ドサリ、という重い音で目が覚めた。
「んぁ?……なんか落ちた?」
シュラフの中でモゾモゾ寝返りを打つ。
物音に疑問を持ちつつも、まったく布団から出る気配は無い私である。寒い。メンドイ。
そうこうしているともう一度ドスン、と何かが落ちる音がした。
「…………ああ、雪かな?」
おそらく、樹上に積もった雪がテント近くに落下してきたのだ。
どうやらギリギリ当たらない位置にテントを立てていたらしい。運が良かったな私。
音の原因を推理した私は安心して惰眠を貪る。
いや寒くて起き上がる気力が湧かん。
さすがは冬山……すでに結構着込んでいるのに寒さが貫通してくるぜ……
「いやマジで寒いなコレ」
たまらず起き上がる。
凍死するほどじゃないが、快眠するには些か寒すぎる。
何かもう一段階、寒さ対策が必要だ。
「雨具を着るか」
シュラフの下に敷いていた上下の雨具を羽織る。断熱材的な役割を期待していたのだが、やはり着た方が効果が高い。
つま先が冷えに冷えていたので、ズボンは半脱ぎ状態で履き、裾でつま先を包む。
「おー、いい感じ」
少し着膨れが気になるが、防寒着として優秀だな、雨具。これなら寝れそうだ。
時刻を見るとまだ21時。寝始めて数時間でこれか……。
夜は長い。
「……とうとう、きてしまったか」
不意に目が覚めた私は、波が来たことを悟った。
トイレである。
時刻を見ると深夜2時。けっこう寝たな。
「うーーん……メンドイ。けど行かなきゃ」
シュラフの中でモゾモゾ寝返りを打つ。
まだしばらくはガマンできる尿意だが、朝まではムリだな。
もはや用足しは確定なのだが、このクソ寒い中シュラフからテントから出るのが億劫すぎる。
多分30分くらいはずっとモジモジしていたと思う。分からない。夜は時間が引き伸ばされる。
山荘から響いてくる室外機の低い音が羨ましい。
「っ行くか!」
意を決して起き上がった。
雨具をちゃんと着て、ヘッドライトを手に取り、テントのジッパーを開ける。
ジ〜〜ッ
「雪は……上がったか」
うろ覚えだが、確かこの時はもう降っていなかった気がする。
しかし地面にはしっかり降り積もり、ライトに照らされる世界は白だ。
星はない。
「あ〜寒。トイレ遠い……」
愚痴を言ってもしょうがないが、つい言ってしまう。
一瞬、そこら辺でしてしまおうかと邪な思いが生まれるが、頑張ってトイレまで歩く。
「うおっ!?」
滑ってけっこう派手に転んだ。
マジか……ショック。アイゼン付けてないとこんなに滑るのか……
面倒臭がって装着しなかったのだが、やはりちゃんとしないと危ないようだ。
でも戻るのは面倒なのでそのまま行く。
無事にトイレを済まし、帰り道は一歩ずつ気を付けて戻った。
「ふぅ。トイレ行くだけでひと苦労だな」
テントに帰還。
昼間に覚悟していたが、やはり実際は予想以上に面倒臭いし危なかった。
寒いのでシュラフに包まる。
それからウトウトとスヤスヤを繰り返し微睡むこと、数時間。
──4:30。
「もうそろそろ起きるか」
まだ外は暗いが、温かいメシを食ってれば丁度いい時間だろう。
隣のおじいちゃんテントからもガサゴソ音が聞こえるし、動き時だ。
「朝ラーキメるぜ」
朝食は袋ラーメンだ。具は無し。袋ラーメンは登山者にとって便利アイテム過ぎる。
さて、それでは早速皆大好きお湯を沸かすためにウォータータンクを手に取ったのだが……
ガシャポン、と変な音が鳴った。
「ガシャポン?」
え?ウソだろ?まさか……凍ってらっしゃる?
