ソードアート・オンライン+D   作:シャザ

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49話 旗は誰の手に

 ALSの抜け駆け部隊が来るまで暇なキリトはギルドフラッグの性能を確かめた。

 

「正式名称は《フラッグ・オブ・ヴァラー》…武勇の旗、か。見た感じ性能に変更はなさそうだ。ギルド名の登録はギルドリーダーがプロパティの下部に存在する承認ボタンを押すだけでいいんだな。………もちろん登録したら二度と変更はできない…と」

 

 もしディアベルが生きていてくれたなら、この旗は最強のギルドの旗印としてその役目を果たしただろう。キリトは現状のALSとDKBがいがみ合う状況にため息をついた。

 

(……でも、今日の出来事は無駄にはならないと信じたい。……いつか、シヴァタとリーテンが何のしがらみもなく同じパーティで戦える……そんな未来を夢見てもいいはずだ)

 

 キリトはギルドフラッグをストレージに戻す。時刻を見ると午後八時半を回っていた。コツコツと誰かが階段を移動する音が聞こえ、キリトはよっこらしょと立ち上がった。

 

「……案外早い到着だったな」

 

 そう呟いたキリトにドルガモンは首を振って否定する。

 

「キリト、この足音上から聞こえるよ」

 

「……へ?……本当だ」

 

 六層に続く階段を降りてきたのはアスナだった。

 

「……アスナ?六層の主街区に行ったんじゃなかったのか?」

 

 キリトはアスナに問いかけるが、彼女は肩をすくめて歩み寄った。

 

「階段を上ってる時に面白い話を聞いたの、キリト君たちにも教えてあげようかなって」

 

「え、なになに?」

 

 ドルガモンは興味がわいたようで顔をアスナに近づけた。彼女はわしゃわしゃとドルガモンの顔を撫でてから言う。

 

「オコタンさんのキャラネームの由来。キリト君はなんだと思う?」

 

「え、えぇ…?確かに耳慣れない名前だなとは思ってたけど…。おこた……炬燵(こたつ)好きだからとか?」

 

 アスナは両手の人差し指でバツ印を作った。

 

「ぶっぶー、不正解でーす。なんでも、北海道の支笏湖に注いでる川の名前なんだって。その近くの出身で思い出の場所みたい」

 

「へー、北海道か。俺関東出身だから縁がないな…。……確かに面白い話ではあったけど、本当にそれだけの理由で戻ってきたのか……?」

 

「……そんなわけないでしょ、バカ」

 

「ええ……?」

 

 アスナの前言撤回にキリトは困惑する。変な人だなぁと思っているキリトをよそにアスナは厳しい顔で言った。

 

「……キリト君、たった一人でALSの攻略隊と話し合いをするために残ったでしょ」

 

「うぐ……そ、そんなことないぞ…」

 

「……もう、意地を張って。…主街区に戻っても暇だし、わたしも付き合ってあげる」

 

「…………いやいや!それこそそんなわけないじゃないか。だって、今頃カウントダウンパーティーの準備でみんなてんやわんやしてるはずだし……。……でも、ありがとうな」

 

 キリトはそう言いながらも、ALSの抜け駆け部隊について考えざるをえなかった。

 

(連中が怒りこそしても、俺が本当に危険な目に遭うようなことはない……はずだ。だってALSは犯罪者じゃなくてフロントランナーの集団なんだから)

 

「……一応わかってるとは思うけど、挑発的な言動はナシでお願いな?」

 

「…わかってるわよ」

 

 五分後、二、三人の足音が聞こえてくる。間違いなくALSの偵察隊だ。フォーメーションを組んで周囲を警戒する彼らに、キリトは声をかけた。

 

「おっす、お疲れ」

 

「……は!?ぶ、ブラッキー!!なんでここに…いや、そもそもフロアボスは!?」

 

「さっきオレたちがやっつけちゃったよ」

 

 偵察部隊の隊長はキリトの後ろにいるドルガモンにビックリした様子だった。

 

「うわ、デッカ!?え、まさかソイツお前のパートナーか!?」

 

「そうだよ、成熟期のドルガモンだ」

 

