マクギリス、トレーナーになる   作:アグニ会幹部

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50R HERO IS COMING

 トゥインクル・シリーズは、新しい時代に突入した。

 

『先頭は完全に13番のビワハヤヒデ!!

 強い強いビワハヤヒデ!! 今日も涼しい顔をして、ビワハヤヒデ1着!!!』

 

 シニア級ではビワハヤヒデが猛威を振るい、天皇賞(春)と宝塚記念で余裕の勝利。

 夏のグランプリ、歴代最多17万の期待も、彼女にとっては重圧でなく自信だった。圧巻の走りで、「現役最強」の地位を揺るぎないモノとした。

 

 そして──クラシック級には、新たなる「英雄(ヒーロー)」が現れた。

 

『妹は大丈夫だ!! 妹は大丈夫だ!! 妹は大丈夫だ!! 10年ぶり、10年ぶりの三冠ウマ娘!!

 ナリタブライアンだ!! ナリタブライアン、三冠ッ!!!』

 

 ビワハヤヒデの妹、ナリタブライアン。

 昨年もGⅠ「朝日杯ジュニアステークス」を制していたが、今年に入ってからもその勢いは止まらなかった。

 皐月賞を3バ身半差、日本ダービーを5バ身差、菊花賞を7バ身差で圧勝し、見事史上5人目の三冠ウマ娘となったのである。

 

 「シャドーロールの怪物」の異名に相応しい圧巻のパフォーマンスを披露し続ける彼女が、今のトゥインクル・シリーズの中心に立つウマ娘と言って相違は無いだろう。

 姉妹対決こそビワハヤヒデの故障引退により幻のモノとなったが、ナリタブライアンの次走には日本中──いや、世界中が注目している。

 

 

 トウカイテイオーも現役を続行する──予定だった。

 しかし、1年ぶりの激走が堪えたか、トウカイテイオーは四度目の骨折。

 復帰の目処は経たず、結局はあの有馬記念を最後に、トゥインクル・シリーズから去ることになった。

 

 次なる舞台はドリームトロフィーシリーズ。

 ライバルは、かの「皇帝」シンボリルドルフである。

 

 そして冬、トウカイテイオーが勝った有馬記念から、早くも1年が経とうとしていた頃。

 トウカイテイオーは再び、トレセン学園のトレーニングコースに戻っていた。

 

「目標は来年のウィンタードリームトロフィーだ。

 今日からトレーニングを再開するが、焦ることはない。じっくり、ゆっくりと立ち上げて行こう」

「オッケー!」

 

 笑顔でトレーニングコースへ走り出していくトウカイテイオー。

 舞台は変わっても、やることは変わらない。私はトウカイテイオーを、万全の状態でレースへ送り出すだけだ。

 

「来年のを狙うのか、トウカイテイオーは」

「ああ」

 

 隣に立つガエリオの確認に、私は頷いて肯定する。

 

「メジロマックイーンはどうだ?」

「主治医が頑張ってくれて、完治の目処は立ったよ。

 ──トレーニングを再開できたら、目標は来年のウィンタードリームトロフィーになるだろう」

 

 繋靱帯炎を発症したメジロマックイーンも、トゥインクル・シリーズを引退することにはなったが、トウカイテイオーと同じようにドリームトロフィーに駒を進めた。

 

 もう一度、共に走る。中距離で決着を付ける。

 

 トウカイテイオーとメジロマックイーンの約束。

 その約束を果たすのに、東京芝2400メートルのウィンタードリームトロフィーは、絶好の舞台と言える。

 

「トゥインクル・シリーズでは遂に再戦を果たせなかった2人の勝負が、実現する──ドリームトロフィーの醍醐味だな」

「全くだ。……だが、その他の相手も並大抵じゃない。

 シンボリルドルフも、オグリキャップも、ビワハヤヒデも出て来るだろうしな」

 

 夢の第11レース。

 それがドリームトロフィーのコンセプトである。

 

 マルゼンスキー、ミスターシービー、カツラギエース、シンボリルドルフ、タマモクロス、オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン、メジロマックイーン、トウカイテイオー、ミホノブルボン、ビワハヤヒデ──伝説となったウマ娘たちが、時代を越えてぶつかり合う。

