マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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14R 運命の日、近づく

 選抜レースが終わり、太陽も沈んで夜の闇に包まれた学園の中を、三日月・オーガスは学園内を1人で歩いていた。

 今年の春からトレーナーになり、未だに担当ウマ娘のアテは無し。選抜レースも見に行ったものの、まだよく分からないというのが正直なところだ。

 当然、新人に自分から声をかけて担当になってもらおうというウマ娘もいないので、三日月は歩きながら「どうしようか」と半分途方に暮れる状態だ。

 

(オルガは、あの子について悩んでたけど……俺は特にそういうのも無いし)

 

 そもそもトレーナーという仕事自体、自分に向いているとは三日月には思えなかった。

 三日月は生前(?)、マトモな教育は受けて来なかった。

 孤児だった三日月は、オルガと一緒に、生きるためなら何でもした。毎日を生きることだけで必死だった。

 

 鉄華団が始動してからは三日月も字を習ったりして、本を読んだりすることもできるようになった。

 ──かと言って、いきなり教える側に立たされても困るというのが本音である。口が達者とも言えない。

 

「うう……ぐすっ……ふえぇぇぇ……」

 

 ふと、三日月の耳に泣き声のようなものが聞こえてきた。女の子の泣き声──恐らくはウマ娘だろう。

 泣き声のした方に、三日月は足を向ける。しばらく歩くと、中庭の広場に辿り着いた。

 穴の開いた切り株がある広場で、何か嫌なことなどがあるとその穴に叫ぶ──というスポットらしい。

 大声を出すことが無い三日月には無縁の場所だが、その切り株の側には、小柄なウマ娘が1人、目元を両手で押さえて座り込んでいる。

 

「ばか……! ばかばか、ライスのばか……!

 がんばるって、がんばろうって決めたのに……」

 

 身長は小柄な三日月と同等か、それより低い。腰辺りまで伸びた髪がぴょこぴょこと跳ねていて、右目は前髪で隠れており、青薔薇の飾りが付いた大きな紺色の帽子を右耳の下に着けている。

 自分を責める声は囁くようにか細い声で、弱気な雰囲気を持つ──少なくとも強気には見えないウマ娘だった。

 

「かっこいいライスになりたいって、ダメじゃないライスになりたいって、思って来たのに……なんで……なんでライスは、こんなにダメな子なの……?」

(ライス──名前?)

 

 何となく覚えがあるような名前だと感じ、三日月は手に持っていた今日の選抜レースの出走表を眺めた。

 すると、その中にはライスシャワーという名前が発見された。

 

(レースに来なかったのって、アイツか)

 

 泣いているのはそのせいだろうか、と三日月は推測する。

 彼女との面識は無いが、このまま放って帰るのは流石にどうかと思い、三日月はライスシャワーに話しかけることにした。

 

「アンタ、どうしたの?」

「ふぇっ!?」

 

 三日月に声をかけられると、ライスシャワーはビクリとして、恐る恐る三日月の方を見る。

 ライスシャワーはどちらさまだろう、という感じだったが、三日月の服に付けられたバッジを見て、三日月がトレーナーであることを察したようだった。

 

「ト、トレーナーさん……?」

「……まあ、一応。アンタはライスシャワー、だよね」

「そ、そうだけど……あの、ライスに何の用……?」

 

 怯えるように、声を震わせてライスシャワーは三日月に用件を問う。

 三日月は若干のやりづらさを感じつつ、単刀直入に聞いた。

 

「泣いてたから、どうしたんだろうって。選抜レースに出なかったのと──」

「ごっ、ごめんなさい……!」

 

 選抜レース、という単語が出た瞬間、ライスシャワーは頭を下げて謝罪の言葉を口にした。

 それに、三日月は少し驚いて、また質問をする。

 

「──なんで謝るの?」

「え……だ、だって……レースを勝手に休んじゃって、色んな人に迷惑をかけちゃって……お、怒ってるんだよね……?」

「別に。俺はアンタが泣いてたから、気になっただけだし。……なんでレースに出なかったの?」

 

 しゃがんでライスシャワーと目線の高さを合わせ、三日月は言った。ライスシャワーは言い淀みながら、ポツポツと話し始める。

 

