12月1日。
GⅠ「ジャパンカップ」が終了し、いよいよ今年のGⅠもジュニア級の2つと短距離決戦「スプリンターズステークス」、一年の総決算たる夢のグランプリ「有馬記念」を残すのみとなった頃──遂に、トウカイテイオーがデビューする時がやって来た。
デビュー戦の舞台として選んだのは中京レース場、芝2000メートル。
彼女にとっては少し短いかもしれないが、トウカイテイオーほどの能力があれば全く問題無いだろう。
そして、中京レース場は東京レース場と同じ左回りのコースであることから、ダービーを見据えてここを経験しておくことはプラスになるハズだ。
「『不良』か」
人のまばらなスタンドで、ポツリと呟く。
晴れてこそいるが、今日のバ場状態は「不良」──最悪の状態だ。しかし、どんなバ場であろうとこなせる能力が無ければ、「無敗の三冠」など達成するべくもない。
当然、これまでにも能力がありながら不良バ場になったから負けました、というウマ娘は過去にもごまんといた。だが、「無敗の三冠」を目指す以上、それではお話にならないのである。
「いよいよですね」
と、透き通るような女性の声を後ろからかけられる。振り向くことはせず、彼女の──シンボリルドルフの声に答える。
「ああ。バ場は悪いが、こなせなければ三冠は無い。
──
「ええ。期待していますよ」
中京・小倉レース場用の一般ファンファーレが、場内に響き渡る。
中京芝2000メートルはスタンド前、ホームストレッチからのスタート。一周してゴールのスタンダードなコースである。
人数は13人で、トウカイテイオーは2枠2番に入った。このレース、堂々の一番人気だ。
『中京4レースはジュニア級メイクデビュー戦、芝の2000メートルです。枠入りは順調に進んでいます』
場内放送で、実況が流れ始める。
デビューは少し遅くなったが、その分トウカイテイオーの調子を見ながら、じっくりとトレーニングをして来た。彼女の身体は7割がた完成している。
クラシック三冠を狙うための、余裕を持ったローテーション。
ここは絶対に勝つ。勝たなければならない。
──こう言うのは他のウマ娘に申し訳ないが、この程度の相手にはジョギング感覚で数バ身差はつけてほしいモノである。
一番外の13番のウマ娘がゲートに入り、いよいよ態勢完了。
ゲートが開かれて、13人のウマ娘が飛び出して行く。
『スタートしました。タイコンチェルト、ちょっと遅れました。
先手の取り合いですが、ウエスタンマガジン。外から12番ケイワンフラッグが一気に行きました』
まばらなスタート。まだまだゲート、及びレースに慣れないウマ娘も多いメイクデビュー戦でのスタートなどこんなモノだ。
トウカイテイオーも少し出が悪かったようだが、落ち着いて走り始めている。
『連れてキクノミンストレル、8枠の2人です。その後内をついてウエスタンマガジン、2番手の位置にまで並んでいます』
中京芝2000メートルはスタートから第1コーナーまでの距離がそれなりにあり、メイクデビュー戦であることも相まって、激しいポジション争いにはならない。
故にゆったりと隊列が決まっていき、やや縦長の展開で、先頭のウマ娘たちが第1コーナーをカーブする。
トウカイテイオーは内枠スタートであったこともあり、最内のルートを選択。位置は後ろから数えた方が早く、最後方から4、5番手の中団からやや後ろというポジションでコーナーを曲がって行った。
(逃げウマ娘が行き、隊列が落ち着いたか)
トウカイテイオーの脚質は恐らく「先行」だと、私は見ている。
まだメイクデビュー戦なので、もしかすれば異なっているのかもしれないが、彼女の走りはシンボリルドルフに似ている。
キレる脚が無いわけではないが、流石にミスターシービーのような、最後方から最前列までまとめて撫で切れるほどのモノではないだろう。
彼女の勝負根性も考えると、先団で折り合いをつけてスタミナを温存し、最後の直線で抜け出して逃げウマ娘を捉えつつ、差しウマ娘を退ける王道の走りが最も合っているハズだ。
(だが、トウカイテイオーのあのポジション──)
それを考えると、今日の位置取りはやや後ろすぎるようにも思える。
中団から少し後ろ、これは先行ではなく───
「『差し』ですか」
「──そうなったな」
シンボリルドルフの言う通り、今のトウカイテイオーは脚質「差し」のウマ娘が取る位置取りだ。
