──12:00キッカリ、私は栃木県の石尊山という山の麓に居た。
ゥボーー〜ッと、正午を報せるチャイムが、路上で靴紐を結ぶ私の頭の上で響き渡る。
初めての登山から2週間後。
私は装備を新たにして、再びの登山へと赴いていた。
「よっしゃ行くか」
──前回、実際に登山してみて無事にハマった私は、その熱に浮かされるまま登山グッズを買い漁った。
そうして買い足されたのが──……
「やっぱザック背負うと、一気に
登山の三種の神器、ザックである。
先週、アウトドアショップで物色していた所、店員さんに捕まりメチャクチャ協力してくれた末にジャストフィットするザックを手に入れたのである。
私一人の判断だとここまでイイ買い物は出来なかったので、店員さん、その節はありがとうございました。
というわけでザックを背負っているので、前回とは比べ物にならないほど装備が整っていた。
テントに寝袋(キャンプ用品を流用)、雨具(バイク用品店で購入)。
無駄に多い食料に無駄に多い水。
水袋は7~8ℓほど入る大容量のモノを買ってしまい、それに3ℓくらい入れてきた。アホである。
「くっくっく。これで水に困ることはあるまい」
ザックもザックで大容量だ。
私はそのうち山の中でテン泊する事を視野に入れていたので、とにかくデッカいザックを欲しがった。
店員さんにはもう少し小さめのザックをオススメされたが、大は小を兼ねるの精神でそこは譲らなかった。お値段も高いのでザックをそう何個も買えないのだ。デカいの1個で勘弁してください。
さて、前回からの進化はこんなものだ。
登山アプリはまだインストールしていない。今だにグーグルマップが頼りの情弱である。アホ。
こうして振り返ると無駄に荷物が増えただけなのだが、この時の私は謎の自信に満ち溢れていた。ダニングクルーガー効果ってすごい。
「さて、どっから登るんだ?」
そんな感じで、冒頭。
公民館の駐車場が登山者向けに開放されており、大変ありがたく利用させてもらった。
時間が遅いので満車だったが、そこはバイクの利点を活かしてスキマに駐車。
「めっちゃ人居るなぁ。そんなに人気な山なのか?」
呑気なセリフである。
出で立ちこそ立派になったが、中身はご覧の通り、早出早着すら意識していない素人のままである。
この満車の人たちはすでに登頂済か下山途中だというのに、私は今から出発だ。
格好が一端の登山者なだけに、危険だ。まだビギナー丸出しだった前回の登山の方が可愛げがあるだろう。いやどっちもどっちだけど。
「ちょっと道路歩いて……ここか」
靴紐を結び直しつつ、そんな
登山口には少し寂れた神社があり、道はその奥へと続いている。
足下に散らばる枯葉落ち葉。
直立する木々の隙間から差し込む光。
誰も居ない、無音の冷えた空気。
登山道へ足を踏み入れると、一気に雰囲気が変わった。
町から山に入る、この瞬間がたまらない。
日常から非日常へ移る瞬間。
登山を初めて日が浅く、ソロだという事もありその感覚の違いをダイレクトに感じていた。
「……ふふ」
思わずニヤけて笑ってしまう。
傍から見たらただのヤベー野郎である。
だが今、周りには誰も居ない。ニヤニヤし放題だ。
落ち葉に彩られた地面を踏むと、乾いた枯葉と湿った土の匂いが漂う。
登り始めはなだらかな坂だった。
重いザックを背負っての、初めての登山だから正直ありがたい。肩にズッシリと重みを感じるから、徐々に慣らしていきたいところだ。
だがそう思っていたのも束の間。
「しんどい……!」
進んでいくとどんどん傾斜が出てきて、加えて落ち葉が大量だった。
足首までズッポリ埋まる量。
埋まるだけならいいが、滑る・地面の突起が見えないなどと危険極まりない。
だいぶ危ない状況なのだが、まだまだ初心者根性の抜けていない私は何クソとズンズン進んだ。恐れを知らなすぎる。
そんな感じで苦労して歩いていくと、イイ感じの広めの空間にイイ感じのベンチが。ベンチと言っても公園にあるような上等なモノではなく、木材が横たわっているだけなヤツだ。
丁度いい、一旦休憩しよう。
「ん?誰かの忘れ物か?」
木材ベンチの上には、1人用の折り畳みクッションが占拠していた。
真新しそうなので直近の忘れ物説が濃厚だ。冬の枯れた景色の中に、サイケデリックな黄色いクッションの異物感がハンパない。
私はそのクッションの隣に座り込み、白湯を飲んでお菓子を頬張った。
まだそんなに疲れてないが、ザックの重さと多すぎる落ち葉で気持ち疲労感が蓄積していた。
「ま、頑張って行くんだが」
数分の休憩を挟んで立ち上がる。
バテる前にこまめに休憩を取り入れるのは登山の基本である。この時の私はその事を知らないが。