 キリトたちの言葉に隊長は頭を抱え、後ろの二人組はのんきに駄弁っていた。

 

「やったぜ、賭けは俺の勝ちだな。ホラ、五百コルよこせよ」

 

「チクショウ!普通当たんねーだろ『なんだかんだブラッキーのせいで失敗するんじゃね?』とか!」

 

「だって今回の作戦聞いた時から嫌な予感してたし……」

 

 一分後、偵察隊に呼ばれたALS主力部隊二十四人とキリトたちは向かい合った。しばらく無言を貫いた両者の沈黙を破ったのはキバオウだった。

 

「なにはともあれや!ボスを倒したんは確かなんや、お疲れさんと言うとくわ。……ただな、幾つか説明してもらわんとここまでノコノコ来てもうたワシらが馬鹿みたいやないか!」

 

「お、おう…。まあ説明するべきだよなここまで来ちゃったらさ」

 

 キバオウはキリトの言葉に頷いてから、びしっと右腕を伸ばして勢いよく人差し指を立てる。

 

「一つ目の質問や!まさかとは思うが、あんたらだけでボスを倒したわけやないやろ?あのドルガモンがおっても無理や。どっからメンバー集めた!?」

 

「……それは、黙秘だ。レイドメンバーの名前は言えない」

 

 キバオウの眉毛がピクピク震えるが、意外にも文句を言うわけでもなく二本目の指を立てた。

 

「二つ目や!アンタらがワシらALSより先にボスを倒したんはたまたまちゃうやろ!一体どこでワシらの攻略作戦を知ったんや!」

 

「それも黙秘だ」

 

「…………ッ!………今までのは軽ーいジャブや。けどこの質問は絶対に答えてもらうで。……フロアボスからギルドフラッグちゅうアイテムがドロップしたはずや、そいつをどうした!?」

 

 キバオウが三本目の指を立てて質問するのを、キリトは微妙な顔で聞いていた。それだけはちゃんと正しく答えないといけないからだ。

 

「………ああ、ドロップしたよ」

 

 キリトはメニューウィンドウを呼び出し、ストレージに入れていた《フラッグ・オブ・ヴァラー》を実体化させる。白銀の旗竿はALSの攻略部隊を黙らせるほどの迫力があった。キリトはギルドフラッグを突き立てた。

 

「これがギルドフラッグだ。効果はあんたらも知ってると思うけど、こうやって立てていると半径十五メートル以内のギルドメンバー全員に四種類のバフをかける。ボス戦では無類の強さを誇るだろうけど、登録できるギルドは一つだけでしかも上書きできない」

 

 ALSメンバーは説明を聞いてどよめいた。実際のところ、彼らも実在していないか正式サービスでナーフされていると思っていたのだろう。だがキバオウはフンッと鼻を鳴らしていつもどおりの態度を崩さない。

 

「……さすがはビーター様、ってとこやな。ちゃっかり手に入れよって。……で?それどないする気や!」

 

 キリトはフラッグをゆっくり持ち上げ、カアァァンと音高く床に突き立てる。

 

「……このフラッグをキバオウさんの管理に委ねるつもりがない…というわけでもない。ただし、三つ条件を出させてもらう」

 

「…なんや」

 

「一つ目。今後倒されたボスモンスターから同じアイテムがもう一つドロップした場合だ。その時はALSとDKBに一つずつ所有してもらう。ドロップしていない側に、俺が持っている方を無料譲渡するよ」

 

 それを聞いたALSメンバーは「そんなの待てねぇよ」とか「もう一本同じのが出てくる保証なんかないだろ」などの正論の声を上げるが、キバオウは無言で続きを促した。

 

「二つ目。ALSとDKBが合併した場合、無条件で即座にこれを譲渡させてもらう」

 

 重苦しい静寂があたりを包む。三秒後ALSの怒号が散り散りに静寂を切り裂いた。

 

「できるわけねぇだろそんなことぉ!!」

 

「あんなエリート面してる奴らと合併なんざ冗談じゃねぇよ!!!」

 

「あいつらにも聞いてみろよ、これだけは同意見だろうからよぉ!!」

 

