まごころを、ぼくに   作:赤坂緑語

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前話につき、少し修正をしました。
詳細は活動報告の方に載せております。
(修正内容についてのコメントはそちらに頂ければ幸いです)

さて、今回の話ですが……拳は全てを解決する。以上です。


ずっと、心、重ねていて【中編】

 

普段は大人びているシンジ少年だが、その性根が意外に甘えん坊であることは、彼が自分のコントロールを失った時に分かるだろう。

 

例えば風邪を引いた時。

熱で頭がボーッとし、普段の自制心を失った彼は急に我儘を言い出すようになる。

 

「水が欲しい」

「熱い」

「そばにいて欲しい」

「しんどい」

「助けて欲しい」

 

それは、急激に自分の力で大人になった反動なのかもしれなかった。

無条件の愛情が欲しくて、でも簡単には手に入らないことが分かっているから普段は見て見ぬふりをしている。

 

だから――

 

意識が朦朧とし、さらに胸部の正体不明の激痛に悩まされている今、自我が曖昧になったシンジ少年は思わず近くにいる人物に口走っていた。

 

「手ぇ……握って……」

 

“死”を近くに感じた影響か、誰かに居て欲しいと思ったのだ。

 

「お願い……」

 

躊躇しているらしい誰かに対し、シンジ少年は懇願する。

やがて、おずおずと差し出される手。

それはそっとシンジ少年の手を握った。

 

柔らかくて、ひんやりとした感覚。

 

安心する。

 

シンジ少年はほっと一息ついて、痛みと熱から逃げるように眠りに落ちた。

 

 

 

 

「……知ってる天井だ」

 

目を覚ましたシンジ少年は呆けたように呟いた。

いちいち周りを確認するまでもない。

間違いなく病院内である。

 

どうやら、またしても使徒戦の最中に気を失ってしまったらしい。

 

自分が情けないやら、そうなるまで戦った自分が誇らしいやら、周りはどれくらい心配してくれたのかちょっと気になるやら。

 

変わらずポジティブなシンジ少年は、胸部にやや違和感を覚えながら身体を起こそうとして――誰かに右手を握られていることに気付いた。

 

(ミサトかな?)

 

真っ先に思い浮かぶのは彼の保護者。

だが、少し感触が違う気がする。

拳銃を扱う彼女の手のひらはもっと大きくて、ゴツゴツしていたはずだ。

 

今握ってくれている手は、それよりもほっそりとしていて、柔らかさの中に力強さもあって。

以前にも触れたことのあるような気がする。

 

上体を起こして手の持ち主を見たシンジ少年は驚いた。

 

「えっ……アスカ?」

 

ベッドに上体を預け、シンジ少年の手を握るアスカはスヤスヤと眠っている。

 

どうして喧嘩中だったはずの彼女が手を握ってくれているのか。

疑問に思いながらまじまじと彼女の顔を見つめる。

 

(本当に綺麗な顔だな……僕と同じくらいに

 

だが寝不足気味なのか、少し隈が見える。

折角の美貌がもったいない。

シンジ少年はそう思った。

 

「ん……うぅん?」

 

手を握られているシンジ少年が動いたからか、ミサトと同じく人の気配に敏感なアスカが目を覚ます。

寝ぼけた様子で頭を動かしながら、ぼんやりとした様子の青い瞳がシンジ少年を捉える。

 

「――シンジ⁉」

 

彼女は一瞬で覚醒した。

椅子から飛び上がらん勢いで立ち上がり、彼に顔を近づける。

 

「アンタ! 大丈夫なの⁉ また心臓が止まったって聞いて、私――」

「お、落ち着いて。大丈夫、全然大丈夫だから!」

「そ、そう……?」

 

泣きそうな顔で慌てふためいていたアスカ。

よっぽど気に病んでいたのだろう。

シンジ少年の笑顔を見てようやく安堵できたようだ。

 

ホッと肩の力を抜いた彼女は、ふと自分の右手が何かを堅く握りしめていることに気が付いた。

ひんやりとしていて、滑らかな質感を持つそれは――シンジ少年の右手。

 

「ッ⁉」

 

言葉にならない悲鳴を出しながらアスカはパッとその手を離した。

もの凄い勢いで血が循環し、顔が真っ赤になっていく。

 

離れていったアスカの手を少し名残惜しく思いながら、シンジ少年は目が覚めてからの疑問を口にした。

 

「ねぇ、なんで僕の手を握ってくれていたの?」

「そ、それは――」

 

もうこれ以上赤くなったら可哀そうなくらいに顔を真っ赤に染めながら、アスカは思い出す。

 

「あ、アンタが――‼」

 

手を握ってとか、言うから。

 

“お願い……”

 

その弱り切った声。

そして、幼子のように切実で、純粋な願い。

気が付けば、アスカは衝動の赴くままに彼の手を握っていた。

 

「僕が? なんか言ってた?」

「……覚えてないの?」

「うん」

「なによ、それ……」

 

首を傾げるシンジ少年は何も覚えていないようだ。

なんとなく納得がいかない心地のアスカは唇を尖らせて不満を露わにする。

何かとんでもないことを言ってしまったのかもしれないと勘違いしたシンジ少年は自分の額に手を当てて目を瞑った。

 

「ちょっと待って。今すぐ思い出すから――」

「思い出さなくていい!」

 

お互いが恥ずかしくなるだけだから。

アスカ渾身の怒鳴り声が病室に響く。

 

「いや、そういっても――」

「いいから! 本当に思い出さなくていいから! 終わり! この話題は終わりよ!」

 