ヨイショとザックを背負い、各種ヒモを調節。スタビライザーの紐(肩の真後ろくらいの位置にある紐。背負った状態だと見えない)がどこに行ったか分からず、一度ザックを下ろして確認。
もう一度背負ってしばし手探りで苦戦してなんとか締め付け完了。
登山口ではバイクミラーを使って目視しながら楽々やってしまったので、今後の課題である。家で背負う練習しとけよ。
そうして登山を再開すると、前方から人影がやって来た。
「こんにちはー」
「あ、こんちはーっス」
下山者だ。2人組の。
登山道で初めてのすれ違いにテンションの上がった私は、お節介にも先ほどのクッションのことを話す。
「そこのベンチにクッションが置いてあったんですが、どなたか忘れてませんかね?」
「クッション?私たちは使ってないですねー」
残念ながら持ち主ではないようだ。
この後も何組かすれ違う度に確認したのだが、誰も該当する人は居なかった。
うーむ。山に忘れ物するなど何事か。まだ山に忘れ物をしたことない私(登山2回目)は憤慨した。
しばらく悶々としながら落ち葉にフタをされた登山道を歩いていくと、次第に落ち葉の姿が消えていった。
ここまで頭上を覆っていた木々の数が少なくなり、代わりに剥き出しの砂と岩が登山道を支配する。
急にガラリと雰囲気が変わった。
「おぉ、割と景色いいな」
木の葉が落ちているので、周囲の景色がよく見えるように。
遠くの山はもちろん、直下の道路まで見える。
こうして見ると人里近いな。いざ遭難しても、そこら辺の坂から転がり落ちれば何とかなりそうに感じる(浅はかな思考)。
景色も良いが、目の前の岩たちも見どころだ。
大小様々な岩がそこらから突き出ている。
あまりの岩場ぶりに「だから『石尊』山なのか?」と勘ぐる。
そんな岩に思いを馳せながら進むと、何やら標識が。
「ふーん、釈迦岩展望?」
その標識の遠く向こう側には、確かにお釈迦様に見えなくもない形をした岩が立っていた。
遠目だとなるほど確かに、両手を合わせて頭を垂れているお釈迦様の後ろ姿に見える。
ただスマホの写真でズームで見ると、まぁただの岩だった。
名付けた人はセンスあるなぁと思いながら私は、幾分かなだらかになった道の岩の隙間を縫うように歩く。
そうして13:10──
「お、頂上か?」
周囲に遮るもののない、丘状の広い芝生の空間に出た。
周りには数組の登山者がベンチで寛いでいて、頂上感がハンパない。
「あ〜疲れた。俺も休も」
私も空いているベンチにどっかり座る。
クッションの所以外、あまり休憩するスペースが無かったのでノンストップでここまで登ってきていたのだ。初めての重いザックで無理し過ぎだ。
ザックの中身から菓子パンを取り出す。昼メシだ。
暖かな日差しの中、甘いパンを貪りながら頂上の散策をする。
丘の頂きに柱が立っていたので、それが頂上を示す標識かと思い近づいてみると、違った。
「何も書いてない……」
ただの柱だった。
結構古びていたので文字が掠れて読めなかっただけかもしれないが、とりあえず謎の柱である。
おかしいな。雰囲気的にメチャクチャ『石尊山頂上!』って感じなのに、頂上を示すモノがない。
私はマップを開いて確認すると、現在地は頂上ではなかった。
もう100~200mほど向こうに頂上があった。
「いやここ頂上じゃねぇのかよ」
すっかり登頂した気分だったのでダルさがすごい。
しかし距離的にも標高的にもそこまで差は無いので、私は渋々ながらも行く決意をして食べ終える。
ザックを背負っていると、これから行こうとしている頂上への道の方から2人組の男たちがやって来た。
(うお)
私は息を飲んだ。
その2人組はジャラジャラと、金具とロープにパンパンのザックと、私が想像する完璧な
こんな低山でそんな大仰な装備を……とこの時の私は思ったが、石尊山には岩場のバリエーションルートがあるらしい。クライミングにはうってつけだそうだ。
そんな岩場ルートでなくとも、単純に歩荷トレーニングという線もあるが、この時の私は「すげー」と羨望の眼差しを向けるばかりだった。だってカッコイイじゃん。金具ジャラジャラ。
「こんにちはー。気を付けて登山してくださいねー」
「あ、はい。こんちわっす」
そんな彼らと挨拶を交わして見送りつつ、いざ真の頂上へ。
偽頂上である丘から少し下る。
その先は再び森が深くなり、道を塞ぐように倒木があったり道が多少分かりづらかったりしたが、頂上へはあっさりと着いた。
「ここが頂上……」
──石尊山486m、登頂。
そこにはきちんと『石尊山頂上』の標識があった。展望皆無の森の中だが。
(嘘つけ!絶対さっきの丘の方が標高高いまであるわ!)
