まごころを、ぼくに   作:赤坂緑語

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まごころを、ぼくとあなたに

 

「シンクロ率32%を突破! 安定しています!」

「「「「「おぉッ――‼」」」」」

 

その日、実験室は大いに湧いた。

彼らが何とかしてあげたいと願っていた少年が今、自らの力で地獄から脱出したのだ。

 

「シンジ君!」

「わっ、か、葛城さん……」

「おめでとう! 本当におめでとう! よく頑張ったわ!」

 

エントリープラグから出てきたシンジ少年はLCLを洗い落とすその前に駆け寄って来た葛城ミサトに思いっきり抱き着かれた。

流石に驚いたが、誰よりも自分のことを気遣って心配してくれていたことを知っているシンジ少年は優しく彼女のハグを受け入れた。

 

「ありがとうございます。綾波さんのアドバイスのお陰です」

「レイの? そう……あの子にもお礼を言っておかないとね」

 

親友の策が功を奏したことを知ったミサトは微笑んだ。

 

「あの……葛城さん」

「ミサトでいいわよ。どうしたの?」

「僕はこれから正式にサードチルドレン、になるんですよね?」

「……えぇ。詳細な話はまた後にしましょう。シャワーを浴びて、着替えてらっしゃい」

「はい」

 

コクリと頷いたシンジ少年は更衣室に向かった。

 

「おめでとうー!」

「おめでとうシンジ君!」

 

喜び手を振る人たちに(恥ずかしげにではあるが)手を振り返しながら。

 

「さて……」

 

柔らかい笑みを浮かべていたミサトの表情が一瞬で切り替わる。

能面のような無表情。

氷のような冷たい瞳がコンソールルームで居心地悪そうに佇んでいるガードの男たち――即ち、シンジを虐めていた男たちに向けられる。

 

「――覚悟しておきなさいよ」

 

ゾッとするほど冷たい声。

葛城ミサト。若くして作戦課の課長まで上り詰めた力は伊達ではない。

数々の修羅場を乗り越え、ここまで来たのだ。

 

後日、その男は地獄を見る羽目になったという。

 

 

 

 

「それじゃあ、シンジ君のシンクロ率30%越えを祝って、乾杯~!」

「「「乾杯~~‼」」」

 

諸々の訓練を終え、夜。

NERV本部の食堂を貸し切り、小規模ながらシンジ少年解放を祝した打ち上げが実施されていた。

世知辛いことに、大人組はまだ仕事が残っていることからアルコールは抜き。

さらに料理の質もそこまで高くないという現状だが、シンジ少年に不満はなかった。

 

ようやく虐待じみた訓練から解放されるという達成感が強かったし、忙しい合間を縫って自分のことのように喜んでくれるのは悪い気分ではなかったからだ。

 

「いや~、いきなりシンクロ率が急上昇したからビックリしたよ! 何かコツでも掴んだのかい?」

「綾波レイさんに教えてもらったんです。海で泳ぐようなイメージを持つといいって。試しに実践してみたら上手くいきました」

 

シンジ少年の話を打ち上げに参加している赤木リツコと伊吹マヤが興味深げに聞いている。エヴァの技術者として気になるのだろう。

 

「そう。レイに頼んで正解だったというわけね」

「あっ、そういえば赤木さんが綾波さんにお願いしてくれたんですよね? ありがとうございました。おかげさまで何とかシンクロ率があがりました」

「お礼なんてとんでもないわ。寧ろ、あなたには謝らなければならない」

「えっ」

 

何のことかと目をパチパチさせるシンジ少年。

あぁ、この子は本当にいい子なんだなと思いながら赤木リツコは頭を下げた。

 

「ごめんなさい。あなたが苦しい虐待まがいの訓練をさせられている中、私たちは何の助けにもなれなかった。……大人失格ね」

 

フッと自嘲するような笑みを浮かべる。

 

「……私もごめんなさい」

「ごめんな、シンジ君」

「謝って許されることじゃないと思うけど……すまなかった」

「……」

 

伊吹マヤ、青葉シゲル、日向マコトが次々と謝罪の言葉を口にする。

何故か思い詰めたような表情で黙り込んでいる葛城ミサトが気になったが、それよりも大の大人4人が揃えた頭を下げている状況に耐えられずシンジ少年は慌てて顔を上げるように言った。

