4月。
トレセン学園に、次代を担うウマ娘達が入学して来る時期──新しいトレーナー達もまた、トレセン学園に入って来る。
「オルガ。こんなところで寝てたら風邪引くよ」
「んん、ッ……おう、ミカ」
トレセン学園の正門付近のベンチに、2人の青年がいる。
銀髪で長身の青年と、黒髪で小柄な青年。銀髪の青年はベンチに寝転がっていて、それを黒髪の青年がつついている。
銀髪の方はオルガ・イツカ。
前髪が特徴的な、リーダーシップに優れた青年だ。
黒髪の方は三日月・オーガス。
大きな水色の瞳を持つ、寡黙かつ不器用ながら仲間思いの青年である。こちらは黒いスーツを着込んでいるが、本人からしたらうざったいようで、シャツの首元のボタンとネクタイは外されていた。
三日月に起こされたオルガは周りを見回し、呟く。
「───ここ、どこだ?」
見知らぬ場所。
またどこぞの世界にでも飛ばされたのだろうか、と思いながらも、オルガの脳裏には「ここはトレセン学園の中だ」という結論がパッと浮かび上がっていた。
「……気持ち悪ぃな。知らねぇハズなのに、知ってる」
「うん。──平和な世界みたいだね」
俺達の世界とは全然違う、と言う三日月の呟きに、オルガも頷いた。
知らないハズなのに知っている──奇妙ではあるものの、やけに都合が良いのも確かだ。この場所についてのこと以外にも、馴染みの無い知識が2人の頭の中には渦巻いている。
「……トゥインクル・シリーズに出るウマ娘を育成するのが、俺達の仕事ってわけか」
「そうみたいだね。──教えるの、苦手なんだよな」
三日月はズボンのポケットから火星ヤシを取り出して頬張りながら、参ったと言わんばかりに頭を掻く。
2人は生前(?)、「鉄華団」という組織に属し、オルガはその団長であった。三日月はその遊撃隊長であり、モビルスーツを駆って戦っていた。
戦いの中で生きて来た2人。新人の教育程度の経験はあるが、専門的な知識を使って他人を鍛え上げる、という経験は全く持っていない。
「さて、どうしたモンか……」
2人して軽く途方に暮れている時、彼らのよく知る人物が、正門方向から声をかけて来た。
「お困りかな、オルガ団長──三日月・オーガス」
「!」
オルガと三日月はそれが誰の声か、そこに誰がいるのかを完全かつ即座に予想を付けた上で、確認のために声がした方向を向く。
そして、そこには予想通りの人物が立っていた。
「チョコレートじゃん」
「マクギリス……!」
その人物とは、マクギリス・ファリド。
かつて鉄華団と同盟を組んだ、ギャラルホルンの地球外縁軌道統制統合艦隊司令──ある意味では、鉄華団の破滅の原因ともなった人物である。
「会えて嬉しいよ、オルガ団長───」
「うおああッ!!!」
開幕の挨拶として、オルガは拳を握りしめ、マクギリスの顔面に思い切り叩き込んだ。
「准将ッ!」
どこからともなく現れたマクギリスの副官、石動・カミーチェが、殴り飛ばされたマクギリスの身体を背中から受け止めた。
オルガは大きく息を吐き、マクギリスに問う。
「──で? これは一体どういうことだ?」
「随分な挨拶だな。この国の法律くらいは守ってもらわねば困るのだが──まあ良い。
どういうことか、など、今更問うまでもなかろう。
私も君たちと同じさ。このトレセン学園のトレーナーとして、ちょうど1年ほど前から活動している。
そして、君たちもそうなる」
そうだろう? と、マクギリスは2人の後ろ、校舎側に立つ者に確認を求めた。
オルガと三日月が後ろを振り向くと、そこには引きつった笑顔を浮かべた、緑色のレディーススーツを身に纏った女性──駿川たづなが立っている。
「そ、そうですけど……あの、ファリドさんは大丈夫ですか……?」
「問題無い。先ほどのは、我々ならではの挨拶だ。目を瞑ってやってくれたまえ。
それよりも、まずは彼らを理事長にお目通しし、説明をしてやると良い。
──青いところはあるが、真っ直ぐな少年たちだ。ウマ娘たちにも、良い影響を与えることだろう」
「わ、分かりました。
──コホン。それではお二方は、私について来て下さい。オルガ・イツカさんと三日月・オーガスさん、ですよね」
オルガと三日月は頷き、たづなに連れられて校舎へと入って行った。
マクギリスと石動は、その背を見送る。
「──これで役者は揃った、と言うべきかな」
「……彼らに、トレーナーが務まるのでしょうか?
