マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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38R ささやかな祈り

 トウカイテイオー、シニア級2年目の春。

 彼女は6月のGⅠ「宝塚記念」での復帰を目指し、リハビリをスタートしていた。

 

 一方、今年も東西ではクラシック級・シニア級のトライアルレースが施行され、春のGⅠ戦線も開幕。

 特に春のシニア級最強決定戦、GⅠ「天皇賞(春)」に関して言えば、まず東のトライアルGⅡ「日経賞」。

 中山芝2500メートル、有馬記念と同じ舞台で、昨年の菊花賞ウマ娘が復帰した。

 

『ライスシャワー残り100! ライスシャワー駆け抜ける! 2番手にはイタリアンカラー!

 GⅠウマ娘の意地!! ここでは負けられないライスシャワー!! 天皇賞に向かって一直線ッ!!』

 

 無敗の二冠ウマ娘ミホノブルボンを破り、昨年の有馬記念でも2番人気に推されたライスシャワー。

 大外枠の上、展開が向かなかったとはいえ、有馬記念の惨敗からその能力を疑う見方もあったが、ここは流石にGⅠウマ娘。

 道中は先頭集団の3〜4番手につけ、残り600メートルから先頭に立つと、そのままスタミナを活かした逃げ切り。しっかりと勝ち切って、優先出走権を獲得した。

 

 一方、西のGⅡ「阪神大賞典」。

 阪神芝3000メートルは、このレースと天皇賞(春)を連覇していたメジロマックイーンが、1年近い休養からの復帰戦として出走を予定していた。

 しかし、中間の調整が狂ったためにメジロマックイーンは回避し、2週遅れのGⅡ「産経大阪杯」へ。超長距離の絶対王者が不在の中、レースはスタートした。

 

『ナイスネイチャかわしたか! ナイスネイチャかわしたか! 外からタケノベルベット!

 もう一度メジロパーマーが伸びる! またもう一度メジロパーマーが伸びる! この辺りがメジロパーマーの恐ろしいところ!

 もう一度出た出た出た!! また出たぞーッ!! またメジロパーマーだ、またメジロパーマーだ!! またまたメジロだメジロだ!! 強いーッ!!』

 

 昨年、春秋グランプリ連覇を達成したメジロパーマーがいつも通りの大逃げを打つ展開。

 ナイスネイチャら後続が猛追するも、内ラチにピッタリ沿って逃げたメジロパーマーは直線でもう一度伸びる脚を見せ、半バ身差で追撃を完封。

 春秋グランプリでの逃げ切りが、決して紛れ(フロック)ではないことを証明してみせた。

 

 そして、昨年はトウカイテイオーが圧勝した阪神芝2000メートル、GⅡ「産経大阪杯」。

 前人未到の天皇賞(春)3連覇を目指すメジロマックイーンが、久方ぶりにターフに姿を現した。

 

『マックイーン先頭だ! 後ろから来れるウマ娘はいるのか! マックイーン独走! マックイーン独走になった、大歓声が上がる!

 完全にマックイーン独走!! ナイスネイチャがようやく上がって来た、しかしマックイーンだマックイーンだ!! 今年もマックイーンッ!!』

 

 3コーナー手前、早めに先頭に立ったメジロマックイーンは、最終コーナーから直線に向いても突き放す一方だった。

 余裕を残した走りで危なげのない圧勝劇を演じ、まさしく完全復活。されど、現役最強のウマ娘にとってはあくまでも通過点でしかない。

 ターフの名優が見据えるは、3つ目の春の盾のみだ。

 

 この産経大阪杯の終了を以て、今年の天皇賞(春)の模様がおおよそ見えるようになった。

 

 中心はやはり、メジロマックイーン。

 

 怪我を経てもなお、その能力には何ら衰えなし。むしろ成長すら感じられるほどだ。

 産経大阪杯を叩いたことで、更に状態(コンディション)も上向いて来るだろう。同一GⅠ3連覇という大偉業に向けて、彼女に死角は無い。

 その対抗がトライアルレースを制したライスシャワー、メジロパーマー。しかしやはり、メジロマックイーンが一段抜けているようだ。

 

 

「ライスシャワーが──消えた?」

 

