16:20。今宵の宿に続く道のりを、バイクで駆る。
目的地は然別湖。その湖畔。
然別湖北岸野営場。
そこが今日の宿泊予定地である。
道の駅『しかおい』からひたすら北上し、山道に入った。
樽前山の時もそうだったが、山に緑がない。
5月ともなればそろそろ新緑萌える時期だが、北海道ではまだ厳しいようだ。
道路脇に生える樺の木──
たった一人夕暮れ時、なんだかその光景に少しだけゾッとした。
しばらく登ると、ビューポイントと思しき場所があった。
だが私はスルー。この時、曇天が空を覆っていのだ。どうやら日勝峠で置いてけぼりにした雲に追いつかれたらしい。
そんなワケで今は絶景よりも、風呂と宿を目指す。
この山道、キャンプ場へ至る途中に温泉もあるのだ。
温泉に浸かってサッパリした後、テント設営・夕飯・就寝のコンボを決める。これが本日最後のミッション。
私は骨の木々たちを吹き飛ばすようにバイクを走らせた。
目的の然別湖、そしてそこに隣接する温泉に着いた。
ここは日帰り入浴のできるホテルで、もし雨が降っていた場合の備え──第二宿泊プラン地でもある。
ちなみに当日現在、小雨が降っていた。山に入ってから急激に天気が悪化してきたのだ。
それでも小雨程度。これくらいならば問題ない。私は当初の予定通り、このホテルの温泉に入ったらキャンプ場に向かうつもりだ。
ホテルにはそこそこ人が居た。ここに来るまでほぼ人の気配が無かったのだが、然別湖周辺のみ人口密度が回復していてなんとも不思議な気分だ。
さて、割と大きいホテルだ。何やら支配人っぽいスーツの人がロビーと玄関を行ったり来たりしていて、忙しない。
私はその人に会釈してから通り過ぎ、フロントへ。日帰り温泉を利用したい旨を伝えると、快く応じてくれた。
館内の説明を聞き、二階の温泉へ。ちなみに玄関を入ったここ、現在地が三階らしく、このホテルは少々入り組んだ形をしているようだ。
エレベーターを利用して、二階。
少々薄暗くて年季も入っており、だいぶ雰囲気がある。流石はこんな山奥にポツンと建つホテルだ。深山幽谷の趣である。
問題は温泉だ。温泉さえ素晴らしければ何も言うことはない。
ところどころ破けた障子戸を開け、脱衣所へ。
誰も居ない。貸し切りだ。
運が良い。こういう場面は誰も居ないに限る。
私は早速脱衣して、湯煙漂う空間へと突入した。
シャワーを浴び、体を洗い、徐々に体温を上げていく。外は地味に寒かったのだ。
湯煙の温度に体温が近づいた辺りで、いよいよ湯舟に浸かる。
……やはり、温泉は素晴らしい。
足を伸ばして湯に浸かれる事の、なんと至福か。
熱いお湯に、一日中バイクで爆走してきた疲れが良いスパイスになっている。
「極楽だ……」
私は今日、この温泉に浸かるためにやってきたと言っても過言ではない。
しばらく放心し、頃合いを見て膝下だけ湯に浸かる形になる。
私は直ぐにのぼせてしまうので、こうしてインターバルを挟み気持ち良く温泉を堪能するのだ。
さて、屋内の温泉も良いが、もうそろそろ露天風呂の方にも行こうか。
窓の向こうにはすでに然別湖が望めるが、せっかくの景色は肉眼で見なくては。
外に出ると、火照った体が冷たい空気に撫でられた。数分前まではただただ寒かった空気だが、今は心地よい冷たさだ。
露天風呂は、ぬるさが最高だった。
いつまで入っていてものぼせることは無く、目の前の然別湖と、それに映る唇山(天望山)を眺められる。
パタパタと小雨がトタン屋根を叩き。
山の方から鳥の鳴き声が響いてくる。
非常にゆっくりとした時間が流れていた。
さすがは山の中。その温泉。先程までバイクで忙しなく動いていた私の時すら止めてしまった。
だが、あまりゆっくりもして居られない。
まだ最後の工程、テント設営があるのだ。
出来れば明るい内にやってしまいたい。名残惜しいが、私は程よく体の温まった段階で温泉から上がった。
風呂から上がり玄関を出ると、小雨は止んでいた。
空は曇天のままだしその名残を道路に残してはいるが、それでも雨は上がったのだ。
(今の内に……!)