彼らはその、マトモな教育も受けていなかったと聞いていますが」
「知識はインプットされているだろう。後はウマ娘たちとのコミュニケーションと、彼らの想い次第だ。
──彼らならば、やってくれるさ」
そうでなければ張り合いが無い、とマクギリスは笑った。そして、石動にあらかじめ頼んでおいた用件について問う。
「今年デビューのウマ娘はどうなっている?」
「はっ。こちらが一覧です」
石動から紙の資料を受け取り、マクギリスはパラパラと捲っていく。
今年も多くのウマ娘たちが入学して来る。マクギリスもトウカイテイオーに次ぐ担当を増やすことを視野に、場合によっては勧誘活動を行うことになろう。
トウカイテイオーが活躍していることで、マクギリスに指導を仰ぐウマ娘も現れるかもしれないのだ。新入生については一通り知っておく必要がある。
「───なるほどな。さて、この中から、彼らは誰と縁を結ぶのか」
マクギリスはざっと資料を見ながら、新しい世代と新しいトレーナー達に、心を躍らせるのだった。
◇
新入生だけでなく、在校生にとっても4月は変化の季節と言えるだろう。
4月になり、学年が上がると、クラス替えというものが行われる。友達と一緒になるかならないかなど、生徒にとっては一喜一憂するイベントだ。
(──去年から、ちょっと人数が減ったかな)
トウカイテイオーは壁に貼り出されていたクラス分けの一覧を確認して、3月までとは違う教室に足を踏み入れた。
……ちなみに、そこで同じクラスに誰がいるのかを確認することを忘れていたことを思い出したりした。
「えーっと……ボクはあそこかぁ」
黒板に貼られていた席順の紙を確認して、一番後ろの窓際の席に腰を下ろす。
学生鞄を机の横のフックに引っ掛け、天板に肘杖をついて、ボンヤリと窓の外──正門の辺りを見下ろした。
すると、自分のトレーナーらしき金髪に白いスーツの人物が、2人の若い男性──新任のトレーナーっぽい? 人たちと何やら話をしている姿が見えた。
(トレーナー?)
わざわざ新任のトレーナーに話しかけるような人物だっただろうか、とトウカイテイオーは思う。
メジロマックイーンのトレーナーと自分のトレーナーが友人であるということは知っているが、会長のトレーナーとは仲が良いようには見えないし、それ以外のトレーナーと交流を持っている様子は見たことがなかった。
ちょっと意外かも、とトウカイテイオーが思っていると──自分のトレーナーが、新任のトレーナーに殴り飛ばされる姿が、トウカイテイオーの目に映る。
「ええ!? 何やってんのさ!?」
思わず立ち上がり、驚きの声を上げるトウカイテイオー。
……もしかして、ボクのトレーナーってあんまり友達とかいないんじゃ……と、トウカイテイオーは思い始めた。大丈夫なんだろうかと心配にもなってくる。
「……どったの?」
「う、ううん何でもないよ! アハハハ──って、キミは確か……」
新しいクラスメイトの1人に話しかけられたので、とりあえず誤魔化す。
──その新しいクラスメイト、ふわっとしたツインテールのウマ娘に、トウカイテイオーは見覚えがあった。少し考えると、答えはすぐに出て来た。
「ナイスネイチャ、だっけ? 若駒ステークスの時の」
「──良かったー、覚えててくれて。これで『誰だっけ』とか言われたらどうしようかと……」
ホッ、と安心したように息を吐くナイスネイチャ。
ちょっと考えちゃったけど、というのはとりあえず置いておき、トウカイテイオーはナイスネイチャに聞く。
「もしかして、同じクラス?」
「うん。──まあ、アタシは怪我しちゃったから、しばらくレースじゃ会えないかもだけど。
改めてよろしく。テイオー、って呼んでいい?」
「勿論だよ! よろしく、ネイチャ!」
ナイスネイチャの差し出した手を、トウカイテイオーは握り返す。
──ふと、視界の中に彼女の足と、そこに巻かれた包帯が入って来た。怪我、というのはあれかと、トウカイテイオーは思う。
ナイスネイチャはトウカイテイオーの前の空いている席に座りながら、笑顔で「おめでと」と言った。
「……急にどうしたの?」
「いやー、とりあえず言っておこうかなーと思いまして。先週の若葉S、勝ってたじゃん。無事『無敗』のままで皐月賞、だもんね」
