年が明け、トウカイテイオーはシニア級の2年目に入った。
しかし、有馬記念後に左
その前に一つどこかのレースを使う──というのも難しい、というより避けることが無難だろう。
「君はもう、実績を十分に積んでいる。トゥインクル・シリーズを去り、復帰はドリームトロフィーにするという手もあるが───」
「それはやだ。こんな終わり方じゃ、胸を張ってカイチョーと一緒に走れないもん」
正月休み明け、トレーナー室でのミーティング。
私の言葉を、トウカイテイオーは即刻否定した。
「───ありがとう、トウカイテイオー」
「……? 何で?」
「何、私の勝手な我儘だよ。私は君の競走人生を、こんな形で終わらせたくはない。君をこのまま終わらせるわけにはいかない。
君に醜態を晒させたのは、私の責任だ。もう二度と、あんな無理はさせないと約束する。私に挽回のチャンスを与えてくれてありがとう、ということだ。
私は───いや、俺は君をもう一度勝たせたい」
何それ、と苦笑するトウカイテイオー。
そして呆れ半分、からかい半分にこう言った。
「良いの? トレーナーって、トゥインクル・シリーズの頂点に立つ──君臨することが目標なんでしょ?
ボク、全然君臨なんてできてないけど」
「駆け上がるのもまた一興というものだ。何度落ちても這い上がり、最終的に勝者となればそれで良い。
それに──君を勝たせたいというのは、俺の野望には関係ないよ。君に屈辱は似合わない。この前の惨敗で、改めてそう感じた。君には栄光と勝利が似合う」
───言いながら、ふと以前も似たようなことを言ったことを思い出す。
あの時の相手はカルタ・イシュー。あの時の言葉は本心も含まれていたが、一方でカルタを排除し、自分の野望に近づくための詭弁でもあった。
だが、今回は違う。100パーセントの本心だ。
もう俯くトウカイテイオーは見たくない。俯かせてはならないと、そう感じるのである。
(……俺も、見えているのに見えないフリをするのはやめたということか)
「───トレーナー?」
「何でもないよ。
……それはそれとして、だトウカイテイオー。これからは何の予定も無いのだろう?」
「え、うん──そうだけど」
私の確認に、どうしてそんなことを聞くのかという表情で答えるトウカイテイオー。
勿論、この確認には意味がある。私はスーツのポケットからキーを取り出し、トウカイテイオーに見せて言った。
「少し出かけよう。君を連れて行きたい場所がある」
◇
トウカイテイオーを助手席に乗せ、私は車を走らせた。トレセン学園のある都市部を離れ、山奥へと。
夕方頃に出発し、休憩を挟みながら数時間の行程。日が落ち、夜空に星が見えるようになった頃──やっと、目的地に到着した。
「ご苦労だったな。少し時間はかかったが、ようやく到着だ」
「……ここ、何?」
「メジロ家が所有する療養所だよ」
固く閉じられた正門に立つボディーガードに顔パスを通し、敷地の中へ。
温泉街の側にある、四方を塀に囲まれたメジロ家所有の療養所。怪我のケア、リハビリに必要な設備があらかた揃えられている。
適当に車を停め、建物の中に入る。すると、そこには私のよく知る顔があった。
「よう、マクギリス。来たか」
「ガエリオ。──彼女はどこに?」
「ちょうど今日のメニューを終えて、汗を流しに行ったところだ。
……そうだ、せっかくならトウカイテイオーも入ってきたらどうだ? ここの湯は怪我に効くしな」
「そうだな。──だ、そうだトウカイテイオー。
疲れを取るついでに、話をしてくるといい」
「えっ? ちょ、トレーナー!?」
物珍しさからか辺りを見回していたトウカイテイオーを、女湯という暖簾のかかっているところへ押し込む。トウカイテイオーは困惑しつつも、その奥へ消えて行った。
一方、ガエリオはメジロ家の執事に声をかけ、トウカイテイオーの分の着替えを用意するよう話を通している。執事が一礼とともに去ると、ガエリオは私のもとへ戻って来た。
「悪いな、マクギリス。マックイーンの奴が、トウカイテイオーに直接伝えたいことがあると言うから」
「構わんさ。どの道、身体が万全になるまでは大したトレーニングもできないしな。トウカイテイオーはこの秋ずっと走っていたし、リフレッシュも必要だ」
2人して壁に背を預け、言葉を交わす。
秋シニア三冠──天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念という3連戦は、その実なかなかにハードなローテーションだ。
1ヶ月に1戦、それも全てが最高峰のGⅠと来れば、心身ともに負担も大きく、疲弊する。未だに秋シニア三冠制覇を成し遂げたウマ娘がいないという事実も、その過酷さを如実に表している。
