなお土産を面白可笑しそうに受け取って喜んでいる。
そんな人懐っこい千束が映る吉松さんのミステリアスな瞳はガラス玉のように澄んでいて、妖しく光を反射していて……とても楽しそうだった。
一回目の来店の時は気づかなかったけど今ならわかる。
吉松さんはミカさん、そして千束に対して一定の距離を保ちつつも確かに愛情を向けている。
千束は「ありゃ私のファンになったね……! もしくはこのお店の」とか言ってこっちにやってきたけどそれだけではないはず。
だってそれだけなら「ミカさんに対して向けている恋人としての愛情に似た想い」と「千束に対して向けている親としての愛情に似た想い」は感じないはずだから。
少なくとも千束は吉松さんとはまだ二回会っただけって言ってたし、そこの関係は全くわからない。
それこそ千束の言う通りファンとして成長を見守っているその想いが「親から子への愛情」に似ていたのかもしれない。
でも、ミカさんとは「ただの友達」なんて間柄じゃないはずです……
親友とか恋人とか、仕事のパートナーだったとか……
「う~ん……」
「鈴仙、突然唸りだしてどうした? 体調悪いのか……?」
休憩室でそんなことを考えていたらミカさんの声がした。
抱えた頭を上げ瞑った目を開けると、目の前に心配そうな表情が見える。
私はなんともないのに心配そうな声を出させてしまって申し訳ない気分になる。
「あ、大丈夫です。少し考え事をしてて……」
「そうか、ならいいんだ。……しかし、そろそろ時間が、大丈夫か?」
「もちろん……ってアレ!? ウソォ、こんな時間!? ごめんなさい、私、急ぎます!!」
「あんまり無理するんじゃないぞ~?」
「は~い!! 行ってきまぁす~!!」
私もミズキさんのようにお店の扉から飛び出す。
と言うのは今日の依頼「世界的ハッカー国外逃亡計画(偽)」を達成するための準備をするため。
ちなみに今回の一番の功労者はミズキさんだと思う。
だって昨日一昨日から頭も体もフル稼働させて頑張ってるんだもん。
事情を知らない千束たちは単なる寝不足度って思ってるみたいだけど、私は知ってる。
……報酬がよかったのかな?
そんなミズキさんの所へ向かうため千束たちとは別行動になってしまうのですがしょうがない……
閉まった扉の奥から聞こえてくる「千束も、早く支度しなさい!」「ほいほ~い! んじゃヨシさん、後でね!」と言う会話をBGMにしながら私は慌てて待ち合わせ場所に足を走らせていく。
朝のうちにミズキさんが言っていた場所に向かって、到着したらスーツケースを受け取ってミカさんと合流するくらい楽勝でしょとか思ってたのに結構時間に余裕がない!
通勤ラッシュ時の電車はイヤだ!
空いてる時間の電車に間に合え~!
<Mizuki side >
『…………オイ。…………オイ、起きろ!!』
「んが……? ……もう朝ぁ?」
『朝と言うには日が高いと思わないか? ……そろそろスーツケースを受け取りに来る時間だ。例のリコリスが来るんじゃないか』
そんな機械を通した音に起こされ、車中泊でバキバキになった背骨を狭い車内で反らし音を鳴らす。
大きなあくびをしながらアイマスクを外して、どこかに置いてはずのメガネを手探りで探し当て、眠気でかすむ目をこすりながら目を覚ました。
「ダル……。はあ、アンタも、窮屈なとこいんのによく平気よねぇ……」
『オマエの座席と違ってクッション性は良好だからな。……
「あっそ。……にしても難儀ねぇ、安全が保証されるまで文字通り箱入り娘なのは。一回くらい出てもいいと思うんだけど?」
『無駄にリスクを上げる必要はない。今もどこから監視されているかわからないからな』
「一体どこの厄介もんを敵に回したんだか……」
『…………』
だんまりか……
まあ、相手は情報戦のプロ、天才ハッカーと名高いウォールナット。
昨日の晩、寂しく独り酒を嗜んでいた時、天才ハッカーを自称する怪しいヤツから護衛の依頼が来た。
そんときは断ってやろうと思ってたんだけど…………どうしてか今に至る。
…………べ、別に前金が一億以上あったからとか、目の前の大金に目が眩んだとか、そんな理由で護衛任務を快諾した訳では断じてない!
な、何ならDAに通報しようと思ってたし、リコリコの経営状況的に四の五の言ってられなかっただけで……
とにか~くっ!