パン! と両手を叩いてアスカは強引にこの話題の深堀を避けた。

まぁ、アスカがそういうならと大人しく引き下がるシンジ少年。

 

喧嘩していたことも忘れていつも通りの空気感に戻った2人。

 

このまま何食わぬ顔で前までの関係に戻りたいという欲求は強くある。

だが、それではダメだとアスカの心が叫んでいた。

 

「……ねぇ、シンジ」

 

意を決してアスカは立ち向かう。

 

「アンタに、言わなきゃいけないことがある」

「なに?」

「……その」

 

言葉に詰まるアスカ。

目を逸らし、シンジ少年と繋いでいた右手をにぎにぎする。

彼女らしからぬ挙動。

 

そして、彼女はそっとその言葉を口にした。

 

「ごめん」

 

アスカは謝る事が嫌いだ。

特に日常の軽いことで気軽に謝るならともかく、自分の否を認めて真摯に謝るということが嫌いだった。

それはプライドの高さも原因ではあったが、それ以上に自分の価値を下げるようで嫌だったのだ。

 

そして、自分の価値を下げたくないのは――他人に認められなくなるかもしれないから。

 

人に認められるには価値が必要だと強く信じている彼女にとって、それは容認できることではなかった。

 

だが、今彼女は謝っている。

心の底から反省して、謝罪していた。

 

「アタシの不注意で敵に隙を見せて、またシンジに救われた。……命を危険に晒すリスクをアンタにだけ背負わせて、アタシはまた無傷」

「……」

「だから、ごめん。謝るわ」

 

そこまで言い切ってから、アスカは心が軽くなっていることに気が付いた。

ずっと思い詰めていたものを吐き出せてスッキリしたのかもしれない。

彼女は思った。()()()――

 

「それから、昨夜のことも…ごめん。アタシ……ちょっと、どうかしてた」

 

今なら謝れる。

その場にいない綾波レイを、心の衝動に任せて罵倒したことを。

そして、そのことで彼女と親しいシンジ少年も合わせて傷つけたことを。

 

アスカは自分と向き合ってようやく謝ることが出来た。

あとは、シンジ少年がどうするかだが――アスカは彼が許さないと言って怒りだしたとしても全て受け入れるつもりでいた。

 

何なら、一発殴られるくらいが相応しいとも思っていた。

 

だが――この少年に限ってそんなことをするわけもなく。

 

「……うん。分かった。許すよ、全部」

「……ありがと」

 

あっさりと頷いて許したシンジ少年にホッと力んでいた全身から力を抜くアスカ。

シンジ少年は続けて言う。

 

「仲直り、だね」

「……そうね」

「はい」

「なによ?」

「仲直りの握手」

 

差し出された右手を見る。

先程まで自分が握っていた手だ。

 

再び顔を赤くするアスカ。

思い返せば、彼と仲良くなったきっかけもこの病院での握手だった。

 

おずおずと手を差し出し、手を握る。

お互いの温もりが手を通して伝わる。

微笑むシンジ少年と、恥ずかしそうにしながらも嬉しそうに微笑むアスカ。

 

2人の初めての喧嘩は、こうして無事に決着がついたのであった。

 

 

 

「そういえばミサトは?」

「後処理中よ。あと、それから今後のプランを練ってるんじゃないかしら? 流石に無策で挑むわけにもいかないしね」

 

そして、面白くなさそうに鼻を鳴らしてから

 

「ま、アンタが目を覚ましたと聞けば全部放り出して()()()()()()()

「シンちゃん! 大丈夫⁉」

「……ほらね?」

 

呆れたように肩を竦めながら空気を読めるアスカが一歩下がる。

病室に突入してきたミサトは真っ先にシンジ少年に飛びついた。

 

「み、ミサト……苦しいよ……」

「苦しい⁉ 大丈夫? もしかして、また心臓が……!」

「大丈夫、大丈夫。ハグの力が強いから驚いただけだよ。……ごめん、また心配掛けたみたい」

「……謝るのは私の方よ」

 

シンジ少年を抱きしめながらミサトは懺悔する。

 

「頼りない指揮官で、ごめんね……」

「そんなこと一度も思ったことないよ。もっと自信持ってよミサト。僕はこうして生きているんだしさ」

「シンちゃん……ありがとね」

 

自分はあと何度、この少年に救われるのだろうか。

ミサトは言葉にできないほどの感謝を抱きながら抱きしめている少年の頭を撫でた。

 

暫く抱擁を交わしていた2人だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。

名残惜しそうに身体を離したミサトはシンジ少年に尋ねた。

 

「シンちゃん、昨日の使徒戦のことは覚えてる?」

「うん。覚えているよ。といっても、敵の攻撃を食らいまくっていた光景が最後だから、どうなったかまでは知らないけど」

「そう……」

 

初号機が敵の怪光線に晒されている光景を思い出したミサトとアスカの顔が歪む。

 

ミサトは使徒戦の顛末をざっくりとシンジ少年に説明した。

敵はジェットアローンのポジトロンライフルで大ダメージを負ったこと。

再度侵攻は7日後であることを。

 

「そっか……ポジトロンライフルでもダメだったんだ」

「えぇ。さらに追加で悪い知らせよ。暫くポジトロンライフルは使えないわ」

「えっ?」

「どういうことよミサト」

「……まぁ、ぶっつけ本番は良くないって話ね」

 

ジェットアローンにポジトロンライフルを撃たせる。

その試み自体は上手くいったのだが……代償は大きかった。

 

