深夜渡航   作:へるしぃーぼでぃ

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8/18─御来光、大砂走り、帰宅

 

 

 

早々に寝た私だったが、案の定不安が的中した。

グオー!グオー!と、隣の外国人二人がイビキをかき始めたのだ。

 

(うるせぇ……)

 

効率よく収容するために、何十人と横並びで人を寝かしている山荘。

誰かしらのイビキに妨害されることは予想していたとはいえ、実際にその状況になると不快極まりない。

遠くの位置からも他のオッサンのイビキ声が聞こえてくるが、問題は隣の二人だ。

爆音である。遠慮容赦ないイビキを気持ちよさそうにかいていた。

外は無風らしく、物音ひとつしない。風の叩きつける音でもあれば気が紛れたものの……

根気よく横になり続け、疲れているのにうたた寝程度の睡眠を繰り返す私。

やはり寝る時は独りに限るな、と脳内で再認識。

幸いにして寝相は大人しいらしく、敵はイビキのみ。

されどイビキ。オッサンという生き物はなぜイビキをかいてしまうのか。

自分は絶対にイビキをかく生物にはならないぞと、朧気な意識でそう誓うのであった。

 

 

 

──4:30

 

「っは」

 

いつの間にか寝れていたらしい私は、ふと目覚めた。

スマホで時刻を確認し、気怠い体をなんとか起こす。

まだ全然寝足りないが、御来光を見逃す方がもったいない。

私は上着とサングラスを装備し、サンダルを履いて外へ。

すでに御来光待ちの人たちが、東の空を見つめて待っていた。

天気は……雲だらけだ。

下界を隔てる雲の絨毯。それが標高の低い山々の間に溜まって、足元に広がっている。

雲海というには少し量が少ないが、私たちはその雲を見下ろして立っていた。

私たちの居る場所は快晴だ。

遥か彼方まで景色を見渡せる。

大地の黒と雲の白、ダークブルーの空。そしてそれを分かつ、オレンジに染まる地平線。

まだ太陽は顔を出していないようだ。御来光に間に合ったらしい。

 

「……しかし、寒いな」

 

ブルリと体が震える。

寝起きで何も食べていないのもあるが、完全に体温を奪われてしまった。お湯が飲みたい。

私は山荘へと戻り、窓から御来光を眺めることにした。

窓はすでに開放されていた。

御来光を見るためと皆分かっているのだろう、冷たい風が入ってきても誰も文句を言わない。

というか、今この屋内にいる人たちはもれなく布団を被って寝ているので無敵状態である。よく寝ていてくれ。

そのままボーッと太陽が出てくるであろう方角を見つめ続ける。サングラスは掛けたままだ。

そして4:57……

 

「お……」

 

はるか地平線に、ポツリと一際明るいオレンジ色が現れた。

それは徐々に、しかし瞬く間に姿を現していく。

 

「すげ……」

 

3分もすれば、太陽はハッキリと丸の形で出現していた。

これが地球の自転の速さだと思うと、無性に体のどこかがむず痒くなる。

太陽だってあんなにちっちゃく見えるが、この地球の100倍以上の大きさがあるのだ。意味がわからん。

たかだか地球の突起物(・・・)に登っただけで疲れ果てている私たちは何なんだろうな?スケールが違いすぎる。

そんな益体のないことを考えながら、富士山からの日の出を動画に収める。

 

「よし」

 

収めた後は二度寝だ。

6時の朝食までまったりさせて貰おう。

そう思っていたのだが、太陽光がだいぶ眩しい。

カーテンは開け放たれたままだし、何より人々がすでに動き始めていてけっこう騒がしい。

私は渋々上体を起こしてボーッとする。

とりあえずトイレ行くか。

 

 

 

すでに空は白み始め、夜明けの空気は霧散していた。

──6:30。

カッ!という効果音が聞こえそうなほど白く輝く太陽。

だが風は冷たく、日焼け止めとサングラスさえあれば快適な気温として楽しめる。

朝メシを食べ終えた私は、最後に山荘からの風景を眺めていた。

頂上ではないが、現在地も標高3000m越え地点である。

最も綺麗に遠くを見渡せる朝の景色を堪能するには十分なロケーションだ。

 

「よし、帰るか」

 

身支度を整え、忘れ物がないか再確認。

半日ぶりに背負うザックも心做しか軽い。持ってきた水分をほとんど消費したからな。

ここからの道程を考え、服装はレギンスに短パンのロンTだ。

登山靴の紐をしっかり結び、私は女将さんに挨拶をして下山を開始した。

多くの人がこれから頂上に向けて歩みを進める中、私は一人反対方向へ。

昨日登ってきた道をヒョイヒョイ下り、7:00──

 

