キリトも、アスナも、鍛冶屋のネズハですら砕かれた《ウインドフルーレ》に反応ができなかった。
いち早く行動を起こしたのは、キリトの肩に乗っかっていたドリモンだった。
「アスナのけんをかえせ!!」
ドリモンがキリトの肩から飛び降りながら、ネズハの右腕にかみついた。
「うわあああッ!!?」
「な、何やってるんだドリモン!?」
キリトは相棒の凶行に顔を真っ青にしながら引きはがそうとする。
「キリト、こいつわるいやつだ!いまアスナのけんを…!」
「落ち着け、落ち着くんだ!!…おいアンタ、今から大切な質問をさせてもらうぞ、いいな!?」
「は、はい!」
ドリモンを手で取り押さえたまま、キリトは鬼の形相で質問を始める。
「俺はベータテスターなんだけど、強化失敗の
ネズハはか細い声で答えた。
「……正式サービスで、新しい
「………。信じるしか、ないのか…」
「あの、本当に申し訳ありません……。同じ武器を補填するのが一番なんでしょうけど、ウインドフルーレの在庫はなくって…。その、アイアン・レイピアが今取り扱ってる一番スペックの高い細剣なんです…」
「………いらない。たとえ同じウインドフルーレがあったとしても、あの子を壊したあなたから受け取るなんて嫌…!!」
アスナの声は、吹雪のように冷え切っていた。
「………ごめん、なさい…。せめて、せめて手数料の返金、を…」
「……悪いなネズハさん、アンタが悪いわけじゃないんだけど…。これ以上ここに居たら、俺も我慢の限界がきそうだ。…今日のところは帰るよ」
キリトはアスナの右手をぎゅっと掴み、その場を後にした。
「………アスナ、大丈夫か?」
キリトはアスナにそう聞いてみるが、大丈夫なわけがないと内心ではわかっていた。氷のように冷たいその手は、まるで作り物のようにも感じてしまう。
「ほら、こんなとこにベンチがあるぞ?ちょっと休もうぜ、な?」
「………うん」
キリトたちはベンチに座り、大きくため息をついた。
「……アスナ、これから俺は…きみに物凄く残酷なことを言わなくちゃいけない」
「……うん」
「ウインドフルーレは、どんなに大切に使っても三層終盤以降は通用しなくなる。剣との別れは、前に進むのなら必然的に訪れる結末なんだ。…MMOに限らず、RPGってそういうゲームなんだよ」
キリトはアスナに言い聞かせるように伝えるが、彼女は俯いたままだ。
「……嫌よ。……わたし、そんなふうにしたくない…!わたしは、剣なんてただの道具でポリゴンの塊だとしか思ってなかった…。でも、ウインドフルーレを使うようになってわかったの!アイアン・レイピアを使い潰して前に進もうとしていたわたしは、間違っていたって…」
「アスナ…」
「羽根みたいに軽くて、綺麗で…、親友からもらった友情の証だったのに……」
キリトは、ふと昔の自分も似たような経験をしたことを思い出す。
「……小学校に上がったばっかりのころに、初めて自分で
アスナはじっとキリトの方を見つめている。ドリモンもさっきまで騒いでいたのが嘘のように静かだった。
「最終的に近所に住んでた子にお下がりとしてあげることになっちゃってさ、それがイヤだった俺は自転車屋のおっちゃんに匿ってくれって頼んだんだ。そうしたらおっちゃんは自転車のフィキシング・ボルトを一本外してドヤ顔でこう言った。『こいつは自転車にとって一番大切なパーツで、このボルトを新しい自転車につければその魂は受け継がれる!』…って。今でも、一号機と二号機のボルトは三号機に使ってる。……子供だましだって笑うかい?」
「……ううん、笑わないわ」
「ぼくもわらわないよ」
