夏合宿が終わり、トウカイテイオーはトレセン学園に戻ってきた。
……が、トウカイテイオーのリハビリは順調とは言えない状況であった。もう8月の後半というのに、トウカイテイオーはようやく包帯を脚から取ることができたところである。全力で走ることは、まだ叶わない。
「焦ることはない。少しずつでも、感覚と能力を取り戻していけば良い」
と、トレーナーのマクギリスは言っていたが、トウカイテイオーの表情は晴れない。
トウカイテイオーは1人、トレーニングコース内にあるベンチに腰掛けて、夕暮れでオレンジ色に染まった空を見上げている。
(───ボク、もう忘れられちゃったのかな)
ボンヤリと、そんなことを思うトウカイテイオー。
世間の注目は今年のクラシック級、ティアラ二冠ウマ娘や「BNW」なる三強に集中している。
クラシックが終われば、彼女らはシニア級GⅠに出て来て、そこでも多くの話題を集めるだろう。
シニア級中長距離戦線は今、メジロマックイーンの一強。彼女を新世代のウマ娘たちが倒せるか、という構図である。
短距離戦線に関しては、安田記念連覇を達成したマイル王のヤマニンゼファーが、「三階級制覇」を目指して「天皇賞(秋)」で中距離GⅠに挑戦する、というのも大きな注目を集めている。
スプリント(1200)・マイル(1600)・クラシックディスタンス(2000)の3つの根幹距離でのGⅠを制覇すること──それこそが「三階級制覇」。
もし達成されれば、史上初の大偉業となる。
秋のGⅠ戦線に向け、着実に盛り上がりを見せるトゥインクル・シリーズ。
しかし───その話題の中に、トウカイテイオーの名前は無い。
最近は、「応援して
まだ引退してないんだけどな、と聞くたびに思うし、悪意を持って言っているわけではないというのも分かるのだが──もう期待されてないんだろうか、とトウカイテイオーは少し胸が痛くなる。
去年の有馬記念で故障して、結局出る予定だった宝塚記念も再度の故障で回避し、復帰は未定───確かに、もう無理だろうと思われるのも仕方のないことだとは思う。
トウカイテイオー自身、あまりにもレースに出られなさ過ぎて、本当にまた走れるのだろうか──と、不安に駆られることが全く無いと言えば、それは嘘になる。
「酷い顔ですわよ、テイオー」
後ろから声をかけられる。
振り向くと、そこにはトウカイテイオーのライバル──メジロマックイーンが立っていた。
「イクノさんからお聞きしましたわ。夏合宿では、貴女のトレーナーさんについて詳しく聞いていたそうですわね。
……その、どういう風の吹き回しですの?」
ベンチの正面に回り、トウカイテイオーの隣に座りながら、メジロマックイーンは最適な言葉がパッと見つからない、という感じで少し言い淀みながら問う。
一方、トウカイテイオーは顎に人差し指を当てながら、夕暮れの空に視線を戻して答えた。
「どういう、というか、何となく気になったんだよね。ホラ、ボクのトレーナーってたまによく分からないこと言ったりするじゃん? トレーナーのことに詳しくなれば、そういう意味も分かるのかなって。
あの人、掴みどころがあるようで全然無い……って感じするからさ」
「───何を考えているのか分からない、ということですの? ……
何を考えているのか分からない、という表現で、トウカイテイオーは何となくしっくり来た。
───同時に、メジロマックイーンのトレーナー……ガエリオ・ボードウィンのマクギリス評も気になるところである。
カルタの話によれば、ガエリオはマクギリスの友人であり、マクギリスに殺され、マクギリスを殺した人物だというのだし。
「『難しく考えてそうで意外とそうでもない』かぁ……」
うーん、と腕を組んで考え込むトウカイテイオー。
その様子を10秒ほど見守った後、メジロマックイーンはトウカイテイオーに声をかけた本題に入る。
「テイオー。先程はどうして、あのような酷い顔をしていたんですの?」
「……ボク、そんなに酷い顔してたの?」
「はい。───何か思い詰めているのなら、その……
心配そうな表情で、メジロマックイーンはトウカイテイオーの顔を覗き見る。
トウカイテイオーは、ライバルであるマックイーンに弱みを見せてしまうなんて──と思う一方で、マックイーンになら良いか……とも感じていた。
「そんな、大したことじゃないよ。───ちょっと、不安になっちゃってさ。ボクはまた、ちゃんと走れるんだろうかって」
うつむき加減にポツリと弱音を零したトウカイテイオーに、メジロマックイーンはどんな言葉をかけるべきかと、脳裏で幾つか候補を挙げるが、どれも違うと排除した。
