マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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32R 夢のために

 天皇賞(秋)の翌朝──スポーツ新聞の紙面には、大波乱の模様が大きく取り上げられていた。

 

「……全く。好き放題書いてくれるものだ」

 

 マクギリス・ファリドはトレーナー室の執務机の前に座ってその記事を読んでいたが、最後まで読むことなく新聞を折り畳み、机の近くに置かれているゴミ箱に放り込んだ。

 マスコミとは元来好き勝手なことを書くものだが、いつにも増して今日の記事は酷い。明日からは買う新聞を変えることにするか、とマクギリスは思う。

 

「『テイオーは終わった』『二冠は相手が弱かっただけ』──よくもまあ、ここまで下らんことを抜かす」

 

 確かに、昨日の天皇賞(秋)におけるトウカイテイオーの惨敗は誉められたものではなかった。「無敗の二冠ウマ娘」にあるまじき負け方だった。

 だが、トウカイテイオーの素質は疑いようもないというマクギリスの考えは変わっていないし、臨戦過程がガタガタになったのはトレーナーたる自分の責任だと、マクギリスは認識していた。

 レース結果だけを見て「終わった」などと、トウカイテイオーが過小評価されるのは心外も甚だしい。

 

 天皇賞(秋)が不本意な結果になったことは残念だったが、終わったことをいつまでも悔いても仕方がない。

 秋のGⅠ戦線はまだまだ続く。今日の検査で問題が無ければ、トウカイテイオーは次走のGⅠ「ジャパンカップ」に向けてトレーニングをスタートする。

 日本ダービーと同じ舞台、今度こそ結果を出さなければならない。トウカイテイオーの体調を絶好の状態に持っていかなければ。

 

「───今年のジャパンカップは、天皇賞よりもメンバーが揃う可能性が出てきた。万全な状態で出走できなければ、話にもならんだろうからな」

 

 特筆すべきは、やはり今年の「無敗の二冠ウマ娘」──ミホノブルボンが、出走を表明したことだ。

 菊花賞で惜しくも敗れたが、未だ中距離以外では無敗。ダービーでも見事な逃げ切り勝ちを収めており、実力でもトウカイテイオーに迫るものがある。

 

 加えて、ジャパンカップにおいて最も重要なのは、外国から参戦するウマ娘たちである。

 

 

「今年は、海外勢も例年以上になりそうだ。ジャパンカップ史上、屈指のメンバーになるかもしれん」

 

 ジャパンカップは「国際招待競走」──元より海外との交流を活発にし、日本のトゥインクル・シリーズのレベルを底上げするために創設されたレースだ。

 そのために遠征費などを主催者のURAが全額負担し、海外の有力なウマ娘たちの参戦を促している。

 

 そして、ジャパンカップは圧倒的に海外のウマ娘たちが結果を残しているレースでもある。

 今年が12回目の開催になるが、日本のウマ娘が勝利したのは、これまでの11回中2回のみ。

 

 第4回のカツラギエース。

 第5回のシンボリルドルフ。

 

 ジャパンカップを勝った日本のウマ娘は、以上の2人しかいない。

 タマモクロスもオグリキャップもメジロマックイーンも勝てていないレース──それがジャパンカップである。

 

「──トレーニングに加えて、海外ウマ娘の情報もトウカイテイオーに教えねばなるまい」

 

 そのためには、まずマクギリスが情報を収集し、精査し、まとめなければならない。

 予備登録があった時点から注目して調べてこそいるが、やはり海外は勝手が違う。トウカイテイオーに教える時は、海外のトゥインクル・シリーズの情報も合わせて伝える必要があるだろう。

 

 マクギリスがパソコンを立ち上げ、仕事を始めようとした──時、部屋のドアがノックされた。

 入っていいという意味を込めて返事をすると、とあるウマ娘が入室してきた。

 

「失礼します」

「ああ───ほう」

 

 その人物に視線を向け、マクギリスは少し驚いた。

 そして、笑みを返して用件を問う。

 

「私に何の用かな、会長──シンボリルドルフ」

 

 

   ◇

 

 

 午後。病院での検査を終え、正面玄関から外に出たトウカイテイオーは、腕を空に伸ばして息を吐いた。

 検査結果は「異常無し」。心置きなく、ジャパンカップに向けてのトレーニングを始められる──が。

 

(……怪我が無かったのは、良かったけど)

 

 秋晴れの空を見上げ、トウカイテイオーは呆然とする。──昨日の惨敗は、彼女の自信を喪失させるには十分だった。

 勝たなければならなかった。勝てると思っていた得意な条件、得意な舞台であんな負け方をすることになるとは、トウカイテイオーは思ってもみなかった。

 

