深夜渡航   作:へるしぃーぼでぃ

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8/17─下山開始、山荘宿泊

 

 

 

後はひたすらに来た道を下るだけ。

ところで、私は登山を始める前は、下山は楽勝だと思っていた。しかしそれは思い違いだった。

下山でこそ足の筋肉が酷使される。

なによりブレー(キん)だ。

下る時、一歩ごとに自身の体重を支えなければならないのだ。登頂して疲れきった体で。

一歩の落差があればそれだけ膝への負担も増える。

歩幅を狭くして歩く、という意識を常にしなければならない。これが意外とストレスなのだ。

今はもうとにかく早く山荘に帰りたいので、ゆっくり、しかし出来るだけ早く歩く。

 

「はぁ……はぁ……」

 

降りしきる雨により、地面も不安定だという事も気を付けなければならない。

石の上は滑りやすそうだし、土はぬかるむ。

今の私は雲の中なのだろう、視界も完全に霧の世界だ。

焦りは禁物だと分かっている。分かっているが、私はそれら全てを無視して爆速で下っていく。

これはもうしょうがない。

道自体はハッキリしているし、富士山登頂という目的も達成した今、最重要項目は『休息』だ。

つまり山荘到着が全てにおいて優先される。

だがケガをして動けなくなるのだけはマズいので、それだけを意識しながらの下山だ。

……客観的に見れば、この時の私にここまで急ぐ理由はない。

雨は降っているし時刻も夕方に差し掛かる頃合だが、ウェアは来ているし日没まで十二分に時間は余っている。

ただ早く休みたいだけ。

人はただこれだけで合理的な判断を下せなくなるようだ。愚か。

 

「すみませーん。頂上まであとどれ位ですか?」

 

足場の悪い岩場でスピードダウンしていた私に、向かいから来た登山中の青年グループから声が掛けられた。

私は休憩がてら、答える。

 

「んー、あと30分……あと500mくらいですかね?ここから更に岩場と傾斜がキツくなるんで、もう少し掛かるかも……」

 

私の答えに「マジかー。でも頑張るかー」とあまり覇気のない声が上がる。

まぁこの天候だし、テンションが下がるのも無理は無い。

しかも彼らの雨具装備はただのカッパだった。普通のカッパでは通気性が悪く、体温がこもって登山にはまったく向いていない。

登山するならちゃんと透湿性の装備を用意してください。ヘタすると命に関わるから。

私は老婆心ながらその旨を伝えたが、彼らは「へー」と関心なさげだ。

まぁこの場で言われてもどうしようもないからな。余計なお世話だった。

挨拶もそこそこに彼らを見送り、下山再開。

そこそこスピーディーに下りていくが、なかなか山荘は見えない。

登山道は細かくジグザグしているので、それだけ距離があるのだ。

考えてもしょうがないので、それからは無心に体を動かす。

マンガ知識だが、極限まで疲れた肉体は最も効率の良い動きをするらしい。

その理論でいけば私は今、とてつもなく効率の良いウォーキングを披露している事だろう。疲労しているだけに。

 

「お」

 

そんな感じで駆け下がっていくと、ふと雨が止んでいることに気付いた。

雲の切れ間からは下界が見え、その向こうに青空が見える。

どうやら雲に包まれているのは山頂部だけだったようで、山荘付近はおおむね晴れのようだ。

 

そして15:20──

 

「ヒィ……ようやく着いたー……」

 

50mほど下に山荘の屋根と、山荘の名前が書かれた看板が見えた。

この頃には完全に霧の世界から脱し、羊雲がプカプカ浮かぶ程度の天気に回復している。

まだ白い太陽に照らされながら、はやる気持ちを抑えて無事山荘に帰還。

 

「ただいま戻りましたー」

 

「……?」

 

女将さんを見つけたのでにこやかに帰宅の挨拶をしたのだが、女将さんは怪訝な顔を浮かべた。

………………私は日本最高峰、富士山に登頂して完全に調子に乗っていた。

数時間前にちょっと穏やかに会話を交わした程度の初見の客の顔など、当然覚えられているハズがないのだ。100人以上収容できる山荘だぞ。今だって続々と宿泊客が流れてきているのだし、その中の有象無象の一人になぞ構っているヒマはないのだ……!

私が激しい後悔に苛まれていると、女将さんの顔がパッと華やいだ。

 

「あ、お疲れ様です!無事に頂上着けましたか?」

 

どうやら思い出してくれたようで事なきを得たが、一歩間違えたら富士山から飛び降り自殺する案件だった。

ありがてぇ……。

こんな自意識過剰なカスに親切な対応をしてくれて命が助かりました……

私は内心冷や汗をダラダラ流しながら、雨具のアドバイスのお礼を言う。これは絶対伝えたかった。

雨具の水気を払って脱いで、山荘に入る。

山頂に赴く前はほぼ無人だった屋内だが、今は人が入り乱れていた。

人を避けながら壁際の私の布団(スペース)へ。

そして壁に背を預け、ズルズル座り込む。

 

「つっっっ……かれた〜……」

 

今日はもう動けん。この山荘エリアから外には出んぞ。

靴下を脱ぎ、ウェットティッシュで全身を拭く。

このために麓で買ったウェットティッシュだが、けっこう不快だな。このちょっと濡れた感じが。

個人的には乾布の方がいいかもしれん。ガマンして拭くけど。

とりあえず乾布もして体をスッキリさせた私は、そこでようやく気付いた。

お腹が減っていることに。

そういえば行動食ばかりで、まともな食事をしていなかった。

手持ちの食料はすべて行動食ばかり。そして山荘提供の夕飯カレーまで時間がだいぶある。

これは……買うしかない。富士山特価のクソ高食料品をっ。

 