「あ、あの……ライスは、ダメな子だから……何をやっても上手く行かなくて、みんなに迷惑かけて、周りの人を不幸にしちゃうから……。

 でも、ライスはかっこいいライスになりたいって思って、トレーニングもがんばって、レースに出ようって……みんなを笑顔にできる、ダメじゃないライスになろうって、思ったんだけど……上手く行かなかったら、どうしようって……みんなの前で走るのが、怖くなっちゃって……やっぱり、ライスはダメな子なんだって……」

「何でそんなこと言うの?」

 

 弱々しい、今にも消え入りそうなライスシャワーの独白。自分を卑下するライスシャワーの言葉を、三日月は一言で断じた。

 三日月の言葉に驚いたライスシャワーは、キョトンとした顔で三日月を見る。

 

「え……?」

「頑張ろうって思ったんでしょ? だったら全然ダメじゃないでしょ。

 本当にダメな奴ってのは、全部を諦めて何もしようとしない奴のことだよ」

 

 ライスシャワーの目を見据えてそう言う三日月の脳裏には、火星のスラムで飽きるほど見て来た「ダメな奴」が思い浮かんでいた。

 自分の置かれた環境に絶望し、全てを諦めて何もしようとしなかった、無気力な連中。彼らには未来なんてモノは無かった──いや、自分から投げ捨てていたと言えるだろう。

 

「アンタは変わろうと思って行動してる。ダメな奴じゃない」

 

 三日月の目には、そんなどうしようも無いダメな連中とライスシャワーが同じであるようには、到底見えなかった。

 少なくとも、ライスシャワーは選抜レースに登録していたし、そのためのトレーニングを積んで来たと言っている。ダメじゃないライスになりたい、とライスシャワーは思っている。

 だったら、後は勇気が足りないだけだ。後ろから背を押す奴がいれば、ライスシャワーは前へ進める。

 

「……そう、かな……ライス、ダメじゃないライスになれるのかな……?」

「まあ、多分。俺も手伝えるなら手伝う」

 

 よく分からないが、三日月はこのライスシャワーというウマ娘を、どうも放っておけないと感じていた。

 見たところトレーナーが決まってるわけでもなさそうなので、このウマ娘をスカウトするのも良いかもしれない、と思うが──どうやってやれば良いんだろうか、と三日月は疑問に思った。

 

(誘う、ってどうするんだ?)

 

 これまで誘われたことがあるだろうか、と三日月は脳内で思い浮かべる。──その上で、三日月にとって一番記憶に残っている誘いと言えば、やはり。

 

(オルガは、どうやってたっけ)

 

 とりあえず立ち上がり、右手の手のひらを服で軽く拭いてから、ライスシャワーに向けて差し出す。

 三日月の手を見つめ、目を瞬くライスシャワー。三日月はあの日──夕暮れの裏路地で、オルガに言われたことを思い出しながら、彼女に言葉をかけた。

 

「行こう。ここじゃないどっか──本当の居場所に」

 

 ウマ娘にとっての本当の居場所とは、こんな夜の学園のストレス発散スポットではなく、レース場だ。

 彼女たちは、走るために生まれてきたのだから。

 

「え、えっと……その、トレーナーさんはライスをスカウトしてくれてるんだよね……?」

「うん」

「あの、ええっと……ライスはとっても、とっても嬉しいんだけど……い、良いの? ライス、何にもできない子だよ……?」

「まあ俺も新人だし、何すれば良いかなんてよく分かってないし。同じじゃない?」

 

 言いながら「大丈夫なのかこれ」と思わなくもなかったが、とにかく三日月は手を差し出しながら、彼女の答えを待つ。

 ライスシャワーは戸惑っているようで、どうしようかと手を持ち上げては引っ込めている。

 

(ど、どうしよう……?)

 

 当然、ライスシャワーとしては困惑がある。ライスシャワーにとって三日月は今知り合ったばかりの名前も分かっていないトレーナーで、しかも新人で「何すれば良いのかよく分かってない」などと言う。

 ライスシャワーが不安を抱くのは当たり前だ。

 

(で、でもでも……ライスはダメじゃないって……一緒にがんばろうって、言ってくれてるんだよね……?)

