マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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29R 菊の舞台へ

 9月が迫り、いよいよ秋のGⅠ戦線に向けた前哨戦が行われ始めた頃。

 オルガ・イツカはトレーナー室の執務机の前に座って、書類を睨みつけていた。

 

「よう。───何見てんだ?」

 

 トレーナー室のドアを開け、オルガの担当ウマ娘の1人であるレガシーワールドが入室してきた。

 難しい表情を浮かべるオルガの様子を見て、レガシーワールドはオルガの後ろに回り、オルガが持つ資料を覗き込む。

 

「へぇ。ライスシャワーの次走はセントライト記念に決まったのか。……で、ブルボンをどうするか悩んでると」

「───ああ」

 

 レガシーワールドの推察に、オルガは頷く。

 以前、保留としたミホノブルボンの次走──クラシック最後の一冠、GⅠ「菊花賞」の優先出走権が3着以内のウマ娘に与えられる3つのトライアルのうち、どれを使うかという問題。

 予備登録が行われ始める時期になってもまだ、オルガはこの結論を出せずにいた。

 

 夏合宿を越えて、ライスシャワーは成長を見せている──と、オルガはライスシャワーの担当トレーナーである三日月・オーガスから聞いていた。

 オルガ自身も、ライスシャワーをかなり警戒している。ミホノブルボンの三冠を阻むとすれば、それはライスシャワーだろうと。

 

 本番の菊花賞に向けて、今のライスシャワーの能力を測っておきたい。

 一方、ミホノブルボンのスタミナと京都コースへの適性を確かめるために、京都新聞杯を使っておきたいという気持ちもあった。

 

「悩むようなことか? 私をセントライト記念に出して、ブルボンを京都新聞杯に出せばいいじゃねぇか」

 

 と、オルガの悩みに対して、レガシーワールドはアッサリ言った。

 

 オルガが担当になってから、レガシーワールドは夏のレースに続けざまに出走して、結果を出している。

 7月中旬に福島レース場で未勝利クラスを勝ち上がり、7月末の昇級初戦を3着とした後は、8月中旬と下旬に連勝して、一気にオープン入りを果たした。

 

 彼女にはクラシック登録が無いので、本番の菊花賞には出走できないが、トライアルレースには出走が許されている。

 中山芝2200メートルは、条件的にもレガシーワールドに合いそうだが───

 

「───そりゃあ、そうかもしれねぇが……お前は良いのか? クラシック登録が無いのに、菊花賞トライアルに出る意味なんて」

「距離は私にとっても良い感じだし、クラシック級限定のGⅡだしな。直線も短い。狙えるところを狙うだけだろ。

 それに、私とブルボンは脚質も似てる。参考にはなると思うぜ」

 

 レガシーワールドの脚質は、ミホノブルボンと同じく「逃げ」。

 仮想ミホノブルボンとしてレガシーワールドがライスシャワーと一緒に走れば、ライスシャワーの脚を測れるかもしれない。

 

「……正直、助かるといえば助かるんだが──お前をブルボンの代わりに使うようなことだぞ」

「だから、私は狙えるレースを狙いに行くだけだって言ってんだろ。そのついでに、ってことなんだから気にするんじゃねぇ。

 それに──私だって、ブルボンの三冠は応援してんだよ。私はクラシックには出れねぇけど、チームメンバーとしてブルボンの助けになりてぇだけだ」

 

 オルガが座る椅子の背もたれに両肘をついて、レガシーワールドはそう言った。

 そこまで言われて、彼女の言う通りにしないという方が難しいだろう。

 

「───ありがとよ。じゃあ、お前をセントライト記念、ブルボンを京都新聞杯に登録しておく」

「おう。──まあ、ライスシャワーが京都新聞杯も出る、とか言い出したらアレだが、2200メートルならブルボンは負けねぇだろ。

 ……それと、さっき言ったことはブルボンには秘密にしてくれよ。恥ずいからな」

「分かった。約束するぜ」

 

 

  ◇

 

 

 そして当日──9月中旬、中山レース場。

 メインレースはGⅡ「ラジオ日本賞セントライト記念」。

 

 1番人気は夏の上がりウマ娘トレヴィットで、2番人気はGⅡ「NHK杯」五着の実績があるホワイトアクセル。

 ダービー2着、秋の始動戦を迎えるライスシャワーは3番人気。レガシーワールドはこれに次ぐ4番人気に支持されている。

 