膨大な電力を生み出せるジェットアローンではあるが、そもそもの運用コンセプトは「エヴァンゲリオンには出来ない長期間の連続運用」である。

圧倒的な電力量こそ備えているものの、一瞬でその電力全てを使い切るポジトロンライフル用に設計されているわけではない。

内部設計の見直しも検討されていたが、見直しが完了する前に使徒が襲来。

やむを得ずぶっつけ本番で使用したわけだが――技術部が懸念していた通り、一発の射撃でジェットアローンの内部はズタボロになっていた。

 

さらに、内部のダメージが原子炉まで直結することを恐れ、動力源を緊急遮断。

最悪の事態は回避することができたわけだが……諸々の修復と設計の見直しに数か月は掛かるだろうというのが技術部の見解だった。

 

「だから、使徒殲滅にはあなたたち2人の力が必要なの」

 

力強くそう告げるミサトだが……すぐにその顔が泣き出しそうなほど、くしゃりと歪む。

 

「……ミサト?」

 

彼女の変化に気が付いたシンジ少年が彼女の肩に手を置く。

ミサトはそっとその手を掴んで下ろした。

 

自分が拒絶された?

 

今までなかったリアクションにシンジ少年が困惑する中、自分に泣く資格はないと発破を掛けたミサトが顔を上げる。

 

彼女は指揮官としての顔で告げた。

 

「初号機パイロット、碇シンジ。弐号機パイロット、惣流・アスカ・ラングレーの両名は、明日より分裂型使徒殲滅に向けた特別トレーニングを命令します」

「えっ」

「ちょ、ちょっと待ってよミサト!」

 

困惑した様子のアスカが声を荒げる。

 

「明日からってどういうことよ! 私は別に良いけど、シンジは昨日心臓が止まっていたのよ⁉ 急な訓練なんて無茶よ!」

「……医師は外部からの刺激が原因の上、健康状態も悪くないから問題ないとの見解よ」

「だけど!」

「アスカ」

 

なおも言い募ろうとするアスカを押しとどめたのはシンジ少年だった。

 

「シンジ……」

「明日からでしょ? なら今日一日はゆっくりできるってことじゃないか。別に問題ないよ」

 

平然とした様子でそんなことを言う。

 

(まぁ、僕の身体って頑丈だし。何も問題ないよね)

 

以前に医師から褒められた(呆れられた)コメントを覚えているため、やたらと強気なシンジ少年。

本当に頑丈なら何度も心臓が止まることなどないと思うのだが……都合の悪いことは頭に思い浮かばないのが彼のデフォルトだ。

 

あまりにも健気な発言にミサトが良心の呵責に苦しめられ、アスカが悲痛そうに顔を歪める。

シンジ少年は何も考えてなかった。

 

「シンちゃん……」

 

自分には資格がないと拒絶してしまったシンジ少年の手を取り、ミサトが一筋の涙をこぼしながら言う。

 

「私のこと、恨んでくれていいわ」

()()()()()

 

裁きを待つ罪人のような顔をするミサトの額を小突き、迷いのない瞳でシンジ少年が言う。

 

「何があっても、ミサトを恨むなんてありえないよ」

 

純粋無垢なその笑顔。

羨望と嫉妬を入り混ぜた表情でその光景を見ていたアスカは思った。

まるで天使みたいな笑顔だ、と。

 

「……そう。やっぱり、シンちゃんはシンちゃんね」

 

ミサトは純粋な彼をぎゅっと抱きしめた。

 

恨んでくれた方が楽であったかもしれない。

そんなことを思いながら。

 

 

 

 

 

各電力会社からの猛抗議を受け、ポジトロンライフルは使用不可。

N2地雷の使用も申請したが、長ったらしい文章で――つまるところ、政治的な理由で却下を食らったミサトは一人悩んでいた。

 

エヴァンゲリオン2機によって敵を撃破するほかないということだけが分かっているが――今回の敵はそう簡単にいく相手ではない。

特に、撃破における最大の障壁はシンジ少年とアスカの間にある()()()()()()()()だった。

 

シンジ少年のシンクロ率は最低値が30%な日もあれば、戦闘時に集中している際には55%を超える瞬間もあるなど非常に不安定だ。

(先日の怪光線を食らっている最中は、不幸なことに最高値に近かった為、フィードバックも大きかった)

 

そんな彼に対し、アスカは常に60%付近のシンクロ率をキープしている。

調子が良ければ70%も超えると言った感じだ。

 

つまり――お互いのシンクロ率を最低値で見積もった場合、2人の間には倍ほどの差があるということになる。

 

これで動きを完全に一致させるなど、至難の業でしかない。

 

ミサトは頭を抱えた。

 

理想はアスカの基準値にシンジ少年が最高値で合わせにいくことだが……シンクロ率など上げろと言って急に上がるものではないし、その逆もまた然りである。

 

「どうしたものかしらね……」

 

手元にあるディスクを見る。

 

そこにはふらりと現れた加持リョウジから手渡された名案が記載されている。

だが、先程から懸念している2人のシンクロ率の乖離が大きな障害となっていた。

 

仮に2人が完璧にダンスを覚え、見事なユニゾンを手に入れたとしても、不安定に上下するシンジ少年のシンクロ率に振り回されてアスカが動きの修正に追われることになる。

 

それに、音楽という媒体に頼る以上、どうしても応用力に欠けてしまうのではないかという懸念もあった。

 

頭を悩ませるミサトは部屋の中をぐるぐると歩き回り――何も名案が思い付かない腹いせに天井から吊るされているサンドバッグを軽く殴った。

シンジ少年のボクシング熱に感化され、部長権限で部屋に設置した代物である。

 

