マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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15R 日本ダービー

 5月26日、日曜日。

 運命の日が、遂に訪れた。

 

 夏が近づいていることを告げるような、明るく暑い太陽の光に照らされた、府中の東京レース場。

 入場制限が敷かれるほどの大観衆が詰めかける中で行われる今日のメインレースは、最早言うまでもないだろう。

 

 GⅠ「東京優駿(日本ダービー)」。

 

 今年で第58回を迎えた、その年のクラシック世代の頂点を決定するレース。

 トゥインクル・シリーズの原点にして頂点。

 クラシック三冠、その二冠目でもある。

 

 日本ダービーは、かの英国の地エプソムダウンズレース場で行われている「ダービーステークス」を参考とし、50年以上前に創設された。

 第3回以降、この東京レース場の芝2400メートルから、一度たりとも舞台を変えることなく開催されている世代の統一戦。

 日本ダービーの日は「トゥインクル・シリーズの一番長い日」とも呼ばれ、「トゥインクル・シリーズの祭典」そのものである。

 

 全てのウマ娘──いや、全てのトゥインクル・シリーズ関係者にとっての夢にして憧れ。

 この日本ダービーを優勝することは、トゥインクル・シリーズ最大の栄誉の一つである。

 

 そんなダービーを前にし、今はトレセン学園のトレーナーを務める私、マクギリス・ファリドは、担当ウマ娘トウカイテイオーの控室に訪れていた。

 

 トウカイテイオーはこれまで五戦五勝。

 無敗のまま一冠目のGⅠ「皐月賞」を制し、今日の日本ダービーには無敗の二冠がかかっている。

 彼女の目標である「無敗の三冠」のためには、絶対落とせないレースだ。

 

「いよいよだな」

「うん」

 

 白と青を基調とした勝負服に身を通したトウカイテイオーは、私の言葉に落ち着いた様子で頷いた。

 その小さな肩には二冠のプレッシャーと、ファンからの圧倒的な期待、そして彼女自身の夢が背負いかかっているが──彼女はいつも通り、余裕のある笑顔を浮かべている。

 

「今日は20番──君はどうやら、大外枠に愛されているようだな」

「みたいだね。ピンク、似合うでしょ?」

「ああ。その通りだ」

 

 襟元のピンクのリボンを指でつまみ、ヒラヒラとはためかせながらトウカイテイオーは笑う。

 本当に余裕がある。枠順発表後にも同じようなことを言ったのにも関わらず、今またそんなことを言ってしまった私の方が、ともすれば緊張しているかもしれない。

 トウカイテイオーに限っては無いだろうが、トレーナーが緊張していては、ウマ娘にもそれが伝染る可能性がある。まだまだ私も未熟、ということだろう。

 

「……楽しそうだな、トウカイテイオー」

「うん、楽しみなんだ。勝った後のウイニングライブがね」

 

 ──本当に敵わない。彼女はあまりにも冷静で、自信に満ち溢れている。

 数時間後にダービーウマ娘になるウマ娘が、私の目の前にいた。

 

『第9レースに出走するウマ娘の皆様に、お知らせ致します。間もなく15時となりますので、時間までにパドックに集合するよう、お願い致します』

 

 案内放送が鳴り響く。──遂に、この時が来た。

 誰もが今日の日のために、心血を注いで来た。その結果が、日本ダービーの2分半であり──1時間後には、もう全てが決している。

 

「じゃあ、行って来る──ううん、勝って来るね。

 ブッ千切るからちゃんと見ててよ、トレーナー!」

「勿論だ。刮目させてもらうよ、トウカイテイオー。

 無敗の二冠ウマ娘が誕生する、その瞬間を」

 

 右手を軽く振りながら、トウカイテイオーは控室の扉を開け、出て行った。

 トウカイテイオーが去り、私だけになった控室は、酷く静かであるように感じられる。

 

 ──大丈夫だ。やれることは、全てやって来た。

 トウカイテイオーの体調は万全だ。トレーナーとして、これ以上やることは無い。

 レースに絶対は無いが、今日のトウカイテイオーの勝率を言えとなれば、90パーセント以上あると私は答えるだろう。

 

 決して弱い相手ではない。皐月賞には出走していなかった、この1ヶ月半で頭角を現した強豪もいる。

 フルゲート20人が出走することもあり、簡単なレースにはならないだろう。

 

