『大変長らくお待たせ致しました。京都レース場、本日の第10レースはクラシック最終戦、GⅠ「菊花賞」です!』
11月上旬、京都レース場。
午後3時半を迎え、スタンドには数万の民衆が集まる中、実況とともに出走ウマ娘の本バ場入場が開始された。
その様子を、スタンドから見守るウマ娘がいた。
「──ありがとね、トレーナー。連れて来てくれて」
「構わないさ。君のために働くのが、専属トレーナーである私の仕事だ」
無敗の二冠ウマ娘、トウカイテイオー。
この菊花賞は、彼女の三冠が懸かるレースになる──ハズだった。
ダービー後の骨折によってレースに出られなくなった彼女は、菊花賞で復帰しようと治療に励んだが──結局、間に合わなかった。
それでも、出るハズだったレースを生で見たいと。自分の夢に踏ん切りをつけたいと、トウカイテイオーは彼女のトレーナーであるマクギリスに頼んで、今日の菊花賞を見に来たのである。
軽快な音楽と共に、勝負の舞台へと姿を現す同期のウマ娘たちは、彼女の桃色の目にどのように映っているのだろうか。
「──────」
どこかぼんやりとした、心ここに非ずといった様子で、ウォーミングアップをする出走ウマ娘たちの姿とターフビジョンを見つめるトウカイテイオー。
マクギリスはそれを傍目に、こう切り出した。
「……せっかく、客としてレース場に来たんだ。何か食べ物でも買って来ようと思うのだが、何かリクエストはあるかね?」
「じゃあ、焼きそばとリンゴ飴とチョコバナナとたこ焼きとフランクフルト」
「分かった。少し待っていてくれ」
トウカイテイオーのリクエストを聞いたマクギリスは、その場を離れた。
人混みの合間を縫ってスタンドを出て、屋台が立ち並ぶ広場の方へと向かう。レース場には子どもや家族連れにも対応できるよう、遊具が置かれていたり屋台が出ていたりするエリアもある。トウカイテイオーのリクエストした食べ物も、その辺りに売っているだろう。
人流をかき分けたことで少し乱れたスーツを整え、再び歩き出そうとしたマクギリスに、話しかける者が1人。
「彼女の側についていなくても良いのか、マクギリス」
「──貴様こそ、担当ウマ娘のレースの発走が間近だというのに、こんなところに立っているべきではないだろう。ラスタル・エリオン」
マクギリスと同じくトレセン学園のトレーナーである、ラスタル・エリオン。
今日の菊花賞は彼のチームに所属するウマ娘の一人であるレオダーバンが出走し、3番人気に支持されている。
人気順は前走セントライト記念で敗北したことが原因だろうが、レオダーバンにはダービー2着の実績がある。
ダービーで唯一先着を許したトウカイテイオーがいないこの菊花賞において、巻き返しは十分にあり得ると見られている。
「彼女の仕上がりは完璧だ。最後の一冠は貰ったよ。
──トウカイテイオーには悪いがな」
「無事にレースに出ること、身体が丈夫であることもまた、ウマ娘には必要なことだ。……トウカイテイオーの才能に、彼女の身体はついて行けなかった。いや、私がついて行かせてやれなかった。
笑いに来たというならば、好きにするが良い」
柱にもたれて腕を組むラスタルに対し、マクギリスは視線すらくれてやることなく言う。ラスタルは目を細め、続けた。
「笑いなどせん。ウマ娘の怪我は誰のせいでもない。
だがマクギリス、お前にしては意外だと思っただけだ。
お前はトゥインクル・シリーズで覇権を握るため、トウカイテイオーを見い出し、手を組んだ。お前という人間の性質を考えれば、お前は彼女を利用しているだけだと、私は思っていたのだが───」
マクギリスがトウカイテイオーの隣を離れたのは、彼女を気遣ってのことだ。情けない泣き顔など、知っている人に見られたいものではないだろう、と。
「敗北から得られるモノもある。俺はあの時──ガエリオに負けた時、そう知った。
彼女は必ず、この大きな挫折から這い上がることができる。そして再び、栄光を手にすることができる。俺はそう信じているだけのことだ」
言い残して、マクギリスは歩み去って行った。
その背中を見届け、ラスタルは「だ、そうだが」とマクギリスの視界に入らない位置に立っていた男に声をかける。
「どういうことだ、ヴィダール」
「───見えないフリをするのはやめた、ということか?」
ヴィダール、と呼びかけられた男──ガエリオ・ボードウィンは、人混みの中に消えていくマクギリスを見ながら、探るように呟いた。
◇
スタンドの群衆の中で1人、トウカイテイオーには場内に響き渡った関西GⅠファンファーレも、遠い場所のことであるかのように感じられる。
『さあ、待ちに待った第52回「菊花賞」のファンファーレです!