メジロマックイーンもこれまで大きな怪我をして来た。トウカイテイオーが言う不安も、今の彼女の気持ちも痛いほど理解できる。
「大丈夫です」と言うのは簡単だが、そんな気休めをしても仕方がない。
……トウカイテイオーのために、メジロマックイーンができることは。
「テイオー」
メジロマックイーンはトウカイテイオーの名を呼んで、その顔の前にストップウォッチを垂らした。
トウカイテイオーはキョトンとしながらストップウォッチを受け取って、メジロマックイーンの方を見る。
「……? いきなり何さ?」
「タイムを測ってほしいと思いまして。今から
言いながら、メジロマックイーンは立ち上がる。
去年の秋、全休したメジロマックイーンはトウカイテイオーの走りを見て、自分ももう一度──と、決意を新たにした。
ならば、今度はメジロマックイーンの番だ。
メジロマックイーンができることは、トウカイテイオーに自分の走りを見せることだけである。
「本気で……って、良いの? メニューとかあるんじゃないの?」
「まだ8月ですから。
軽くストレッチをして、メジロマックイーンはスタート地点に立つ。2000メートルというと、ちょうど今立っているウッドチップコースを1周する距離だ。
メジロマックイーンが腰を低くし、スタート準備を整えたところで、トウカイテイオーはストップウォッチを構えて、合図をする。
「じゃあ──スタート!」
トウカイテイオーがストップウォッチ側面のボタンを押すと同時、メジロマックイーンはウッドチップを強く蹴り上げて、勢い良くスタートした。
メジロマックイーンが見るのは前だけ。意識するのは自分の呼吸だけ。内ラチ沿いに、メジロマックイーンはコースを左に回っていく。
トウカイテイオーは、メジロマックイーンの走りを遠目に見つめる。
フォームには一切の乱れがない。
身体の運び、バランスには非の打ち所が無い。
地面を蹴る脚は、傍目には考えられないほど力強い。
シニア級の3年目だというのに、メジロマックイーンは衰えを見せるどころか、むしろ成長する一方。
彼女が一番強いのは今だ。彼女は強くなり続けている。
芦毛の髪を靡かせ、風を切り裂いて走るメジロマックイーン。夕日に照らされたオレンジ色の世界に、白い名優が美しく駆ける。
(ああ────)
遠くを走るメジロマックイーンの姿を見て、トウカイテイオーは。
(────速いなぁ)
笑顔で、潤む目を細めた。
メジロマックイーンの走りは本当に綺麗で、どこまでも美しかった。
何者も追いつけない、誰も届かないと思わせる。
もし一緒に走ったら、とトウカイテイオーは考える。
並んでスタートし、トウカイテイオーはメジロマックイーンの真後ろに付けて───
(………………そっか)
────ストン、と。
心の中で引っかかっていたモノが落ちる音を、トウカイテイオーは聞いた気がした。
分かった。
分かってしまった。
メジロマックイーンの走りを見て、トウカイテイオーは───もう、追いつけないと。勝てないと、思ってしまった。
二人はもう、こんなに離れてしまった。
これは、あの時と同じモノだ。
メジロマックイーンと走った天皇賞(春)。
無我夢中で、もがきながら手を伸ばして───絶対に届かない、トウカイテイオーの遥か先を走る、美しい背。
だけど────あの時よりもっと、あの背は遠かった。
ゴール地点を、メジロマックイーンが駆け抜ける。
僅かな風がトウカイテイオーの頬に吹き付けた。目で追うことすらできず───震える手には力が入らず、ストップウォッチを止めることはできなかった。
幾つもの涙が、進み続けるストップウォッチに零れ落ちる。……その時は、トウカイテイオーには無い。
「はぁ──テイオー、どうでしたか!? タイムはどうですの、テイオー!」
走り切り、止まったメジロマックイーンが、遠くからトウカイテイオーに声をかける。
メジロマックイーンの声は、トウカイテイオーには届いていなかった。聞こえてはいるが、届いていない。
その顔に浮かぶのは、笑顔だった。
トウカイテイオーは笑って、涙を溢れさせて、唇を引き締めて、憎らしいほどに赤い空を見上げることしかできなかった。
やがて、決壊してしまったように。
トウカイテイオーの口は、堪えられず言葉を漏らした。
「ボクは、もう───あんな風には、走れないんだ……」
◇
翌日、夕方。マクギリスのトレーナー室に、トウカイテイオーが訪ねてきた。