鋭い打撃音が部屋に響く。

 

「……」

 

もう知るか。

スイッチが入る。

資料を地面に放り投げたミサトはサンドバッグを殴り始めた。

 

シンジ少年の心臓、

アスカの変化、

綾波レイの秘密、

使徒の脅威。

 

今は全てを忘れたくて、ただサンドバッグを素手で殴り続ける。

 

ミサトへ報告に訪れた日向はその光景を目にした瞬間、何も言わずに回れ右をした。

そして、他にも報告をしようと廊下を歩いてきていた職員たちにパンチのジェスチャーで伝える。

 

()()()()()()、と。

 

これが職員たちからミサトが恐れられている要因の一つなのだが――己の中に埋没するミサトは気づかない。

 

ストレスから逃げるのではなく、それを発散して逆にエネルギーとすることを覚えたミサトは容赦なくサンドバッグを滅多打ちにする。

 

本編において武装した戦自の隊員3名を拳銃一丁で打倒した戦闘本能は伊達ではない。

確実に芯を捉える重い打撃がサンドバッグを襲う。

 

やがて、サンドバッグを犠牲にストレスを発散し終えたミサトは肩で息をしながら己の拳を見た。

 

「……これね」

 

やはり、最後にものを言うのは拳だ。

ミサトはそう結論付けた。

 

 

 

 

 

1日目

 

シンジ少年は予定通りに退院し、本格的に使徒戦に向けた訓練が開始されることになった。

 

彼を迎えに来たミサトは、同乗していたアスカと合わせて2人をとある場所へ案内する。

シンジ少年とミサトにとっては馴染み深い場所。

そして、アスカにとっては初めの場所だ。

 

「へぇー。NERV内にこんな施設があったのね」

 

トレーニングウェアとフード付きのパーカーを羽織りながらストレッチをしていたシンジ少年は、同じくトレーニングウェア姿で物珍しそうな視線で辺りを見渡しているアスカに教えてあげる。

 

「1年前に造ってもらったんだ」

「アンタの希望で?」

「僕とミサトの両方。やっぱり、本格的な施設が欲しくなってさ」

「……欲しくなったからって、ふつーNERV本部内に()()()()()()()()()()?」

 

呆れた様子で改めて施設を見渡す。

そう。アスカが言った通り、そこは完全なボクシングジムだった。

大きなリングに、サンドバッグ、パンチングボール、シャワールーム……等々。

 

作戦部長室に設置されているサンドバッグと同様に、ミサトの権力ゴリ押しで造られたものだ。

 

「作戦部長様々ね」

 

天井から吊るされているサンドバッグを適当に殴りながら皮肉を言うアスカ。

 

「貴女もその恩恵を受けているでしょう?アスカ。今のマンションに住めているのは誰のお陰かしら?」

「はいはい。ミサト様のお陰ですよー」

 

長髪をポニーテールに結びながらトレーニングウェア姿のミサトが指摘をする。

ひらひらと手を振りながらぶっきらぼうに答えるアスカは、今度は本腰を入れてサンドバッグを殴った。

 

鋭い打撃音が響く。

シンジ少年は目を丸くした。

 

「アスカ、ボクシングやってたの?」

「まーね。すぐに柔道とかクラヴ・マガとかのトレーニングに本腰を入れたから、そんなにやってたわけじゃないけど」

 

にしては、本職のように鋭いパンチだった。

やはりこの惣流・アスカ・ラングレーという少女は、基礎スペックからして常人とは大きくかけ離れているようだ。

 

「アンタは随分のめり込んでいるみたいね。こんなジムまでもらってさ」

「うん。ボクサーになるつもりはないけど、トレーニングは好きだよ。……まぁ、最近は僕もミサトも忙しくてあんまりここに来れていなかったけどさ」

 

せっかく大金を投じて作ったというのにもったいない話だが……アスカが来てからの2人(特にミサト)はとにかく忙しかった。

初号機が使えない今、せっかくだからと弐号機とシンクロテストをさせられたり、2人の間にあるシンクロ率の乖離を調べるために多種多様なテストを受けさせられたり。

主にシンクロ関連の仕事が多かった為、体力系の訓練は自主トレに任せられていたのだ。

 

「アスカにも紹介したかったんだけど、まさかこんなタイミングになるとは思わなかったよ」

「……紹介したいと思ってくれてただけでもいいわよ」

 

除け者にされていたわけではない。

それが分かっただけでもアスカは嬉しかった。

 

「さて、と」

 

ストレッチを終えたミサトが立ち上がった。

同じタイミングでストレッチを終えたシンジ少年もまたリングの上で立ち上がる。

 

「始めましょうかシンちゃん。アスカ、しっかり見ておいてね。貴女にもこれをやってもらうことになるから」

 

 

 

アスカには、以前から疑問があった。

 

シンジ少年の尋常ならざる反射神経についてである。

この間の使徒戦でもそうだが、彼はこれまで第5使徒の荷粒子砲やアスカを救うために隙を晒した時を除いて被弾したことがないのだ。

 

幾ら盾で身を固めているとはいえ、あのシンクロ率の低さで敵の攻撃を避け続けるなど普通は出来ない。

 

気になってはいたものの、エヴァンゲリオン以外の時間が充実していたこともあり、アスカは彼にそれを尋ねたことはなかった。

 

いつか知れたらいいな、くらいのものだったが――

その答えが今、目の前に広がっている。

 

「ディフェンス!」

 

ミサトが鋭い声で言いながらミットに包まれた拳を繰り出す。

シンジ少年はさっと身体を動かして躱した。

 

「躱す!」

 

ミサトが追い詰めるように鋭い声を発しながら連続して拳を繰り出す。

 

ジャブを2発、

あっさりと躱す。

右ストレート、

またあっさりと躱す。

左フック、

またまたあっさりと躱す。

 

「――、――、――」

 

小さく息を吐きながらミサトのパンチを全て躱している。

フェイントにも引っ掛からない。

冷静に全ての攻撃に対応していく。

 

とんでもない動体視力と反射神経だ。

 

さらに、防御しているだけではない。

 

ミサトのパンチを掻い潜ったシンジ少年は、反撃の右ストレートを繰り出した。

あっさりとそれをミットで受け止めるミサト。

 

パァ――ン!

