マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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39R 悪役(ヒール)か、英雄(ヒーロー)

 4月25日、新緑に彩られた京都レース場。

 芝3200メートルの長丁場、世界最高峰の超長距離GⅠ「天皇賞(春)」の日が、今年もやって来た。

 

 世間の注目を集めるのは、前人未到の天皇賞(春)3連覇のかかったメジロマックイーン。

 天皇賞(春)の3連覇は勿論、同一GⅠの3連覇も、日本では前例が無い。達成されたならば、まさしく大偉業と呼ぶに相応しい。日本は愚か、世界的にも大記録と言えるものになるだろう。

 

 メジロマックイーンがシニア級となって、今年で3年目。こうも長く走っていては、どんなウマ娘にも衰えというものが見え始める頃である。

 昨年秋は重い骨折により戦線離脱をしており、そういう意味でも競走能力の衰えも心配されたメジロマックイーンだったが、春の始動戦となったGⅡ「産経大阪杯」を完勝したことで、その心配が杞憂でしかなかったことを証明した。

 

 今日のメジロマックイーンは、勿論1番人気。

 メジロマックイーン自身、三度目の天皇賞(春)となれば、何の不安も無い。

 

「───調子はどう、マックイーン」

「勿論、今年も絶好調ですわ」

 

 パドックから本バ場へ向かう地下バ道。待ち構えていたトウカイテイオーに、メジロマックイーンは余裕の表情でそう返した。

 

「貴女ともう一度戦うまで、王者であり続けると約束しましたわ。メジロ家の誇りにかけて、貴女との約束にかけて──情けない走りは致しません」

「うん。3連覇、頑張ってね」

「記録は意識しませんわ。(わたくし)(わたくし)らしく、いつも通りの走りをするだけですから」

 

 トウカイテイオーが持ち上げた右手に、メジロマックイーンは通りすがりざまに左手を重ねる。2人の手がぶつかると、軽い音が静かなバ道に鳴り響いた。

 

 メジロマックイーンは本当にいつも通り。去年までと何も変わらない、とトウカイテイオーは思った。

 3連覇に向かって視界良し、というメジロマックイーンの背中を見届けるトウカイテイオーだったが──ふと、背中に突き刺さるような重圧を受けた。

 

(───な、何……!?)

 

 冷や汗が流れるのを感じながら、トウカイテイオーが振り向くと──その目には、1人の小さなウマ娘が、一歩ずつ近づいてくる姿が映った。

 

 

(……今日も、勝たせてもらいます)

 

 一方、トウカイテイオーと別れたメジロマックイーンは本バ場の入口の前で立ち止まり、一度深呼吸をした。

 

 トウカイテイオーには「記録など気にしていない」と言ったものの、マスコミで散々報道されたり、色々な人に言われる中で、3連覇という重圧は少なからず感じている。

 だが、恐れることはない。今まで通り、昨年や一昨年のように走れば、結果はついてくる。間違いなく──

 

(────ッ!!?)

 

 ──と、思っていたメジロマックイーンだったが。

 突如、彼女は身体を震え上がらせた。

 

 足音が近づいて来る。

 その場を流れる空気が変化する。本バ場の方から聞こえてくる歓声が遠くなっていく。

 息が詰まるような重圧──いや、最早それは「殺意」とさえ呼べるものだと、メジロマックイーンは感じた。

 

 何だ。これは何だ。後ろには、何がいる?

 

「な───」

 

 振り向いたメジロマックイーンは、絶句した。

 そこにいたのはただ1人。ゆっくりと一歩ずつ、本バ場へ向かって歩みを進める、小さなウマ娘──の、ハズなのに。

 

 「鬼」がいる。

 メジロマックイーンは、彼女を見た瞬間、そう思った。

 

 あんなウマ娘は見たことがない。

 これまで4年間、メジロマックイーンはトゥインクル・シリーズで走って来て、数多のGⅠに出走して来た。様々なGⅠウマ娘を見て来た。世界のウマ娘とも共に走った。

 

 なのに───何だ、これは。

 何を、見せられているのか。今、目の前にいるこのウマ娘は、一体何なのか。

 

(……あり得、ない)

 

 黒い勝負服に包まれた、小さく細い身体。

 しかし──彼女の身体は、極限まで削ぎ落とされていた。

 無駄な肉が全く無い。身体の全てが、走るためのモノ。ウマ娘という生物は、あんなにも身体を絞ることができるのか。あそこまで仕上げることができるのかと、メジロマックイーンは恐怖した。

 

 何より、そのウマ娘が纏う雰囲気は、異次元だった。

 