 ドリームトロフィーが凄まじい人気を誇るのも必然だ。

 

「───まあ、勝つのはトウカイテイオーと決まっているがな。府中の2400メートルで負けるわけにはいかん」

「どうかな。世界的に2400メートルは長距離──まだマックイーンの舞台だろう」

 

 一瞬、ガエリオと視線をぶつけ合い、不敵に笑う。

 トレーナーにとっても、担当ウマ娘がドリームトロフィーに進むことは名誉であるし、出すからには負けるつもりはない。

 

「……それはそうとだ、マクギリス。お前、まだ他のウマ娘を担当する気にはならないのか?

 ただでさえトレーナーの数は足りていないのに、お前ほど優秀なトレーナーが、ドリームトロフィーを走るウマ娘1人にかかりきりなんて、いい加減学園から怒られるぞ」

「またその話か。確かに、既に何度か駿川たづなからも小言は貰っているが───」

「そうだよトレーナー!」

 

 ガエリオの小言を躱そうとしたが、ウォーミングアップから戻ってきたトウカイテイオーも指を指して同意してくる。

 ──これは、少し妙な展開になったかもしれないな。

 

「ボクのことをいつも考えてくれて、じっくり見てくれるのは嬉しいけどさ。ドリームトロフィーだと、走る数も今まで以上に減っちゃうでしょ?

 そろそろ、ボクの他にも担当してみたら?」

「……君までそう言うのか。君が良いと言うのなら、本気でそうすることも考えてみたいが」

 

 問題は、トウカイテイオー相手の時と同じくらい、熱を持って指導できるウマ娘に出会えるかということだ。

 トウカイテイオーという素晴らしいウマ娘を担当してしまった今、彼女と同等に素質あるウマ娘に出会える気がしない。──言い方には語弊があるが、トウカイテイオーのせいで、その辺のウマ娘では満足できなくなっている。

 

「ちょうど今、トレーナーを探してる子がいるんだよ。ボクと寮で同室のウマ娘なんだけどさ。キミなら安心して勧められるなーと思って」

「ほう? 君と同室の、というと───」

 

 記憶を辿る。──そのウマ娘は確か、オレンジがかった栗毛のウマ娘だったような気がする。

 何度か選抜レースに出ているが、毎回違う戦法を取っていて、多くのトレーナーがその評価に困っているという。なかなか癖の有りそうなウマ娘ではある。

 

「トレーナーが良いなら、明日一緒に来よっか? マヤノもキミには興味があるみたいだし」

「───そうだな。一度会って考えてみよう。頼めるか、トウカイテイオー」

「もっちろん!」

 

 笑顔でサムズアップをするトウカイテイオー。

 それにつられて、私も表情が少し緩んだようである。

 

「……変わったな、マクギリス」

「───そうか?」

「ああ。──それはそうと、担当ウマ娘をもっと持てというのは、俺も例外じゃないんだよなぁ」

 

 やれやれ、と肩をすくめるガエリオ。

 ──私としては、変わったとかいう呟きについて掘り下げたいところだったが、まあ良しとしよう。

 

「また助言が必要と言うなら、手伝ってやらんこともないぞ。ちょうど、トレーニングで素晴らしい走りを見せたにも関わらず、言動が理解困難(マーベラス)でトレーナーが決まっていないというウマ娘に心当たりがある」

「何だそりゃ。──というか、それを知ってて何でスカウトしないんだ、お前は。前も言った気がするぞ」

「全く同じ言葉を返そう。私はトウカイテイオー以外のウマ娘を育てることに興味は無い」

「確かに、それも前に聞いたけどな」

 

 ガエリオは腕を組んで、コースを走るウマ娘たちの姿を眺めながら続けた。

 

「時代はどんどん変わってる。新しいウマ娘たちが次々に現れて、過去のウマ娘たちの記録をどんどん塗り替えて行く。──寂しい気もするが、トゥインクル・シリーズってのはそういうモノだろ。