細江さん、この雰囲気たまりませんね!』
『そうですね、ファンの方々が今画面に映りましたが、手でリズムを取ってと言うか。本当にレースを楽しみにしていると言うか、待ちに待った菊花賞という思いが感じられますね』
『はい。さて、ゲートインはレオダーバンを先に入れて、後は順番通り。今、イブキマイカグラが入ります。ナイスネイチャも既に入っているようです』
1番人気に支持されたのは今日唯一のGⅠウマ娘であり、実績上位のイブキマイカグラ。
続く2番人気が前哨戦を快勝したナイスネイチャ、3番人気にはダービー2着のレオダーバンが続く。
『ヤングシゲオーが入って、これで18人のゲートインが終わりました!
第52回、菊花賞のスタートです!』
全員のゲートインが終了し、ゲートが開かれてウマ娘たちが一斉に飛び出した。
『ゲートが開いた!
まずまず揃ったスタートでありますが、フジアンバーワンでありますが外からフジヤマケンザンです。
シンホリスキーも行きました。フジヤマケンザンとそれから3番のフジアンバーワンの先行争い───』
「────始まっちゃった」
大観衆の歓声と拍手を背に受けながら、トウカイテイオーはポツリと呟いた。
本来なら、自分が「無敗の三冠」を懸けて走っているはずのレース。夢のために駆けていたはずのレースだが──今のトウカイテイオーは観客席にいて、ターフの上にはいない。いられない。
『18人が縦長になって、1周目のホームストレッチであります。大歓声が上がりますが、大歓声が波のようになって、こちらに押し寄せて参ります。
さあ各ウマ娘、落ち着いて行けるかどうか。各ウマ娘、落ち着いて行けるかどうか。ゆっくりとしたペースになりました、ゆっくりとしたペースであります』
自分の目の前を通過して行く、春までは自分と同じレースを走っていたウマ娘たち。
───それはとても、不思議な光景だった。
『もう一度、先頭から整理してみましょう。
これがホクセイシプレーです、13番。それから三番がフジアンバーワンで2番手、3番手シンホリスキーようやく落ち着いた。内を通ってマチカネヒオドシ4番手。その外へフジヤマケンザン、五番手であります。
それからその後ろでありますが、おっとここに9番のシャコーグレイド、シャコーグレイド。ブレエトワールがいました、18番がレオダーバンであります。ナイスネイチャ、ナイスネイチャ』
トウカイテイオーは現実味の無い世界で、ぼんやりと考える。
もし、自分が走っていたら、このレースはどうなっているのだろうかと。
『おっと、外からナカノハヤテが掛かって行った。ロングタイトル、ワンモアライブ、イブキマイカグラようやく動き出した8番。イブキがようやく動き出しました、イイデサターンがいる。
外からヤングシゲオー、キョウワユウショウであります。外からキョウワユウショウ、もう1人後ろにいる、もう一人これがイイデセゾンであります。
これで18人全部、これから第3コーナーの坂を上ります』
トウカイテイオーは、自分だったら6番手から7番手に付けるだろうと考える。
シャコーグレイドと並ぶか、その1列前辺り。ペースはそれほど速くないから、先行集団の後方から中団の前辺りがベストなポジションになるはずだ。
道中は落ち着いてリズム良く走り、坂で仕掛けたりすることも無い。勝負は最後の直線、上り坂の無い400メートルに懸ける。
