「昇進? ミサトが?」
「そう。三佐になったの」
ある日の夜のことである。
家主のミサト、シェフのシンジ少年、そして半居候のアスカといつもの面々で夕食を取っている最中、ミサトは思い出したとばかりにその話題を口にした。
先日の使徒撃破を機にこれまでの功績が認められて三佐へ昇進することとなったのだ。
「凄いね! おめでとう! 何のことか分からないけど!」
「おめでとう! ミサト! 給料増えた? 増えたんでしょ⁉」
何のこっちゃさっぱりだけど取り敢えず喜ぶシンジ少年と、すぐに金の話をし始めるアスカ。(彼女は買い物のし過ぎでミサトから財布の紐を堅く結ばれている最中である)
相変わらずな2人の様子に安心感を覚えながらミサトは笑みを浮かべた。
「ありがとう2人とも。シンちゃん、これって結構凄いことなのよ。アスカ、私の給料は増えるけど貴女のお小遣いが増えるとは言ってないわ」
「へぇー、やっぱり凄いんだ。流石はミサト」
「ちぇ~」
素直にミサトを称賛するシンジ少年と、お小遣いが増えないと知って唇を尖らせるアスカ。
実に対照的な2人だ。
これで有事の際は息がピッタリ合うというのだから、不思議なものだ。
「これもあなたたちのお陰よ。いつもありがとうね」
「どういたしまして。でも、ミサトの作戦勝ちみたいなパターンも多いし、もっと胸を張ってもいいんじゃない?」
「そうそう。世界に3人しかいないパイロットを上手くコントロールしてるんだから、もっと自信持ちなさいよ」
「そういわれると中々重いけれど……でも、そうね。正当な評価として受け取っておくわ」
ミサトは笑みを浮かべてNERVのジャケットに刻まれた襟章を指でなぞった。
嘗てのミサトであれば、こんなものどうでもいいと切り捨てていただろう。
だが、今は違う。
正当な評価を受けられることが嬉しい。みんなに褒められるのが嬉しい。
そして何より――2人を守るための
これは、彼女の努力の結晶であると同時に、これから先も2人を守り抜くという決意でもあった。
「さて、お給料も増えたことだし、皆で何か高いものでも食べに行く?」
「良いね。どうせだから、綾波も誘おうよ」
「確かにレイも誘った方が良さそうね」
なにせ、この間の使徒戦における最大の功労者である。
碌な労いも出来ていなかったと思い返しながら、ミサトはシンジ少年の提案に同意した。
「そうね。レイも誘って、お高いお肉でも食べに行きましょうか」
「賛成! 流石はミサト! 太っ腹ね!」
「あっ、ちょっと待って」
葛城家の肉食系女子が一気に沸き立つ。
だが、シンジ少年は今回同行することになる少女の事情を思い出した。
「確か、綾波って肉が食べられないんだよ」
「そうなの?」
「うん。もう、全然ダメみたい」
「へぇ……普段、何食べてるのかしら」
「そこまで詳しくは聞いてないな……一応、サプリとかで栄養は賄っているみたいだけど」
「そんな食生活だから、あんなにガリガリなのよ。地獄のトレーニングの時に食べてた筋肉弁当でも差し入れてやろうかしら」
「いや、それは流石に勘弁してあげて……」
今でも思い出すとげんなりしてしまう弁当を思い出しながらシンジ少年が顔を歪める。
あれのせいで暫く葛城家の食卓に鶏肉とブロッコリーが出てこなくなったことはアスカの記憶にも新しい。
「冗談よ。私もあれを人に差し入れたいとは思わないわ。だけど、どうするのよ。肉が無理じゃあ、行けるお店なんて限られるわよ?」
「そうだなぁ……ラーメンとか?」
「一気に格が落ちたわね……でもまぁ、いい案なんじゃない? それで行きましょうよ」
「みんながそれでいいなら構わないけど――」
綾波レイのことを気遣う心優しき2人はこれでいいという。
だが、ミサトの方はバリバリ使う予定だったお金の使い道がなくなり、ちょっと消化不良に似た思いを抱えていた。
まぁ、出費が減るに越したことはないのだから、大人しく貯金しておこうかと思ったのだが――不意に視界に入った自身の腕時計を見て、急遽考えを改めた。
(……別に、食べ物じゃなくてもいいわよね)
そっとシンジ少年からのプレゼントを撫でて、ミサトは微笑んだ。
♰
数日後。
約束通りにレイも連れて皆でラーメンへ行き、小規模だが第9使徒撃破の祝賀会を実施したミサト。
新しくエヴァンゲリオン四号機のパイロットとなった綾波レイとも少なからず交流を深めることができたし、シンジ少年とアスカはいつも通り可愛いし、職場での権限は増す一方だし。