 団員が次々と武器を手に取る。キリトは想定より燃え広がった怒りの火に内心どうしようか焦っていた。

 そんな時、聞き覚えのある耳障りな絶叫が集団の中から聞こえてくる。

 

「お、オレ知ってる!ビーターの野郎は最初(ハナ)っからフラッグを渡す気なんかねーんだ!自分らのギルドで独占しちまう気なんだ!!」

 

 ……その声を聞いたキリトの表情が険しくなる。一層や二層でも騒ぎ煽っていたその男が、地下墓地で出くわしたモルテの相方とダブって見えた。

 

(………コイツ、まさか地下墓地で騒いでいたモルテじゃない方の…?確か名前は…ジョーだっけ?)

 

 キリトはその顔をじっと見てみるが、顔を覆うレザーマスクのせいでどんな顔立ちかもわからない。

 

「こんなヤツの話聞くだけ無駄っすよキバさん!こいつらからフラッグを分捕っちまいましょう、相手はたった二人しかいねーんだ!」

 

「……おいおい、お前ら暴力でコレ奪い取る気か?………つまり、二つ目のギルドフラッグがドロップするまで待つつもりはないし、DKBと合併なんか死んでも御免だって意味だよな?」

 

「話聞いてんのかテメェ!とっととそれを寄こさねぇと……」

 

「だったらしょうがないなぁ。……三つ目の条件は、譲渡ではなく破棄に関するものだ。もし、他の二つの条件の達成がどちらも不可能だと判断されて、尚且(なおか)つ代案などがない場合……俺はキバオウとリンドの立ち合いの元、ギルドフラッグをへし折る」

 

 ALSメンバーはしばらくぽかんと口を開け、お互いの顔を見合う。そのうちの一人があっけにとられた顔でキリトに聞いた。

 

「………マジで言ってる?」

 

「ああ。はっきり言わせてもらうけど、今この時点でギルドフラッグは両ギルドの不和や敵意を煽るド級の厄ネタでしかない。なら、いっそのことぶっ壊して初めからなかったことにするのが一番丸く納まる。……そうは思わないか、キバオウさん」

 

「…………。まあ、一理あるかもしれんな。ただ、それでハイそうですかと納得できるかは別ん話やろ。………本気で壊そうっちゅうんか?」

 

「……壊すよ。なんなら、今へし折ったって構わない。……俺は本気だぞ」

 

 キリトは手に持っていたギルドフラッグをドルガモンに咥えさせる。ドルガモンが力を込めて噛みしめれば、それだけでギルドフラッグはこのアインクラッドから永久に喪われるだろう。

 ジョーはキバオウに喚いた。

 

「……き、キバさん!!コイツがギルドフラッグを壊す前に取り返しちまいましょう!相手はたったふた、り……!?」

 

 キバオウはジョーの胸倉を掴み上げて怒鳴る。

 

「こんのドアホウがぁ!!確かにジブンが持ってきた情報は正しかった。けどなぁ、なんぼ貴重なアイテムでも『ころしてでもうばいとる』ほどのモンはないわ!!ワシらは犯罪者集団とちゃうぞ、頭冷やせや!」

 

 ジョーをドサッと落としてからキバオウはキリトに向き直った。

 

「……つまらん話聞かせてすまんかった。……で、さっきの三つの条件やけど…そいつはDKBにも同じってことでええんやな?」

 

「あぁ、もちろん」

 

「んなら、フラッグはあんたが持っとった方がええか。……ま、合併は今のままやと天地がひっくり返らん限りなさそうやけどな!」

 

 そうは言っているものの、キバオウはどこか安心したような顔だった。オコタンから聞いた話では彼はギリギリまで反対していたとのことだったので、キリトに抜け駆けがバレてギルドフラッグを確保されたという一点を除き悪くない結末だったのではないだろうか。

 

「ほな、帰らせてもらうわ。お疲れさん!」

 

 階段を下ろうとするキバオウだったが、キリトはフラッグをストレージに入れながら慌てて声をかける。

 

「ちょっと待った、六層の転移門がもうアクティベートされてるはずだから、カルルインに戻るならそっちの方が早いぞ」

 

「……そうかい」

 

 キバオウはキリトとすれ違うその瞬間、小さな声で言った。

 

