「起床」
4:30、まだ暗闇に包まれるテントで私はモゾモゾ動き出した。
よく寝た。
しかし寒いので寝袋から出るのが躊躇われる。テント泊の寝起きのトイレの面倒くささは異常。
垂れ流すわけにはいかないので、渋々這い出た。
「あー、寒い」
現在地はすでにして標高1200mを超えているのだ。
暑い日が続いているとはいえ、ここの朝方はさすがに冷える。
トイレを済ませ、まだ凍結まではしていない水道をありがたく利用して顔を洗う。
さて朝メシだが……何を食べたか写真も記憶も残っていない。どうやら寝つきが良すぎて寝惚けていたようだ。
これから登山をするのでそこそこ食べたと思うのだが、食後にコーヒーを啜ったのだけは覚えている。
「はー……明るくなってきた」
コーヒー片手にホッとしながら、朝の静謐な空気を味わう。
いい天気だった。
湖面をゆったりと漂うガス。
波のない水面に反射して輝く太陽。
大多数が寝静まる中、早起きしたキャンパーたちが朝の贅沢な時間を満喫していた。
「よし。行くか」
太陽が完全に顔を出したところで、テントを畳む。
ありがたいことに結露はそこまで発生していなく、地面も乾いているため悠々と荷物を地面に置いてパッキングを進められた。
そんな私に老夫婦が通りすがり、話しかけてきた。
「おはようございます。もう片付けですか……、どちらへ出発するんですか?」
「あ、おはようございます。えーと……アレに登ります」
私はニヤリと笑って、日光を浴びる男体山の山頂を指し示した。
丁度、ここからその姿をキレイに拝めたのだ。あまりにもジャストな画角。
……しかしこうして見ると、だいぶ標高差あるな。メッチャ遠いぞ山頂。
私がセルフ鬱っているのを他所に、老夫婦が感心したように頷く。
「へー!山に登るんですか!頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
なんかちょっと、山を登らない人に素直に感心されるとなんかむず痒いな。まるで登山するのを自慢してるみたいじゃないか!(実際ちょっと気分良かった)
そんな朝の一幕の後、パッキング完了。ザックを背負ってバイクへ。
受付の建物の脇に停めていたバイクを、エンジンを掛けずに押していく。
まだ早朝だからな。エンジン音を吹かすのはちょっと気が引けるので少しでもキャンプ場から距離を確保する。
朝焼けも終え、すでに白く輝く太陽。空気は冷たいが、同時にポカポカもしていた。
キャンプ場から多少は離れた、周囲に誰も居ない湖畔でチョークを引き、点火。
ゥヴォン!ボボボボとXJR1300の、初動に反して力弱い音が鳴り響く。
湖に反響して音こそ響くが、気温が低くてどうにも頼りない。これはしばらく暖機運転だな。
──なんやかんや時刻は6:30を回っていた。
登山口となる神社はすでに戸口を開いている。
昨日調べたところ、駐車場は広いが如何せん登山客が多いとの事。ヘタしたら停められない可能性もある。
まぁ私はこの通りバイクなのでちょっとの隙間があればねじ込めるが、やはり余裕は持っておきたい。
まだ暖気は不十分だが、行くとしよう。距離も短いし大丈夫だろう。
そう思って出発したのだが。
「ぬあ!?」
キャンプ場の出入り口にて。
道がボコボコに加えて坂道での右折待ちをしていたら、エンストした。
暖気が不十分で、クラッチを握っていたらそのままストン、と止まってしまった。やはり寒い朝はしっかり暖気しないとだな。
幸い、後続車は居ないので、右折できるタイミングを見計らってエンジンを点火。そのまま勢いで道路へ。
「うおおおお!寒い!」
風が冷たい。
ジッとして太陽光を浴びていれば暖かいが、それを帳消しにして上書きしてくる風。
だが少しの我慢だ。直ぐに着く。
低速ギアで比較的ゆっくり走り、目当ての駐車場へ。
「アレだな。……おいおい嘘だろ」
駐車場を発見しダート路の敷地に入ったのはいいが、驚いたのはその車の多さだった。
すでに満車である。