「……トウカイテイオーの有馬記念は、災難だったな。スタートであんな不利があって、展開も前残りとは」
「いや──そもそも、あの日のトウカイテイオーの体調は、万全には程遠かった。
あの惨敗は私の責任だ。必ず挽回して見せる」
これ以上トウカイテイオーに屈辱を味わわせるわけにはいかないからな──と、自戒も込めて口にする。
それを聞いたガエリオは、意外だという表情を浮かべた。
「───何だ、その顔は」
「ああ、いや……お前なら、もう一度トゥインクル・シリーズの頂点に立つために──とか言うものだと思っていた。トウカイテイオーを使って、野望を成し遂げるために……とかな。
お前、自分の野望はどうでも良くなったのか?」
「どうでも良くなった、というわけでは──いや、ことトウカイテイオーに関しては、自分の野望のためとは考えていないな。
俺はただ、トウカイテイオーが勝つところをもう一度見たい。トウカイテイオーが敗北し、打ちひしがれる姿は二度と見たくない。それだけのことだよ」
絶句したように、目を見開くガエリオ。
───なるほど。確かに、ガエリオからすれば驚くことかもしれんな。
「メジロマックイーンは、もう復帰の目処は立っているのか?」
「あ、ああ。去年と同じように、阪神大賞典から春の天皇賞を目指す予定だ」
「間に合うのなら、それは楽しみだな。同一GⅠ3連覇は、未だかつて誰も成し得ていない大偉業だ。
それがメジロの名を持つウマ娘によって、天皇賞(春)で実現される可能性があると来れば、メジロ家の期待もさぞ大きいことだろう」
今から胃が痛い話だがな、とガエリオは苦笑する。
メジロマックイーンの長距離適性と京都適性は疑うまでもない。そしてバ場状態も不問。むしろ渋った方が強いまであるウマ娘だ。
能力を維持できていれば、3連覇の可能性は十二分にある──その点は、復帰戦となると思われるGⅡ「阪神大賞典」で問われることだろう。
「そう言えば、マックイーン以外の担当ウマ娘も順調なようじゃないか。ナリタタイシンは年末のラジオたんぱ杯を勝っていたな」
「ああ、よく走ってくれてるよ。……アイツ、本当に強いな。お前、見逃して良かったのか?」
ガエリオはメジロマックイーン以外にも2人、今年クラシック級になるウマ娘を担当している。
その内の1人は、ナリタタイシンというウマ娘。
身体が小さいことからトレーナー探しに苦労していたところに、私の助言を受けたガエリオが声をかけ、担当することになった。
昨年7月の福島レース場でデビューしたナリタタイシンは、デビュー戦こそ勝てなかったものの10月に勝ち上がり、その後はオープン戦の福島ジュニアステークスを制覇した。
それから阪神レース場のマイル戦を2着とした後、年の瀬の阪神レース場芝2000メートルで行われるGⅢ「ラジオたんぱ杯ジュニアステークス」に勝利。
今年のクラシック、有力候補に名乗りを上げた格好だ。
「言っただろう。私はトウカイテイオー以外のウマ娘に興味は無いと。
──それに、トウカイテイオー1人の体調監理すらマトモにできていないのだから、他のウマ娘の面倒などとても見ていられんよ」
もっとも、トウカイテイオー以外の担当ウマ娘を持たない私には、クラシック戦線のことはあまり関係のない話だ。
クラシックが終わって、そこで活躍したウマ娘たちがシニア級GⅠに出て来てトウカイテイオーと対戦することになってから、ようやくといった感じである。
「メジロマックイーンには負けたままだ。今年こそ、その借りも返さねばならないからな。お前へのリベンジもさせてもらうぞ」
「ああ。マックイーンもそのつもりで、トウカイテイオーを呼びつけたみたいだしな」
正面を見たまま、笑って言うガエリオ。
私はその横顔を傍目に見据え、僅かに視界を細めるのだった。
◇
風呂場に押し込まれたトウカイテイオーは、釈然としないままではあったが、ひとまず勧められた通りに使わせてもらうことにした。
流石メジロ家の療養所、というような広さの浴場で、どうやら露天風呂まで付いているらしい。
(……マックイーンは外、なのかな)
脱衣所にメジロマックイーンの物らしい着替えなどは置かれていたが、浴場に本人の姿は無い。
広い浴場に1人きり、となるとテンションが上がる一方で居づらさも少しあり、トウカイテイオーは若干急ぎ目に身体を流した後、露天風呂の方に行ってみることにした。
「……マックイーン?」
「────テイオー。待っていましたわ」
そこにはタオルを巻いて髪をまとめ、石畳に座って両脚だけを露天風呂に入れているメジロマックイーンの姿があった。
トウカイテイオーはペタペタと足音を立てながらメジロマックイーンに近づき、彼女と並んで露天風呂に浸かることになった。
(……なんで、こんなことに?)