「テイオー」

「ぴえっ!?」

 

 名前を呼ばれ、トウカイテイオーは反射的に肩を跳ねさせた。

 しかも、名前を呼んだ相手が問題だ。トウカイテイオーが、彼女の声を聞き間違えるはずが無い。

 

「───カ、カイチョー……」

 

 トレセン学園生徒会長、シンボリルドルフ。

 トウカイテイオーが最も敬愛し、憧れるウマ娘──なのだが、トウカイテイオーは少し気まずそうに、恐る恐るシンボリルドルフへと視線を向ける。

 

「……最近、姿を見かけないと思っていた。

 悪いが待ち伏せさせてもらったよ。今日は必ずここに来るハズだと、君のトレーナーに教えてもらった」

 

 トウカイテイオーが気まずそうにしていることは、シンボリルドルフも察している。最近のトウカイテイオーが、シンボリルドルフを避けていることも。

 

「そ、そうなんだ。わざわざ待っててくれるなんて、ボクに何か用なの、カイチョー」

「勿論。──これから、少し付き合ってくれないか。君のトレーナーからの許可も貰っている」

「付き合ってくれ、って……」

 

 それから、トウカイテイオーはシンボリルドルフに連れられて、学園の近くにある公園へやって来た。

 シンボリルドルフは移動販売車ではちみー(硬め濃いめ多め)を2つ注文し、片方をトウカイテイオーに差し出した。トウカイテイオーはとりあえず差し出されたはちみーを受け取り、公園のベンチに座ったシンボリルドルフの横に、並んで座る。

 

「───カイチョー、いきなりどうしたの?」

「……君と少し、落ち着いて話をしたくてね。生徒会室に呼び出すことも考えたのだが、それだとゆっくり話をすることは難しいかと思ってな。

 嫌と言うなら、無理強いはしないが──」

「そ、そんなことないよ!」

 

 即答するトウカイテイオーに、シンボリルドルフは少し安心したように微笑む。

 はちみーを吸い、甘さに少し眉を動かしながら、シンボリルドルフはトウカイテイオーに切り出す。

 

「……テイオー。その、最近はどうだ?」

「───うーん……ボチボチかなぁ、なんて」

 

 苦笑し、言葉を濁すトウカイテイオー。

 最近のトウカイテイオーがどうか、なんてシンボリルドルフが知らないわけがない。

 

「……ゴメンね、カイチョー。避けちゃったりして。

 最近は良い結果を出せてないし、怪我してばっかりだし──カイチョーを越える、なんて言ったのに、こんなことになっちゃって……なんか、気まずくってさ」

 

 昨日なんか酷かったよね、とトウカイテイオーは俯いて言う。両手に包み込まれた紙コップが少し、力を込められてヘコむ。

 

「勝たなきゃいけないって、思ってた。途中で風邪引いちゃったけど、当日の体調は悪くなかったし、外枠からでも勝てるって思ってた。

 今日勝って、もう一度胸を張って、ボクは最強無敵のテイオー様だって言おうって思ってた。もう負けられない、負けるわけにはいかないんだ──って。

 でも、また負けちゃった。7着だよ、7着。カイチョー、7着なんて取ったことないでしょ?」

 

 乾いた笑いを浮かべるトウカイテイオー。

 シンボリルドルフは敢えて、視線をトウカイテイオーに向けることなくそれを聞いている。──いや、視線を向ける勇気が無い、と言うべきかもしれない。

 

『負けられない、勝たなければならないという焦りばかりが先行して、ペース判断を誤ったのだろう。

 以前ほどではないにせよ、やる気があるのは良いことだと思っていたのだが──まさか、あのような形でから回ってしまうとはな』

 

 数時間前、マクギリスから聞いた推測は当たっていたのだなと、シンボリルドルフは思う。

 トウカイテイオーは常に挑戦者だった。彼女は「無敗の三冠」に、メジロマックイーンに挑む立場にあった。帝王、という名を持つウマ娘ではあるが、挑まれる立場になる経験はあまり無かった。

 

 頂点に立ち続けることは本当に難しい。

 完全無欠な「皇帝」と讃えられたシンボリルドルフも、負けることは何度かあった。

 

 重要なのは、負けた後にどうするかだ。

 

「──負けることは、悪いことじゃないさ。トゥインクル・シリーズにおいて、レースの勝者は基本的に1人だけ。18人が出走すれば、17人は敗者になる。そういうモノだ。

 私も、天皇賞(秋)は負けた。だが、次のジャパンカップは勝った。敗北の経験を次にどう活かすかが肝要だ」

 