そんなこんなで依頼を受けることになったのはいいんだけど、問題は私の絶賛禁酒の頭が今日の仕事終わりにグビグビいくお酒のことでいっぱいなこと。
寝起きで無性に喉の渇きを感じて、一杯行きたい欲が止まらないわ~……
まあ、そんなことになってるのは、私の生きがい、命の源、ストレスをぶっ飛ばす魔法の水を半日も絶賛絶食断食中なせいで、さながら今の私は砂漠でオアシスを求めてさ迷う旅人……
ああ、我が愛しの相棒。
いつもあなたのことを考えているの……
もう私は、あなたとは離れられない関係になってしまったの……!
でもこの乾きも後少し我慢すればあなたと会える。
空腹は最高のスパイスとは誰が言ったのだろう。
少しの別れも私たちの仲をより強くする一種のスパイス。
待っててね、愛しの
今回の任務が終わって給料が入ったら迎えに行くからね~!」
よし!
一通り欲求を心の中で叫んらヤル気出てキタわーッ!!
想像の世界から帰るためにまぶたを開くと、そこには白い目をした鈴仙が窓ガラス越しに……
「うわぁ、めっちゃアル中だし浮気性……サイテー」
「うぉおおぉいぃィ!?!? いつからそこにいたっ!? ってか酒はいろいろ嗜んでこそでしょうが、浮気じゃねぇよ!! 大人のささやかな願いと心の声を覗き見るな!!」
「理不尽っ!? だいたいミズキさんが声に出してたでしょ!?」
私とスーツケースとその中身しかない車の中だったから油断してたわ~……
てか、どこから声に出してた!?
もしポエミーなところまで声に出してたら、はっず…………!!
こうなりゃヤケクソじゃい!!
私の精神衛生的にも話を無理矢理にでも反らそうと仕向ける。
「それはそれとして! おっせぇわ! 一体どこほっつき歩いてたテメェ!?」
「いやでも、これでも走ってきたんだからね! 私の頑張りを褒め称えてくれても……」
「とかなんとか言ってアンタらしくもなく時間ピッタリじゃない。ど~せ、寝坊かなんかで出発する時間ギリギリだったんでしょ」
「ギクッ そ、そそそんなわけ、なな、ないですよぉ?」
「アホねぇ。シャキッとしろ、シャキッと!」
『
目がキョロキョロして噛みまくり、動揺が丸わかり……図星の鈴仙の背中をバシバシ叩く。
困り顔の鈴仙を見てなんとなくいつもの調子が出てきた。
そんな時スーツケースからの無言の圧力を感じ、いつの間にかお酒のことなんか忘れた冴えた頭で時計を見る。
すると時間は刻々と進んで、すでに予定が押していた。
今回の任務はいつも以上に円滑な進行が鍵となるため鈴仙に要点を確認すべく口を開ける。
「まあいいわ。とりあえず後ろに置いてあるのが今回の荷物。それ抱えてさっさとおっさんとこに持って行きなさい! それと、こっちに来るときも隠密行動していたと思うけど、帰りも気をつけて帰れよ~? この任務に私の酒代がかかってんだから!」
「了解で~す。ミズキさんも熱中症に気をつけて頑張ってください!」
そう言ってフードをかぶった鈴仙は30kg 近くある荷物を軽々とは行かないが問題なく運び出していった。
ローラー付きのやつとはいえ、よく持って行けるわねぇと感心しつつ私も準備を開始した。
まずは車の点検と、ウォールナット変装グッズを着て、ダミーのスーツケースを出して、準備オッケ~!
あとは私を護衛してくれる二人(仮)を待つだけ。
待ってろよ~、お酒~~!!
あ、酒思い出したらまた飲みたくなってきた……
耐えろ……耐えるのよ、私っ……!!