「差し」は、逃げ・先行のウマ娘をマークし、その後ろに付けて最終直線で前のウマ娘よりも速い脚を使い、かわしきって勝つ。
最高速度の持続力が無い分、ほんの一瞬、誰よりも切れる脚で全員を追い抜き先頭に立つ──問題は、その「脚」をどこで使うかである。
自分の最高速度がどれくらいで、何秒使えるのかを踏まえた上で、相手の脚がどれくらいなのかも考えながら、自身の持てるカードを切らなければならない。
バ群の中から狙う場合は前も開かなければならないので、進路を確保することもしながら、最適のタイミングでカードを切ることができるか──それが「差し」のポイントになる。
「彼女は先行策を取ると思っていましたが──」
「私もそう思っていたよ。
──だが、今回のレースプランは彼女に一任している。これは彼女の思惑通りなのか、はたまたそうでないのか、私にも分からないな」
メイクデビュー戦に向かうにあたり、私はトウカイテイオーに作戦を考え、レースを自分で組み立てるように言ってある。
レースプランについて、私は何も知らないし、何かを指示してもいない。
とはいえ、少し出負けした以上、無理に先行しようとして脚を使うことなく、後ろからのレースに切り替えたトウカイテイオーの判断は正しいと言えよう。
『2コーナーからバックストレッチに出て行きます。
先手を取りましたケイワンフラッグ、リードは1バ身。2番手にキクノミンストレル、1バ身半差7枠のシラユリトミオーが3番手、そしてウエスタンマガジンが4番手。2番手がギューッと詰まって来ました』
無論、私からああしろこうしろ、と指示をするのは簡単だが、レースでは何が起こるのか分からない。
レースの中では、展開に合わせてその場で作戦を修正し、プランを練る力も求められることになる。
特に誰しもが一発を狙い、奇策に打って出る者がいることも珍しくないGⅠレースでは尚更、修正力やアドリブ力も必要だ。場合によっては、レース前に組み上げたプランの全てを捨てて、ゲートが開いてから作戦を一から練り直さなければならなくなることもある。
そこで対応できるかできないか。この点も、レースの勝敗を分ける一つの重要な要素になる。
そして、そうしたレース中の判断に関して、トレーナーは一切助けることができない。
一度レースが始まってしまえば、トレーナーができることは見守ることだけ。
実際にどのようなコース取りをするのか、どのような位置取りをするのか、どの辺りで仕掛けるのか──その全ての判断は、ウマ娘自身が走りながら、自分の頭で行わなければならない。
(───ほう?)
と。バックストレッチの半分を過ぎたところで、私はトウカイテイオーが、既に先団に取り付き始めていることに気づいた。
先頭から7、8番手ほど。先頭集団の間隔が詰まっているので、逃げる1番手のウマ娘からは10バ身と少しほどの位置にまでスッと上がって行っている。
(捲り──ではないな。………まさか)
第3コーナーをカーブする頃には、トウカイテイオーは楽に4番手まで進出。
第3コーナーから第4コーナーの中間点を通過する頃には、トウカイテイオーは自然と3番手までポジションを上げていく。
『第4コーナーをカーブして、直線コースに向きました! 間にはトウカイテイオーと、前は5人くらいが固まっています!』
そして、内から数えて3番目の位置で最終コーナーをカーブしたトウカイテイオーは、直線コースに向く頃には早くも先頭に立っていた。
「───なるほど」
その瞬間、私は笑みを浮かべて目を伏せる。
作戦を考えろ、と言ったのは私のミスだ。こんなレースで、そんなことをする必要など無かったようだ。
『トウカイテイオーが抜け出しにかかります! トウカイテイオー、3バ身から4バ身のリード!』
トウカイテイオーは涼しい顔で、あっと言う間にバ群から抜け出した。
彼女の全力からは程遠い走り。それでもトウカイテイオーは、後続との差をグングン広げて行く。
数完歩の間に、トウカイテイオーと他のウマ娘の差は、決定的に開いていた。
何もかもが違う。文字通り、次元の違う走りだ。
トウカイテイオーにとって、この程度はジョギングのようなモノ。それでも、他のウマ娘はトウカイテイオーに追いつけない。
圧倒的な才能の違い、実力の差がそこにはあった。
