『トゥインクル・シリーズ史上に残る第105回、天皇賞の白い文字がくっきりと浮かんでいる、京都レース場。
4月26日快晴。人の数、11万人です。
出走ウマ娘14人が、3200メートルのスタート地点に集合しました。二度の坂越えです』
京都レース場は外回り、芝3200メートル──GⅠ「天皇賞(春)」。
トウカイテイオーとメジロマックイーン。
無敗を堅持する二冠ウマ娘と、連覇を狙う現役最強ウマ娘が初の直接対決を迎えるレースには、14人のウマ娘が出走する。
1枠1番、メイショウビトリア。
2枠2番、ダイユウサク。
3枠3番、ホワイトアロー。
3枠4番、ボストンキコウシ。
4枠5番、メジロマックイーン。
4枠6番、ゴールデンアワー。
5枠7番、カミノクレッセ。
5枠8番、イブキマイカグラ。
6枠9番、ノーブルターク。
6枠10番、バンブージャンボ。
7枠11番、タニノボレロ。
7枠12番、メジロパーマー。
8枠13番、ヤマニングローバル。
8枠14番、トウカイテイオー。
シニア級の選ばれし14人。今日、3分強の時を経て、春の王者が決定する。
(皐月賞、ダービーと同じ大外枠とは。距離のロスは避けたいところだったが、こればかりは仕方がない。
逆に言えば、内のメジロマックイーンを見ながら、レースを進めることができる枠だ。
去年の二冠と同じように、この程度の不利は覆してみせろ──トウカイテイオー)
トウカイテイオーのトレーナーであるマクギリス・ファリドは、トウカイテイオーの本バ場入場の様子を見て、彼女の調子の良さに自信を持っている。
大外枠であることも、むしろ幸運を味方につけたと考える。枠順不利を覆し、完勝した二冠の再現が期待できると、ポジティブに捉えていた。
(昨日、ギリギリまでトレーニングをして、完璧に絞り切った。阪神大賞典で叩いてから、マックイーンの調子は格段に上がっている。
枠も絶好の枠を引いた──後はいつも通り、マックイーンらしいレースをすれば勝てる)
メジロマックイーンのトレーナーであるガエリオ・ボードウィンも、マクギリスと同じように本バ場入場でメジロマックイーンの調子を確認し、自信を持っていた。
トウカイテイオーもメジロマックイーンも万全──後は展開と、2人のレース運びと能力が勝敗を決することだろう。
1番人気はトウカイテイオー。
そして2番人気がメジロマックイーンで、3番人気以降には大きな差がある。
『果たして両者の一騎打ちになるのかどうか、今年の大一番まで後2分少々となりました。スタート地点の岩巻アナウンサーに、バ場状態について聞きましょう』
『はい。2ヶ月ぶりの京都になりますが、やはりところどころ剥げているところがあります。
阪神が懐かしいんですけれども、向正面のスタート地点、やはりボコボコしてるところも目立ちますね。
先のレースに出走したウマ娘たちに聞きますと、ラチ沿いから3〜4メートルのところがあまり良くないんだ、ということを話してくれました。
やはりその辺り、位置取りもポイントになるのだろうと思います』
バ場状態、芝コースの発表は良。
とはいえレースではトラックバイアスの影響も考慮せねばならず、今日はやや外が伸びると見られるか。
「……あれ? これって───」
と、実況放送が発走前のまとめに入ろうとしていた頃。出走ウマ娘の1人であるメジロパーマーが、バ場から銀色の金属の欠片を拾い上げた。
ウマ娘が靴の裏側に打つ、脚を保護するための
「みんな、蹄鉄を確認して!」
メジロパーマーが破片を掲げながら声を上げると、13人が一斉に自分の靴の裏面を確認する。
前のレースに出走したウマ娘の物、という可能性もあるが、もしこの14人の中に蹄鉄が割れた──落鉄してしまったウマ娘がいた場合、そのまま走るのは危険である。
『おや? アレは──落鉄でしょうか?』