 負けて腐るならそこまで。

 次は勝ちたい、と思うならまだ上に行ける。

 

「それはそう、だけど──こんなので、ボクはまた勝てるのかな」

「……勝ちたくない、というわけではないだろう?」

「勝ちたいよ! 絶対! 勝ちたい、けど───」

 

 尻すぼみになるトウカイテイオー。

 二度の天皇賞で連敗し、流石の彼女も自信を喪失してしまっているようだった。

 

「その気持ちがあるなら、必ずまた勝てるさ。私が保証するよ」

「───そう、だと良いけどさ」

 

 確信を持って断言するシンボリルドルフ。

 彼女は晴れた空を見上げて、想いを馳せるようにゆっくりと、思い返すように言葉を紡ぎ出す。

 

「知っているか、テイオー。──ジャパンカップがどういうレースなのかと、その歴史を」

「どういう、って───?」

「国際交流を活発化させ、日本のトゥインクル・シリーズのレベルを上昇させるために、日本ダービーと同じ条件を設定して設立された『国際招待競走』──だが、その歴史は絶望から始まった。

 第1回、日本のウマ娘は外国のウマ娘に全く歯が立たなかった。まさしく鎧袖一触、いとも容易く蹴散らされ、4着までが外国のウマ娘たちに独占された」

 

 第1回ジャパンカップで1着になったアメリカのウマ娘は、本国ではGⅠを勝ったことがなかった。

 それが日本のGⅠウマ娘たちを蹴散らして、当時の東京レース場のレコードタイムを1秒縮める走破タイムまで出してしまった。

 欧州からの参戦が無かった状況で、あくまでダートレースが主流のアメリカから来たウマ娘が、だ。

 日本と外国の圧倒的なレベルの差が如実に表れる結果となり、打ちひしがれたファンからは「ジャパンカップなんてやめてしまえ」とまで言われたほどに酷い結果だった。

 

「第4回に初めて日本のウマ娘が──カツラギエースが勝ち、第5回には私も勝利することができた。

 しかし、それ以降ずっと、日本のウマ娘はジャパンカップのトロフィーを手にしていない。

 ジャパンカップを再び日本のウマ娘が勝つことを、皆が望んでいる。ジャパンカップ制覇は、皆の夢だ」

 

 夢──、とトウカイテイオーが呟く。

 シンボリルドルフはそれに頷き、身体を捻ってトウカイテイオーの方に顔を向けた。

 

「──カイチョー?」

「……ここからは生徒会長としてではなく、私の個人的な意見だ。

 テイオー。私は、君にジャパンカップを制してほしいと思っている。他の誰でもない、君にだ」

 

 トウカイテイオーの桃色の瞳が、丸く見開かれた。シンボリルドルフは真っ直ぐに、その目を覗き込んでいる。

 

 意見と言うより、単なる我儘であるとシンボリルドルフは分かっている。自分の身勝手な願望、勝手な期待でしかないとも分かっている。

 今のトウカイテイオーにとっては、余計な重圧になってしまうかもしれないと分かっているが、それでもこれだけは伝えなければならないと、シンボリルドルフは感じていた。

 

「私の次にジャパンカップを勝つのは、君が良い。君であってほしい。君じゃなければ嫌なんだ、テイオー。

 私はもう一度、日本のウマ娘がジャパンカップを──いや、君が勝つところを見たい」

 

 トウカイテイオーが、唇を引き結ぶ。

 彼女の脳裏には、様々なモノが渦巻いていた。

 

「……こんなボクを、信じてくれるの? 『無敗の三冠ウマ娘』になれなかったし、もう『無敗のウマ娘』でもないのに───」

「───テイオー。私がダービーに勝った時、駆け寄って来てくれた君に『期待している』と言ったのは、君が私を目標としてくれたからではないよ。

 君の真っ直ぐな瞳を見たから──私は君だから、そう言ったんだ。それは今でも変わらない」

 

 あの時と同じように、シンボリルドルフはトウカイテイオーの頭に片手を載せて、続ける。

 

「私はトウカイテイオーを信じている。トウカイテイオーに期待している。

 君が私に夢を貰ったように、私も君に夢を貰った。そして、これからも私は、トウカイテイオーの走りに夢を見続ける。だから、私の夢は他でもない、君に託したい。

 私はいつ、どんな時も──何があっても、君と君の勝利を疑わない。君は最強無敵のウマ娘、トウカイテイオーなのだから」

 

