子持山(上)
ジャリジャリの砂利の飛び散る細い道路を、そんな道路を通るなどまったく考慮していない大型バイク──XJR1300で進む。
「うおっ、く!」
転ばないようゆっくり、セカンドでトロトロ走る。
国道17号から離れてしばし。目当ての山へ向かう今この途中。
酷道……とまではいかないが、状態のよろしくない道路をひた走っていた。
今回の目的は登山──群馬県渋川市の子持山(1296m)という山がターゲットだ。程よく雲のある晴天の、猛暑日である。
この『深夜渡航』では詳細を描いてないが、私はこの7月まででソコソコの数の山を登っていた。初心者に毛が生えた程度であるが、もう一端の登山者になったと言えよう。
しかしこの子持山は、だいぶ危険な山行になってしまったと自戒している。遭難はしていないが、一歩間違えればそうなっていた可能性が高い。
──恐ろしいことに同日、この山で他の登山者が滑落事故で亡くなっていた。私はその人物と会っていないと思うが、明日は我が身どころではない話だ。亡くなった方にはご冥福をお祈りする。
……とまぁ登る前の私はそんな事など露知らず、8:30。数多に点在する駐車場の、最奥の駐車場にて停車していた。
「傾斜がキツいな……」
そこの駐車場はそこそこ広く、舗装も良く、停まっている車も少ない。
しかしバイクを停めるには中々にキツい勾配で、イイ感じに停めるのに四苦八苦した。
「ふぅ。登る前から疲れさせてくれるぜ」
ようやくバランス良く停め、ザックをバイクから紐解いていく。
水をひと口飲み、ザックを背負い、タオルを首に掛け……
「よし、出発!」
首尾よくスタートを切った。これが地獄の片道切符……ではないが、苦難の登山の始まりだ。
スタートして直ぐのところに、屏風岩へと続く坂道の木道が出迎えてくれる。
と、この時もう一つの存在が私を出迎えてくれた。
「おう、
一人のオッサンが、車を横につけて居た。
私は直前の駐車場にバイクを停めて来たが、一応ここまで道路が続いているので車で来れないこともない。
まぁすでに半分登山道なので、私は車両で突入したくないが……
ともあれ、返事をする。
「はい。アナタも登山ですか?」
「いや俺は山を見に来ただけだ。この山は何回も登っててなぁ……、趣味だけどこんなん作って注意喚起してんだ」
そう言って見せてくれたのは、地図だ。
この子持山の国土地理院の地図(道標付き)・オリジナル簡易地図(ナビゲーション付き)・さらに簡易な、登山道を示すだけの地図の3種。
趣味でこんなん作ってたらもうガチではないか。子持山ガチ勢だ。
私はそんなガチ勢おじさんの地図3種を、ありがたくスマホでパシャる。
この頃は会員登録してはいないものの、ヤマップで道は網羅していた。だがナビゲーションはありがたいので、素直に受け取る。写真ならば荷物にも重量にもならないからな。
おじさんに「気を付けてな!」と言われながら、木道を上る。
この木道、苔が生えていてメチャクチャ滑る。
坂道であるし、一歩一歩確実に進まないと転んでしまう。
ゆっくりとした足取りで登りきり、私は屏風岩の前に立った。
それを岩と呼ぶにはあまりに巨大。
縦にも横にもデカすぎて端の見えないソレは、自然の雄大さをこれでもかと見せつけてくれる。
その一枚岩の下に、チョコンと小さな鳥居がアクセントのように佇んでいる。
非常に神秘的な、まるで境内のような風情が漂っている。
しかし、私の感動は薄かった。
何故ならコレを見るのは……ここに来るのは二回目だからだ。
屏風岩に来たのは、今から1ヶ月前。6/18。
本来ならその日にこの子持山を踏破する予定だったのだが、この屏風岩にまで来た時、何故かやる気がまったく沸いてこなかったのだ。
子持山のスタートラインとでも言うべきこの場所で昼メシ用の食料まで食べてしまい、そのまま撤退。
撤退の理由はそれだけではない。
その時、バイクを停めた場所にも問題があったのだ。
冒頭でも少し触れたが、この子持山には何故か駐車場が多く点在している。
私はその中でも比較的
調べの浅さが招いた自業自得なのだが、とにかくその時、この屏風岩まで来ていたのだ。
そして現在。
私はその時のことを思い出しながら屏風岩を眺め、上ってきた木道を下り始めた。
子持山のルートは、子持神社方面から登るとなると大雑把に分けて3つある。
ひとつはこの屏風岩沿いに流れる沢と共に登っていく、右ルート。これが多分通常ルートだ。
次に、浅間山へと登りメチャクチャ迂回して子持山へと至る左ルート。これは登りより下りルートとして選ばれるのではなかろうか。
そして最後に、そのふたつのど真ん中を駆け上がっていく中央ルート。私はコレを選んだ。