「あの子が、前に言ってた新しい担当の子?」

「ああ。なかなかやるぜアイツは」

 

 スタンドの前列。左横に並んで来た三日月・オーガスの問いに、オルガは頷いた。

 オルガの右横にはミホノブルボンもいて、スタンド前に設置されたゲートの方向、ターフに立つチームメイトのレガシーワールドと、ライスシャワーの方に視線を向けている。

 

「───良しっ。がんばるぞ、おー」

 

 ゲート裏で拳を握り、小さい声で気合を入れるライスシャワー。

 

「……気合が入ってるじゃねぇか」

「ふぇっ!?」

 

 そんなライスシャワーに、レガシーワールドが話しかける。体操服の上に赤と緑のパーカーを羽織り、フードを被っているレガシーワールドの声を聞いたライスシャワーは、驚いて肩を跳ねさせる。

 

「悪ぃ、気持ちを乱れさせちまったか。ダービー2着のウマ娘で、ブルボンもウチのトレーナーも気にしてるからな。つい声をかけちまった」

「い、いえ……」

 

 すぐさま謝罪したレガシーワールドの様子に、ライスシャワーは少し緊張を解いた。

 レガシーワールドはパーカーと前髪で表情を読み取りづらいウマ娘なので、ライスシャワーとしては「ちょっと怖い人なのかな……?」と思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいと感じていた。

 

「な、何ですか……?」

「まあ、一応伝えといた方が良いかと思ってな。

 ───私は今日、自分がミホノブルボンのつもりで走る。ライスシャワー、アンタの脚を測るためだ」

 

 前髪に隠れていないライスシャワーの左目が、少し見開いたことに、レガシーワールドは気づいた。

 小柄なライスシャワーの紫の瞳を見下ろしながら、レガシーワールドはエメラルドグリーンの目を細める。わざわざ「アンタの脚を測る」と、敵に教えたことには意味がある。

 

「負けるつもりはねぇ。私がブルボンだとするなら、今日負けたら『無敗』が消えちまうからな。

 ───要するに本気で来いってことだ、ライスシャワー。抜かせるモンなら抜かしてみろ」

 

 お互い頑張ろうぜ、とレガシーワールドはライスシャワーに背を向け、左手を上げて言う。そして、ゲートに向かって歩いて行った。

 東京・中山の重賞ファンファーレが鳴り響き、出走ウマ娘たちのゲート入りが始まる中、ライスシャワーは胸の前で拳を強く握りしめた。

 

「───ブルボン。菊花賞のために、レガシーとライスシャワーをよく見といてくれ」

「了解しました。観測目標をレガシーとライスシャワーに設定します」

『最後に大外、14番のライスシャワーが入ります。

 11番が出走取消、13人立てのセントライト記念──ゲート開いた!』

 

 秋の淀、菊花賞への切符を懸けたセントライト記念、スタート。

 コースは中山レース場、右回りの芝2200メートル。

 スタート地点はホームストレッチの端、スタンド右手の引込線。第1コーナーまでの距離は432メートルあり、枠順による有利不利は少ない。

 直線コースの急坂を二度走る点、最後の直線は310メートルと短い点がポイント。小回りでコーナーが多いことから息を入れやすく、スタミナを温存しやすいとされることから、多少は距離適性を誤魔化せることもあるといった側面もある。

 

『さあ何が出て行きますか、あまりガンガン飛ばして行くウマ娘はいませんが、まだ固まっています。

 9番のレガシーワールドが行きました、予想通りレガシーがペースを作る構えであります』

 

 第1コーナーまでの距離が長い都合上、先行争いは激しくならない。

 前に取り付いたウマ娘たちは、互いに横を見やって様子を窺うが、レガシーワールドが無理なく先頭へと躍り出た。

 

(──ほんとに、言ってた通りだ)

 

 少し後方、中団付近でライスシャワーはレガシーワールドの背中を見据える。その視線を感じながら、レガシーワールドは口元を少し緩めた。

 

(さて、どういうペースで行こうかね。

 速くなり過ぎず、かと言って遅くはならない、緩まないペースで行くのがブルボンっぽい走りだが──大体1ハロンが11秒から12秒、ってのを維持する形がそれっぽいか)

 

