──15:00、鹿児島県南九州市のとある町にて。
「ここ、か……?」
市街地というか、地元民しか通らないような入り組んだ道路を縫うように進み、目当ての精肉店の駐車場に私は辿り着いていた。
一旦バイクを停めて地図を見る。
「あー?店はすぐそこに表示されてるのに、店無くね?いやでも精肉店の名前、ここに書かれてるしな……」
砂利の敷き詰められた精肉店の専用駐車場は、私以外に誰も居なかった。
まだセミは鳴いていない。夏に差しかかる太陽と風が、私とバイクを撫でていく。
「ちょっと歩いてみるか」
少なくともこの近くだという事は間違いない。
果たして、道なりに進むと目当ての精肉店はあった。
ガラス戸の向こうに、ショーケースにズラリと並んだ生肉が陳列されている。
普段、スーパーなどでしか買い物をしない私にとって、こういうザ・精肉店という風貌は少し尻込みした。
でもせっかくここまで来て寄らないのはありえない。意を決して戸を引く。
「いらっしゃいー。何をお買い求めでー?」
雰囲気に飲まれている、明らかに慣れてなさそうな
私も私で、どれが何だか分からないので素人丸出しを隠さずおっぴろげて話した。
「えーと……、鳥刺しを食べたくて来たんですけど、オススメとかあります?」
「そうですねー。コレとかコレ、あとコレなんかがよく買われますねー」
店主はきちんと説明してくれたが、ぶっちゃけ忘れてしまった。
説明を聞きながらふーん、へー、と「あ、あと購入は何gから……100?じゃあそのオススメ各種盛り合わせで100gください」と注文。
私のような客がよく来るのだろう、会計トレーの横には塩などが売っていた。しかも鳥刺し用の。
買うかどうか迷ったが、確かザックの中──クッカーの中に少量の塩を忍ばせておいたはずである。それを振りかけて食べよう。
保冷用具とか無いので、買ったらそこで食べるつもりである。生肉100gを。
「ふー何とか買えたぜ!念願の鳥刺しを!」
スムーズに購入できてご満悦な私は、バイクを停めた駐車場に戻ってきて早速小ぶりな精肉トレーのラップを丁寧に外した。
赤身と白身がそれぞれ半々ずつ並ぶ、厚めの生々しい刺身と対面。
白身をひとつ、摘む。
「うっほー……、……マジ?コレ食っていいの?」
理性が「やめとけ」と言う。
本能が「うまいぞ」と言う。
……鹿児島県独自の衛生基準を信じろっ。
「じゃあ……いただきます」
まずは何もかけず、生肉を
口に運ぶと、まず力強く柔らかな弾力に驚いた。
魚の刺身とは全然違う、歯にしっかり抵抗する存在感。でも決して固いわけではない。
淡白ながらも噛むと米の甘みを味わうような、けれど種類の違う甘味が出てくるのを感じる。脳の奥が喜ぶような甘さだ。
「……うまい!」
続けて赤身だ。
こちらはギュムギュムと歯ごたえが良く、血の味がしてまさに肉を食べている感じだ。本能が刺激される感じがする。
これは酒が欲しい。強いのがいいな。
……なるほどな。鳥刺しといい、からし蓮根といい、そりゃ筑紫で焼酎が愛飲されるわけだ。かんぜんに理解した。
惜しむらくはまだ運転する必要がある私は、アルコールを摂取出来ないことだ。あと1時間弱ほどで民宿なんだがな……
「生でもイイけど、醤油欲しいな。とりあえず塩かけて食うか」
私はザックをガサゴソ漁り、苦労して取りだしたクッカーをパカリと開けて愕然とした。
「……塩、入ってなかった」
まさかの入れ忘れである。
入っていたのはバーナーのヘッド部分と、小瓶に詰めたコーヒーの粉と、百均ライター。
そこに万能調味料の塩は入ってなかった……。
おいおい、鳥刺し食べるのは事前に計画してただろ。何してんだ過去の私。
「塩、買うか?」
精肉店の棚に陳列されていた塩を買うか検討する。
でもサイズがデカかったんだよな……。今ハチャメチャに塩欲しいけど、その後に絶対持て余す気しかしない。あと、どちらかというと醤油の方が欲しい。
「よし。素の味を楽しもう」
鶏肉を生食する背徳感をスパイスとして完食することを決意した。
幸い、私は乾パンを間食として好んで食べるくらい、質素な味に寛容な舌を持っている(乾パン普通に美味しくない?親戚には「キショ」と言われた)。このまま生で食べるのはそこまで苦ではない。
(……まぁ、ちょっと味気ないのは否めないけど)