「……おおきにな」

 

「…………」

 

 キリトは無言でALSの抜け駆け部隊を見送る。静寂が戻ったボス部屋で、少年はやっと終わったと階段に座り込んだ。

 

「………はー、つっかれた……。キバオウが他の連中より冷静で助かったな…。後でリンドにも同じ話をするとして、ちょっと休んだら俺たちも行こうかアス、ナ…?」

 

 キリトは涙を流しているアスナに動揺する。

 

「あ、アスナ…?」

 

 呆然と彼女の名前を呼ぶ。何故今頃になって泣いているのかが理解できなかったのだ。泣いているアスナを見たドルガモンはあわわわと慌てふためいた。

 

「……キリト、なんかアスナを悲しませることしたぁ!?」

 

「心当たりがまったくございません!!」

 

「なんなのよ、あの人たち…。キリト君は命がけで戦ってちゃんと交渉して…あんなに頑張っていたのに…。どうしてあんな酷いことが言えるの!?」

 

 キリトの脳がその内容を吟味し理解するまで数秒かかった。

 

(……………え?もしかして…アスナは俺のために泣いてる?)

 

「こんなの間違ってるわ…!あの人たちは自分たちの集団が一番になることにしか興味がないし、自分たちの仲間じゃなければ積極的に排除しようとして…そんな人たちのためにキリト君が傷つくことなんてないよ……!」

 

 アスナの涙は止まることなく流れ続ける。キリトは思考をようやくまとめて言葉に出すことに成功した。

 

「……アスナ、俺なんかのために泣かなくていいんだぞ?俺が叩かれた結果攻略集団が一つにまとまるんなら幾らでも悪役に徹するよ。アルゴやアスナ、ドルモンが酷い目に遭うよりずっといい」

 

「……そんなの納得できないわ。誰のために泣くかはわたしが決めるの!」

 

 アスナは袖で涙を拭いてから、優しく微笑んだ。

 

「……だから、わたしがキリト君をいっぱい褒めてあげる。わたしがキリト君にしてあげられることなら、なんでも言って?」

 

「え、えぇ……?」

 

 キリトは首をかしげながらしばらく考え込む。そんな彼を見ながら、アスナは彼がとんでもないことを言いだしたらどうしようかとちょっと焦っていた。

 

「んー…い、いや!大丈夫だよ…。そう言ってもらえるだけで充分……」

 

「ならこっちに来て!ドルガモンも!」

 

 アスナは二人を手招きすると、ぎゅっと抱き寄せた。

 

「わー」

 

「!!!」

 

 アスナはそのままキリトとドルガモンの頭を撫でる。優しい手つきとアスナの温かさを感じながら、キリトは自分の涙腺も緩み始めたことに気づいた。

 

(……誰かに頭を撫でられるなんていつ以来だろうな…)

 

 今まで余裕をもって攻略に臨んでいたと自分では思っていたキリトだったが、アスナやドルモンがいなければ何処かで心が折れていたかもしれない。そんなことを思いながらキリトはしばらくアスナにされるがままになっていた。

 

 

 数時間後、五層主街区のカルルインには多くのプレイヤーが集まり、カウントダウンパーティーを楽しんでいた。

 

「「「5、4、3、2、1……ハッピーニューイヤー!!」」」

 

 2023年の訪れと共に花火が打ちあがり、夜空に大輪の花を咲かせる。プレイヤーたちの中には圏内なのを良いことに壁に向かってソードスキルを打ち込む奇行に及ぶ者もそこそこいた。

 キリトたちはそんな花火と賑わいを同時に眺められる古城遺跡のテラスで乾杯を行った。

 

「キリト君、アルゴさん、新年あけましておめでとう!」

 

「イエーイ、今年もよろしくネー」

 

「おう、あけおめ!」

 

 シャンパンを一気に飲み干したキリトたちをよそに、ドルモンは肉をモシャモシャ食べながらフルーツを齧っているフローラモンと話していた。

 

「ところでコレなんの記念日?」

 

「……さあ?まあ美味しいものがいっぱいあるならいいじゃない」

 

 デジモンたちは不思議そうに首をかしげている。

 