「カップラーメン1つください」

 

山荘備え付けのサンダルを拝借し外に出た私は、売店でカップ麺を注文していた。スタンダードなしょうゆ味だ。

値段は確か800円くらいだったが、山での温かい汁物はそれだけ価値がある。

……一応、自前でカップ麺を持ってくる案もあった。値段が高いのは知っていたので。

だがお湯を沸かすために必要なガスバーナーの持ち込み及び使用が非常にグレーゾーンなため、断念していた。

大人しくお金を払おう。

 

「はいお待ち」

 

「あ、ありがとうございます」

 

丸い銀トレイに、割り箸とカップ麺だけが乗っている。

フタの隙間からホカホカと湯気が漏れ、香ばしい匂いが辺りに立ちこめる。

もう匂いだけでメッチャ旨い。私はテキトーな木のベンチに腰掛ける。はやく食べたい。

この山荘エリア──庭はパノラマ台のようになっており、どこに座っても絶景が拝める。

私はその絶景を背景にカップ麺を記念撮影……したつもりだったが、雲が湧いていて景色は撮れていなかった。

そんなこんなで3分が経過。

だいぶお腹の減っていた私は混ぜるのもソコソコにかぶりつく。

瞬間、笑いがこみ上げてきた。

 

(メチャクチャ美味いッッッ!!!)

 

麺を咥えながらニヤニヤが止まらない。

あまりのウマさに口角が緩むゆるむ。

ここまで甘い系の行動食を中心的に食べてきたので、塩味のスープが五臓六腑に染み渡るようだ。

今この世で最もカップラーメンを美味しく食べているのは私だと断言したいくらいウマい。

人生でイチバン美味しいカップラーメンだった……

 

「ふぅ……」

 

スープも余さず飲みきり、流れる雲とともに黄昏れる私。

富士山登頂という目的も達成し、空腹もウマいモンで満たされた。

あとはもう寝るだけという最高のシチュエーションである。

強いて言うなら最後にカレーか。

この後17時から宿泊者に提供されるのだ。

おかわり自由らしいし、適度に食べて早く寝よう。

と、その前にトイレだ。

富士山ではトイレ使用時に数百円のチップが必要とされる。

別に監視されてるワケではないので払いたくない人はぶっちゃけ払わずに使用できるだろうが、私はそんな図太い新家を持ちあせていないので普通にお金を投入。

これで3回目の用足しだ。

登山用の小型サイフから小銭を取り出して……──

 

「やべ……現金が残り少ない」

 

まさかの現金枯渇問題発生である。

こうならないよう潤沢に現ナマを持ってきていたはずだが、予想以上に消費していたようだ。

特に山頂でのスポドリ購入費がイタい。

まだ少し余裕はあるが、きちんと考えて消費しないと明日の朝イチのトイレチップが足らなくなってしまう。

用を足す前に考える。

 

(売店のビール1本は絶対飲みたい。あと朝のコーヒーも……は諦めるか。金が足らなくなる)

 

寝起きは絶対に小便を催すので、その金だけは消費してはならない。

逆に言えばあと一回分のトイレ代を残しておけば、あとは自由に使える金だ。

明日の下山は比喩ではなく爆速で下りられるので、その間のトイレの心配はしなくて良い。

 

「じゃあトイレ入るか」

 

計算を終えた私はチップを投入。

今日のトイレ納めだ。出し切れ。

 

「ふぅ」

 

スッキリして山荘へ入る。

後はもう完全にダラダラするだけだ。

自分の布団スペースで存分にゴロゴロしていると、隣に宿泊客が来た。

 

「Hello」

 

「オー、ヘロー」

 

外国人男性である。ガタイがいい。

英語ペラペラな女将さんとその外国人男性の会話によると、オーストラリアから来たそうだ。それに後からもう1人友人が来るらしい。なぜに別行動?

今日はこの人を隣にして寝るのか。めちゃくちゃイビキ掻きそうな見た目してるけど、イビキ掻かないといいな……

 

そんなこんなで山荘で過ごすこと、17:00。

カレー配膳である。

私はビールを購入し、カレーを持って外のベンチへ。

少し雨がパラついていたが、山荘内は人でごった返しているのでやむを得ない。

付け合わせのらっきょうをポリポリしながら、待ちに待ったビールを流し込む。

 

(けっこう外気が冷えてきて、あんまり……)

 

日中は暑かったが、現在は肌寒さすら感じるレベル。

服も薄着なので少しツラい。

大の酒好きというワケではないので、私はシチュエーションも噛み合わないとあまり酒は進まないのだ。

そんな誤算をしながらも、とりあえず完食。

カレーは可もなく不可もない味だった。食えるだけありがたい環境だし、何よりカップ麺がウマすぎた。アレには勝てない。

 

「……」

 

……さて、いよいよやる事が無くなった。

明日の予定だが、本来の予定なら御来光を見るために早朝山頂へ出発するのだが、山頂へはもう行ってきてしまったので下山一択だ。

また登り返すの、いやだ……

現金がないからトイレ問題が発生する……

うん。この山荘で御来光を見て、下山だ。

そうと決まればさっさと寝よう。

疲れているし、周りに人間が密集している環境で寝れるか不安だ。

ひと足早く寝ての早起き。これがベスト。

18:30、私は誰よりも早く寝床に着いた。

 

 

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