 メジロマックイーンは、彼女の身体を包む青いオーラを幻視した。髪に隠されていない瞳が、煌々と輝いているように見えた。

 まるで飢えた肉食獣のようだと、メジロマックイーンは思った。アレは、狩るべき獲物を求めている。闘争の時を待ち望んでいる。

 

 そして───その獲物とは、恐らく。

 

 

「──────」

 

 視線が合うこともない。

 メジロマックイーンの隣を、その鬼は──ライスシャワーは、ただ静かに通り過ぎて行った。

 

 

   ◇

 

 

 スタンドの関係者席で、トレーナー達は出走ウマ娘たちの本バ場入場を待つ。

 その中で、いつになく緊張した面持ちなのが、メジロマックイーンのトレーナーであるガエリオ・ボードウィン。

 

「今日は随分と面白い顔をしているな、ガエリオ。メジロマックイーンの菊花賞以来の、吐きそうだという顔だ」

「……仕方ないだろ。3連覇だぞ、3連覇」

 

 茶化してきたマクギリス・ファリドに、ガエリオはほんの少し緊張が解けた様子で返す。組んだ腕の袖は、これ以上ないほど握りしめられていたが。

 一方──珍しく緊張した表情を浮かべているトレーナーが、もう1人いた。

 

「───ミカ。どうした?」

「……オルガ」

 

 ライスシャワーのトレーナー、三日月・オーガス。

 いつも飄々としている彼だが、今日は口を固く結び、腕を組んでいた。そればかりか、少し身体が震えていて、汗を流している。

 ──三日月とは付き合いの長いオルガだが、こんな三日月を見るのは初めてだった。

 

「……なぁ、大丈夫か? 体調でも悪いのか」

 

 心配した様子で問うオルガ。対して、三日月は無言で首を横に振った。

 

「そういうことじゃ、ないんだけど───ねぇ、オルガ。

 ウマ娘を、怖いって思ったことある?」

「は?」

 

 キョトンとするオルガ。確かにウマ娘は、人間を遥かに超える身体能力を持っている。それを怖い、と感じる者ももしかしたらいるのかもしれないが──

 

「そんなこと、俺は覚えはねぇが──何なんだ、急に」

「……俺はある。ついさっき、ライスを見て思った」

「───どういうことだよ?」

 

 ライス、といえばライスシャワーのこと。三日月にとっては担当ウマ娘だ。特にこの1ヶ月、三日月はほぼつきっきりで、ライスシャワーのトレーニングをしていた。

 その彼女を「怖い」と、三日月は言う。相棒が何を言っているのか、オルガはイマイチ理解できなかった。

 

「……ライスは、完璧に仕上がったよ。俺はそんなライスを見て、怖くなった。火でも吹くんじゃないかって──近づいたら、噛み殺されるんじゃないかって。

 あんなの、戦場でも感じたことなかった」

 

 場内に本バ場入場の軽快な音楽が流れ始め、出走ウマ娘たちの入場が始まった。

 それと同時に場内の実況放送が開始され、二度の坂越えに挑むウマ娘たちを1人ずつ紹介していく。

 

『昨年の菊花賞では、ミホノブルボンを差し切り「無敗の三冠」を阻止。菊花賞と同じ舞台、この淀の地で絶対王者の3連覇をも阻むのでしょうか。

 2番人気を背負う、漆黒のステイヤー。打倒メジロマックイーンへ、2枠3番ライスシャワーです!』

 

 拍手に迎えられ、ライスシャワーが本バ場に入った。

 三日月は集中して、ターフに出て行ったライスシャワーの姿を見つめる。オルガもそれ以上三日月に話しかけることはなく、固唾を飲んで出走の時を待つ。

 

『さあ、名優の登場です。昨年はトウカイテイオーを下し、史上初の天皇賞(春)連覇を達成しました。今年は人気も一強体制、復帰戦の大阪杯も制した彼女に、不安は一切ありません。

 圧倒的1番人気は8枠14番、メジロマックイーン!』

 

 メジロマックイーンがターフに姿を現すと、場内は一際大きな拍手と歓声に包まれる。

 彼女はスタンドに軽く手を振ってから、スタート地点に向かってウォーミングアップとして走り出した。

 

「───相変わらず、良い走りだ。大阪杯よりも一段上のパフォーマンスを期待できそうだな」

「お前にそう言ってもらえれば、安心するよ」

 

 芦毛を棚引かせるメジロマックイーンの走りを見たマクギリスの言葉に、ガエリオはそう返した。

 この舞台に立つまで、メジロマックイーンの全てが上手く行ったわけではない。元々阪神大賞典で復帰予定だったものの、一頓挫により回避を余儀なくされた。

 結果、2週後の産経大阪杯に急遽出ることになったのだが──それでも余裕を残したまま勝ち、短い間隔の中で仕上げてきた。

 