「ここが大砂走りか」

 

御殿場ルートの最大の目玉、大砂走りへの分岐ルートに到着していた。

ここから先は登山では非推奨な行為、駆け下りることが推奨される。

正直、足もガクガクなのでゆっくり歩いていこうと思っていたのだが……

 

「うおおおおお!」

 

ザッシュザッシュと黒い砂利を撒き散らし、私は爆走していた。

楽しすぎた。

最初こそ、足首まで埋まる黒砂利に気圧され恐る恐るゆっくり歩を進めていた。

だが段々と慣れてきて、他の下山者の様子を見たりしている内に学んだ。

これは走った方が効率がいいと。

 

「おおおおお!?」

 

あまりにも勢いがつきすぎて一旦ストップしたい。

しかし中々止まれない。止まらない。

ジグザグ走行して距離を稼ぎ、徐々にスピードダウンに成功。落ち着く。

涼しい風がサラサラと汗を拭いていく。

 

「楽しいけど恐い!」

 

気を付けないとすっ転んでしまいそうだ。

恐さがあるが、それ以上に気持ちが良すぎる。

爽快に走り抜けることもそうだが、目の前の景色だ。

山荘から下ってきて、近付いてくる下界の景色。

その狭間に浮かぶ雲海。私はそこに今から突っ込んでいく。

身ひとつで空を飛んでいるようだ。

スカイダイビングより気持ちがいいかもしれない。

あれは自由落下している時、風が強過ぎてまったく息が出来ないからな。パラシュートが開いても意外と落下速度が速いし、あれは一度だけ体験すれば十分だ。

 

「あ〜、涼しい……」

 

朝イチだというのもあるだろう。

太陽は容赦なく照っているが、朝と、標高のお陰で快適な温度だ。

走っているので汗をじんわりかいているが、それが却って心地いい。

素晴らしいな大砂走り。

ただひとつ問題があるとすれば、この黒砂利だ。

足首まで埋まるこの深い砂利は、それがクッションとなって膝への負担を和らげてくれている事だろう。

レギンス履いてきて良かった。

しかし、足首まで埋まるということは……

 

「靴の中にメッチャ石が入る」

 

もう靴の中はハチャメチャだった。

靴全体もすでに真っ黒に染まり、火山灰の餌食となっていた。

私は手頃な石に腰かけ、靴の中の土を落とす。

ヒモを結ぶ傍ら、周囲を見渡す。

辺り一面、黒い砂、石、岩だらけだ。

下り方向の右側には宝永山があり、だいぶ下った先にそちらへ向かう道の跡が見える。

ここからだと直ぐに宝永山山頂へ行けそうな気がして行きたくなるが、やめておく。

予定外のルート変更は危ないし、何よりやっぱり疲れている。

今日はもう登る行為はしたくない。

本当にちょっと頑張れば行けそうな雰囲気があるが、恐らく行ったら行ったで後悔するであろう。広大な景色で遠近感狂ってると思うのだ。富士山最大の側火山だぞ。

そして極めつけはトイレの類がない。

いちおう携帯トイレは一つ持っているが、隠れるところなど一切ない大自然の中お花を摘むのは難易度が高い。

ルート変更はなし。

水をひと口飲んで喉を潤し、立ち上がる。

 

「もう砂利は気にせず行こう」

 

一歩踏み出せばもう砂利が入ってくる場所なのだ。

もう気にせず一気に下山する事に決め、私はタオルで汗を拭うと再び駆け出した。

 

「はぁ、ふぅ……」

 

砂走りにも慣れてきて、もはや普段のランニングのようなテンションで軽快に下っていく。

だいぶ余裕が出てきたので、スマホ片手に下る様子を動画に撮ってみた。

画面ブレブレだった。

世のカメラマンは凄い。

 

「お」

 

そんな事をしながら走っていると、いよいよ目の前に雲が迫ってきた。

霧も雲も同じものだが、ここは敢えて雲と言おう。

だって遠目から見ると『雲』なのだから。空に浮かぶ、あの白い塊。

その雲に、この身ひとつで突っ込んでいく。

テンションは言うまでもなく爆上がりだ。

 

「うおおお!、……」

 

だがやはり、突っ込むとそこは霧の中だった。

しかもけっこう分厚いヤツだったらしく、1mくらいしか視界がない。

ギラついていた太陽も完全に遮られ、薄暗い空間に閉じ込められていた。

そしてメチャクチャ涼しい。

走って火照った体が急速に冷めていく。天然のクーラーだ。

とりあえず、この雲が通り過ぎるまで休憩にしよう。

ちょうど目の前に人ひとり座るのに適したデカい岩が鎮座している。

私はそこに座って汗を拭おうとしたところで、気付いた。

 