ミサト
「アスカの調子、悪そうですね……」
そう。あくまでもミサトは。
予定通りに実施された何回目かのシンクロテスト。
実験用のプラグ内で子供たちが目を閉じて集中している様子がモニターに映し出されている。
当初の心配事項は新たに加わった綾波レイのシンクロ率であったが、彼女は実戦の時と変わらず安定したシンクロ率を記録している。
シンジ少年は相変わらずなので置いておくとして……問題なのはアスカであった。
3人の中ではずば抜けたシンクロ率を叩き出している彼女ではあるが、前回から少しずつシンクロ率が下がってきていた。
前の時はどこか調子が悪いのだろうと思っていたが、立て続けに下がっていると流石に心配になってくる。
「どうしたのかしら……何か心当たりはない? 葛城
言ってから、
「あっ、ごめんなさい。間違えたわ、葛城
ニヤニヤ笑いながらわざとらしく訂正する赤木リツコ。
親友のしょうもない悪ノリに呆れた表情を浮かべつつ、ミサトは答える。
「特にはないわね。寧ろ調子良さそうなまであるわよ? この間の健康診断でも超健康体って医者にお墨付きをもらっているくらいなんだから」
「シンクロ率は表層的な身体の不調に左右されないわ。何か精神面に影響は?」
「そっちも絶好調みたいよ。心理療法士と面談させたけど、ポジティブでストレスも少ない状態ですって」
「そう……しかし、原因が分からないのは不気味ね」
――と言いながらも、赤木博士には何となく察しがついていた。
(エヴァに対する執着心の揺らぎ。アスカは幼年期を終えようとしているのね。今が充実しているのだから、もう母親は要らないというところかしら)
或いは、葛城ミサトという母/姉が出来たからだろうか。
彼女が正式にアスカの保護者になったという話を聞いていたリツコはその聡明な頭脳で2人の間に何があったのか、そして惣流・アスカ・ラングレーという少女にどんな変化が起きているのかを察していた。
これは非常にまずい状況だ。
早急に上に伝えて何とかしなければならない案件だが――リツコはすぐにそれ以上考えるのを止めた。
だって、彼女は自身の上司が入れ込んでいる人類補完計画とやらに大して興味がなかったし、
何より――
(触らぬ
余計なちょっかいを掛けて葛城ミサトを怒らせることの方が遥かに怖かったから。
♰
エヴァとのシンクロは複雑だ。
なにせ、努力すれば伸びるというものでもない。
時々ふざけたコメントこそしているものの、真剣に1年半も向き合ってきたシンジ少年が全く結果を残せていない時点でそれは明確だ。
だが、伸びないなら仕方がないと諦めるわけにもいかない。
戦闘に直結する数字の為、何とかシンクロ率を伸ばしてもらおうと試行錯誤を繰り返す日々だ。
「3人ともお疲れ様。はい、これが今回のテスト結果よ」
シンクロテストを終え、プラグスーツを脱いでシャワーを浴び終わった3人を労いながらミサトが1人ずつ用紙を渡していく。
これは以前まではなかった試みである。
アスカが到着してから取り入れ始めたのだが、テスト中の傾向としてどういう風にシンクロ率が変化していたのか、それは何分のことなのか、事細かくグラフと数字で紙に記載されている。
これを見て少しでも参考になればいいとミサトは考えていた。
渡された用紙を眺めるチルドレンたち。
3人の中で一番大きな反応を示したのは、やはりアスカだった。
「あれぇ……なんか低くない?」
不思議そうな表情でテスト結果を見ながら首を傾げている。
本人は心身ともに充実しているのに、エヴァのシンクロ率だけが下がっていくその現象は、確かに不思議と言えば不思議だった。
「集中力が足りなかったのかしら……?」
ジーっと時間ごとのシンクロ率の変化具合を確認しながら改善点を探すアスカ。
だが、聡明な彼女は数値を見ただけである程度察していた。
これは恐らく、根本的なところに問題があるということを。
「参ったわね……」
シンクロ率の低下はそのまま戦闘能力の低下にも繋がりかねない。
アスカが困ったと頭を悩ませていると。
「大丈夫、大丈夫。シンクロ率なんてただの数字だから」
のほほんとした雰囲気でシンジ少年が励ましに来た。
まぁ、確かに基本的に30%前後のシンクロ率で戦っている彼が言うと妙に説得力がある。
シンクロ率なんて気にすんな、楽しくいこうぜとアスカを自分の派閥へ引き込もうとするシンジ少年だが、それを許さない人がいた。