上記の食レポでは美味しく頂いてる描写を頑張って書いてみたが──いや実際に旨みはあるのだが──、やはり調味料の存在は必須だと言わざるを得ない。
醤油ブッ掛けた方が絶対うまい。
酒も欲しいッッッ
「うまい、うまい」
バイクに腰掛け、指で摘んだ鳥刺しを
地元の人だろうか。車が一台やって来て、一瞬で肉を買って去っていった。不審者を見るような目で見られた気がしなくもない。
初めて訪れる九州の地にて、本格的な夏がもうすぐそこまで来ていた。
「ふぅ……食べた食べた」
鳥刺し100gを
次は出来れば店で食べたいところだ。
ペットボトルの水で手を洗い、民宿までの道のりを再確認する。
「腹が痛くならなきゃいいが」
鹿児島県の衛生管理のの事は信じているが、やはり少し不安だ。
腹を下さないことを祈りつつ、民宿へ向かう。
「あー……ガソリン持つかな」
出発してしばらく、燃料計の針が底に着こうとしていた。
一度途中のSAで補給はしていたが、高速移動は燃料を多大に消費する。宿まで持つか微妙だ。
「意外とどこも休みなんだなー。日曜日のスタンドは」
出発前に近場を調べたが、半分くらいは営業していなかった。日曜日はかき入れ時じゃ無いんですかっ。
なので少し遠目のガソリンスタンドを目指している。
そんな時だった。
見通しの良い通りに出た時、ついにその姿が現れた。
──15:45。
「お!アレ絶対そうだろ!」
綺麗に広がる裾野のシルエットが遠目に見えた。なるほど、あの威容は確かに富士の系譜に連なるに相応しい。
薩摩富士──開聞岳だ。
「長かったァ……」
群馬から横須賀港へ100km。
海路970km。
新門司港から陸路350kmを経て、ついに辿り着いた。この旅の目的地。
移動した数字を改めて列挙すると果てしないな。
「こりゃあ写真撮るしかねぇ」
ちょうど見通しの良い直線ストレート通りだったので、行儀が悪いと思いつつ路肩にハザードを焚いて停まる。
バイク越しに開聞岳の影を収めた。
「うーむ。上まで真っ黒な富士山だな」
森林限界を突破していないので、下から上まで鬱蒼としていた。
それでもこんなに綺麗な円錐型なのだから、自然の神秘だ。
「お。やっぱりスポットがあるよな」
再発進してしばらく226号線を進むと、開聞岳を望める駐車場だけの場所があったので再び停車。エンジンは付けっぱ。
ガソリンは無いけどこれくらいは持つだろ。
さっきよりも近くなった開聞岳を改めて見上げる。
近づいて改めて見ると、左側の頂上手前の一部が少しボコッとして段差になっていた。宝永火山かよ。そんな所まで富士山リスペクトか?
所々雲は浮かんでいるが、この調子なら明日も晴れそうだ。ここまで来たら多少雨に降られようが登るが、やはり晴れてくれた方が気分がいい。
「さて、ガソリン補給してさっさと宿に行くか」
景色としての開聞岳を堪能し、残り少しの道程を急ぐ。
一日中移動していたので早くダラダラしたかった。
「よし。ガソリン満タン!」
ガス欠になる前に何とか無事にスタンドに立ち寄り給油し(割と残メーター余裕あった)、いざ民宿へ。
「おー……近付くとそこそこデケーな開聞岳」
彼我の距離が縮まり、どんどん見上げる形になっていく開聞岳。
1000m弱しかない山だが、独立峰なので存在感がハンパない。
海岸線沿いに走っているので本当は右手に大海原も望めるハズだが、一瞬見えただけで以降は建物が多くて全然見えなかった。普通に市街地。
「おーし。ここかな?信号を右折、と」
特に目印になる建物は無かったが、民宿への道筋をイッパツで引き当てた。ストリートビュー機能最高。
そうして民宿の看板を見つけたのだが、ここで困った。
「駐車場、無くね?」
一度通り過ぎて切り返し、塀に貼り付けられた看板の前にて路上駐車。道幅はあまり広くないが、交通量も少ないので停めさせてもらおう。
確実にここが本日の宿なのだが、小さな庭があるだけでとても駐車スペースには見えない。
私は一旦バイクから下りて、玄関に向かった。
「ごめんくださーい」
玄関は網戸になっていて、昔の民家特有のヤケに高い上がり框が見える。人は居るようだ。
「すみませーん。今日宿泊予約した者ですがー」
しかし呼び鈴を押しても誰も出てこないので、玄関前で何度か声を上げる。絶対人は居る雰囲気なのに、何処にいるんだ?
