物心ついた時から、いや、それより前から、少女は家族というものを知らなかった。
母親に抱かれた記憶も、父親に名を呼ばれた記憶もない。
それが誰かも、自分が誰なのかも知らない。
冷たい寝床で寝起きをし、順繰りに付けられた管理番号の9番が彼女の名前だった。
死なない程度の世話と食事が供されるだけで、聞こえてくるのは息を潜めて怯える他の子たちの、声を殺した啜り泣き。
子どもの数は日に日に減ったり増えたりする。
少女もある程度体を動かせるまでになると、どこか別の場所へ移された。
少女には才があった。個性もあった。
優秀な成績を出せるようになると他の子より比較的良い扱いを受けられるようになった。
客受けするように磨かれた容姿。怪我は治され肌には傷の一つも残っていない。身綺麗な格好、場違いな程に躾けられた仕種。詰め込まれた高い知識と教養。
味など分からないがそれなりの食事と甘味も含めた嗜好品も客から貢がれたものは許されているし、部屋も自室を与えられ、外への出入りもできる。
彼女の存在はある種の羨望と希望であり、競争心を煽る為のものだった。
他の子どもたちには、9番のように扱われたければお前もそうあれと。少女には、彼等の様な扱いに戻りたくなければひたすら成果を出し続けろと。
優秀であれ、従順であれ。
9番はその最たる見本だった。愛らしい見てくれと相待って、まるでお人形。
ずっとそうして生きてきた。
そんなお人形に変化が現れた。
ある日、少女は追加で補充された子どもたちの世話を命令された。
先日、世話役だった新入りの男が商品をダメにしてしまったらしい。
面倒を見ていた小さな女の子が、誤魔化しでも泣き止んで、笑ってくれた。
その子はすぐに
他の子どもたちと過ごす内、触れ合う度に、彼女の中で少しずつ、色んなものが増えていった。
どうしたらこの子は泣き止むだろう、どうしたらこの子は安らいでくれるだろう、どうしたらー
拷問や自白剤代りに使っていた個性は、彼等の恐怖を消すのに。せめてもの慰めに。
焼石に水でも、何かせずにはいられない。
少女の中で何かが燻り始めていた。
「おい9番、手伝え」
ある夜、急に人が足りないからと連れてこられた取引現場にヒーローが踏み込んできた。
数は1人。
どこか自虐的で自罰的、暗く淀んだ瞳をした女。
これまでのヒーローと違い、彼女は捕らえようとするのではなく、殺そうとしていた。
銃口の先には、
咄嗟に前に躍り出た。
相手は明らかに格上。プロヒーローの中でも実力者なのだろう。
勝てる気はしない。それでも引けない。
燻っていた火種に、灯が点いた。
「みんなを救けて」
相手が子どもであることに動揺したのか、隙を突いて個性をかけて思考を奪い、殴って昏倒させた。
ヒーローを殺さず生かしたのは、一種の賭けだった。
彼等はずっと待っている。
いつか、きっと、すぐに、ヒーローが救けに来てくれるのだと。
そして彼女は、ヒーローレディ・ナガンは本当に見つけに来てくれた。
ナガンはすぐにでも少女を保護しようとした。
けれどそれには応じなかった。
皆を置いていけない。
レディ・ナガンの仲間と密かに連絡を取り合い、拠点の場所や構成員などの情報を流す。
「悪い人を捕まえて、皆を救けるために必要な事だよ」
全部まとめて潰せば、皆救かるし、これから新しい子どもが
多くの犯罪者を捕まえて多くの人を救ける為にと言われて従った。
それが続いた。
情報の受け渡しの度に、担当の公安職員の男にまだかと問い続けた。
返ってくる答えはいつも同じ。
『皆を救けるために必要な事』
その日も、少女はひっそりと待ち合わせ場所に向かった。
今回のデータの中身は、
やってきたのはレディ・ナガン。
彼女は酷く憔悴していた。眠れていないのか、メイクで誤魔化しているが隈ができている。
「ごめんな…」
彼女は全てを語ってくれた。
公安直属ヒーローとしての己の役割。内部の思惑、計画。
何を言っているのかわからなかった。
分かりたくなかった。
頭から爪先まで、まるで凍えるように冷えた。
白くなった手が震える。心臓がうるさい。
理解したくなくても、理解してしまった。
『悪い人を捕まえて、皆を救けるために必要な事』
ならば今まさに困っている仲間たちは、泣いて救けを求めている彼等は、死と隣合わせで怯えている子どもたちは。
彼の言うところの『皆』では。
もう既に、救出作戦を決行できるだけの情報は渡っていた。