 

乾いた音が響く。

 

お互いに顔の付近を拳が行き交っているというのに、まるでビビる様子がない。

踊るように攻撃を受け止め、避けて、一瞬の隙を狙って攻撃を放つ。

 

ミサトのミットにシンジ少年のグローブがぶつけられ

ミサトの攻撃を、シンジ少年が躱す。

 

お互いに綺麗な顔のまま――全てが予定調和のように進んでいく。

 

それはまるで、拳と拳で奏でる音楽のようであった。

 

(凄い……)

 

アスカはただただ圧倒されていた。

 

(これが、シンジの反射神経の源だったのね……)

 

ずっと知りたいと思っていたシンジ少年の力の源を知ることができ、アスカは喜びと納得を得ていた。

確かにこれなら反射神経は大いに鍛えられるだろう。

 

だが、それと同時に思うところがある。

 

(シンジもミサトも……楽しそう……)

 

簡単そうにやっているが、少しでも呼吸が合わなければ顔面にパンチを貰うことになる危険なトレーニングの為、2人が顔に笑みを象る余裕などない――が、アスカの目には踊るように拳を放つ2人が確かに笑い合っているように見えた。

 

やがて、設置していたタイマーの音が鳴り、2人は同時に拳を下ろす。

 

「ハァ、ハァ……とても病み上がりとは思えないわね? 身体は大丈夫?」

「ハァ、ハァ……何も問題ないよ」

 

肩で息をする2人は慣れた様子でタオルと水を取り出しながら談笑する。

グローブを外す仕草、タオルで顔を拭く仕草、水を飲む仕草。

別人だというのに、同じ人間のように2人の動きが重な(ユニゾンす)る。

 

なんとなくその光景が面白くなくて、アスカはもう一度サンドバッグを殴った。

 

だが、すぐに聡いアスカの脳みそは自分にこのジムを紹介した理由、これからミサトが何をさせようとしているのかを察知した。

そして、これから自分がシンジ少年と息を合わせるために訓練することを想像して――サンドバックの殴った部分をそっと撫でた。

 

 

 

アスカの予想は正しく。

ミサトはボクシングのトレーニングを通して2人の完璧な連携を生み出そうとしていた。

 

個人スポーツであるボクシングだが、そのトレーニングではボクサーとトレーナーの息があったコンビネーションが肝となる。

そして、2人のシンクロ率の乖離をカバーする妙案も思いついたことから、(職権濫用で造った)ちょうどいい設備を活用することにしたのだ。

 

「いい、2人とも。あなたたちにはこれからこのNERV本部に泊まり込みで私が考案した訓練メニューをこなしてもらうわ」

 

そう言ってミサトが2人に訓練スケジュールが記載された用紙を手渡す。

それを見たシンジとアスカは頬を引き攣らせた。

 

2人でランニング。

2人でサンドバッグ打ち(全く同じ動きで)

2人でミット打ち(シンちゃん ミット持ち)

2人でミット打ち(アスカ ミット持ち)

2人でパンチングボール

2人でスパーリング

2人で仮想敵相手にシャドーボクシング

最後にシミュレーションでMAGIが組み上げた分裂使徒相手に戦闘。

 

それが、1日中、びっしりと。

 

(ね、ねぇ……アスカ)

(えぇ……これ、ヤバいわね)

 

シンジ少年とアスカの視線が交わる。

パッと見ただけでも分かる。

これはヤバい、と。

 

2人がドン引きしている中、ミサトが説明を続ける。

 

「この訓練の最終目的は、シンクロ率の差をものともしないシンちゃんとアスカの完璧な連携の完成よ。寸分の狂いも許されない同時攻撃。それが求められているわ」

「……使徒と戦う前に私たちが死にそうなんだけど?」

「貴方たちの限界は把握済みよ。そのギリギリのラインを攻めているから、大丈夫」

 

いや、だからそれは大丈夫ではないやつでは?

ドン引きしているアスカがツッコミを入れようとするが、その前に彼女の腕をシンジ少年が掴んだ。

 

(……なによ)

(無駄だよ。こうなった時のミサトは止められないから。限界寸前まで僕らをとことん追い詰めるつもりだと思う)

(……ミサトって前からあんな感じなの?)