自動車が戦闘機に速度で勝てるわけがない。それと同じだ。最早モノが違う。
戦いは同じレベルの者同士でしか発生しない、とよく言われるが、これはまさにそれだ。そもそもレースになっていない。
恐らく、彼女は差しだの先行だの、そんな面倒で難しいことは考えていない。
トウカイテイオーにとっては、ただ楽しく走るだけで勝てる。ここはそういう場所だった。
『トウカイテイオー、ゴールイン!』
そのまま、楽にトウカイテイオーはゴール。
見事、メイクデビュー戦で勝利を飾ってみせた。
2着のウマ娘とは4バ身差の、まさしく快勝といえるレース。完璧な走りだった。
「あーっ、カイチョーじゃん! 見に来てくれたのー!?」
トウカイテイオーが手を振りながら、スタンドに立つ私たちの下へ駆け寄って来る。
息を切らすどころか、汗一つかいていないようだ。
──私の見立てに狂いはなかったが、これはなかなか末恐ろしい才能だ。
これでいて、彼女にはまだまだ上積みも期待できる。正直、私の想像以上かもしれない。
「おめでとう──と言うには、まだ早いか。
まずは1勝だな、テイオー」
「うん! デビューはちょっと遅くなっちゃったけど、すぐにオープン入りして、無敗の三冠ウマ娘になるからね! これからも見ててねカイチョー!」
屈託の無い無邪気な笑顔を浮かべるトウカイテイオー。
──いや、これは少し、彼女に申し訳ないことをしたかもしれないな。私としたことが、彼女を過小評価していたようだ。
彼女は私が何もしなくても、放っておいても「無敗の三冠」を達成するのではないかと、そんな気すらして来た。
「まずはおめでとう、トウカイテイオー。メイクデビュー戦ながら、見事な走りだった。
だが、ここからが始まりだ。こんなところはあくまで通過点──我々が目指すべきはトゥインクル・シリーズの頂点、クラシック三冠レース。
今日の君の走りを見て、私も想いを新たにしたよ。君のトレーナーを務められることを、嬉しく思う。
改めてになるが、共に『無敗の三冠』を達成するため、これからもよろしく頼む」
と。私が握った拳を差し出すと、トウカイテイオーは不思議そうに私を見て、笑った。
「もう、今更何なのさ。ボクの方こそこれからもよろしく、トレーナー!」
トウカイテイオーも拳を突き出してきて、互いの拳を合わせる。
彼女のジュニア級も終わりが近づく中で、いよいよ私とトウカイテイオーの挑戦が、本格的に始まったのである。
そして、彼女はウイニングライブも完璧にこなしてみせた。
ここに関しては一切心配していなかったので、私からは特に何もすることはない。
歌もダンスもパーフェクト、まさに万能の天才というライブパフォーマンスを見せつけたのだった。
『真ん中を割ってトウカイテイオー! トウカイテイオーが先頭! トウカイテイオー先頭であります!
先頭は完全にトウカイテイオー! これはどうやら2戦2勝であります! トウカイテイオー1着!!』
12月末にはオープン特別「シクラメンステークス」、京都芝2000メートルで格上挑戦。
ここでは3番人気に人気を落としたものの、その節穴極まれりとしか言いようがない前評判を覆す形で、後続に2バ身差をつけて圧勝。
無事にオープン入りを果たしたところで、トウカイテイオーのジュニア級は終了した。
1月からは、いよいよクラシック級での戦い。
春のクラシック第一冠「皐月賞」を見据えた、トウカイテイオーの快進撃が幕を開ける───
◇
「……2連勝。ここまでは順風満帆、というところか」
トウカイテイオーが快勝したシクラメンステークス。
それを京都レース場のスタンド上層階、特別席から見届けていたシンボリルドルフは、満足げに笑みを浮かべる。
──そんなシンボリルドルフの背に向かって、声をかけるウマ娘が一人いた。
「4バ身差の次は2バ身差、か。
格上挑戦も何のそのと来れば、ルドルフが目をつけてるあの子、かなりやるみたいだね」
良いね、と無邪気に笑う彼女。
自分も一度競ってみたい、と言わんばかりのそのウマ娘の声音は、シンボリルドルフにとっても聞き慣れたモノだった。
シンボリルドルフは振り向かず、ある種神出鬼没と言える、羨ましいと思うほどに自由奔放な彼女に──
「ああ。私と同じ『無敗の三冠』──彼女なら本当に成し遂げてしまうかもしれないな。
君も、そう感じているんだろう? シービー」
