12月28日、アスナはこれまでにないほど強い緊張感で目の前の『敵』と相対していた。黒い髪、黒のコートに身を包んだ片手直剣使いの少年キリトと、その相棒のドルモンだ。
いつも楽しそうに騒いだり笑ったりしている彼らは今、アスナに冷たく鋭利な目線を向けている。アスナの動きを見逃さず、最速で反応するためだ。
「……………っ」
「動かないんなら、こっちから行くぞ」
アスナの顔はこわばっている。キリトの新たな剣である《ソード・オブ・イヴェンタイド》の切れ味は先日の迷宮区での戦いで知っているからだ。もちろん、ドルモンの鉄球も侮れない。ダメージを受ければ、その分現実の彼女は死に近づくのだ。
……しかし、それはキリトにも同じ事が言える。彼女の愛剣《シバルリック・レイピア》は三層にいた
アスナが現在習得している中で最も強い《トライアンギュラー》の三連撃がクリーンヒットしてしまえば、彼のHPをどれだけ減らしてしまうのか…彼女には見当もつかなかった。
アスナは視界が端から暗くなるような、地面がぐらついているような感覚に陥った。
(これまで、数え切れないくらいモンスターと戦ってきた。エルフ…人型の敵ともかなり戦った。……けど、プレイヤー同士の戦いはこんなに違うものなの…!?)
あるいは、相手がキリトだからかもとアスナは考える。これまで、彼と剣を交えるだなんて考えた事もなかったのだ。《シバルリック・レイピア》の切っ先が僅かに揺らいだのを見たキリトが、左足を前に踏み出した。
先読みをしなくちゃ…と考えたアスナだったが、体が思うように動かない。その代わりに、情けない掠れ声が溢れた。
「……だ。………もう、やだぁ…」
アスナは剣を持ったまま座り込んでしまった。キリトがその気なら無防備なアスナに剣を叩きつけることも可能なのだと頭の何処かで考えながら、それでも彼女は下を向いていた。
剣を納刀したキリトは苦笑しながら視界上部に表示されているデュエルの残り時間を確かめる。
「……嫌って言われてもなぁ…。先に
「……ごめんなさい…」
「まぁまぁ、とりあえずゆっくり休もう?」
五分後、先ほどまで決闘の場だった
「その木の枝、いつ拾ったの?」
「三層と四層の森でちょこちょこ拾ってたよ。五層のテーマは《遺跡》、人工物が多くて薄暗いしこういう木の枝を手に入れにくいからな…」
「キリトに教えてもらったんだ、コレは《フォッシルウッド》っていうんだって!普通の枝よりもずっと長く燃えるんだよ!」
「へぇ……。火の色が緑っぽくなってて綺麗…!」
アスナは焚き火に感動していたが、ふと気づいた。三層や四層にあるなら自分が通った場所にもあったはずだ。よほどレアなアイテムなのだろうか。
「……あれ、でもこんなアイテム初めて見たんだけど?教えてくれたらわたしも拾ったのに…」
「え~、そうかなぁ?フォッシルウッド、じめじめした地面にちょっと埋まってる状態でしか見つからないんだよなぁ…。そんな場所にある木の枝をお風呂大好きアスナさんが拾ってストレージに入れるかな~??」
キリトのからかうような笑みに、アスナは引きつった笑みで返した。
「へ、平気よそのくらい!ストレージに入れたなら泥とかが他のアイテムに付くなんてないもの!」
「フォッシルウッド、掘り出すとたまに虫がくっついてるんだよねー」
「……………そ、そうなんだ。教えてくれてありがとうドルモン」
キリトの持っている燃えさしの枝から距離を取ったアスナに、キリトは楽しげな笑みを浮かべる。ケトルのお湯をティーポッドに注ぎ、少し時間が経ってからカップに注ぎ入れた。
「ほれ、火傷しないように気を付けろよ」
「……ありがと」
中身の茶葉はロービア産、アスナセレクトの果物フレーバーだ。先ほどの半分錯乱したような状態からは落ち着いたが、暗がりに何かいるような気がしてアスナは焚き火に意識を集中させる。
「……さっきはごめん」
「……ど、どうしたんだ急に」
「……デュエル、途中でやめちゃったでしょ?わたしが先にやろうって言いだしたのに…」
「あー、それ?別に気にはしてないけど…アスナがやりかけたことを中断したのは珍しいよな」
アスナはこくりと頷いた。
「……思ってたのと違った。初撃決着ルールなんてものがあるんだから戦闘じゃなくて、試合というかスポーツみたいに捉えてたの。でも……」
