日が沈み、世界が影に覆われた頃。
トレセン学園近くの公園に訪れた私は、そこで彼女の姿を目にした。
「───やはり、ここに来たか」
トウカイテイオーの正面に立ち、蒼い目を見据えて話しかける。
トウカイテイオーは私の姿を見るや、少し驚いたような表情を浮かべたが、それはすぐに眉をひそめてムッとした表情に変化した。
「……キミか。ボクに何の用?」
「そう邪険にあしらわないでくれたまえ。
探すのに少し手間取ってしまったが──夕方の模擬レースの後から、ずっと練習をしているのか?」
彼女の様子を見て、私はそう問うた。
トウカイテイオーは学園指定のジャージを身に着けており、額に汗が浮かび、少し息も上がっている。彼女が今まで走っていた証である。
「脚が震えているな。模擬レースで1600メートルの全力疾走を行った後、更に長い時間を走ったことで、君の身体は限界を迎えている。
今日はここまでにしておくことだ。君が輝くのはまだまだ先のこと──今は、その身体を大切にした方が良い」
「──そんなの、ボクの勝手でしょ。放っておいてよ」
「悪いが、そういうわけには行かないな」
「ッ、何なのさ! ボクのトレーナーでもないくせに!」
……どうやら、トウカイテイオーは苛立っているようだ。何に苛立っているかは想像がつくというものだが、その前にまず、彼女の無茶をハッキリと止めておかねばならない。
「いいや。今日はまだ終わっていない。日付を越えるまでは、私は君のトレーナーだ。トレーナーとして、これ以上身体を酷使することは看過できない。
君が遥かなる頂きを──『無敗の三冠』を本気で目指しているというのなら、尚更のことだ。自分の身体は大切にしなければならない。
怪我などしてしまった時には、勝ち負け以前に出走することすらできなくなるのだから」
トウカイテイオーの目指す「クラシック三冠」──皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞は年に一度しか行われず、またクラシック級のウマ娘しか出走できない。
そして、クラシック級に所属していられるのは、たったの一年だけ。
人生に一度しか出走できる機会は無く、その一度を逃してしまえばそれで終わり。
三冠を達成する機会は、永遠に訪れないのである。
過去トゥインクル・シリーズにおいて、二冠を達成しながら三冠を達成できなかった者の数は、片手では数えきれないほどいる。
その中には怪我によってそもそも出走すら叶わず、挑戦すらできずに三冠を諦めなければならなくなった──三冠を達成できなくなったウマ娘も多い。
「────」
私の言葉の意味を理解してくれたようで、トウカイテイオーは黙りこくった。
そんなトウカイテイオーに、私は改めて問う。
「───聞かせてもらえないか、トウカイテイオー。
君は今日、何を思った? 何を感じた? 君は今、何故そうまで苛立っている?」
トウカイテイオーの目を見据える。トウカイテイオーはわずかな逡巡の後、口を開いてくれた。
「……負けたのは当たり前だと思う。相手はカイチョーで、ボクの憧れで、すごいウマ娘なんだから。
でも──みんなの声援を浴びてるカイチョーを見た時に、なんか……すごく、モヤっとしたっていうか、胸がイガイガしたんだ。何だか分かんないけど、それが、全然消えてくれないんだ。
どれだけ走っても、ずっとイガイガしてる。こんなこと、今まで無かったのに」
これ、何なのかな──と、トウカイテイオーは己が胸に手を当てて、俯きながら言う。
言葉を探しながらの吐露を、私は黙って聞き届けることにする。
「カイチョーが勝つところを見るのは、すごく嬉しいハズなんだ。だって、カイチョーは最強のウマ娘で、一番カッコいいんだもん。
勝つのが当たり前だと思われて、それで本当に勝っちゃうカイチョーが、ボクは大好きなんだ。カイチョーが負けた時はすごく悔しくて、でもその次のレースで必ず勝つカイチョーは、誰よりもカッコよくて。
──今日だって、そうだったのに。カイチョーは当然のように勝って、いつも通りにみんなから讃えられてた。……いつも通り、だったのに。カイチョーは今までと同じだったのに、なんかボクだけヘンなんだ。
──ねぇ、これって何なの? ボク、なんでこんなにモヤモヤして、胸の中がイガイガしてるの?」