(見事な調整だ。他の担当ウマ娘もクラシック本番に挑んでいる中、立て直しながらここまで持ってくるとはな)

 

 と、マクギリスは素直にそう思う。

 実況が言った通り、メジロマックイーンに不安は無い。後は、相対するウマ娘たちがどうか──というところだ。

 

「───ライス……」

 

 スタンドから見守るミホノブルボンは不安混じりの表情で小さく、同期の菊花賞ウマ娘の名を呟いた。

 今日まで、ライスシャワーはミホノブルボンすら経験したことがないような、ハードなトレーニングをこなして来た。少し手伝った身でもあるが──後は、立てた作戦がハマるかどうか。

 メジロマックイーンがどれくらいの走りをするか、だけだろう───

 

 

   ◇

 

 

『白地にグリーンで鮮やかに彩られた、メジロマックイーンの旗もスタンドで振られています。

 そのメジロマックイーンのゲートインです、が───』

 

 関西GⅠファンファーレが演奏され、スタンドを埋め尽くした大観衆の喝采が淀の青い空に木霊した。

 ───しかし、その歓声はすぐ、どよめきに変わった。

 

 メジロマックイーンが、ゲート前で立ち止まったのだ。

 

「……何、何ですの──!?」

 

 本人も、進まない自分の足に困惑している。自分の尻尾を掴み、自分の身体を前に引っ張るメジロマックイーンだったが、彼女の両足はゲートに進もうとしない。

 

『これは少し、ゲートを嫌がっているでしょうか?』

『そうですね……彼女がゲート入りを躊躇うのは、珍しいですね。何かあったのでしょうか?』

 

 騒然とする場内。11万人のどよめきを遠くに聞きながら、メジロマックイーン自身も一歩を歩み出そうとしているが、やはり足は言うことを聞かない。

 

(な、にが──どうして、こんなことは今まで無かったのに……今日は天皇賞ですのよ!? 何故、こんな……!)

「───マックイーン、大丈夫?」

「……っと──!」

 

 心配そうに、メジロパーマーもメジロマックイーンに声をかける。それで我に返ったのか、メジロマックイーンの足は前に出て、つんのめるように彼女はゲートに入った。

 

『ああ、入りましたね。ようやく気持ちができたのでしょうか、メジロマックイーン。ゲートに納まりました』

 

 他のウマ娘たちも躊躇していたメジロマックイーンを傍目に、次々とゲートに入っていた。

 ライスシャワーは既にゲートの中、目を閉じて集中している。メジロマックイーンのことを気にかけながら、メジロパーマーもゲートに納まり、頭を切り替える。

 

(マックイーン、どうしたのかな──じゃなくて。今日も、爆逃げするッ!)

(さっきのは、一体──いえ、終わったことです。集中しなさいマックイーン、春の盾がかかってるのよ)

 

 メジロマックイーンはゲートの中、気持ちを切り替えんとして軽く自分の両頬を叩いた。──それで、さっきまでの焦りと戸惑いは消えた。

 いつも通り、いつも通りの走りを──と、メジロマックイーンは20分前にトウカイテイオーに自分が言った言葉を思い出す。トウカイテイオーのためにも、今日も強いメジロマックイーンの姿を見せると、彼女は決めている。

 

『15番のキョウワユウショウが入りまして、いよいよスタートであります、第107回の天皇賞!』

 

 出走ウマ娘15人、全員のゲートインが完了。

 春のシニア級最強決定戦、3分半の長丁場。険しい淀の坂を二度越えた先に、掴むらくは天皇の大盾───

 

『ゲートが開いて、15人がゆっくりと飛び出しました! ゆっくりと飛び出しました!

 さあ早くも、9番のメジロパーマーが行きます!』

 

 ───天皇賞(春)、開戦。

 揃ったスタートから、ポーンと飛び出して行く影はメジロパーマー。

 昨年は人気薄の中で春秋グランプリ連覇を達成し、今年は前哨戦の阪神大賞典、タフな阪神3000メートルを逃げ切っての参戦である。

 今日は4番人気、大方の予想通りに逃げを打つようだ。

 

『メジロパーマーが行って、ああ外からメジロマックイーン! メジロマックイーン、メジロマックイーンが早くも2番手に上がる構えであります!』

 

 実況が驚き混じりの声を上げる。普段は先行集団でレースをするメジロマックイーンだが、今日はスタートが良かったのか、何とメジロパーマーに並びかける勢いだ。

 

「マックイーン!?」

「───これは、想定外か?」

 

 トレーナーのガエリオが思っていたよりも、メジロマックイーンの位置が前になっているらしい。驚くガエリオの隣で、マクギリスは冷静にメジロマックイーンを睨む。

 

『ライスシャワーもマチカネタンホイザもムッシュシェクルも、あんまり行きません! 9番のメジロパーマーの後ろ、メジロマックイーンがつけました!』

(……珍しいな。やはり、冷静さを欠いているのか?)