 

 ライスシャワーは、トレーナーにスカウトされることなど初めてだった。

 選抜レースを無断で休むようなウマ娘をスカウトしよう、などと思うトレーナーはいない。選抜レースすら休む奴が練習に来るわけない、と思われるのは仕方の無いことだ。トレーナーとしても実績を積みたいのだから、そんなウマ娘を担当したがる者はいない。

 今後、もしライスシャワーがトレーナーになってほしいとお願いしたところで、なってくれる人は誰もいないかもしれない。もしかしたら、これが最初で最後のチャンスなのかもしれない。

 

 ライスシャワーは視線を上げ、三日月の目を見る。

 大きくパッチリとした、水色の目。真っ直ぐで綺麗な目だと、ライスシャワーは思った。

 その目を見て、ライスシャワーの心は決まった。

 後はほんの少し、少しだけ勇気を出すだけだ。

 

「あ、あのね……ライス、ドジでダメな子だけど……でも、ライスがんばるから……!

 だから、その……よ、よろしくお願いします……!」

 

 ライスは思い切り、右手を突き出した。

 三日月の手に勢い良くぶつかってしまうのではないか、というほどに思い切った行動だったが、三日月はその小さい手をしっかりと掴み取った。

 

「うん。よろしく」

 

 

   ◇

 

 

 夜。オルガ・イツカは、何となく学園内の練習コースに足を運んでいた。

 脳裏に渦巻くのは、やはり昼間に言われたこと。

 「ミホノブルボンにクラシックを走らせたいなら、スカウトして自分がトレーナーに良い」──正直、オルガにはできると思えない。

 

 そもそもそれ以前に、ミホノブルボンにクラシックを走らせることが本当に正しいことかも分からない。

 多くのウマ娘を活躍させて来たトレーナーであるラスタル・エリオンは、ミホノブルボンを短距離ウマ娘と見ている。マクギリスも「マイルまでか」と言っていた。恐らく、そうした見立てに間違いは無い。

 

 そのウマ娘の適性に合わせてレースを選択し、走らせる。それによってウマ娘を活躍させることこそ、ウマ娘のためになる。

 適性外のレースに出て、活躍できずに終わるのはウマ娘にとって良くないこと──それも間違い無い。

 

 だが、ミホノブルボン自身はクラシック三冠を目指しているという。

 本人の意志を曲げさせることが、挑戦もさせずに夢を諦めさせることが正しいことだとは思えなかった。

 

「───ん?」

 

 ふとコースを覗き込むと、日が沈んで時間が経っているにも関わらず、まだ人が残っていることにオルガは気づいた。

 一人のウマ娘が、ジャージ姿で暗いコースを走っている。

 ──そして、それはオルガが気にかけているウマ娘だった。

 

「2000メートル通過──規定タイムから4秒の遅れあり。ペースアップ、修整……!」

 

 息を荒げながら、ミホノブルボンはウッドチップを蹴り、懸命に前へと進んで行く。走りのフォームも少し乱れているようにも見え、全身から汗をかいているようだ。

 一体いつから走っているのだろうか、とオルガは驚きを覚える。それから、時間的にはもう帰るべきだろうと思って、オルガはミホノブルボンに声をかけることにした。

 

「……アンタ、こんな時間まで何やってんだ!」

 

 オルガがコースへ入り、少し声を張り上げてミホノブルボンに問うと、彼女は足を止めてオルガの方へ近寄って来る。

 近寄ると、更に彼女の疲労が見て取れた。無茶なトレーニングをしていることは、新人のオルガにも分かった。

 

「──トレーナーと認識。以前に商店街でお会いし、トレーニング用品店の場所を教えて頂きました。その節はありがとうございました」

「ああいや……って、そうじゃねぇ。こんな時間まで何やってんだ」

「自主トレーニングです。クラシック三冠を達成するためには、1分1秒を無駄にすべきではないと思っています」

 

 ──やはり、クラシック三冠だ。

 オルガは言っていいのか迷いつつ、今の内に言わない方がまずいことになると判断し、ミホノブルボンに告げる。

 