 だが、今日はトウカイテイオーが一番強い。

 トウカイテイオーの勝利に終わると、私は信じる。

 

 彼女の勝利を誰よりも願い、誰よりも信じるのが、トレーナーとしてレース中にできる唯一のことだ。

 

「───ようやく、ここまで来た。

 今こそ世代を制しよう、トウカイテイオー」

 

 トウカイテイオーの背を追うかのような感覚を覚えながら、私も扉を開け、控室を後にした。

 

 

   ◇

 

 

「今年も、この時が来たか───」

 

 スタンド上階の関係者席には、トレセン学園生徒会長のシンボリルドルフが座している。

 彼女に憧れ、トゥインクル・シリーズを志したトウカイテイオーが無敗の二冠に挑むとあり、シンボリルドルフの心境も穏やかなモノではなかった。

 心配や不安が渦巻く中、新たなスターウマ娘に対しての大きな期待もまた、彼女の胸にはある。

 

「……あら、ルドルフ。緊張してるなんて珍しいわね」

 

 そんな彼女の左隣に座るのはマルゼンスキー。

 強張った面持ちのシンボリルドルフとは対照的に、スーパーカーと呼ばれたウマ娘は柔らかい笑みを浮かべている。

 

「不利な大外枠。ここからダービーを勝ったウマ娘はいない。初の2400メートル戦、初の府中の舞台でこの枠がどう出るか……」

「もう、らしくもないわね。いつもなら『逆境を跳ね返した者にしか栄冠は掴めない』とか言うところなのに。

 弱気になってないで、あの子の力を信じてあげなさいな」

「───それは、そうなんだが」

 

 困ったように苦笑するシンボリルドルフ。

 マルゼンスキーは「シャキッとしなさい」と言い、丸めた新聞をシンボリルドルフの頭に軽く当てた。

 

「二冠目がかかってるからって、あの子は気負ったりしないと思うけどね。

 アタシはグレイドちゃんの方が心配だなぁ。あの子マジメすぎるし」

 

 と言うのは、マルゼンスキーの左に座るミスターシービー。

 日本ダービーの重みを知るミスターシービーとシンボリルドルフには、今日出走するウマ娘たちの気持ちが理解できる。クラシック三冠を達成した彼女たちにとってさえ、その重みは他の二冠とはわけが違う。

 

「……分かっているさ。何であれ、私たちは見届けるだけだ」

 

 言いながらシンボリルドルフが足を組み直した時、実況放送がスタートし、場内に響き渡り始めた。

 

『今年も晴れ、良馬場で日本ダービーを迎えました。

 迎えて第58回、様々な試練を乗り越えて来た20人の優駿が、府中の地に集いました。

 世代の統一戦、日本ダービーの本バ場入場です!』

 

 拍手と歓声が、10万人以上の観客が押しかけるスタンドから湧き上がる。

 壮麗な音楽と共に、スタンド眼前の地下バ道の出口から、今年の日本ダービーに出走するウマ娘たちがその姿を見せ始めた。

 

 

   ◇

 

 

 パドックを去り、地下バ道を歩いてコースへと向かうトウカイテイオー。

 そんな彼女を、一人のウマ娘が待ち構えていた。

 

「初めまして、トウカイテイオー」

 

 赤と青と緑の勝負服に身を包んだ、鹿毛のウマ娘。

 髪は首元くらいのショートカットでその先端を跳ねさせ、青のカチューシャをし、尻尾の付け根辺りからは巨大な赤いリボンをマントのように伸ばしている。

 

「キミは、確か───」

「レオダーバン。

 ……いきなりだけど、今日は私が勝つから。確かに貴女は強いけど、東京レース場の経験は私の方が上。応援してくれるみんなのためにも、チームのためにも、私はダービーを勝ってみせる」

 

 本バ場からの光を背に、彼女──レオダーバンは、トウカイテイオーへ宣戦布告した。

 彼女のことは、トウカイテイオーも知っている。

 ダービートライアルのオープン特別「青葉賞」を勝ったウマ娘。堂々たる勝ちっぷりは、トウカイテイオーの印象にも残っていた。

 