昨日調べて混むとは知っていたが、もうこんなに人が居るのかっ。
早出早着は登山者の原則とはいえ、こんなに山登りする人が居るとは……っ。山登りなんてただ疲れるだけの苦行をどうしてわざわざっ(震え声)。
仕方が無いのでバイクの秘技『車が置けないような場所に駐車』を発動。
駐車場の隅のスミ、車のスペースが『▢』だとしたら『▱』くらいのスペースに停車。もちろん通行の邪魔にならず、他の車と接触しない場所を選んだ。
「ふぅ。朝から疲れた」
こんなに混むんじゃ6時前から来ていないとツラいな。こんな山奥で山を登るために……皆さんご苦労様です。
気を取り直していざ、登山口へ。
日光二荒山神社──早朝の空気も相まって、非常に清浄な空間に包まれていた。登山客は多いが。
気持ち畏まりながら境内を少しウロついた後、受付にて入山料を払うと安全祈願のお守りを貰えた。
それをとりあえずサコッシュに雑にしまい、そのまま境内の奥へ向かう。
この神社の敷地から直接山登りが始まるのだ。
なので男体山は神域とされ、登山することを『登拝』とも言うらしい。メッチャかっこいい言い方だな。
幅広の階段の端っこで靴ひもチェック、ザックを背負い直す。
鳥居に一礼し、いざ神域へ。
──6:50、男体山登拝開始。
鳥居を潜った先には綺麗に整備された階段が続く。
それに侵食してくる力強い木の根を避けながらゆっくり歩き、自らの肉体の暖機運転をしていく。
「フッ、フッ」
朝の冷えでだいぶ体がカタい。
道は歩きやすいとはいえ、調子に乗らず一歩一歩歩いていこう。
光景はすでに山奥の森の中だが、人口密度は高い。
人が列を成して続いている。
この時間に限るなら、ヘタしたら日光東照宮よりも混んでいるのではなかろうか。
そんな益体もない考えをしながら歩く。
(しかし、ずっと坂道が続くな)
階段は途中でその姿を消し、土と木の根の山らしい道になっていた。
登山なので登ることは当然なのだが、それにしても登りが続きすぎである。歩き始めてから平坦な道がない。
他の山なら多少なりとも登らない瞬間が発生するが、男体山はひたすら登り、登り、登りが続く。
加えて人の通行も多く、道幅もそこまで広くない。
端的に言って、小休憩が取りづらかった。
(どっかでひと呼吸入れたいけど……タイミングがっ)
私はスロースターターを自負しているので、登り始めたらそこそこの場所で一旦落ち着きたいのである。
だが立ち止まるのが難しい。
しょうがない。こうなったら──……
(行けるとこまで行ってやろうじゃねぇか!)
悪手中の悪手、登り始めから全開で歩くを敢行。
いやまぁ、ただノンストップで歩くというだけだが、気ままに休憩を挟めないというのは存外にキツい。
こうして自分のテンションを高めていかないと帰りたくなってしまう。がんばれがんばれ。
そんな感じで頑張って歩いていくと、道にさらなる変化が訪れた。
「うお、道路だ」
山道が急に途切れ、まさかの舗装道路にブチ当たった。ご丁寧に案内まである。
どうやらここまでの山行は序盤も序盤……まだ始まってすらいなかったらしい。
すでに多少汗ばんでいる私は慄きながらも、歩みを止めなかった。
道幅も広くなり、山道と道路の間に広場もあったが、なんとなく休むテンションではなくなっていた。
歩き続けることを決意してしまった手前、逆に休むことに躊躇いが生じてしまったようだ。
そも、坂道は継続だがメチャ歩きやすい舗装道路だ。山道に比べてつまらない道なので、サッサと通過したいという思いもあった。
この舗装道路、一般車両は通行不可なので皆思い思いに道に拡がって歩いている。これじゃ登山じゃなくてピクニックだぜ。
ヘアピンカーブを4、5回ほど歩き通し、7:40──
「お、また鳥居がある」
下の神社にあった鳥居よりも小さいが、どこか雰囲気のある石造りの鳥居に辿り着いた。
その先の空間には山らしい登山道が続いている。どうやらこの先が本番のようだ。
「さすがに……休むか」