 

「や、やめてくださいよ! 僕なら大丈夫ですから! それに、皆さん組織内のあれこれで動くのが難しかったんですよね? 仕方がないことじゃないですか。そんなに深く気にしないでください」

「シンジ君……」

「それに――」

 

シンジ少年はあっけらかんと笑いながら言った。

 

「喉元過ぎれば熱さを忘れるって言うじゃないですか。僕、忘れっぽいので、もう何が辛かったのかも忘れちゃいましたよ!」

 

過ぎたことは気にしない。

それよりも今を大事にしよう。

ポジティブシンキングを擬人化したかのような健気な振る舞いに大人たちはジーンと涙腺を刺激される。

 

「――ありがとう。シンジ君」

「立派だな、シンジ少年は……」

「本当! メンタルが強いというか……」

「ありがとうございます。よく言われます」

 

胸を張ってドヤ顔を披露する。

別に嘘ではなく、覚醒したシンジ少年はよく人からその強固なメンタルを褒められることが多々あった。

そのメンタルの土台が自画自賛による強烈なナルシシズムであることはシンジ少年だけの秘密だ。

 

不幸な状況に陥っても悲劇のヒロインになりきり、自分を客観視して勝手に気持ちよくなる。

決して他人を責めることなく、常に人に優しくある。

 

そんな自分が好き。

 

自分が好きだから、不幸をポジティブに捉えることも、人に優しくすることもドンドン上手になっていく。

メンタルが強いと褒められるのが嬉しいから、メンタルが強くなっていく。

 

シンジ少年は素晴らしい循環の中に生きていた。

 

「……」

 

ようやく場が盛り上がり始め、伊吹マヤや日向マコトが積極的に話し始める。

ノリのいいシンジ少年が会話を広げていく。

洒落も解するリツコが理知的なツッコミを入れる。

青葉シゲルがいつの間にか持参していたギターを弾く。

 

それは、とても暖かい光景だった。

 

そんな中――

普段であれば誰よりも騒ぐであろう葛城ミサトは、不気味な沈黙を保っていた。

 

 

 

 

「シンジ君。ちょっといい?」

「葛城さん? 良いですよ」

 

今日は解放されたばかりでシンジ少年も疲れているだろうと早々に打ち上げは終わり、大人組は仕事へと帰っていった。

さて、風呂に入ってスキンケアをしてから寝るかと本部内にある狭い宿舎に向かおうとしたシンジ少年だが、打ち上げでやたらと静かだった葛城ミサトが彼を呼び止めた。

 

「ちょっち、歩こうか」

 

人工光で照らされた夜のジオフロント内は静かだった。

ライトアップされた噴水の近くを二人でゆっくりと歩く。

 

はて、葛城さんは何の用事だろうかと彼女の顔を伺うが、ちょうど影になって表情が良く見えない。

今夜はぐっすり眠っていいと言われているシンジ少年は、特に彼女を急かすでもなくゆっくりと歩く。

 

「シンジ君はさ」

 

ふ、と囁くような小さな声でミサトが言った。

 

「エヴァンゲリオンに乗りたい?」

「えっ?」

 

急な問いに驚き、思わず足が止まる。

彼に合わせるように立ち止まったミサトの顔が影から露わになる。

朗らかな笑顔を浮かべていた陽気な雰囲気はどこにもない。

 

きっと、これが彼女の素なんだろうとシンジ少年は察した。

 

「そりゃあ……乗らずに済むなら乗りたくはないですけど、もう逃げられるような状況でもないですからね」

「逃げたくないの?」

 

逃げてもいいんじゃない? 何故かそう聞こえた。

 

「……逃げたくないって言ったらウソになりますよ。訓練きついし、小学校の皆には会えないし、父さ――父はムカつくし、何もかも勝手に決まって、半強制的に労働させられる羽目になっていますし」

 

つらつらと恨み言を述べるシンジ少年。

だが、言葉の内容ほど悲壮感はない。

 