「……うん、これがデスゲームでさえなかったらその認識でも間違ってないと思う。でも、俺たちの持つ剣はオモチャや竹刀じゃない。…HPを削り切れば相手を殺せる凶器だ。デュエルの本質は殺し合いなんだ」
「………わたし、キリト君と殺し合いなんてしたくないよ」
アスナがポロリとこぼした言葉に、キリトも頷いた。
「……そうだな。俺もそんなことをするのは嫌だ。たとえ初撃決着だとしても」
キリトはそう言いながら、ベータテストの時の五層がPKだらけになっていたことを思い出す。往還階段でもアスナには教えたのだが、視界の悪い場所というのは犯罪者が出やすいのだ。
「ただ、この層を本格的に攻略する前にアスナにはデュエルに慣れてほしいっていうのはある。……モルテの一件、覚えてるか?」
「うん……。たしか、三層の
「そうだ。あいつは《半減決着》ルールの抜け穴を利用して俺を殺そうとしていた。HPを半分まで減らしてから片手斧の特大ダメージで削り切るつもりだったんだ。パートナーのドラクモンは相手の動きを封じる力を持っていたし、一人で戦っていたら確実に死んでいたと思う」
「あのヤロー、次会ったらけちょんけちょんにしてやるぅ……」
シュッシュッとシャドーボクシングをするドルモンに癒されたアスナであったが、コホンと咳払いして話の続きを促す。
「この《デュエルPK》は合法的プレイヤーキル…つまり、オレンジカーソルになるフラグが立たないんだ」
「人を殺しても自分はのうのうと街を歩けるってことね…。なんか腹立ってくるわ!」
「まあまあ…。問題は、モルテはなんでこんなことをしたかだ。あいつの行動を考えると快楽殺人タイプのPKerではないと思う。そもそもモルテがデュエルを吹っかけてきたのは俺にエルフクエストをクリアさせたくなかったからだ。デュエルで時間を稼いでいる間に、侵攻側のALSと防衛側のDKBを衝突させて争わせようとした……」
「そうだね、わたしとアルゴさんとキズメルがいなかったら大変なことになってたはずだわ。……でも、そんなことをしてモルテはどんな得をするの?あいつの思い通りになってたらゲームクリアは遠ざかるのに…?」
アスナの疑問にキリトはすぐに答えられない。狂人の考えることは理解しがたいからだ。二大ギルドを潰し合わせたところでモルテにコルやレアアイテムが渡るわけでもないし自分のHPがゼロになればあっけなく死ぬ。
「……じゃ、じゃあ…モルテはいったい何者なの?」
「……もしかしたら、アイツは俺たちのように
「それって、
「ただなぁ、それだと説明できないこともあるんだよな。だってまだ十層にも到達してないんだぜ?明らかに暗躍を始めるのが早すぎ……」
キリトはそこで言葉を止めると、焚き火に意識を集中させる。
「ここだっ!!」
「!!?」
いきなり叫んだキリトにびっくりするアスナをよそに、剣士は《ソード・オブ・イヴェンタイド》で焚き火を刺し貫く。キリトが剣を引き戻すと、こんがりと焼かれた何かが先っぽに刺さっていた。……楕円っぽい紫のソレは、どう見ても焼き芋だった。
「…………キリト君?」
「なんだいアスナさんや」
「さっきから焚き火を見てたのって、そのお芋の焼き加減を見計ってただけ…?」
「逆に聞くけど、それ以外の理由があるか?」
アスナはこのとぼけた少年の頭を引っ叩こうか半分本気で悩んだが、その前にキリトは焼き芋を半分にして分け与えた。
「ほれ」
「あ、ありがと…」
「ドルモンも食えよ」
「皮は変な色してるけど中身は美味しそうだね!」
一口食べるとほっくりした身が口の中で濃厚な甘味が生まれる。はふはふと焼き芋を仮想の胃袋に収めてから、アスナはほっと息を吐いた。
「あぁ、美味しかった…!焼き芋なんていつ以来かしら」
「甘くって美味しいねキリト!」
「だろ?」
「………ところで、何処でこんなの手に入れてたのよ。フォッシルウッドといい、このさつまいもといい…」
アスナは呆れた顔で訊いてみると、キリトはへっへっへと楽しそうに笑った。
「これな、四層の迷宮区にいる半魚人の
「は、半魚人…?なんでさつまいもを半魚人が持ってるわけ?」
アスナはどうせ煙に巻かれるだろうと思っていたが、彼は逆に質問してきた。
「アスナ、さつまいもの原産地って知ってるか?」
「え、さつまいもは薩摩ってくらいだし鹿児島よね?」
「それは日本での話だろ?俺が言いたいのは、世界で最初に栽培されたのは何処かって話」
アスナはしばらく首をかしげて考えていたが、やがて自信なさげに答えた。
