水の中にいるような気分だった。意識はほとんどなく、周りの音も声も聞こえない。それに、あまり思考もまとまらない。
『ター……サ…ター!…かり……しろ……!』
誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。聞き慣れた声だ。拭いても拭いても落ちない汚れのように脳味噌に染み込んでいる。
『サビター!意識を保て!寝るんじゃない!俺を見ろ!』
見覚えのある金髪が俺の視界に映り込んだ。ジョニーだ。しかしおかしい。視界が狭い。見える世界は朧げで奴の顔も、景色も、半分ほどしか写っていない。
『癒しよ!癒しよ!癒しよ!癒…し……お願い……!治って……』
俺の後ろから、セアノサスの声が聞こえた。啜り泣いて回復魔法を唱えている。誰に向かって唱えているんだ?と俺は疑問に思い、辺りを見回そうとする。だが、首が動かない。というより全身が動かない。感覚が無いのだ。
『セアノサス!サビターは!?治るか!?』
ジョニーのかつてない焦り様に、俺は内心ほくそ笑んだ。普段は冷静沈着、冷や汗の一つも見せないこの男が、今は何故か動揺し、不安そうな表情をしていた。
『…ダメです……吹き飛んだ脳の損傷があまりにも激し過ぎて、治せません……!』
セアノサスは泣きじゃくりながらそう言っていた。俺は朧げな記憶を辿りながら思い出した。そうだ、俺は戦場で、マッドギアの自爆特攻から部下を守ったんだった。そのせいか、俺は爆発をゼロ距離で受け、致命傷を負っていた。
脳味噌は眼球と一緒に半分吹き飛んで、身体には爆弾の破片、それと自爆特攻した奴の血肉と骨が俺の身体に埋まっていた。
『サイラルクを!サイラルクを呼べッ!』
ジョニーが切羽詰まった様子で誰かを呼んでいた。サイラルク……俺はその名前に心当たりがあった。だが思い出せない。棚の下におもちゃが入り込んでしまった犬のように、俺は突っかかりが取れなかった。
『此奴がサビターか……噂に聞くだけあってやはり不死身じゃの。頭半分吹き飛ばされてもまだ息をしているとは……』
『サイラルクッ!例のあの試験薬を寄越せ!』
サイラルクとやらが現れたのか、ジョニーは彼の胸ぐらを掴み、今にも噛みつきそうな勢いだった。
『いや、ダメじゃ。コレはまだ試験段階、まだ使用段階には至っていない。今使えばどんな副作用が起こるかわかったものじゃないぞ』
『黙れ!さっさとあの薬を出せ!さもなければ……!』
『ぐッ……分かった!分かったから剣の柄に手をかけるのをやめろ!』
さもないと、奴は何をするつもりだったんだ?いつものアイツらしくない。普段は俺達の中で最も冴えているジョニーが、俺の事で冷静さを失っていた。
『この薬は…完成してから使うはずじゃった!ワシは不完全な物は嫌いじゃ。この屈辱……忘れはせぬぞ。ジョニー・ニーニルハインツ』
そう言って、サイラルクはローブの袖の懐から一本の注射器を取り出した。色は暗い青色で、黒に見えるソレを、サイラルクは俺の心臓に突き立てた。
「ッハァァ!?」
俺は意識を取り戻した。今まで俺が見ていたのは夢だった。
それも過去の物だろう。今まで何故か忘れていた記憶について色々考えていたかったが、最後の俺の記憶が正しければ、俺はストロベリーナイトに心臓を剣で串刺しにされたはずだ。俺は首だけ起こし、胸を見る。剣は既に抜き取られていた。
俺はムクリと起き上がり、辺りの様子を見渡した。ライラ達が無事かどうか確認したかった。だが、俺が見た光景は俺の予想を遥かに超えた物だった。
「ハァーッ……ハァーッ……!」
息を切らしながらライラが杖を持って何かに対して馬乗りの態勢を取っていた。その様子はいつもの彼女らしからぬものだった。殺伐とした雰囲気を纏い、目は殺意や憎悪に満ちた人殺しの目のそれだ。
