まごころを、ぼくに   作:赤坂緑語

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まごころを、あなたにも

 

碇シンジ少年がサードチルドレンに(強制的に)任命されて早一週間。

NERV本部の雰囲気は最悪だった。

 

「……おはよう」

「おはよう。顔色悪いわね」

 

今にも倒れそうな顔色で出勤した葛城ミサトは挨拶を返してきたリツコを睨む。

 

「シンジ君に比べれば全然マシよ」

「……あんまり、彼に入れ込み過ぎない方がいいわよ。これ以上碇司令の機嫌を損ねたら、ここに居られなくなる」

「だからって、見て見ぬふりしろっての⁉ あんな、虐待まがいの……」

 

ミサトが激情のままに言葉を続けようとしたとき、扉が開き新たな出勤者が現れた。

 

「おはようございます」

 

透き通った美しい声。

視線が一気に集まる。

 

「シンジ君……」

 

この最悪の空気の原因にして、大人たちの罪の象徴。

碇シンジ少年がプラグスーツで立っていた。

その顔色はミサトの言う通り、彼女よりも酷い。

 

思わず駆け寄りそうになったミサトだが、彼女の前にガードが立ちふさがった。

 

「時間は限られています。早くシンクロの訓練を始めましょう」

「……あなたに実験を取り仕切る権限はなくてよ。それよりも、サードチルドレンの体調が気になります。不健康なまま訓練をしたところで――」

「葛城一尉。あなたにはサードチルドレン()()に対して指示する権限はないはずですが?」

「ッ⁉」

 

これだ。これがミサトのシンジ救出を拒んでいた。

 

エヴァンゲリオンとのシンクロ率が30%を超えたものを正式にチルドレンと認める。

それまではチルドレン『()()』とし、育成の対象とする。

碇司令に作戦本部から正式にサードチルドレンの扱いについて抗議文を出した次の日に突如定められたルールだ。

 

まるで、シンジ少年を虐待するために生まれたかのようなルール。

 

なによそれ……!

 

葛城ミサトは激怒した。

怒りと悔しさのあまり、涙を流しながら。

 

そんなの……あんまりよ……!

 

「今日のシンクロテストで何とか30%を超えれば正式なチルドレンとなり、作戦部に彼を預けることが出来るんですがねぇ……」

 

厭味ったらしい顔で男が嗤う。

 

サディストめ……!

 

子供を虐めて楽しいのだろうか?

 

いや、違う。

単に最高司令官から権限を与えられたことが嬉しいのだ。

そして、今のところ大した仕事がない作戦本部を虐めて楽しんでいるのだろう。

 

「……訓練はパイロットの体調を第一に考えて実施します」

「それはあなたが決めることではありません。もちろん、パイロットから自己申告があれば考えなくもないですが……」

 

男の手がシンジ少年の肩に乗せられる。

哀れな少年はただでさえ青白かった顔色をさらに悪化させながらびくりと震えた。

きっと、何か言われているに違いない。

余計なことを言えばさらに酷い目に合わせると。

 

「ッ!」

 

思わず反射的に殴り掛かりそうになったミサトはしかし、動きを止めた。

シンジ少年の真っすぐな瞳が彼女を見つめている。

 

『ダメだよ、葛城さん』

 

『気持ちは嬉しいけれど』

 

『暴力はダメだよ』

 

「……」

 

ぶるぶると怒りに身体を震わせながらも葛城ミサトは大人しく拳を下ろした。

 

「それでは始めましょうか。我々に遊んでいる時間はないのですから」

 

勝ちを確信した表情で男が訓練の開始を告げる。

 

「……今日も、よろしくお願いします」

 

きっと誰よりも辛いだろうに、少年は青白い顔に無理やり笑顔を浮かべてエントリープラグへと向かっていく。

皆を心配させまいとした振る舞いなのだろうが、その健気さがさらに大人たちの心を抉っていく。

 

重く、暗い雰囲気の中、少年にとって過酷な訓練が今日も始まった。

 

 

 

 

 

 

「ミサト……大丈夫?」

「その質問はシンジ君にすべきでしょう?」

「そうね……ごめんなさい」

「……いえ、私の方こそごめん。ちょっと今、余裕ないみたい……」

 

