文字通りの深夜渡航、第2弾は九州編です。
24.5/31──横須賀港へ向けて真夜中の高速爆走
「よし!もう俺が居なくても問題ないな!?じゃ、約束通り上がるぞ!」
私はそう言って職場を飛び出した。
定時から30分が過ぎて、ようやく私は職場から解放された。
この会社は毎日残業がデフォルトなので、30分の早上がりでも破格の内容なのだ。
私は急いで帰り支度を済ませ、従業員駐車場へ出た。
曇天の隙間から覗き込む斜陽が、私の旅路を急がせる。
通常は車通勤の私だが、今日は事情が違った。
「おまたせ。さあ行くぞXJR!」
通退勤にあるまじき大荷物満載のバイクで、私は本日出勤していた。
何故ならこの後自宅へ帰らず、このまま九州ツーリングの旅に出掛けるからだ。
「横須賀港には22時までには着かないといけない……。間に合ってくれよ!」
ブォン!とエンジンの振動が、足下の水溜まりに波紋を広げた。今朝の出勤時は雨が降っていた。
自宅とは逆方向へ舵を切り、私はこれからひた走る事になる。
九州・新門司港へ向かう、横須賀港23:45発のフェリーへ。
そして開聞岳を目指して。
〰️〰️〰️
「開聞岳?」
九州へと旅立つきっかけとなったのは、会社の先輩との雑談中だった。
その先輩は正月に九州へ旅行に出掛け、開聞岳という山に登ったらしい。
「イイ山だったよ。富士山みたいにキレイな形しててさ、登山道がこう、ぐるっと渦巻いてるんだよ」
この先輩は普段から車で全国各地を旅行しているアグレッシブな人なのだが、しかし登山までするような人ではなかった。
私が登山を始め、登山の話をしている内に、彼もいつの間にか山に登るようになっていた。行動力の化身……
「へぇ。確かにいい山だな、開聞岳」
調べると中々にそそる山である。
鹿児島県、薩摩半島の南端。端っこも端っこ。
別名、薩摩富士。
「……行くか!」
というわけで羨ましかったので、有給を駆使して時勢に抗う長期休暇を実現させた次第のであった。
──ちなみに.24年のGWはほぼ何処にも行かず、家でダラダラしていた。なんだか何もやる気が起きなかったのだ。
仕事量も最近少ないし、会社の全休日も挟んで何とか連チャン有給を取得(でも結構苦戦した。たった2日の有給で渋りすぎ)。
本当は出発日──フェリー乗船日である今日も休みたかったが流石にムリだった。
普段有給使わず、風邪を引かず遅刻もせずに働いてるんだから、たまの有給くらい素直に使わせてほしい。
「ま、しゃーなし。一応、定時に上がれれば何とかなるし」
そうして妥協出勤した結果が
やはり仕事は悪。無理言ってでも休めばよかった。
「は〜。通勤時は雨降ってて最悪だったし、台風が太平洋に居るしで、全ての事象が俺の九州行きを阻んできやがる」
バイクを走らせ、会社最寄りの高速へ向かう現在。
台風1号イーウィニャの影響による曇天の空が、オレンジ色に染まっていた。
しかも
旅程がおじゃんになる可能性、大である。
出発日前日の私は焦った。
「マジかよォ……ここまで準備してそりゃ無いぜ」
だが私のそんな心配事は杞憂に終わった。
休憩毎に逐一フェリーの運行状況を確認していたのだが、まさかの通常運行。
台風をものともしていないのである、横須賀フェリー。頼もし過ぎる。
それ自体は嬉しい情報なのだが、ひとつ懸念があった。
私は三半規管が脆弱なので、乗船したはいいものの台風の余波で激しく揺れられたらひとたまりもないだろう。
今から戦々恐々としている私であった。
「まぁでも諸々の予約しちゃったし、幻の連続有給も使ったから頑張って行くけど」
荒れる波は怖い。
乗船中は最悪、酔い止めを飲んでずっと寝てる事も視野に入れなければならない。三半規管ってどうやったら鍛えられるんですかね?