 君が君を信じられなくなったとしても、私はトウカイテイオーを信じ続ける──と、シンボリルドルフは力強く断言した。

 トウカイテイオーは俯き、片腕の袖を目元に押し付ける。それから、勢い良く顔を上げて、シンボリルドルフの目を見つめ返す。

 

「───分かった。ボク、勝つために走るよ。

 カイチョーの、みんなの夢のために」

 

 その目は、あの頃と同じ──あの、シンボリルドルフと初めて会った時と同じ目だった。

 シンボリルドルフは思わず口元を緩ませ、それに合わせてトウカイテイオーも笑顔を浮かべた。

 

「ありがとね、カイチョー。励ましてくれて」

「───すまないな、勝手なことを言って」

「ううん、嬉しかったよ。カイチョーって、ボクが思ってるよりボクのこと好きなんだね」

「な──そ、そうかもしれないが……」

 

 照れたようにトウカイテイオーから視線を逸らすシンボリルドルフ。それをからかうように、トウカイテイオーは歯を見せて笑った。

 

 

   ◇

 

 

「やっほー!」

 

 シンボリルドルフと別れたトウカイテイオーは、マクギリス・ファリドのトレーナー室のドアを勢い良く開け、入室する。

 ──しかし、トレーナー室の中に彼女のトレーナーの姿は無かった。

 

「あれ? トイレとかかな……?」

 

 トウカイテイオーは普段彼が座っている執務机に近寄る。パソコンが開いたままなので、恐らく一時的に離席しているだけなのだろう。

 と、トウカイテイオーの視界の端に、とある物が映った。机の側にある、新聞が捨てられたゴミ箱だ。

 

(……珍しいなぁ。トレーナー、新聞とかは全部キッチリ資源ゴミに出すタイプなのに)

 

 何となく気になり、トウカイテイオーはゴミ箱に突っ込まれた新聞を指で(つま)んで持ち上げた。ゴミ箱には他のゴミは何も入っていない。

 日付を見ると、それは今日のスポーツ新聞。ますます珍しいと思い、トウカイテイオーは一面を開いた。

 

「───何、これ」

 

 紙面には、昨日の天皇賞(秋)の記事。

 二冠ウマ娘トウカイテイオーの敗戦と低人気のウマ娘が勝利し、大波乱になったことが書かれているが──トウカイテイオーの目に留まったのは、「二冠は相手が弱かっただけ」という一文だ。

 

「……来ていたのか、トウカイテイオー───それは」

 

 その時、部屋にマクギリスが戻って来た。

 マクギリスはトウカイテイオーが自分の捨てたスポーツ新聞を手にしているのを見て、一瞬固まった。

 

 トウカイテイオーは手に持つスポーツ新聞を乱暴に畳み、マクギリスに突き出して言う。

 

「何なのこれ。『二冠は相手が弱かっただけ』って」

「気にする必要は無い。下らんと思い捨てた物だ」

 

 そっか、と言いながら、トウカイテイオーは再び新聞を元あった場所に──ゴミ箱に放り捨てた。

 そして、マクギリスを見据えて続けた。

 

「トレーナー。ジャパンカップはボクが勝つから」

「───ほう。会長が何か、言っていたか?」

「それもあるけど、今もう一つ増えたよ」

 

 トウカイテイオーの目が、ギラギラとした輝きを取り戻していることに気づき、マクギリスは笑う。

 そんなマクギリスに、トウカイテイオーは眉尻を吊り上げて言った。

 

「『二冠は相手が弱かっただけ』なんて、言われたままにしておけない。ボクのせいで、みんなをバカにされたままにしておけないもん」

 

 戯言だ。適当なことを書かれていると分かっているが、看過してはおけない。

 「無敗の三冠ウマ娘」にはなれなかったが、かと言って「無敗の二冠」は決して無駄なモノではない。

 

 あのクラシックを、一緒に走ったみんなのことをバカにされてたまるものか。

 

「フ──それでこそだ、トウカイテイオー。

 私も同意見だ。無礼(ナメ)られたままでは終われん。ジャパンカップを勝って、世界の帝王となろう」

 

 マクギリスとトウカイテイオーは、不敵な笑みを交わした。

 ジャパンカップまで約1ヶ月。挑む相手は世界、相手に取って不足無し。

 

 トウカイテイオーの世界への挑戦が、始まった。

 

 

   ◇

 

 

 とある空港。

 ロビーの出発ゲートの前に立つ、白い帽子を被った少女が、笑みを浮かべて海の向こうを見据える。

 

Alright, let's go──to the Japan Cup




次走「世界の強者たち」
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