「シンちゃ~ん? 貴方は人のことを言う前にもっと自分が頑張らないとね~」
「うげっ」
ビキビキと青筋を立てながらミサトがシンジ少年の用紙を指さす。
シンジ少年が頬を引き攣らせるのを見たアスカは、ニヤリと笑った。
「さてさて、私に説教を垂れたシンジ様のシンクロ結果は如何なものかしら?」
「あっ! ちょっと返してよアスカ!」
「どれどれ~~~」
ミサトに気を取られている隙にサッとシンジ少年からテスト用紙を強奪したアスカは、すぐに追いかけてくる彼から逃げ回りながら用紙を見て――
「えっ」
思わず驚愕してしまった。
「低っ」
そのあまりの低さに。
シンクロ率:29%
なかなか悲惨な数字である。
なんなら、綾波レイの方が高いというありさまだ。
「……アンタ、もうちょっと真面目にやった方がいいんじゃない? いや、ホント」
自身のシンクロ率低下を一端脇に置いておき、呆れた様子でアスカが諭す。
シンジ少年は困ったような表情で頭を掻いた。
「いやぁ……真面目にはやっているつもりなんだけどね」
「何が問題なのよ」
「それが分かれば僕も苦労しないよ」
肩を竦めて答えるシンジ少年。
アスカは彼から強奪したテスト結果を見てみるが……やはり彼女と同じく根本的なところに原因があるように思えた。
「エヴァに心を開いていないからよ」
「レイ?」
突如会話に参入してきた綾波レイに驚くアスカ。
それなりに話すようにはなってきたが、まだ曖昧な関係だったため、少し距離感を掴み損ねているところがあった。
一方、彼女と仲が良く、その突拍子のなさにも慣れているシンジ少年はごく自然な様子で答える。
「そういえば、前にも言っていたね。これでも結構心を開いたつもりなんだけどね……」
「まだ足りていないのよ。あなたは一つになることを拒んでいる」
「一つになるって言われてもね……普通は拒まない?」
「そう?」
「少なくとも、僕の中ではそうかな。アスカはどうなの? エヴァに心を開いてるの?」
「私?」
正直、そういうスピリチュアルな話が苦手な彼女はあまりこの会話に混じりたくはなかったのだが、指名されたのであれば仕方がない。
「……まぁ、心を開く云々は置いといて、自分の身体がもう一つあるような感覚は持っているわよ」
「ふーん。やっぱり僕も認識を改めた方がいいのかなぁ」
「逆に、今はどういう認識を持っているのよ」
興味を持ったアスカが尋ねる。
シンジ少年は何気ない様子で答えた。
「他人」
「他人? ……アンタ、まさか
ピクリ、と赤木リツコが反応する。
シンジ少年は即座に否定した。
「まさか! そんなこと思ってないよ。ただ、エヴァ自体に意識はあるのかもと思っているよ」
ホッと赤木リツコは胸を撫で下ろした。
色々と冷や冷やさせてくる少年だ。
「エヴァに意識か。考えたこともなかったな。で、アンタはその意識が嫌いってわけ?」
「嫌いっていうか……誰か分からないくせに馴れ馴れしいから苦手って感じかな」
シンジ少年はエヴァに乗っている時のことをイメージしながら続ける。
「アスカも想像してみてよ。例えばミサトに抱き着かれるのはいいよ。だって、ミサトのこと良く知ってるし、大好きだし」
「し、シンちゃん……」
顔を赤くし、頬に手を当てながらデレデレと照れるミサト。
滅多に見られない鬼の指揮官の顔を見た実験室の面々は、目ん玉をひん剥いた。
そして、アスカはシンジ少年の意見に全面同意しながらも、ミサトとシンジ少年の両方へ若干の嫉妬心を募らせる。
だが、阿鼻叫喚の現場などどうでもいいとばかりにシンジ少年は主張を続ける。
「だけど、よく知らない人に抱き着かれたとして、アスカは嬉しい? 嬉しくないでしょ? 寧ろ気持ち悪いと思わない?」
「……まぁ、普通はそうかもね」
「でしょ? だから僕なりに色々と理解しようとしているんだけどさ、深く潜れば潜るほど
「なによそれ。他人の感じが薄くなるならいいんじゃない?」
「でも、他人なんだよ? そんなのがいきなり身内な感じになったら怖くない?」
「……さっきからよくわかんないわね」
「ね。実は僕も自分が何を言っているのかよくわかんなくなってきたところなんだ」
まぁ、早々に解決する問題でもないだろうとシンジ少年はこの話を終わらせた。
「ま、安心してよ。僕、本番に強いタイプだからいざとなったらシンクロ率なんてどうにでもなるよ」
胸を張ってドヤ顔でそう言うシンジ少年。