「……でもよ。アンタのトレーナーは、マイル以上を走らせる気は無いみたいだぞ。分かってんのか?」

「承知しています。確かに、私のデフォルトの適性距離は短距離かもしれません。しかし、スタミナは努力で補完可能であると考えています。

 そのため、独自のフローチャートから中長距離用のトレーニングを行うことで、身体機能をカスタマイズしているところです」

 

 中距離以上のレースで結果を出すことにより、路線変更を促すことができるハズです──と、ミホノブルボンは言う。

 ……そんなに上手く行くのだろうか。そもそも、中距離以上のレースに出させてもらえることは無いのではないか、とオルガには思えた。

 

「けど───」

「トレーニングを再開します。失礼します」

「──って、ちょっと待て!」

 

 速やかに走り出し、オルガの制止も聞かずに遠ざかって行くミホノブルボン。

 しかし、やはりその走りには精彩が欠けている。

 

「はっ、はぁっ、っ……!」

 

 呼吸が明らかに乱れている。走りのフォームからも安定感が失われている。

 やはり無茶なトレーニングだ。そもそもトレーナー側は短距離レースを見据えてトレーニングプランを組んでいるだろうし、自主トレで中長距離用のトレーニングをしたところで、限界があるようにも思われた。

 

(……クソ、しょうがねぇ。このまま放っておいたら、それこそヤバい気がするしな──担当じゃなくても、アドバイスくらいはセーフだろ!)

 

 オルガは「何とかならねぇのか」と思い、この世界に来た時に自動的に脳内へ叩き込まれたらしい知識を総動員する。

 そして、その中から改善策を見出した。

 

「走るんなら、ラップタイムを意識しろ!」

「───!」

 

 ミホノブルボンが足を止める。

 

「……ラップタイム、ですか?」

「ああ」

 

 ミホノブルボンの下へ走り寄りながら、オルガは頷く。

 ラップタイムとは、特定の距離を走るのにかかる所要時間のことだ。ウマ娘のレースでは1ハロン──200メートルごとに計測される。

 中長距離のレースでは、このラップタイムが重要である。いくらウマ娘が人間を遥かに上回る身体能力を有しているとはいえ、初めから全力で走っていては、当然2000メートルや3000メートルともなるとスタミナが持たない。

 道中は緩めのペースで走り、後半に向かうにつれてギアを上げて行くのが鉄則だ。

 

「一定のタイムを出し続けた方が、結果的に速くなるハズだ。それと、いきなり2000メートルとかじゃなくて、まずは1600メートルからやってみた方が良いんじゃねぇか」

「──しかし」

「まだ来年のクラシックまで時間はある。距離なんてだんだん延ばして行ければ良いだろ」

 

 昼間のレースを見るに、今のミホノブルボンには1600メートルがギリギリ。

 まずは1600メートルを息切れせずに走れるようになること。その次は1800メートル、更にその次は2000メートル──と、少しずつ延長していけば、いつか3000メートルにも到達するだろう。

 

「……了解しました。情報をインプット、体力を回復し次第、測定を開始します。

 また、ステータスを『おおらか』に変更」

 

 その後、ミホノブルボンは正確にタイムを刻んで走り、1600メートルの自己ベストを更新することに成功した。

 トゥインクル・シリーズの第一線で戦うにはまだ不十分なタイムだが、ジュニア級のデビュー前のウマ娘としては上々、といった具合である。

 

「──自己ベスト、更新しました。……ステータス『喜び』を検知」

「やったじゃねぇか!」

 

 表情こそ大きく変わらないものの、ミホノブルボンが喜んでいることはオルガにも伝わった。

 その無表情さは、どことなく相棒の三日月・オーガスのことをオルガに思い出させる。

 

(俺がちょっと下手なアドバイスしただけで、あっさり自己ベスト……すげぇな、コイツ)

 

 そして、オルガは改めて、ミホノブルボンの素質の高さを認識することとなった。

 それからオルガは、毎夜自主トレーニングを行うミホノブルボンの様子を見に行くようになるのだった。

 

 

   ◇

 

 

 気がつけば、日本ダービー当日まで5日を切っていた。

 午前の授業が終わった昼休み、トウカイテイオーは学園の食堂に足を運んだ。

 無敗でダービーに挑戦するとあってか、廊下では何度も声をかけられる。皐月賞の前よりもその頻度は高くなったように思う。

 

(やっぱりダービーだからかな?)