 お前も、新しい英雄(ヒーロー)を探しても良いんじゃないか?」

「───新しい、英雄(ヒーロー)?」

「ああ。新しい英雄(ヒーロー)の卵を見つけ、育てるのが俺たちトレーナーの仕事だろ」

 

 ……なるほど。新しい英雄(ヒーロー)、か。

 それは確かに、心躍る言葉であるかもしれない。

 

「明日、トウカイテイオーが連れて来るウマ娘が、もしかしたらそうかもしれないぞ?」

「───そうだな。前向きに考えてみることにするさ」

 

 ふと、遠くからエンジン音が聞こえてきて、空を見上げてみる。

 

 そこに広がるのは、冬晴れの青い空。

 一筋の白い雲が群青を切り裂き、低い音を響かせながら、彼方へと飛び去って行った。

 

 

   ◇

 

 

『さあ、やって参りました。

 時代を作った伝説のウマ娘たちが雌雄を決する、夢の舞台──ウィンタードリームトロフィーです!』

 

 時が流れた。

 正月、東京レース場。20万近い人が巨大なスタンドを埋め尽くす、夢の第11レースが、発走の時を迎えようとしていた。

 

 スタート地点はスタンドの目の前。

 広い芝コースを1周する、2400メートルのコース。

 GⅠ「東京優駿(日本ダービー)」、GⅠ「ジャパンカップ」などと同じ──実力だけが全てを決する舞台に、予選リーグを勝ち抜いてきた18人のウマ娘が集まった。

 

「──いよいよだね」

「はい。ようやく、貴女との約束を果たせます」

 

 地下バ道の出口に、2人のウマ娘が並び立つ。

 鹿毛を後ろで纏めたウマ娘と、芦毛の長髪を靡かせるウマ娘。

 

 この時を待っていた。

 約束を果たせる時を。共に走れる時を。決着を付ける時を。ずっと、こうなりたかった。

 

豁然大悟(かつぜんたいご)、と言うところか。

 だが──私も勝ちを譲る気は無いぞ、『帝王』よ」

 

 本バ場では、不敵な笑みを浮かべる「皇帝」が、光を背にして待っている。

 彼女もまた、この時を待っていた。

 ライバルとして、倒すべき相手として、対等に競い合える相手として──「帝王」と共に走る瞬間を。

 

「今年も敵はルドルフ、ってわけには行かなさそうだね」

 

 目を細め、天衣無縫の演出家が笑う。

 その目に映るのは「皇帝」か「帝王」か「名優」か──はたまた「怪物」か。

 

「……今年も、みんなのために」

「負けへんで」

 

 芦毛の怪物が、白い稲妻が意気込む。

 

「よう。悪いが、今日は楽に逃げられると思うなよ」

「『宣戦布告』と判断。その言葉は、そのままお返しします。──共に走れることを、楽しみにしていました。しかし、マスターに勝利を捧げるのは私です」

「おっと。あたしのことも忘れてもらっちゃ困る。世界から逃げ切ったのは、あたしも同じなんだからよ」

 

 世界から逃げ切ったウマ娘たちが、サイボーグと火花を散らす。

 

「───リベンジの機会を待っていた。今度こそ振り切らせてもらうぞ」

 

 余裕の表情で、芦毛の王者が帝王を睨む。

 ──この場に集った誰もが、十二分に勝利の可能性を持った強力なウマ娘である。

 現役を退いてこそいるものの、熾烈な戦いとなることは間違い無く、会場は発走を待ち望む人々の凄まじい熱気に包まれていた。

 

「……無事に間に合わせたか。大したものだ」

「約束を何としても果たさせてやりたかったしな。──お前こそ、難しい調整だっただろう?」

 

 関係者席で、マクギリス・ファリドとガエリオ・ボードウィンは微笑を浮かべながら言い合う。

 そのやり取りに、ラスタル・エリオンも笑いながら加わった。

 