いつもはトレーニングのためにジャージ姿であることが多いが、今日のトウカイテイオーは制服を纏っていた。
珍しいな、と思いながら、マクギリスは見ていたパソコンの画面から視線を外し、微笑を浮かべて口を開く。
「やあ、トウカイテイオー。今日はまだ着替えていないのだな────」
マクギリスは、最後まで言えないまま固まった。
目を見開き、驚きを露わにする。こんな間抜けな顔は初めて見たかもしれない、とトウカイテイオーは思う。
そんなトウカイテイオーの、差し出された手には───「引退届」と書かれた白い封筒が握られていた。
「……ごめんね、トレーナー。ボク、引退するよ」
弱々しい声で、トウカイテイオーは寂しそうに言った。
マクギリスは固まったまま。──何が起きているのか、マクギリスには全く理解できなかった。
引退? 何を? 誰が? 何故?
「───どういう、ことだ……?」
呟くように、辛うじてマクギリスは言葉を絞り出した。
頭をハンマーで思い切りブン殴られたようだった。全く働いてくれない。マクギリスの明晰なハズの頭は、完全に機能を停止している。
「ボク、引退するよ。トゥインクル・シリーズを。ドリームシリーズにも行かない。───もう、走らない」
どういうことだ、とマクギリスの脳は質問を繰り返す。
分からない。どういうことだ。引退する? トウカイテイオーが? どうして? トゥインクル・シリーズを? 走らない? もう? トウカイテイオーが?
「……ホラ、早く受け取ってよ。これ、トレーナーに出すんでしょ?」
手が動かなかった。腕が上がらなかった。
マクギリスは呆然と、トウカイテイオーを見ているだけだった。突然の衝撃に、マクギリスはそれしかできなかった。
「───もう、置いておくからね。それじゃよろしく、トレーナー」
業を煮やしたトウカイテイオーは、マクギリスが座る執務机の上に届を置いて、踵を返した。
マクギリスは何も考えられないまま、しかし身体は金縛りから解かれて勝手に動いて、両手を天板に置いて椅子から立ち上がった。
切なげに揺れるポニーテールに向かって、マクギリスは懇願する。
「待ってくれ……! まだ、まだ早い──まだ、引退なんてする必要は無いハズだ……! 君はまだ走れる、今は無理でもいつか……必ず、俺が走れるようにしてみせる! また頂点に立てるように、レースで勝てるようにしてみせる! だから待ってくれ……! 君はまだ、こんな形で終わるようなウマ娘じゃ───」
振り向かないまま、トウカイテイオーはマクギリスの言葉を否定するように、首を横に振った。
絶句するマクギリスを背に、トウカイテイオーは部屋の入口まで辿り着いた。──そして、少しだけ振り向いて、バツが悪い様子で呟いた。
「……今までありがと。全然走れなくて、迷惑ばっかりかけてごめんね。今度は、頑丈な子を見つけてよ」
ゆっくりと、ドアが閉められる。静寂の中に、カチャリという音が寂しく響いた。
マクギリスは力無く、沈むように椅子に腰掛け直した。それから、トウカイテイオーが置いていった届が視界に入り、素早く手に取って封筒の中の紙を取り出した。
その中には事務手続き上必要な書類と、手書きの横書きの紙が1枚。
書き出しには「トレーナーへ」と書いてある。マクギリスは呆然と、トウカイテイオーの字に目を滑らせていく。
『トレーナーへ
いきなりこんなこと決めちゃって、迷惑かけちゃってごめんね。
昨日、マックイーンに走りを見せてもらったんだ。マックイーンは、ボクを元気づけようと思って見せてくれたんだけど……ボクはマックイーンの走りを見て、もうゼッタイに追いつけないだろうなって、もうあんな風には走れないだろうって、そう思っちゃった。
だから、ボクはもう引退しようかなって。ボクはカイチョーやマックイーンみたいなウマ娘にはなれない。もう十分にやり切ったと思うしさ。ボクはもう満足だよ。
トレーナーは、力のあるウマ娘だと思って、ボクをスカウトしてくれたんだと思うけど、今のボクはもうそんなウマ娘じゃなくなっちゃった。ボクのことは気にしないで。トレーナーなら、ボク以上のウマ娘と一緒に、またトゥインクル・シリーズの頂点に立てるよ。応援してる。頑張ってね。
3年間、楽しかったよ。ありがとね。
「────ッ、フザケるなァッ!!!」
トウカイテイオーの手紙を、机に叩きつける。
初めてトウカイテイオーに怒ったかもしれない、とマクギリスは他人事のように思う。
「勝手に諦めるな!! 勝手に決めつけるな!! 俺にとって君以上のウマ娘など、いるわけがないだろう!!
