ゲンソウカイキ~ファンタジー世界で怪談話~ 作:京谷ぜんきまる
剣と魔法の世界にも、賃貸物件は存在する。
内部が独立の住居に分かれ、その一つ一つに一家族ずつ住めるようにした建物。
いわゆるアパートだ。
魔物退治や遺跡探索、希少アイテムの採集など、様々なクエストを受けて解決する冒険者達。
彼らの中でも、旅をやめて一つところに根付いて生活するようになった者は、こういった共同住宅を住まいに選ぶ者も多い。
今年、魔法学校を卒業し、地元のウェストサンプールにもどったアーネスト・ラーティは、親所有の賃貸アパートで暮らしている。
アーネストが魔法学校を卒業したちょうどその頃、地方で暮らしていた兄夫婦が仕事の関係で戻ってくる――という話になったため、兄夫婦が実家に戻るのと入れ替わりに、一人暮らしをすることにしたのである。
木造の築二十年以上たった、少々古ぼけたアパート。
部屋の間取りは部屋一つ。
以前は家族経営だったが、父が他界してからは、入居者の募集や契約やその他管理を冒険者ギルドに丸投げしている。
元々、一人暮らしをしてみたかったアーネストにとっては好都合だった。
母が、安めの家賃をさらに安くしてくれたし、実家は一刻*1もかからない距離だ。
何の不都合もないはずだった。
だが少々気になることもあった。
ギルドハウスや酒場、冒険者御用達の鍛冶屋やアイテム屋などからも近く、家賃も良心的な好物件のはずなのに、ここ近年は退居者が多く、新たな入居者もなかなか現れない為、空き部屋が殆どなのだ。
一昨年には見栄えをよくするために壁を塗り替えた
共用井戸に定期的に浄水効果の魔法も施したりとサービスも充実している。
だが、効果はあまりみられなかった。
ギルドの怠慢なんじゃないのか。
常々そう思っていたアーネストは、仕事から帰ってきたある夕方、空き部屋になっている隣部屋を覗いてみることにした。
ドアの取っ手に手を掛けてみた。
鍵が、かかっていない。
「チッ」
アーネストはカチンと来た。
入居者が現れず、長期間空き部屋になっているのだから、鍵くらいかけておくべきなのではないか?
そう思いながら、部屋に入って、ザッと室内を見回してみるが、どこもキレイなものだった。
ずっと空き部屋のままだと、定期的に掃除してやらねば、虫がウジャウジャ湧いてしまったりするのだが。
……冒険者ギルドは定期的な手入れを怠っているというわけではなさそうだ。
アーネストは肩をすくめて部屋を出た。
「うッ」
思わず声が出た。
部屋を出て、すぐ目の前に犬がいたのだ。
魔法使いが犬を恐れるなど――とはいえ、この犬、結構大きい。
犬種は分からないが、耳と小さくて、頭が大きく、首が太い。
口は閉じているが、鋭い牙が見える。
アーネストは固まってしまった。
犬は、微動だにせずじっとアーネストを見つめていた。
遠くで、夕闇カラスの鳴き声がした。
犬は、ふいっと顔をそらし、悠然とした足取りでアパートの敷地から表の道路の方へと出ていった。
アーネストは去っていく犬の姿に釘付けになっていた。
完全に姿が見えなくなってから、即座に自分の部屋のドアを開けて中に入った。
……その犬は、ウェストサンプール付近では有名な野良犬だった。
黄昏時から深夜にかけて町内を徘徊しているらしく、子供たちには人気で、ハヤタローという名前で呼ばれているそうだ。
奇妙な名前だとアーネストは思った。
アーネストも、仕事帰りの、魔法塾からアパートまでの道すがら、ハヤタローの姿はよく見かけた。
なにやら、顔を覚えられているのか、じっと自分のことを見つめることが多いように思えた。
しかもハヤタローに見つめられる度に、アーネストはなぜか畏まってしまうような、変な緊張をおぼえてしまうのだった。
「何なんだよあの犬は」
思えばウェストサンプールには野良猫も多い。
深夜までやってる酒場に向かう途中、近くの駐車場に十数匹、群を為してたむろしてたりすることなどしょっちゅうだ。
しかし……野良猫はまだいいとして。
あのように大きな野良犬が町中を闊歩しているのは少々危険ではないだろうか。
誰かが国から派遣された巡警武官に通報したり、冒険者ギルドに駆除のクエストとかを発注する者がいてもいいのではないか?
先日、巡警武官と話をする機会があったので、思い切ってアーネストはハヤタローのことを聞いてみた。
「ああ、あの野良犬のことですか――」
武官の話によると、実は何度か捕獲を試みたことがあるらしいのだが、そういう時に限って姿が見えず、なかなか捕まえられないのだそうだ。
しかし、最近は捕獲や駆除の要望は稀で、付近の住民はハヤタローが野放しで歩き回っているのを黙認しているとのことだ。
……そんなことってあり得るのか?
どうにも気になったアーネストは、ウェストサンプールの野良犬のことを調べてみることにした。
すると一部ではやはり有名らしく、他にもウェストサンプールで珍しい鳥や蜥蜴などを見たなどという話も聞いた。
町外れにあるなどではいつの頃に建てられたのは不明な、朽ちた神殿跡にいるのを見た者もいる。
ちなみにこの神殿は、門が変わった形をしていて、本殿自体は遺構を残すのみで跡形もない。
何の神を祀っていたのかも分からないのだった。
ガチャ、バタン。
ある晩、アーネストは目が覚めた。
ドアを開けて、閉める音。
隣の、部屋……。
翌日。
魔法塾に出向くためアパートを出る際、隣の部屋をチラリと見たが、軒先には何も置かれていないし、外から見た感じでは人が入居した様子はない。
……誰かの悪戯だったんだろうか?