「お前たちは、このレースをどう見る? ──最後に突き抜けるのが誰かは言わんで良いぞ、喧嘩になるからな」

「正直、恐ろしくて見たくないな。アイツが二桁着順にでもなったりしたら俺は寝込む」

「ほう、自信がないのかガエリオ? ──と煽りたいところだが、このメンバーではそうも言ってられんな。

 結末はどうあれ、今年は逃げウマ娘が多い。誰しもが絶対にハナを叩きたいというわけではないだろうが、どれくらい競り合うかによって、ペースが変わってくるな」

 

 冷静に分析しながら、マクギリスはターフビジョンを睨む。

 逃げ・先行ウマ娘が非常に多いレースだ。ペースが速くなれば最後方から追い込むであろうウマ娘たちにチャンスが生まれる一方、ある程度落ち着いた場合は、前目に付けたウマ娘たちがそのまま押し切ってしまうだろう。

 直線が長い東京レース場は、基本的に後方脚質のウマ娘が有利だと言われているが、前を行くウマ娘たちは誰もが早めに抜け出してもそのまま押し切ってしまえる、非常に高い能力を持っている。

 

 ──要するに、誰が勝ってもおかしくない。

 結論としては「何も分からん」と言う他になかろう。

 

「……これだけのウマ娘が揃うレースとなれば、ただただ楽しみだ。なぁ、オルガ団長。先程から顔が青いが、大丈夫かね?」

「───うるせぇ。俺の緊張はアンタの2倍なんだよ」

「ここ1週間くらい、オルガはずっとこんな顔だから大丈夫だよ。──ライスも、来年は出られるといいね」

「……うん。いつか絶対、ライスも出るよ」

 

 緊張からか吐きそうな表情のオルガ・イツカの隣で、三日月・オーガスは平然と言う。

 その隣ではライスシャワーが真っ直ぐにコース上を見ていて、自身の包帯が巻かれた左脚を撫でていた。

 

『さあ、今年も夢の第11レースが始まります! ファンファーレをお聴き下さい!』

 

 生演奏のファンファーレと20万人の大歓声が、晴れ渡った府中の青空に木霊する。

 一瞬の静寂の中で、出走する18人のウマ娘たちが、次々とゲートへ納まっていく。

 

『18人の英雄(ヒーロー)が、ゲートの中に納まりました!

 ───さあ行こう、年に一度の夢舞台!!』

 

 音を立てて、全ての扉が開け放たれる。

 伝説を作ったウマ娘たちが、全く同時に、万緑のターフへと飛び出した───!

 

 

『ウィンタードリームトロフィー、スタートッ!!!』

 

 

 

 

Fin.

 


 

本作「マクギリス、トレーナーになる」はこれにて完結となります。

思ってたより長くなってしまったんですが、ご覧頂きありがとうございました。

狙ったわけではないんですが、有馬記念当日に最終話を出すことになったのは良かったと思います(?)

 

最後に、このすぐ下に番外編を載せました。

こちらは小さな英雄(ヒーロー)の話をば。

 


 

番外編「淀の英雄(ヒーロー)

 

 

『さあスターターが台に行きました、これを見て大歓声、京都レース場。

 スターターが台に上がりまして、第111回天皇賞のファンファーレです!』

 

 分厚い雲に覆われた空に、生演奏の関西GⅠファンファーレが吸い込まれていく。

 淀の地に、2年ぶりに帰ってきた──二度の坂を越え、盾の栄光を目指す2マイルの超長距離決戦。

 

 ───GⅠ「天皇賞(春)」。

 

 曇り空の下、シニア級最強を決める一戦が、今年も始まろうとしていた。

 

(……よしっ)

 

 両手で頬を軽く叩いて、漆黒のドレスのような勝負服に身を包んだ少女が、ゲートの中に歩んでいく。

 一昨年の覇者、ライスシャワーである。

 

『雨が上がって、お客さんの気合も高まって参りました京都レース場。雨が、上がりました。

 さあ半分くらいのゲートインが終わりました。後5、6人というところでしょうか。いよいよです』

 