NERVを支える女傑が二人揃ってダウンしている。

いや、彼女たちだけではない。

訓練に関わった者たちは皆一様に暗い表情を浮かべていた。

 

「……精神汚染ギリギリまで負荷を掛けるシンクロの訓練。その後はみっちり虐めまがいの格闘戦の訓練をして、その後は座学。休憩はほとんどなし……あの子、死ぬわよ」

「死なせないわよ! 死なせてたまるもんですか……!」

 

ギリっと唇を噛み締めながらミサトが噛みつく。

リツコは「私もシンジ君の境遇には疑問があるけれど」と前置きした上で

 

「やっぱりあなた、彼に入れ込みすぎよ。どうしたの?」

 

心配そうに友人を見遣る。

 

「……どうもこうも、あんな境遇の子を放っておけるわけないでしょ」

「でも、本来であればあれは貴女の役割だったはずよ」

「ッ!」

「本当に気づかなかったのか、それとも気づかぬふりをしていたのかは知らないけれど……あなたの役割は作戦を立ててエヴァのパイロットを死地に送り込み、使徒を殲滅することでしょう? だというのにこの入れ込みよう……果たしてシンジ君が正式にあなたの部下になったとして、戦場に送り込めるの?」

「……」

 

淡々と話すリツコだが、その眼には真摯に友人を思う光がある。

根本的に間違っているのだ。

自分たちが戦いの道具にしようとしている少年に心を寄せるのは。

 

「ミサト?」

「わかってる」

 

地を這うような冷たい声で答えるミサト。

それは、明るく朗らかな普段の彼女からかけ離れた姿だった。

 

「わかってるのよ、そんなことは。だからね、リツコ。私、彼がサードチルドレンに選ばれた瞬間、考えたのよ。どうやって程よい距離感を保ちながら私の道具にすべきかって。上手く取り込んでやろうと思っていたわ」

「ミサト……」

 

リツコは彼女と長い付き合いだ。だからこそ知っていた。

葛城ミサトが本当は他人に無関心で、臆病で、繊細で、そして――どれほど使徒への復讐に心が囚われているのかを。

そのためであれば幾らでも冷徹になれることを。

 

だからこそリツコは驚いていた。

臆病な彼女が暗い本心を打ち明かしたことを。

 

「でもね……ダメだった。ダメだったのよ、リツコ。だって、あの子を見てると私、どうしても昔の自分と重ねてしまう! 助けたいって思ってしまうの! ……ほとほと呆れた奴ね、私ってやつは」

「いえ……そんなことないわ。あんな小さな子があんな目に合って、それで平気な顔をしているのなら、それは倫理観が破綻した壊れた人間だけよ。私だって……何とかしてあげたいと思っているもの」

「リツコ……」

「だからね、少し、()を講じることにしたわ」

「策?」

 

ニヤリと不敵に笑う白衣の美女。

偶にはあの人に反旗を翻すのも悪くないわね。……案外、これも彼の計画の内なのかもしれないけど。

 

早く教えなさいよ~と駄々をこねるミサト。

リツコは煙草に火をつけながら今頃出会っているであろう2人に思いを馳せた。

 

 

「えぇと……君は?」

「綾波レイ。あなたは碇シンジね」

 

過酷極まりない訓練漬けの一日を今日も何とかやり過ごし、フラフラの状態で与えられた自室へと戻ったシンジ少年。

 

今日も色んな人に心配してもらえたな~

にやけながら今日一日を振り返る。

 

人を曇らせることに快感を覚えたシンジ少年だが、しんどいのは別に演技ではない。

身体がしんどいので、精神的に快楽を得ようとしているだけなのだ。

 

しかし、このままでは本当に倒れかねない。

睡眠時間を削る理由の一つにもなっている丁寧なスキンケアを終え、どうしたものかと悩んでいた中、突如部屋のドアがノックされた。

 

「はーい」

 

そして運命を仕組まれた少年少女は出会った。

 

 

 

(綺麗な子だなー、ここって顔採用なのかな? まぁ、僕なら一発合格だろうけど

 

失礼かつ、自意識過剰な内心を押し隠しながら突如現れた謎の少女を観察する。

彼女は少し不思議な容姿をしていた。

色素が薄く、蒼銀にも見える髪、真っ赤な瞳。真っ白な肌。

 

妖精のようだな、とシンジ少年は思った。

しかし、それ以上に気になることが一つ。

 

(顔の骨格の形状が少し僕と似ている……?)