何を言っているんだと言いたいところだったが、実際にはその通りなのだから否定しきれない。
これまでの使徒戦全てにおいて、集中したシンジ少年は尋常ならざるシンクロ率の向上と戦闘能力の飛躍を行ってきた。
だが、それは逆にいうと練習では手を抜いているということで――
「いや、練習から自己ベスト出しなさいよ」
「真面目か」
「私はいつも真面目よ。アンタと違ってね」
「……」
ツッコみ通り、いつだって真面目なアスカが呆れたように言った。
まぁ、どうせ本番になったらまたわけがわからない強さを発揮するんだろうなと思いながら。
♰
“インド洋上空 衛星軌道上に使徒発見”
その知らせは、突如もたらされた。
宇宙空間に出現した謎の生命体。
至急の調査結果は、パターン青。
皆が固唾を飲んで見守る中、調査機が接近を試みる。
「第6サーチ 衛星軌道上へ」
「接触まであと2分」
「目標を映像で捕捉」
モニターいっぱいに映し出されたのは、大きな目玉のようなものを持つ使徒の姿。
人智を超えた姿は見慣れたはずだが、それでも動揺の声が上がる。
「サーチスタート」
「データ送信開始します」
「受信確認」
「解析開始――」
何とかその正体を掴もうとする中、突如としてモニター内の映像が乱れた。
調査機が突如破壊されたのである。
空間を捻じ曲げるその力。
彼女たちには見覚えがあった。
「……ATフィールドか。新しい使い方ね」
腕を組んだまま三佐へと昇進したミサトが冷たい声で呟く。
まさか武器として応用してくるとは思わなかった。
さらに使徒は上空からATフィールドを応用し、落下エネルギーも使って地球へ射撃を開始した。
「初弾は太平洋に大外れ」
だが、
「2時間後の第2射以降は着実に誤差修正をしてきているわ」
モニターに映る地上のクレーター。
地図を書き直す勢いでテスト射撃をしながら、着実に本部へと近づいてきている。
「N2航空地雷も効果なし。そして使徒の消息は不明、か」
「けど、ここに来ることは間違いないでしょう?」
「えぇ。次は本体ごと来るでしょうね。地上の余計なものを全て吹き飛ばすために」
「そして、更地になった地上から自分は悠々とセントラルドグマに侵入か。なかなか賢い相手じゃない」
力技も良いところだが、理には適っている。
まぁ、相手を認めたところで白旗を上げるわけにもいかないのだが。
「碇司令は? 確か今は南極よね?」
自身のトラウマが生まれた地ではあるが、今のミサトにとってはただの土地でしかない。
強いて言えば、南極に何の仕事しに行ってんだよという疑念があるくらいだが、今はどうでもいい。
「使徒の放つ強力なジャミングのため、連絡不能です」
「姿を隠すのに使用されたジャミングを応用した電波遮断……大したものね。ATフィールドの使い方といい、興味深いわ」
「感心している場合じゃないでしょうに……MAGIの判断は?」
「全会一致で撤退を推奨しています」
「そう……」
「どうするの? 葛城三佐」
腕を組んで考え込む現責任者であるミサト。
だが、取れる手段などそう多くはない。
彼女は決断した。
♰
ネルフ権限における特別宣言D―17の発令。
半径50キロ以内の全市民を避難させ、さらに松代にMAGIのバックアップを取らせることで本部は一段と身軽になった。
MAGIによる全会一致の撤退が推奨される中ではあるが、ミサトは使徒を迎え撃つつもりでいた。
信頼するパイロットたちと――人の力を信じて。
「使徒を手で受け止める?」
呼び出されたアスカが怪訝な表情で尋ねる。
既に使徒の情報は共有されている。
その上でミサトは立案したのだ。
「えぇ。落下予測地点にエヴァを配置。衛星軌道上から落下してくる大質量の使徒をエヴァンゲリオン3機で受け止めてもらうわ」
淡々と言うミサトだが、素人目にもこの作戦の危険性はよくわかる。
「使徒がコースを大きく外れたら?」
「良い質問ね、シンちゃん」
取り敢えず、前線に出るパイロットとして不安要素を尋ねたところ、待ってましたとばかりに回答を用意していたミサトが答えた。
「今回の作戦の肝は、
「……というと?」
「説明するために、まずはこれを見て頂戴」
そう言って彼女はディスプレイに巨大な地図と円が1つ描かれた図を展開させる。
「これは……使徒の落下予測地点?」
「正解よアスカ。使徒は理論上、この箇所のどこに落下してもNERV本部を根こそぎ抉ることが出来るわ」
「……滅茶苦茶範囲が広いね」