 

 何かから逃げるような走りだと、マクギリスは感じた。

 先頭に立つメジロパーマーが、坂を上って第3コーナーの入口に差し掛かる。そこから1〜2バ身離れたところ、外目をメジロマックイーンは追走している。

 

『こうなりますとメジロマックイーンのパターンでありますが、内から1番のキョウワハゴロモ、そして真ん中に4番のムッシュシェクルであります。

 その外にメジロマックイーン、ちょっと掛かり気味か? 14番のメジロマックイーン。まだ1周目だ、ゆっくり行こうよ。メジロマックイーン、現在4番手』

 

 1周目、第3コーナーと第4コーナーの中間地点。メジロマックイーンは少し勢いを緩め、内から1番のウマ娘と4番のウマ娘を行かせて、外目の4番手に後退した。

 

(───落ち着きなさい。まだ、焦る時じゃない……)

 

 一息吐いて、メジロマックイーンはいつも通りのポジション──逃げるウマ娘を見ながら、自分から捕まえるために動き出せる位置に入った。

 そのすぐ後ろ、右斜め後ろ。左斜め前にメジロマックイーンの芦毛を見ることができる位置、内ラチ沿いに黒い刺客がつけている。

 

(……ついてく、ついてく───)

『その後ろからずーっと、3番のライスシャワーであります。ライスシャワー、それからアイルトンシンボリ、そして13番のイクノディクタス。

 どのウマ娘もちょっと掛かり気味であります』

 

 ペースが極端に遅いわけではないが、開幕から飛ばしていったメジロパーマーとメジロマックイーン、そしてメジロマックイーンが抑えたせいか、折り合いを欠くウマ娘が多いようである。

 メジロパーマーも3200メートルとあってか、いきなり大逃げはしない。まずはペースを落とし、息を入れるつもりらしい。

 

『シャコーグレイドがいました。その後ろでありますが、内からマチカネタンホイザ5番、マチカネタンホイザであります。それからレットイットビーであります、ジャムシード辺りが続きました。

 ちょっと縦長、スローペースになりました』

 

 第4コーナーをカーブして、最初のホームストレッチ。第1コーナーまで500メートルにもなる長い直線コースに入っていく。

 スタンドの前、大観衆の声援を間近で受ける場所。ここをどれだけ落ち着いていけるかが、もう一度この直線に来た時の伸び脚につながる。

 

(──そろそろ、離しに行く……!)

 

 逃げるメジロパーマーは、坂が無いこの直線コースで差を広げにかかりたいところである。

 後方にはメジロマックイーン、ライスシャワー、マチカネタンホイザと長距離で強いウマ娘たちが控えている。

 坂が無い長い直線に入るまでに、どれだけセーフティリードを作っておけるかが、メジロパーマーが最後まで先頭に立ち続けるためのポイントだ。

 

『さあパーマーが引き離しにかかった、ムッシュシェクルが2番手であります。メジロマックイーンはようやく落ち着いた、ようやく落ち着いて外外を通ります』

 

 当然、メジロパーマーがどういう逃げ方をするかは他のウマ娘も承知の上である。

 特に今バ群の外目につけていて、膨大なスタミナを生かしたロングスパートを武器とするメジロマックイーンは、メジロパーマーを捕まえに動くタイミングも図りながら、レースを組み立てて行く。

 

(───落ち着いて。いつも通り、いつも通りです)

 

 とにかく自分に言い聞かせるメジロマックイーン。

 この中では自分が一番強い。いつも通り、昨年や一昨年と同じレースをすれば、今年も勝てる──メジロマックイーンは、大歓声を聞き流しながら平静に努める。

 

『大歓声とともに、もう一度じっくりとメジロマックイーンをご紹介したいところでありますが、これです。14番のメジロマックイーン。

 テレビをご覧の皆さんも、メジロマックイーンに充分ご注目頂きたいと思います』

 

 白く目立つ芦毛の長髪が、11万人の注目を一身に集める。その陰に潜むは、漆黒の髪をなびかせるライスシャワー。

 

『第1コーナー、右にカーブを取りました。ライスシャワーはマチカネタンホイザと一緒に、このメジロマックイーンを見るような展開になりました』

 