「捲って来られても、ポジションは譲らず動かない。前のウマ娘をかわして、前が開いた状況で直線に入って、そこからスパートする。
一気に先頭に立って、後はそのまま───誰も、ボクに……追いつけないんだ……」
柵の上で握りしめた拳に、涙が零れ落ちる。
「うっ……うう……うあぁ……っ」
肩を震わせて嗚咽するトウカイテイオー。
泣き叫びたいほどだったが、背中にぶつかる大歓声が他人の存在を否が応でも意識させるので、何とか堪えようと歯を食いしばって俯く。
怪我は結局、今日までには治りきらなかった。治ったとしても、とても万全の状態では出られない。
大きな怪我をした時点で「無敗の三冠」は叶わない──分かっていた。ダービーの直後、全治半年を通告された時に、本当は分かっていた。
だけど、諦めたくなかった。
せっかく二冠まで行ったのに、怪我なんかで終わらせたくないと。ずっと怪我と向き合って、医者も驚くくらいの回復をして、早々に退院もして、できる範囲でリハビリもして──その努力は全部、菊花賞に出るためのモノだった。
挑んで敗れたならば、諦めもつくだろう。しかし、彼女は結局、挑戦すらさせてもらえなかった。
せめて間近で見届けて、自分の夢にケジメをつけようと、トウカイテイオーはここまで来た──が、そんなモノつくはずがなかった。
悔しい。悔しくて辛くて、諦めなんてつくハズがない。こんな現実、受け入れたくても受け入れられないし、そもそも受け入れたくもなかった。
彼女がもし菊花賞に出ていたらどうなったのか、それは永遠に謎のままだが──絶対に勝った。勝てたはずなんだという気持ちが、トウカイテイオーの中にはあった。
出たかった。走りたかった。これまでの全部は、今日の日のためにあったのに。
出てさえいれば、勝てたはずなのに────
「言わせないッ!!!」
───その時。
眼前を走るウマ娘の絶叫が、トウカイテイオーの耳に届いた。
大歓声に包まれるスタンドまで、走っているウマ娘の声が届くなんて──そう思って驚いたトウカイテイオーが、顔を上げると。
「言わせない言わせない言わせない!!!
『もしテイオーが出ていれば』なんて、絶対言わせない!!!」
「ワタシたちの方が、テイオーより上だ!!!」
「「「「上なんだああああああッ!!!!!」」」」
18人のウマ娘たちが、トウカイテイオーと戦っていた。
『さあ18人が固まった! すごいレースになった、すごいレースになった直線!!』
直線を向き、バ群は横に大きく広がっている。
全員が完全に横並び。残り400メートル、誰がここから突き抜けて来るのか、全く分からない状態だ。
「────あ……」
涙で歪む視界。それでも、走るみんなの姿は、その鬼気迫る表情はハッキリと捉えられていた。
トウカイテイオーは思う──何が「出てさえいれば勝てたはず」だ、と。
「……行け」
このレースを走る全員が、トウカイテイオーを追いかけている。彼女たちの目には、トウカイテイオーの背中が見えている。
そして、その背を追い越そうとしている。
トウカイテイオーが何だ。無敗の二冠ウマ娘が何だ───このレースを勝てるのは、今走る18人の中のただ1人だけだ。
「行けえええっ!!! 走れええええええっ!!!」
大歓声に乗せて、トウカイテイオーは叫んだ。
18人のウマ娘たちが、唯一の栄光を目指してトウカイテイオーの前を通り過ぎて行く。
『レオダーバンか、レオダーバンが先頭に立っている! フジヤマケンザン粘っている、おおっとレオダーバン完全に先頭!