癒着しているヒーローがいて、その連中を捕まえるためにも証拠固めや根回しに時間をかけているのだと。
加えて、公安は保護予定の子どもたちを尖兵として使おうとしていた。
既に選別がされた強個性、高い戦闘能力技術の指導がされていて、汚れ仕事の経験があって、初めからいないものとして扱えるくらい後腐れがない。
足元が崩れる感覚というのは、こいうことを言うのか。
信じたからこその失望。希望を抱いたからこその絶望。
蜘蛛の糸を切られる感覚。
「アンタの気が紛れるなら、殺してくれ」
ナガンはどこか、殺されることを期待していた。
彼女を殺す気にはなれなかった。
ナガンと別れて、檻に帰った。
自室で膝を抱えて丸くなる。泣き方などとっくに忘れた。作り笑いや空涙を流す事ならいくらでもできるのに。
時だけが過ぎて、そろそろ食事を運ばないといけない時間になった。
鏡に映った顔はナガンに劣らず酷いものだった。
個性を発動する。
頭がはっきりしてくると、今度はふつふつと沸るのは怒りか憎悪か。
初めて抱く感情にますます混乱した。
映る顔はさっきとは違うけれども、こんな顔はダメだと感情を転換させる。
どうにか彼らに会える表情を作らなければと感情の調整を図るが、なぜか上手くいかない。
救いの道は絶たれた。
絶ってしまった自分は、どんな顔をして彼等に会えばいいのか。
どうしたら不安を見せずに彼等を安心させられるのか。
『それではー』
物音を誤魔化すのにつけていたテレビから軽快な音楽が流れた。
限られた自由と外の情報が手に入る機器は、すでに後戻りなど出来ないほどに汚れた証拠だ。
ヒーローの特集のようで、燃え盛る炎を纏った大柄なベテランや、紅い翼で空を駆ける新進気鋭の若手がその活躍と共に紹介されていた。
そして映ったのは筋骨隆々とした、原色を纏ったお馴染みのヒーロー。
『もう大丈夫!何故って!?私が来た!!』
何故か、すとんと落ちた。
「そうか…」
思わず、といった具合に唇から溢れる。
「私がやればいいんだ」
誰かではない。
誰かが彼らを救けてくれるのを待つ必要なんてない。
待ったところで犠牲が増える。待った先に連れ出されたところで変わらない。
いつか、きっと、来るかもわからない誰かを待って、その間にあと何人死ねばいい。
もう十分に待ったはずだ。
もう彼らを死なせたくなどない、苦しんでほしくない、泣いてほしくない。
理不尽に彼等が踏み躙られるのが、許せない。
誰も彼らを救けてくれないなら、守ってくれないのならば。
それなら。
「私が」
少女の中で何かが音を立てて壊れて、何かが燃え上がった。
再び鏡越しに光の花を咲かせる。
思いつくままに感情の取捨選択、書き換え、反転、作り変えをしていく。
今度は凄ぶる安定した。
支柱が決まれば、それに沿って要不要を振り分けられる。
恐怖心、不安、これは要らない。甘え、期待これも要らない。
愛情、優しさ、これは要る。勇敢、情熱、これも要る。果敢、冷徹、また生まれる不要な分は、その度消そう。まだ足りない分は必要な時に継ぎ足そう。
温めたタオルで顔を拭く。
これまでになく冴えた、清々しい気分だった。生まれ変わった気分というのは、誇張ではないらしい。
そしてこれから先を考える。
絶対に必要なものは金と後ろ盾。
金は簡単だ。
後ろ盾にも、心当たりがあった。
いつも高額の提示額を出し、ボスがいつも断るのに気を遣っている相手。
決めてしまえば、後は早かった。
少女は出入りしている仲介屋に接触した。
丸眼鏡をかけた、欠けた歯の男は義燗と言う名の知れたブローカーで、前々から密かに買取を打診されていた。
向かった先で紹介されたのは、悪の帝王と称される男ーAFO。
AFOはやけに耳につくねっとりとした、不気味な程に優しい声音で「大変だったろう」「可哀想に」「誰も救けてくれない」「もう大丈夫」と甘い言葉を嘯く。
そんな事はどうでもよかった。
どれだけの値をつけてもらえるのか問えば、AFOはにたりと嗤って答えた。
「君が望むだけ」
相当なふっかけだったと自覚はある。
しかしAFOは太っ腹にも、こちらの願いを全て呑むと言う。
「それだけの価値があるという事さ」
迷えば、時間をかければ、それだけ仲間が死ぬ。連中に渡せば、彼等はまた消費される。
既に迷いは無かった。
身請け先が決まり古巣の連中が邪魔になった。邪魔ならば排除すればいい。
決行したのは、外がイルミネーションに彩られている寒い冬の夜。