 淀に愛され、淀を愛するステイヤーたちが、古都の大地を震わせる大観衆に背を向け、2周目に入って行く。

 

『第2コーナーにかかります、もう一度15人の位置取りを紹介しておきましょう』

 

 2コーナーをカーブし、坂を前にする向正面へ。

 先頭は変わらず、春秋グランプリウマ娘が隊列を淀の坂へと引っ張る。

 

『9番のメジロパーマーであります、9番のメジロパーマーが先頭。例によってかなり差を広げました、スローペース。

 4番ムッシュシェクル、4番のムッシュシェクルが2番手。そして1番のキョウワハゴロモ』

 

 メジロパーマーは大逃げ──否、爆逃げに突入。

 4バ身、5バ身とリードを取って、ここからもう一度ペースを落としつつ脚を残したいところだろう。

 

『外からメジロマックイーン。外からメジロマックイーンであります。紫の髪が新緑に映えています』

 

 少し遠くなった背を見据えるメジロマックイーン。

 外外をずっと回されているが、スタミナに自信のある彼女にとっては大した問題ではない。メジロパーマーを捕まえに行くタイミングを、落ち着いて見計らう。

 

『そして5番手、おお来た来た怖いライスシャワー。

 3番のライスシャワーがピッタリと内につけて、イクノディクタスがその外へ行っている。内から5番のマチカネタンホイザ、じーっと我慢している』

 

 メジロマックイーンの背後には、変わらずライスシャワー。内を通って距離ロスを避けつつ、彼女の目が捉えるのはメジロマックイーンの背中のみ。

 

『その外にシャコーグレイド、そして2番のトーワナゴン。外へレットイットビー、6番のタケノベルベット。11番のアイルトンシンボリがいて、12番ジャムシード。

 15番のキョウワユウショウ、7番のゴールデンアイであります』

 

 バ群の先頭から最後方まで実況が洗い直したところで、メジロパーマーがペースを引き上げにかかった。

 ここからは第3コーナーの坂。二度目の坂越え。高低差4メートル、「ゆっくり上ってゆっくり下る」べき淀の名物、ウマ娘のスタミナを測る心臓破りの坂である。

 

『第3コーナーの坂、天皇賞はスタミナ勝負。ここからが勝負になります!』

 

 坂を上る15人。──この坂で、レースが動き出す。

 

(……行きますわよ、パーマー!)

『さあ、早くもマックイーン! 早くもマックイーン、ムッシュシェクルと一緒に2番手!』

 

 メジロマックイーンが、坂を上りながら徐々にポジションを押し上げていき、2番手のウマ娘ムッシュシェクルに外から並びかける。

 ムッシュシェクルからメジロパーマーとの距離はもう1バ身から3バ身の圏内。先頭集団が坂の頂上に到達し、ここからは長い下りにかかっていく。

 

(────マックイーンさんに、ついてく……!)

 

 さあ、メジロマックイーンが仕掛けた。それ即ち、彼女も──ライスシャワーも動くということである。

 第3コーナーから第4コーナーへ。坂の下り、ペースが一気に加速する。

 

『そして、そしてライスシャワーも来た!

 ライスシャワーもずーっと、メジロマックイーンの外へ! メジロマックイーンの外へ!

 黒い勝負服のライスシャワーが襲いかかります!』

 

 ライスシャワーはメジロマックイーンの真後ろに付け、メジロマックイーンと一緒に上がっていく。

 メジロマックイーンが2番手に上がったということは、ライスシャワーも3番手に上がったということである。

 それからライスシャワーはコーナーを曲がる遠心力に身を任せ、バ群の外に出て行って、メジロマックイーンよりも更に外へと付ける。

 

「───ここまでは、作戦通りです」

 

 ライスシャワーの走りを見つめるミホノブルボンは、冷や汗を頬に一滴垂らしながらも、良しと頷く。

 

「後は、ライスのスタミナ次第──マックイーンか、ライスか……」

 

 少し彼女に助言したトウカイテイオーも、ここからどんな結末が待ち受けているのか、分からない。

 ライスシャワーがメジロマックイーンを倒すための作戦自体は、去年トウカイテイオーが取った作戦と同じだ。

 

 メジロマックイーンをピッタリとマークし、メジロマックイーンにひたすら追随する。

 ロングスパートにも構わず付き合い、絶対に離されないように、置いて行かれないようにする。

 

 絶大なスタミナを生かしたロングスパートで後続をすり潰すのが、メジロマックイーンのレースだ。

 他のウマ娘がバテて止まる中、メジロマックイーンは止まらない。だから1着になる。彼女は自らが仕掛けるタイミングによって、他のウマ娘も含めてレースそのものの流れをコントロールし、支配する。