 産経大阪杯の翌週。

 マクギリスのトレーナー室を、ライスシャワーのトレーナーである三日月・オーガスが訪ねて来た。冷静な彼にしては珍しく、焦っている様子だった。

 

「……どういうこと?」

「昨日、ライスがトレーニングに来なかった。その前も、日経賞が終わってからずっと。探してるんだけど、見つからない」

 

 たまたま同席していたトウカイテイオーが問うと、三日月はこう返した。

 ──トラブルに巻き込まれて遅刻することは、これまでも度々あったとはいえ、トレーニングを完全にボイコットしたのは今回が初めてだという。

 

 真面目なライスシャワーらしくない行動。

 三日月は彼女のことを気にかけて、探すことにしたらしいが、全く見つからないというわけだ。

 

「知ってることがあったら、教えてほしい」

「───私は見ていないが、君はどうだ? トウカイテイオー」

「ボクも見てないかな……うーん」

 

 天皇賞(春)まで、1ヶ月を切っている。この正念場で、彼女ほどのウマ娘が消息不明というのは問題だ。

 「手がかり無しか」と退室しようとした三日月に、トウカイテイオーが言う。

 

「待って! ボクも探すの手伝うよ。良いよね、トレーナー?」

「ああ。怪我自体はもう治っているしな。……それに、私としても彼女のことは気がかりだ」

「───ありがと。よろしく」

 

 急いで部屋を出ていく三日月。トウカイテイオーもそれに続いて、トレーナー室を後にした。

 

 

   ◇

 

 

 ライスシャワーを探すトウカイテイオーは、ひとまずトレーナーが出入り出来ないところから探すことにした。

 彼女が普段いるはずの、トレーナー禁制の学生寮──美浦(みほ)寮に行ってみると、拍子抜けなくらい、ライスシャワーはアッサリ見つかった。

 

「──何してるの?」

「ひゃあっ!?」

 

 トウカイテイオーが話しかけると、ライスシャワーは肩を跳ねさせる。

 ライスシャワーは美浦寮内の掲示板の前に立っていた。そして、彼女の目の前には「天皇賞(春)」のポスター──前年覇者であるメジロマックイーンが写ったものが貼られている。

 

「天皇賞、1ヶ月後だよね。キミのトレーナーが心配してたよ? 日経賞が終わってから、トレーニングに来ないって」

「あ、ええっと……その……」

 

 ライスシャワーは耳を前に倒して、ゴニョゴニョと言いごもる。トウカイテイオーは「どうしたんだろう?」と思いつつ、責めてるように思われてるのかなと考え、一旦目線をライスシャワーから逸らすことにした。

 視線を移した先には、さっきまでライスシャワーが見ていた「天皇賞(春)」のポスター。

 

 ──昨年の天皇賞(春)と言えば、トウカイテイオーが初めて敗北したレースだ。

 トウカイテイオーとメジロマックイーンの対決は「TM対決」と呼ばれ、大いに盛り上がったが、フタを開けてみればメジロマックイーンの圧勝。

 トウカイテイオーは直線でバテて、5着に敗れた。

 

「……このレースももう、1年前かぁ。マックイーンは強かったし、すごく綺麗だったなぁ。

 ボクは全然だったけど、ライスなら───」

「───関係、ないです。ライス、天皇賞には……出ないから」

 

 え? と、トウカイテイオーはライスシャワーに向き直る。問い詰めようとしたことを察したのか、ライスシャワーはトウカイテイオーに背を向け、逃げるように美浦寮の玄関へと走って行った。

 

「ちょっと、ライス!?」

「ライスのことは、放っておいて下さい……!」

 

 追いかけるトウカイテイオーに、ライスシャワーはそう言い残す。しかし、トウカイテイオーはそれで「ハイそうですか」と納得するわけもない。

 

「ライス! どういうこと、天皇賞に出ないって……!」

 

 ライスシャワーは校舎前の広場へと走っていく。トウカイテイオーは追いかけたものの、まだ身体が万全でない状態では、ライスシャワーには追いつけなかった。

 広場に出たところで、アッサリと撒かれてしまった。

 

「───見失っちゃった……」

 

 周囲を見回すが、ライスシャワーの姿は見えない。

 トレーナーが入れないところにいそう、という予想が当たったまでは良かったが、このように取り逃してしまった以上、次は簡単には見つけられないだろう。

 