そのウマ娘の名は、ミスターシービー。
「天衣無縫」「ターフの演出家」などと称され、先行を得意とするルドルフとは正反対──最後方からの追い込み戦術を好む、タブー破りの三冠ウマ娘。
「うーん、どうなんだろうね。アタシはそういうの、あんまり気にしないからなぁ」
ミスターシービーはあっけらかんと笑いながら、通路に立ったまま観覧席の背もたれに腰を置き、レースを終えて地下バ道に帰って行くトウカイテイオーを流し見る。
その色素の薄い水色の瞳に、トウカイテイオーがどう映っているのかは、ルドルフにも掴みきれない。
「そうは言うが、君にも気にかけているウマ娘はいると聞いたよ。確か、前走で1勝クラスを突破していたと記憶しているが」
「気にかけている、ってほどじゃないけどね。何となくこう、運命的な何かを感じる──って言うのかな。
でも、結構頑張ってると思うよ。多分、皐月賞にもダービーにも出られるんじゃない?」
君が気にしているあの子に勝てるかは分からないけどね、とミスターシービーは呟く。
そして、彼女は特別席に置いてあったスポーツ新聞を手に取り、読むでもなく流し目で適当に眺めた後、シンボリルドルフに向けてポイッと投げながら言った。
「それに、トゥインクル・シリーズを後にしたアタシ達から、何か言うようなことはないよ。これからは、あの子たちが新しい時代を作っていくんだから。
アタシ達はただ、それを見守りながらドリームトロフィーで待ち受けるだけ──そうでしょ?」
ミスターシービーの投げたスポーツ新聞は、シンボリルドルフの頭の上にバサッと被さった。
シンボリルドルフがそれを掴みつつ振り向くと、ミスターシービーは既に背を向け、片手を持ち上げてヒラヒラと振りながら階段を上がって行っていた。
全く、とシンボリルドルフは相変わらずの奔放さを見せるミスターシービーに呆れつつ、手元のスポーツ新聞の一面に目を向けた。
スポーツ新聞の一面は、明日中山レース場で行われる年内最後の中央GⅠ「有馬記念」の特集記事。
その見出しは、恐らく全国民が注目する、あのアイドルウマ娘についてのモノ。
どこの社のスポーツ新聞を買ったとしても、それこそスポーツ新聞でない一般の新聞であっても、今日明日明後日の一面には、例外なくこの話題があるのだろう。
オグリキャップ、ラストラン。
地方の笠松レース場から現れた、灰かぶりのヒロイン。
文字通り日本中を湧かせ、社会現象そのものと化したスターウマ娘が、明日の有馬記念でラストランを迎える。
今や、全国はこの話題で持ちきりである。
「──タマモクロスも、イナリワンも、スーパークリークも。
そして、明日にはオグリキャップも……か」
感慨深く、シンボリルドルフは呟いた。
オグリキャップの引退により、ここ2年間のトゥインクル・シリーズを牽引して来た「永世三強」の全員が、ターフを後にすることとなる。
結果がどうであれ、確実に言えることがある。
それは、明日の有馬記念がトゥインクル・シリーズにとって、大きな節目になるということだ。
オグリキャップの時代が。
一つの時代が、明日終わるのだから。
「───トゥインクル・シリーズは、大きな転換点に立たされている。次の時代は、誰が担うのだろうな」
当然、不安もある。
オグリキャップほどのスターはそうそう出て来るものではない。その喪失感は、彼女を笠松からスカウトしたシンボリルドルフ自身も感じることになるのだろう。
だが、時代は変わるモノだ。
それは止めようがないし、止める必要もない。
何もオグリキャップに限ったことではなく、これまでもずっとそうだった。
去る者がいれば、来る者もいる。
それは今年のクラシック世代か、はたまた来年以降の──まだ見ぬウマ娘たちか。
いずれにせよ、毎年のように変えがたい、フィクションでは到底描き出せぬほどのドラマが、トゥインクル・シリーズからは生み出されるのだ。
だからこそ、トゥインクル・シリーズは人々を惹きつけてやまないのだから。
次の時代の中心になるのは、もしかすればトウカイテイオーであるのかもしれない。
そうであってくれれば、シンボリルドルフにとっては非常に喜ばしいことだろう。
「まずは、明日──
晴れ渡った冬空をガラス越しに見上げて、シンボリルドルフは未来に想いを馳せるのだった。
次走「クラシックへの登竜門」