ここまでノンストップでやってきた反動で、今度は休むことに躊躇はなかった。舗装道路が思いのほか長かった。
他の登山者も、鳥居の周囲で地面に座り込んでいる人が多数。考えることは同じようだ。
「よっこいしょ。っはぁ〜疲れたぁ……」
完全にペース配分を崩された。
この先もずっと急登が続くらしいので、ここでしっかり休憩していかないとマズい。
ザックを放り出し、カロリーメイトを食べながらボーッとする。
丁度今来た道を振り返ると、眼下に中禅寺湖が見えた。
頂上直下以外、常に樹帯林を歩く事になる男体山にとって貴重な展望ゾーンだ。
休んでいた人たちが登りを開始し、後から来た人が私を通り過ぎていくが、私はのほほんと休憩を続ける。
朝メシ時に沸かして詰めておいたお湯をゆっくりと飲み干しつつ、少し体をストレッチ。
「よし!行くか」
たっぷり20分ほど経って、ようやく私はザックを背負い直した。
気持ちもだいぶ落ち着いたし、今度こそ自分のペースで行こうと思う。
鳥居を潜り、いざ再スタート。
景色は直ぐに木々に遮られ、ひたすら土と木と石の中を歩いていく。
やはり道の間隔は狭い。
小休止できるような空間がないので、やはりさっきの所でたっぷり休んだのは正解だったようだ。
そのまま良いペースで順調に歩いていくと、もう下りてくる人とすれ違った。
早過ぎないか?6時からが最速の登山開始時刻ではないのか。今8時だぞ。
トレイルランニングぽい服装だったので頑張ればイけるかもしれないだろうが、たった2時間でもうここまで下山はヤバ過ぎるだろ。
私は訝しみながらもペースに気を付けながら登る。
(やっぱひたすら登りだな)
相変わらず恒常的に坂が続く。
道は明瞭なので迷うことは無いが、体力的には結構なモノを求められるようだ。
休んだおかげで私は止まることなく進む。
ずっと景色皆無の登りなので記憶も記録も曖昧だ。無心である。
途中、山小屋のような建物付近はスペースがあったのでそこでは小休憩を挟みつつ、10時頃──
「お、景色が……」
木々が突然消え、土が赤黒くなりゴロゴロと溶岩が足下に転がる。
頂上が近い。
左手には雪を被る白根山が見えた。こんなに近いのに、本当にあそこだけ雪を被っているな。
振り向けば中禅寺湖だって見えるだろうが、ひとまず頂上を目指す。
景色はやはり頂上から見た方が気持ちがいいだろうからな。
そして10:15──
「はぁ〜……疲れた」
標高2486m、日光男体山登頂である。
「人、多っ」
頂上は人で溢れていた。
登山服のカラフルな色がそこかしこに犇めき、思い思いに登頂の喜びを噛み締めていた。
しかし圧巻なのは、その人だかりを補って余りある頂上の広い空間。
頂きの景色も相まってまったく人口密度を感じさせない広々空間だった。
私は休憩もそこそこにザックを置いて、菓子パン片手に広い山頂を散策する。
途中、カップラーメンのいい匂いを嗅いで羨ましくなるも、360°の絶景を見渡す。
「やっぱり白根山はやめて正解だったな」
注目するのは、日光表連山の一角、白根山。
中腹までは緑だが、山頂直下からは完全に真っ白だ。もし行ってたら大変なことになってたな。
いつか登ることを誓いながら、今度は中禅寺湖を望む。
10kmを超える面積の湖、その輪郭を端から端まで堪能できる。
数時間前まで居たキャンプ場も、大体あの辺だなと覗き込んでみる。うん、全然見えん。
遠くには北アルプスに、富士山……はちょっと見えなかった。
晴れではあるが絶妙に雲が発生しており、遠くの景色は厳しい。
方位盤(見晴らしの良い場所に時たまある、山座同定させてくれるヤツ)と睨めっこしながら、同様に覗き込んでいた年配の夫婦と「あの山、コレじゃね?」としばし盛り上がる。
「本当はアッチの白根を登るつもりだったんですよ。でもあの有様で」
「道中に会った、子連れのお父さんが昨日白根山に登ったみたいですよ。風が強くて子どもが泣いちゃったって」
中々鬼畜なお父さんも居たものである。というか2日連チャンで山に登ってるのか。子ども大丈夫か?