 しかし、トウカイテイオーとしては「絶対に見つけなければ」という気持ちが強くなった。

 彼女は聞き捨てならない言葉を言い残した。その真意を問いたださなければならない。

 

「天皇賞には出ないって……ライス、本気なのかな」

 

 一体どういう心境の変化か。前哨戦の日経賞に出走し、見事に勝利しておきながら、本番には出たくない──というのは何事か。

 メジロマックイーンに怖気づいた、とも思えないが──

 

「───テイオーさん。今の言葉は、どういうことですか?」

「へ?」

 

 名前を呼ばれ、トウカイテイオーが振り向くと──そこには、ミホノブルボンが立っていた。

 ……2本の松葉杖で、身体を支えた状態で。

 

「ライスシャワーが天皇賞に出ないというのは、本当ですか? ──もしや、どこか故障でも」

「それが、聞こうとしたんだけど逃げられちゃって──でも、怪我って感じじゃないと思う。ライスのトレーナーも、トレーニングに来なかったってことで、ライスを探してるらしいから。

 ……というか、そういうキミは───」

 

 ミホノブルボンは松葉杖をついている他に、右足首に包帯とギプスを巻き付けていた。

 怪我だということは、トウカイテイオー自身も何度も体験しているのですぐに分かるが──ミホノブルボンの次走報が出ないのはそういうことだったのか、とトウカイテイオーは思う。

 

「故障です。つい先日発覚しました。右脚第三中足骨の骨折、復帰の目処は立っていません。

 ───ですが、気にすることはありません。今はそれよりも、ライスシャワーのことが気になります。探しに行きましょう」

「探しに、って──無理しちゃダメだよ!」

 

 まだ慣れないのか、歩こうとしてふらついたミホノブルボンの肩を、トウカイテイオーは正面から支える。

 そして、一度近くのベンチに座らせることにした。ミホノブルボンも無理は出来ないことを分かっているのか、素直にトウカイテイオーの誘導に従い、松葉杖をベンチに立てかけて、座り込む。

 

「……すみません。ご迷惑をおかけしました」

「良いよ良いよ、大変だもんね。

 ───怪我(それ)って、ジャパンカップの直前だっけ?」

「はい」

 

 昨年のジャパンカップを跛行(はこう)により回避したミホノブルボンは、有馬記念も回避。

 1月末に右脚脛骨(けいこつ)の骨膜炎が判明し、しばらくは回復に努めていたが、新たに骨折をしてしまった形である。

 中足骨は疲労骨折することもある箇所だ。──長距離を走るため、入学以来ハードなトレーニングを続けてきた結果、遂に限界を迎えてしまった可能性もある。

 

「後悔はしていません。私の目標は『クラシック三冠』──そのためだけに、この学園に入りました。

 マスターのおかげで、私は二冠を制することができた。菊花賞も、敗れこそしましたが、挑戦することができて良かったと思います」

「そうだね──ボクみたいに出られないと、チャンスも無いから」

「……すみません。そういうつもりでは」

「もう気にしてないよ。怪我も含めて実力なのが、トゥインクル・シリーズだもん。ボクには三冠の実力が無かった、ってだけだよ」

 

 出られずに夢破れたトウカイテイオーと、出て負けて夢破れたミホノブルボン。同じ「無敗の二冠ウマ娘」でも、その過程は全く異なる。

 

「───三冠、残念だったね。惜しかったのに」

「いいえ。他の逃げウマ娘に惑わされてペースを崩し、最後はスタミナで上回られた──あのレースは、私の完敗でした。何度やっても、私の負けは変わらないでしょう」

 

 ですが──と、ミホノブルボンは続ける。

 

「あの敗北から、私には新しい目標ができました。

 ライスシャワーともう一度共に走る、ということです。

 ──そのためにも、ライスシャワーが天皇賞に出ないというのは困ります。私も彼女を探すことに協力します」

「……分かった。お願いするよ、ブルボン。

 でも、無理しちゃダメだからね?」

「承知しました。無理せず、ライスシャワー捜索ミッションを開始します。

 ───そしてテイオーさん、貴女にお願いがあります」

 

 

   ◇

 

 

「……お前ら、何やってんだ」

 