(訓練の時限定でね。普段とは打って変わって鬼みたくなるんだ)

 

小声でこれが通常運転だと教えるシンジ少年。

アスカは驚いた。

 

心底愛するシンジ少年に対して訓練時は普段からこの仕打ちというのだから、きっと本気なのだろう。

使徒を倒すことに。そして、2人が生き延びられるようにすることに。

 

それがミサトなりの愛情だと悟ったアスカは――燃える瞳で決心した。

 

何が何でもこの地獄のしごきに耐えて見せると。

そして、シンジ少年との完璧な連携で使徒を打倒してみせると。

 

「あっ、そうだ」

 

決意を固めるアスカに対し、ミサトはさらっと何でもないことのように告げる。

 

「アスカにはシンちゃんのシンクロ率の低さを体感してもらうために手首と足首に()()を装着してもらうわ。基本的にボクシングのトレーニングをする時はそれを着用してね」

「……マジ?」

「マジよ」

 

冷や汗を流すアスカにミサトがポイっと重りを放り投げた。

反射的に受け取ったアスカは驚く。

 

「重っ」

「だけど、シンちゃんはあなたのシンクロ率と比較した場合、常にそれくらいの負荷を感じながらエヴァを動かしているのよ」

「……」

「ごめんね、アスカ。僕のシンクロ率が低いばかりに……」

 

流石に自分のシンクロ率が原因と知ればシンジ少年も申し訳なさを感じる。

だが、アスカは別に怒ってはいなかった。

 

「気にすんじゃないわよ。これくらい、なんてことないわ」

 

これまで散々シンジ少年に迷惑を掛けてきたのだ。

それに、自分のシンクロ率が高いからこその処置と思えば、プライドも納得させられた。

 

「――ねぇ、シンジ」

「ん?」

「やるわよ」

「……うん。やろう」

 

地獄上等。

生粋のエリートであると同時に、無類の努力家であるアスカは燃えていた。

嘗てないほどやる気に満ちているアスカに感化され、シンジ少年の瞳にも炎が燃え盛る。

 

ミサトは気力に満ちている2人を見て頷いた。

これなら大丈夫。そう思えた。

 

「良し。それじゃあ、今日はアスカにこの訓練の動きを覚えてもらいましょう。私は何もしないわ。シンちゃんがアスカに教えてあげて」

「僕が?」

「そう。貴方が教えるの」

 

時間が限られている今、少しでも2人の接触時間を増やした方がいい。

それに、人に教えるということは自分自身の動きの確認と成長にも繋がる。

 

「うん。分かった。アスカ、行くよ」

「えぇ」

 

力強く頷いたシンジ少年とアスカがリングに上がっていく。

 

気合は十分。

使徒を倒すために。

2人の心を1つにするために。

 

今、地獄の訓練が始まる。

 

――と、その前に。

 

ミサトは能面みたいな無表情で告げる。

渋々と言った感じで。

 

「あっ、それから2人には同じ部屋で生活してもらうから」

「「はぁ?」」

 

 

 

 

2日目

 

けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音。

バッと起き上がったシンジ少年がそれを叩いて黙らせた。

 

眠気を堪えながら上を見れば、知らなくもないが……見慣れない天井。

NERV本部にある宿舎の天井である。

 

どうしてここに……と一瞬わけがわからなかったが、隣のベッドから聞こえてきた唸り声のような何かですぐに事情を思い出した。

 

目覚ましベルで半分くらい起こされた状態のアスカが、もぞもぞと蠢いている。

シンジ少年は優しく彼女の肩を揺すった。

 

「ほら、アスカ。起きて」

「うぅ~~ん……あと、5分」

「分かった。……5分経ったよ」

「嘘つけ!」

 

5秒も経たたずにサラリと嘘を言うシンジ少年にパッと起き上がったアスカが怒鳴る。

朝から元気だなと思いながらシンジ少年は微笑んだ。

 

「おはよう」

「……おはよ」

 

その笑顔にあてられ、アスカはそっぽを向きながらボソッと挨拶を返す。

 

「さぁ、早く身支度を整えて走りに行こう」

「はいはい……朝から元気ね」

 

顔を洗いに行くシンジ少年の背中を見ながら、アスカは大きな欠伸をしてから伸びをした。

これから2人でストレッチをして、ランニングをして、食堂で朝食を取ってから訓練漬けの1日が始まる。

 

少しでもお互いの呼吸を合わせるためとはいえ、この共同生活を指示された時は(主に羞恥心で)反発していたが……今のところ、何の違和感もなく、何ならちょっと快適さを感じながら生活できている。

 

やや人見知りの傾向があるアスカは、そんな自分に少し驚いていた。

 

「アスカ」

「んー?」

「準備できた?」

「うん」

「よし。じゃあ、行こうか」

「ええ」

 

諸々の準備を済ませて着替えた2人は早速ランニングに出かける。

ジオフロント内は意外にも自然に満ちたコースが多くて、非常に走りやすい。

 

だが、これは健康目的のジョギングではなく、訓練である。

 

2人には、ミサトに指定されたコースを指定された時間までに走りきるよう指示が出されていた。

それも、絶対に2人で一緒にゴールしなければならないというルールだ。

 

「……シンジ、心臓は大丈夫?」

「うん。大丈夫だよ。絶好調」

 

肩を並べ、走る。

2人ともスタミナはある方だ。

だが、流石に病み上がりということもあってか、シンジ少年は設定されているタイムのギリギリを狙って走っていた。

 

彼を気遣うアスカもまた、自然と彼のペースに合わせながら走る。

昔のアスカであれば考えられない配慮であった。

 

「ありがとね、アスカ。気を遣ってくれて」

 

明らかに余力がある状態で走るアスカに気づいたシンジ少年がお礼を言う。

アスカはそっぽを向きながら答えた。

 

「別にいいわよ。私は気にしないから、アンタも気にしてないで、今やるべきことに集中しなさいよ」

「……うん。分かった。そうする」

 

シンジ少年はリラックスした表情で微笑んで、ギリギリでも指定タイムまでにゴールできるよう走る速度を少し早めた。

それにピッタリとついていくアスカ。

悪くない感じだ。

 