「うん。やっと三冠挑戦だよ」
長かったような、あっという間だったような──トウカイテイオーの夢の舞台は、もう目前にまで迫っている。
「……アタシは出られないけど、応援してる。アンタなら勝てるよ、テイオー」
「ありがと。──怪我、そんなに重いの?」
「まあ、夏には復帰できると思うけどね。まずはオープン入りが目標。GⅠなんて、夢のまた夢ですわ」
アハハー、とナイスネイチャは目を線にして笑う。
一方、トウカイテイオーはこう言った。
「夏に復帰できるなら、秋は菊花賞目指せるじゃん」
「……いやいや、そう上手くは行かないと思いますよ? ネイチャさん、平凡な一般ウマ娘さんですよ?」
「ネイチャならきっと出れるよ、菊花賞。ボク、無敗の二冠ウマ娘になって待ってるから」
「──ふ、ふーん? ま、まあアタシもウマ娘ですしね……テイオーがそう言うなら、アタシも頑張ってみようかな」
真っ直ぐな視線で言うトウカイテイオーを前に、ナイスネイチャは心の中で菊花賞を目指してみようかなー、と考え始めたりするのだった。
と、その時──教室に、勢い良く飛び込んで来るウマ娘が一人。
「うおおおおー!!! ターボエンジン全開!!!」
前の扉から走って教室に突っ込んできた小柄な青髪ツインテールのウマ娘は、そのまま教卓に激突した。
「ぐはぁっ!!!」
そのままバターンと仰向けに倒れ込む青髪ツインテール。
……それを見かねたクラスメイトの1人が、恐る恐る声をかける。
「──大丈夫?」
「だ、だいじょうぶ……」
脚の長いウマ娘に起こされる青髪ツインテールのウマ娘。教室の後ろからその様子を見ていたトウカイテイオーとナイスネイチャは、少し呆れたように笑い合う。
「……賑やかなクラスになりそうですな」
「そ、そうだね……」
◇
理事長に挨拶し、駿川たづなに連れられてトレセン学園の中を案内されたオルガ・イツカと三日月・オーガス。
今日はお二人以外にも新任の方を案内しなければならないので、と言うたづなと別れ、2人はどこへ行くでもなく、学園内を
「──どうするよ、ミカ。チームがどうだの担当ウマ娘がどうだの、正直俺はあんまピンと来てねぇんだが……」
オルガの言葉に、三日月も頷くしかなかった。
トレーナーとしても、指導にあたってはチームを組んだり個人個人で指導したり、それぞれのやり方があるらしい──ということは分かったが、じゃあこれからどうするのが正解なのだろうかと、2人は考える。
「さっきのたづなって人は、まずはベテラントレーナーのチームに入って……とか言ってたね」
「つってもなぁ……」
ベテランのチームに、と言っても何かアテがあるわけでもない。
──いや、アテ自体はマクギリス・ファリドという奴がいるが、アイツに頼むのもな……という気持ちが2人にはあった。
かと言って、自分たちだけでトレーナーをやろうにも、新人の若造トレーナーを良しとしてくれるウマ娘はそうそう見つからなさそうでもある。
「──どうした? お前たち、新人か?」
と。
悩む2人に、声をかける人物がいた。
「……アンタは確か、えっと──チョコレートの隣の人?」
「ガエリオ・ボードウィンだ!」
「──そうそう、ガリガリ」
「ガエリオ・ボードウィンだと言っているだろう! ガ・エ・リ・オ!!」
紫色のスーツを着た、紫髪の男──ガエリオ・ボードウィンである。
三日月の失礼な言葉にひとしきり言い返した後、ゴホンとガエリオは咳払いをする。そんなガエリオに、オルガは質問する。
「アンタ、俺たちに何の用だ?」
「マクギリスに『私はどうも警戒されているから、代わりに彼らと話してきてほしい』と言われてな。本当は御免
お前たち、大方『これからどうすれば……』と思っているところだろう? 俺から先輩トレーナーとして、アドバイスの一つもしなければな」
「──へー。ガリガリもトレーナーなんだ」
「俺にはもったいないほどの担当ウマ娘がいるよ」
それはそうとだ、と言い、ガエリオはとあるチラシを2人にそれぞれ渡した。
「何だこりゃ。『春の選抜レース』……?」
「学園内での選抜レース──ウマ娘の模擬レースが、年に4回あることくらいは知っているだろう?