スタンドからゲート裏に集まったウマ娘たちを見ていた実況アナウンサーも、その異変に気づく。
そして、ゲート近くにいるアナウンサーも、状況を報告した。
『はい、どうやらメジロマックイーンの右の蹄鉄が落鉄したようです。これから打ち直しが行われます』
それに続き、淡々とした場内アナウンスがメジロマックイーンの落鉄を伝えた。
二強の一角であるメジロマックイーンに起きたアクシデントとあり、場内が騒然とする。
「……大丈夫か、マックイーン」
「──────」
ガエリオが心配そうな表情を浮かべる中、マクギリスはターフビジョンにアップで映るトウカイテイオーの表情に注目していた。
ターフに座り込み、靴を脱いだメジロマックイーンの様子を、トウカイテイオーは傍目に見ている。心配するような表情ではないが、やはり気になっている様子だ。
『これは……何か細江さん、胸騒ぎがしますね』
『そうですね──シニア級ですから、これで平静を欠くウマ娘はいないと思いますけれど、少し心配ですよね』
発走前からして、不穏な空気が漂い始めた。
他のウマ娘たちはメジロマックイーンのことを少し気にしつつも、レースへの集中を乱す様子は無い。
発走前に落鉄に気づけたことは不幸中の幸いであるし、単に打ち直せば済むだけの話なので、レースへの影響は発走時刻の遅延くらいのモノなのだが──得も言われぬ不安感が場内に流れているのを、誰もが感じ取っていた。
『スタート時刻が5分ばかり遅れるとのことです。15時40分のスタート予定だったんですが、15時45分。5分ばかり遅れるという発表がありました』
装蹄師がスタート地点にまでやって来て、メジロマックイーンの靴の裏に蹄鉄を打ち直し始める。
待たせる側はやはり焦るものであるし、待つ側は苛つきやすいものだが、打ち直してもらっているメジロマックイーンも、他のウマ娘も一見して冷静そのものに見える。
『ずーっと発走時刻が近づいて来るに連れて、ウマ娘の気合も高まってくるわけですよね。
待たされるとスーッと気合が抜けて行くんですが、細江さんこの辺り、逆にどう高めていくかですよね』
『そうですね、もう一度気合を入れ直して同じ条件で──五分の条件で勝負してほしいですね』
『3200メートルで3分20秒くらい時間がかかりますんで、できることならスムーズに、という願いでいっぱいでありますが──どうやら、そろそろ打ち終わったんでしょうか?』
メジロマックイーンがブーツを履き直し、立ち上がって右脚のターフを踏みしめる感覚を確かめる。
そして、待機していた他のウマ娘たちに一礼した。
「ありがとう、パーマー。外れた状態で走っては、危険なところでした。
お待たせして申し訳ありません」
「いいよいいよ。発走前に気づけて良かった」
メジロパーマーの言葉に、他のウマ娘たちも頷く。
その様子はターフビジョンにも映し出され、スタンドからは歓声と拍手が起こる。
『これで細江さん、ホッと一息ですね。
ではもう一度、まとめをお願いします』
『そうですね、今ちょっと落鉄というアクシデントがありましたが、私はやはり距離経験のある、実績のあるメジロマックイーンがややリードしていると思います。
トウカイテイオーはそれを凌ぐ素質を持ってますけれども、やはりこの京都の二度の坂を上って下るということ。それと、休み明け1回目が楽すぎただけに、厳しい面がもう一層欲しかったですよね。
ですから、それだけに私はマックイーンが本命、トウカイテイオーが対抗ということにしてみました』
改めて、出走するウマ娘たちが気合を入れ直す。
そしていよいよ、スターターがスタート台に向かって歩き始めると、発走を待ちわびる手拍子がスタンドでは鳴り響き出した。
『14人が無事、3200メートルのスタート地点で軽く頷き合っておりますが──
ちょっと胸騒ぎがするところでありますが、いよいよ対決の時が来ました!
