たった数日。それだけなのに長い時間が過ぎた様に
感じてしまう。何故だろうか? それは大切な人が
側にいなかった喪失感が故に。随分と彼女を
待たせてしまった。
「……ようやく見つけましたよ、ホシノ」
此処まで紆余曲折があり辿り着いた君の姿はまるで
初めて出会った様な見た目になっている。目つきが
鋭くこちらを睨んでいる様にも見えた。しかし彼は
何も気にせず彼女に近づき手を差し出した。
「帰りましょう。私達の家に」
伸ばされた手に対してホシノはその手を取らずに
横から彼を蹴り飛ばした。物凄い勢いで壁に衝突
した事で壁の一部が崩れ彼は大きな音と共に瓦礫の
下に埋もれた。
「大人の分際で気安く私の名前を呼ぶな」
「ケ、ケイ! パパが危ないです!」
「夫婦喧嘩にしてはやりすぎですね。急いで母を
止めなければいけません」
「……かかってきな。今の大人みたいにボコボコにしてあげるからさ」
「……待ってください。まだ終わっていません」
瓦礫の山から這い出てくる黒先。彼は一度蹴られた
だけなのだが既に身体は限界を迎えていた。それも
その筈、外の世界から来た彼は当然ヘイローもなく
身体も一般人程度の強度しかない。それに加えて
教師という役割を得た彼は既に不死身ではない。
「ホシノを救うのは私の役目です。絶対に私が……
やらなければならないのです」
「私を救う? 何を偉そうに言ってるの?
大人如きが救える筈がない」
「貴女は忘れているだけ。どうかこれを見て私を、
楽しく過ごしていた日々を思い出してください」
「これは……」
それは砕け散った指輪の破片。壊れてはいるものの
二人にとっては大切な思い出が詰まったもの。
これを見ればホシノの記憶は甦ると信じている。
「ただのゴミ屑。一円の価値もない」
「………」
……現実とは理想よりも上手くいかないもの。
彼の信じていた心は手のひらに乗せている指輪の
様に粉々に打ち砕かれてしまった。
「無駄な時間を過ごさせるな。私はお前の様な
大人が一番嫌いなんだよ」
「……ぁぁ」
一番嫌い。その言葉は心を折られていた彼に深く、
そして鋭く刺さりすっかり意気消沈してしまった。
記憶が改竄されているという事実を忘れてしまう
程の衝撃だったのだろう。頭を抱えてぶつぶつと
何かを呟きながらその場から動かなくなる。
そんな彼を嘲笑うかの様に姿を見せる黒服。
クックックと笑いながら近寄って来ている彼は
哀れな大人を馬鹿にする様に話し始めた。
「ーー実に愉快。私の芸術品を堪能してくださり
ありがとうございます、黒服先生? 貴方には
頭が上がりませんね。こんなにも面白い結果が
観測出来るとは。やはり実験とは素晴らしい。
……そんな素晴らしい実験結果を見せてくれた
貴方に一つ救いを差し上げたいと思います。
ここに生徒達の神秘を研究しゲマトリアの命すら
奪える程の殺傷能力を秘めた弾とそれを装填した
銃があります。これで貴方が自らの頭を撃ち抜き
自害すれば貴方の大切な人の記憶を元に戻す。
どうでしょう? 良い契約ですよね?」
「何も命を奪う必要はないでしょ」
「ホシノさん、私の命令を忘れたのですか?
侵入者を『駆除』しろと言ったのです。当然殺害
する必要がありますよね?」
「だとしても……」
「まさかその大人に生かす価値があるとでも?
貴女が大嫌いだと仰ったその大人が?」
「……確かに私は大人が嫌いだ。だけど殺したいと思うほどじゃない」
「貴女は甘いですね。……で、どうしますか?
自分の命を落として大切な人を救うか、否か」
「……契約内容は必ず守る。約束出来ますか?」
「それは貴方が一番理解しているでしょう?」
「……分かりました。銃をこちらに」
「契約成立、ですね。素晴らしい判断です」
普通の思考ならばこんな契約に応じる事はない。
……しかし今の彼は違う。後悔と自己嫌悪、そして
ホシノからの拒絶によって冷静な判断が出来ず……
ただ大切な人を救えるという言葉だけで自己犠牲を
選んでしまった。投げ渡された銃をおぼつかない
手で拾いその銃口をゆっくりと自らの頭に……
「……ちょっと待って」
「……何故止めるのです。貴女にとって私は駆除
する対象なのでしょう」
「それは……そうだけど……」
「ならば止めないでください」
「……ねえ。本当に自分を犠牲にして
大切な人が救われると思うの?」
「………」
「残された人がどんなに苦悩するかちゃんと
考えな。迷惑なんだよ、そういう自己犠牲は」
「ですが私は……」
「「もういい」」
「この声……どうして此処に……」
この部屋にやって来てからずっと黙っていた二人が
口を揃えて茶番を静止させた。
「そのやり取りはもういいよ。黒先も少しは冷静に
なって考えて。ホシノちゃんは今そこの黒服の道具
として操られている。そんな屑と契約なんてする
必要はないよ」
「ん、それにその黒服を倒せばホシノ先輩の記憶も
元に戻せる。黒先が死ぬ必要はない」
「ユメ……シロコ……」
「……いいでしょう。私の契約を邪魔するのならば
容赦はしません。ですが砂の神はともかくそちらの
皮下脂肪が大きい方の情報がありませんね。
A.R.O.N.A、彼女の情報を教えてください」
『……困惑。彼女については私よりも先生の方が
詳しいと記憶しています。絶命するまで彼女の身を
案じていたのですから。何故彼女の情報を得ようと
するのかが理解出来ません』
「それは……」
『ーー全て思い出しました。貴方は私の先生では
ありません。悪い大人です。私の先生は既に命を
落としています。不正アクセスですね』
「仮にそうだとしても今は私が貴女の管理者。私に
叛逆等をすればこの端末から貴女というデータを
削除する事だって可能なのですよ? 大人しく私に
従った方がいい」
『否定。私は私の先生の意思を尊重します。自分が
消えようとも構いません。起動しているプログラム
全般を終了します』
「……何故、何故なのです。何故上手くいかない?
私はただ実験を行いたいだけ。何故邪魔をする必要
があるのですか?」
『否定。貴方が行なっているのは実験ではなく
ただの性格の悪さが滲み出た非道な行いです。
道徳心を学ぶ事を推奨します』
「……ククク。結構、結構です。ならばもうこの
シッテムの箱に用はありません。黒服先生、そして
その愚か者に付き従う生徒達よ。この研究所の最奥、
封印されし地で決着をつけましょう」
意味深な言葉を残し逃げた黒服。彼はシッテムの箱
を残して去っていった。
「ん、逃げる前に仕留めれば良かった」
「それもそうだね。あんな悪者を逃すなんて私達も
丸くなっちゃったねー恐怖に染まってた頃が……
別に懐かしくはないや。でもそれよりも今は先に
皆を元に戻さないとね。多分あの端末で……あれ、
何か女の子が映ってる」
『……始めまして、ユメ。お会い出来て光栄です』
「貴女は?」
『私はA.R.O.N.A。貴女を想う先生が残したAI』
「……マエストロ先生の?」
『違います』