「……」
地に伏せて力なく倒れている人物がいた。俺の目には、ライラがストロベリーナイトを制圧していた場面が映っていた。装甲は殆ど剥がされ、剣は粉々になり、奴の兜は完全に破壊され、素顔が露わになっていた。初老の男だった。死んでいるのか、気絶しているのか分からないが、白目をむいて仰向けになっていた。
ライラは男の首に杖を突き付け、もはや生殺与奪の権利は彼女の物だった。
「どうなってんだ一体……」
俺はアリーシアとタマリが無事かどうか確認するため辺りを見回す。アリーシアとタマリは俺のすぐそばにいた。そして彼女等も俺と同様唖然としていた。たった一人であの屈強な騎士を無力化していたのだ。一度負けたという話はウソだったのだろうか。
「おい、ライラ……こりゃどういうことだ?」
「サビター!復活したのか!?」
ライラは俺の声に驚いて振り返り、急ぎ俺の元に駆け寄った。
「サビター!傷は平気か?痛みはあるか?」
矢継ぎ早に俺に質問を浴びせてくるライラ。俺は「あぁ」とだけ言って立ち上がった。
「嘘……確かに心臓を貫かれたのに……」
アリーシアもタマリも信じられない物を見るような眼で俺を見た。それもそうだ。散々言っていたが、実際に見せるのは初めてだからな。
「言ったろ。俺は不死身だって。これが俺の二つ名の由来だ」
「て、てっきり私は比喩で言っていたのかと……」
「不死身って言うよりゾンビだね」
各々が勝手に俺に対する評価を言いたい放題に言いまくり、俺はため息を吐いた。周りが安堵する中、ライラだけは、不安そうな、壊れ物を見るかのような目で俺を見ていた。
「なんだよ。何か聞きたいことでもあるのか?」
俺はライラにそう言うと、ライラは一瞬躊躇った後、再び口を開いた。
「サビター…お前は──」
「うぅ……」
ライラが何か言いかけたその時、ストロベリーナイトがうめき声を上げた。すぐ様ライラは杖を奴に向け、アリーシアは格闘態勢に入り拳を固め、タマリもライラとは違う短い魔法用の杖を構えた。
「渡さない……あのいちごだけは……あれは、ハルの、宝物……」
這いつくばり、何とか膝を大地に付けて立ち上がったものの、既に奴は満身創痍だった。鎧はほとんど破壊され、剣も盾も破壊された。武器も防具もないのに、ほとんど執念だけで立ち上がり、目には決意が感じられた。
だが一瞬立ち上がった後、それで気力を使い果たしたのか、奴は再び地面に倒れ伏した。
俺達はストロベリーナイトの元に歩み寄り、彼の顔を見た。
「コイツ…なんでここまでしてこの農園を守ってんだ?」
「ハル、と言う人物が気になりますね。この方と縁のある人物なのでしょうか」
俺は奴の顔を見つめた後、あることを決め、ライラに耳打ちする。
「ライラ、ポーションをくれ」
「何に使うんじゃ?」
「コイツを起こす。事情を聴いたほうがよさそうだ」
「でも回復させたらまた僕達を襲うかも」
「大丈夫だ。数滴垂らせば全快はしない」
俺はタマリとライラにそう言うとポーションを受け取り、ストロベリーナイトの口元にポーションを三滴垂らした。すると彼の唇はムニムニと動き、その水分を補給するべく、無意識の内に吸収した。
「……?」
彼は目を覚まし、俺達に取り囲まれているのを掟から数秒で理解し、顔が強張った。
「なんだ、何が目的だ」
「分かってるだろ。いちごだよ。俺達はずっといちごが欲しくてアンタと戦ってたんだ」
「ダメだ。お前らには渡せぬ。俺はあのいちご農園を死んでも守ると約束したんだ」
「それって…ハルという人とですか?」
アリーシアがハルと言う名前を口にした途端、彼の顔は幾分か緩んだ。