「……SAOの武器製造システムには、剣をインゴットにしてからそれを材料に新しい剣を造れるオプションがある。……だから、きっと剣だっておんなじだ。効率重視の人からは正気を疑われると思うけど、魂を受け継いでいった剣は、きっとプレイヤーを助けてくれるって俺は信じたい」
アスナは涙を拭うと、キリトに微笑んだ。
「……ありがとうキリト君、慰めてくれて…。……じゃあ、宿に戻りましょうか」
「…ああ、そうだな。ガーズレイピアを使うにしても、新しい剣を調達するにしても今日は休んだ方がいい」
部屋に入ろうとしたアスナにキリトたちは声をかける。
「…アスナ、自惚れかもしれないけど…俺は、きみを置いて先に行ったりしないからな」
「ぼくはかなしんでるアスナより、ケーキをたべてるときのしあわせそうなアスナのほうがすきだなあ…。またあした、おいしいものたべようね?」
アスナは涙をこらえていたが、部屋に入る直前に泣いていた。
キリトとドリモンは顔を見合わせる。
「……ないてた、ね」
「…ああ、泣いてたな」
「これからどうするの?」
「………まずは、アルゴに話を聞こう。あいつの情報網なら何か掴んでるかもしれない!」
キリトがアルゴに呼び出しのメッセージを送ると、『すぐそっちに行く』と返事が返ってくる。
待ち合わせにやってきたアルゴは息を荒くしながら全力で走ってきたようだ。
「キー坊、来たゾ!」
「…いきなりで悪いけど、頼んだ件のこと何かわかるか?」
キリトは呼び出しメールに依頼を書いていた。
「ああ、そのことなんだガ…。この短時間でアーちゃん含めて四人も鍛え上げた武器をロストしてるそうダ。返事待ちもまだいるから、多分それ以上に被害は出てル…。キー坊たちの勘は正しいヨ、これは事件ダ!」
アルゴの言葉にキリトとドリモンは眉間にしわを寄せた。彼女は説明を続ける。
「そもそも、武器強化の
「や、やっぱりあのかじやわるいやつなんじゃん!」
ドリモンがまた怒っていたのを見たキリトは、この小さな生き物は強化の時に何を見たのか気になった。
思えば、この小さな友人はウインドフルーレが折れた瞬間からネズハを敵と判断していたのだ。
「なあドリモン、どうしてあの鍛冶屋にかみついたんだ?」
「アスナのけんがおなじかたちのけんといれかわるところをみちゃったんだよ!たぶん、きょうかがもうできないやつとすりかえたんだ!」
「……ということは…ウインドフルーレはまだあいつのストレージ内にある!」
アルゴはそれを聞いて、まだ一つだけ手が残されていることに気づいた。
「キー坊、強化を頼んでからどのくらい時間がたっタ!?全アイテムオブジェクト化ならまだアーちゃんの剣を引っ張り出せるかもしれないゾ!!」
「あと十分で一時間だ、もう時間がない!!」
アスナが悲しみを忘れるために頑張って寝ようとベッドに入った瞬間、ドアがいきなり開け放たれた。
「きゃあっ!だ、誰!?」
「アイテムを全部出せェ!!」
「やめろキー坊、それじゃ強盗のセリフじゃねーカ!!」
アルゴの特徴的な声で、アスナは入ってきた誰かが知り合いだということに気づき驚きの声をあげる。
「………え、アルゴさんとキリト君?なんで…?というか鍵閉めてたのにどうやって!?」
アルゴは一瞬だけ微笑んだが、すぐに顔を引き締めた。残り五分で複雑なコマンドを実行しなければならないし、そもそも彼女が新しい武器を装備していたら剣は取り戻せない。
「アーちゃん、わけわかんないだろうケド、今は言う通りにメニューを開いてくレ!!時間がなイ!!」
「は、はい!」
「まずはメニューを可視モードにするんだ!!」
「後で説明しなさいよキリト君!!」
「いそげいそげー!」
アスナが新しい武器を装備していないことを確かめたキリトたちは記憶を頼りに指示出しをしていく。
やがてアスナは見覚えのないボタンが現れて困惑した。