 今年の天皇賞(春)は、王者不在の混戦模様。

 前哨戦のGⅡ「阪神大賞典」で圧倒的なパフォーマンスを見せた昨年の三冠ウマ娘ナリタブライアンは、何と故障で回避を余儀無くされた。

 昨年の覇者である芦毛の王者、ビワハヤヒデもターフを去り、このレースに出走して来た18人の内、GⅠウマ娘はライスシャワーただ1人。そのライスシャワーも一昨年の天皇賞(春)以来は凡走を繰り返し、丸2年勝利が無い。

 

 この混戦の中、ファンが1番人気に支持したのは、唯一のGⅠウマ娘──ライスシャワーだった。

 

「──今日は、いけるハズだけど……」

 

 スタンドから、トレーナーの三日月は真剣な表情でスタート地点を見ていた。

 その隣には、ライスシャワーと同期の無敗の二冠ウマ娘、ミホノブルボンの姿もある。

 

「……ライス───」

「今日は、気合いが入っているようですわね」

 

 スタンドの大観衆の中には、メジロマックイーンもいた。ターフビジョンに映されたライスシャワーの表情を見て、僅かに微笑む。

 

『ナリタブライアンの姿こそ見えませんが、18人が出走してきました第111回の天皇賞。後1人です、ダイイチジョイフルが入って18人のゲートインが終わりました。

 いよいよスタートです。さあ行こう!』

 

 薄暗い空の下、盾の栄誉をかけた3200メートルの旅が始まった。

 大きな出遅れは無し。3コーナーに向かって、一度目の坂を上りながら、18人が先行争いを繰り広げる。

 

『第111回の天皇賞、ご覧のように3200メートルから、18人が一斉に飛び出しました。内のウマ娘は外へ、そして外のウマ娘はずーっと内の方へ入って参ります』

 

 芝コースのバ場状態は重。例年にも増してタフなコンディションとなり、よりスタミナが問われる舞台となった。

 ライスシャワーは2枠3番。外枠から内に切れ込んでくるウマ娘たちを傍目に見ながら、いつも通り前目のポジションを取り、3コーナーをカーブして行く。

 

『ずーっと外を通りまして、ようやくクリスタルケイ。大方の予想通り、16番のクリスタルケイがゆっくりと飛び出しました。2バ身から3バ身。

 キソジゴールド、インターライナーが3番手。場内は大歓声、メイショウレグナムが4番手。ああアルゼンチンタンゴ掛かった、外からアルゼンチンタンゴ』

 

 3・4コーナーの中間地点。坂の下りに差し掛かり、先頭集団が形成されていく。

 16番のクリスタルケイが先頭(ハナ)を切り、11番キソジゴールド、13番インターライナーがそれに続く。

 外から14番のアルゼンチンタンゴが掛かりながら、先頭に並ぶほどの勢いでポジションを押し上げている。

 

『12番がタマモハイウェイ、それから落ち着いている2番はアグネスパレード。

 ライスシャワーがいた、その外へ3番のライスシャワー。不気味な黒い刺客です。

 エアダブリンがいた、1番エアダブリン。そしてダイイチジョイフル、人気どころが前の前の方へ差を詰めて行きます』

 

 ライスシャワーは前から5番手6番手という位置。

 内にスペースを空けて、落ち着いて追走している。勝手知ったる淀の坂、彼女には一切の迷いも焦りもない。

 

『1周目の、1周目の第4コーナーです。さあ緑一色になった京都レース場、1周目のホームストレッチ。

 恐らく大歓声が上がるのではないかと思います』

 

 大歓声に迎えられて、18人のウマ娘がスタンド前を横切っていく。

 先頭のウマ娘が1人ポツンと逃げているが、その後ろのバ群は縮まっている。ライスシャワーは2人のウマ娘がそれぞれ内外にいて、2人に挟まれるような格好になったものの、間から抜けるように少しだけポジションを上げた。

 

『ライスシャワーがずーっと外目を上がってきている、メイショウレグナム。おーっとエアダブリンちょっと引っ掛かったのかな? 上がっていく1番がエアダブリンです』

 

 最内、内ラチ沿いで1番のウマ娘が突然ポジションを押し上げた。歓声を聞いて平静を乱したのだろうか。

 内からライスシャワーを追い抜き、1番のウマ娘は3番手辺りで止まった。ゴール板の横を通過して、18人は一団のままでスタンドを背にし、第1コーナーをカーブする。

 