さあ、GⅠ独特のファンファーレです!』
音楽隊による生演奏の関西GⅠファンファーレが、観客の手拍子とともに淀の空を震わせる。
世紀の対決を見届けようと、京都レース場に集った10万人もの観客が、ファンファーレの終了と同時に大歓声を上げ、巨大なスタンドが揺れた。
『ファンファーレが高らかに鳴り渡りました!
メジロマックイーンが少し、ゲート前で立ち止まっていますね』
『冷静な彼女にしてはちょっと珍しいですね。気合を入れ、心を落ち着けているのでしょうか。カミノクレッセを含めまして順番通りなんですが、今収まりました』
一方、ファンファーレと歓声も遠い向正面のスタート地点では、ウマ娘たちのゲート入りがファンファーレを待たずに開始している。
メジロマックイーンが入り、奇数番号のウマ娘の枠入りが終了。偶数番号のウマ娘たちが、続々とゲートに入り始めた。
『全国のファンが固唾を飲む14人のゲートイン、最後にトウカイテイオーのゲートインです!』
最後に1人、大外枠のトウカイテイオーがゲートへゆっくりと進んで行く。
『さあ、対決の時来たれり!』
トウカイテイオーがゲートに入り、その背後で扉が閉じられる。
14人が無事、ゲートに納まって──前扉が音を立て、一斉に開かれた。
『ゲートが開いた! まずまず揃って飛び出します14人!
マックイーンが行くのか、それともトウカイテイオーが行くのか! 先手を取るのはどちらだ!』
結局、予定時刻から8分ほど遅れてのスタート。
大きな出遅れは無し。向正面から第3コーナー、高低差4メートルの上り坂へ向かっての先行争いだ。
『さあ、外からメジロパーマー! 外からメジロパーマーが行った!』
先頭に躍り出たのはメジロパーマー。
一時は障害レースに転向していたこともあったが、平地に戻ってからオープン特別を経て、この天皇賞(春)は平地復帰後2戦目。昨年に次ぐ参戦だ。
『そして4番のボストンキコウシ! ゴールデンアワー、そして外からヤマニングローバル!』
(良し……! ペースを握って、最後の直線まで自分のペースで走れれば、私が勝てる!)
メジロパーマーは内心でほくそ笑む。
自らペースを作り、直線でもそれなりの脚を使えるような「逃げ」を打つ──そうすれば、後続を寄せ付けずにゴールが出来る。
メジロ家の期待はメジロマックイーンが一身に背負っているが、今日勝つメジロはマックイーンじゃないんだと言わんばかりに、メジロパーマーは先頭をひた走る。
(パーマーが行った──彼女のペースを見ながら、捕まえに行くタイミングは見計らいましょう)
『5番がスーッと下がりました、メジロマックイーンは現在6番手から7番手!』
メジロマックイーンはメジロパーマーの刻むペースを把握しながら、いつもより一列だけ後ろに控えた。
落とした時に捲って、捕まえに行けば良い──と、メジロマックイーンはゲートを出てからの10秒に満たない時間で考え、判断した。
この冷静な判断力、ペースを正確に把握する体内時計も、メジロマックイーンの武器の一つである。
『おお! 11番のタニノボレロを挟んで、14番トウカイテイオー!
トウカイテイオーの方が先に行くのか、トウカイテイオーどうするんだ! さあ、メジロマックイーンがやっぱり前に行きました!』
メジロマックイーンを見ながら、その後ろにはトウカイテイオーがピッタリと付けた。
右斜め前にメジロマックイーンの背中を見るというポジションを取ったトウカイテイオーを見て、マクギリスも「良し」と頷く。
(ここなら、君の動きが全部分かる。
ボクは君を倒して、無敗のウマ娘になる──!)