凍ってます。テントの隅に置いておいたウォータータンクの水、凍ってます。
「おいおいおい。これはマジでマズイ。……いや半分だけか。ギリだな」
タンクを揺らすとガシャガシャガシャと氷のぶつかる音が。
半分はまだ液体だった。完全凍結は免れていたらしい。
「うおー危ね。ちょっと考えれば予想出来たことなのに、全然考えてなかった。次からは気を付けないと」
冬山テン泊では飲み水が凍らないよう対策が必要だ。マジで全然考えてなかった。
とりあえず無事な水をコッヘルに注ぎ、バゴーッ、とバーナーが火を吹く。
テント内の気温が上がる。
「はぁーあったけ。生き返る……」
朝食の時間はシュラフの中でスマホを充電しておく。
寝てる間の充電は過充電がもったいないし、何より寒過ぎて充電されないからな。
水筒に入れていた水をおもむろに飲んだ。
「!?、マッズ!?」
昨晩、ミネストローネとソーセージをボイルしたお湯を詰めた水筒。
このお湯(すでに水)が
ヤバい。直感的に分かった。肉の脂だ。ソーセージだ。
「昨日の俺のアホ……」
普段料理しないからこうなるのだ。
仕方がないのでボイル湯を捨て、タンクの冷たい水を飲む。つめたっ。
そうこうしているとお湯が沸いた。
ラーメンをブチ込み、ほぐし、フーフー食べた。
「はぁ〜……ウメェ……生き返る」
口直しして今日何度目かの生き返る私。
山のラーメンほど至福なものはない。
しみじみしながらも、ものの5分と掛からず平らげ片付け作業に入る。
テントはまだ畳まないが、その他の荷物をある程度纏める。
「まだザックには入れなくていいか。雨降ってるわけじゃないし」
とりあえずテント内で収納出来るものは全て片付け、外へ。
景色は白んでいた。風が少し強い。
「メッチャ快晴だな」
昨日の曇天から一転、いまは雲ひとつない空だ。
まだ太陽は顔を出していないが、東側はすっかり明るい。
だが天頂から向こうは今だ漆黒だ。
私は夜明けの狭間に立っていた。
「それじゃあいざ、雲取山山頂へ」
モコモコに着込み、貴重品だけを持っていざ登頂へ。
山荘から頂上まではおよそ30分。
私は
「まさかこんなに良い天気になるとは」
ヒョイヒョイ駆け上がる勢いで登る。
ザックを背負っていたらそこそこ辛そうな坂だが、今の私の敵ではない。
ちょっとした岩場もなんのその。寝て食べて身軽な私は元気いっぱいだ。
「良い気分で朝日を拝めそうだ」
正直、朝日を拝むのは諦めていた。夜中もまだ降ってたし。
それがどうだ。この透き通った東雲は。
いや、もう曙だな。
太陽が顔を出してきた。
「ちょっと出発遅かったか」
山頂で日の出の様子をじっくり見ようと思っていたのだが、少し行動が遅かったようだ。
頂上までまだ半分といった所で、樹林の向こうからジワジワと光の玉が輝きを増していく。はえーよ地球の自転。
「おはようございまーす」
山荘に泊まっていたであろう、私と同じく山頂を目指している人たちを何人か抜かす。
彼ら彼女らはザックを背負っていた。このまま東京方面へ下りて行くのだろう。
身軽な私は太陽の温かみを感じながらサクサク進み、6:30──
「着いた!登頂!」
頂上には立派なオブジェが建っていた。
『東京都最高峰
辺りはすっかり朝焼けに照らされている。目に映る光景はほとんどオレンジ色だ。
「風、強いな」
山頂は開けていて遮るものがなく、吹きさらしだった。冷たい風が頬を叩く。
(意外と人居るな)
両手で数えられる程度の人数だが、山頂という限られた空間だと多く感じる。
テントは二つだけだったが、山荘にはこんなに泊まってたのか。
頂上の景色をパシャパシャ撮り終え、朝日拝みフェイズに移行する。
(いや〜……、登ってきた甲斐があったな)
ほぼ360°の絶景だ。
太陽の光に灼かれる東京。
奥秩父に連なる山々。その谷間には雲海が揺蕩っている。
そして奥に聳える、霊峰富士山。
裾野は黒く頂上付近は白く染まった、誰もが想像するフリー素材のような富士山の姿だ。
冬の澄んだ空気のお陰で遠くまで見渡せる。
「メチャクチャ景色良いですね!」
山頂で一堂に会した人たちと和気あいあいする。
自分のパーティ以外全員知らない人同士だが、冬山に登頂して朝日を浴びた者たちでシンパシーを感じ合う。
「あーあ。山座同定盤が凍ってるよ」
振り積もった雪が薄く固まり、ただの台になっている山座同定盤。
皆して固まった雪をどかし、盤面を発掘する。
「やっぱり富士山はデッカいねー」
どこの盤でも大きく表示される富士山と、実物の富士山を見比べて楽しむ。
他にも色々な山を眺めて存分にゆっくり満喫し、もうそろそろ行くかと腰を上げた。
「それじゃあ、お先失礼します」
ちょっとだけ仲良くなった山頂仲間たち別れを告げた。
さあ、お楽しみは終了だ。
長い長い下山が始まる。