ジャパンカップまで1週間を切り、最後の水曜日。
早朝からトレーニングの模様が、世界のマスコミに公開された。各出走ウマ娘が、最終追い切りを行うわけだが───
「……ブルボン、お前───」
「───マスター?」
これから坂路を駆け上がろうとしていたミホノブルボンの歩きを見たオルガ・イツカは、その足運びに違和感を覚えた。
その場でグルッと一回転するよう、ミホノブルボンを歩かせると、オルガの違和感は確信へと変わった。
ミホノブルボンの右脚がおかしい。
歩様が乱れ、
ミホノブルボンは追い切りを取りやめ、保健室へ。
やはり異常があるということで、オルガはミホノブルボンのジャパンカップ出走取消を決断した。
「脚に痛みはありません。私は走れます、マスター。
三冠はなりませんでしたが、次こそ勝利を───」
「──ダメだ。異常が見られる状態で走らせるわけにはいかねぇし、そもそも出走させてもらえねぇよ」
この決定にミホノブルボンは異議を唱えたが、オルガは頑なに首を横に振る。
──オルガとしても、ジャパンカップでミホノブルボンを走らせてやりたい。
ミホノブルボンがもう一度勝つ姿を見たいと願っているが、それはミホノブルボンが健康であることが大前提だ。
「まだシニア級がある。クラシックとは違うんだ、異常が無くなればジャパンカップには来年出られる」
「───それは……ですが」
「良いから大人しく休んどけ、ブルボン」
ミホノブルボンと同じく、オルガの指導を受けるレガシーワールドもオルガに続く。
しかし、ミホノブルボンはやはり納得が行かないようだった。
「しかし──私は今度こそ、マスターに勝利を……」
「異常がある状態で全力を出せるのか? シニア級のGⅠ、それもジャパンカップだぞ。
世界中から強いウマ娘が集まった、世界が注目するレースに、生半可な状態で挑んで勝てるわけがねぇ。ジャパンカップはそんなに甘くねぇよ」
レガシーワールドの言葉に、ミホノブルボンは押し黙る。ジャパンカップは万全の状態で全力を出して、それでも勝てるか分からないレースだ。
ミホノブルボンは俯き、両拳を強く握り締めて、唇を引き結ぶ。
「───申し訳ありません、レガシー。貴女とも、一緒に走るチャンスだったというのに」
「んなこと気にすんじゃねぇよ。距離は被ってんだから、一緒に走る機会なんていくらでもあるだろ。なぁトレーナー?」
「あ、ああ……そりゃそうだ」
オルガは頷きつつも、「2人が一緒のレースに出るとメチャクチャ複雑な気持ちになるんじゃねぇのか」とふと思う。
ミホノブルボンは顔を上げ、レガシーワールドの目を見据える。それから、軽く頭を下げた。
「お願いします、レガシー。私の代わりに、マスターにジャパンカップの勝利を」
「……オイオイ、無茶言ってくれるぜ。私はGⅠ初挑戦なんだぞ?」
「いいえ。私は無茶とは思いません。──貴女は、あのライスシャワーから逃げ切ったのですから」
初挑戦など関係ありません、とミホノブルボンは断言する。レガシーワールドは困ったように頭を掻き、オルガに視線を向けた。
それにオルガは何も言わず、笑顔だけを返す。オルガの思いはミホノブルボンと同じだ。勝てないと思っているなら、そもそも出走させたりはしない。
「───まあ、やれるだけはやってやるよ。
だから、ちゃんとまたターフに戻って来い」
「はい。勿論です」
レガシーワールドは苦笑しながら、ミホノブルボンの頼みを聞き入れた。ミホノブルボンも少し笑みを浮かべて、レガシーワールドの言葉に頷いた。
◇
11月末、府中市の東京レース場。
秋の東京開催も終盤に差し掛かるという今日──メインレースは、GⅠ「ジャパンカップ」。
今年で第12回目を迎える、国際招待競走である。
「国際招待競走」とは、文字通りレース場やレースを行う団体が他国のウマ娘を招いて開催するレースのことだ。
ジャパンカップの場合、主催者はURA。出走登録をした海外ウマ娘には優先出走権が与えられ、渡航費や滞在費用も全てURAが負担する。
また、ジャパンカップには創設以降、毎年多くの外国ウマ娘が参戦している。
歴史こそ浅いが、「トゥインクル・シリーズのオリンピック」と呼ばれることもあり、世界においても高い知名度を持つレースの一つであると言えよう。
世界一のウマ娘を決定するレースの一つ。
それがジャパンカップだ。
「───日本のウマ娘が、長らく打ち砕かれて来たレース。今年の人気は外国のウマ娘が中心、か」