ウマ娘にとっては自分の能力をアピールする機会であり、トレーナーにとっては優秀なウマ娘をスカウトする絶好の機会だ。
選抜レース前にトレーナー契約を結んでしまっているトレーナーもいるし、出来る奴は選抜レース前から目についたウマ娘に手を回していたりするから、新人には厳しいところもあるのは間違いないが──春の選抜レースに出走するウマ娘、特に新入生は大半がトレーナーから声をかけられる前だ。
新人でも、アピール次第でチャンスはあるだろう」
それから、とガエリオはもう一束、2人にそれぞれチラシを渡した。
チラシは3枚、3種類がホチキス止めにされた物。
「───これ、レースのポスター?」
「そうだ。トゥインクル・シリーズは今、春のGⅠ戦線の真っ只中だからな。来週からはいよいよ、クラシックレースも始まる。
まずは一度、現地でレースを見てみるのが良い。
特に『皐月賞』には、マクギリスが担当してるウマ娘も出る。……こういうレースに担当ウマ娘を出せるように、そして勝てるように努力するのが、俺たちトレーナーの役目だ」
ガエリオは「じゃあな」と、手を振りながら去っていった。
2人はその背中を見送りながら、手元に残ったポスターに目をやって言う。
「……アイツ、ギャラルホルンだったよね」
「ああ──ひとまずやるべきことは分かったが、何か不思議ってか、やりづれぇな……」
ともあれ、まずはガエリオの言った通り、レース場に足を運んでみるのと、選抜レースでトレーナーを探しているウマ娘を捕まえることはやりたい。
そのためには、今トゥインクル・シリーズを走っているウマ娘のことや、今年新しく入って来たウマ娘のことについて知らなければならない。
それを調べることから、とりあえず始めていく必要があるだろう。
「……地道な勉強とか、得意じゃないんだけどな」
「俺も性には合わねぇが、しょうがねぇ。やるだけやってみようぜ」
そういえば校内に図書館があったハズ、とたづなに案内された場所を思い出しながら、2人は歩き出すのだった。
◇
「やっほートレーナー! 今日もトレーニング、よろしく!」
皐月賞を次週に控えた日の放課後。
トレーナー室に顔を出してくれたトウカイテイオーを、私は歓迎する。
「ああ、よろしく。──その前に、一つ朗報がある」
「なになにー?」
私が座る執務机に駆け寄って来たトウカイテイオーに、とある服が入ったビニール袋を手渡す。
それを受け取ったトウカイテイオーは、その服が何であるかを悟ったらしく、青いつぶらな目を爛々と輝かせた。
「トレーナー、これって……!」
「君の予想通りさ。若葉S後に発注した勝負服だ。ちょうど今日の昼、届けられてね」
トウカイテイオーの次走は皐月賞──GⅠレース。
体操服に番号と名を書いたゼッケンを着けて出走するGⅡ以下のレースとは違い、GⅠレースでは出走ウマ娘一人一人のために作られた専用の「勝負服」を着て走ることになる。
それはトゥインクル・シリーズに出走するウマ娘にとって、一つの憧れであり、夢でもある。そもそもGⅠに出走できるようにならなければ作ってもらえない、オーダーメイドの服なのだ。
トウカイテイオーも若葉ステークスが終わった後、ウマ娘のレースシリーズを主催する組織「URA(日本中央ウマ娘会)」に皐月賞出走の意志を問われた上で、発注手続きを行った。
大体のイメージを伝えたり採寸をしたりと、本人は勿論トレーナー側も様々な手続きがあり、手間は手間だったが──
「やっぱり! ねぇトレーナー、着てみて良い!?」