そんな不安だらけの九州ツーリングに向けてスタートを切った私は、暗くなり始めた18:40、蓮田SAにて晩メシを食べていた。
「いただきます」
カツ丼定食をモリモリ食べる。
これから慣れない首都高を爆走する。しかも闇夜に染まる、雨が降るかもしれない首都高をだ。
私はカツ丼を食べながら道程を入念にチェックする。
ここから本日の目標地点である横須賀ICまで、SAはおろかPAすら無いのだ(実際はあるかもしれないが、この時の私には発見できなかった)。
つまり、道間違いは許されない。一発勝負だ。
地図と名称を頭に叩き込み、カツ丼を流し込んでいざ立ち上がる。
「……人、多いな」
華金とあってか、そこそこの人の賑わいを見せるSAの食堂。
金曜日の黄昏時に高速に乗ることなんて無かったから、こんなに人が居るなんて驚きだ。皆、仕事が終わって直で来てるのか?行動力の化身たち過ぎる……
コンビニで飲み物とお菓子を調達し、バイクの下へ。
「もうすっかり夜だな」
太陽は沈み、オレンジの僅かな光が西の空を染めるのみ。
最後にもう一度道順をスマホで確かめ、服装を正す。
現在の服装はツナギだ。
千里浜なぎさドライブウェイ以来の、私の夏のバイク専用装備。
春から夏へ移り変わるこの時期。
暖かい日が多くなって久しく、向かう先は南国の九州である。
薄着くらいで丁度良いだろうと思い、バイク移動時は
「まぁ流石に今は寒いけどな」
いくら暖かくなってきた時期とはいえ、更けていく夜に、天候は今にも降り出しそうな曇天だ。
ツナギだけでは流石にヤバいので、上に雨具を羽織る。
どっちにしろこの先停まれる場所がないので、道中で雨が降ってきてもいいように着なければならない。
……少々着膨れしている感じが否めないな。
「まぁ仕方ない!さっさと行くぞ!」
せっかく頭に叩き込んだ道順を忘れない内に、いざ闇の首都高へ向かう。
「つってもほぼ直進だけどな」
ブオオオ!と闇夜に轟くエンジン音。
交通量も大した事なく、順調に首都圏へと入った私だった。
天気も今のところ持っているし、雨具のお陰で体温も丁度いい。降雨に関わらず雨具着といて良かった。
だが油断はできない。
慣れない夜の首都高だ。
2週間前に事前に横須賀港まで下見したとはいえ、夜だと道の毛色はまったく違う。
しかも今回は会社最寄りのICからなので、自宅出発の下見の時とスタート地点が違う。
気を付けなければ──……と注意していた矢先。
「ッ!?」
目の前の車のブレーキランプが輝いた。
即座にフロント・リアブレーキ、クラッチを切る。
「うおおお危な!?なに急に止まりやがっ……料金所かっ」
前の車の陰になっていて見えなかった。
料金所は複数箇所ある事は知っていたが、もうここまで来ていたか。
それにしても前の車も、ギリギリまでスピード出し過ぎである。お陰で滅多にしない急制動をやるハメになった。
もっと余裕を持ったドライブをだな……と内心グチグチしながらゲートを潜る。
件の車に対して車間距離を過剰に取り、気持ちを落ち着かせるためにゆっくり走る。
と、そこで異変に気付いた。
「ん?なんか赤ランプが点灯してる……」
バイクのタコメーターの隣。
ETCカードがきちんと挿入されているかどうかを示すランプが、赤く点滅を繰り返していた。
おかしい。さっきまでは挿入済みの緑ランプだったのに、どうして急に?
「もしかして、さっきの急ブレーキか?そんな事あんの?」
しかし事実、目の前で警告を発する赤い光。
どういう原理かは分からないが、先程の動作で何か不具合が起きたようだ。
バイク自体は特に問題なく稼働しているのだが、明滅する赤が夜の闇にとにかく目立つ。
やめろ。赤色でチカチカするな。不安になってくるだろうが。
「さっきの料金所はよく通過出来たな……」
幸いなのかどうなのか、料金所を過ぎてから力尽きたようである。そんな事ある?