さすがに雨に打たれながらの設営は厳しいので、この間隙を縫ってさっさと向かおう。
ホテルから先の道は、北海道に来て初めての山道らしい山道だった。
一車線道路がグネグネと波打っていて、山の奥の方はさすがの北海道でも道が狭いか、と謎の感心をした。それでも道幅は十分なモノであったが。
10分ほど進んだだろうか。
とうとう見えてきた。今日のゴール地点が。然別湖北岸野営場が。
最近のブームにより、人が多過ぎてめっきり行かなくなったキャンプ。そんな久しぶりのキャンプに少なからずワクワクしていた私は、キャンプ場に辿り着いて愕然とする事になる。
「……なっ!?そんな……!?」
辿り着いたキャンプ場に、人は居なかった。
ガラガラだった。
というか無人だった。
何せ、キャンプ場は閉鎖されていたのだから。
「そんなバカな!!」
今一度調べようとして、気付いた。
圏外。
ここら一帯はもはや圏外がウリなのだ。それは事前に把握していた。
そこまで調べておいて、なぜ開閉状況のリサーチは不足するのか。過去の私よ。
現在(執筆中)きちんと調べたところによると、開設は7月1日。よくもまぁ、箸にも棒にもかからない日に赴いたものだ。
だがガッカリばかりしてもいられない。
何せ頼りのキャンプ場が閉鎖され、山奥・夕暮れ時・天気も不安定と来た。
迅速に動かなければ、この北海道の大地で試されてしまう。命を。
ひとまず先ほどの温泉ホテルに戻ろう。あそこなら電波が立つし、そもそもあのホテルはこういう時のために第二宿泊地と決めていたのだ。
しかし当然ながら予約はしていないので、泊まれるかどうかは分からない。
私は縋る思いで来た道を引き返した。
17:30。
私はホテルの一室から然別湖を記念撮影していた。
「なんとかなって良かった……」
あの後、ホテルに戻ってきた私はフロントに泊めてくれないかと頼み込んだ。
その問いに対してホテル側は「掃除が終わり次第案内します」と快く受け入れてくれた。
急な申し出に対応してくれて、ありがたい限りである。
ちなみに、「夕食はもう間に合わないが、朝食なら準備できるので利用しますか?」と問われたが、断った。
朝はできるだけ早く出発する予定なので、時間的におそらく食べられないからだ。
しかしそこで問題が発生した。
このホテルでは素泊まりのプランがないらしく、朝食を断った私にいくら請求しようかフロントと支配人が値段の相談をし始めたのだ。お手数をお掛けする。
私はもう泊まれるならいくらでも構わないスタンスだったので、その後提示された金額を先払いにて支払った。素泊まりにしては多少高めだったが、ムリを言っているのはコチラなので致し方ない。
かくして、私は今日の宿にありつけた。
外のバイクからザックを取り外し、サイドバッグから荷物を取りだし、ヘルメットを提げ、部屋に持ち込む。
ドサドサゴロンと荷物を畳に転がし、窓に映る然別湖をパシャリ。
一息ついた……
部屋は十畳ほどの、一人で使うには贅沢すぎる空間。窓際にはデスクが然別湖と対面する形で置かれていて、部屋の中央には幅の広いちゃぶ台、テレビ、座椅子と完全に旅館である。
私は布団を敷くと、広い部屋で早速ゴロゴロし始めた。
もう後は寝るだけなので完全にダラけモードである。
と、安心したところでお腹が減ってきた。
ここまで間食ばかりしてきて、ロクに食事を取っていない反動がやってきたのだ。
私は荷物の中から、Aコープで購入したラーメンたちを召喚する。
本当はキャンプ場でシングルバーナーを使用して食べるつもりだったが、ここは部屋の中。
さすがにバーナーの使用は控える。
ならばどうするか。
フロントに頼んでおいた、お湯の入ったポット。これで食べるしかない。
このホテル、部屋に備え付けのポットが無かった。これではラーメンすら食べれないので、朝食を断った時にそれとなく催促していたのだ。
お腹の減った私はさっそく準備に取り掛かった。
コッヘルを用意し、麺をブチ込み、お湯をジョー、と注ぐ。
そして箸でかき回す。麺を解して、ほぐして……
……。
…………。
土台、ムリがあった。
袋麺は熱し続けるお湯で茹であげるのだ。
ポットの、しかもコードが無いので再加熱すらもできないお湯(既にぬるい)でラーメンを作ろうなど、カップ麺が限界だろう。
どう考えても袋麺の、しかも生麺を茹であげるなど無謀すぎた。一体この時どうすれば良かったんだ?
かくして、出来上がったのは半ナマのラーメン(具なし)。
おかしい。
私は遠路はるばる北海道まで来たと言うのに何故、一人暮らしを始めた独身男の初めての自炊みたいな食事を作っているんだ?