初心者の私の感覚などまったくアテにならないが、それでもここが頂上。
石尊山頂上はそれはまぁだいぶガッカリな場所だった。この時の私は知らないが、尾根道の途中に存在する頂上なのでさもありなん、である。
「あ、こんにちは」
「……」
そこには1人の先客が居て、内心荒ぶる私はペコリと一礼。相手は無言で会釈。
標識以外に何かないかとテキトーにブラつくが、マジで何も無いので標識の写真だけ撮って私は踵を返した。
少々味気ないが、何はともあれ石尊山登頂。
あとは下り返してゆくだけだ。
倒木を避けて丘の偽頂上にまで戻り、グングン来た道を戻る。
登って来る途中、二股に分かれていた道があったので通ってこなかった方を見て回る。
「お、何か建物がある」
何やら寺院のような、物置小屋のような。
道の左手は崖のように切り落ちていて、中々危なっかしい場所に建っていた。
何か祀っているようだが、中は見えないのでスルー。神仏とかにはまだ興味がない私であった。
どちらかといえばまだ石の方が興味がある。
さらに下ったところの、岩石地帯にて。
「ここら辺、いいな。デカい岩がゴロゴロあって」
興味というか、単純にデカいからスゲーとかそんな感じの興味である。
私は手頃なデカい岩に登り、平面な部分に座る。そこらに生えている木々より背が高いので見晴らしが最高だ。
13:40。ザックを背負ったまま背もたれにし、頭の後ろに手を組んで、しばし黄昏れる。
「あー〜……疲れた」
冬の風が、私のやる気のない言葉を攫っていった。
座って正面右には赤城山が見える。普段はもっと南から見ているので、新鮮な光景だ。
正面の遠くを見据えると、綺麗に雪化粧の施された浅間山が。
浅間山、登ってみてぇなぁ。あの滑らかな山肌に足跡に付けたい。
まだ積雪期登山を知らぬ素人の戯言である。
そもそも火口から2km圏内は規制区域だしな(.23年、.25年現在)。
しばらく景色を眺めながらボーッとする。
その岩の上はあまりにも居心地が良くて、真の山頂に置いてけぼりにしたおひとり様が先に下りていってしまったくらいだ。
「あ〜……居心地が良すぎる……」
今、この山の標高で私より高い位置に居る人間は居ない。
つまり私が本日最後の下山者となったようだ。
まだ明るいが、太陽も天頂から下り始めた頃合。
冬。
穏やかに吹きすさぶ風。
疲労による倦怠感。
山に独りという事もあり、侘しさという言葉がピッタリな心境に私は包まれた。
「はぁ〜……帰るか」
寂しいのにいつまでもここに居たい気持ちに区切りをつけて、立ち上がる。
岩から下りてザックを背負い直し、忘れ物がないか振り返りチェック。
その後は立ち止まることなく下山していく。
再びの落ち葉ゾーンで滑らないよう気を付けつつ、順調に進んでいくと。
「あー。結局持ち主は現れず、か」
古びた木のベンチの、誰かの忘れ物クッションは放置されたままだった。
流石にこんなに目立つ物を行き帰りで忘れる人は中々居ないと思うのだが……。少なくとも今日の登山者の所有物ではなかったらしい。
こういう場合どうすればいいのだろうか。
せめて登山口まで運んで、どこか目立つ場所に置いといた方がいいのだろうか。
しかしそれはそれで無責任な気もする。かといって放置も……
「ん〜、放置で」
登山ソロ初心者が気を揉む事ではないと結論づけた。
そも、最低限の声掛けはしたし、それでもこうして放置されているのだ。私もスルーしかあるまい。
微妙に罪悪感を感じながらも通り過ぎる。
おのれ、忘れ物した奴許せん。なぜ私が罪悪感を感じなければならないのか。
私は絶対山で忘れ物をしないことを誓った(この後、富士山でタオルを紛失する男)。
そうして石尊山から無事に下界へ下り切る直前。
前方から登ってくる人が挨拶してきた。
「こんにちはー」
「え、あ……こんちは……」
そのソロ男性はゆっくりとした足取りで登って行った。
時刻は14:00。
(この時間から登り始めるのか!?)
私は内心、引き止めようかと思った。
早出早着の言葉すら知らない私だったが、さすがに無人の山にこの時間から登るヤツはヤベー奴だと感じた。
でも装備は見た目ちゃんとしてたし、私でも2時間程度で往復できる山だ。
止める暇もなかったが、まぁ大丈夫なんだろう。そうだろう。
そうして14:10、私は無事に下山した。
麓の神社にて一礼する。
「ん?石碑なんてあったのか」
結構デカめの石碑が建っていたのだが、登り始めの時は気付かなかった。周りを見てなさ過ぎである。
その石碑にはデカデカと一言『女人禁制』の文字が。
時代を感じる碑である。
まぁ普通に女性のハイカーも居たし、マジモンの禁制ではないのだろう。
傾く陽の中、すっかり広くなった公民館の駐車場にてそんなことを考えながら、2回目の登山も無事に終えた。
………今回も無知で準備不足な私が無事だったのは、本当に幸運である事をここに明記しておく。
──余談だがこの後、帰宅した私は兄に飲みに誘われ、北海道へと旅立つ決意を固めて深夜渡航第1話へと繋がります。