それに、何なんだあの顔は……!! 本当にやり切ったと言える奴が、もう満足だと思っている奴が、あんな顔をするハズがないだろうが……!!!」
しかし、激情はそこまで。
拳を握りしめながらも、俯いてマクギリスは考える。
───とはいえ、もうできることはない。ウマ娘の意思は最も尊重されるべきモノだ。
トレーナーはあくまで、ウマ娘を支える人間。トウカイテイオーが「もう走らない」と言うなら、トレーナーが無理に走らせるわけにはいかない。
「……だが、トウカイテイオーをこのまま終わらせるわけにはいかない」
マクギリスはそう断言した。
こんな終わり方をしては、彼女は一生後悔する。
マクギリスにはそういう確信があった。このまま終わったら、トウカイテイオーは一生、自分の気持ちを騙し続ける。大切なモノから目を逸らし続けるだろう。
そうなったら、かつてのマクギリスと同じだ。あんな真似を、トウカイテイオーにさせるわけにはいかない。
……それに、あんな酷すぎる顔のトウカイテイオーを、放置するわけにはいかない。
トウカイテイオーをこのまま終わらせてしまったら、彼女はきっと、二度と心から笑えなくなる──マクギリスには、それもまた確信としてあった。
(───だからといって、どうする……?)
マクギリスは爆速で脳を回転させる。
トウカイテイオーをこのまま終わらせないために、できることは何だ。やるべきことは何だ。
しばらく、微動だにせず考え続けていたマクギリスだったが──やがて、思い立ったかのように立ち上がるのだった。
◇
「……そう、ですか。テイオーが、そんなことを」
マクギリスが訪れたのは、生徒会室。
そこで1人、事務仕事をしていたシンボリルドルフは、マクギリスからトウカイテイオーの決断について聞かされ──寂しそうに俯いた。
しかし、シンボリルドルフはすぐに顔を上げて、マクギリスに向き直る。
「───それで、私に何をしろと?」
「この時期ともなると、少々無理な願いかもしれないが──今度、聖蹄祭があるだろう? 当日、ステージを十数分ほど貸してほしい」
ステージを? と、シンボリルドルフは首を傾げる。
毎年、トレセン学園では「ファン感謝祭」が春と秋の二度実施されている。
秋の感謝祭は「聖蹄祭」と呼ばれ、生徒やチームが出し物をしたりライブが行われたりと、文化祭を兼ねているような一大行事だ。
URAが、というより生徒が主導するイベントで、生徒会もその運営に大きく関わっている。とはいえ、実際に運営するのは実行委員会で、生徒会はあくまでそのバックアップ役という立ち位置ではあるが、生徒会(と教務)が許可しなければ動かない部分も多々ある。
要は、感謝祭において生徒会──ひいては生徒会長には、大きな権限が与えられているというわけだ。
マクギリスが言うステージ、というのはトレセン学園内の施設である屋外ライブステージのことだ。
特大パネルがステージ中央に設置されており、音響設備もライブの実施に耐えうるモノとなっている。
感謝祭の当日はトークイベントやライブなどで使用予定であり、スケジュールもギチギチに組まれている。
今は8月末。9月下旬の感謝祭当日までは1ヶ月を切っており、今から新たに予定をねじ込むのはなかなか難しいことではある。
その無理を通すには、生徒会長たるシンボリルドルフにかけ合うのが最も手っ取り早い──というのが、マクギリスのやり口だ。
「トウカイテイオーほどのウマ娘が、引退届だけ出して静かに引退──というのも問題だろう? 彼女ほどファンが多いウマ娘もそうはいない。
引退の前に一度、ファンの前に姿を見せ、感謝の言葉を伝える機会を設けたい。公での引退発表もその場でしようと考えている」
トウカイテイオーもノーとは言うまい──と、マクギリスは画策している。
グランプリの人気投票で、トウカイテイオーは常に多くの票を獲得してきた。トウカイテイオー自身、それに応えたいという気持ちは持っていたようでもある。