思いのほか歓談が弾んだ後、夫婦は先に下りていった。
「あっちに行くか」
私は私で、山頂散策再開だ。
この山頂は左右に長く伸びており、まだ片っぽしか行ってなかったのである。
「おお、剣が刺さって……いや生えてる」
小高い岩の上に、優に2mは超えるであろう大剣(調べたら3.5m)が天に向かって伸びていた。
皆、順番に並んで大剣の刺さる岩の上に登り、1人ずつ記念撮影している。
結構な列だったので私は遠目に写真をパシャリ。ボケーッとその様子を眺めた。
そんな感じで山頂で過ごし、11:00頃。
「もうそろそろ下りるか」
だいぶゆったりとした時間を過ごした。
カロリー高めの菓子パン2個食べてエネルギー充填したし、あとは下るだけ。
しかしこの下りが鬼門だった。
「はぁ、はぁ……っ足ツレぇ〜」
常に登りだったという事は、常に下り続けるという事。
つま先と太もも全体が悲鳴を上げる。
一歩の落差を意識して膝に負担が掛からないよう気を付けないとヤバい。ひざがこわれる。
男体山は富士山よりもキツいとネットでまことしやかに囁かれるのを見たが、それも頷ける辛さだ。
あぁ……富士山御殿場ルートの大砂走りが懐かしい。アレはメチャ楽しかった。登山の楽しい下り部門ランキングを作ったら多分第1位だと思う。
対して男体山の下りはどうだ。
鬱蒼と茂る森に、落差のある岩場。
溶岩がゴロゴロし、土は抉れ、木の根が蔓延っている。
加えて今から登ってくる人たちとの譲り合いに、極めつけはただ来た道を戻るだけ。
……ツラいです。
しかしそんな泣きごとを言っても下らねば帰れない。
体と精神に鞭打ってひたすら下る、下る、下る。
少し急ぎたい理由も出てきたし、あまりゆっくりはしていられない。
トイレだ。
この男体山、神域だとかで登山道に用を足せる施設は無いのだ。
麓の神社には綺麗なトイレがあるが、それ以外はマジでない。
人通りも多いので、隅でやるにも人の目が厳しい。
皆さんはどうしているんだろう、トイレ事情。
この男体山は上り下り合わせてどう速く動いても5時間は固いと思うのだが(ちなみに私は6時間30分)、トイレっている人を1人くらいしか目撃していない。野ションしてた。
まぁまだ我慢できるのでそこまで焦る必要は無いのだが、早く下山できるに越したことはない。
そんな感じでグングン高度を下げ、13:20──
「お疲れーぃ……」
二荒山神社に戻ってきた。
私は立ち止まることなく広い駐車場の端っこのバイクにまで戻り、ザックを置いて反転、ダッシュ!
(漏れる!)
割と限界だった。
トイレには間に合ったのだが、足の筋肉を酷使したお陰か用を足している間、面白いほどガックガク膝が震えていた。危うく小便が撒き散らされてしまうところだった。
そんな情けない姿を晒しながらも、バイクに戻ってパッキングを開始する。
面倒くさいが、ザックを背負ったまま帰るのとバイクに括り付けて身軽に運転するのでは疲労度が違う。
せっせと2本の紐でバイクとザックを合体させる。
これがバイクの辛いところだ。車ならザックをポイと放れば荷造り終わりだし、ヘルメットも被らないし運転中風に晒される事もない。
どう考えても登山には車で来た方がイイ。
実際、この駐車場で私以外にバイクの姿はなかった。
でも仕方ない。私はバイクに乗りたいのだ。面倒くさいのは承知の上で、私は可能な限りバイクで登山に赴く。
帰り道、122号線の途中の蕎麦屋で天ぷらそばを食べて温まりながら、そう思った。
「あ〜……寒い日の温かいそば、最高〜」
こんな感じで、私の『出掛ける年』23年度の登山部門は終わりを告げた。
23年度、完。