「…あぁ。あのいちごは、ハル……俺の妻が育てた物なんだ。ハルは騎士道しか知らないこんな私を愛してくれた」
ストロベリーナイトは感慨深く、思い出に浸るように話し始めた。
「ハルが育てたいちごは、他の農家のいちごとは比較にならない程高品質だった。口の中に入れれば甘味と酸味が弾け、栄養価が高く、一つ食べてしまえば病魔も怯えて逃げる程の物だった。それ故に、盗んで転売しようとする悪党共が私達の家に侵入したことも何度もあった。だから俺は再び鎧と兜を被ることに決めた。ハルが寿命で天に召された後も、私がここを守るためにな」
俺達は彼の話を黙って聞いていた。まさか彼にはそんな深い事情があるとは露程も知らなかったからだ。
「ストロベリーナイト……お主の本当の名は何という?」
「エリックだ」
「エリック……ワシ等は、どうしてもお主のキングいちごが必要なんじゃ。買わせてはもらえぬか」
「お願いします、エリックさん。私達…貴方とハルさんのいちごを使って最高のいちごタルトを作りたいんです!」
ライラに続いてアリーシアも頭を下げてお願いした。俺もタマリも互いを見合って頷くと、俺達二人もエリックに向かって頭を下げた。
「頼む。アンタのいちごがあれば、コイツが、一流の錬金術士のライラが必ず世界一のいちごタルトを作る!そのためにもどうかアンタのいちごを売ってくれ。アンタの言い値でいいんだ」
「おねがいします」
俺達全員は90度に頭を下げた。エリックは何も言わず、沈黙を数秒貫いたが、「そうか……」と一言笑いながら呟いた。
「君達は、菓子屋なのか」
「あぁ、最近開いたばかりだけどな」
「私の妻も、いちごタルトを作るのが好きだった。そして、その作ってる姿をみるのはもっと好きだった」
そう言ってエリックは左腕を上げ、農園の方に指を差した。
「採っていけ。金は売れた後に返せばいい」
エリックに言葉に、俺達は顔を上げ、笑みを零せずにはいられなくなった。
「ありがとうエリック!本当にありがとう!」
タマリが笑顔でエリックの両肩を掴み、激しく揺さぶる。エリックは顔を青くさせながら「やめてくれ」と何回もうわ言のように言った。
「おいライラ!この人にポーションを全部飲ませてやれ!」
俺はエリックの厚意に甘えっきりと言うわけにもいかないと思い、ライラに傷を癒すよう言った。
「当ったり前じゃあ!ほれ、エリック。これはワシ特製のポーションじゃ!飲めば全回復じゃ、遠慮せずにどんどん飲めィ!」
ライラは鞄から出した一瓶のポーションを文字通り浴びせるようにエリックに飲ませた。手のひら大の大きめのボトルの中のポーションの蓋を取り、エリックの顔にぶちまけた。本人も最高級のポーションを浴びるように飲めてとても喜んでいることだろう。
「がががぼぼぼぼ……」
「そうか!咽る程美味いか!喜んでもらえて何よりじゃ!」
「いや、あの……彼溺れかけてるんですけど」
エリックの顔にドボドボと液体が音を立てて流れる光景を見てアリーシアは引きつった顔をしていた。
そして、本人から許可を得た俺達は、エリックが管理するキングいちごの農園の中へと案内してもらった。
そこは、日の光が燦燦と照らされ、緑の長い縦列が何列もあった。その緑の葉っぱの中に、ひときわ光る赤い宝石が実っていた。それこそ、俺達がもっとも探していた物だった。
「こ、これがキングいちごか……!?」
ライラは驚くように言っていちごのすぐ傍に近づいた。俺も気になっていたのでいちごが見えるように顔を葉の近くに近づけた。そのいちごは、通常のいちごよりも一際明るい赤色で、つぶつぶの種が鱗のようについており、上は極厚、下は円錐状になっている。まるでハートのような形だ。
「食べてみろ」