「なにこれ、オール、アイテム…?」
「イエェェェェスッ!!」
「わあっ!?」
キリトのシャウトに驚いたアスナは慌ててイエスボタンを押す。
アスナはイエスボタンを押した直後、その文字列を読んだ。
「《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》?……ねえキリト君、オールアイテムってどこまで?」
キリトは満足そうな笑みでアスナに答えた。
「もちろん、全部に決まってるじゃないか!アスナの持ってる全アイテムが、ぜーんぶオブジェクト化する!!」
「………は?」
アスナのストレージ内からすべてのアイテムが消滅し、部屋の中にばら撒かれる。
「ドリモン、行けーッ!!」
「さがせー!」
衣服と下着が大量に積み上がったそれに、キリトとドリモンが突っ込んだ。アスナは羞恥と怒りで凄い顔になっている。
「……ねえ…きみたち、もしかして死にたいの……?殺されたいヒトたちなの……?」
「まさか!」
キリトは積み上がったものからウインドフルーレを見つけ出すと、彼をどうやって処刑してやろうかと考えていたらしいアスナに差し出した。
「………うそ」
「大丈夫だアスナ。ちゃんときみのウインドフルーレはここにある」
アスナは奇跡の復活を遂げた細剣に涙を流しながら抱きしめた。
数分後、キリトが夜食を買って戻ってくると、アスナは戻ってきたウインドフルーレを大事そうに抱え込みながらアルゴと話していた。
「オウ、おかえりキー坊。何買ってきたんダ?」
「えーと、ウルバス周辺にいる牛の肉を使った肉まん。結構熱いから気を付けろよー」
「わーい、いただきまーす!」
キリトたちは甘辛いたれで味付けされた肉まんを美味しくいただいてから、アスナに何が起こったのかを説明することにした。
「まず、破壊されたはずのアスナの剣がどうして全アイテムオブジェクト化で出てきたかというと…。まあ実際に見た方が速いな」
キリトは自分のメニューを可視化して装備欄を見せた。
「今、俺は《アニールブレード+6》を装備しているわけだけど、例えばこれを床に落としたりすると…」
キリトの装備欄に表示されていたアイコンは薄くグレーアウトした。
「これが装備武器の
「イヤー、懐かしいネ…。トラッパーとガジモンに襲われたの、もう一ヶ月も前なんだナ…」
「すっごく厄介なのよねあいつら…。大体セットで出てくるし厄介な攻撃ばかりだから生息域にはできる限り近づかないようにしてたわ」
ドリモン以外の三人は苦々しい顔をする。害悪コンビのせいで死んだプレイヤーは多い。
攻略本にもその危険性は書いていたものの、《
「アスナ、俺の剣を拾ってみてくれ」
「…わかった、これでいい?」
アスナがキリトの剣を手に持つと、キリトの剣があった装備欄が空白になってしまっていた。
「落とした武器を敵が拾ったり誰かに渡したりすると、こういう風に装備欄は空白になってしまうんだ。この状態は色々と呼び方はあるけど、そこは置いといて…。問題は、
「……ッ!?」
「だけど、一見何も装備されていないこの状態でも、そのアニールブレードの《装備者情報》はクリアされていない。この装備権は単なるアイテム所有権より強く保護されていて、装備中のアイテムは3600秒、所有アイテムは300秒で情報がクリアされてしまう。あと、同じ手に装備を上書き装備してしまうと装備権で守られなくなるのも知っておくべきだな…」
「……つまり、さっきまでわたしのウインドフルーレは《武器渡し》状態で鍛冶屋さんのストレージに入ってたってことになるのかしら…」
「ああ、この状態から武器を奪い返すには、アスナが武器を装備していない状態で3600秒以内に全アイテムオブジェクト化で全てのアイテムを床にぶちまけるしかなかった」