 

普段から自分の顔を鏡で舐めるように眺めているシンジ少年にしか出来ない発言である。

 

(もしかして、僕の親戚? 僕は……妖精だった?

 

恐らく、本当に疲れているのだろう。

かなりぶっ飛んだことを考えながら名前を尋ねた。

彼女の名は綾波レイというらしい。

綺麗な名前だなと思った。

 

「うん。僕は確かに碇シンジだよ。よろしくね、綾波さん。ところで、こんな夜中に何の用?」

「赤木博士にあなたのところへ行けと言われたから」

「赤木さんが? どうして?」

「助言をして欲しいと言われたの」

「助言? なんの?」

「エヴァとのシンクロについて」

「えっ、助言ができるってことは、もしかして……君もエヴァのパイロットなの?」

「えぇ」

 

シンジ少年は驚いた。

 

「僕以外にもパイロットがいたんだね……いや、そういえばサードチルドレンって呼ばれていたな。僕の前に2人先輩がいるのか」

 

そして、目の前にいるのがそのうちの1人というわけだ。

 

「取り敢えず、廊下で立ち話もなんだから、入る?」

「あなたがそうしたいなら」

「えっ、あ、あぁ……うん。どうぞ」

 

これまで出会ったことがないタイプの人間に戸惑いながらも部屋に招き入れるシンジ少年。

友達が家に遊びに来た時のように何か出した方がいいかなと思ったが、生憎とこの部屋の中には冷蔵庫すらない有様だ。

 

「ごめんね、何も出せるものがなくて」

「出す? 出すって何を?」

「お茶とか、ジュースとか、お菓子とか」

「どうしてそれを出す必要があるの?」

「どうしてって……おもてなしするために、かな」

「おもてなし……見知らぬ人を客として迎え入れ、歓待すること。あなた、私を歓迎したいの?」

「えっ、う、うん。もちろんだよ! こうしてわざわざ来てくれて、助言までくれるって言うんだからね。歓迎するよ、綾波レイさん」

「……そう」

 

社交性に富んだシンジと社交性皆無の綾波レイの間で凸凹な会話が交わされる。

変わった子だな~と内心驚いているシンジだが、嫌悪感のようなものは全くなかった。

寧ろ、思ったことをそのまま口に出している様子の綾波に新鮮さのようなものを感じる。

 

「狭いけど勘弁してね」

「えぇ」

 

二人でも狭いくらいだが、彼女に不満はないらしい。

椅子を彼女に渡して着席を確認したのち、シンジ少年はベッドに腰かけて彼女と向かい合った。

 

「さて、と。では早速先輩から助言を貰いたいんだけど、どうすれば僕はシンクロ率30%を超えられるのかな? 綾波さんはシンクロする時に何を意識しているの?」

 

律儀にもメモ帳とペンを取り出し、シンジ少年が尋ねる。

綾波レイは答えた。

 

「エヴァに心を開くことよ」

「……というと?」

「エヴァを拒絶しないことよ」

「……なるほど」

 

助言終わり。綾波レイはそんな感じの顔をしていた。

いや、無表情だから推測でしかないが。

 

「つまり、僕はエヴァンゲリオンを信頼しきれていなくて、怖がっているってこと?」

「えぇ。エヴァには魂がある。パイロットが心を開かなければ、応えてくれないわ」

「魂が……」

 

そんなものあるはずが、と反論しかけたシンジ少年だが、

 

『人造人間エヴァンゲリオン』

 

赤木リツコが言っていた呼称を思い出した。

人造人間……それがどういう意味かはよく分からないけれど、何となくロボットと違って有機的な印象がある。

魂的なものがあってもおかしくない……のかもしれない。

 