トウカイテイオーが抱いているのは「悔しさ」だ。
シンボリルドルフとレースをしたことで、トウカイテイオーにとってシンボリルドルフは単なる憧憬の対象ではなく、越えるべき相手──「勝ちたい」と思う相手になったハズだ。
実際に、トウカイテイオーはシンボリルドルフに勝ちに行った。七冠ウマ娘を相手に臆することなく、皇帝をかわそうとした。果敢に勝負を挑み、しかし絶対的な力量差を見せつけられ、打ちのめされた。
負けることは当然だ。今のトウカイテイオーとシンボリルドルフでは、能力も経験も違いすぎる。
あの模擬レースにおいて、シンボリルドルフは常に最内を回って、最短距離を走っていた。
シンボリルドルフが最内を通る以上、トウカイテイオーはその外側を走らなければ、シンボリルドルフを追い越せない。その分、トウカイテイオーはシンボリルドルフよりも距離を多く走らなければならなくなった。
また、後ろから前を追い越すには前よりも速く走らなければならないが、シンボリルドルフとトウカイテイオーではスピードの最大値も持続力も桁外れだ。勝負になるハズがない。
問題は負けたことではなく、負けてどう思うかだ。
「負けてしまったが、当然だし仕方がないことだ」というだけで済ませてしまえる者が、上に行くことはできない。それは納得ではなく、単なる諦めだ。
そこには奮起する心が無い。勝ちに行こうとする姿勢が無い。精神的にも敗北している。
そんな向上心の無い者は、遠からず
ジュニア級・クラシック級の1年半の間に勝ち上がることができず、その多くが地方のトレセン学園か普通の学校へ転校することになるのだ。
だが──「負けてしまった、悔しい。次は勝ちたい」と思うことができる者は、勝つための努力をすることができる。
這い上がるために足掻き、勝ち上がるために奮起し、上を目指そうとする向上心を備えている。
無論、その努力が必ず報われるとは限らないが、精神的には敗北していない。
少なくとも、諦めてしまっている者とは違い、トレーナーとしてはサポートのしようがある。
(諦めるようなら、素質はどうあれそれまでだが──やはり、君は違ったようだ)
トウカイテイオーは後者である。
彼女は天才だが、努力は惜しまない。苦痛にも耐え得る。
気を晴らすことが目的とはいえ、こんな時間までずっと走っていることは相当辛いことであるハズなのに、彼女はやっている。それができるなら、今は届かなかった背中を越えることも夢ではない。
しかし、その「悔しい」という感情には、自分で気づかなければならない。言って教えるのは簡単だが、それでは自分で気づくよりも効果は薄いだろう。
「そうだな──ならばもう一度、シンボリルドルフの勝つ姿を見てみるというのはどうかな?」
故に、こう提案することとした。
トウカイテイオーは提案の意味の想像がついたようで「それって……」と言い、私は頷く。
「ちょうど今週末、サマードリームトロフィーの予選となるレースに、シンボリルドルフが出走する。それを見に行ってみるとしよう」
私の提案に、トウカイテイオーは頷いてくれた。
「───うん。もう1回カイチョーのレースを見てみたら、何か分かるかもしれないもんね」
「ありがとう。
──今日はもう休むと良い。寮まで送らせてもらおう。夜に少女を1人で帰らせるわけにはいかないからな」
◇
週末、土曜日。
私はトウカイテイオーと共に、サマードリームトロフィーの予選を見るべく、仁川の阪神レース場を訪れた。
「そろそろだな」
「……うん」
腕時計を眺めて呟くと、隣のトウカイテイオーが頷いてくれた。
今日はクラシックGⅠ第一弾となる「桜花賞」の前日になる。通常、土曜日のレース場は人手が少なくなるものだが、今日の予選はシンボリルドルフが出走するということもあってか、スタンドには6万人以上が詰めかけている。
一番人気は当然、シンボリルドルフ。
コースは右回りで、1周の芝2000メートル。
今日の対戦相手にシンボリルドルフを差し得るウマ娘はいないと見られ、敗北などあり得ないと誰もが考えているのか、圧倒的な支持を集めている。
『さあ、今日の阪神レース場最終レースはドリームトロフィーリーグ。
7月初週に開催される「サマードリームトロフィー」、その予選リーグがいよいよ開幕となります!