「たしか、ジャガイモって中南米産…って聞いたような…」
「正解!」
「………へ?」
「さつまいもの原産地もそこら辺なんだよ。より正確に言うとジャガイモは中南米の高地、さつまいもは海岸沿いの低地で栽培されてたみたいだな」
「そ、そうなんだ…。中南米が歴史から消えたら大変なことになりそうね…」
さつまいものほっくりとした甘みの余韻を感じながら、アスナは話題を半魚人に戻す。
「……それで?その中南米のサツマイモと半魚人に何の関係があるわけ?」
「こっからはこじつけだけど……。中米アステカ神話じゃ世界は四回も滅んでるんだ。最初の世界では人々はジャガーの群れのご飯になった。二番目の世界では猿、三番目の世界では鳥、最後の世界では魚に変えられた……」
「つまりキリト君は、魚に変えられた人たちこそ四層の迷宮区にいた半魚人だって言いたいのね?」
アスナは微妙に納得のいってない顔をしている。それを見たキリトは悪びれることなく笑って言った。
「さて、どうだろうな?…でもキズメルも言ってただろ、アインクラッドの各層はずっと昔に大地から切り離されて空に浮かんだって。その切り抜かれた地面にはコボルドもエルフもいたし、ミノタウロスやドラゴンだっていた。……なら、アステカ神話由来のモンスターだっているかもしれない」
キリトはドルモンの頭を撫でて微笑んだ。一方のアスナはちょっと釈然としない顔をしている。
「……ところで、なんでそんなにさつまいもの原産地とかアステカ神話に詳しいの?」
「あー……」
一瞬だけ言うか悩んだ彼だったが、もう隠してもしょうがないと感じたのか答えた。
「
「えー、いいなぁキリト。こんな美味しいお芋いっぱい食えるなんて!」
「…あっちでさつまいもは嫌ってくらい食ったけどさ、やっぱ美味いもんは美味いよなって実感したよ…」
「……ふーん…」
アスナは少年の出身が何処なのかを脳内で検索しようと試みた。……が、すぐに思考を遮る。デスゲームがクリアされればこの世界で得たものは全て消え去るのだからそんなことを知ったところで意味がないからだ。
「……ごちそうさま。………で、さっきのモルテの話だけど…」
「あ…、そういやその話だったか。モルテが
キリトは再び焚き火に視線を向けるが、またさつまいもが出てくるわけでもない。
「似たような話、聞いたことないか?」
「……え」
アスナは困った顔で思い当たることがないか考えるが、その前にドルモンが口を開いた。
「ナーザが変なヤツにサギを教えられた時とそっくりじゃない?」
「あ、あー!酒場でネズハさんに強化詐欺を無料で教えた黒ポンチョ!?」
「多分ソイツはネズハを攻略集団に断罪させたかったんだろうな。ブレイブスの連中が土下座しなかったらまず間違いなく処刑されてた。…アレも考えようによってはPKだ。プレイヤーの心理を操って誘導して、最終的に殺させる…《
「………なんだか、すごく禍々しい言葉。MPKもデュエルPKも一定のリスクを背負うのに、煽動PKはそういったリスクを回避できるってことよね。……女子校にもやたら同調圧力をかけるのが上手い子がいたなぁ…」
アスナのぼやきにキリトは微妙な顔をする。彼女の通っていた学校は修羅の国か何かかと思いながら、彼はコホンと咳払いした。
それを見ながらアスナはぽつりと呟く。
「……同一人物かしら、モルテと黒ポンチョ」
「どうだろうな……ネズハが言うには、黒ポンチョの男(仮)は《楽しそうに笑う男》だそうだ。モルテもへらへら笑ってたから同一人物の可能性はあるし、個人的にはそうであってほしいけど……うーん…」
「なんか気になることでもあるの?」
「………楽観視より最悪の場合を考えた方がいいよな。同一人物じゃなかったらモルテと黒ポンチョは連携して動いていると考えるべきだ」
アスナはそれを聞いてぶるっと震えた。あまりに恐ろしい想定で…しかも充分にあり得る事態だからだ。
「というかあいつらが二人だけとも限らないよな!下手すれば十人単位のPK集団が徒党を組んでたりするかも!!」
「いやぁっ!ちょっとそれ洒落にならないんだけど!?……今のSAOでプレイヤーを殺せば現実世界でも死んでしまうのに、どうしてモルテたちはそんなことを……?」
「……
キリトがそう締めくくると同時に、耐久がなくなったフォッシルウッドが真ん中から折れて消滅する。火の勢いが弱まった焚き火を見ながら、アスナはこれからの攻略に不安を残すのだった。