 長距離のスタミナ、中距離のスピード──その両方を問われる京都芝3200メートル、天皇賞(春)の舞台において、メジロマックイーンの能力はずば抜けている。

 

 ウマ娘の最高速度には限界がある。中距離GⅠでも通用するスピードを持ち、脚を最後まで使い続けるメジロマックイーンを、後方一気の末脚で追い抜くのは難しい。

 距離を離されたら終わり。逃げ切られる。

 だから離されないようにマークし、メジロマックイーンが仕掛けたなら自分も一緒に仕掛け、無茶と承知でついて行かなければならない。

 

 しかし、自分のロングスパートに付き合ってくれるのは、メジロマックイーンにとっては願ったり叶ったりのことである。

 大半のウマ娘は、メジロマックイーンに比べてスタミナの絶対量で劣る。メジロマックイーンと同じタイミングでロングスパートを仕掛けたとしたら、メジロマックイーンより先にバテて、勝手に垂れていく。

 

 メジロマックイーンをマークし、絶対に離されないようついて行くというのは、メジロマックイーンを倒すために必要な作戦でありながら、同時にメジロマックイーンが得意とするレースにマトモに付き合うということでもある。

 

 メジロマックイーンを倒すために、メジロマックイーンが望む形のレースをする。

 矛盾しているようだが、天皇賞(春)という舞台でメジロマックイーンを倒すにはこうするしかない。

 

 京都芝3200メートルの彼女は完璧である。隙が全く無い。

 だからこその絶対王者、だからこそ成し得た連覇。

 この場所で彼女を下すには心身共に、全てにおいてメジロマックイーンの性能を上回るしかない。

 

 

 要するに──この作戦を成立させられるのは、メジロマックイーンと同等以上のスタミナを有している者だけ。

 

 

 

「……けど、今日のライスなら───」

 

 三日月は半ば祈るような気持ちで、第3コーナーから第4コーナー──そして、最後の直線に入らんとしているウマ娘たちに注目する。

 

『さあムッシュシェクルは一杯になった、パーマー先頭! パーマー先頭、そしてマックイーン! マックイーンが2番手、外からライスシャワー! マチカネタンホイザはまだ来ないのか!

 間もなく第4コーナー、マチカネ来た! マチカネタンホイザも差を詰めた!』

「くッ……!」

 

 メジロパーマーのリードはもう潰されていた。メジロパーマーの左横には、涼しい顔のメジロマックイーン。

 その更に外からライスシャワー。こちらは俯いていて、メジロパーマーから表情は見えず。

 マチカネタンホイザもメジロパーマーの真後ろに上がってきていて、先頭集団は団子状態のまま、スタンドを正面に迎える。

 

 先頭はメジロマックイーン。

 そのすぐ後ろにライスシャワー。

 

『さあマックイーンの独走になるか!

 外から、外からライスシャワーッ!!』

 

 京都外回りコース、内ラチが無い直線入口。メジロマックイーンとライスシャワー、白と黒のステイヤーが並ぶ。

 

 

 ───さあ、ここから弾けるのはどちらだ。

 王者メジロマックイーンか、刺客ライスシャワーか。

 

 

「……(わたくし)は、負けられない───」

 

 後350メートル。最後の20秒。

 先にラストスパートをかけたのは、突き放しにかかった名優。メジロマックイーンの方だった。

 

「もう一度、あの盾を──そして、王者としてテイオーと走る!!」

 

 残りのスタミナ、全てを使い果たすメジロマックイーンの豪脚。

 

『さあマックイーン、スパートした!! 今年だけ、もう一度頑張れマックイーンッ!!』

 

 これまで他のウマ娘を叩き潰し、突き放してきた王者の飛翔──だが。

 

 

 ライスシャワーはまだ、メジロマックイーンと並んでいる。

 

 

「───なっ!!?」

 

 横を見るメジロマックイーンの視界から、ライスシャワーが消えない。そのことに、名優は驚嘆する。

 いや、彼女だけではない──メジロパーマーも、必死にメジロマックイーンに喰らいついて来ている。

 

「負けるもんかあああああああッ!!」

 

 振り切れない。振り切れるはずの、他のウマ娘を。

 おかしい、とメジロマックイーンは思う。そして焦る。

 

(な、何故──どうして……!? (わたくし)は、いつも通りの走りをし───)

 

 た、だろうか。

 

(───本当に、いつもの走りをできていた……?)

 

 あのゲートは何だ。あの最初の掛かりは何だ。

 メジロマックイーンは本当に、いつも通りの走りをできていたか──?

