マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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44R 必ず、きっと

 GⅢ「産経賞オールカマー」のある、中山レース場。

 パドックでのお披露目を終え、本バ場へとつながる地下バ道を歩いていたツインターボは、ふと立ち止まった。

 

「……やってやる。見ててよ、テイオー」

 

 自分を鼓舞するように、両手で頬を叩くツインターボ。

 その小さな背中に、同じくオールカマーに出走するイクノディクタスも声をかける。

 

「───作戦通りにやれば、必ずやれます。相手は弱くありませんが、だからこそ」

「……うん。ありがと、イクノ」

 

 ツインターボはイクノディクタスに礼を言って、再び歩み出す。一歩一歩、いつも以上に気合の入った足取りで本バ場へ向かうツインターボに続いて歩き出しながら、イクノディクタスはチラリと後ろにいるウマ娘を見やった。

 

「……よし」

 

 自分に気合を入れるように小さく呟いたのは、メジロマックイーンを下して春の天皇賞を制したライスシャワー。

 彼女はこのオールカマーを秋シーズンの始動戦として選び、今日は1番人気に支持されている。無尽蔵のスタミナを誇る強敵だ。

 

(ライスシャワー。やはり、警戒すべきは彼女ですね。ですが、今日は───)

 

 イクノディクタスは目を細め、ライスシャワーから視線を外して前に向き直り、再び本バ場へと歩き出した。

 

 

   ◇

 

 

 15時35分。

 トレセン学園で行われている「聖蹄祭」も終わりに差し掛かりつつある頃、ステージではトウカイテイオーの出番がやって来た。

 

 なかなか走る姿をファンに見せられないトウカイテイオーだが、それでもファンからの人気は相変わらず高い。

 せめてライブを見せようと──そして、引退発表の場にしようという趣旨で、このミニライブは急遽企画され、スケジュールに組まれた。

 

 ちょうど怪我も治ったというタイミングであり、トウカイテイオーもファンに応えたいという思いで、このミニライブをやることを引き受けた。

 発案は彼女のトレーナー、マクギリス・ファリド──なのだが、ステージ裏に彼の姿は無い。

 

「……全く。言い出しっぺがいないのはどうなのさ」

 

 姿を見せないマクギリスに頬を膨らませつつ、トウカイテイオーはステージに向かう入口を見ながら、一度深呼吸をした。

 そんなトウカイテイオーの背を見守るのは、生徒会長のシンボリルドルフ。その表情には、寂しさが滲んでいる。

 

「───テイオー。本当に、これで良いのか」

「……ゴメンね、カイチョー。でも、もう充分だよ。

 ありがとね、今日のステージのために頑張ってくれたんでしょ?」

「大したことはしていないさ。私は判子を押したくらいで、ほぼ全ての準備は君のトレーナーがやってくれた。

 ───ライブ、楽しんで来るといい」

「うん。サイコーのさよなら、してくるよ」

 

 トウカイテイオーは手を挙げて、ステージへと出て行った。

 シンボリルドルフはその背を見届け、小走りで裏口に移動し──ドアを内側から開け、手のひらを肘から持ち上げて手首を曲げる。

 それを見て、何人かのウマ娘が素早く建物の中に入ってきた。全員、顔を隠すように覆面をしている。

 

「(音響設備はあの部屋、ビジョンはあっちで操作している。手筈通り頼むよ)」

 

 シンボリルドルフが小声でそう伝えると、侵入者たちは頷きとともに素早く散っていく。

 何だか悪事を働いている気がして、生徒会長としてこれで良いのかと苦笑しつつ、シンボリルドルフはそのまま裏のドアから出て、何事もなかったかのように閉じた。

 

 

   ◇

 

 

 トウカイテイオーがステージに姿を現すと、待っていた数千人のファンが、拍手と歓声で彼女を迎えた。

 彼女がファンの前に公の場で姿を現すのは、それこそ去年の有馬記念以来。

 にも関わらず、これだけの人が自分のステージに来てくれたのだと、トウカイテイオーは胸がいっぱいになり──同時に、少し痛むようにも感じた。

 