「あれ!?タオルがねぇ!?」

 

いつでも汗を拭けるようザックのチェストストラップにブラ下げておいたのだが、それが無くなっていた。

恐らく走っている時にその揺れで落ちてしまったのだろう。

最悪だ。

無くしたこともショックだが、それ以上に富士山に落し物を発生させてしまった事がいち登山者として最悪だった。

 

「どうするか……」

 

今日の風は微々たるものだ。落ちたタオルが風でどこかに飛んでいく事はまず無いだろう。

だとすれば、来た道を戻っていけばほぼ確実に拾い上げることが出来るが……

 

「……、コレを登り返すのか?」

 

大砂走りは下山専用の道だ(多分)。

キツい傾斜に加えて足首まで埋まる地面。

タオルを持っていた最後の記憶は、前の休憩地点だ。

そこから調子よく駆け下りてきたので、結構な距離が稼がれているだろう。この道を登り返すのは一筋縄ではいかない。

私は一縷の希望に賭けて『親切な下山者が拾い上げてくれる』ことに期待して待つことにした。

 

──10分後

 

「誰も来ねぇ……」

 

私の他にもチラホラ見かけていた下山者だが、事ここに来て1人も来ない。

さすがにムシが良すぎたか。そもそも拾ってきてくれるとは限らんし……

非常に申し訳ないが、私は下山を再開することに決めた。

ポイ捨てと変わらぬ非道な行為だが、許してくれ。探しに行く気力が湧かんのだ。

もっとしっかり結んでおくか、この手で持っておくんだった……

後悔をしたら反省もしないといけないので、他に落下物を出さないようザックの荷物を検める。

 

「うお、ユルユルじゃねぇか。危なかったな」

 

ザックに括りつけていた迷彩色ブルーシートが、紐が緩んで落ちかけていた。全然使わなかったな、このシート。

シートに付着した砂利を叩いてザックの中に入れ、ついでにサイドポケットのペットボトルも仕舞う。

これでもう、これ以上の落し物の心配は消えたはずだ。

予備のタオルを手にしっかりと握り、罪悪感に苛まれながらも霧の中を出発した。

 

「はぁ、はぁ」

 

罪悪感を払拭するように駆け下りる。

すでに雲は抜け、直射日光に照りつけられながら走る。

視界も明瞭で、はるか下の方に先行していた下山者が見えた。

若めの男性二人組だ。

どうやら休憩中のようで、突き進む私とグングン距離が縮んでくる。このスピード感は登山にあるまじき光景だ。

そしてそのまま抜き去っていく。

もはや景色も見慣れたものと化し、灰の坂を速く走る事だけに行動が集約される。

だいぶ下ってきたのだろう、隣接する上りの登山道に、今から山頂を目指す人々がチラホラ見えるようになってきた。

遅々たる歩みの横を、私が走り抜けていく。

……昨日私が登山中に、大砂走りを下る人間がいなくてよかった。

ハイスピードで下っていく下山者を見たらやる気が削がれていたかもしれん。

とういか、こんな中腹あたりまで登山者が来ているのか。中々に時間が経過しているらしい。

……と思ったが、違った。

 

「あれ?あの建物は」

 

傾斜が緩くなってきたなと思った矢先、まだ距離はあるが建物の影が見えた。

この登山道にある建物などひとつしかない。

大石茶屋だ。

 

「もう終わり!?はっや……」

 

もう麓(と言っても五合目)に到着してしまったらしい。

現在時刻は──7:50。

山荘からここまで1時間半程度。走っていたとはいえ、いくら何でも速すぎないか?

登りは山荘まで5時間かかったというのに……っ

大砂走り、ヤバいな。

正確には駐車場までもう少し歩くが、ここまで来たらもう富士登山は終わりのようなものだ。

私は大石茶屋の木のベンチにドッカリ座り、ザックを地面へパージ。

 

「終わっ、た……」

 

──AM8:00、霊峰富士山御殿場ルート、無事下山

 

終わったと思うと急に疲れが出てきた。

一瞬前まで跳ねるように走ってきたと言うのに、一気にガス欠だ。ハイになってたようだ。

そんな状態なので、もはや恒例のボーッとタイムだ。

下山したとはいえ、ここの標高は今だ1500mある。

下界の景色を眺めつつ、まだまだ涼しい風を全身で堪能する。

電波が入ったので家族に無事下山メールを送りながら、余った行動食たちを消費。

 

「うげ」

 

貴重品入れであるサコッシュに入れていた、ビーンズ系のグミが一部散乱していた。

これはちゃんと処理しないとベトベトになるヤツ……っ。

帰ったらちゃんと洗わないとな。

散乱したグミをつまんで食べながら、登山時には開店していなかった大石茶屋の店内へ。

 