 

 そんなことを思いつつ、トウカイテイオーは食べ過ぎにならない程度に昼食を盛り、5つの椅子に囲まれた丸テーブルにトレーを置く。ゲン担ぎ、というわけでもないが、今日の昼食はカツ丼定食である。

 椅子の1つを引いて座り、手を合わせるトウカイテイオー。すると、そこに話しかけるウマ娘が1人。

 

「テイオー、ここ良い?」

「ネイチャ。勿論だよ」

 

 ナイスネイチャがトウカイテイオーから椅子を一つ飛ばして座る。なお、ナイスネイチャが持つトレーにもカツ丼が乗っていた。

 

「いやー、いよいよダービーの時期ですなぁ。色んな人に話しかけられて大変でしょ?」

「まあねー。知らない子にもいっぱい話しかけられてるよ」

「無敗の皐月賞ウマ娘ともなれば、そりゃそうなりますわ。三冠を目指せるのはアンタだけなんだし──」

「テイオーッ!」

 

 遠くから名前を呼ばれ、トウカイテイオーは声がした方を見る。話を遮られたナイスネイチャも、微笑ましいと言わんばかりにそちらに視線を向ける。

 その声は廊下、食堂の入口から木霊した。ドタドタと廊下を走る音がして、声の主が勢い良く食堂に駆け込んで来る。

 ツインテールの青い髪に青いメンコ、オッドアイの小柄で元気なウマ娘。トウカイテイオーとはクラスメイト、なのだが──

 

「──えっと、キミは……デュアルエンジン?」

「ツインターボ!!」

 

 生憎、トウカイテイオーの記憶にはあまり残っていなかったようだ。

 困惑した表情を浮かべるトウカイテイオーに、ツインターボはツッコミをするかのように名乗る。それから、トウカイテイオーを指差して言う。

 

「今週はダービー! ターボ、ダービーでテイオーに勝つから!」

「……急にどうしたのさ」

「ダービーはすっごいレースだって聞いた! だったらターボも出る! テイオーも出るって聞いた! だったらターボが勝つ!」

 

 堂々と宣言して胸を張るツインターボ。

 しかし、そこにナイスネイチャの柔らかなツッコミが飛ぶ。

 

「いやアンタ、ダービー出られないでしょ」

「えーっ!? マジで!?」

「アンタ青葉賞負けてたじゃん……」

「えっ!? 青葉賞? に出たらダービー出れるんじゃないの!?」

「……ターボさんや、優先出走権って知ってます?」

「──なんか、聞いたことあるもん」

「要するに『絶対ダービー出られるチケット』のことでしてね。青葉賞は2着以内にならないと、そのチケットが貰えないんですよ」

「そうなの!? じゃあターボ、ダメじゃん!」

「そうなんですよ」

 

 優しくツインターボにそう教えた後、ナイスネイチャは「とりあえずご飯取って来たら?」とまとめた。

 ツインターボは落ち込むこともなく「うん!」と言い、ウキウキで食堂のカウンターへと歩いて行く。

 

「アタシはハンバーグ定食に賭けますわ」

「……ねぇ、なんであの子はボクにあんなに対抗心燃やしてるの?」

「さあ……? でも、皐月賞の後にはアンタのこと『カッコいい』って言ってたよ」

 

 ある種の憧れなのかもね、とナイスネイチャは目を薄めて言う。憧れという言葉を、トウカイテイオーは「そうなのかな」と、少しピンと来ないように受け止めた。

 

「貴女に憧れ、対抗心を燃やしているのはあの子だけじゃないですよ」

 

 と。新たなウマ娘がまた一人、トウカイテイオーが座る席のところに現れた。

 

「──アンタ、シャコーグレイド!」

「初めまして。トウカイテイオーさんは久しぶり、でしょうか。

 せっかくですし、ご一緒しても良いですか?」

 