大人たちを殺すのは、存外、容易い事だった。
まずは1人でいるところを“感情支配“をかけて部屋に入り、頭に一発。
寝入っている大人たちを2人、3人と。
これまでに叩き込まれた技術は大いに役に立った。
極力物音を立てず。時間短縮の為に一撃で。
異変を察知して出てきた者たちも、従順であったはずの人形が叛逆を起こすとは考えていなかったようで、正体が彼女だとわかるとあっさりと油断して個性にかかった。
思考を奪えば動きが止まる。
碌な抵抗も許さず、次から次へと。屍山血河を築くのに、そう時間はかからなかった。
何だ、と口から呟きが漏れた。
「こんなに簡単な事だったのか…」
こんな簡単な事なら、もっと早く行動を起こすべきだった。
もっと早く動いていれば、もっと早く覚悟を決めていれば。
彼等は死なずに済んだかもしれない。
もっと多く、1人でも多く救けられたかもしれない。
湧き上がったのは、激しい後悔の念。
この感情は消さない。戒めとして取っておく。
静まり返ったアジトから、AFOが用意してくれた家に仲間達を移す。
もうほとんど動けない子もいたけれど、こんな所に置いて行きたくはなかった。
しかし、間に合わなかった者もいた。
彼らの遺体は、まとめて焼く事にした。
大人たちを殺すより、後始末の方が大変だった。それらもまとめて焼いてしまうと油を撒いていると、誰かの気配がした。
「こんばんは、レディ・ナガン。こんな時間に、何か用でも?」
殺意も敵意も感じられなかった。
「コレはアンタが?」
「ああ」
「他の子達は?」
「みんな新しい家に移した。良い所だよ。長閑で明るくて、檻もない。ベッドもちゃんと人数分ある。庭もあって、食堂も広いんだ」
「新しい、家?」
「代金の一部として貰ったんだ」
「代金って、何の…」
「私が売れるものなんて、ひとつしかない」
ポリタンクがちょうど空になった。
「私を売った」
レディ・ナガンに抱きしめられた。
「ごめん…!ごめんなぁ…!」
彼女は地位も名誉も、これまでの生活も名前も捨てて、着いてきてくれると言う。
怨嗟という感情は残していなかったので受け入れた。
突然環境が激変して戸惑う子どもたちの世話は結構な作業で、大人の手があったのはありがたかった。
「もう大丈夫」
ちゃんとした食事、温かい湯、清潔な衣服、柔らかい寝床。
眠れないでいる年少の子を抱き抱えてあやす。
「大丈夫、私がいる。ちゃんと、ここにいるから」
46番や58番も手伝ってくれて、時には個性を使い全員を寝かしつけ、一睡もしないまま夜が明ける。
『次のニュースです。本日未明、○県○市の児童養護施設で火災が発生しました。近隣住民から火の手が上がっていると通報があり、消防隊が駆けつけ消火活動にあたりました。出火元である施設と隣接する建物を含む2棟が全焼。火は既に鎮火していますが、焼跡からこの施設の職員と見られる複数の遺体が発見されており、行方不明者も多数いるもよう。ヒーロー、消防隊員らが現在も懸命に捜索活動を続けー』
朝のテレビニュースでは昨夜までいた場所の焼け落ちた映像と、今更になって捜索救助活動に勤しむヒーローたちの姿が映し出されていた。
レディに皆を任せ、身奇麗にだけして少女は新しいオーナーの元に向う。
「そうだ、君の名前だけどね。死柄木葬。君はこれから死柄木葬と名乗るといい。死柄木は私の苗字。葬は祝、祝は呪。君は今日から私の娘だ」
葬と祝はどちらも「はふり」の読み方がある。過ぎた祝福は呪い。この名前は、呪い。
呪縛。
「はい、お父様」
そして少女は死柄木葬となった。
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「お疲れ様」
壇上から戻った弔たちを、葬は通路で出迎えた。
「おつかれさまでございました!何かお飲み物でも!?」
煙が出る勢いでゴマをするリ・デストロ。手のひら返しが凄まじい。
「失せろ」
「喜んで!失せるぞトランペット!」
「ああやってのし上がってきたんかな」
かつての最高指導者のこんな姿見たくなかったと肩を落とすトランペット。
「首気になるならコート預かるよ兄さん」
先ほどからファーが鬱陶しいのかしきりに首を掻いている弔に声をかけると、やはり気になっていたのかさっさと投げて寄越した。
そのまま最高指導者用の控室に戻ると、弔は着なれないスーツに早々に首元を緩めてソファにもたれ掛かる。