黒い瞳がミサトを真っすぐに見据える。

その澄み切った純粋さが彼女の心のうちに潜む闇を刺激する。

 

「……じゃあ、逃げればいいじゃない」

 

逃げ続けた人生だった。

使徒への憎しみが忘れられなくて、自分の心のうちに逃げて、男に逃げて、酒に逃げて、今はこの少年から逃げたくて仕方ない。

 

「ですよね。でも――」

 

軽く彼女の言葉に同意しながらもシンジ少年は言った。

 

「逃げた先でもきっとしんどいと思うんです。だって、逃げたって事実からは逃げられないわけですから」

「……」

「だから、頑張れるだけ頑張って、頑張って……それでもダメな時に諦めようと思ってます」

「そう……」

 

最後には諦められる勇気も持っているのね。

ミサトは自分が酷く惨めに思えた。

夜の闇に溶けるように表情を暗くし、俯く。

 

人の感情に機微なシンジ少年は当然ながら彼女の様子に気が付いていた。

だから、そっと尋ねる。

 

「どうしたんですか? 葛城さん」

 

言葉に宿る優しく相手を気遣う感情。

二人の視線が交わる。

気が付けば、ミサトは口を開いていた。

 

「――私の父はね、家庭を顧みない人だったわ。いつも仕事に没頭していて、ちっとも構ってくれなかった。そんな父のことが嫌いで、苦手だったわ」

「……」

「でもね、14歳の頃、父がセカンドインパクトで死んだの。ないがしろにしていたはずの私を庇って」

「えっ……」

 

目を見開くシンジ少年。

無理やりエヴァに関する知識を詰め込まれていた彼は当然、セカンドインパクトの真相を知らされていた。

だからこそ驚く。まさか生き残りがいたとは。

 

「その後、自然災害と思っていたセカンドインパクトの原因が使徒であるということを知ったわ」

「……だから、NERVに入ったんですか?」

「えぇ、そうよ。全ては使徒を倒すために――父の仇を討つために」

「それは……」

 

困惑した表情のシンジ。

ミサトは薄く笑って彼の頭を撫でた。

 

「不思議でしょう? 私も不思議なの。どうして、今まで嫌っていた父の復讐のために人生を捧げているのか……」

「……」

「でも、その答えはきっと簡単で、本当は父が私のことを愛してくれていて、私も本当は父のことを愛していたかったから」

 

言葉にしながら葛城ミサトは自身の心が解けていくのを感じていた。

今、彼女は嘘偽りない自分を曝け出している。

彼女自身も気づかないふりをしていた本当の心を。

 

「でも気づくのが遅すぎて、あまりにも遅すぎて……父はいなくなってしまった。だから憎いの。その機会を奪った使徒が。私の人生を滅茶苦茶にした使徒が」

「……」

「もう一度言うわ。私は、使徒を殺して復讐したいの。その為にここに居る」

「……」

「軽蔑したでしょう。でも、これが私の動機。あなたがサードチルドレンになった時に上司になる女の戦う理由よ」

 

語り終えたミサトは暗い瞳でシンジ少年を見つめる。

 

「葛城さんは……僕に何が言いたいんですか?」

「今なら、まだ間に合うわ」

「えっ」

「今なら、あなたをエヴァンゲリオンに関わらない道へ戻すことが出来る」

「そんなことが……」

「あなたが望むなら。どんな手を使ってでも元の世界へ返してあげることが出来るわ」

 

葛城ミサトの黒い瞳に危険な色が宿る。

どんな手を使ってでも――それが比喩ではないことをシンジ少年は直感で悟った。

 

「だから、選んで。今この場でハッキリと。元の世界へ帰るか、ここへ留まるか」

「……」

 

これが危険な問いであることはシンジ少年にも分かる。

それこそ、使徒への復讐に人生を掛けてきた葛城ミサトの進退を掛けた問いであることも。

だが、自分が逃げたところで彼女は怒らないだろうという確信もあった。

きっと、ホッとしたような笑顔で言うのだ。

「分かったわ。うちへ帰してあげる」、と

 

シンジ少年には元の世界に帰りたい理由がたくさんある。

 