 ミホノブルボンと同じ、オルガ・イツカの担当ウマ娘であるレガシーワールドは、ミホノブルボンとトウカイテイオーを見た瞬間、目を疑った。

 正直話しかけたくない、というか関わりたくなかったのだが、危機感よりも好奇心の方が上回ってしまった結果、引き気味に恐る恐る、真意を尋ねざるを得なかった。

 

 果たして、レガシーワールドが見た光景とは。

 

「ミッション『捜索』を実行中です。捜索対象はライスシャワー。……私は怪我のため、移動には困難が伴いますから、テイオーさんの補助を得ています」

「───ちょっと恥ずかしいけど、ブルボンがこうしてほしいって言うから……」

 

 トウカイテイオーが、ミホノブルボンを肩車している。

 身体はミホノブルボンの方が大きいのだが、流石はウマ娘。トウカイテイオーはビクともしておらず、ミホノブルボンはトウカイテイオーの上で周囲を見回していた。

 

「視界も高くなり、捜索に最適な形態であると判断。『一石二鳥』であると考えられます。

 無敗の二冠ウマ娘同士の合体、三冠を超えた四冠。『フォースクラウンモード』と名付けましょう。

 ───視界内に目標、ライスシャワーの姿を確認できず。地点(ポイント)を変えましょう、テイオーさん」

「……見ての通り、ブルボンは真面目に言ってるから……あ、暇ならあそこのベンチの松葉杖を持ってついて来てくれない? ブルボンの物なんだけど、ボクは今両手が使えないからさ」

「………私に、その状態のお前らと一緒に動けってか」

 

 やっぱり話しかけたのは間違いだった、とレガシーワールドは数分前の自分の好奇心を恨みつつ、ベンチに立てかけられた松葉杖を放置するのもまずいとトウカイテイオーの言葉に従う。

 そして、半分諦めたように、肩車をしたまま移動する2人について行く。

 

「まあ、私もさっきトレーナーに『ライスシャワーを見たらミカに教えてやってくれ』と言われたんだが──お前らもそういう口か?」

「まあね。ボクはライスのトレーナーに直接言われて、ブルボンは事情を話したら『協力させてくれ』って。

 ───ライスにはさっき会ったんだけど、見失っちゃってさ。『天皇賞には出ない』って言ってたのが気になるんだ」

「……天皇賞に出ない、だと? どういうこった?」

「分かんないから、捕まえて話を聞こうと思ってるんだけどさ。全然見つかんなくって」

 

 なるほどな、とレガシーワールドは頷く。確かにそれは話を聞きたい。

 

「───目標を発見しました。2時の方角、70メートルです。ゆっくり、バレないように接近しましょう」

「オッケー」

「……その状態でバレねぇように、ってのは無茶だと思うんだが」

 

 ジリジリと、ベンチに座るライスシャワーに接近する3人だったが、当然ながら最接近前に気づかれた。

 近づいてくるフォースクラウンに、ライスシャワーは恐る恐る震えた声で問いかける。

 

「え、えっと……な、何してるんですか……?」

 

 引き気味。肩車するトウカイテイオーと、肩車されるミホノブルボンという謎の状況を理解できず、半ばフリーズしているようだ。

 ライスシャワーは不安げに、肩車する無敗の二冠ウマ娘×2の隣にいるレガシーワールドに視線を向ける。

 助けて下さい、と訴えかけてくるような紫の瞳に、レガシーワールドは100パーセントの同情を以て返す。

 

「……そんな泣きそうな目で救いを求められてもなぁ。助けてほしいのは私なんだが。この横について歩くの、なかなか辛いんだぞ」

「で、ですよね……」

 

 引きつった笑顔を浮かべるライスシャワー。

 そんなライスシャワーに、トウカイテイオーの上のミホノブルボンが言う。

 

「テイオーさんから聞きました。天皇賞に出ないそうですね」

「ひぃいっ!?」

「不可解です。説明を要求します。

 満足な説明を得られなかった場合、我々はフォースクラウンモードのまま、貴女を追跡し続けます」

「えぇ!?」

「いや、どういう脅しなのさ」

 

 ミホノブルボンにツッコむトウカイテイオー。

 そんな中、レガシーワールドはライスシャワーの左隣に移動し──ベンチに松葉杖を立てかけ、ライスシャワーの左手を掴んで座った。

 