ピョンピョンと跳ねて喜ぶトウカイテイオーの笑顔を見れば、手間の報酬としては充分以上であるし、ここまで来れて良かったという感慨も湧いてくるというモノだ。
自分の口元が緩んでいることを自覚しつつも、私はトウカイテイオーに言う。
「勿論だとも。寸法に問題があったりしてはまずいからな、むしろ試着をしてもらわなければな」
「やったぁ! ちょっと待っててね!」
トウカイテイオーは勝負服を抱えてトレーナー室を飛び出し、十分もしない間に、勝負服を着て戻って来た。
「お待たせ! トレーナー、どう? 似合ってる?」
「カイチョーみたいな服!」という要望の通り、彼女の勝負服はシンボリルドルフの物と同じく、中世の軍服を模したようなデザインである。
白と青の2色を基調とし、胴には4つの金のボタン、右肩から左腰まで斜めに襷が掛けられている。襟元には桃色のスカーフを柔らかく締め、右肩には黄金の肩章。右から左にかけて丈が長くなった赤いマントを背負い、大きく折られた袖から覗く右手は黒、左手は白の手袋を着けている。下は膝上丈のミニスカートと、膝下ほどまでの白いロングブーツ。
服の各所にはアクセントのように金の装飾が施されていて、「テイオー」の名の通り、高貴さをも感じさせる。そう、その姿はまさしく───
「───バエルだ」
「へ?」
「やはり、私の眼に狂いは無かった。
まるでガンダム・バエル──いや、バエルそのものだ。アグニカ・カイエルの魂を具現化している。最早アグニカ・カイエルだ。素晴らしい。素晴らしいよ」
「……何言ってんの? というか、目が怖いよ……?」
───おっと、私としたことがレディを怖がらせ、困惑させてしまうとは。
あまりのアグニカみとバエルらしさを前に、つい胸が
「いやすまない、思わず見惚れてしまっていたよ。
服や靴のサイズは問題ないかな?」
「あ、うん。大丈夫、ピッタリサイズ通りだよ!
この服を着たらなんか身体が軽い気がするし、今日はこれでトレーニングしてみて良い?」
「そうだな──本番前に一度、勝負服で走る経験をしておくのも良いだろう」
皐月賞は来週。クリーニングに出しても余裕で間に合う。
──勝負服はウマ娘に不思議なパワーを与えるというが、トウカイテイオーの「身体が軽い」というのもその効果なのだろうか。精神的な面が強いだろうとは思われるが……と、まあそれは置いておこう。
「では、今日もトレーニングに行くとしようか。
とはいえ、君の身体はもう充分に完成の域にある。今日からは最終調整、そう過度な負担のかけるトレーニングにはならないが、本番に万全の体調で挑むためには非常に重要なトレーニングになる。
厳しくはないとはいえ、普段のトレーニング以上に集中し、正確に行ってくれたまえ」
「オッケー! レッツゴー!」
彼女の今の心境を表すかのように、軽やかに揺れるポニーテールと尻尾を追いかけ、トレーナー室を出てトレーニングバ場へと向かうのだった。
◇
「もうちょっと調べる」と言いながら、慣れない本とにらめっこを続ける三日月と一旦別れ、オルガはトレセン学園を出て近所の商店街へ足を運んでいた。
理由としてはこの世界についてより知るため──というのが半分で、もう半分は単なる息抜きである。
かつて鉄華団の団長としてデスクワークはやっていたが、やらなければならなかったのでやっていただけで、オルガ自身事務作業はあまり性に合わないと感じている。まさかこんなところでもやらされることになるなんてな、とオルガはため息の一つも吐きたい気分であった。
(トゥインクル・シリーズについて勉強して、担当ウマ娘も探して、か──ホントにやれんのか?)