トウカイテイオーは笑い、メジロマックイーンについて行く。その気配はメジロマックイーンも察しているが、だからどうということもない。
今日もいつも通り、自分が最も得意とするレースをする──メジロマックイーンはそう決めている。
『1周目の第3コーナーの下り、1周目の第3コーナーの下り。
ゴールデンアワー、内を通って1番のメイショウビトリア、ちょっと掛かり気味。
そしてヤマニングローバル3番手、タニノボレロ4番手。その後ろ、その後ろからメジロマックイーン。ちょっと外に出して5番手。
内を通って2番ダイユウサク、この14番がトウカイテイオー。2バ身くらいメジロマックイーンの後方です』
坂を下って第3コーナーをカーブし、第4コーナーを迎える頃には、全体の隊列が決定した。
『1周目のホームストレッチに入って参ります。
カミノクレッセ、ホワイトアロー、イブキマイカグラと続きました。そしてノーブルターク、バンブージャンボ。これで14人全て。
さあ1周目のホームストレッチ、それから京都の大スタンドが唸ります。京都の大スタンドが捩れます』
京都外回りの大きなコーナーを曲がって、バ群はスタンド前の直線に出る。
14人のウマ娘を迎えるのは、10万人の大歓声である。
『メジロマックイーン5番、5番がマックイーン、14番がトウカイテイオー。
さあ京都レース場のスタンドのファンの皆さんと一緒に、テレビをご覧の皆さんも5番メジロマックイーンに注目下さい!
14番に注目下さい、トウカイテイオーです!』
超長距離戦で重要となって来るのは、平静を保つこと──折り合いを欠かないことである。スタミナの消耗を少しでも抑えなければならないからだ。
このホームストレッチ、スタンド前を横切る時には大歓声が嫌でも耳に入ってくるが、それにより冷静さを欠いたり狼狽えたりしてはならない。心の乱れはフォームの乱れに繋がる。
観客の大歓声と拍手はウマ娘を否が応でも高揚させるものだが、ここを如何に落ち着いて通過し、体力を温存できるかどうか。
それが最後の直線の1センチ、10センチ、1メートルの差につながるのである。
『ようやく歓声が鎮まりました。流石歴戦の強者14人、1人として引っかかるウマ娘はいません。
メジロマックイーンの作戦とトウカイテイオーの作戦、仕掛けどころも注目の的であります』
大歓声に背を押されながら、スタンド前を通過。
第1コーナーを経て第2コーナーへ突入し、14人の攻防はバックストレッチへと舞台を移す。京都の関門、第3コーナーの坂に向かう向正面だ。
『それでは14人、14人の位置取りをもう一度確認しておきましょう。
先頭を行きますのはメジロパーマー、大方の予想通り。2番手4番ボストンキコウシ、3番手11番タニノボレロ、そして4番手メジロマックイーン。
4番手、堂々とメジロマックイーン』
ここでやるべきは体力の温存と、ペースの見極め。
先頭に立つメジロパーマーの刻むペースを正確に把握し、捕まえに行くタイミングを──仕掛けるタイミングを間違えないようにすることが重要だ。
メジロマックイーンは自身の呼吸音、心臓の鼓動音に耳を傾けながらも、感覚でペースを掴んでいる。
『その後ろでありますが、おおトウカイテイオーが真ん中にいる。トウカイテイオー、3人の後ろ14番。
1番がメイショウビトリア、ヤマニングローバル。そしてゴールデンアワーがいて、14番トウカイテイオー。トウカイテイオーは右斜め前方にメジロマックイーンを見るような格好になりました。
7番がカミノクレッセ、そしてイブキマイカグラ』
トウカイテイオーもできる限りスタミナを消耗しないよう、走りながら呼吸を整えつつ、メジロマックイーンを見る。
メジロマックイーンが前を捕まえに行ったなら、一緒に動いて並びかける──そして、メジロマックイーンをかわし、最後まで末脚を伸ばし続ける。
それがトウカイテイオーがメジロマックイーンに勝つための作戦。超長距離、京都の3200メートルにおいては、メジロマックイーンに一度離されたら、二度と追いつくことはできないだろう。
(徹底的にマークして、最後にかわす──まだ余裕は全然ある、行ける……!)