実況は赤坂、解説は細江さんでお送りします』
『よろしくお願いします』
場内放送で実況解説の音声が流され始めた。
ファンからも関係者からもすっかりお馴染みの実況担当と解説者である。
スタンド眼前のスタート地点にズラリと揃った出走メンバーを傍目に、私も放送に耳を傾けることとした。
『改めてご説明致しましょう。
この「ドリームトロフィーリーグ」は、トゥインクル・シリーズで素晴らしい成績を収めたウマ娘だけが進むことのできるレースプログラムです。
現役を退いたスターウマ娘たちが活躍し、世代を越えて雌雄を決する、まさしく夢のレース──その総決算となるのは夏と冬、年に二度行われる「ドリームトロフィー」。
そして今週──クラシック戦線の開幕と同時に、「サマードリームトロフィー」を目指しての予選リーグがスタートします!
しかし細江さん。今年は初週から、ドリームトロフィーリーグの中でも「最強」と目されるウマ娘が出走となりました!』
『そうですね。史上初、無敗でのクラシック三冠制覇を達成し、GⅠ7勝という華々しい成績を残した「皇帝」シンボリルドルフ──ここを弾みにして、本番でも一番にゴール板を駆け抜けてくれることに期待したいです』
『なるほど──やはり、細江さんの目にも今日のシンボリルドルフの状態は良さそうに見えますか?』
『はい。10割の仕上げではありませんが、素晴らしい状態にあると思いますね。今回のメンバーを相手に遅れを取ることは無いと思います』
この解説の女性のウマ娘を見る目は確かだ、と評判である。
そして、私の目にもシンボリルドルフの体調は良いように見える。今週、急遽模擬レースに付き合わせてしまったことにより、調整が狂ってしまっていないかが少々気がかりだったが、シンボリルドルフほどのウマ娘には無用な心配であったようだ。
『さあ、栄光のサマードリームトロフィーに向けて! 予選リーグ、開幕を告げるファンファーレです!』
スターターが台の上で旗を振り、場内にファンファーレが鳴り響き始める。6万人の手拍子と歓声が、晴れ渡った夕空を突き上げた。
GⅠ並みの万雷の拍手と大歓声。私としても、心躍らずにはいられない。
『さあ、各ウマ娘の枠入りが始まります。
阪神2000メートル、先週の大阪杯と同じコースで行われます本日の予選。1番人気は勿論シンボリルドルフとなっていますが、今日は大外枠です。
細江さん、このシンボリルドルフの大外枠というのは、どうご覧になられますか?』
『はい、全く問題無いと思います。人数も8人と少ないですし、このコースはスタートから第1コーナーまでの距離が長いですよね。
ですから、少人数で阪神2000メートルなら、枠は心配無いと思います』
『ありがとうございます。
さあ、枠入りは順調で早くも最後、シンボリルドルフを残すのみ──今、納まりました!』
シンボリルドルフが、8枠8番枠に入る。
これで全員のゲート入りが完了。ゲートの番号プレートに並んで設置された赤いランプが点灯し、スターターの合図によって電動ゲートが音を立てて開かれた。
『スタートしました!』
それと同時に、8人全員が一斉にゲートを飛び出した。流石はドリームトロフィーリーグに歩を進めた歴戦のウマ娘たち、と言うべきか。出遅れは無い。
まずはポジション争い。ウマ娘たちは隊列を形成しながら、最初のコーナーへと向かう。この最初のポジションが、レースを組み立てる上で非常に重要だ。
阪神芝2000メートルのコースは、スタンド右手のスタート地点から第一コーナーまで325メートル。ゴール板前には高低差2メートルの坂もあることから、ペースは早くなりにくく、ポジションもゆったりと決まりやすい。
『全員、綺麗なスタートとなりました! スタンドからは拍手が上がります!