『間もなく、間もなく1600メートル。半分の1600メートルを、果たして何秒で行くんでしょうか。

 1分41秒から42秒台、まずまず。このバ場コンディションではまずまずのペースではないかと思います。半分の1600メートルを、1分41秒から42秒台で行きました』

 

 1コーナーから2コーナーへ。そして、バ群は3コーナーの坂へと続くバックストレッチに向いた。

 

(───ライス、最近は全然ダメなのに。それでも、みんなはライスを1番人気にしてくれた)

 

 歓声を背に受けて、ライスシャワーの脚に力が入る。

 感じた。今日の歓声は、何だかいつもの歓声とは違う気がするのである。

 

(今日は、なれるかもしれない……ライスも悪役(ヒール)じゃなくて、英雄(ヒーロー)に───)

 

 2年間。メジロマックイーンを撃破したあの日から丸2年、ライスシャワーは勝利から遠ざかっている。

 それどころか、去年は大きな故障もしてしまった。

 

 医者からは引退を勧められたほどの怪我だった。

 それでも──ライスシャワーは走るのをやめず、今もまだこの淀の舞台で走っている。

 

 走ることなんて、やめても良かったハズだ。

 

 ライスシャワーは所詮悪役(ヒール)で、英雄(ヒーロー)にはなれない。

 勝つたびに偉大な記録を、夢を打ち砕いて、多くの人を落胆させてしまった。ため息と静寂は酷く心に突き刺さって、今でも悪夢に見る。

 頑張って走って、それで勝っても、何も良いことなんて無かった。祝福されることなんて無かった。

 

 ライスシャワーの実力は次第に認められて、1番人気に支持されることも多くなった。

 しかし、一昨年の秋、1番人気に支持されたオールカマーで、天皇賞(秋)で勝てなかった。何度も期待を裏切った。負けるたびに人気は下がっていった。

 英雄(ヒーロー)は次々に現れた。ライスシャワーは英雄(ヒーロー)にはなれなかった。

 

 苦しむだけだ。辛いだけだ。虚しいだけだ。

 走ることなんてやめてしまえば良かったのに、それでもライスシャワーは走るのをやめなかった。

 

 やめたくなかった。

 やめてしまえば楽だろうに、ライスシャワーはやめたいとは思わなかった。

 

 メジロマックイーンが、ミホノブルボンがトゥインクル・シリーズを去っても、まだライスシャワーは走り続けている。

 このまま、負け続けたままで終わりたくないと、ライスシャワーは思った。

 

 ライスシャワーがもう一度勝つことが──強さを見せることが、2人の強さを証明することになるのではないか。

 2人のために、ライスシャワーは勝たなければならないのではないか。それが夢を打ち砕いた、ライスシャワーの責任なのではないか。

 

 それに、もしかしたら──いつか、あの2人のように、英雄(ヒーロー)になれる日が来るのかもしれない。

 

 

(……みんなの思いに応えたい。みんなの期待に応えたい。もう一度、強いライスを見てもらいたい)

 

 もう裏切りたくない。裏切るわけにはいかない。

 1番人気。応援してくれている人がいる。負け続けたライスシャワーの、勝利を信じてくれる人がいる。

 

「勝ちたい──もう一度、ライスは……!」

 

 力の籠もった脚で、緩んだバ場を蹴る。

 2コーナーを周り、向正面──ライスシャワーが動いて、レースも動く。

 

『おーっと行った行った行った! ライスシャワーの黒い勝負服が行く!』

 

 坂の手前。ライスシャワーがポジションを上げる。

 内からは1番のエアダブリン、インターライナーが続き、人気の3人が先頭集団を形成する。

 

「ライス……!?」

「───ちょっと早いけど」

 

 見守るミホノブルボン、三日月も驚きを露わにする。

 まだ向正面。3コーナーの前、坂を上っている途中だ。

 

 「ゆっくり上り、ゆっくり下る」──それが京都外回り、淀の坂を攻略する定石である。

 坂で動くことはタブー。淀を知り尽くしているライスシャワーが、それを知らぬハズもない。

 

「けど、作戦通りだね」

 

 予定よりは早かったものの、三日月は不敵に微笑む。

 3コーナーの坂を上りながら、ライスシャワーが先頭に踊り出んとする。

 

『ライスシャワー、ライスシャワーが行く!