「ふぇっ!?」

「あそこの合体ロボは放っておくにせよ、日経賞が終わってから、何の連絡もなくトレーニングを放棄(ブッチ)してると聞いてる。トレーナーが心配してるぞ。

 『天皇賞に出ない』ってのは、怪我とかそういうモンのせいってわけじゃねぇ。そうならトレーナーはお前を探したりしないからな。不義理は良くねぇ、だろ?」

 

 捕まえられたライスシャワーは、レガシーワールドの指摘にバツが悪い様子で黙り込む。

 トウカイテイオーの肩から下ろされたミホノブルボンは、ライスシャワーの正面に立って、真っ直ぐに問う。

 

「教えて下さい。『天皇賞に出ない』とは、どういうことなのか」

 

 ミホノブルボンとライスシャワーの視線が合う。

 ライスシャワーは迷うように視線を左右させた後、俯いてポツリと、(かす)かな声で吐露し始めた。

 

「───意味、無いからです」

「……意味無い、とは?」

「ライスは、悪役(ヒール)なんです。ライスが勝っても、誰も喜ばない……」

 

 黙り込み、ライスシャワーの言葉を待つ3人。

 ライスシャワーは声を震わせながら、ポツポツと言う。

 

「ダービーで、ブルボンさんが勝って……すごい声援を受けてるのを見て、私もああなりたいって……大きなレースを勝って、みんなを笑顔にしたいって、思いました。

 だから、菊花賞を勝てた時は、嬉しかったんです。ブルボンさんと全力で走って、勝つことができたことも嬉しかったし……次は、私の番なんだって。

 ライスも、みんなに喜んでもらえるんだって……ライスもみんなを笑顔に出来るんだって、そう思ってたんです」

 

 昨年の菊花賞。ミホノブルボンの無敗の三冠がかかった舞台。

 ライスシャワーがミホノブルボンを抜き去り、1着でゴール板を駆け抜けた後──京都レース場、淀の地を包んだのは、歓声ではなく静寂だった。

 

 ライスシャワーの勝利。

 それは同時に、ミホノブルボンの三冠の夢が潰えたことを意味していた。

 

「……ライスが勝っちゃったから、ブルボンさんは三冠ウマ娘になれなかった。

 みんなが見たかったのはブルボンさんが三冠ウマ娘になるところで、ライスが勝つところじゃなかった。

 ライスは、ブルボンさんとは違う……ライスは、ブルボンさんみたいな英雄(ヒーロー)じゃない。誰も、ライスが勝つことなんて望んでなかった。

 ───ライスは、みんなの夢を壊しちゃったんだ……」

 

 ライスシャワーのスカートに、涙が落ちる。

 彼女を囲む3人は、そんなことはない──と言おうとしたが、声には出せなかった。

 

「次の天皇賞も同じ。みんなはマックイーンさんの3連覇を楽しみにしてる。ライスがどんなに頑張って、ライスが勝ったとしても、それはみんなが見たいものじゃない。

 ライスは所詮、悪役(ヒール)なんだよ。ライスが勝っても、誰も喜ばない……ライスは、みんなを不幸にしちゃう……」

 

 ライスシャワー、祝福の名前なのに──と、ライスシャワーは消え入りそうな声で呟いた。

 

「……だから、ライスは天皇賞には出ないんです。もう、ライスのことは放っておいて下さい……」

 

 レガシーワールドの手を振り解いて、ライスシャワーは立ち上がる。

 俯いたまま、3人の誰とも目を合わせようとせず、ライスシャワーは力なくその場を後にしようとして───

 

 

「───勝手なことを言わないで下さい!!!」

 

 

 ミホノブルボンの絶叫に驚き、肩を跳ねさせた。

 思わず振り向いて、ミホノブルボンに言い返す。

 

「ど、どうして……どうして、そんなことを……!?