「……なるほど。引退発表と、ライブも何曲かやらせたいというわけですか」
「ああ。トゥインクル・シリーズは、ファンの応援あってこそ成り立つ。それは彼女もよく分かっているハズだ」
「───良いでしょう。タイトなスケジュールですが、何としてもその時間は確保してみせる、と約束します」
シンボリルドルフの頼もしい言葉に、マクギリスは僅かに表情を緩めた。
しかし、その直後のシンボリルドルフの問いを受けて、マクギリスは再び表情を険しくするのだった。
「しかし───貴方は、本当にそれで良いと思っているのですか?」
「……まさか。良いわけがない。こんな終わり方では、トウカイテイオーはいずれ後悔する。一生後悔するだろう」
「───では、何故……」
怪訝な表情を浮かべるシンボリルドルフ。
マクギリスは、皇帝の瞳に真正面から受けて立ち、断言した。
「
ステージに引きずり出してしまえば、トウカイテイオーに見せつけることができるだろう。
トウカイテイオーの走りが、どれほど多くの人の心を打ったのか。どれほど多くの人が、トウカイテイオーの再びの帰還を待ち望んでいるのか。どれほど多くの人が、トウカイテイオーを好きでいてくれて、トウカイテイオーを応援しているのか」
無敗の二冠。産経大阪杯での復活。天皇賞(春)でのライバル対決。ジャパンカップの勝利。
トウカイテイオーは常にトゥインクル・シリーズの中心に立ち続け、多くの人を熱狂させてきた。
今も多くのファンが、トウカイテイオーの帰還を待っている。トウカイテイオーの走りを、もう一度見たいと思っている。
───それは、もう一度全霊を賭すに相応しい、トウカイテイオーに諦めを捨てさせるに足るモノではないか。
というのが、マクギリスの腹積もりだ。
「……彼女自身が諦めてしまっても、貴方は──トウカイテイオーを諦めないと、そう言うのですね」
「当然だ。ウマ娘自身の意志を尊重しないのは、トレーナー失格と言われても仕方ないことだろうが──何、どの道私は未熟者だ。いざとなれば泣き叫んで、彼女の脚に縋りついてでも懇願するつもりだよ」
悪辣な笑みを浮かべるマクギリス。シンボリルドルフはそれを受けて苦笑し、共犯者となる決意を固めた。
「───子供のような人だな、君は」
「ああ。見苦しく足掻き、破れかぶれの無様を晒すのには慣れているよ」
◇
「トウカイテイオー!」
トレーナーに別れを告げ、トボトボと歩いていたトウカイテイオー。その背中に、元気な声がかけられた。
振り向くと、そこに立っていたのは青い髪のツインテールの少女──ツインターボだった。
「キミは、確か……ダブルジェット?」
「ツインターボ! 1文字も合ってないじゃん!」
うろ覚えのトウカイテイオーにしっかり名乗った後、ツインターボはオッドアイを真っ直ぐにトウカイテイオーの目に向け、言う。
「ターボ、この前重賞勝った。テイオー、ターボと勝負しろ! ライバルとして、ターボはテイオーに勝つ!」
「ライバル……?」
「そう! ターボ、今度オールカマーに出る! まずはそこで勝負しよ!」
首を傾げるトウカイテイオーに、一方的に宣言するツインターボ。しかし、トウカイテイオーはツインターボの宣戦布告に応えることなく、僅かに目を細めた。
その、冷徹にも見えるトウカイテイオーの視線に、ツインターボは少し怯む。トウカイテイオーはツインターボに再び背を向け、歩き出す。
「……テイオー?」
「───悪いけど、勝負はできない。ボクはもう走らないから」
思わぬ言葉に、ツインターボは呆気に取られる。
ただ、それで別れるわけにはいかない。ツインターボはトウカイテイオーに食い下がる。
「な、何で……もう走らないって、どういうこと!?」
「……知ってるでしょ。怪我ばっかりして、ボクにはもう前みたいな走りはできない」
「そんなの、やってみないと分からないじゃん! ターボやだ、テイオーがいなくなるなんて嫌だ! 勝負、ターボと勝負してよ! 勝手に決めつけて、勝手に諦めるなんてテイオーらしくない!」