さあ、シンボリルドルフは──先頭から2、3番手! いつも通りの先行策、外側に付けています!』
ターフの上を8人の優駿が駆けて行く。
シンボリルドルフの脚質は「先行」。バ群の前目につけ、最終直線で伸びて勝ち切る、最も安定していて展開に左右されにくい王道戦術だ。
「────」
トウカイテイオーは、シンボリルドルフの走りを緊張した面持ちで見ている。彼女の性格からして、声を上げて応援するものかと思っていたが、存外にも落ち着いている。
──いや、いつもならばそうするのだろうが、今日は少し心持ちが違っているのだろう。
『第2コーナーをカーブし、バックストレッチに入りました! 1000メートルは──62秒、ややスローペースとなっているか! シンボリルドルフは依然として3番手、バ群の外側を走っています!』
大外枠からの発走となった関係で、シンボリルドルフは内ラチ(コースを区切る柵)から1、2人分空けての外側を追走している。
外側を回るのは本来、内ラチ沿いを走るよりも多く距離を走ることになるので、ウマ娘によってはスタミナなどの問題で不利にもなり得るが──シンボリルドルフには3200メートルの超長距離GⅠ「天皇賞(春)」を優勝した実績がある。
この2000メートルのコースで、数百メートル余分に走らされたところで大した問題にはならない。
それに、外側は芝が綺麗な状態を維持している分、走りやすく伸びやすい傾向にある。
無論、当日の天気などにもよって「バ場のどこが伸びやすいか」は変わって来るが、ことこのレースは今日の最終レース──芝コースの内側は一日使われたことでデコボコに荒れている分、更に外側は有利になっているハズだ。
『さあ、第4コーナーをカーブして、いよいよ直線に向いて来る! シンボリルドルフは──まだ動かない!
「皇帝」はいつ仕掛けるのか!』
第4コーナーをカーブし、約356メートルの最終直線に入る。
スタンドの観客のボルテージは最高潮に達し、トウカイテイオーも「カイチョー!」と声を上げた。
そのトウカイテイオーの声援に応えるか──待っていたぞ、と言わんばかりに、シンボリルドルフがバ場の外目に持ち出した。
そして、シンボリルドルフは芝を深く踏み込み──スパートをかける。
『来た! 遂に、ようやく動きましたシンボリルドルフ! シンボリルドルフが動いた!』
シンボリルドルフが仕掛けた瞬間、更なる大歓声が上がる。
逃げていたウマ娘を瞬く間にかわし、並走していたウマ娘を突き放して、シンボリルドルフが伸びる。凄まじい末脚。スローペースで溜まった脚が爆発した。
『さあ、あっという間に先頭に立つ! やはり脚が違う! シンボリルドルフが先頭に躍り出た!』
シンボリルドルフが先頭に立った。もう、このレースは終わりだ。
過去のレースを見ていれば分かる、完全な彼女の勝ちパターン。こうなった彼女を差し切ったウマ娘は、この世にただ1人しかいない。
そして、そのウマ娘がこのレースに出走していない以上、勝敗は既に決したと言っても過言ではない。
『残り200メートル! 後方勢が追い込んで来るが、シンボリルドルフの脚色には劣る気配無し!』
阪神レース場の最終直線、ゴール前には坂がある。
この坂で脚が止まるウマ娘も少なくはないが、そんなモノはシンボリルドルフには関係ない。その程度で、彼女の脚色が鈍るハズがない。
『並ばない、並ばせないぞシンボリルドルフ! これが「皇帝」の走り、絶対の強さ! サマードリームトロフィーに向けて、今年も一切の死角無し!!