理由は特にない。ただなんとなく、前回来た時にこの道を歩きたいと思ったのだ。
木道から下りてきた私にガチ勢おじさんが一瞬だけ怪訝そうに顔を向けてきたが、特に何も言ってこなかった。さすがガチ勢おじさんだ、余計なことは言わないのだ。
そんな感じでようやく登山をスタートさせた私は、完全に独りとなった。
「はぁ……はぁ……っ」
夏真っ盛りの季節、濃ゆい緑が私を囲む。
息を少しだけ切らしながら、ゆっくりじっくりと進んでいく。
登山道が生い茂る緑に侵食されているが、道が分からなくなるほどではない。ピンクテープもきちんとあるし、地図も何故か生えた。
登山は軽快に進み、気に入った景色をパシャる。
木漏れ日で輝く木々。
オベリスクのように佇む岩の塔。
腐り落ちたのか、口を裂いて笑う悪魔のようになっている木の根元の残骸。窪んだふたつの目が芸術点高い。
道のりは順調だった。
ガチ勢おじさん以降、まっったく人の気配すらない状況。
これが登山の醍醐味とも言えるが、さすがにここまで誰も居ないと寂しく感じる。ルート確認はしっかりしなければ。
「ん?これは……」
10:30頃。
軽快に歩いてきた私だったが、ふと足を止めた。
地面が大きく抉れていた。
まるで川が流れていたかのような地面の窪みが、私を通せんぼするように立ちはだかっていたのだ。
私はヤマップを開き、地図を見る。
どうやらこの窪みを渡り、対岸を真っ直ぐ行くのが正規ルートのようだ。……しかし、目印となるピンクテープが見当たらない。
対岸をよく見るが、道らしい道も見えない。
「ふむ……」
ここで私は何を思ったのか、ヤマップのルートとは異なる道──対岸へ渡らず、そのまま右を向いて坂を登り始めた。
理由としては、先程も述べた通りピンクテープ・道の有無が確認できなかったこと。
そしてこれは自然のイタズラだろう。崩れた石が階段状に転がっていて、さながら道を形成していたのだ。
私はそれを迂回路だと勘違いし、見事にルートから外れていった。
自然の道は次第に、抉れて窪んだ中へと私を
「はぁ……はぁ……っキツい!」
汗を滴らせながら急勾配を登る。地面もぬかるんでいて、非常に歩きづらい。
今思えば、この窪んだ場所は土砂崩れが発生した跡地だったのだろう。
なまじ巨大な岩が転がっているために、アスレチックのようになっていて非常に登り甲斐のある道であった。スリリングな体験が、私の冒険心を掻き立ててしまっていた。
だが、そんな自然の道はそう長く続くハズもなく……
「ん?どうやって進めばいいんだ?」
抉れた地面はまだまだ続いているが、草が鬱蒼と生い茂り、どう見ても人の通った気配がない。
私は再び進むべき道を失っていた。
私はここでようやく立ち止まり、ヤマップを開いて現在地を確認した。
すると、予め決めておいた
そこでようやく、私は道に迷った事を自覚した。
このまま行くとマズいと思い、来た道を引き返す。
引き返す途中、少しだけ冷静になった頭で今通ってきた道を見ると、明らかに人の通る登山道とは違っていた。違和感というか、人の残り香を全く感じないと言えばいいのか……
何が違うとは一概に言えないが、とにかくそう感じたのだ。
戻らなければならないという焦りばかりが募る。
「うおっ、ちょっと行き過ぎた」
抉れた道ははるか下にまで続いているので、焦る勢いのままうっかり通り過ぎるところだった。
最初の、道を見失った地点にまで戻ってきた。
「ふー……」
私は再びスマホのマップと睨めっこしながら、道を探る。
恐らく、対岸に渡りそのまま直進するのが正解なのだが、しかし確信が持てない。
確信を持たずに楽観的思考で道無き道を行ったヤツが何を言ってるのかと思われるが、山での道間違いに気付いた瞬間は何より恐い。ヒュッってなる。
もうあんな体験はしたくないので、今度こそ正解の道を行きたかった。
そんな思考で周囲を観察していると、あった。
ちょっと高い位置の木の枝に、ピンクテープが。対岸に。
「あるじゃねぇかピンクテープ」
最初は全然気が付かなかったが、気付いてしまえばメチャクチャ目立つ位置にピンクテープはあった。
こんなに高い位置に目印があるのは、本来の道が土砂で流されてしまったからか……、考えても分からない。
私はその人工物に導かれるまま、対岸に渡って登山道を探すと、少し分かりづらいが確かに道が続いていた。今度はちゃんと人の残り香のする道だ。
ヤマップとも方向が一致するのを確認し、今度はしっかりと確信を持って歩き始めた。
「ふぅ」
時間にしてみれば、たった10分。
その程度の道迷いだったが、実に恐い体験だった。
土砂崩れか何かで道が分断されているだけで、こんなにカンタンに迷えるのかっ。手にはGPS付きのマップがあるというのに。