東京レース場のスタンド上階から、シンボリルドルフはターフビジョンに映し出された人気順を見て、表情を固くする。
1番人気はユーザーフレンドリー。
今年の無敗英国ティアラ二冠を達成した、ヨーロッパ年度代表ウマ娘。
続く2番人気がナチュラリズム、AJCダービーを含めたオーストラリア二冠を達成しているウマ娘。
同じくオーストラリアのウマ娘で、去年GⅠ4つを含む重賞7連勝を成し遂げたレッツイロープが3番人気となり、4番人気にはフランスのディアドクター。
日本のウマ娘で最も支持を集めているのは、5番人気のトウカイテイオー。
昨年の無敗二冠ウマ娘だが、この評価には前走の天皇賞(秋)7着が影響しているか。トウカイテイオーにとっては、生涯で最も低い人気での出走となる。
「去年、ジャパンカップの1番人気はメジロマックイーンだった。それなのに、今年は日本のウマ娘が勝つとさえ思われていない。
情けない話ではあるが───君はどう見る、カツラギエース」
シンボリルドルフは、自分の傍らに立つ小柄な短髪のウマ娘に声をかける。
2人の三冠ウマ娘の追撃を退け、東京の2400メートルを逃げ切って、日本のウマ娘として初めてジャパンカップを制したウマ娘──それが彼女、カツラギエースだ。
「確かに難しいレースに見えるけどな──世界の壁ってのは、絶対に越えられないモンじゃねぇ。だろ?」
そんなカツラギエースは、微笑を浮かべてシンボリルドルフを流し見る。その想いを問うように。
シンボリルドルフも笑い、ターフを見下ろす。その目に映るのは、白と青の勝負服──彼女が最も期待する、皇帝を継ぐ帝王たるウマ娘。
「ああ。私は日本のウマ娘の──いや、トウカイテイオーの勝利を信じている。それだけだ」
一方、担当ウマ娘を出走させるマクギリスとオルガは、スタンドの最前列でウマ娘たちのウォーミングアップの様子を確かめている。
(───良し。勝てる)
マクギリスはトウカイテイオーが膝を高く上げ、軽やかに歩んでいる様子を見て、口元を自信たっぷりに緩める。──あの歩きが出る時は、トウカイテイオーの調子が最高に良い時なのだ。
「……上手く、ペースを握れれば良いんだが」
赤と緑と白の勝負服を初めて纏い、フードを被って軽くコースを走るレガシーワールドを見ながら、オルガは不安そうに言う。
「マスター。レガシーは大丈夫です」
「───ああ、そうだな。俺が信じてやらなけりゃ」
その隣に立つミホノブルボンは、そう断言する。オルガもその言葉を聞いて、自分の両頬を軽く叩いた。
コースに思い思いに散らばっていたウマ娘たちが、スタンド前のスタート地点に集まって来る。もう発走時刻が近づいている、ということだ。
『午後3時現在、府中の東京競馬場には16万4000人近いファンが詰めかけています。今年は海外から、史上最強と呼ばれますウマ娘たちがやって参りました。
招待ウマ娘7人、迎え撃つ日本勢7人。計14人立てで争われます、今年のジャパンカップです』
1枠1番、ユーザーフレンドリー(英)。
2枠2番、イクノディクタス(日)。
3枠3番、ヴェールタマンド(仏)。
3枠4番、レッツゴーターキン(日)。
4枠5番、ドクターデヴィアス(英)。
4枠6番、レガシーワールド(日)。
5枠7番、ナチュラリズム(豪)。
5枠8番、ヤマニングローバル(日)。
6枠9番、ディアドクター(仏)。
6枠10番、レッツイロープ(豪)。
7枠11番、クエストフォーフェイム(米)。
7枠12番、ハシルショウグン(地)。
8枠13番、ヒシマサル(日)。
8枠14番、トウカイテイオー(日)。
URAから6人、地方の大井レース場から1人、イギリスから2人、フランスから2人、オーストラリアから2人、アメリカから1人。
出走する全員が重賞ウマ娘という超豪華メンバー。
内GⅠウマ娘が8人と、国際色豊かかつ非常にレベルの高い一戦になることが期待される。
『しかし、返す返すも残念なのは、あのミホノブルボンが故障で戦列をリタイアしてしまったことですが……彼女がいるかいないかではペース、そして道中の流れは大きく変わったのではないでしょうか?』
『そうですね。もう絶対、ブルボンが逃げたでしょうから。そういう意味では、他のウマ娘はレースがしやすかったかもしれません。
こうなると誰が前に行くか──そして、先頭のウマ娘がどういうペースを刻んで行くかが読めません。外国のウマ娘たちがどういうポジション取りをするかも分かりませんし、展開の予想も難しいですね』