イブキ来た、外からナイスネイチャ、イブキマイカグラ来た!! しかし、レオダーバンだレオダーバンだ!! フジヤマケンザン懸命に追い詰める、しかしレオダーバンか!!
レオダーバンッ!!!』
そして、一番強いウマ娘が、真っ先にゴール板を駆け抜けた。
『レオダーバンです!! ウマの世界でもレオ!!
レオダーバンです! そして2着は際どい、イブキマイカグラかフジヤマケンザンか!
18番のレオダーバン、ダービー2着の貫禄!』
1着、レオダーバン。
そこから1バ身半離れた2着は写真判定の結果、ハナ差でイブキマイカグラ。
3着には8番人気のフジヤマケンザンが入った。
4着はナイスネイチャ、5着にシャコーグレイドという形で、菊花賞は決着した。
それは即ち、今年のクラシック戦線の終結も意味している。
トウカイテイオーが無敗のまま皐月賞と日本ダービーを制し、二冠ウマ娘が誕生したものの、怪我による離脱で菊花賞は大混戦。
最後の一冠はレオダーバンの手に渡り、彼女はダービーの雪辱を晴らす戴冠となった。
「……ズルいよ、みんな。カッコよくなっちゃってさ」
スタンドから人の波が引いた頃、ボソッとトウカイテイオーは呟いた。
その口元には、爽やかな笑みが浮かんでいる。
「───待たせたな、トウカイテイオー。人の流れに逆らって来たせいで、時間がかかってしまった」
そんなトウカイテイオーのところに、彼女のトレーナーであるマクギリス・ファリドが戻って来た。
その手には、彼女がリクエストした食べ物がある。
「ありがと、トレーナー」
彼女はいくつかの意味を込めて、マクギリスに笑いかけた。その笑みを見て、マクギリスも笑った。
(もう乗り越えたか。流石だな)
マクギリスはトウカイテイオーの隣まで歩き、ターフに背を向けて柵に体を預ける。
トウカイテイオーはマクギリスの手から手始めにチョコバナナを受け取り、頬張りながら言った。
「そう言えばさ。ボク、一つ気づいたことがあるんだよね」
「……ほう? それは何かな?」
聞き返したマクギリスに、トウカイテイオーはチョコバナナを向けつつ不敵な笑みを浮かべる。
「ボク、まだ負けてないよね。
『無敗の三冠ウマ娘』にはなれなかったけど、もしかしたら『無敗のウマ娘』にはなれるんじゃない?」
その言葉を聞いて、マクギリスは目を見開いた。
そして、すぐに口元を緩めて、こう言い返す。
「もしかしなくとも、なれるだろうさ。──だが、それは修羅の道だぞ?
これから引退するまで無敗を保つということは、極論同世代相手に負けなければ良いだけの無敗のクラシック三冠とはわけが違う。ゴールも明確には決まっていない、終わりの無い戦いだ」
「ドリームトロフィーでカイチョーと戦うんだから、それくらいしなくちゃでしょ? 生涯無敗って、カイチョーでもできなかったことなんだし、良いじゃん」
「無敗の三冠ウマ娘」になることで、シンボリルドルフに並ぶことはできなかった。
だが、もし「無敗のウマ娘」になれたならば、トウカイテイオーはシンボリルドルフをも超えるウマ娘になれるだろう。
「フッ……フフフ、ハハハハハハハハハ!
やはり君は素晴らしいな、トウカイテイオー。夢破れた直後だというのに、これまでよりも遥かに難しい夢を掲げるとは。──いや、それでこそだ」
「どう、トレーナー。協力してくれる?」
「勿論だ。私で良ければ、いくらでも手を貸そう」
三冠が終わろうと、トウカイテイオーの競走生活は終わらない。
マクギリス・ファリドとトウカイテイオーは、新しい夢のために走り出した。
次走「クラシックの呼び声」