急にトレーナーにさせられたオルガの内心には、現状不安が満ちている。
ガリガリ──もといガエリオのおかげで、とりあえず模擬レースとやらを見て……と思ってはいるが、まだまだピンと来ていないことが多すぎた。
「エラー発生。目的の座標にて、該当物件無し」
「───ん?」
と。若干途方に暮れていたオルガの目に、この数時間ですっかり見慣れてしまった服が映った。
「有視界距離内に目的地を確認出来ず。
バッドステータス『万事休す』であると判断」
トレセン学園の制服を着た、長い栗毛の髪を二の腕辺りまで下ろしたウマ娘だ。
右耳にケミカルライトのような髪飾りをしていて、頭の中心から伸びるアホ毛の近くには銀色のカチューシャ。左側のこめかみ周辺からも、銀色の装飾が突き出している。
身長160センチほどのスタイルの良い少女は、キョロキョロと周りを見渡している。感情の読み取れない表情だが、明らかに困っているように見えた。
「───アンタ、どうしたんだ?」
見過ごすのもどうかと思い、オルガはそのウマ娘に声をかけることにした。
彼女はオルガのスーツの襟元に着けられたバッジを見てから、オルガの顔を見上げ、正面から見据える。
「トレセン学園のトレーナーである、と判断。
初めまして。私はミホノブルボンです」
「お、おう。俺は鉄華だ──じゃねぇ、トレーナーのオルガ・イツカだ」
一礼しながら自己紹介をしたウマ娘──ミホノブルボン。
とにかく真っ直ぐな水色の瞳に少しやりづらさを覚えつつも、オルガも名乗り返した。
「現状を説明します。現在、バッドステータス『万事休す』が発生中。この近辺に新しく出来たというトレーニング用品店が見当たりません。
商店街の方から『この通りを大体100メートル』と伺ったため、ここまで歩いて来たのですが、当該座標にそれらしき店舗を発見出来ていません」
機械のように淡々と言うミホノブルボン。
ちょっと変な奴だな、と思いつつ、オルガは言葉を考えながら聞き返す。
「見つかんねぇなら、ホラ──アレだ、スマホとかで調べりゃ良いんじゃねぇのか?」
「携帯端末は保有していません。私が機械を触ると、予期せぬエラーが必ず発生します」
「……何だそりゃ?」
「製造当初からの欠陥です。手袋等を着用しても回避不可能と判明しており、有効な対策を発見出来ていません。こちらについても、バッドステータス『万事休す』です」
本当にロボットのような話し方をする──というか機械そのものみたいな奴だな、とオルガは思う。
それはともかく、ミホノブルボンが何で困っているかを、オルガは把握出来た。要するに行きたい店の場所を知りたいわけだ。
「じゃあ、俺が調べりゃ良いのか?」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
オルガはスーツのポケットからスマホを取り出し、マップで検索をかける。この辺りの端末機器は、オルガの生前(?)と大差無い。この世界にはエイハブ・ウェーブという概念が無いため、大変快適である。
現在地から調べると、ミホノブルボンが行きたがっているのであろうトレーニング用品店はすぐに見つかった。ここから更に40メートルくらい歩いた場所にあるようだ。
「こっからもう少し歩けば良さそうだぞ」
と言って、オルガはスマホの画面を切ってポケットに仕舞おうとしたが───
「すみません。もう少し、とは?」
「は?」
「もう少し、とは数値にしてどれほどの距離でしょうか? 曖昧な表現は、その……認識に支障を来します」
ミホノブルボンの言葉により、オルガは再び画面をオンにすることとなった。
本当に変わった奴だな、とオルガは感じながらも、再びマップで正確な距離を割り出す。
「この道を42メートル行ったとこだ」
「認識完了。ありがとうございます。先程の情報には誤差があったと判明、修正します。
想定外のエラーでしたが、私のリサーチ不足が根本の原因であると判断。エラーログに記録し、再発防止に努めます」
ありがとうございました、とミホノブルボンはオルガにお礼を言い、素早く進むべき方向に身体の正面を向けた。
「42メートル前進。オペレーション開始」
規則正しいリズムで、全く同じ歩幅でミホノブルボンは歩行を開始した。
オルガは困惑しながらその背を見守り、ミホノブルボンが目的の用品店に入って行く姿を見届けて、思わず呟くのだった。
「───何なんだ、アイツ」
次走「皐月賞」