 皐月賞2着のウマ娘、シャコーグレイドである。

 ナイスネイチャと軽く自己紹介を交わしつつ、彼女はナイスネイチャとトウカイテイオーの間の席に座り、両手に1つずつ持っていたトレーを机に置いた。

 2つのトレーの上には、それぞれカツ丼が1つと水が1杯、味噌汁に加えて箸も一膳ずつ乗っている。

 

「2つも食べるの?」

「いえ、片方はワタシのモノではありませんよ。

 一緒に昼食を、と待ち合わせをしている方がいまして──おや、ちょうど来ましたか」

 

 件の人物を見つけたらしいシャコーグレイドは、合図として片手を上げて手を振った。

 すると、食堂の入口から1人のウマ娘が机に向かって歩いて来る。──片方の脚に包帯を巻き、片手で松葉杖を突きながら。

 

「トウカイテイオー、お主もいるとはな!」

「……イブキマイカグラ、だよね。どうしたのさ、その脚」

 

 昨年のGⅠ「阪神ジュニアステークス」を制し、皐月賞でも5着に入ったイブキマイカグラだ。

 イブキマイカグラはナイスネイチャと一言挨拶を交わしつつ、机に松葉杖を立て掛けて、トウカイテイオーの隣の席に座った。

 

「今日の朝の最終追い切りで骨折してしまってな。

 秋には復帰できるが、ダービーには出られなくなってしまったよ」

「──そっか。残念、だね。

 NHK杯の末脚、すごかったよ」

「ありがとう。お主にそう言われれば自信になるよ」

 

 イブキマイカグラは、トウカイテイオーの言葉に笑って返した。

 

 彼女は皐月賞の後、ダービートライアルのGⅡ「NHK杯」に出走した。東京レース場、芝2000メートルで行われるレースである。

 16番と不利な大外枠を引いたイブキマイカグラは、後方2番手からの追い込み戦術を取り、他のウマ娘14人を全員ブチ抜いて優勝した。

 それから、ダービーを目指し調整していた──のだが、直前のトレーニングでまさかの骨折。ダービーへの出走は幻となった。

 

 ダービーに出られない悔しさは、並大抵のものではないだろう。もし自分だったら笑っていられただろうか、とトウカイテイオーは思う。

 

「……イブキ。悔しくはないのですか?」

「悔しいさ。悔しいが──嘆き悲しみ喚いても、骨折が治るわけではない故な。

 後方一気の追い込みで大外からトウカイテイオーを抜き去る役目はお主に任せるぞ、グレイド」

「───無茶を言いますね」

 

 シャコーグレイドが確保したカツ丼定食を受け取りつつ、イブキマイカグラはそう言った。

 それから、トウカイテイオーとシャコーグレイドの目を見つめて、こうも言う。

 

「『最も運の良いウマ娘が勝つ』レース──ダービーは、出るだけでも運が必要だと言うことだろう。2人は悔いのない、最高のレースをしてくれ」

「……勿論です」

「うん」

 

 力強く頷いた2人に歯を見せて笑い、イブキマイカグラはカツを一切れ口に放り込んだ。

 そのやり取りを見ていたナイスネイチャは、ボヤくようにボソッと呟いた。

 

「キラキラしてますなぁ……パッとしないアタシなんかとは世界が違いますわ」

「そんなこと無い! ネイチャもキラキラしてる!」

 

 そのボヤきを、昼食を手に入れて戻って来たツインターボが否定する。

 その手にはハンバーグ定食。ナイスネイチャの予想はバッチリ的中していた。

 

「ありがとターボ。お味噌汁を(こぼ)さなかったのもえらい」

「へへん! ……ところで、この人たちは誰なのん?」

「ツインターボさん、ですよね。初めまして、ワタシはシャコーグレイドです。こちらはイブキマイカグラ」

「よろしく、ツインターボ」

「アンタ皐月賞見てたでしょ? 2人ともテイオーと一緒に出てたよ」

「マジで!? すごいじゃん!」

 

 ナイスネイチャとイブキマイカグラの隣の席に座りながら、ツインターボは驚きの声を上げる。

 