 

「否だ」

 

 マクギリスは断言した。ガエリオはその横で、2人のウマ娘に挟まれるメジロマックイーンを呆然と見ている。

 道中の無駄な動作、外外を回り続けるレース──いつも通りの走りを、と思うこと自体、いつも通りの彼女ではなかった。その結果が今、ここに来て現れた。

 

 これが超長距離。これが天皇賞(春)。

 わずかなロスが体力を削り、最後の直線の伸びを欠く。

 

 王者メジロマックイーンとてウマ娘。例外ではない。

 

 無論、メジロマックイーンが末脚を伸ばせていないわけではない。

 しかし、今日はそれ以上に───

 

 

「……ライスは、悪役(ヒール)じゃない───」

 

 ポツリと、小さな黒い影が呟く。

 自分を鼓舞するように。最後の勇気を貰うかのように。

 

 

 

 

「────英雄(ヒーロー)だ……!!!」

 

 

 

 

 ライスシャワーが最後のスパートをかける。

 メジロマックイーンを、ライスシャワーが躱して行く。

 

(───そう、ですか)

 

 完全に横並びになった、ほんの一刹那。

 メジロマックイーンは再び幻視した。ライスシャワーを包む鬼気としたオーラ。青く、帯を引いて輝く双眸。

 

 ライスシャワーが見据えるのは、正面のみ。

 彼女はもう、メジロマックイーンを見ていない。

 

 歯を食いしばる小さな頑張り屋。

 その眼を見た時、メジロマックイーンは悟った。

 

 

(私は今日、最初(はじめ)から負けていた────)

 

 

 本バ場入場の前、ライスシャワーを見た時から。

 いや、もっと前──この天皇賞(春)の舞台へ向かうための、一日一日の積み重ね。勝利に懸ける想いで、メジロマックイーンはライスシャワーに敗北していた。

 

『しかし、ライスシャワーだ!! ライスシャワー躱した!! ライスシャワー躱したか!!

 ライスシャワーだ!! 昨年の菊花賞でも、ミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワーだ!!』

 

 ライスシャワーが抜け出す。メジロマックイーンは粘っているが、やはり動きが悪い。粘りに粘るメジロパーマーとの2着争い。

 

『ライスシャワー完全に先頭!! 2バ身から3バ身と開いた!! ライスシャワーだ!!!

 ライスシャワー、1着ッ!!!』

 

 メジロマックイーンを突き放し、ライスシャワーは決勝線に飛び込んだ。

 決着。第107回の天皇賞、その勝者はライスシャワー。

 

『黒い刺客、ライスシャワー!! 天皇賞でも圧倒的人気の、メジロマックイーンを破りました!!

 昨年の菊花賞でも、昨年の菊花賞でもミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワー!! 春の天皇賞では、メジロマックイーンの大記録を打ち砕きました!!!』

 

 メジロマックイーンは2着。

 ライスシャワーから2バ身半離されてのゴール。

 

 名優の天皇賞(春)3連覇はならず。

 そして───

 

『レコードタイム、3分17秒1ッ!!!』

 

 走破タイムはレコード。

 イナリワンが計時した3分18秒8のレコードを一秒七も更新する、文句無しの記録となった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……やっ、た───!」

 

 ライスシャワーは息を切らしながら、着順掲示板を見上げて笑みをこぼす。

 ───場内は、まだ静まり返っている。

 

(───でも、マックイーンさんの3連覇は……ライスが、阻止しちゃった……)

 

 ライスシャワーには、その沈黙が落胆によるものだと思われて、少し俯いた。

 ……振り向くのが、怖かった。みんなは、どんな顔をしているだろうか。旗まで作って、メジロマックイーンを応援している人もいた。そんな人たちの夢は叶わなかった。

 

 その時──小さな拍手が、ライスシャワーの耳に届いた。

 

 恐る恐る、ライスシャワーが振り向くと──そこに立っていたのは、メジロマックイーン。

 彼女はどこか晴れやかな顔をして、ライスシャワーに称賛の拍手を贈っていた。

 

「───マックイーン、さん……?」

 

 振り向いたライスシャワーに、メジロマックイーンはただ笑顔で、言葉は要らないとばかりに拍手を続ける。

 それを見たメジロパーマーも拍手を始めて、他の出走ウマ娘たちからも同じように拍手が起き、やがてスタンドへと拍手の波は広がっていった。

 

 まだ、歓声は起きない。しかし、誰もがライスシャワーの素晴らしい走りに、賛辞を贈っていた。

 

(────────)

 

 ライスシャワーは、拍手に応えるように一度だけ、深々とお辞儀をした。

 

 

   ◇

 

 

「───裏切りましたわね、テイオー」

 