「……みんな、今日はボクなんかのライブに来てくれてありがとね。久しぶりにみんなに会えて、すっごい嬉しいよ」

 

 挨拶をすると、また拍手と歓声が湧く。

 トウカイテイオーは笑顔で──とにかく笑顔を浮かべて──口を開く。ライブの前に、引退を発表するために。

 

「なかなか走れなくて、ゴメンね。みんなも知ってると思うけど、また骨折しちゃった。ホントは宝塚記念に出るつもりだったのに、回避しちゃってさ。骨折、三度目なんだって。逆にすごくない、三度目って。またやっちゃったーって言うか、もう全然慣れっこっていうか───」

 

 アハハ、と乾いた笑顔で話すトウカイテイオー。それが強がり、から元気でしかないことは、その場に集まったファンの全員に伝わっていた。

 数千人が集まっているとは思えないほどの静寂の中、トウカイテイオーの明るい──明るさを装った声だけが響き渡り、やがてトウカイテイオーの笑顔が剥がれて、彼女は表情を曇らせる。

 

「───慣れっこだって、思ってたんだけどさ」

 

 ポツリと呟くトウカイテイオー。

 彼女には似つかわしくない、彼女のイメージからは考えられないほど弱々しい声。会場の空気が、一段と重くなったように感じられた。

 

「……3回も骨折して、全然走れなくってさ。なんかもう、潮時って言うか──そろそろ、新しい子たちに託しても良いのかなって、思ってさ」

 

 トウカイテイオーは俯き、ライブ衣装のスカートを両手で握り締める。唇を噛み締めながら、でも言わなければと、もう一度口を開こうとする。

 

 言ってしまえば、もう本当に終わり。

 二度とターフに立つことはない。二度とレースをすることはない。二度と、みんなの前に立つこともない───

 

「だから、もう───」

 

 何を躊躇うんだ。もう決めたじゃないか。もう充分じゃないか。

 誰も責めやしない。みんなも分かっているはずだ。みんなも仕方ないと受け入れてくれる。分かってるはずだ、もう無理なんだって。もうライバルにも追いつけない、もうマトモに走れないんだって。

 悩むことなんてない。悔しいことなんてない。走るのをやめるんだから。やめてしまえば、もう苦しむことなんてないんだから。

 

「ボクは、もう……レースには────」

 

 

 

 

「トウカイテイオー!!!」

 

 

 

 

 絞り出されるようなトウカイテイオーの言葉は、一人の男の叫びに遮られた。

 驚いてトウカイテイオーが顔を上げると、その声の主と目が合った。その男──彼女のトレーナー、マクギリス・ファリドはいつの間にかステージの最前列にやって来ていて、何故か頭に包帯を巻いていて、何故か病衣を着ているが、真剣な眼差しでトウカイテイオーを見つめている。

 

「分かっているさ。これは俺のわがままだ。自分勝手な思いだと。だが──トウカイテイオー、もう一度走れ!! 走ってくれ!!」

「え────」

 

 絶句するトウカイテイオー。

 いつも冷静で飄々としている、掴みどころの無いヤツだと、彼女は己のトレーナーのことを認識していた。

 それがこんな風に言ってくるとは──というか、走れってどういうことだ。もう引退すると伝えたじゃないか。それでこういう機会を設けたんじゃなかったのか。

 なのに、走ってほしい、なんて───

 

「私もだ、テイオー! どんな結果になっても構わない、もう一度走る姿を見せてくれ!」

「カ、カイチョー!?」

 

 マクギリスの叫びに、観客席に移動していたシンボリルドルフが続ける。トウカイテイオーはこれにも驚くが、やがて数千人のあちこちから、声が上がり始めた。

 