地図には円の直径あたりの距離も記されているが、かなりの長距離だ。
「なので、今回はエヴァ3機を図のように配置」
新たに3つの点が追加される。
「そして、使徒の落下コースを
「誘導? どうやって?」
「ATフィールドよ」
「ATフィールドで敵を誘導できるの?」
アスカが首を傾げる中、ミサトは自信を持って頷いた。
「実はね、使徒がATフィールドに反応するというのはこれまでの使徒戦で実証されているの。主にシンちゃんが戦った第4使徒と、この間レイが戦った第9使徒でね」
シンジ少年にとって第2戦となる戦いにおいて、使徒は背後から突然現れたはずの初号機にすぐ反応した。
それは単にリリンから造られたエヴァという存在に反応した可能性もあるが、背後を振りむいたタイミングが完全にATフィールドを展開した直後だったため、ミサトはこの時点から使徒の生態に考えを巡らせていた。
それが確信に至ったのは先日の使徒戦である。
念のため、レイにATフィールドを張らずに山で潜んでいるように告げたが、当初の使徒は四号機の存在に気が付くことすらなく悠々と足を進めていた。
よって、ミサトは結論付けた。
強力なATフィールドは敵を引き付けるのだと。
「貴方たちにはこの指定ポイントで3機同時にATフィールドを展開してもらうわ。そして、強引にでも使徒をここへおびき寄せるの」
「……使徒が誘いに乗らなかった時は?」
「悪いけど、それが発覚した瞬間に使徒が落ちていくコースに走って行ってもらうわ」
「それってちょっとリスキー過ぎない? 私たちが間に合わない可能性もあるじゃない」
「そうね。だから、セカンドプランも用意しているわ」
ミサトが操作し、画面が切り替わる。
そこにはポジトロンライフルと接続されたジェットアローンが映っていた。
「もしもの時はポジトロンライフルによる狙撃を実施します。……ただ、目標はATフィールドを纏って上空から飛来する隕石みたいな相手だし、コアの位置も分からないからこれが有効打になるかは不明よ。正直言って、当てられるかどうかも分からないわ」
「つまり、私たちで何とかするのが一番ってことね」
「えぇ。悪いけど、あなたたちの頑張りに期待するほかないわ。不甲斐ない指揮官でごめんね?」
「あっ、ごめん。別に責めてるわけじゃないの。ただ事実を確認したかっただけ。どうしようもないことなんだから、しょうがないじゃない。すぐ謝るのはミサトの悪い癖ね」
呆れたようにアスカが言う。
うんうん、と隣で同意するようにシンジ少年が頷いた。
アンタはもう少し謙虚になりなさいよ。
口にはしないが、アスカはそう思った。
まぁ、そういう図々しいところも嫌いではないのだが。
「アスカ……そう言ってくれるなら嬉しいわ。ありがとう」
ミサトは指揮官としての顔に切り替え、説明の締めくくりとして最後に告げる。
「これまでの作戦の中で一番不確定要素が多い、奇跡を待つような作戦ではあるけれど……貴方たちであれば価値ある奇跡を起こせると確信しています。みんな、戦ってくれる?」
「もちろん」
「任せてよ」
「異論ありません」
3人が気負いのない表情で言い切る。
ミサトは泣きそうな顔で笑った。
「ありがとう……あなたたちを信じるわ」
♰
「そういえばさ、アスカはなぜエヴァに乗っているの?」
それは、プラグスーツに着替えた3人がエレベーターでエヴァの格納庫に向かっている途中のことであった。
突然シンジ少年が繰り出してきた質問に目を丸くするアスカ。
「どうしたのよ突然」
「綾波には以前に聞いたんだけど、アスカには聞いたことなかったな~と不意に思ってさ」
「そうねぇ……」
考え込むアスカ。
嘗ての自分であれば何と答えていただろうか。
多分、自分の才能を世の中に示すため、と答えていただろう。
だが、今の彼女は違う。
ハッキリと言葉にすることは出来ないが、それは違うと断言することができる。
だって、彼女が自分のことを認めて欲しいと思っている人間は明確に決まっていて、そんな彼らが笑顔でいてくれることがアスカにとっての幸せだったから。
けれど、彼らが笑顔でいることとエヴァがあまり関係ないことに、彼女は気づき始めていた。
エヴァはただきっかけであっただけだ。
それがきっかけで彼らと出会えただけであって、葛城家の食卓でエヴァの話をすることなんて、ミサトの業務連絡を除けば殆どない。
話しているのは、学校であったこととか、将来のこととか、下らないテレビの内容についてとか、あの漫画がどうだとか――