「つーか、この先停まれる場所ないんだぞ?次の料金所までに何処かでETCカード挿入し直さないと……荷物下ろさないとかよ……」
しかし問題なのはこの後だ。
ボヤいた通り、次の料金所を通過する前に一度バイクから下りてカードを挿入し直さなければならない。
ETC車載器はシートの下……、括り付けられたザックの下だ。
この不具合を直すためには、荷物を解いてETCカードを挿入し直した後、また荷物を括り直す……。面倒くさいことこの上ない作業をしなければならない。
辟易しながらも、今はとりあえず走るしかなかった。どこか停まれる場所を求めて……。
「うーん。やっぱりPAすら見当たらんな」
どんなに小さな場所だろうと停車する心持ちで首都高を走るのだが、これがとんと見つからない。
一箇所、ルートを外れて行けばSAがあったがスルーする。
道順はせっかく順調なので、想定しているルートから外れたくなかったのだ。時間的にもそこまで余裕があるわけではないし……
などとなんやかんや言い訳しながら延々と走り続ける私。
結局、ETCカード未挿入状態のまま次の料金所まで来てしまった。
「もうこの手前で止まるしかないな」
料金所前の開けた空間──夜だからか交通量は少ない──の、道路の端っこにてハザードを焚いて停車。
幸い、目の前の端っこのレーンは通行止めになっていたので後続車にぶつかられる心配はないだろう。
通り過ぎていく数少ない車と、バイクのエンジン音だけが暗闇に響く。
「ふう。赤ランプのまま結構走ってきちゃったな。精神的に疲れた……」
ただでさえ慣れない夜の首都高で、目の前で点滅する赤ランプは凄いストレスだった。
しかも現在も、
「急げ急げ。雨もちょっと降ってきやがった」
パラパラと雨も急かしてくる。
ザックを下ろし、シートをパカリと開けてETC車載器からカードを挿入し直す。
よし。これで大丈夫……
「あれ!?まだ点滅してる!?」
未挿入を表す赤ランプは変わらず明滅していた。
なんてこった!入れ直したら直ると思っていたが、事はそう単純ではなかったようだ。
もう一度やり直してもまだダメだったので、今度はバイクのエンジンも切ってみる。
途端に訪れる静寂。数台の車がレーンを通り抜けていく。
これでダメだったらもう打つ手が無いなと思いながら、祈る気持ちでセルを回す。
再びカードを出し入れ……
「っ、良かった〜っ。緑ランプ着いた〜……!」
ETCカード挿入済みを示す緑ランプが、ようやく光った。
三回目の挿入し直しでようやく車載器が正常に作動したようである。
とりあえずこれで一安心だ。
「よかったよかった。……いや、また積み下ろしするハメになったらヤだし、もう一回確認しとくか」
念の為もう一度再起動ムーブを試してみる。
……緑ランプ、点灯。
よしよし、大丈夫そうだな。
再確認も済んだので、シートとザックをバイクに取り付ける。
テンション、紐の通り、ヨシ!
「忘れ物もないな?じゃあ満を持して、料金所を潜るか」
後続車が来ないタイミングでトロトロとバイクを進ませる。
車載器に問題があったようなので、もしかしたら弾かれるかもしれないと思いつつ料金所をゆっくり通過する。
緊張の一瞬。
「……っ、行けた!よっしゃぁ!」
特に問題なく通り抜けられた。
遅れを取り戻すように私はスピードを上げた。
結局なぜ急ブレーキでこんな不具合が起きたのかは分からないが、次からはもっと車間距離を取ろうと誓う私であった。
いやまぁ
「はぁー疲れた。でも後もう少し」
後はもう横須賀ICで下りて街中をチョロっとするだけだ。
横須賀の街並みは2週間前に下見済みだし、後はもう完璧……
「うむ。下りる方向を間違えたな」
無事に横須賀ICから下りた私だったが、左へ行く道のはずが右に行ってしまった。
痛恨のミス!
「くそっ。下見の時は横須賀IC通り過ぎて、次のICから下りて向かっちまったからな。この部分だけは初見なんだ」
まぁでもこの程度、問題ない。
幸いにも直ぐにコンビニがあったので立ち止まり、道順をチェック。
「……ん?前回通った道じゃん」
下見の時ハチャメチャに動き回ったお陰か、このまま道なりに進めば見覚えのある道があった。
うむ。下見した甲斐があったな。
だが私はまだ甘く見ていた。昼の道と夜の道は別物だと。
「あれ?何処だここ?」
しばらくは既視感のある道を進んでいたのだが、ふと気付いたら見知らぬ道を走っていた。
いつの間に迷い込んだんだ……、いや違う。曲がるべき場所をスルーしてしまったんだ!