「そうだよテイオー、寂しいよ!」

「まだ早いんじゃないのかー!」

「俺はいつまでも応援するぞー!」

「ずっと待ってるから、戻ってきて!」

「テイオーステップ、また見せてくれー!」

 

 トウカイテイオーは狼狽えて、キョロキョロと周囲を見回す。声は続けざまに上がって、どんどん大きくなっていく。

 言うに言い出せない、言わなきゃいけないのに──と困惑するトウカイテイオーだったが、突如その背後のビジョンがブツッという音を立ててブラックアウトした。

 

「えっ!?」

 

 観客からどよめきの声が上がり、トウカイテイオーは何事かと驚いて振り向く。

 ブラックアウトしたビジョンはすぐに映り変わり、映像を投影する。どこかのレース場のレース映像。同時に、レースの実況音声がスピーカーから流れ始める。

 

『その外を通りましてイクノディクタス。更にゼッケン5番のムービースター、外からはホワイトシルバー、その外を通りましてゴールデンアイ。ハシノケンシロウという態勢です』

 

 中山レース場だ、とトウカイテイオーは認識した。

 今日はGⅢのオールカマーが行われている。恐らくそれだと推測するが──トウカイテイオーの視線は、映像に映し出された1人のウマ娘に釘付けになった。

 

『さあしかし、この場内のどよめきは、ツインターボのとにかく逃げ! ツインターボのとにかく逃げ!』

 

 青い髪のツインテールのウマ娘、ツインターボが先頭。

 2番手以下、後続は大きく離れた。バ群全体を捉えるカメラは大きく引いて、巨大なビジョンに映し出されてもなお、ウマ娘たちは豆粒のような大きさになっている。

 

『何バ身開いているか、とても実況では、今の段階では分からないぐらい、大きく大きく差をつけて逃げて行っています!!』

 

 20バ身か、30バ身か──ツインターボの大逃げが炸裂している。前半のペースは58秒台。

 いつも通りの破滅に向かう大逃げ──だが、今日はいつものツインターボの逃げとは違う。観客の何人かはそれに気づいたようで、「遅い」と呟いている。

 

『ツインターボが逃げる! ツインターボが逃げる!

 さあ、追いかけるライスは3番手辺りまで上がってきたか、ライスは4番手! ライスは4番手! ホワイトストーンが2番手、ハシルショウグンが3番手!』

「ッ、しまった……!」

 

 3コーナーを通過し、ツインターボの作戦に気づいたライスシャワーが呟いてポジションを押し上げていく。

 それに追随しながらも、後方バ群の中で作戦を立てるのに付き合ったイクノディクタスは叫んだ。

 

「行っけぇ、ターボッ!!!」

 

 ツインターボの作戦とは、大逃げ。

 それもただの大逃げではない──前半はいつも通り飛ばし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、最終コーナーを迎える「幻惑逃げ」である。

 

 マトモにツインターボについて行けば、ハイペースに潰される──そういうイメージが、前走のGⅢ「七夕賞」で他のウマ娘には染み付いている。

 だから誰も、ツインターボについて行こうとはしない。勝手に走らせておけば、ツインターボは放っておいても勝手に垂れてきて、ゴール前には捕まえられる。そう思われている。

 言ってしまえば、ツインターボは無礼(ナメ)られている。

 

 この幻惑逃げは、それを逆手に取る作戦。

 ツインターボがハイペースで走っていると思い込んだ他のウマ娘は、道中ツインターボとの距離を詰めようとせず、自分がハイペースにならないよう一定の距離を保とうとする。

 

 だから──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ライスシャワーは気づいた。

 流石はペースが重要視される超長距離レースを走ってきたウマ娘、だが───あまりにも遅すぎた。

 

 

『さあ!! 早くもツインターボだけが!! ツインターボだけが、第4コーナーのカーブに入って来ました!!』

 

 

 ツインターボだけが、最終コーナーをカーブする。

 中山の直線は310メートル。ライスシャワーを含め、他のウマ娘はやっと、500メートル地点を過ぎた辺りだ。

 

「────そんな、まさか……」

 

 トウカイテイオーが目を見開く。

 ツインターボは止まらない。他のウマ娘たちが最終コーナーをカーブしてくる頃、ツインターボは最後のハロン棒を──残り200メートルを通過し、最後の急坂に差し掛かっていた。

 

『さあ、200の標識にツインターボがかかる!! ツインターボが200の標識を切った!! 先頭はツインターボ!!