後方のウマ娘はどうでもいい。いや、トウカイテイオーにとってはメジロマックイーン以外のウマ娘はどうでもいい。
メジロマックイーンを倒せば、この天皇賞(春)を勝てる。トウカイテイオーはそう確信していた。
向正面も中程を過ぎた頃───レースが動いた。
(……
メジロマックイーンが、ゆっくりとポジションを上げ始めたのである。
前のウマ娘が、最終直線のためにペースを更に落とす瞬間に合わせて、メジロマックイーンはペースを落とさないまま前との距離をジワジワ詰め始めた。
(動いた……!)
そして、メジロマックイーンに合わせてトウカイテイオーもポジションを上げていく。
残り1000メートルを過ぎて、内バ場に格納されたゲートを横切って、バ群は第3コーナーの上り坂に入る。
『おおトウカイテイオーが動いた、トウカイテイオーが動いた第3コーナーの坂!
春の盾は、春の盾は絶対に渡せないメジロマックイーン!
春の盾こそ絶対に欲しいトウカイテイオー!
さあ800の標識を過ぎた、これからが未知の道のり! これからが未知の道のりトウカイテイオー!』
4メートルの坂を上りきり、第3コーナーから第4コーナーへ向かって行く。ここからは下り坂、というところでメジロマックイーンが一気に加速をかけた。
「───正念場だ。ここからが辛いぞ、テイオー」
シンボリルドルフが呟く中、メジロマックイーンはぐんぐん前のウマ娘を追い抜いて、先頭に立っていたメジロパーマーに並びかけようとしている。
(き、来た……! 抜かせるもんか……!)
メジロパーマーも抵抗するが、メジロマックイーンは未だに涼しい顔。メジロパーマーの抵抗はほんの一瞬、ごくささやかなモノに終わろうとしていた。
そして、メジロマックイーンの後ろ、一列外にはトウカイテイオーの姿がある。
メジロマックイーンとトウカイテイオーが並びかける。
そのまま迎えるは第4コーナー。
最後の直線、坂の無い勝負の400メートルに出る。
『さあメジロマックイーン早くも先頭、マックイーンが先頭に立った! 14番トウカイテイオー、そしてカミノクレッセが外から襲いかかる!!』
「行くよ、マックイーンッ!!」
直線の入り口で堂々と先頭に立ったメジロマックイーン、その後ろにピッタリと付いていたトウカイテイオーが吼える。
メジロマックイーンはトウカイテイオーに一瞬たりとも視線を向けることなく、ただ前だけを見据えながらも、応えるように最後のスパートを開始した。
「勝負だ──行け、トウカイテイオー!」
「負けるな、マックイーン!」
マクギリスとガエリオも力が入る。
メジロマックイーンとトウカイテイオーだけではない──他のウマ娘たちも、メジロマックイーンに追随するように、一気に加速する。
『まだ2バ身の差がある、まだ2バ身の差がある! そしてホワイトアロー、イブキマイカグラが来た!
さあスパートした! マックイーンがスパートした!
トウカイテイオーは追い込んで来る! トウカイテイオーは追い込んで来る!』
10万人の注目が一点、直線入り口に集まった。
400メートルを残した直線コースで、メジロマックイーンとトウカイテイオーは同時に勝負をかける。
『負けるなマックイーン!!
負けるなトウカイテイオー!!』
実況の叫びは、10万人の総意と言えるものだった。
残り20秒足らず。遂に、ようやく、いよいよ、この対決に決着がつく───!
トウカイテイオーとメジロマックイーン。
2人が同時に、脚をターフに落とす。
ここから2人の末脚が爆発する。
弾丸のように打ち出される。
誰しもがそう予想し、疑わなかった────が。
加速したのは、メジロマックイーンだけだった。
(ッ、なんで───!!?)
トウカイテイオーはよろめく。メジロマックイーンは引っ張られるように加速する。
2人の距離が一気に開いた。
1バ身から2バ身、2バ身から3バ身。
覆しようのない、絶望の距離。
(脚が、前に行かない──なんで……!?)