「ッ、キミに何が分かるのさ!!」
ツインターボの言葉を遮って、声を荒げるトウカイテイオー。ツインターボは驚き、泣きそうな顔で思わず一歩後退した。
「ボクだって、走れるなら走りたいよ! でも、もうできないんだよ! 走りたいのに走れないのって、すっごく辛いんだよ……! 勝手なこと言わないでよ!」
「──ターボ、分かんない。分かんないよ、テイオー! 走りたいなら走れば良いじゃん! なんで走れないって、なんで走りたいのに諦めるの!?」
「うるさい!!! キミには関係無いでしょ!! ボクのことはもう放っておいてよ!!」
勢いのまま振り向いて、ヒステリックに叫んだトウカイテイオー。──少しの静寂の後、トウカイテイオーはハッと我に返って、涙を堪えるツインターボを見た。
「……うわあああん!! テイオーのあんぽんたん!!」
ツインターボは逃げ出すように、トウカイテイオーの前から泣き叫びながら走り去ってしまった。
トウカイテイオーは思わず、ツインターボの背に向かって片手を引き留めるように伸ばしたが──すぐに下ろして、ツインターボの走っていった方向とは真逆の方向へ向かって歩き出した。
「────────」
俯いたまま唇を噛み、拳を握りしめる。
重々しい足取りで、トウカイテイオーは帰っていった。
◇
「テイオーのあんぽんたん……!」
一方、泣きながら走るツインターボは、誰かの胸にぶつかって止まった。ツインターボがぶつかったウマ娘の顔を見上げると、相手は驚き半分心配半分という表情で、ツインターボを見下ろしている。
「ターボ……? どうしたのですか?」
「ちょっと、どうして泣いてるのさ」
ぶつかった相手はイクノディクタス。その隣には、ナイスネイチャもいた。
ツインターボは涙目のまま、何があったのかを伝える。
「……テイオーが、もう走らないって。ターボとは勝負できないって。もう放っておいてって……」
「───そっか、テイオーが……」
「うう〜……やだ! やだやだやだ! ターボ、テイオーがもう走らないなんてやだ! ターボやるもん! テイオーの前で絶対、逃げ切って勝ってやる! 諦めなければやれるってとこ、テイオーに見せてやるんだ!」
泣きながら叫ぶツインターボ。
イクノディクタスはツインターボの肩を抱き、ナイスネイチャと顔を見合わせる。
「……良いじゃん。やってやろうよ、ターボ」
「ええ。見せつけましょう、トウカイテイオーに」
2人の言葉に、ツインターボは頷いた。
───と、そんな3人の姿を見つめる者が1人。
「素晴らしい。是非やってくれたまえ。協力は惜しまん」
「貴方は──トウカイテイオーの」
「マクギリス・ファリドだ。改めてよろしく、お嬢さん方」
イクノディクタスの確認に、マクギリスは名乗るとともに笑う。そして、こう続けた。
「ツインターボ。君の次走はオールカマーだったな。そこで逃げ切ることで、トウカイテイオーに諦めなければやれるということを見せつける、というのは構わんが──私は先程、生徒会長と交渉してきてしまってね。
トウカイテイオーを聖蹄祭のステージに出させることにした。本人の許可は取っていないが、ウマ娘たるものノーとは言わせん……問題は、聖蹄祭の日とオールカマーの日は同じということだ」
「ちょっと、それって───」
「ああ。トウカイテイオーは、オールカマーを中山まで見に行くことはできない」
察したナイスネイチャに、マクギリスは頷きを返す。
ここでマクギリスの言うことを理解したツインターボは、抗議のニュアンスを込めて叫んだ。
「えーーー!!? ダメじゃん!!!」
「何とかならないのですか? 日付をズラすとか───」
続けてイクノディクタスも問うが、マクギリスは平手を差し出し、制止する。
そして、マクギリスは悪い笑みを浮かべた。
「話は最後まで聞きたまえ。一つ、私に策がある」
次走「背負いしものは」