「人間は一年の始まりを祝うのよ。……それにしても、花火が綺麗ね」

 

「アレ、圏外で使ったら敵にダメージ与えられたりするのかな?」

 

「イヤー、さっきたまたま会ったシヴァっさんに聞いたんだケド、どうも圏外じゃ使用すらできないっぽいゾ。残念だったナァ、キー坊!」

 

「俺そんなに残念そうな顔してた……?……2023年かぁ。もう二ヵ月も経ったんだな」

 

「……うん。引きこもっていた時は一日が長く感じてたけれど…今は本当にあっという間。忙しいっていうのもあるけど、キリト君やドルモンと一緒にいるからかなぁ」

 

 アスナの言葉を聞いたドルモンはうへへと笑顔になる。

 

「アスナがそう思ってくれるのは嬉しいなぁ。ねぇキリト!」

 

「んー、まあな。……あ」

 

 キリトがシャンパンを注ごうとボトルを持つと、残りが少ないことに気づく。とりあえず全部注いでから飲み干し、仲間たちに声をかけた。

 

「……下で新しいボトルと食い物仕入れてくるよ」

 

「あ、わたしも行く」

 

「ニャハハ、二人ともよろしくナー」

 

 キリトたちはにこやかに談笑しながら移動する。

 

「面白そうなのあれこれ買ってこうぜ!」

 

「もう、キリト君の言う面白そうなのってトカゲの串焼きとかそういう変なのばっかりじゃない!自分一人分だけならいいけど、わたしは食べませんからね!」

 

「……………残念だなぁ」

 

 にんまりとからかう様に言ったキリトだったが、ぞわりと強烈な寒気を感じて立ち止まる。自分の背に、尖った何かが触れた。誰かに刃物を突き付けられていた。どう考えても悪ふざけの領域を超えている。

 

「………キリト君?………!!!」

 

 アスナにも同じように刃物を突き付けたのだろう、その人物は二人の耳元で囁いた。

 

「イッツ・ショーウ・タァーイム」

 

 キリトの肩に乗っていたドルモンはその声に悍ましさと嫌悪感を覚える。男の声からドブのような悪意しか感じられなかったからだ。

 

「…………誰だ」

 

「おおっと、じっとしてた方がいいぜ?動けばお前の女もろともズブリだ」

 

「……あら、ここは圏内よ?どんな攻撃力を誇る武器でも、人っ子一人傷つけることはできないわ」

 

 アスナの冷静な反論に、襲撃者は楽しそうに言った。

 

「オイオイ、気づいてないのか?このエリアはとっくに圏外だぜ?」

 

「……!」

 

 確かにこのカルルインは圏外と圏内の境界がかなり曖昧で、階段を降りただけで圏外に出てしまうこともしばしばある。キリトたちは会話しながら歩いていたので、圏外に出たという表示を見逃していても不思議ではなかった。

 

「………圏外だからってなんだ。そんなチャチなナイフでプレイヤーを殺し切れると本気で思ってるのか?」

 

「……そりゃ普通のナイフじゃムリだ。でもよぉ、このナイフにレベル5のダメージ毒と麻痺毒を塗ってたら話は別だぜ?」

 

「……なに?」

 

 こんな低層でレベル5の毒を入手するなどありえないとキリトのため込んだ知識は否定する。五層時点でプレイヤーの入手できる素材ではどう頑張ってもレベル1の毒しか入手できないはずだ。しかし、ベータでの知識がいつも正しいとは限らないことをキリトは知っていた。

 

(………もし、レベル4成熟期デジモンの中に毒の生成に特化したヤツが存在するとしたら?俺たちはデジモンのことを全く知らない…。コイツの言っていることが本当なら、ナイフを刺された瞬間に終わりだ……)

 

「…………目的はなんだ」

 

 キリトの問いに、男はクククッと笑う。愉快そうな声色なのに感情がまったく感じられない空虚そのものな笑い声であった。

 

「決まってるだろ兄弟(ブロ)……面白れぇからさ」

 

「……は?」

 