キリトは長い説明を終え、一息ついた。この説明でも、まだ言いたいことの半分しか言えていない。
「…ところでキリト君。この全アイテムオブジェクト化ってなんでこんなややこしい操作をしなきゃいけないの?」
キリトが質問に答えようとするが、先にアルゴが答えてしまった。
「今アーちゃんが言ったそのまんまだヨ。これはあくまでも最終手段として制作側が用意したんだろうナ。そんなホイホイ使えたらキー坊みたいな悪ガキが悪用するゾ!」
「………あー…、やりそうですね…」
「ひ、酷いぞ!!」
アスナたちは楽しそうに笑っていたが、キリトは話を続けることにした。
「…とにかく、剣を取り戻せた理由は理解できたと思う。……次は、あの鍛冶屋ネズハについて話そう。……状況証拠から見て、彼は《強化詐欺師》だ…!」
「強化、詐欺師…?」
アスナは聞き覚えのない単語に首をかしげたが、詐欺という単語に眉をひそめた。
「ああ、MMORPGにおいて行われることがある悪事の一つだ。強化素材のネコババ、強化失敗による武器の破壊…バリエーションは多い。なにせ、従来のMMOでは強化は相手の画面で行われていて、成功しているか失敗しているかすらわからない。当然やりすぎれば悪評で客自体来なくなるけど、たまに詐取すれば儲けは出る…」
「……強化をするだけでも、人の良心が試されるのね」
「そう、その点で言えばあの鍛冶屋は真っ黒だ。ドリモンが見ていたんだ、アスナの剣が同じ種類のエンド品にすり替わるその瞬間を…!!」
「……これから、どうするの?」
アルゴとキリトは口をつぐんだ。……最初に口を開いたのはアルゴだった。
「……アーちゃんの剣を取り戻せたのは本当にギリギリだっタ。オイラは情報屋として、あいつを潰さなきゃいけなイ。……これ以上、被害が出る前にナ」
「……いや、ここは慎重にいくべきだ。ウインドフルーレが奪い返されたことはアイツもわかってるはず…。なあ、アルゴ。お前、自分が強化詐欺をしたとしてその武器どうする?」
「………NPCに売り払って足がつかないようにするだろうネ…。そうなった場合被害者の怒りを鎮めることはできないゾ」
「……あるだろ、たった一つだけ最悪の解決手段が。こんな事件が
アルゴはその言葉を口にしたくない様子だった。…それを言ってしまえば、現実になってしまうような気がして怖いのだろう。
「……
「………キル…って、殺すってこと?それは駄目よ!そんなことをしたら、人殺し……!」
「そう、それだけは避けるべきだ。罪を償わせるにしろ、取り返しのつかない方法は駄目だ」
それを聞いていたドリモンは首をかしげた。
「どうしてさけるべきなの?」
キリトは、まだまだ小さなドリモンに言い聞かせるように説明した。…この小動物に人間の論理感が通じるかは少し怪しいが、説明した。
「まず、前例を作ってしまうのがまずいな。もしネズハが強化詐欺の一件で処刑された場合、似たような事件が起きた時の処刑のハードルは下がる」
「キリト君、それじゃ多分ドリモンはわかんないよ。あのね、ドリモン。もし鍛冶屋さんがこの事件の罰で死んじゃったら、次に悪いことをしてしまった人も殺せっていう人が出てくるわ。わたしもキリト君もアルゴさんも、それは嫌だなって話なの」
「うーん…。ひとつだけわかったよ、アスナたちはあのかじやがしんだらかなしいしこまるんだよね?…ぼくはうまれたばかりだからわかんないことはおおいけど、がんばっておぼえるよ!」
長い一日が、終わろうとしている。この日キリトたちは、強化詐欺との暗闘を決意する。
…だが、後に強化詐欺事件としてSAO事件史の最初のページを飾る大事件になることを、この時の彼らはまだ知らなかった。