一緒にジオフロント内を走りながらアスカは思った。

これなら案外、あの訓練も楽に終えられるかもしれないと。

 

 

だが、2人は地獄を甘く見ていた。

 

 

 

「アスカ! もっと早く打ち込むのよ!」

「やって、るわよ――!」

 

2人で動きを合わせたサンドバック打ちが終わり、短い休憩後に2人でのミット打ちが始まった。

 

重りをつけた腕を振り、パンチを放つアスカ。

慣れない動作や、身体に掛かる負荷に苦しめられながらも死に物狂いでパンチを繰り出す。

それを優れた反射神経を持ち、このトレーニングにも慣れているシンジ少年が淡々とミットで捌く。

 

優れた身体能力と記憶能力を持つアスカは昨日の練習で既に動き自体はマスターしているが、それでもかなりキツイ。

 

特に、ミサトによって設けられた制限時間内に決められた数のパンチを打ち切るという目標が非常に難しい。

 

「あと30秒! このままじゃ間に合わないわよ!」

「ッ!」

 

目標を達成できない。

それがアスカのプライドを刺激する。

やや強引にでも目標を達成すべく、フォームを乱しながらパンチの速度を上げる。

 

だが、これがサンドバック相手ならばともかく、今はシンジ少年がミットを持って真正面に立っている。

 

「ッ⁉」

 

優れた反射神経を持つシンジ少年だが、零距離で――それも決められたコースから逸脱した無茶苦茶なパンチを出されれば避けるのは難しい。

それでもギリギリ顔を逸らしたのは流石だが……強引なアスカの拳が顎を掠った。

 

「あっ――」

「ストップ! シンちゃん、大丈夫?」

「……大丈夫」

 

咄嗟にタイマーを止めたミサトがその場から動きたいのを我慢して尋ねる。

少し顎を押さえていたシンジ少年だが、すぐにいつもの笑みを浮かべてサムズアップした。

 

ホッと胸を撫で下ろすアスカ。

そんな彼女にミサトは言った。

 

「アスカ。シンちゃんに謝罪を」

「……」

 

これもまたミサトが設定したルールだった。

パンチを撃つ側が相手に被弾させてしまった際、()()()()()()()()

例え、ミット側のミスだったとしても謝らなければならない。

 

厳格で真面目なドイツ人の血が流れているアスカはルールに弱い。

さらに、先程の失敗は焦ったアスカの責任であることは明確。

 

「……ごめん。シンジ」

「いいよ。良いパンチだった」

 

アスカの謝罪を受け入れ、さらにその拳を讃えるシンジ少年。

2人は微笑んだ。

良い空気になるシンジ少年とアスカだが――ミサトは他にもミスをした時のルールを設けている。

 

「良し。それじゃあ、()()()()()よ。アスカとシンちゃん隣に並んで。2人で一緒にミスしたところの動作を10回繰り返すこと。終わった瞬間にこのタイマーを再開させるわ」

「了解」

「……了解」

 

素直に頷くシンジ少年と、どこか不満がありそうなアスカ。

だが、ルールはルールだ。

2人は隣に並んで立ち、アスカが失敗した箇所の動きを復習する。

 

(なんで私のミスの責任をシンジも一緒に取らなきゃいけないのよ!)

 

内心で文句を垂れ流しながら、隣にいるシンジ少年と動きを合わせてパンチを打つアスカ。

 

(だいたい、この私が同じミスをするはずなんてないのに、どうして10回も繰り返すのよ⁉ 非合理的だっての!)

 

腕への疲労が蓄積していく。

ミスをするたびに目標達成が遠のいていくシステムの厭らしさに苛立ちを感じつつ、少しでも早く終わらせるためにアスカは歯を食いしばる。

 

彼女の言う通り、非合理的なところが多いこのルールだが、ミサトはこの訓練を通してアスカに協調性を――強いては、仲間と共に戦うことを学んで欲しいと考えていた。

 

己の役割に責任を持つこと。

そのうえで、共に同じ目標を達成するために自己をコントロールし、相手のことを感じながら戦うこと。

 

それができなければ、今回の使徒には勝てないだろうから。

 

 

「良し! アスカ終わりよ! 5分休憩!」

「「ハァ、ハァ……」」

 

汗だくの2人がのろのろとリングを後にする。

無言で汗を拭い、水分補給をする。

 

ようやくアスカの番が終わり、少しの休憩を挟んで次はシンジ少年が打ち込む番だ。

 

アスカは協調性が問題となっているが、シンジ少年にも課題はある。

その防御重視の戦闘スタイルだ。

 

ミサトの指示と育成方針で今のスタイルを確立したシンジ少年だが、数秒の遅延が命取りになる今回の使徒相手に防御重視のスタイルは噛み合わない。

それに、分裂した各個体の戦闘能力自体はそこまで高くないこともあり、今回はアスカの戦闘スタイルに合わせに行く必要があった。

 

「早く! もっと早く打ち込むのよ!」

「ッ――!」

 

彼には積極的な攻撃と、何より速さが要求されていた。

 

少しでも低いシンクロ率を補い、アスカの全力に合わせられるようにするためである。

シンクロ率が上がらないのであれば攻撃速度を――自身が持つ最速のパンチ速度を更新するしかない。

 

アスカよりも数段厳しい時間設定とパンチ数を指示されたシンジ少年が歯を食いしばって拳を振るう。

 

(は、早っ……!)