(そうか……今、分かった気がする。シンクロ率が下がった理由)
アスカは悟った。
(もう、要らなくなったからだ。エヴァが)
その残酷な真実に。
嘗てのアスカは飢えていた。
やせ細った狼のように飢えていた。
愛情に。
承認欲求に。
幸せに。
だからエヴァを求めていた。分かりやすく英雄になれるそれに。
人類でもほんの一握りの人間しか乗れないという、その希少性に。
だが、今の彼女には心の底から求めていたものの殆どが手中にある。
全部、シンジ少年とミサトが与えてくれる。
そして、アスカも彼らにそれを与えているという自負があった。
だから――エヴァはもう要らないのだ。
寧ろ、何度も死に掛けるシンジ少年を目の当たりにしたこともあり、危険な兵器という認識すら生まれつつあった。
(冷たいな、私。もう幸せだから要らないだなんて)
現金な女だと自虐する。
だが、現実的にはもう要らないからパイロットを止めるというわけにもいかないのが現状だ。
使徒はまだ、来るのだから。
もしもアスカが身勝手な理由でパイロットを辞めた場合、誰が苦しむかは明白だ。
(シンジやレイだけを戦わせるわけにはいかない。人類の為に、そして私の為にエヴァはまだ必要なのよ)
シンクロ率が下がり続けていることへの不安はある。
だけど戦わないという選択肢はない。
いざとなればシンジ少年と同じトレーニングを積んで下がったシンクロ率を反射神経で補うことまで検討している。
彼女は、本気だった。
「……スカ」
「……」
「アスカ!」
「わっ⁉ 突然なによ」
「いや、いきなり黙り込むから」
「あぁ……ごめん。そうだった。質問の最中だったわね」
「そうそう。どうしてエヴァに乗っているのかって話」
「……そうね」
アスカは今の状況と自身の心情を照らし合わせ――答えを出した。
「
そう。これは、仕事だ。
彼女が生きていくための仕事。
シンジ少年とミサトを守るための仕事。
これから先の人類の未来を守るための、大事な仕事。
その責任感を持って、アスカはこれが仕事だと言い切った。
プロフェッショナルになるのだと、心に誓った。
「アンタはどうなのよ。シンジ」
「僕? 僕は――」
♰
「エヴァンゲリオン各機。配置についたわね」
『はい』
『問題ないです』
『いつでも行けるわ』
使徒の落下予測場所に配置されたエヴァンゲリオン3機。
使徒の姿は未だ見えないが、チルドレンたちの気合いが入った声を聞き、ミサトは号令を出した。
「作戦開始!」
3人のチルドレンたちが息を合わせる。
「「「ATフィールド、全開ッ‼」」」
重なる3つの心の壁。
可視化されるほどに強力なフィールドが周辺の道路を捲り上げ、車を軽々と吹き飛ばしていく。
使徒がまだ来ていないのに先んじてATフィールドを展開している理由。
それは、少しでも早く使徒のコースを知る為の工夫であった。
3人のパイロットたちには負担を掛けることになるが、これで使徒が誘導に乗ってくれればその後は一気に楽になる。
頼むから乗ってこいとミサトは祈る。
ATフィールドを展開し、3分ほど経過した時のことだった。
「目標を最大望遠で確認!」
「距離およそ2万5千!」
オペレーターの青葉と日向が声を上げる。
いよいよ宙より使徒の降臨だ。
「おいでなすったわね……エヴァ全機、現状を維持! リツコ、MAGIのコース計算は頼んだわよ!」
「了解。光学観測による弾道計算しか出来ないから、コースからずれているかしか分からないわよ」
「それだけ分かれば十分よ。みんな、集中して!」
指揮官の喝が入り、皆が一気に集中モードへと突入する。
データの1つも見逃さないと画面に張り付くオペレーターたちと、全力のATフィールド展開を継続し続けるチルドレンたち。
皆が1分1秒を死ぬ気で戦う中、報告の声が上がる。
「使徒、エヴァ3機の場所に向かって落下中!」
「コースにズレ、ありません!」
「このままならいけます!」
やはり情報共有の成果か、エヴァンゲリオンは強力な敵として認識されているようだ。
お前たちは必ず潰すとばかりに3機の場所目掛けて真っすぐに突撃してくる使徒。
「良し! エヴァンゲリオン全機、出番よ! あなたたちの力、見せてやりなさい!」
「「「了解ッ‼」」」
頼もしく答える3人のパイロット。
雄々しく盾を構える防御特化の初号機。
初号機のサポート役として盾を構えつつ、その裏に銃も隠し持っている四号機。