「マジか……全然気付かなかった」
注意していたはずがあっさり見落としてしまった。これが夜の道……
ちょっと悪いなと思いつつ、そこら辺の営業していない駐車場の敷地の端にお邪魔して道を再確認。
やはり横須賀港を通り過ぎていた。
「うーむ。夜だとやっぱ分からんくなる。曲がる場所全然見つけらんなかったな」
こうならないように下見したはずだが、まあ一回通っただけだとこんなものだ。しょうがない。
道を戻り──、21:40。
ようやく横須賀港に到着した。
「よーし。色々トラブルあったけど、時間的には概ね予定通りだな」
誘導に従ってバイクを停め、ヘルメットを脱いで人心地着く。
世間的にはただの週末なため、一般車両は少なかった。トラックはそこそこ居るが。お仕事お疲れさまです。
逆に言えば、それでも何台かバイクが居た。この人達はどういう生活サイクルなのだろう。
「さて、受付を済ませてくるか」
静かな埠頭で背を伸ばしながら、割とひっきりなしにやって来るトラックを避けつつ歩く。
下見の時に来れたのはこの駐車場までで、ここから先は未踏だ。
それでもフェリー乗船自体は、去年の北海道に続き2回目かつシステム的にも同じなので、特に問題なく受付を終えた。
ふう。後はもう出港時間までダラダラ待つだけだ。これでようやく腰を据えて落ち着ける。
横須賀港フェリーターミナルは新築っぽい感じがした。
ターミナルの2階にはカフェが設けられており、全面ガラス張りの向こうにはこれから乗るフェリー『それいゆ』が悠々と佇んでいる。
出港まで眺めて過ごせという事か。
カフェには待ち人がそこそこ居て、皆思い思いに過ごしていた。
私もそこに加わる……前に、小腹が空いたので何か頼もう。
「うーん……、このラッシーと海軍カレーパンください」
コーヒーと迷ったが、たまにはラッシーもいいだろう。コーヒーは会社の休憩中に飲んだしな。
商品の紹介パネルにも『海軍カレーパンとラッシーの相性は抜群!』と書いてあるし、素直にオススメに乗っかる。
「おっほ。サクサクだ」
嬉しいことに揚げたてのカレーパンだった。
夜の空気で冷えきった体に染みる……
その火照る口内に冷たく甘いラッシーだ。これは確かにいい連携である。
食べ切ってすっかり落ち着いた後は、本を読んで過ごした。
今回も3冊ほどの積読本をピックアップしてきた。今読んでいるのは船の科学の新書だ。
前回、北海道へ向けてフェリーに乗ったことで船に多少の関心を持ったので購入していたのだ。……まぁ積読していたわけだが。
だが今回、また深夜便に乗ることになったのでこれ幸いと持ってきた次第である。へー、船の増設って中央をぶった切ってやるんだ。
『乗船する方は、乗船の準備をお願いします』
本を読んでいたらアナウンスが降ってきた。
やべ、もうそんな時間か。
私はゴミを片付け急いで夜のバイクへ戻ると、私の他に数えるほどしか居ないバイカーたちを係員が案内しようとしていた。
私は小走りで自分のバイクに辿り着くと、そのままGOサインが出た。
ちょ、早い。
エンジンを始動しヘルメットを被り、夜間に煌めく誘導灯を頼りにフェリー乗船口へ。
「バーコードお願いします」
フェリーへ繋がる桟橋の前で一時停止。
ネット予約者にメールにて添付される、乗船許可証のQRコードをスマホから読み取ってもらい、いざ桟橋を駆け上がる。
「なんかずいぶん傾斜があるな」
北海道の時は陸地と平坦な桟橋を渡ったが、今はだいぶ斜めに上がる。船によって車両甲板の位置が違うのだろうか。
そんなことを思いながらフェリー内に侵入し、誘導に従って無事に停車。
ローギアにしてエンジン停止し、ハンドルロック。
サイドバックから荷物を引っ張り出し、ヘルメットは被ったまま客室へ流れるような動作で向かう。