と、庭の奥の方からおじいさんが出てきた。
「はい、今そっち行きます。ちょっと裏で作業してたもんでね」
よかった、人が居て。電話予約した時の人だな。
おじいさんがコッチに来て網戸を開ける。
「ちょっと待ってね。今宿泊の紙持ってくるから」
「あ!その前に、バイクって何処に置けばいいですかね?今、路駐しちゃってて」
「ああ。こっちに駐車場がありますよ」
家の中へ上がろうとしたおじいさんを呼び止め、案内してもらう。
玄関の裏手に駐車場があった。
土と砂利が剥き出しの、乗用車3・4台分くらいの塀に囲まれた敷地。車だとターンが厳しそうだ。
塀沿いに植えられた紫陽花が色とりどりに咲き誇っていた。
ともかく16:40──。
こうして私は無事に本日の目的地である民宿に到着した。お疲れ様だ。
路駐を避けられて安心した。これでようやく人心地つける。
「ありがとうございます。はぁ〜、ここまで来るのに疲れました」
「ふふ、お疲れ様です。それじゃあ早速中を案内……お客さん、タイヤにめずらしいステッカーを貼ってるんですねぇ」
「え?ステッカー?」
荷を解こうとしていると、不意におじいさんが不思議な質問をしてきた。
ステッカー?タイヤという消耗部にそんなの貼るわけないのだが、おじいさんの指差す部分を見て私は驚愕した。
「ウワーッ!?ネジがめり込んどる!?」
後輪トレッド部のややマフラー側に、タッピンネジが突き刺さっていた。
それはまさにステッカーかのように、見事にタイヤの表面に埋没する形で。
こんなに綺麗に刺さっていたら、確かにステッカーに見えなくもない刺さり具合だった。思わず笑っちゃうほどタイヤの表面と同化している。
私はおじいさんに「これシールじゃなくて、マジでネジが刺さってますね」と言うと「あらら、よく無事に走って来られたねぇ」と感心された。私もビックリだ。
「マジかよ……いつの間にッ」
思い当たる節はない。そもそも『いつから』刺さっていたのかも分からない。こんなとこ点検してなかった。
高速移動中かもしれないし、船の中かもしれないし、自宅、それ以前……と思い返すが、まあ高速道路でだろうな。
この芸術的なまでのメリ込み具合……、よほどのパワーが作用しなければこうはならないだろう。
バーストしなくて本当に良かった……不幸中の幸いとはこの事だ。
とりあえず無事にここまで辿り着けたのだし、この後どうするかが重要だ。
私はおじいさんに向き直る。
「すみません。この辺でバイク用品店か、タイヤ屋ありますかね?」
「んー。それなら近くに知り合いの車屋が居るから、ちょっと行ってみます?多分これくらいなら修理してくれると思うんだけど」
なんと、それはありがたい。
ネットで修理方法を見ながら何とかしようと思っていたが、その道のプロに任せられるなら是非ともそうしたい。
私はご厚意に甘えて、おじいさんの運転する軽トラに乗せてもらいその車屋へ向かった。何から何までありがとうございます。
そうしてものの5分で到着した私たちだったが、その車屋は本日休業日だった。
「あらら、休みだったかぁ」
「ま、まぁこればっかりはしょうがないですね」
「うーん、ちょっと電話してみるか」
私が止める暇もなくコールし始めるおじいさん。いやちょっ、流石に休日に呼び出すのは可哀想ではっ。
「もしもし。ちょっとお客さんのバイクのタイヤにネジが刺さっちゃっててさぁ。今お宅の店の前に居るんだけど」
「え?もう酒飲んでる?まだ日も落ちてねぇのに早い晩酌だなぁ。休んでるとこ悪いね」
「あー、明日見てくれる?お客さんは明日登山するからさ、その間に見ちゃう?……お客さんもそれでいいって。じゃあ、明日よろしく」
トントン拍子で話が進み、明日の朝、民宿に停めたバイクに車屋の人が出張して来てくれる話になった。
しかも私が登山している間に直しに来てくれるらしい。立ち会わなくていいのかと確認したが、ネジが刺さったくらいならササッと直せるとの事で、支払いも登山後に民宿のおじいさんに渡しとけばいいとの事。
この節は本当にありがとうございました。顔も知らぬ車屋さん。
「いや本当にありがとうございます。なんとお礼を言っていいやら」
「いやいや、旅にトラブルは付き物ですからね。ウチは民宿やってますから、それはもう色々な人にお会いしましたよ」
目処が立ったところで、
それに比べれば確かに、タイヤにネジが刺さるレベルなどなんて事ないトラブルだ。
「そういえばお客さん、今日はもうバイクで運転出来なくなってしまったけど、何処かへ行く予定はありましたか?」
「あー、そうですね……。開聞岳の麓を一周してみようかと思ってたんですが……」
現在時刻は17:00頃、夏至に近付く初夏の空はまだまだ明るい。
ネジ問題さえ無ければ開聞岳の周囲を一周した後、温泉施設にでも立ち寄ろうかと思っていたのだが……。おじいさんの言う通り、ネジの存在に気付いてしまった今バイクを動かすのは憚られた。
するとおじいさんが提案する。
「よければこのまま一周しますよ。割とよく案内もするんです」
「マジですか。え、それじゃあお言葉に甘えてお願いします」
本当に至れり尽くせりだ。頭が上がらない。
こうして私たちは車屋の駐車場を出発し、民宿を通り過ぎて開聞岳の外周の道へ向かった。