トウカイテイオーは気づいていなかった。
自分の全身から流れる汗に。限界を迎えた心臓に。
酸素が不足し、肺が悲鳴を上げる。
トウカイテイオーの脚は、二度の坂越えによって余力を失い、爆発力を残していなかった。
『トウカイテイオーは動きが悪い!! トウカイテイオーは現在4番手!!
マックイーン逃げる!! マックイーン逃げる!!
トウカイテイオーは4番手!!』
スタンドから湧く大歓声は、メジロマックイーンの脚に見惚れてのモノか、トウカイテイオーの脚の不発を嘆くモノか。
マクギリスはトウカイテイオーの動きを見て、表情を険しくした。歯ぎしりし、コースを睨む。
「───距離適性の差が出たか……!」
ダメだ、とマクギリスには分かった。
アレはダメだ。あの差はどうにもならない。
努力では埋め難い、如何ともし難い差──持って生まれた「才能」の差が、今この瞬間に現れた。
トウカイテイオーはステイヤーではない。
メジロマックイーンは生粋のステイヤーだ。
中距離を走る才能は、メジロマックイーンよりもトウカイテイオーの方が上だろう。
だが、長距離を走る才能は、トウカイテイオーよりもメジロマックイーンの方が上だった。
この「天皇賞(春)」という舞台への適性において、トウカイテイオーはメジロマックイーンに劣る。
あまりにも、持って生まれたモノが違いすぎる。
『外からカミノクレッセ!! カミノクレッセが来ているぞ!!
カミノクレッセ、カミノクレッセが2番手!! イブキマイカグラが3番手!!
トウカイテイオーは現在4番手から5番手!!』
トウカイテイオーの脚は、自分のモノとは思えないほど動かなかった。
トウカイテイオーは歯を食いしばり、懸命に脚を前に出すが、トウカイテイオーの左側を、右側を他のウマ娘たちが走り去って行く。
(嫌だ──嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!
負けたくない、負けたくない!! 負けるわけにはいかないんだ!! ボクは無敗のウマ娘になって、天皇賞を勝って、カイチョーを超えるんだ!!)
酷いフォームだった。酷い顔だった。
いつもの涼しい顔をしたトウカイテイオーは、全身を跳ねさせるように、軽やかに走るトウカイテイオーの姿はどこにもなかった。
「こんな、こんなところで……負けるわけにはいかないんだああああああああああああッ!!!」
差は縮まらない。
メジロマックイーンの背中はどんどん離れていく。
トウカイテイオーの絶叫は大歓声にかき消され、トウカイテイオーはバ群に沈んで行く。
トウカイテイオーは手を伸ばす。
絶対に届かない手を、メジロマックイーンへ。
芦毛の長髪をなびかせ、遥か彼方へ遠ざかった背。
追い込んで来たウマ娘たちの追撃を振り切り、優雅に美しく駆ける名優の姿を、落日の帝王は歪んだ視界の中に見て───
───ああ、なんて綺麗なんだろう。
と。
諦めるように。認めるように、そう思った。
『さあマックイーンやった!! マックイーンやったッ!!
史上初、春の天皇賞連覇!!! メジロマックイーン!!!』
天皇賞(春)、決着。
一着はメジロマックイーン。絶対の強さを示し、史上初めてとなる天皇賞(春)連覇を達成した。
『どんなもんだい! メジロマックイーン、どんなもんだいと言ったところ!
恐れ入ったというトウカイテイオーは4着か5着!
2着はカミノクレッセです!
秋の悔しさを少しでも晴らしたか、メジロマックイーン! 春の天皇賞連覇は史上初!』
トウカイテイオーはメジロマックイーンから九バ身かそれ以上離れ、最後には追い込んで来た同期のイブキマイカグラにも躱される5番手での入線となった。
皇帝を継ぐ帝王、その無敗伝説は7戦7勝まで。
『そして、トウカイテイオーは4着か5着か!
呆気ない幕切れになりました! 呆気ない幕切れになりました!