「というか、ターボのこと知ってるの?」

「青葉賞で逃げておられましたから。デビューした時から逃げ続けている個性派だと聞いています」

「個性派て。まあそうかもしれないけどさ」

「うん! ターボはずっと一番が良いもん!」

 

 シャコーグレイドの認識にナイスネイチャがツッコむ傍ら、誇らしげに胸を張るツインターボ。

 すると、イブキマイカグラがツインターボの肩に手を回し、少し意地悪な笑顔を浮かべて囁き始めた。

 

「──なあツインターボ、追い込みに興味は無いか? 最後の直線コースで全員を後ろからブチ抜いて勝つんだ。楽しいぞ」

「何それ!? 楽しそう!」

「コラそこ、ターボにヘンなこと教えない」

 

 呆れ顔でナイスネイチャがイブキマイカグラをたしなめる。しかし、イブキマイカグラはこれに反論。

 

「変とは失礼な。追い込みは気持ち良いぞ。お主もそう思うから追い込んでるだろう、グレイド?」

「……確かに成功すれば気持ちは良いですが、体格の小さいツインターボさんは、バ群に揉まれたりしたら大変でしょう。

 それと、ワタシが後ろから仕掛けるのはシービー先輩から助言を頂いたからです」

「──シービー先輩って、あのミスターシービー?」

 

 トウカイテイオーが確認するように問うと、シャコーグレイドは「はい」と首肯した。

 

「ターボ知ってる! 三冠取った人!」

「なるほど……お主の追い込みはかの三冠ウマ娘直伝のモノであったのか」

「はい。そもそも、ワタシがトゥインクル・シリーズに憧れを持ったきっかけは、シービー先輩の菊花賞でしたから」

「ああ、あの……なるほど、アレはすごかったよねぇ」

 

 イブキマイカグラとナイスネイチャが、シャコーグレイドの言葉に納得したように頷く。

 

 三冠ウマ娘、ミスターシービーの菊花賞。

 最後の一冠にして、19年ぶりの三冠ウマ娘誕生が期待されたレース。

 

 そこで、ミスターシービーはタブーを侵した。

 

 京都レース場外回りコースの名物、3コーナーに位置する高低差4メートルの坂──その上り途中から、ミスターシービーは「捲り」を行ったのである。

 

 「ゆっくり上り、ゆっくり下る」。

 それが淀の坂における鉄則であり、ある種のルールのようなモノだとされて来た。

 

 当然、坂の上りからスパートをかければ、その分スタミナを消耗する。

 京都外回りは最終直線が400メートルあり、坂の頂上地点からゴールまでは800メートル。

 上り坂でスパートなどすれば、とてもじゃないがゴールするまでスタミナが持たない。

 故にこそ、坂の途中から勝負をかけることはタブーだと、そう考えられていた。

 

 しかし、ミスターシービーは坂から捲った。

 最後方を追走していたミスターシービーは、坂の上りでスパートをかけ、バ群の外側から捲り上げた。

 400メートルの長い直線の入口で先頭に立ち、後ろから来る他のウマ娘を寄せ付けないまま、誰よりも最初にゴールを駆け抜けたのである。

 

 「史上に残る、これが三冠の脚」──実況アナウンサーは、ミスターシービーの豪脚をそう表した。

 タブーなど勝手に作られるモノでしかないことを、ミスターシービーは三冠の最後に証明してみせたのだ。

 

「シービー先輩みたいなウマ娘になるのが、ワタシの目標です。

 直線の長いダービーでは、必ず挽回してみせます」

 

 と。シャコーグレイドはトウカイテイオーを見据えて、そう宣言した。

 それにトウカイテイオーも応える。

 

「そういうことなら、尚更キミには負けないよ。

 ボクはカイチョーみたいなウマ娘になる。ダービーでも、誰よりも速く先頭でゴールしてみせる」

 

 2人の視線が真っ直ぐぶつかる。

 その中間に、ナイスネイチャは火花を幻視した。

 

 

 運命の日は、もう間近に迫っている。

 今週末、いよいよ世代の頂点が決定する───




次走「日本ダービー」
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