「いらっしゃい」

 

お土産コーナーのおばちゃんが快く迎え入れてくれたが、生憎と無一文(キャッシュレス)だ。ウインドショッピングである。

トイレで現金溶かして買い物できない事や、近くに銭湯がないかを聞いて雑談。

銭湯はやはり、一昨日寄った場所が一番近いらしい。

今日は晴れているから富士山がよく見える事だろう。もう一回行くのは吝かではないのだが、開店は10時からだ。

今すぐにでも風呂に入りたい私は、別の銭湯を検索。

すると麓の市内に9時から営業している所があった。

こうしちゃいられねぇ。温泉が私を呼んでいる。

もう30分近く大石茶屋で休んだことだし、いい加減動くか。

お土産屋のおばちゃんに挨拶し、ダルい体を動かす。

軽くなったとはいえ、重量物であるザックを背負う。あと数十分くらい歩けば駐車場だ、そこまで頑張れ。

ベンチに別れを告げ、出発。

そしてちょっとした下り坂を下り、見通し通り数十分後。

木製の鳥居をくぐり抜けると、白い布地を張ったパイプテントと係員が。

富士山保全金寄付で木札を貰った場所だ。

係員的な人と目が合い、ニコリと挨拶される。

 

「あ、おはようございます!登山お疲れ様です!」

 

「お疲れ様です。……本当に疲れました」

 

昨日喋った係員かは顔を覚えてないので分からないが、めちゃくちゃフレンドリーに接してくる。

といってもそれ以上喋ることは互いにないので、軽やかに会釈してすれ違う。

今から登る登山者がけっこう来ているので、これからその対応に追われるだろう。もう帰るだけの私に構ってる暇はないはず。

時刻は8時過ぎ。登山者としては遅い部類だが、人が活動し出す時間だ。

その流れに逆流し、私はデカめのスクリーンの前に立っていた。

富士山の頂上付近の様子をモニターしていたヤツだ。現在もそれを映している。

今は開放されていたので中に入ると、富士登山の歴史などだいぶマジメな内容だった。プレハブっぽい建物なのに内容は本格的である。

登山道開拓時の装備とか、よくこれで登れたな。道を作りに行ってるから道も無いわけだし、昔の人は根性ありまくりである。現在、登らせて頂きました。

 

「さて……、風呂行くか」

 

油を売るのもいいが、とにかく優先すべきは風呂だ。銭湯だ。温泉だ。

もう寄り道することなく車へ直行し、ザックを放り、登山靴を脱ぎ、登山アプリを終了させる。

 

──総歩行距離20.8km。

 

歩くことを目的とした歩きで、間違いなく人生最長である。

という事は汗を大量にかいている。一応ウィットティッシュで拭いたとはいえ、あんなモノ頼りにならん。

一泊しているし、これはもう風呂に入らないとヤバい。

登山前に食べ残したビックお好み焼きを見て見ぬフリしつつ、早速車を発進させようとして……

 

「ッあー!?しまったァ!!」

 

ここで致命的なことに気づいてしまった。

現金がないのだ(・・・・・・・)

トイレチップや富士山特価の飲食物購入で、所持金はすでに壊滅している。

だが私には魔法のカード、クレジットカードがある。あるのだが──……

 

「クレカ払いに対応、してるか?銭湯」

 

私の知る限り、クレジットカードの使える銭湯など見たことがない。

電子マネーに対応してる所は一回だけ見たことがあるが、今度は私の方が電子マネーを利用していない。クレジットのタッチ決済が私の求める最適な決済方法なのだ。

ならばATMで下ろせばいいじゃないかと思われるが、ここで痛恨のミスだ。

私はサイフを2種類持っている。

普段使いの長サイフと、登山用の折りたたみサイフだ。

今はもちろん、登山用の折りたたみサイフである。軽量化のために。それが今回のミスを呼んだ。

このサイフは三つ折りサイフで、カードを3枚収容できる性能を持つ。

持ち運ぶカードは、運転免許証、保険証、そしてクレジットカード。

……お分かりだろうか。

つまるところ、銀行のカードを持ってきていないのだ。お家である。

現金を手に入れる術が……ない!

 

「帰るぞ。一刻も早く」

 

もはや温泉に入ることは不可能。

自宅へ直帰する覚悟を決める。

道中一度だけコンビニにより、念願の牛乳とアイス休憩のみのETC無し下道ノンストップ帰宅を実行。

 

 

──16:00頃、自宅の浴槽にて沈没。

御殿場市内のホテルにでも泊まればよかった……

 

 

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