<Reisen side >
「ミカさ~ん、ただいま~! 周囲の監視はありません、オールオッケーです!」
「おかえり、お疲れさん。悪いがそのままスーツケースをこっちに持ってきてくれ」
ミズキから預かったスーツケースを引っ張りながら先生の待っている車の中に移動した。
その車はミズキさんの乗っていた囮用の車とは異なり、窓に細工がされており外からは中の様子がうかがえず、防音性、防弾性も兼ね備えている。
まさに護衛の任務には最適な車だろう。
今回の仕事をするに当たってミズキから受け取った荷物の中身を考えながらここまで移動してきた。
旅行の荷物にしては多すぎ、大量の札束にしても重さが異なるように感じるスーツケース。
よく耳を澄ませると規則的な音が二つ聞こえるその中身に気を遣いながら慎重かつ迅速に、監視の目や追跡に注意を払いつつ身を隠してここまで運んできた。
先生にスーツケースを引き渡して自分も車に乗り込みドアを閉め、窓が開いていないか確認する。
誰かに見られていないか、ドローンの飛行音に気を遣いながらここまで移動したため緊張から解放され一気に疲労感と達成感が到来する。
そんな私に代わって先生はスーツケースの鍵部分に手をかけ、その中にある者を確認する。
ミカさんやミズキから聞かされていたから激しくは驚かなかったけど人間の心音と呼吸音がこのスーツケースから聞こえてくるということは確かにスーツケースの中に誰かがいる。
こんな私でも窮屈だと感じる空間にいるウォールナットとは一体どんな軟体生物なのかワクワクしているとスーツケースの影からむくりと小さな影が見えた。
「初めまして、ウォールナット君?」
「今回の作戦立案者のミカだな。まずは初めまして。そして今回は僕の依頼を引き受けてくれたこと、感謝する」
スーツケースの中から現れたのは小学 1,2 年生くらいの見た目をしている女の子だった。
伝説の天才ハッカーの正体がロリっ子だと知って、何とも非現実的な光景に思わず可笑しすぎて「ええ~……」と困惑と馬鹿らしさの混じったが漏れてしまう。
そんな堪えきれなかった声に気づいた小さい天才ハッカーの視線がこちらに向き、私にも挨拶してくれるのかと期待してウォールナットの顔を見ると一言。
「……何だ、子供か。こんな子供が暗殺部隊の一員なんて世も末だな」
「いやいやいや、おかしいよ!? 私もう高1くらいの年齢だから!! 子供じゃないから!! それより私より小さいアナタがハッカーだってことの方が……それこそ世も末ってことでしょ!?」
「僕は忙しいんだ。邪魔も冗談もよしてくれ」
拝啓、千束たち、私、鈴仙は依頼主(見た目幼稚園児~小学生)にいじめられています。
「ウォールナット、そういじめないでやってくれ。これでも「これでも!?」プロ顔負けのアサシンだ」
「小学生のアサシンか……」
「いやいやいや、私もうそろそろ15歳なんですけど、アナタの方こそ子供の癖して何言ってるんですか!? そもそも何歳なの!?」
「……秘密だ。それと冗談は……」
「鈴仙は本当に15だぞ」
「……まじか」
「ああ、まじだ」
ミカさんの答えにウォールナットは心底驚いた様子で目を見開き、二度、三度と私の顔を不躾に見る。
大人のお姉さんを目指している私としては大変ショック……。
私をまじまじと見て「ふむぅ……」と腑に落ちない感じで唸ってたウォールナット、解せないなぁ。
<Walnut side>
ふう、ようやく出られた……
狭い空間からようやく解放されたボクは一息つき、何となく体をほぐしながら作戦の進行状況を引き続き見る。
今回の作戦の肝はウォールナットの死亡を偽装することだ。
それを為すためにはウォールナット(仮)が誰がどう見ても死んだという状況を作り出す……
つまり、ボクの影武者に鉛玉を死ぬほど打ち込んで貰って、死んだと思わせればいい。
そんな依頼を引き受けてくれる何でも屋があるとは、世の中、在らぬ所に奇想天外奇天烈な者もいるもんだ。
ボクだったら体中に鉛玉を食らうなんて死んでもごめんだね。
こんなある意味頭のおかしい奴らに命運を託すことになるとは……
アラン機関やDAと言った厄介なヤツらから逃れるためにアランリコリスに作戦の命運を託す……皮肉だな。
「ねえ、ウォールナットさん?」
「何だ、ちっこいリコリス、ボクは忙しいんだが……」
「そんなちっこいリコリスより小さいハッカーさんは私がいなければ今頃、たきなさんが持ってるスーツケースの中で悲鳴をあげてたと思うんだけど……。絶賛乱射中のマシンガンの餌食にならなくて良かったねって、何となく言っておくね……?」
「エスパーか!?」
「よく言われます♪」
先ほどまでむくれていたのが嘘のように、チビリコリスが嬉しそうにニヤニヤと顔をほころばせている。
イタズラが成功したガキみたいな反応だ。
「……礼は言わないぞ」
「そうですか……。その、お礼の代わりといったら何ですが、ちっこいリコリスとか言う変な呼び方じゃなくて鈴仙って名前で呼んでくれません?」
「……レイセン。これでいいか」
「はい!」
まったく、あのアランリコリス以外にも変に超能力じみたヤツがいるとは……
想定外の展開に不満が少しと知的好奇心による興味と喜びが入り交じる。
どうせ、この後しばらくはコイツらの所で居候するんだ。
詰まらないよりは面白そうな方がいい。
……と、そろそろ終わりかな?