勇気を出して仲良くなった大事な友人たち。

関係を再構築し、良好な義理の親子関係となった“先生”の家。

平和な日常。

普通の学校生活。

エヴァンゲリオンも、父もいない世界――

 

対して、この世界に留まる理由はあまりに少ない。

 

法も超越したと語る怪しい組織からの強制懲役。

そして、自分を心底心配してくれている葛城ミサト。

彼女が苦しそうに語った復讐という動機。

 

(復讐、か)

 

その動機の重さがシンジ少年には今一つ理解できない。

 

だが、一人の女性が、その人生を投げうってまでやり遂げようとしていることを簡単に否定する気にはなれなかった。

そこに人類の命運が乗っかっているというのだからなおさらに。

 

だが、そんなに難しく考えるものではないだろうとシンジ少年は考えていた。

彼らには彼らの事情がある。彼らの人生がある。

そして同じく、シンジ少年にもシンジ少年の事情があり――彼だけの人生がある。

 

「ミサトさん。僕、決めましたよ」

 

だからこそ、彼は決断した。

 

「なります」

 

 

僕が、エヴァンゲリオン初号機のパイロットになります

 

 

(人類を守って英雄になったら凄いちやほやされそうだし)

 

葛城ミサトの強い意志を知った上でなお、自分の欲望の為に乗る。

碇シンジは、そういう少年だった。

だって、これは彼の人生なんだから。

 

だが、彼の背を押したのは間違いなく彼女の動機が理由であり、

彼女が本心を明かしたことは決して無駄ではなかった。

 

「……そう」

 

彼の我欲など知らぬ葛城ミサトはシンジ少年の決断に多大な感謝の念を抱くと同時に、自身の理由を明かしたことで同情心を向けさせつつ決断を迫った自身の心の汚さに絶望していた。

 

だが、もう逃げることは許されない。

 

自分の心の弱さも、使徒への復讐も、巻き込んでしまった少年も、その全てと向き合ってやり遂げなければならない。

向き合って、この純粋な少年を死地に送り込まなければならない。

 

逃げ癖が身に着いてしまった葛城ミサトにとって、それは酷く辛いことのように思えた。

 

だって、彼女には確信があったから。

この少年をとても好きになるだろうという確信が。

 

それが自分と似た境遇ながらへこたれることなく前を向く、強者への尊敬の念か、

あまりにも可愛らしい子供への親愛か、

まだまだ小さな命を守ってあげたいという母性本能か、

はたまた、その瞳に魅せられたせいか。

 

彼女には分からない。

分からないが、それでもきっと自分はこの少年と関われば最後、喜びと引き換えに苦しみ続けることになることだけは分かっていた。

 

魔性の少年(オム・ファタール)

 

関わるべきではない。

関わらざるを得ないとしても、必要最低限の接触に留めておくべき。

ミサトの理性はそう言っている。

 

だが、彼女の本能は言っていた。

 

この少年がお前の運命だと。

 

運命は残酷だ。

あの日、父に着いていかなければ、使徒への復讐に囚われることもなかった。

あの日、父に庇われなければ彼への愛情と憎悪に苦しむこともなかった。

 

だが、同時に葛城ミサトは知っている。

 

運命が美しいことも。

あの日、赤木リツコに――親友に出会った。

あの日、加持リョウジと出会った。

 

そして今、碇シンジ少年と本当の意味で出会った。

 

「碇シンジ君。あなたをサードチルドレンとして歓迎します」

「ありがとうございます。葛城ミサトさん」

 

二人は握手を交わす。

 

こうしてNERVは3人目のパイロットを迎え入れることとなった。

 

 

そして、1年と2か月後。

人類は15年ぶりに使徒の襲来を受けることになる。

 




次回、一気に原作開始まで飛びます。

※葛城ミサトさんは原作開始時点で最近配属になったばかりという描写が目立っており(住居や、迷子や、雰囲気から)、原作開始1年前には別の場所にいたのかもしれませんが……まぁ、作戦課発足にあたり、優秀な人材だから先んじてジオフロントに呼ばれており、碇シンジ招集に伴って(碇ゲンドウが関わりたくないから。あと暇そうだったから)強制的に案内係に任命され、そのままの流れで……というストーリーで一つお願いします。
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