実況解説放送を耳にし、ミホノブルボンは軽く、自分の拳を握り締めた。
オルガはそれに気づきつつも、あくまで気づかない素振りをしてゲート裏に集まったウマ娘たちに視線を向ける。
17万人弱の大観衆の注目を浴びながら、出走するウマ娘たちには落ち着きがある。
流石は歴戦のウマ娘たち、と言うべきか。
(──大外。ダービーの時もそうだったっけ)
トウカイテイオーは、1年半前にこの場所に立った時のことを──あの、二冠がかかったダービーのことを思い出していた。
思えば、皐月賞もダービーも大外。トウカイテイオーのクラシック二冠は、両方とも大外から勝ち切ったモノだった。
このジャパンカップでも大外枠を引いたのは何かの縁か、それとも───
「初めまして、トウカイテイオー」
と、その時。唐突に、英語で名前を呼ばれた。
トウカイテイオーが振り返ると、そこには呼びかけたウマ娘──白い帽子を被り、黄色と黒の勝負服を纏った少女が立っている。
「な、なに……じゃなくて、ホワッツ?」
困惑しながらも普段の授業の内容を思い返し、一応英語(っぽい感じ)で返すトウカイテイオー。
すると、相手は満面の笑顔を浮かべて、トウカイテイオーに素早く距離を詰めて来た。そして、トウカイテイオーの手を取る。
「私、ユーザーフレンドリーって言うの。日本で走れることを、ずっと楽しみにしていたわ! 良いレースをしましょう! ね!!」
「え、えーっと……イエス?」
ペラペラと英語で挨拶をしてくる少女──ユーザーフレンドリー。
トウカイテイオーは辛うじて名前と「Good Race」を聞き取ることができたので、とりあえず笑顔で頷くと、ユーザーフレンドリーも頷き返して来た。
トウカイテイオーの手を握ったまま腕を上下に振ってから、ユーザーフレンドリーは手を離して、別のウマ娘に挨拶をしに行った。
「……これがジャパンカップかぁ」
少し呆気に取られて、トウカイテイオーはユーザーフレンドリーの背を見つめながら、呟いた。
なるほど、確かに国際交流の場になっているのかもしれない──と思った時、トウカイテイオーは視線を感じて、その方向をチラリと見た。
(あの子──確か、ナチュラリズム)
そこに立っていたのは、緑と白の勝負服に身を包んだ、オーストラリアのウマ娘──ナチュラリズム。
その目は真っ直ぐに、睨んでいるくらいの鋭さで、トウカイテイオーを見据えていた。トウカイテイオーはナチュラリズムと目が合うと、背筋が伸びる感覚を覚えるのだった。
『さあ、スターターがスタート台に上がりました! ファンファーレが府中の森に木霊します!』
ファンファーレを待ちわびる観客の手拍子と、それに応えるような関東GⅠファンファーレを耳にして、トウカイテイオーはナチュラリズムから視線を外して、もう一度気合を入れ直す。
そうして見るは14番のゲート。トウカイテイオーの枠入りは最後。目を瞑って深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
焦ってはダメだ。天皇賞(秋)の二の舞になる。
ポジションには拘るな。自分のペースを維持しろ───
『昨日までの雨の影響で、芝コースのバ場は「
造園課の方にお聞きしたところ、「重とは言え
日本のウマ娘も海外のウマ娘も力を出せるバ場だろう、ということですよ』
既にゲート入りがスタートしている。奇数番のウマ娘から、スムーズにゲートの中へ身体を納めていく。
『そして、これがユーザーフレンドリー。ヨーロッパ今年の年度代表ウマ娘、女傑であります。
最後にトウカイテイオーが向かいます!』
世界中から集まった強豪たち、13人がスタンバイを完了した。
1人残されたトウカイテイオーは軽く息を吐いて、一歩一歩バ場を踏みしめながら、ゆっくりと14番枠へと歩みを進める。
『さあ、13人は既に枠の中! 大外トウカイテイオー! 去年のあのダービー、思い出してほしい!
今、納まりましたトウカイテイオーです!』
自分の背後で、扉が閉じられたことをトウカイテイオーは音で察する。それから、全員が腰を低くして、スタート態勢を取った。
枠番プレートと並ぶ赤いランプが点灯し、軽快な音を立てて、ゲートの前扉が一斉に開かれる───!
『ゲート開いたッ! スタートを切りました!』
わずか2分半の世界頂上決戦。
12回目のジャパンカップが、その口火を切った。
次走「全世界を席巻せよ」