トウカイテイオーは後200メートルで失速!』
息を切らしながら、トウカイテイオーはメジロマックイーンの方に視線を向ける。
メジロマックイーンは、右手を上げて10万人の大歓声に応えていた。目元を袖で撫でながら、トウカイテイオーはメジロマックイーンに背中から近寄る。
「マックイーン」
「、テイ──」
オー、とメジロマックイーンが振り向きながらトウカイテイオーの名を呼び終わらない内に、トウカイテイオーはメジロマックイーンに抱きついた。
そして、自分の顔をメジロマックイーンに見られないようにして、トウカイテイオーは一言告げた。
「おめでとう、マックイーン」
メジロマックイーンの肩に、トウカイテイオーの額が乗っかる。
わずかにトウカイテイオーの肩が震えていることにメジロマックイーンは気づきつつも、祝福の言葉に対して、トウカイテイオーを抱きしめ返した。
「ありがとうございます、テイオー」
どこからか湧き起こった拍手が、2人を包み込む。
トウカイテイオーはそれが遠いものであるようにすら感じながら、ボンヤリとした目でターフビジョンの着順掲示板を見る。
ようやく頭が追いついて来た、と思う。
(……ボク、負けちゃったんだ────)
ライバルの肩で涙を隠す。
嫌だ。悔しい。悔しくてたまらない。
それでも、不思議と晴れやかな気分でもあった。
初めての敗北を、トウカイテイオーは驚くほどすんなりと受け入れていた。
「───良いわね、ライバルって」
「ああ───」
スタンド上階。
マルゼンスキーの言葉に、シンボリルドルフは半分呆然とした状態で返した。
負けることなど当たり前だ。
一つのレースで勝つことができるのは、基本的にはたった一人だけである。
18人が出走したレースでは17人が敗者となる。
トゥインクル・シリーズとは、レースとは負けることの方が多い競技である。
シンボリルドルフとて、生涯無敗ではなかった。
彼女の無敗は無敗の三冠を達成した次のレース、ジャパンカップで早々に失われた。
生涯無敗のウマ娘は出られるレースが無くなって引退したマルゼンスキーか、幻と呼ばれる二冠ウマ娘か──というように、数えるほどしかいないのだから。
だが、そう分かっていても、トウカイテイオーの敗戦はシンボリルドルフにとってもショックなモノだった。
シンボリルドルフも、どこかで思っていたのかもしれない──トウカイテイオーが負けるはずはないと。
「……ここからだぞ、トウカイテイオー。
ここからが君の本当の戦いだ。這い上がってこい」
ライバルと讃え合うトウカイテイオーを見据え、シンボリルドルフは激励を──いや、祈るような言葉を呟いた。
「───今日は完敗だな。おめでとう、ガエリオ」
「ありがとう。だが、これが最後ってわけじゃないだろ? トウカイテイオーも、次は宝塚記念の予定だと聞いたが」
「ああ。出走の可否は調子を見た上で決定するが──次は、トウカイテイオーの得意距離での戦いだ。今日のようには行かんぞ」
「今度はマックイーンが挑戦者側、だな」
手を振りながらウィナーズサークルへ降りていくガエリオの背を見送って、マクギリスはトウカイテイオーに視線を向ける。
敗戦は残念だ。トウカイテイオーの夢はまた、潰えてしまうことになった。
だが、強敵に挑んでの敗戦だ。絶対に価値はある。この経験を糧に、トウカイテイオーはもっと強くなれるはずだと、マクギリスは考えている。
(私もまた反省し、次に生かさなければな。
───今日はメジロマックイーンに譲ったが、君はまた、必ず栄冠を手に入れられる。
敗北を乗り越えろ、トウカイテイオー)
無敗と連覇。
トウカイテイオーとメジロマックイーン。
2人のウマ娘の意地をかけた戦いは、メジロマックイーンに軍配が上がった。
だが、あくまでもこれは超長距離でのレース。
中距離で結果がどうなるかは、まだ分からない。
次の勝負は6月、宝塚記念。
春の総決算たる、灼熱のグランプリ。
仁川の地に、その舞台を移すことだろう───
次走「常識は敵だ」