 そして、彼女はマクギリス・ファリドがライバル意識を燃やしている(?)、ラスタル・エリオンのチームが送り出す強豪でもある。

 即ち、レオダーバンはシンボリルドルフと同じチームであるということだ。

 

「───悪いけど、勝つのはボクだよ。

 ボクは無敗の三冠ウマ娘になるんだから」

 

 自信に溢れた笑みを返すトウカイテイオー。

 レオダーバンも口元を緩めて、自信に満ちた笑顔を浮かべた後、トウカイテイオーに背を向けて戦場へと歩き出した。

 

「負けた後で、大外枠を言い訳にしたりしないで下さいね。──それではお互い、良いレースを」

 

 勿論、とトウカイテイオーは彼女の背に言い返す。

 それからひと呼吸置き、気合を入れ直して、彼女を追うように脚を踏み出した。

 

 

   ◇

 

 

 私がパドックを見終えてスタンドに行くと、皐月賞の時と同じくガエリオ・ボードウィンとその担当メジロマックイーン、加えてオルガ・イツカ団長と三日月・オーガスの姿があった。

 

「やあ。君たちも来ていたのかね」

「アンタが来いって言ったんでしょ?」

 

 素っ気なく言ってくる三日月・オーガスに対して微笑を浮かべながら、私は返す。

 

「このダービーは、トゥインクル・シリーズに関わる全ての者が目指す場所だ。

 ──君たちも、その重みを実感しているだろう?」

「……ああ。皐月賞の時ともまた違って、ピリピリしてやがる」

「なのにワクワクもするんだよな。……まあ、俺は担当ウマ娘の出走が無いからかもしれないが」

 

 オルガ団長が緊張した面持ちで口にする一方、ガエリオは自嘲するように適当なことを言う。

 それを諌めるように、メジロマックイーンがガエリオの脇腹に軽く肘鉄を入れた。

 

「いっ」

「そう言うなら、(わたくし)以外のウマ娘を担当することも考慮してみては? (わたくし)はダービーに出られませんでしたものね」

「いや待ってくれ、そういうことじゃない!

 というかそんな気は無い、俺はまだまだ半人前だしお前のサポートを万全にさせてくれ!」

「ガエリオの失言は許してやってくれ、メジロマックイーン。コイツは皮肉を言えるほど器用ではないよ」

 

 ガエリオに助け舟を出しつつ、その隣に並んでしばらく待っていると、本バ場入場の時間が訪れ、出走ウマ娘たちが姿を現し始めた。

 

 クラシック第一冠「皐月賞」で、日本ダービーへの優先出走権を得たウマ娘は五人。

 その内、4着のイブキマイカグラは先々週行われたダービートライアルGⅡ「NHK杯」に出走し、最後方からの見事な差し切り勝ちを収めたものの、怪我によりダービーは回避。

 5着のダンスダンスダンスも怪我のため、皐月賞後は休養に入っている。

 

 しかし、トウカイテイオーも含め、皐月賞3着までのウマ娘は無事このダービーに歩を進めて来た。

 その他にも、トライアルレースや重賞を勝ち抜き、出走して来ているウマ娘たちもいる。

 

 今回の本バ場入場は、そういったウマ娘たちに特に注目して見て行きたいところだ。

 

『皐月賞2着から、この直線の長い府中で巻き返しを図ります。

 1枠2番、シャコーグレイド!』

 

 皐月賞でトウカイテイオーを猛追し、2着にまで追い上げたシャコーグレイド。

 彼女の末脚は、恐らく東京レース場に合う。前走で最もトウカイテイオーに迫ったことからも、やはり侮れないウマ娘であろう。

 今日は3番人気という支持を受けている。

 

『皐月賞では果敢に先頭に立ち、やはり今回も逃げ宣言をしています。

 3枠6番、アフターミー!』

 

 皐月賞でもペースを作った逃げウマ娘、アフターミー。

 6番枠と内目に入った分、今回も彼女がハナに立ってペースを作るだろう。逃げ切れるとは思わないが、彼女がどれくらいのラップタイムを刻むかにより、レースの展開は大きく変わる。

 

『NHK杯で好走を見せたこのウマ娘が、ダービーにも参戦することとなりました。

 5枠10番、カミノスオード!』

 

 ダービートライアルのGⅡ「NHK杯」2着からの参戦となる、カミノスオード。

 レース間隔は短いが、イブキマイカグラの2着となった力は侮りがたいモノがある。

 

『関東のファンの期待を背負い、初のGⅠ挑戦です!