マックイーンと一緒にお風呂に入った覚えは無いよね、とトウカイテイオーは思いつつ、横目にメジロマックイーンの様子を窺う。
一方のメジロマックイーンはリラックスした様子で目を閉じ、小さく息を吐いた後、口を開く。
「───復帰は、いつ頃になりそうですか?」
「ボク? トレーナーは確か、順調なら宝塚記念には間に合うんじゃないかって言ってたけど──マックイーンは?」
「
……良かった。春にはまた、貴女と一緒に走れそうですわね」
目を瞑ったまま口元を緩めて、少し笑うメジロマックイーン。トウカイテイオーも、その言葉には同意する。
「そうだね。また、走れるといいね」
「ええ。貴女との決着は、何としてもつけなければなりませんから」
「───決着、って……それは去年ついたじゃん」
「いいえ」
メジロマックイーンは、トウカイテイオーの言葉を断じた。トウカイテイオーは疑問に思い、「へ?」と反射的に返す。
「昨年の天皇賞──芝3200メートル、超長距離のレースでは、確かに
ですが、京都の3200メートルは
そこで貴女を倒してこその完全勝利ですわ、とメジロマックイーンは言う。
超長距離では、確かにメジロマックイーンの方が強いだろう。トウカイテイオーは最後の直線で伸びを欠き、失速した。去年の天皇賞(春)で、2人の優劣はハッキリしたと言えよう。
しかし───中距離では、トウカイテイオーとメジロマックイーンはどちらが強いのか。
それは分からない。
何故なら、トウカイテイオーとメジロマックイーンは、中距離のレースで一緒に走ったことがないのだから。
「……そっか。それは、そうかもね」
「───テイオー? 貴女にしては、覇気が足りませんわね?」
確かに、と頷くトウカイテイオー。
だが、そのあまりにも張り合いが無い、拍子抜け以前に心配になるようなトウカイテイオーの反応に、メジロマックイーンは思わずその顔を覗き込んだ。
「うん……ちょっとね。最近、今のボクの夢は何なんだろうって──ボクが走るのは何のためなんだろう、って考えちゃってさ。
走る理由はレースに勝つため、なんだろうけど……なんでそこまで、って思っちゃうこともあるんだよね」
メジロマックイーンは、俯き加減なトウカイテイオーの言葉を聞いて、少し驚いた。意外だった、と言うべきか。
まさか、あのトウカイテイオーから弱音のようなモノが出て来るとは、メジロマックイーンは思っていなかったのである。
「……貴女の今の夢が何かというのは、
ですが、
「────え?」
「勿論、貴女と勝負した上で貴女に勝ちたいという気持ちは間違いなくあります。しかし、
全力で走って、それでも勝てるか分からない相手。メジロマックイーンにとって、トウカイテイオーはそういう存在だ。
超長距離では無敵の強さを誇り、勝つのが当たり前と思われるウマ娘──それがメジロマックイーン。強すぎてつまらない、とまで言われることさえある。絶対の強さは、時に人を退屈させる。
しかし、天皇賞(春)で「TM対決」と呼ばれたように──トウカイテイオーは、メジロマックイーンに並ぶ存在。
あの時、トウカイテイオーは彼女にとっての脅威であり、同時に超えるべき目標でもあった。
「貴女と全力の勝負をした、あの天皇賞は本当に楽しかった。メジロ家の悲願ということもありましたが、それ以上に貴女に勝つためにはどうすれば良いのかと考え、かつてないほどに没頭して、
ですから、
「────マックイーン」
メジロマックイーンはトウカイテイオーの片手に自分の手を伸ばして持ち上げ、両手で握る。
キョトンとするトウカイテイオーの目を見据え、メジロマックイーンは言う。
「骨折した当初、トレーナーさんにはドリームトロフィーでの復帰も提案されました。
それでも
今回のメジロマックイーンの骨折は、非常に重いものだった。後1ミリでも故障箇所がズレていたら、復帰は叶わなかったと言われるほどのモノ。
メジロマックイーンは去年の時点でシニア級の2年目。菊花賞を制した上、史上初の天皇賞(春)連覇まで成し遂げたとあって、実績は十分にあった。
復帰をトゥインクル・シリーズではなくドリームトロフィーシリーズで、という話が出るのも無理はなかった。
「テイオー。まだトゥインクル・シリーズで走るというなら、もう一度
真っ直ぐに、メジロマックイーンの桔梗の瞳がトウカイテイオーの桃色の目を射貫く。少し震えているようにも見える
「───分かった。今度は、絶対にボクが勝つ。ブチ抜いてあげるから、ボク以外に負けないでね」
「ええ、勿論ですわ。───また置いて行って差し上げますから、今度は泣きべそかかないで下さいな」
再び、トウカイテイオーの目に鋭い輝きが戻ったのを見て、メジロマックイーンは不敵な笑みを返した。
そして、2人は手を握ったまま湯から立ち上がる。
「ところでテイオー。せっかく来て頂きましたし、怪我の診察も受けていきませんこと? メジロ家の主治医は腕が良いんですのよ」
「え?」
「そうですね、それが良いですわ。怪我も早く治るでしょうし」
「マックイーン!? ちょ、離し──やだ! ボクが医者嫌いなの知ってやってるでしょ!?」
次走「ささやかな祈り」