あのまま間違った道を進んでいたら、戻ることもままならず本格的に道に迷っていただろう。とても危ない瞬間だった。
その後の道はトラバース道と言えばいいのか、斜面に対して水平に道が続いていき、バランスを崩したらはるか下まで転がっていきそうな道だ。
と言っても道自体はしっかりしており、普通に歩いていける。さっきの道迷い未遂に比べればなんてことはない。
分かりやすい道のりに感謝しながら歩いていると、途中、木の根で段差が出来ているところで道の真ん中にナニかが転がっていた。
「何だコレ……っうお!?」
近付くと、そのナニかから一斉にブウゥンと飛び立つ。
ハエだ。
どうやらネズミか何かの死体らしい。それにビッチリとハエが集っていたのだ。
(山で死んだらこうなるのか……)
先ほど死の予感……とまではいかないが、遭難し掛けたことにより少しだけリアルに想像してしまい、私はその死体をそっと避けた。
一応、周囲を警戒する。
時期は夏場。そして死体があれば、それを喰う存在がどこかに居てもおかしくない。
登山道で野生生物に会ったことはないが、警戒するに越したことはない。
なんせコチラは人ひとり、助けを呼んでも絶対に誰も来ない山奥。
左右正面、頭上背後を気にしながら、バランスを崩して谷底へ落ちないようゆっくり歩く。
平坦な道なので余計なことを考えながら歩けてしまう。
ゴールデンカムイのクマ知識が脳内に流れる。
厚い肉球で足音がしないとか、ベルトが蛇代わりになるとか……。私のズボンはベルトが必要ないタイプだ。万事休すだ。
そんなことを考えながら歩いていると、11:05、開けた場所に出てきた。
ここまでずっとザ・森の中という感じの登山道だったが、岩肌が覗いて若干見晴らしが良くなる。
岩の上に立ち景色を見ると、はるか向こうの眼下に町がよく見えた。
天気も良く、夏場のクセに遠くまでよく見える。そして……
「暑い!」
この日は確か平地で30℃越えの猛暑日だった。
1000mで約-7℃気温が下がるのでそれを期待していたのだが、まったくもって暑い。汗がダラダラ滲み出てくる。
水を大量に持ってきておいて良かった。
水道水を詰めてきた水筒の他に、途中のコンビニで買った500mlのペットボトルスポーツ飲料の2本。そして5L以上入った、水道水を詰めた柔らか素材のポリタンク。ぶっちゃけ過剰積載である。
しかしこんな暑い日に『水を大量に持っている』という事実は、私に言いようのない安心感を抱かせてくれた。
体力に余裕があれば、水はどれだけあっても困らないのだ。水道水なら常温でも保存が効くし。
一休みしたあと、山行再開。再び森の中へ。
なんやかんや頂上までもう少しだ。
「はぁ……ふぅ……っ」
大タルミと呼ばれる分かれ道に来た。
左に行けば浅間山、右に行けば子持山へ行ける道だ。
もちろん、右へ行く。浅間山は帰り道だ。
だがここからが子持山の本領発揮だった。
「ッは、ッは!っなんだこの激坂は!?」
道幅はさらに狭く、険しい坂になり、段差が激しい。
さっきまでのトラバース道が早くも懐かしい。あまりにも急にキツくなるではないか、子持山っ。
暑い。キツい。早く帰りたい……
水はよく飲んでいたはずだが、一向に気温の下がらない猛暑と急登による激しい運動により、夏バテ……脱水症状一歩手前の状態に陥っていたかもしれない。
三歩進んでは5分休む。そんなサイクルを何回も繰り返す。
「うおっ!?」
木の幹に掴まり立ち止まって休んでいたら、目の前の地面の穴が動いた。
カエルだ。
拳大ほどもあるデカいヤツが、穴からぴょこりと出てきた。ウシガエルだろうか。
そのイボイボの茶色い皮膚は湿っていて、割と涼しそうだ。地面の中は快適な温度らしい。
もはやその快適さが羨ましいまである。カエルに嫉妬してしまう。
私はカエルを踏まないよう避けて通り、木漏れ日から差す灼熱の太陽光の中をゆっくりと登っていく。
足だけではなく腕で、木を掴んで登る。時には飛び出た木の根や岩も掴む。
ほとんど垂直(当社比)の登りに、もはや立ったまま四つん這いで歩いているようだ。
だが、この急登はそこまで長くない。
水を飲み、グミを噛んで登り続ける。
もうこの場で座り込んでしまいたいほど疲れているが、この道は短いと知っているから動き続ける。
そしてついに、急登は終わりを告げる。
「っようやく!登りが終わったぁー……!」
子持山頂上……の手前。
頂上直下の分岐点、柳木ヶ峰に辿り着いた。
まだ頂上ではない。だがここまで来たらもう着いたも同義だ。
標高差100m程度の道のりを10分ばかり歩けば、ほら。
12:00ジャスト。
標高1296m、子持山、登頂である。