 どうせなら徹底的にそれっぽく行こう、とレガシーワールドは決断した。

 レガシーワールドを先頭に、自然に無理なくバ群が形成されて行く。そして、レガシーワールドが真っ先に、第1コーナーを右にカーブする。

 

「───マスター。あの、タイムは」

「……ああ、良い逃げだな」

 

 1ハロン目が12秒9、2ハロン目が11秒2。3ハロン目が12秒2──と推移していくラップタイムを見て、ミホノブルボンは気づいた。

 それが、自分の刻むタイムに──ミホノブルボンが行う「逃げ」に似ているということを。

 

(ミホノブルボンみたいな逃げだ。ライスは中団──)

 

 三日月もそのことには気づきつつ、ライスシャワーに注目する。

 ライスシャワーの位置は現在中団付近。先行策を取っていたダービーの時に比べると、少しポジションが下がっている。

 

『奥深い2コーナーに向かう13人、先頭から見ていきましょう。

 先頭は9番のレガシーワールド立ちました。

 7番のタイガーエース2番手、その後方からジョージティムス。更にこれを追いまして6番のタイコウタップであります。人気の8番トレヴィット好位置キープ。1番のマイネルトゥルースが続く。

 更に14番、ライスシャワーです』

 

 第2コーナーを過ぎ、向正面へ。

 先頭は変わらずレガシーワールド、ライスシャワーは中団──大体6番手か7番手といったところ。

 レガシーワールドが作り出しているペースは速くはないが、スローと言うほど落ちることもない。レースが淡々と流れて行く。

 バ群は先頭から最後方まで8バ身から9バ身と詰まっていて、第3コーナーに差し掛かろうというところまで来ても、大きく隊形が変わることはなかった。

 

『さあ3コーナーから4コーナーへ向かっていく。

 13人がひと固まり、さあトレヴィットが早くも2番手に上がって来た!

 ライスシャワーがその後ろだ!』

 

 3コーナーを曲がった辺りで、道中は5番手付近につけていた1番人気のウマ娘が動いた。それに続くように、ライスシャワーもポジションを上げていく。

 

「ついてく、ついてく……」

 

 呟くライスシャワー。ただ、彼女が見ているのは1番人気のウマ娘ではない──並びかけられながらもペースを乱さず、先頭を維持するレガシーワールドだ。

 レガシーワールドはまだ余裕を残した表情で、前だけを見据え、自分に気合をつけるように言った。

 

「───勝負と行こうぜ。お前の脚を見せてみろ!」

 

 残り400メートルの標識の横を過ぎ、第4コーナーをカーブする。

 中山の短い直線、急勾配2メートルの坂が待ち受ける310メートル──最後の攻防の始まりだ。

 

『直線に向いた! 直線に向きました!

 レガシーワールドわずかに先頭か、レガシーワールドが依然として先頭!

 外からライスシャワー、ダービー2着のライスシャワー!』

 

 内ラチ沿いを走るレガシーワールドに、2人分程度のスペースを間に開け、ライスシャワーが並ぶ。

 

『200を切った、200を切りました!』

「───今……!」

 

 残り200で、ライスシャワーがスパートをかける。

 中山名物の急坂を駆け上がりながら、ライスシャワーがほんの少し、内のレガシーワールドよりも抜け出した。

 

『ライスシャワー先頭に立った、ライスシャワーが先頭に立った! ライスシャワーか!

 内の方でまだレガシー頑張っている!』

「抜かせねぇよ──!」

 

 外のライスシャワーを傍目に、レガシーワールドも坂を上りきるかというタイミングで、残しておいた力の全てを脚に込め、二の脚を使う。

 ライスシャワーを内から差し返す形で、再び2人の身体が横に一直線、全く並んだ。

 

『レガシー、そしてライスシャワー! ダービー2着はまた2着か! 2人並んでゴールイン!!』

 

 10秒と少しの競り合いの末、レガシーワールドとライスシャワーは、同時にゴール板に突っ込んだ。

 タイム差無しの1着と2着。しかし、両者の勝敗はハッキリと分かれた。

 

『わずかに内レガシー! わずかに内、レガシーが態勢有利!』

 

 1着はレガシーワールド、2着にライスシャワー。

 レガシーワールドは重賞初制覇を果たし、ライスシャワーは重賞初勝利とはならなかったものの、差の無い走りで菊花賞の優先出走権を獲得した。

 