「皺になるよ」
預かったコートをハンガーに掛け手を空け、今度は上着を脱がせネクタイを外す。
「スナップタイじゃ格好がつかないし、コードタイにしてみようか?結ばないで留め具で留めるタイプの」
「首になんか付いてんのが鬱陶しいんだよ」
ネクタイの結び方すら怪しかった義兄の身支度を整えたのは葬だ。
「ん」と顎を上げて喉を晒すあたり、いつの間にか距離を許されたものだ。
黒霧に世話を焼かれていた慣れか、力がついた事で余裕ができたか。
「これからは大勢を束ねる立場になったわけだし、格好は大事だよ。見窄らしいと舐められる」
弔の首は先ほど引っ掻いていた所が赤くなっていた。常備薬に皮膚疾患用の軟膏があったはずだと、服を片付けて赤茶色の蓋の薬を取り出す。
「随分と甲斐甲斐しいなぁ。殊勝になっちまって」
「それなりの組織のトップはそれなりの威厳や格というものが必要なんだ。実態はどうであれ頭を立てて一歩引く。私の役割だからね」
正式な補佐としての就任は諸事情あり後日となっている。
この1週間で大規模組織の運営を学んでいるが、まだリ・デストロ達任せだ。
「必要なら跪いてみせようか?」
「それ、お前が好きでやってんの?」
「好きも何も、それが私の
「ヴィランってのは好き勝手やってこそだろ」
小さな子どもでもあるまいに、弔は自分で手を動かす気がないようで首元を晒す。
広げた足の間に膝をついて、葬は消毒した手でそれに触れて薬を塗る。
「ランプの魔人に自由を与えると?」
「お前のそのバカ高い自己肯定感どうなってんだよ」
千夜一夜物語の願いを叶える囚われの精霊に擬える傲慢さ。
一瞬呆れた弔は「ハッ」と唇を釣り上げ答えた。
「まあ、いいぜ。ご主人サマが与えてやるよ。自由を。世の中全部ぶち壊して」
葬はふっと己の口元が緩んだのを感じた。
「ーそれは楽しみだ」
すると、カタン、と物音がした。
先ほどから気配はしていたが入ってこないので放って置いたのだが。
「そーゆーコトはもう少しプライベートな空間での方がいいと思うなおじさん」
「義、ぎぎ義理とはいえきょ、兄妹だろ!?」
「仁くん見えません」
「見ちゃダメだトガちゃん!一緒に見よう!」
ドアの隙間から、こっそりとコンプレス、指の隙間からチラチラ見ているスピナー、無事な方の手でトガの目を隠すトゥワイスと、それを退けようとするトガが覗いていた。
トガとスピナー以外は悪ふざけである。
一気に賑やかになり、葬は喉湿しにと備付の茶を淹れる。
「そういやお前、家族は?」
「血縁者と言う意味なら知らない。売ったか捨てたか死んだか、そんなところだろう。急にどうした?」
「あのハゲ社長とやり合った時にさ、昔のこと思い出したんだ。そんで、姉ちゃんはいたけど妹ってのはいなかったなぁって」
「弔くんお姉ちゃんいたんですか⁉︎」
「あーなんとなく弟属性っぽい」
「葬ちゃんの方がお姉ちゃんっぽいよね。年下だけど」
そんなやりとりを口切に名名お喋りに興じ始める。
「そうだ。年末年始だけど、私はいないから」
「どっかお出かけするんですかぁ?」
「たまには帰ろうと思ってね。お父様に買ってもらった家があるのに、誘拐されてから動きっぱなしで夏以降帰ってないんだ」
「ご苦労さん。働き者の妹を持ってオニイサマは嬉しいよ」
「私も、こんなに大きな組織を持つ立派なオニイサマになってくれて嬉しいよ」
お互いに皮肉混じりの冗談を言い合う。
弔は雄英襲撃、師と離れてから随分と雰囲気が落ち着いた。
最初は図体だけデカい子どもより質が悪かったが、
はてさて、どこまでが彼の人の手のひらの上か。果ては全てか。
「そういうわけでくれぐれも、くれぐれもトラブルは起こさないでくれよ?」
「「はーい!」」
良い返事をしてくれたのがトガとトゥワイスだけなあたりが不安だ。
念願の休暇。その前に面倒な一仕事を片付けてしまわなければ。
「誰かライター持ってたら貸してくれないか」
「いいぜ!ヤダよ!」
トゥワイスから投げられたライターを受け取り灰皿の上で、先程捕まえた紅い羽に火をつけた。
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葬/9番
諦めて乗り越えて、壊して造って、
お人形の9番は死柄木葬になった。
弔
ヴィランってのは自由なもんだろ
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