 レース後。控室で、メジロマックイーンは訪ねて来たトウカイテイオーに、開口一番そう告げた。

 丸椅子に深く座り、扉に背を向けて顔を見せてくれないメジロマックイーン。「裏切り」に若干思い当たる節があるトウカイテイオーは、横に視線をズラしながら返す。

 

「な、なんのこと……?」

「とぼけないで下さいまし。ライスさんのあの作戦──アレは、貴女の入れ知恵でしょう?」

 

 メジロマックイーンの後ろにピッタリと付き、直線で並びかけ、差し切る───今日のライスシャワーの走りは、去年トウカイテイオーがやろうとして失敗したことだ。

 

「『ボク以外に負けないで』と言っておきながら、ライスさんを差し向けるなんて──やってくれたものですね?」

「そ、そんなつもりじゃないよ! ボクはちょーっと、アドバイスをしただけだし……?」

 

 最初は「天皇賞に出たくない」と言っていたライスシャワーの説得に、トウカイテイオーは関わった。

 その流れでトウカイテイオーは、対メジロマックイーンの経験があり、どうすればメジロマックイーンを倒せるかという研究をしたことのある有識者として、少し助言を求められていたというわけだ。

 

「───冗談ですわ。それに、今日のライスさんの勝利は、ライスさんの努力の結果でしょう。どうあっても、(わたくし)は今日、ライスさんに負けていました」

 

 と、メジロマックイーンは明るい声音で語る。

 それが少し、トウカイテイオーには意外だった。

 

「……悔しいとか、ないの?」

「悔しいですわ。勿論、ものすごく。本当に悔しいです。

 (わたくし)は今日、ライスさんに気圧されて平静を欠きましたし、最初に掛からなければ2バ身半を詰められたのではないか──と、反省することもありますが、それ以上にライスさんの走りは素晴らしかった。

 ですから、そう落ち込んではいませんし、落ち込んでもいられませんわ」

 

 言いながら、メジロマックイーンは椅子を回転させ、トウカイテイオーに振り向いた。

 

「何せ、次の敵は貴女なのですから」

 

 その顔は、心底から楽しみだと言わんばかりの笑顔。

 

 メジロマックイーンの次走になるであろう、春のグランプリ──GⅠ「宝塚記念」。

 阪神芝2200メートルの舞台は、トウカイテイオーが復帰戦として目下の目標にしているレースでもある。

 

「───そうだね。今日のライスみたいに差し切ってあげるから、覚悟しといてよ」

 

 トウカイテイオーも、負けじと好戦的な笑顔を返す。

 灼熱のグランプリは「TM対決」第二幕の舞台となる。

 

 

   ◇

 

 

 本バ場を後にし、地下バ道から控室に戻るライスシャワー。そんな彼女の前に、1人のウマ娘が立った。

 

「───おめでとうございます、ライス」

 

 ライスシャワーと同期の二冠ウマ娘、ミホノブルボン。

 微笑みを浮かべて立つ彼女の姿を見て、ライスシャワーは唇を噛みしめる。

 

「……また、大勢の人の夢を、壊してしまいました」

 

 スカートの裾を握りしめるライスシャワー。

 そんな彼女に、ミホノブルボンは静かな声で言う。

 

「レースとは、そういうものです。勝つのは1人だけ。誰かが勝って、誰かが負ける──夢といえば、出走するウマ娘の全員が背負っています。しかし、叶う夢は一つだけ。

 私たちは──ウマ娘は、勝つたびに誰かの夢を壊す。特にGⅠウマ娘は、多くの夢の屍の上に立っている」

 

 英雄(ヒーロー)になれるのは、1人だけ。

 ヒーローが勝つのではない──勝った者こそが、ヒーローなのである。

 

「───胸を張って下さい。貴女は今日、誰しもが納得する、誰しもが認める素晴らしい走りをしました。

 スターは、初めからスターだったのではありません。走り続けたからこそ、スターになるのです。

 今日の静寂がいつか、歓喜と祝福の声に変わる日も、必ず来ます」

 

 だって──と言いながら、ミホノブルボンはライスシャワーに歩み寄る。

 右手を差し出し、ライスシャワーの目元に滲んだ涙を拭いながら、ミホノブルボンはライスシャワーの俯いた顔を上げさせた。

 

「貴女の名前は、ライスシャワーなのですから」

 

 

 悪役(ヒール)か、英雄(ヒーロー)か。

 悪夢か、奇跡か。

 

 彼女の名はライスシャワー。

 全ての人を幸せにする、祝福のウマ娘。

 

 

「…………うん」

 

 少女は小さく、けどしっかりと、笑って頷いた。




次走「三度目」
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