シンボリルドルフ、ゴールインッ!!!』
最後は本気を出さずに軽く流して、悠々とシンボリルドルフはゴール板を駆け抜けた。
着差は1バ身。決して大きな着差ではないが、そこには絶対的な力の差がある。
これがシンボリルドルフの勝ち方だ。彼女は圧倒的に他のウマ娘を置き去りにして突き抜けるような、派手な勝ち方はしない。
──当然、やろうと思えばできる。
実際、心も見る目も無い者に「着差は小さいから強くない」などとほざかれた時には、その次のレースで一世代下の二冠ウマ娘を相手に4バ身差の圧勝劇を演じてみせたことすらある。
何故圧勝をしないかと言えば、その答えは「必要が無いから」の一言に尽きる。
ハナ差だろうが5バ身差だろうが、1着であることに変わりはない。1着さえ取れれば良いのだ。
レースの数をこなすためには、一つのレースでの消耗・負担を出来る限り少なくしなければならない。だから、彼女が全力を出すのは常に一瞬。
彼女にはそれで勝てるだけの能力がある。誰もが死力を尽くし、全てをかけて挑むGⅠレースにおいてすら、彼女には次のレースのために手を抜く余裕があるのだ。
故にこそ、シンボリルドルフは「絶対」のウマ娘なのである。
「「「「「ルドルフ! ルドルフ! ルドルフ!」」」」」
スタンドから「ルドルフ」コールが起こる。
早くも息を整えたシンボリルドルフは、それに応えるように右拳を握りしめ、天に向けて掲げた。すると、スタンドのコールが大歓声と拍手に変わった。
「───そうなんだ」
と、私の隣でレースを観戦していたトウカイテイオーが、ボソッと呟いた。
歓声の中だったが、私はその言葉を確かに聞き、笑みを浮かべる。
「
「……うん。ボク、カイチョーのところに行ってくる」
「ああ。存分に叩きつけて来ると良い」
レースが終わり、シンボリルドルフが地下バ道に姿を消すところを見届けた観客たちは、ウイニングライブまで時間があるということで分散し始める。
その中で、トウカイテイオーはシンボリルドルフがいるであろう控室に向かって、軽快に走って行った。
◇
「────良しッ」
トウカイテイオーはシンボリルドルフの控室の前に立ち、両頬を軽く両手で叩いて気合を入れると、ドアをノックして入室する。
「失礼しまーす」
「───テイオーか。
これは驚いたな。いつもなら、勢い良くドアを開けて飛び込んで来るというのに」
礼儀正しく、落ち着いて入って来たトウカイテイオーに対して、鏡の前の椅子に座っているシンボリルドルフは驚きの表情を見せた。
そんな彼女に、トウカイテイオーは笑って言う。
「ホントはそうしたいんだけどね。
──ボク、今日はお祝いに来たわけじゃないから」
「……ほう」
どういうことかな、とシンボリルドルフは微笑みを浮かべると、椅子を回転させてトウカイテイオーの方に身体を向ける。
トウカイテイオーは俯いて、ただ落ち着いて話し出す。
「ボク、ずっとカイチョーに憧れてる。
それは今もおんなじで、今日もカイチョーが勝つところが見れて、最高に嬉しかった。すっっごくカッコ良かった。カイチョーはボクの目標で、ヒーローで、一番大好きなウマ娘なんだ。
──でも。でも、今はそれだけじゃないんだ。
この前カイチョーに負けて、ボクは……ボクは、すっごくモヤモヤして、胸の中がイガイガしてた。カイチョーに負けてからずっと、何でなんだろうって考えてた。
考えても分からなかったけど、今日、カイチョーの勝つところを見て、やっと分かったんだ」
「……それは?」
真剣な面持ちで、シンボリルドルフは続きを促す。
するとトウカイテイオーは顔を上げ、シンボリルドルフの桃色の瞳を真っすぐ見据える。
その目線が、これまでトウカイテイオーが自分に対して向けて来たモノとは違うモノだと、シンボリルドルフには分かった。
「ボク、カイチョーに負けて悔しかった。生まれて初めて走りで誰かに負けて、すっごく悔しかった。もう二度と、負けたくないって思った。例えカイチョーが相手でも。
……ううん。カイチョーにこそ、負けたくない。勝ちたいって思ったんだ。
───だからね」
そして、トウカイテイオーは「皇帝」に対し、宣言した。
「宣戦布告に来たよ、カイチョー。
この前は負けたけど、次は絶対に負けない。