 マックイーンも、ミホノブルボンも、恐らく応援しているんではないかと思います! ライスシャワーが、京都の坂の上りで先頭に立つ勢い!』

 

 ハッキリ言って、ライスシャワーの能力は、もう2年前ほどのものではなくなっている。

 スピードは衰え始めてしまっているが、スタミナは変わらない。今日のメンバーの中で、ライスシャワーが持つスタミナは最も優れている。

 

 スタミナを活かし、後続を封じ切るロングスパート。

 それが2年の長いトンネルから抜けるため、三日月とライスシャワーが考えた策だった。

 

「───あの、仕掛けは」

 

 メジロマックイーンも目を見張る。

 

 マークしての差しではない、王道の先行抜け出し。

 ──図らずも、それはメジロマックイーンの得意とした戦法そのものであり、直線を先頭で迎えて粘り込むのは、ミホノブルボンと同じである。

 

『第3コーナーです! 完全にこの辺りで、ライスシャワーが先頭に立っている! ライスシャワーが先頭に立っている!』

 

 坂を上りきり、二度目の3コーナー。先頭は完全にライスシャワー。4メートルの坂を一気に駆け下りていく。

 後方集団も下りに差し掛かると動き、バ群が一気に凝縮される。

 

『ぐーっとインターライナー、アルゼンチンタンゴが2番手に上がった!

 ライスシャワー、インターライナー、そしてタマモハイウェイ、アルゼンチンタンゴ、ハギノリアルキング、イイデライナーであります!

 そしてその後ろからゴーゴーゼット、エアダブリン、ヤシマソブリンといったところも差を詰めて来た!』

 

 京都の下り坂で、前に誰もいないというのは、不思議な景色だった。

 誰よりも早く、ライスシャワーは第4コーナーに入っていく。後ろからは17人の迫る足音。

 

『ライスシャワー先頭だ!

 いやー、やっぱりこのウマ娘は強いのか!!』

 

 ライスシャワーは一度大きく息を吐き、再び大きく吸い込む。大歓声がライスシャワーを迎え入れる。

 

 

「ライスは、絶対……絶対に、勝つッ!!!」

 

 

 細い脚に最後の力が込められる。残された力を振り絞って、ライスシャワーは逃げ切り体制に入った───!

 

『ライスシャワー先頭だ、ライスシャワー先頭!!

 そしてインターライナーが来る、内から、内からエアダブリンが差を詰めて来た!! 内からエアダブリンが差を詰める!!』

 

 2番手には数バ身の差が開く。先頭はライスシャワー。

 しかしセーフティリードとは言えない。京都外回りの直線は400メートル。残り300メートル、長い長い15秒。

 

「まだ、まだ───!!!」

『ライスシャワー完全に先頭だ!! ライスシャワー先頭!! ライスシャワー先頭、インターライナー、外からステージチャンプ!!』

 

 全身から汗が吹き出る。歯を食いしばり、ライスシャワーは懸命に一歩ずつ、泥濘(ぬかる)んだバ場を蹴り上げる。

 バ場の外目に出す余裕は無かった。内ラチ沿いを粘り込むライスシャワーに、大外に持ち出した差し・追込勢のウマ娘たちが一気に襲いかかる。

 

『外からステージチャンプ、ハギノリアルキング来た!!

 ハギノリアルキング来る!!』

 

 息が詰まる。一歩一歩、進むたびに脚が重くなる。

 

(まだ……!! まだ、まだなの……!?)