「怖いの? エヴァが」

「……怖いよ」

「どうして?」

「よく、分からないから」

「分からないから怖いの?」

「うん。……そういう綾波さんは怖くないの?」

「怖くないわ。だって私はそのためにいるもの」

「そのためって……エヴァンゲリオンに乗るため?」

「えぇ」

「ふーん。なんか、あれだね。プロフェッショナルって感じするね」

 

綾波レイの言葉は文字通り、彼女がほぼそのために生まれてきたことを指しているのだが、微妙なニュアンスの違いを悟れるほど二人の距離は近くない。

シンジ少年は勝手に勘違いして彼女のことを仕事熱心なプロであると認めた。

口下手で寡黙な感じもそれっぽさに拍車をかけている。

 

(エヴァ職人綾波レイ先輩)

 

シンジは心の中で的外れなラベルを彼女に張り付けた。

 

「じゃあさ、シンクロする時のコツとか教えてくれない?」

「コツ?」

「うん。心を開くっていうだけじゃ、具体的に何をすればいいか分からないからさ。まずは綾波さんの真似をしてシンクロに慣れることから始めようと思って」

「コツ……」

 

呟いた綾波レイはそのまま無表情で固まった。

会話が途切れ、沈黙が狭い部屋に満ちる。

 

「……えぇと、綾波さん?」

 

言葉を探しているのかと思ったが、見間違いでなければ過剰稼働によってオーバーフローした機械のように見える。

恐る恐るシンジ少年が声を掛けると、再起動を果たした綾波レイはやはり無表情で

 

「ごめんなさい。わからないわ」

 

堂々とアドバイスはない、と言った。

 

「そ、そう……まぁ、いきなりコツって言っても難しいよね……」

 

綾波レイのフォローをしながらシンジ少年は思う。

あれ、僕、なにか1つでも有益なアドバイス貰えている?

 

エヴァに心を開けと言われても具体性がなさすぎて分からない。

コツは本人にも分からない。

まぁ、それだけエヴァとのシンクロが操縦者の感覚頼りであるということなのだろうが……

 

「それじゃ」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

自分の仕事は終わったとばかりに帰ろうとする綾波レイを慌てて引き留める。

この過剰に心配されている状況も心地良いが、いい加減にシンクロ率を30%に引き上げて脱出しないと身体が持たない。

せめて為になるアドバイスが一つくらい欲しい。

 

「あ、あのさ! 綾波さんは普段、どういうイメージでエヴァに乗っているの?」

 

それさえ知ることが出来れば何か参考にできるものがあるかもしれない。

少し考え込んでから彼女は答えた。

 

()

 

それは、今後碇シンジがエヴァンゲリオンに乗るうえで大変参考になる、貴重なアドバイスであった。

 

「海?」

「海で泳いでいるイメージ」

「へぇ~」

「……より深くシンクロしたい時は海の底に潜るイメージをする」

「潜水ってことか。周りもLCLだっけ? 液体で満ちているし、結構イメージしやすいかも」

 

シンジ少年は満足げに頷いて綾波レイに笑いかけた。

 

「ありがとう! 凄い参考になったよ!」

「……」

「綾波さん?」

 

相変わらずの無表情。

しかし、何故かシンジ少年には彼女が困っているように見えた。

 

「……ごめんなさい。こういう時、どういう風にすればいいのか分からないの」

 

普通に暮らしていれば返答パターンが身についていくものだが、彼女にはそれがないらしい。

単にちょっと変わった子だと思っていたが、シンジ少年は彼女を訳アリと判断した。

だが、どういう事情を抱えているにしろ、貴重なアドバイスをくれたパイロットの先輩であることに変わりはない。

 

だから、シンジ少年も教えてあげることにした。

 

「“どういたしまして”、っていう返答が一番かな? それから――」

 

せっかく可愛い顔をしているのだからと、シンジ少年はワンポイントアドバイスを付け加える。

 

「笑えばいいと思うよ」

 

綾波レイが目を見開く。

暫く見つめ合う両者。

やがて、ぎこちなくではあるが綾波の顔に微笑が浮かんだ。

 

「どういたしまして」

 

 

 

 

次の日の実験にて、シンジ少年のシンクロ率はようやく30%を超えた。

彼はサードチルドレン候補から正式なチルドレンへと昇格した。

 

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