自分みたいに空き部屋を誰かが覗いただけなのかも。
その夜、帰宅して就寝中、また隣の部屋のドアが開き、そして閉まる音がした。
その後も、毎日ではなかったが、週に一度か二度、深夜にドアが開く音がした。
さすがに気味が悪くて、冒険者ギルドに問い合わせてみたが、やはり隣の部屋は空き部屋とのことだった。
「とりあえず、明日にでもドアの鍵はかけておきます」
という話を聞いて、幾分か安堵し、その日はホッとした気分で布団に入った――。
ギニャ! ニャアアアアアアア! ニャア!
猫だった。
アパートの敷地内で喧嘩でもしているのか、複数の猫の威嚇するような激しい鳴き声が響き渡っている。
「チッ! もう、何だよくそ!」
アーネストは飛び起きて、外に出ようとドアノブに手をかけたその時――。
ギャ! ッ、ギャアアアア!
猫の鳴き声が、絶叫のような悲鳴に変わり、そしてプツリと途絶えた。そして、
ガチャ、バタン。
「……」
アーネストは、囁くような詠唱を開始し、自らにナイトビジョンの魔法をかけた。
そして、物音を一切たてないようにして、ドアを少しだけ開く。
色彩はないが、外の様子はハッキリと見えた。ぼやけた緑色に染まった視界に、猫の姿は見あたらない。
何事もなかったかのように静かで、不審な点はなにも見あたらない。
隣の部屋のドアは閉まったままだ。
アーネストは音を立てないようにしながら部屋の外に出る。
なにかあったら、すぐに閉めて鍵をかける心づもりを固めておきながら、周囲をくどいほど確認し、隣部屋のドアに近づく。
周囲には異臭がたちこめていた。
そして、隣部屋から、声が聞こえてきた。
なにかの呟きのような、歌のような声だ。
――こして……こと……………ならぬ……………………こにしらせるな
――わるさ……こと………ちゃならぬ…………たろうの………………な
しゃがれた、男とも女とも、子供とも老人とも判別できない声だった。
(あ、これはだめだ)
アーネストは、これまで経験したことがないほどの大きな、自分の心臓の鼓動を聞いていた。
体が震え、息づかいが荒くなる。
激しい恐怖に襲われながら、同時に心の中で「これはだめだ」という言葉が何度も何度も浮かんだ。
とにかく離れたい。この場から逃げ出したい。
部屋に戻ることも忘れて、アーネストはなぜか実家まで走って逃げようという考えに囚われ、道に出ようとした。
その時、ギィィィ、と、ドアが大きく開いた。
異臭が一段ときつくなった。
血と、毛皮に思いっきり顔を埋めた獣臭さ、それの何倍もきつい臭いがした。
鼻がツンとし、涙が溢れた。
隣部屋の室内は真っ暗だ。
しかし、戸口に何かが立っていた。
ドアの高さにおさまらない、大きな何かが、屈んだのが分かった。
ナイトビジョンの効果が急激に失われていく。
おかしい。少なくとも半時*2は効果が持続するはずなのに!
闇に光る黄色い目がアーネストを睨めつけた。
目眩がして、アーネストはへなへなとその場に崩れかけた。
だが――。
グルルルルルルルッ
自分の横で、凄まじいうなり声がして、アーネストはハッと我に返り、振り返った。
ハヤタローだった。
目を見開き、爛々と輝かせ、全身の毛を逆立たせている。
鼻に皺をよせ、牙を剥きだして、ハヤタローは黄色い目に向かって、吠えた。
遠吠えのような、否、もっと激しい咆哮だった。
……アーネストは、ビリビリと自分の体が震えるのを感じたのを最後に、気を失った。
次に気がついた時には、周囲に人だかりが出来ていた。
付近の住民が、手落ちランプを持ちながら自分を囲んでいたのだ。
巡警武官が例の部屋を調べているのが見えた。
床や壁に大量の血や、赤黒い肉片が散らばっている……。
誰かに抱え起こされると、アーネストは医務室がある冒険者ギルドに搬送された。
茫然自失の状態から回復した後日。
アーネストは巡警武官に色々質問された。
「何があったんですか?」
「……え、と」
答えあぐねていると、巡警武官があの時の状況を教えてくれた。
霊の部屋で数匹の猫の死骸が発見されたこと。
何かに食い散らかされ、死骸は酷い有様だったこと。
奇妙な点がいくつかあり、猫数匹分にしては、血の量が多すぎたこと。
それは猫でも人間の血ではないことは魔法検視官の調べで分かったが、何の血かは判明しなかったとのことだ。
曰く、知られているどんな幻獣や魔物の血でもないとのことだった。
「そう……ですか」
「はい。アーネスト・アーティさん、繰り返しで申し訳ないですが、何があったんです?」
「……」
「何を見たんですか?」
自室の隣の中にいたあの得体のしれない大きな何か……あの、黄色い目。
思いだしただけで背筋が凍るが、同時に野良犬ハヤタローのことを思い出すと、恐怖でがんじがらめになったアーネストの心は解きほぐされるのだった。
「すみません。隣の部屋のドアが開いていて、猫の死骸をみて気を失ったこと以外、何も憶えていないです」
「そうですか……」
奇怪な経験をしたというのに、アーネストは今もアパートに今も住んでいる。
ハヤタローは今でもちょくちょく見かけるが、もう自分をジッと見つめることはなくなった。
アーネストは、それをちょっと、寂しく思うのだった。