そして、手を掲げてATフィールドの補助をしつつ、ナイフを構えて獰猛に待ち構える弐号機。
「そら、アンタの見せ場よ。シンジ」
「任せてッ!」
主役は譲ってやると、しっかりATフィールドを全力で展開しながらも優しい声でアスカが言う。
テンションが最高潮のシンジ少年が攻撃的な笑みを浮かべ、空から堕ちてくる隕石が如き使徒を睨みつける。
「ATフィールド、全開ッ‼」
もう既に全開しているが、そこは気持ちの問題なのか。
重ね掛けするようにシンジ少年が吠え、彼の気持ちに呼応するかのようにATフィールドの規模がさらに膨れ上がった。
「……これも才能というのかしらね」
嘗て第5使徒との戦いで見せたATフィールドの形状変化を思い出しながら赤木博士が呟く。
画面の向こうでは、3機のエヴァンゲリオンが巨大な使徒の身体を受け止めていた。
接触の衝撃で山が消し飛んでいく。
地形が歪んでいく。
「重いッ! けど――
大地を陥没させながらも、何とか持ちこたえているシンジ少年は仲間たちへ叫んだ。
「綾波! アスカ!」
その意図を悟った四号機と弐号機がさっと動き出す。
「こっから先はアタシが主役よ! レイ!」
「えぇ」
初号機だけで問題ないと判断したレイが補助役を放棄し、肩から取り出したプログナイフを装備。
使徒へとそれを振りかぶり――あっさりとコアを守る膜のようなATフィールドを切り裂いた。
「ナイスよ! レイ!」
彼女の役目はここまでだ。
最初から最後まで補助役ではあったが、彼女に不満などない。
元々目立つことに興味などないからだ。
それは私の仕事とばかりに、目立ちたがり屋その2が飛び出す。
「失礼!」
「おっと」
初号機が構えている盾を踏み台に跳躍し、弐号機が剥き出しのコアに向かってプログナイフを振りかぶった。
「さようなら!」
決め台詞と共に貫かれるコア。
こうして、宙より飛来した第10の使徒は、地に堕ちた。
♰
「南極の碇司令から通信が入っています」
「お繋ぎして」
使徒を撃破した直後のことである。
歓喜する発令所の中、使徒のジャミングが解けたことで通信が可能になったと青葉が報告してきた。
大きくガッツポーズをしていたミサトはすぐに姿勢を正す。
「碇司令。詳細は後程報告致しますが、取り急ぎ使徒はエヴァンゲリオン3機によって殲滅されました」
『よくやってくれた。機体に損害は?』
「ありません」
『今回も素晴らしい働きだった。その調子で頑張ってくれ、葛城三佐』
「はい」
サウンドオンリーなので姿は見えていないが、敬意を称して敬礼をするミサト。
続けて、碇ゲンドウは
『初号機パイロットと通信を繋げるか?』
息子との会話を要求した。
これまで彼の面倒の全てをミサトに押し付けてきた彼らしからぬ行動を不審に思うが、上司の命令に逆らうわけにもいかない。
「可能です。少々お待ちください」
少し時間を稼いでいる最中、ミサトはシンジ少年と通信を繋いだ。
「シンちゃん。碇司令が貴方へ話があるそうよ」
『――というわけで、僕の銅像が立つ日も……えっ? ごめん。なんて?』
何の話をしていたんだか。
多分、調子に乗っているんだろうなと思いながらミサトはもう一度言った。
「碇司令から貴方へ話があるそうよ」
『父さんから僕に? ……この間の件かな? いいよ。繋いでもらって』
実は内心、シンジ少年と碇ゲンドウの複雑な関係を心配していたのだが――この調子なら何も問題なさそうだなと判断したミサトは彼を信じて通信を繋げた。
『……シンジ』
「Hey、父さん。元気してるー?」
相変わらず謎にフレンドリーな息子の口調に、南極で何とも言えない表情を浮かべるゲンドウ。
偶には功労を労うべきかと思い通信を繋いだが、早速切りたくなってきた。
『話は聞いた。よくやったな。シンジ』
「ま、僕だからね。当然のことだよ」
『……そうか』
謙遜の欠片もない返答。
何とも可愛げがない奴だと思いながら、ゲンドウは通信を切ろうとした。
「あっ、ちょっと待って父さん」
『なんだ。私は忙し――』
「この間の保護者面談、来てくれなかったでしょ? ミサト、大変そうだったんだからね。こういう時くらいは父親らしくさぁ――」
『……』
ゲンドウは、無言で通信を切った。
♰
「はい。これ、私からのプレゼント」
使徒戦後のことである。
いつもの葛城家に綾波レイも招き、ささやかながら開催された祝賀会。