 

 肺が苦しい。息ができない。身体が前に進んでいかない──それはライスシャワーにとって、初めて味わうスタミナ切れだった。

 

 京都のゴールは、こんなに遠かっただろうか。

 後ろから迫る足音は、こんなに恐ろしかっただろうか。

 

(───すごいなぁ)

 

 ライスシャワーはふと、そう思う。

 早目に抜け出して、後続のウマ娘の追撃を抑え込もうというのは、こんなにも怖くて、不安になるモノなのか。

 

 自分には無理だ、と思う。

 自分はあの2人ほど強くない。勝てる気なんてしない。

 恐ろしすぎて、こんなやり方で勝ち続けるなんて、どこかで心が折れてしまいそうだ。

 

(でも───!)

 

 今日だけは。今日だけは、折れるわけにはいかない。

 肺が潰れようが、この身体がどうなろうが関係ない──もう負けられない。もう負けたくない。

 

 勝ちたい。勝たなきゃいけない。

 勝つ。勝つ、勝つ。勝つ。絶対に、絶対に────

 

 

「ライスは、絶対……絶対に、勝つんだあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 限界まで──いや、限界を超えて、最後の最後の最後の力を振り絞るライスシャワー。

 まだ止まれない。まだゴールは先だ。諦めるな。挫けるな。諦めなければ奇跡は起こせると、知っている。

 

「ライスさん…!!」

「ライス、走れ……!!」

「行け───!!!」

 

 メジロマックイーンが、三日月が、ミホノブルボンが叫ぶ。

 大歓声に包まれて、ライスシャワーはがむしゃらに、無我夢中に、必死に走る。

 少しでも早く。少しでも長く、前に、前に進め───!

 

「ああああああああああああああ────!!!」

 

 進まないハズの脚を進め続ける。ひたすら前に出す。

 折れそうな心を奮い立たせて、止まりそうな脚が止まらないように、潰れそうな肺から無理矢理吐き出させて、ライスシャワーは粘って、粘って、粘って、粘って、粘って───

 

『さあ完全にライスシャワー先頭だ!! ステージチャンプが2番手に上がったが、ライスシャワーッ!!!』

 

 

 ───ハナ差。

 ゴールを通り過ぎる瞬間まで、後続を完封した。

 

 

『いやーやったやった、ライスシャワーです!! 恐らく、恐らくメジロマックイーンも、ミホノブルボンも喜んでいることでしょう!!

 ライスシャワー今日はやったッ!!

 勝ち時計3分19秒9!! ライスシャワーです!!!』

 

 ゴールを通り過ぎ、全ての力を出し切ったライスシャワーは覚束ない足取りで減速して、第1コーナーの手前でターフへ倒れ込んだ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………」

 

 地面に膝を付いたまま、ライスシャワーは息も絶え絶えのまま頑張って上体を起こして、着順掲示板に注目した。

 

「ライス……ライス、勝ったの……?」

 

 一応は写真判定、ということになったが──ターフビジョンにスローモーションの映像が映し出され、誰もがライスシャワーが逃げ粘ったことを確信すると、スタンドからは大歓声が湧き上がった。

 

「────これ、って……」

 

 ライスシャワーは、呆然とスタンドに視線を向ける。

 この、この大歓声は何だろう。どういう───

 

「ライス、おめでとーっ!!!」

「待たせ過ぎだぞーっ!!!」

「やったーっ!!! ライス!!! ライス!!! ライス!!! ライス!!!」

 

 愕然と目を見開くライスシャワー。

 ライスシャワーの勝利を喜ぶ大歓声が、彼女を祝福していた。

 

「───やはり、貴女は私の英雄(ヒーロー)です」

 

 涙を袖で拭いながら、ミホノブルボンは呟いた。

 メジロマックイーンはもう言葉は要らないとばかりに拍手し、三日月もホッとしたように破顔する。

 

「……良かったね、ライス」

 

 ライスシャワーはフラつきながらも立ち上がり、スタンドを真っ直ぐ見る。

 そして、両脚の踵を合わせて、満面の笑顔を浮かべながら、ゆっくりと頭を下げた。

 

「ありがとう、ございました───!」

 

 数万人の大歓声と拍手が、ライスシャワーに降り注ぐ。

 雲の切れ目から差し込んだ黄金の日が、淀の英雄(ライスシャワー)(ことほ)いでいた───

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