侘しい。
なんて侘しい食事なんだ。しっかりマズいし。
お湯がぬるいんだ。完全に。
こんなんで作れるワケがなかったんだ。
だが作るしかなかった。手元の食材で腹を満たすには、このラーメンを食べるしかなかったのだ。
私は心の中で泣きながら、テレビの北海道の現地ニュースを尻目に半ナマラーメンを啜った。
捨てる場所もないので処理方法は食べるしかない。
スープは美味い。美味いが、やはり麺も大事なんだなと痛感した晩餐だった。
「はぁ……食い終わった……」
そんな悲しい夕食を終えた私は、年季の感じる館内を探索することにした。
目的は口直しできる何かが欲しかったのと、洗濯だ。
フェリー乗船時のケツ濡らし装備一式と、バスタオルをそろそろ洗いたい。
入館時にもらったこのホテルの案内図によれば、一階の奥まった場所にコインランドリーがあるらしい。
まずは洗濯物をそこに放り込み、その間にお土産コーナーあたりで食物を買い込むのだ。
私は早速コインランドリーに向かって、尻込みした。
暗い。
一階の、客室の並ぶ廊下(
本当に行っていいのか憚られる。とりあえず立ち入り禁止の標示もないので、そのまま進んだ。
薄暗がりの中、左手に入口が。
横開きのドアの上にはランドリールームと書いてある。
入室して照明スイッチを押すと、パチ、パチ、パキキン、と明滅しながら電気が点いた。完全にホラゲーの雰囲気である。ゾンビとかが出てきても驚かないレベル。
確かに洗濯機があった。ドラム式が二台と、乾燥機二台。
私はさっさと洗濯物を入れて、100円を投入。稼動。残り時間30分と表示されたので、その間にお土産コーナーを物色しに行こう。
この空間、マジで怖い。
お土産コーナー──フロントの目の前にまで戻ってきた私は困っていた。
食べ物系は本当にお土産という感じのモノしか無かったので、北海道限定と銘打たれているお酒を買おうとしたのだ。
だが、レジ打ちのヒトが居ない。
呼び鈴もないし、フロントにも誰も居ない。だいぶ待ったが誰も通りかからないしで、結局私はお酒を元の位置に戻して部屋に帰った。
洗濯が終わる頃にまた買いに行こうと思い、その間に荷物の整理をする。
私の荷物は、基本的な登山装備一式からなる。
・大容量ザック
・シュラフ
・テント
・組立式ローテーブル
・シングルバーナー、ガス缶
・コッヘル、箸などの食器類
・魔法瓶、チタンマグ
・トイレットペーパー、レジ袋数枚
・常備薬、日焼け止め
・ソーラー充電器
・着替え(着ているモノを合わせて3日分)
・帽子
・コーヒーミル、コーヒー豆、メッシュコーヒーフィルター
・ボールペン、ノート
・小型シャベル
・簡易トイレ
ザック及びザックの中身はこんな感じだ。
そしてバイクのサイドバッグには──
・サンダル
・本(三冊)
・バスタオル
・箱ティッシュ
・マスク(いっぱい)
・SAで買ったバウムクーヘン
そういえばバウムクーヘンがあった。これを食べながら残り、サコッシュの中身もついでに検める。
・スマホ、充電ケーブル
・登山用小型サイフ(現金約3万、クレカ、保険証、免許証)
・ハンカチ、ポケットティッシュ
・ヘッドライト
・ジップロック(の中にここまでのレシート達)
レシートの量が割と多い。
ジップロックは雨が降った時用のスマホサイフ避難所なのだが、すっかりレシートに占拠されている。
このレシート群は、スマホの写真同様、今回の記録として捨てずにすべて集めている。露店などではレシート自体がない場合があるが、そういう時は写真の出番だ。
私はレシートを眺めながら、早くも昨日今日の道のりを懐かしんでいた。
割と失敗の記憶が多いが、不思議とイヤな気持ちにはならない。
むしろソレすらも楽しんでいる・楽しめている自分が居る。そもそも計画通りにコトが進む方が稀であるので、気の持ちようはこれくらいが丁度イイのだ。
さて、バウムクーヘンを食べて喉も乾いたことだ。洗濯物を乾燥機にブチ込んで、酒を調達してこよう。
レジには相変わらず誰も居なかったので、隅っこにひっそりと佇んでいた自販機から酒類を購入した。
部屋に戻ってテレビを見ながら、ミンククジラの刺身で酒盛りをしつつ、乾燥機から洗濯物を回収し、21:00には気持ち良く横になっていた。