 言ったじゃないですか、ライスが勝っても誰も喜ばないって……ライスは、みんなを不幸にしちゃうって───」

 

「そんなもの、私の夢が貴女だからに決まっています!」

 

 

 固まるライスシャワー。おずおずと表情を窺ってくるライスシャワーに、ミホノブルボンは涙目で叫ぶ。

 

「誰かが貴女に言ったんですか!? お前には勝ってほしくないと! 私は貴女に言いましたか!? 私は貴女のせいで不幸になったと!」

「そ、それは……」

 

 当然、言われたわけではない。

 菊花賞の日、ライスシャワーはミホノブルボンに次ぐ2番人気に支持されていた。有馬記念でも、トウカイテイオーに次ぐ2番人気。勝利を誰にも望まれていない、なんてことがライスシャワーの思い込みでしかないことは、客観的に見ても明らかなことだ。

 本当に誰にも望まれていないなら、ライスシャワーは最低人気でなければおかしい。

 そうなっていないということは、ライスシャワーの勝利を望んでいる──ライスシャワーを応援している人も、大勢いるということである。

 でなければ数十万人、数百万人が注目するGⅠで、2番人気になどなれるはずがない。

 

「次の天皇賞、私は貴女に勝ってほしいと思っています! メジロマックイーンの3連覇など、知ったことではありません! 私は貴女が勝利するところを見たい! 天皇賞での私の夢は貴女です、ライスシャワー!

 だから、つべこべ言わずに走りなさいッ!!」

「───な、なんで……」

 

 ライスシャワーは涙目のまま、ミホノブルボンの真意を探るように、彼女の様子を探りながら問う。

 

「ブルボンさんに、そう言ってもらえるのは嬉しい、けど……どうして、ライスなの……?

 ライスは、ブルボンさんの三冠を阻んじゃったのに……ライスがいなければ、ブルボンさんは勝ってたのに……ブルボンさんは、ライスがいない方が良かったのに……」

 

 ミホノブルボンは、ほんの一瞬俯き──笑顔を浮かべ、ライスシャワーに語りかける。

 

 

「───貴女が私の、英雄(ヒーロー)だからです」

 

 

 虚を突かれたように、ライスシャワーが顔を上げる。

 ミホノブルボンはゆっくりとライスシャワーに近づきながら、柔らかな優しい声音で続ける。

 

「見ての通り、私は怪我をしました。ジャパンカップを回避し、有馬記念にも出られなかった。未だに復帰の見通しは立っていません。

 三冠の夢が潰え、マスターの期待にも応えることができず、しばらくは走ることすらできない──もう、レースに出ることはやめようと思ったこともありました。

 しかし───私は、貴女ともう一度走りたいと、そうも思いました」

 

 負けはしましたが、菊花賞はとても楽しかった──と、ミホノブルボンは言う。

 

「私を追い抜いて行った貴女の姿が、私はとても印象に残っています。私よりも身体の小さい貴女が──何度も敗北し、挫折を味わってきたはずの貴女が、懸命に走り勝利する姿は、私の胸を打ちました。

 あの菊花賞で、私は貴女と走れて良かったと思います」

 

 ミホノブルボンとライスシャワーの視線がぶつかる。

 ライスシャワーは口を結んで、半ば呆然と、ミホノブルボンの独白を聞いていた。

 

「あの時、私は貴女のファンになったのだろうと、そう思います。チームの脱退届を書こうと、ペンを手にしたこともありますが──貴女のことが思い出されて、私の手は動かなくなった。

 貴女ともう一度走りたい。京都の直線で、貴女と並んだ一瞬をもう一度──私はそう思い、復帰のために今からやれることをやっています」

 

 拳を握るミホノブルボン。

 怪我からの復帰が、いつになるかは分からない──が、何もせずに過ごすわけにはいかないという思いが、ミホノブルボンには有った。

 

「確かに貴女は、私から夢を奪いました。しかし、貴女は新しい夢を、私に与えてくれました。

 貴女は私の夢であり、目標であり───私にとっての、英雄(ヒーロー)なんです」

 

 ライスシャワーの瞳に、涙が滲む。その涙は、先程までとは違うものだろう。

 

「───それなのに何ですか、あの情けない有馬記念8着は!」

「ふえっ!?」

「ウッ」

 

 ミホノブルボンの一喝に、ライスシャワーは身体を跳ねさせる。

 ──隣で話を聞いていたトウカイテイオー(有馬記念11着)にも突き刺さり、レガシーワールド(有馬記念2着)に「どうした〜?」と追撃を受けていたが。

 