「俺は楽しみたいんだ。こんなビッグ・ステージをショボい小火(ボヤ)で終わらせるなんざつまんねぇだろ。観客ごと火達磨になるようなデッケェ花火もいいし、連鎖式で吹っ飛ぶのも最高にエキサイティングだ」

 

 キリトはその発言で、ようやく背後にいる男が誰なのかを悟る。名前も声も知らないが、存在だけは知っていた。

 

「……お前、モルテたちPKのボスか。ネズハに強化詐欺を教えたりALSとDKBを潰し合わせようとしている…《黒ポンチョの男》」

 

 男は口笛を吹いて肯定した。

 

「へぇ、中々センスのいいニックネームだな。ジョン・ゲイシーっぽくて好きだぜ。……さあて、そろそろ場所を変えようか?」

 

「………何処に行く気?」

 

「もちろん地下さ。殺人鬼は地下室でいちゃつくカップルを解体するもんだろ?」

 

 アスナはそれを聞いて、急に笑い出す。キリトはアスナが恐怖でおかしくなったのではと背筋が凍る。

 

「ふ、ふふ……あははは!ねぇピエロさん…迂闊なことは言わない方がいいわよ?」

 

「…………アン?」

 

 殺人鬼の疑問の声には答えず、アスナはナイフに自ら刺さりにいく。服を貫通し少女の柔肌を貫く……かに思われた。

 

 犯罪防止コードの紫色の障壁がナイフを阻む。アスナは黒ポンチョの男が嘘をついていたことに気づいたのだ。ここが圏外ならわざわざ地下に連れ込まずに毒のナイフで刺せばいい。そうしなかったということは彼はブラフでキリトたちを騙し、言葉巧みに圏外へ連れ出そうとしたのだ。

 

「シッ……!」

 

「に……逃がすかぁ!!」

 

 キリトはナイフに自ら刺されにいったアスナに一瞬反応が遅れるが、すぐに再起動して逃走を始めた黒ポンチョの男を追いかける。キリトは《スラント》を発動させながら叫んだ。

 

「ドルモンッ!!」

 

「止まれっ!!」

 

 男はドルモンの《メタルキャノン》と《スラント》をとても人間業とは思えないスピードの跳躍で回避し、追撃を行おうとしたアスナに向かって球体を放り投げた。アスナはそれを切り払うが、玉っころは黒い煙を放出して周囲を満たした。毒ガスの可能性を考えたキリトは叫ぶ。

 

「アスナ、息を止めろ!」

 

「っ!!」

 

 息を止めたアスナと入れ替わるように、キリトは《レイジ・スパイク》で敵のいるであろう場所を切り裂いたが、そこには何もいなかった。

 

「………逃げられたか」

 

「なんて逃げ足の速い奴…人混みの中に逃げられたらもう無理ね」

 

 アスナは悔しそうに呟く。キリトはそんな彼女に詰め寄って問い詰めた。

 

「アスナ、どうしてあんなことをしたんだ!?もしこの場所が圏外だったら大変なことになってたぞ!!」

 

「別に対策がなかったわけじゃないわよ」

 

 アスナは自慢げに装備していたペンダントを見せる。

 

「友だちから貰った自作アクセなんだけど、自壊と引き換えに一回だけどんな毒も無効化してくれるの。だから刺されても一回は大丈夫ってわけ」

 

「………は、はぁ!?どんな毒でも一回セーフって、レベル5の毒もか!?使い捨てとはいえ強すぎるだろ……!」

 

 キリトはそんなとんでもアイテムをポンとプレゼントした彼女の友人に頭を抱えた。このままではアスナの金銭感覚はめちゃくちゃになってしまうのではないかという不安感があったが、彼にはどうにもできない。

 ふとキリトが地面を見るとアスナに突き付けられていたであろうナイフを発見し、それを拾い上げる。闇夜で目立たないように黒いコーティングか何かをされているナイフに毒が塗られている様子はなかった。

 

「………普通のナイフだ」

 

「……今のところあいつらもレベル5の毒なんて持ってないみたいね。……できれば下層にいるうちに決着を着けたいところだけど……」

 

 アスナのため息はカルルインを包む熱狂にかき消される。後にラフィン・コフィンと呼ばれるPKとの戦いは、まだ始まったばかりであった。

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