 

ミットを持つアスカはその動きについていくのでやっとだった。

ボクシング経験が浅いにも関わらず、持ち前のセンスで何とか食らいついているアスカも凄いのだが――

1年以上特訓を重ね、さらに今、己の限界を超えようとしているシンジ少年の拳はさらにその上をいく。

 

「痛っ」

「あっ、ごめん!」

 

ミットで受け損ねたアスカの肩にパンチが命中する。

シンジ少年は慌てて謝罪した。

 

「大丈夫?」

「……大丈夫よ」

「ほら! 2人とも早くペナルティをこなしなさい! 時間はないのよ!」

 

鬼コーチの檄が飛ぶ。

 

シンジ少年の隣にアスカが立つ。

2人は動きを合わせながら、ミスした場面の動きを10回繰り返す。

 

この後にはパンチングボールにスパーリングや、仮想敵を想定しながらのシャドーボクシングがあったり、シミュレーションでの訓練が待ち構えていたりしていて……時間が余ればまたサンドバック打ちから訓練をすることになる。

 

それを日が暮れるまで、ひたすらに繰り返す――

 

正に、地獄のような訓練だった。

 

 

 

「………………………………………………………………疲れた」

「…………」コクコク

 

与えられたNERV本部の宿舎に帰って来た2人。

ドカッと据え置きのソファーに腰かけたアスカの呟きに、返事をする余力もないシンジ少年が無言で首を縦に振って同意する。

 

お互いに疲労困憊だった。

もう碌に動ける気もしない。

 

シンジ少年はアスカの隣に腰かけた。

本当は今すぐにでもベッドにダイブしたかったが、今ベッドに入ったら秒で寝てしまう自信があった。

シャワーはジムで浴びたが、まだご飯を食べていない。

 

今から食堂に行くのは面倒だなと思いながら机の上を見たシンジ少年は驚いた。

 

「……アスカ」

「ん?」

 

言葉を交わす余裕もない2人は名前とアイコンタクトだけで会話をする。

 

(机の上のアレ見て)

(なにあれ……晩御飯?)

(多分ね。もう動けなかったから助かるよ)

(シンジぃ……取ってきて)

(えぇ……? いいけど)

 

平等に負荷を掛けられ、疲れ果てている2人ではあるが、普段からボクシングのトレーニング内容に慣れているシンジ少年の方が少しだけ余裕はあった。

 

机の上に置かれていた2人分のお弁当を回収し、ソファーに戻ってきてアスカに手渡す。

 

(ありがと)

(どういたしまして)

 

とにかく動きまくってお腹が空いていた2人は意気揚々と市販らしき弁当容器の蓋を開けた。

 中には、鶏肉のソテーとブロッコリー、ご飯、パスタ、フルーツがぎっしり詰め込まれている。

 

「「……」」

 

ミサトは自分たちをプロボクサーに育て上げるつもりなのだろうか。

一瞬、本気でそんなことを考える2人。

だが、やはり文句を言うだけの余力が残っていない2人はモソモソとそのお弁当を食べた。

 

食事が終わり、シャワーも浴び終わり、後は寝るだけ。

 

ベッドに入った2人は電気を消した。

 

「「お休み」」

 

訓練の成果が早速出ているのか、2人の台詞が重なる。

何となく恥ずかしいやら、嬉しいやら。

アスカはむず痒いものを感じながら、布団に潜り込んだ。

 

疲れ切った状態で布団に入ると、何故か妙に心が安らぐ感覚がある。

充実した一日を過ごしたという実感があるからかもしれない。

 

「……ねぇ、シンジ。起きてる?」

「んー?」

 

眠気が少し覚め、代わりに心が浮足立ったアスカは、修学旅行の夜のようなテンションでシンジ少年に声を掛けた。

布団に入って速攻で眠りに落ちかけているシンジ少年は、このまま眠りたいのを気合いで抑え、応える。

 

「あの、さ」

「ん」

 

テンションが上がったアスカは、そっとその言葉を口にした。

 

「ありがとね」

 

それは、何に対するお礼だったのか。

アスカ自身にもよくわかっていない。

だが、何となくこの地獄を一緒に耐えてくれている相棒が彼で良かったと思ったのだ。

 

そして、明日からも彼と一緒なら乗り越えられると、そう思ったのだ。

 

「……」

 

彼は応えない。

もしかしたら、自分の言葉に感激して言葉が出ないのかもしれないとアスカは思った。

シンジ少年ではないが、彼女も大概自意識過剰である。

 

「……シンジ、聞いてるの?」

「……」

 

ある意味で似た者同士であるシンジ少年に語り掛ける。

相変わらず彼からの返事はない。

 

自分のことを無視するなどあり得ない。

ムッと顔を顰めたアスカは低い声で尋ねる。

 

「ちょっと、アンタ。この私が話しかけてるんだから――」

 

顔をシンジ少年の側に向け、怒りを露わにするが、アスカはすぐにその怒りを霧散させた。

 

「スゥ――」

「……寝てる」

 

病み上がりということもあってか、シンジ少年はとっくに限界を迎えていたのだ。

体力を回復させるべく、深い眠りに落ちている。

 

天使のようにあどけない寝顔を目にしたアスカは、渾身の「ありがとう」が聞こえていなかったことを悟って溜息をついた。

 

「……バカシンジ」

 

拗ねたように呟いてからアスカは目を閉じる。

その口元に笑みを浮かべながら。

 

 

使徒再起動まで、後4日――

 

 




  予告

ハードな訓練に明け暮れるシンジ少年とアスカ。
やがて、交わる拳と意思が繋がり、2人の心が重なる。
そして迎える、決戦の時。

  次回
ずっと、心、重ねていて【後編】

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