無敗の三冠ウマ娘になって、カイチョーを超えた最強のウマ娘として、ドリームトロフィーでカイチョーを倒してみせる」
トウカイテイオーの言葉を聞き届けたシンボリルドルフは、これまで彼女に見せてきた慈愛・親愛の笑みとは違う──不敵な笑みを浮かべて、新たなる
「とても嬉しく思うよ、トウカイテイオー。
──勿論、全力で受けて立たせてもらおう。ドリームトロフィーリーグの頂点で、私は君を待っている」
「うん。すぐに追いついてみせるよ、カイチョー。
だから見ててね? ボクが、無敗の三冠ウマ娘になるところ。ボクはこれから先ずっと、誰にも負けたりしないから」
2人の眼光がぶつかり合う。
トウカイテイオーはくるりと身を返し、シンボリルドルフの控室を後にした。
シンボリルドルフの目には、小さかったハズのその背が、いつの間にか一回り大きくなったように思える。
子の自立を見守る親というのはこういう気持ちなのか、とも思ったが、いくら何でもその感傷を抱くには人生経験が足りていないだろうと思い直す。
子は親を越えて行くモノだ。
同じように「帝王」が「皇帝」を超える日も、いつの日か訪れるのかもしれない。
だが、それで良いとシンボリルドルフは思う。そうやって人類は、世界は前に進んで行くのだ。
破られない偉業など無い。あってはならない。
今、シンボリルドルフが有している「GⅠ7勝」という日本トゥインクル・シリーズにおけるGⅠ最多勝利記録も、いつかは破られる日がやって来る。
やがて、シンボリルドルフを超える「
願わくば、それを成し遂げるのが
「───超えさせるつもりは毛頭ないぞ。
それでも超えられるモノなら、私を超えてみせろ」
胸が高鳴る。彼女なら、トウカイテイオーならそれを成し遂げてくれるのではないかと──私の血を熱く滾らせてくれるのではないかと、シンボリルドルフは期待せざるにはいられなかった。
◇
レース場の門の側に私は立ち、トウカイテイオーがレース場から出て来るのを待っていた。
そして、姿を現した彼女に対して笑いかける。
「──革命の宣言はできたのかな、トウカイテイオー」
「うん。言っちゃったよ、カイチョーに。『カイチョーを倒してみせる』って!」
それに、トウカイテイオーも笑って答えてくれる。
結構。大変素晴らしいことだ。
「今日はありがとね、連れて来てくれて。
……ところでさー。ボク、今トレーナーを探してるんだよねー。トレーナーがいなきゃ、そもそも出走すらできないからねー。
誰か、ボクと一緒に『無敗の三冠ウマ娘』なんて夢を本気で追いかけてくれる、そんなトレーナー知らない?」
ほう。そんな高すぎる理想を本気で目指すトレーナーが、果たしてどこにいるのかな。嗚呼、皆目検討もつかないな。
「───なーんてね! これからもよろしく、トレーナー! 担当するからには、ちゃんとボクを『無敗の三冠ウマ娘』にしてみせてよ!」
と、トウカイテイオーは無邪気に笑って、右手を差し出して来た。無論、その手を取らぬ理由など無い。
「勿論だ。───では、共に駆け上がろうか」
白い手を迷わず握り返す。その小さい手からは、確かな意志と力を感じ取れた。
「よーしッ! 担当トレーナーもついたし、宣戦布告もしたし!」
トウカイテイオーは私の手を取ったまま、元気良く走り出す。人間よりも遥かに力の強いウマ娘に引っ張られ、彼女のなすがままにされながらも、私には確信を持って言えることがあった。
それは、彼女と挑むトゥインクル・シリーズは、素晴らしいモノになるだろうということだ。
例えもし仮に、万が一「無敗の三冠」を達成できなかったとしても。トウカイテイオーとの道のりは、彼女の競走人生は、かけがえの無いモノになる。彼女は最後まで、輝き続けるのだろうと。
そしてそれは、私が──俺が理解し得なかったモノであるのかもしれない。幾多の世界を巡って来たが、この世界で再び、私も新たなモノを得られるかもしれないと。
私の手を引っ張って走りながら、トウカイテイオーは高らかにこう謳った。
「無敵のテイオー伝説、ここからスタートだッ!!」
トウカイテイオー現役当時(90〜93年)と現在では、阪神レース場(競馬場)のコース形状が異なっているんですが、本作では改修後(現在)に合わせています。
次走「ライバル登場!」