「貴女は強いウマ娘なんです! カッコいいウマ娘なんです! 天皇賞で、それを証明しなさい!!」

 

 声を震わせながら、ミホノブルボンはライスシャワーに自分の想いをぶつけた。

 少しの間、その場には沈黙が流れた。──静寂を破り、ライスシャワーが言う。

 

「──ライスは、そんなすごいウマ娘じゃありません。

 本当にドジで、ダメな子なんです。ブルボンさんが言うような、カッコいいウマ娘じゃない」

「……すみません。勝手なことを───」

「でも! ……ブルボンさんの気持ち、受け取りました」

 

 ライスシャワーは、両手を胸の前で重ねて、ささやかな笑顔を浮かべた。

 

「ライス、出ます。天皇賞に。そこで、勝ちます……!」

 

 決意を口にするその目に、迷いは無い。ライスシャワーの力強い言葉に、3人は破顔し、頷いた。

 

「私もしばらくレースには出られねぇしな。去年のクラシック世代の意地、見せてくれよ」

「ボクは去年、マックイーンにやられちゃったし──一発かましてやってよ、ライス。ボクたちも、手伝えることがあったら協力するからさ」

 

 レガシーワールドとトウカイテイオーの激にも、ライスシャワーは頷きを返す。

 

「───良かった。ライス、やる気になったみたいだ」

「だな」

 

 四人のウマ娘のやり取りを校舎の陰から見守っていた三日月とオルガも、ライスシャワーの変化に満足げに頷く。

 敵は超長距離の絶対王者、メジロマックイーン。どう足掻いても厳しい戦いになるだろうが、天皇賞(春)まで残り1ヶ月弱。

 それまでにやれることをやろうと、トレーナーである三日月も思うのだった。

 

 

   ◇

 

 

 その日の夕方。

 トレーニングにやって来たライスシャワーは、前日までのトレーニングをボイコットしてしまったことを謝罪してから、三日月にこんなことを言った。

 

「あのね、お兄さま。ライス、色々考えたんだけど──今のままのライスじゃ、マックイーンさんには勝てないと思う。

 でも、ライスは天皇賞を勝ちたい。マックイーンさんに勝ちたい。勝たなきゃいけない。

 ……そのために、もっと身体を絞って、もっと身体を鍛えて──これまでで一番のライスにならないと」

 

 ──要するに、「もっとトレーニングを厳しくして」ということだった。

 三日月はこれに驚いた。これまで、ライスシャワーへのトレーニングメニューに、手を抜いたことはない。鉄華団の新人たちが音を上げ、誰も完遂できなかったほどの厳しいメニューを、ライスシャワーはこなして来た。

 

「──ライス、それは……」

「お願い、お兄さま。ライスを、マックイーンさんに勝てるライスにして。ライスをカッコよくて、強いライスにしてほしい。

 マックイーンさんに勝てるなら──ライス、どうなっても構わないから」

 

 天皇賞(春)までにも、菊花賞前と同様にかなり厳しいトレーニングをして、ライスシャワーの状態を上げる予定だった。──だが、ライスシャワーはそれ以上のモノを求めている。

 勝てるなら、どうなっても良い──そう言うライスシャワーの姿は、かつての自分のようだと、三日月は思った。

 

「……行き過ぎたトレーニングは、自分の身体を壊すかもしれない。俺は勧められないけど───本気?」

「うん。ライスは、マックイーンさんに絶対勝ちたい。次の天皇賞は、絶対に負けられないから……ライスは、1人でもやる」

 

 ライスシャワーの目を見据える三日月。普段は自信なさげに、あまり目を合わせようとしないライスシャワーだが──その目には、三日月を圧倒する覚悟があった。

 

「───分かった。死にかけるかもしれないけど、本当に良いんだね」

「うん」

 

 ライスシャワーは、迷いなく頷いた。

 ──本当は、止めるべきなのかもしれない。だが、ライスシャワーの目を見たとき、何を言ってもこれを止めるのは無理だと、三日月は直感したのである。

 

 天皇賞(春)まで、1ヶ月と少し。

 ライスシャワーを精神的にも肉体的にも研ぎ澄ますための、あまりにも過酷なトレーニングが始まった。 




次走「悪役(ヒール)か、英雄(ヒーロー)か」
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