護衛と離れて無防備な状態の敵がわんさかいる方へ移動している様子がモニターに映し出される。
影武者が離れていくことに気づいた護衛が何かこちらに叫ぶ様子が見えるが、カメラは護衛から遠ざかるばかり。
予定とは違うが、今回の目的はウォールナットの死亡偽装だ。
計画では大爆破で終了だったが、ここで影武者が蜂の巣になれば早く作戦が終わる。
そして終わらせるなら誰がどこから見ても死んだと確信できるように倒れないといけない。
そうすれば敵側はウォールナットが死んだと思い込み、さらなる追跡はしないだろう。
だから死角が一切ないところで着ぐるみの心臓部分に穴が開き赤い液体がにじみ出てた後、さらに無数の弾が着ぐるみに当り、貫通はしていなかったが確実に死んだと思われる有様となった時、ボクは勝ちを確信し喜びが溢れ出てきた。
ようやく監視から逃れられたのだと思い、嬉しさが湧き上がってきた。
……おい、そこの
<Reisen side>
作戦は順調に進んでいるみたい。
ミズキさんと千束とたきなさんが拳銃もって激しくドンパチしてる遠くの音が聞こえる。
その音はウォールナットのヘッドホンから聞こえる音だけじゃない。
実際に反響し、空気を伝う発砲音が私の耳に伝わる。
千束なら何とか大丈夫だと思うけど、怪我をしてないか心配になるほどの発砲音が私を不安にさせる。
でもどうやらそれは杞憂だったみたいだ。
ウォールナットが現場の状況を確認して、「作戦が成功」を確信したのか無感情を装いきれずニヤリと口角を上げた。
その表情を見て現場の状況を察し、安堵で思わず顔が緩む。
程なくして車両に取り付けてある無線にたきなから連絡が来た。
その声はわずかに震えており、悔しさと無力感が込められていた。
『失敗です。護衛対象は死亡です……』
「すぐに緊急車両が到着する。遺体と荷物を回収して現場を離脱しろ」
『了解です』
ミカさんが厳かな声で応答した。
護衛対象は死亡……死亡か……。
誰も死んでなんかいないのに、何となく気分が落ち込む。
わずかに車が減速し、時間の流れが不自然に遅くなった気がした。
予定より早く依頼が片づいたため車は現場に向かおうとして、アクセルを踏んでいるはずなのに……
まるで灰色の世界に私だけが取り残されて、大切な何かがどこかに行ってしまう気がして……。
顔から血の気が引き、指先が冷たく震えるのがわかる。
そんな私にミカさんが心配そうに声をかけてくれた。
「鈴仙、これから遺体……ではないが、その回収に向かうが……」
「いえ、その……大丈夫です。昔と違って、し、死体くらいでビビ、ビビる私じゃないですよ……!」
「そうか。……だが無理だけはするな。苦手なものは少しずつ克服するものだ。一気にしなくてもいい。……それに逃げてもいいんだ」
「ミカさん……。ありがとうございます……もう大丈夫です。」
ミカさんの何気なくも優しい言葉に嬉しくて、でも少し恥ずかしくなってフードの中に顔を隠す。
おかげで気分が幾分か楽になった。
加速していく車に合わせて、時間の流れも元に戻る。
強がってみたけどやっぱり偽物だろうと血と死体は苦手だ……
誰かが死んで悲しくなるのを考えただけで現実逃避しようと思考が淀む。
でも私は逃げない。
……後悔なんてウンザリなことしたくもないし、今ある幸せは二度と離したくない。
それに……私なんかより千束たちがつらい思いをしている。
これから千束とたきなさんとそれからミズキを回収するけど、あの二人は護衛対象を守ることができなかったと思って、
後で嘘だとわかるとしても辛いだろうな……
だからこそ私は千束たちを笑顔で迎えに行かなくちゃいけないんだ。
今までは私がフォローされたり慰められたりすることが多かったけど、今回は私の番。
そう思って気合いを入れ、現場に向かった。