「ッ──ハァ、ハァ……あっぶねぇ……!」

 

 レガシーワールドは大きく息を吐き、減速しながら傍目にライスシャワーを見る。

 負けたことで、ライスシャワーは少し俯いていたが──その息が、自分ほど乱れていないということに、レガシーワールドは気づいた。

 

「────マジか、あのヤロウ……」

 

 半笑いでレガシーワールドは呟く。

 ライスシャワーにキレる脚は無い。だが──ライスシャワーのスタミナは、まだまだ底が見えていない。

 

「……ライスシャワー───」

 

 スタンドから見ていたミホノブルボンも、ライスシャワーがまだまだスタミナを余していることに気づいていた。

 直線がこの中山より100メートルも長くなり、このセントライト記念と比べて、施行距離が800メートルも延長する菊花賞。

 やはり、ミホノブルボンの三冠にとって、ライスシャワーは最大の脅威となり得よう。

 

(───本番は勝とう、ライス)

 

 三日月は表情を変えることなく、その目はただ、菊の舞台を見据えていた。

 

 

   ◇

 

 

「───ありがとうございます、レガシー」

 

 表彰式を終え、控室に引き上げて来たレガシーワールドに、部屋の前で待っていたミホノブルボンはそう言った。

 レガシーワールドは目を丸くしつつも、フードの縁を右手で摘んで下げつつ返す。

 

「……いきなりどうした。何のことか分かんねぇな」

「今日のレース──貴女の逃げ方は、私の逃げ方によく似ていました。私の菊花賞のために、わざとああいうレースをしたのでしょう?」

「気のせいだろ。偶然だよ偶然、自惚れんじゃねぇ。

 ──ただまあ、アレだな」

 

 照れ隠しのようにフードの内側に手を突っ込み、頭を掻くレガシーワールド。

 そして、鋭い視線をミホノブルボンに向けた。

 

「キレる脚がライスシャワーに()ぇことは分かったが──ある意味これで、向こうにも情報を与えちまったかもしれねぇ。

 それに、アイツのスタミナは底が見えねぇままだ」

「はい。───しかし、負けるつもりはありません」

 

 貴女のためにも、とミホノブルボンは拳を握る。

 レガシーワールドは「私のことなんて気にすんな」と言いながら、ミホノブルボンにこう忠告した。

 

「お前は京都新聞杯から、だったよな。

 私に言われるまでもねぇと思うが──気負うなよ。いつも通りの走りをしなけりゃ、持たねぇぞ」

「───分かっています」

 

 

   ◇

 

 

 10月に入り、京都レース場は芝2200メートルで行われたGⅡ「京都新聞杯」。

 これまで6戦6勝、無敗の三冠が見えているミホノブルボンは、圧倒的な1番人気を背負って出走した。

 

 なお、2番人気はライスシャワー。

 結局セントライト記念から転戦して来た形になり、ミホノブルボンと直接相まみえることとなった。

 

『完全にミホノブルボン先頭だ! ミホノブルボン先頭! 余裕があるミホノブルボン、三冠に向かって視界良し!

 ミホノブルボン快勝、圧勝です!! ミホノブルボン、7戦7勝!!』

 

 レースは普段通り、ミホノブルボンが逃げてライスシャワー以下の後続を完封した形。

 秋になってもミホノブルボンの優位は変わらず。ファンがミホノブルボンにかける「三冠」への期待は高まる一方である──が。

 

「勝利しました、マスター。これで、三冠へ……自信を持って、挑めます」

「───ああ。ご苦労さん、ブルボン」

 

 引き上げて来たミホノブルボンが、肩で息をしていることに、オルガは気がついた。

 休み明け、久々のレースの分か。今回レースを走ったことで、次の菊花賞では、ミホノブルボンの体調はまた上がって来るハズだ──と、オルガは見ている。

 

(……クソ──何なんだよ、この不安は)

 

 ミホノブルボンは夏合宿も経て、更にその能力に磨きがかかっているハズだ。

 決して向いているとは思えないが、今のミホノブルボンならば3000メートルのレースもこなせるハズだ。

 

 ミホノブルボンならば菊花賞を勝てる。

 無敗の三冠を達成できる──オルガはそう信じている。信じなければならない。

 

 だが──何とも言えない不安感が、オルガの胸中には残り続けていた。




次走「黒い刺客」
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