夕食も食べ終わり各々がくつろぐ中、葛城ミサトは綺麗にラッピングされた箱を3人に手渡した。
「プレゼントって……急にどうしたのよ」
「いつもありがとうっていう私からの気持ちよ。受け取って頂戴」
昇進祝いがラーメンと低価格で抑えられた為、予想以上に貯金が多くなったミサト。
せめていつも戦ってくれている子供たちの為に何かしてあげたいと思った彼女は、彼らに内緒でこっそりとプレゼントを購入し、こうして使徒撃破の祝賀会で手渡すことを計画していたのだった。
真っ先に箱を開けたアスカは目を見開いた。
「……ミサト、これ……」
「リボンよ。せっかく綺麗な髪をしているんだから、偶には違う髪留めも試してみたらと思って」
恐る恐る箱から取り出した赤いリボンを手に取るアスカ。
とても滑らかな質感で、かなり良いものであることが分かる。
「ミサト!」
アスカは自身の姉に抱き着いた。
「ありがとう! ……大好きよ」
「どういたしまして。私もよ」
ぎゅっと顔をミサトの胸の中に埋めながら、籠った声でアスカが言う。
「これ、一生大事にする」
「そんな大げさな……偶にお洒落でつけてくれるだけでいいわ。そのヘッドプラグ、大事なんでしょ?」
平時であってもエヴァに搭乗するためのヘッドプラグを髪留めとして使用しているアスカ。
だが、彼女はミサトの胸の中で首を振って否定した。
「いいえ。もういいの。……こっちの方が大事だから」
「そう……」
恐らく、アスカの中でまた何か価値観の変化が起こっているのだろうとミサトは察した。
だが、それが決して悪い変化でないことは自身の腕の中で微笑む彼女を見れば分かる。
ミサトはそっとアスカの頭を撫でた。
2人が感動的な姉妹愛を見せる中、マイペースにシンジ少年やアスカよりも大きな箱を開けたレイは首を傾げた。
「葛城三佐」
「なーに? それから、さっきから言ってるけどミサトでいいわよ」
気さくな様子でそうミサト。
レイは正直言って、困惑していた。
彼女の言う通り、先程からやたらと呼び方を修正するよう言われる。
しかも、「命令ですか」と聞けば「お願いよ」と返される始末だ。
こういう時、どう反応していいか分からない彼女だったが――
もうこのやりとりを続けるのも面倒になったので、あっさりと彼女の名を呼んだ。
「……ミサトさん」
「なーに?」
彼女の視線がレイの方へ向けられる。
その柔らかい笑顔に動揺しつつ、彼女は箱から取り出したそれを手にもって尋ねた。
「これ、なんですか?」
「アロマよ」
未だ自分に甘え続けるアスカの頭を撫でながら教えてあげるミサト。
正直言って、一番頭を悩ませたのが綾波レイへのプレゼントであった。
まだ彼女との関係性はあまり深くなく、何が好きかも分かっていない。
悩み続けたミサトがデパートでたどり着いたのが、美容や健康にも効果があり、さらに精神を安定させる効果もあるとされるアロマであった。
「本来は一緒に付属しているディフューザーというものを使って香りを充満させるんだけど、試しにその瓶を開けて匂いを嗅いでみて」
言われた通り、小さな小瓶を開けてスンスンと匂いを嗅ぐレイ。
その瞬間、鼻孔に広がる花の香。
「とても……良い匂いが、します」
綾波は驚きをそのまま口に出した。
ミサトは「良かったわ」と喜んだ。
「レイの好みが良く分からなかったから不安だったけど、気に入ってくれたみたいね。他にも色んな種類があるし、使い方も様々だから、また教えてあげるわ」
「……ありがとうございます」
レイは微笑んで頭を下げた。
ミサトからの贈り物がえらく気に入ったらしい。
今もアロマの香りを楽しんでいる。
アスカにはリボン。
レイにはアロマ。
そして、シンジ少年には――
「どう? 似合う」
「バッチリよ」
左手に装着した腕時計を見せつけながらドヤ顔をするシンジ少年を褒めるミサト。
彼にはなかなか値が張る腕時計をプレゼントしていた。
よく見ればミサトの腕時計と同じメーカーであり、なおかつ系統も似ている色違いであることが分かるだろう。
ミサトのささやかな独占欲の発露であった。
「ありがとう。大事にするよ」
腕時計を撫でながらシンジ少年が柔らかく微笑む。
価値ある彼の宝物がまた一つ、増えたようだ。
予告
NERVの要であるスーパーコンピューター、MAGIへ襲い掛かる使徒。
必死の抵抗をする赤木博士たち。
そんな中、とある陰謀が動き始めていた。
誰が敵で、誰が味方か。
大人たちの戦いが水面下で幕を開ける。
次回
使徒と陰謀