ふっ。二回目のフェリー乗船だから慣れたモンだぜ。
2階分ほど階段を上がり、一旦エントランスロビーへ。私の部屋の位置を探る。
「んー……あっちか?」
壁の船内案内板とスマホに表示される客室番号を頼りに練り歩き、自室と思しき扉の前へ。
ノブの上に台座があり、そこにQRコードをかざす。
「ん?なかなか反応しないな。もしかして部屋を間違え……開いた」
カチリ、とちっちゃな音が聞こえ、ノブが動いた。QRコードを読み込ませるのにちょっとコツがいるようである。
これから約21時間お世話になる、ほぼベッドだけの空間とご対面。よろしくな。
「ヘルメット脱いでー、荷物置きーの、靴脱いでー。出でよサンダルフォン」
テキトーなことを言いながらペペン、と平たいサンダル一足を床に落とす。
ビーチサンダルのような、しかしそれよりも固くて厚い絶妙な塩梅のおニューのサンダルである。
北海道ツーリングでは造りのいい厚いサンダルを持って行って荷物を圧迫してしまったからな。吟味に吟味を重ね、良いサンダルを入手した。
雨具を脱ぎ、ツナギを脱ぎ、半袖短パン裸足と超身軽になったところで風呂へ向かう。
「夕飯はまだいいか。一応それなりに食ってきてそこまで腹減ってないし」
夕食案内のアナウンスが流れたような気がするが、そこそこに腹は満たされているのでスルー。
今日はもう風呂入って寝よう。
「っふぁ〜……溶ける……」
シャワーで体を流し、ザパー、と湯船にダイブ。
勤務終わりの、小雨の夜の高速を駆け抜けてきた身体に湯が染みる。
雨は結局そこまでの降りではなかったのが幸いだった。
というかさっき調べたら、フェリーを妨害するかと思われた台風1号イーウィニャは本日AM3:00には既に温帯低気圧と化していた。
心配はまったくもって杞憂であった。
「揺れが凄いだろうなと覚悟して来たけど、穏やかで良かった」
まぁまだ東京湾の中なので太平洋の海原に出たら分からないが、酷い揺れにはならなそうでひと安心だ。荒波だったらいくら覚悟していても三半規管に殺される。
まさかの露天風呂があったので行ってみる。
外に出ると、台風の余韻を感じさせる潮風に吹かれた。小雨の冷たさが心地いい。
「お。もう動いてんな」
いつの間にか出港していたようで、港町の灯りがゆっくりと遠のいていく。
暗黒の中へと進んでいく私たち。
さて、これから976kmの航路だ。行き着く先は九州地方、福岡県の新門司港。
九州地方へ初めて踏み込む事になる。
厳密には高校の修学旅行で飛行機沖縄しているのだが、それはノーカンでいいだろう。記憶も薄いし。
それに実は私はまだ関西圏すら行ったことがないので、超大股で列島を跨いでしまった事になる。
西日本各地は行こうと思えばいつでも行けるのだが、なんやかんや行けてない。長期の有給を取らせてくれ日本の企業。
「ふーサッパリした」
ホカホカの体を冷ますために船内をペタペタ散策する。
一旦部屋に戻って着替えやタオルをポイポイして、水と本を持つ。
フェリー乗船前の読みかけ本をロビーで広げ、しばらく自適に過ごす。
「ふあ……寝るか」
心地よい眠気が到来してきた。
周囲も静かなのが拍車をかける。
時刻は深夜に差し掛かり、そもそも一般客自体が少ないのだ。
人が増えることはない。ここは海の上。閉ざされた空間。
船内は明るいが、窓の向こうは空も海も漆黒の景色。
まるで夜逃げする犯罪者の気分だ。
「こういう空気、メッチャ好きだな」
やはり人が居ない時期に来たのは正解だな。人混みは避けるに限る。
今日は勤務明け直行で慌ただしかったし、一日の最後はこうしてゆっくり過ごせて良かった。やはり労働は悪だと再確認する。
シンと静まりかえるフェリーの中で、私は本を閉じた。