 5枠11番、レオダーバン!』

 

 日本ダービー指定オープンの特別戦「青葉賞」を制したレオダーバン。

 ──今回は、恐らく彼女が最大の強敵だ。

 ラスタル・エリオンのチームに属しており、ダービーと同じ東京芝2400メートルのコースを用いる青葉賞では、強い勝ち方を見せた。

 青葉賞からダービーを制したウマ娘はこれまでいないとはいえ、同じ舞台でかなりのパフォーマンスを発揮した事実を無視するわけには行かないだろう。

 ファンも青葉賞の勝ち方を評価しているのか、彼女は今日の2番人気に支持されている。

 

『ダービーへの最後の切符を掴み取り、自信を持ってやって来ました!

 6枠12番、コガネパワー!』

 

 GⅢ「京都クラシック特別」を勝ったコガネパワー。

 京都クラシック特別はダービーの優先出走権を獲得できるレースでこそないが、皐月賞とダービーの間に行われるクラシック級の重賞であることから、ダービーへの最終便とも言われるレースである。

 レース間隔は短いものの、重賞の舞台で結果を出してダービーに出走して来たことは評価しなければならず、みくびることは出来まい。

 

『皐月賞は3着に破れましたが、この東京でこそ本領発揮を期待したいところです。

 六枠十三番、イイデセゾン!』

 

 共同通信杯勝ちがあるウマ娘、イイデセゾン。

 皐月賞ではイブキマイカグラを破って3着に入り、優先出走権を得て今日のダービーに出走している。

 東京レース場での重賞を勝っていることからして、舞台が中山から東京に変わることが、このウマ娘にとってプラスになることは明らかだろう。

 

『さあそして、1番人気の登場です!

 無敗で皐月賞を制し、シンボリルドルフ以来の無敗の二冠が期待されます!

 皐月賞と同じく大外の8枠20番、トウカイテイオー!』

 

 ──今年の皐月賞ウマ娘であり、唯一「三冠」への挑戦権を持つウマ娘の入場だ。

 未だ無敗のトウカイテイオー。無敗の二冠への期待はファンの中にも大きくあり、堂々の一番人気に支持された。

 

『以上が、日本ダービーに挑む20人です。

 この中から、今年のダービーウマ娘が決まります!

 では、発走までしばらくお待ち下さい!』

 

 発走まで、およそ10分ほど。

 ウォーミングアップをするトウカイテイオーの走りから、彼女の調子の良さを見て取り、私は頷いた。

 

「……勝てば『二冠』か。重いな」

「ああ。だが、彼女はそうは思っていないさ」

「流石だな。だが、このダービーのタイトルは譲れないぞマクギリス」

 

 ガエリオの呟きにそう返すも、別の方向からあまり聞きたくない声が飛んできた。

 チラリとその方向を見ると、そこにはラスタル・エリオンが立っている。

 

「今年のダービーは、私のチームのレオダーバンが取らせてもらう」

「……青葉賞からダービーを制したウマ娘はいない。クラシック級のウマ娘にとって、一月の間に2400メートルを二度走るのは酷なことではないか?」

「トウカイテイオーにとって、この府中は初めての舞台だ。しかし、レオダーバンには同じコースで結果を出した実績がある。この差は必ず、最終局面で効いて来るだろう」

 

 自信たっぷりに言うラスタル。

 ──確かに、トウカイテイオーがこの東京レース場で走るのは初めてになる。

 だが、デビュー戦では中京を使って左回りは体験しているし、彼女の能力ならば2400メートルには必ず対応できるハズだ。

 

「若葉ステークスでトウカイテイオーの脚を把握したつもりならば、その見立ては間違っている。

 トウカイテイオーは間違い無く突き抜ける。今年のダービーウマ娘は、トウカイテイオーだ」

「──ほう。お前が他人をそこまで信用するとはな」

 

 目を細めたらしいラスタルから視線を外し、ゲート前に集まったウマ娘たちの方を見据える。

 十数分後には、全てが決している。私は待ち遠しさを感じながら、発走の時を粛々と待つのだった。




次走「二冠目」
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