 ライスシャワーは届かないか!! ライスシャワーこれはもう無理!!』

 

 残り100。ツインターボはとっくに息切れし、泡を吐きながらフラフラと、でも足を止めることなく、懸命に前へと進んでいる。

 悪く言えば見苦しい、華麗さも余裕も全く無い、泥臭くみっともない、だけど必死な走り。

 フォームも何もない今にも倒れそうな走り、だがツインターボはそんな走りでライスシャワーから、重賞ウマ娘たちから逃げ切ろうとしていた。

 

「はぁ、ひぃ、はぁ……これが、諦めないってことだああああああああああああああっ!!!!!」

 

 ツインターボが吼える。

 涙を浮かべて、泡を吹いて、汗を垂れ流して──そんな彼女から、トウカイテイオーは目を離すことができなかった。

 

「トウカイテイオーっっっっっ!!!!!」

 

 叫びながら、最後の粘りを見せるツインターボ。

 後方からウマ娘たちが突っ込んでくるが、時すでに遅し──ツインターボは、フラフラになりながらゴール板を通過し、その場で倒れ込んだ。

 

『11番のツインターボ!!! 見事に決めたぞ!!! 逃亡者ツインターボッ!!!』

 

 大歓声が上がる。中山レース場だけでなく、ステージを見る観客たちからも。

 ツインターボが先頭でゴールする瞬間を映し出して、役目を終えたとばかりにビジョンは再び暗転し、元のライブ用の映像に戻った。

 

「テイオー! アタシたち、待ってるから! ずっと!」

 

 ステージ裏から、覆面を外しながらナイスネイチャが出て来て叫ぶ。

 ナイスネイチャだけではない──トウカイテイオーと共にクラシックを駆け抜けたウマ娘たちが、同じように覆面を外しながらステージ裏から出て来る。

 

「待っていますわ、テイオー。もう一度、勝負を──!」

 

 メジロマックイーンもステージに上って言う。数千人の観客からテイオーコールが起こり、ステージに立つトウカイテイオーを包み込む。

 俯いたトウカイテイオーは、歯を食いしばって、目を強く閉じる。

 ──だが、それは先ほどまでとは違うもの。トウカイテイオーは口元が緩むのを、目元が熱くなるのを止められなかった。

 

 みんな、待っていてくれている。

 今年、一度もマトモに走れていないのに、まだ応援してくれている。

 トウカイテイオーが復帰する日を待ち望んでくれている。もう一度走ってほしいと、また走る姿を見たいと願ってくれている。

 こんなにも──トウカイテイオーは愛されている。

 

 諦めないことを教えてもらった。こんなに励ましてもらった。

 やっぱり諦めたくない。まだ、みんなのために走っていたい。こんなところで終わりたくない。

 もう一度、みんなの前で走りたい────

 

「───そんなに言うなら、しょうがないなぁ……っ」

 

 トウカイテイオーは顔を上げる。さっきまでとは違う、本当の笑顔を浮かべて。

 涙でくしゃくしゃになった顔で、でもハッキリと、気づかないフリをしていた本当の想いを口にした。

 

 

「みんな見てて。ボク、もう一度頑張ってみるから……!」

 

 

 夢なんて破れて久しい。二度と憧れには届かない。

 けれど、もうちょっとだけ──願いのために、みんなのために、例え理想通りの夢じゃなくても。

 諦めずに、何度でも立ち上がって、また走ろう───




次走「この気持ちって」
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