エリックが茎からいちごを採り、頬張りながら一つを俺に渡した。
「えっ、いいのか?」
「あぁ。スイーツを作るんだろ?なら素材の味は知っておかないとだろ?他の皆も、茎から自由に取っていい」
俺は彼の言葉に甘えて、キングいちごを一つ受け取り、齧って見た。
齧った瞬間、果肉特有の甘味のある水が口内で爆発するように広がった。まるで果汁の詰まった爆弾が降り注ぐような感覚だった。
「……んんんんん!コイツは……かなり効くなぁ……!」
「いちごを食べた人間から出る言葉じゃないのう」
ライラが白けた目で俺を見た。俺はアヘアヘ言って舌をダラリと出しながら食べていた。確かにいちごを食べている人間のする行動ではない。
「じゃあお前も食えよ。俺みたいになるぞ」
俺はライラにそう言うと、ライラは「ならんわこのクソタワケが!」と言いながらいちごを茎から取り、「あーん」とわざわざ声に出しながらいちごを口に放り込んだ。
「…!こ、これは……!」
ライラは目をカッ!と瞳孔をはっきりと開きながらワナワナと手を振るわせる。
「ふぉいひい……」
「あっ?なんて言ったんだ?」
涙を流してうっとりとしてきるライラを尻目に、同じくキングいちごを食べているであろうアリーシアやタマリを見てみると、
「甘酸っぱい!甘酸っぱい!甘酸っぱくてジューシー!美味しい……!」
「うまいうまい」
アイツらはいちごを食べては茎からいちごを取り、食べては取るという一連の行動を繰り返していた。このまま放っておけば全て食い尽くしてしまいそうな勢いだ。
「おい、全部食べるなよ。ちゃんとカゴに入れろ。いちごタルトの分も考えておけよ」
俺はエリックから貰ったいちごの山に手を突っ込んでひょいひょいと口に運びながら奴らを注意した。
「お主がまずその食べる手を止めろ!」
ライラがいちごを食べながらキレる。全く、コイツらは俺が監視して見ておかないとダメな様だな。
「なぁ、悪いんだが残りは君達が作るスイーツの分だけにしてくれないか。それ以上食べられると本当に農園から消えてしまいそうだ」
俺は深刻そうな顔で詰め寄るエリックに気圧され、俺とライラ達は食べる手を止めていそいそとカゴの中にいちごを回収し始めた。
そしていちご狩りを始めて2時間あまりが過ぎた。既に日は暮れており、俺達は十分キングいちごを集めたのでエリックの農園からお暇することに決めた。
「エリック。いちごを譲ってくれてありがとう。必ず正当な報酬は払う。ワシのこの錬金術士の誇りに懸けて、な」
「いいんだ。そもそも、ひとりじめなんて事考えていたのが間違っていたのかもしれない。お金の代わりに、君達の作るいちごタルトを食べさせてくれ。それが報酬で十分だ」
エリックの謙虚な申し出に、ライラは「それではダメだ」と反対するも、エリックは右の手のひらをライラに見せて、「大丈夫だ」と言った。
ライラは「でも」とまたしても食い下がったが、エリックの微笑みの表情を見て、ライラはため息を一つ着き、「分かった」と渋々了承した。
「5日後うちの店に来いよ!限定メニューのいちごタルトをお披露目するからよ!」
「ああ、勿論だ」
俺はエリックにそう言うと、力強く頷く。俺はそれを機に帰ろうとしたが、一つ言い忘れていた事を思い出し、くるっと後ろを振り返ってエリックにこう言った。
「エリック、高級そうな服を着たお姫様が来たら、注視しとけよ。面白い物が見れるからな」
「…?ああ、分かった。覚えておくよ」
そう言って、俺達は今度こそ別れを言った。これで目的の素材は手に入れた。あとはライラとタマリに全て任せる。あのワガママお嬢様に目に物を見せてやれ、俺はライラに目で合図を送ると、ライラは親指を立てて頬の口角を上げ、ニカッとイタズラ小僧のように微笑んだ。