子供の成長は早い   作:zarame.

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標的2 迅悠一

 おはよう、と声をかけた少女の未来に自分がいなかった。見えたのは今夜の夕食の光景だ。帰宅予定のはずの自分の姿が見えないということは、暗躍か、急な防衛任務か、それとも外で食事する予定が入ったのか。

「小南、今日の夜だけど、俺いないから夕飯用意しなくていいよ」

 ひとまず彼女の手料理を余らせてしまう未来は回避して、迅悠一は今夜の予定を探しに本部に顔を出すことにした。

 黒トリガーの使用者としてS級隊員になると、個人ランク戦に参加できなくなる。すると本部への用事は会議か暗躍のどちらかになった。他の候補者を蹴散らしたこともあり、何となく人が集まるランク戦ブースに顔を出しづらい。同じ理由で食堂にも行きにくい。用事がなくとも出入り禁止ではないというのに、自分はいつからこんな繊細な性格になったのだろう。

 もう一人いるS級隊員は用事がないというだけでランク戦ブースに顔を出さない。彼にボーダー関係の友人がいるかは迅の知るところではない。

 どんな手を使ってでも黒トリガー〈風刃〉を手にするつもりで、実際に手にしたものの、手に馴染んでくると己の素行を振り返る。あれは大人気なかった。いや、まだ成人もしていないけども。

 実力派エリート・迅悠一がするには大人気なかった行動であるのは事実だ。勝ち取るにしても、もう少し肩の力を抜いても良かっただろうに。あんな我武者らに、笑顔を作る余裕すらない醜態を晒さなくたって。

 いたたまれないのだ。昔からそう。人に弱さや必死なところを見せるのが得意ではない。心配されるのも気恥ずかしい。嫌なわけじゃないし、気にかけてもらえる嬉しさはあるけれど、未来視というサイドエフェクトは頭の良い大人ならデメリットを想像してしまう──あくまでも想像、あるいは予想──から、先回りして子供を気遣ってしまう。常識的な大人としての振る舞いだ。それが昔から苦手でならなかった。

 ──師匠を失ってさぞ悲しかろう。形見をあんなに必死に欲しがって、なんて哀れな。

 というのは、今から二年とちょっとくらい前に迅が置かれていた状況であって、それ以降に入ってきた者たちはあの争奪戦を知らないし、知っている者達も迅を腫れ物のように扱うことはなくなっている。

 では何故いまになって当時を思い出したのか。

 さきほど見た光景を思い浮かべる。今夜の玉狛支部の夕食の席に迅と林道支部長以外全員の姿があった。何かヒントがないかと注視するも、それらしいものはない。

「なんだかなぁ」

 そう独りごちて、手持ち無沙汰に自販機でコーヒーを買う。午前中に本部を歩きまわっても出会える人は少ない。どうしたって若い隊員を集めるしかないこの組織が賑わうのは、放課後と呼べる時間帯なのだ。

「やあ、迅。久しぶりだね」

 背後から両肩に手を置かれて、迅は軽く数センチは飛び上がった。

 未来視というサイドエフェクトを神様の眼とでも思っている輩は多いが、実際のところはそんな便利なものではない。目の前にいる人のすこし先の未来を見る。つまり目の前にいないと未来を見ることはできない。

 たとえば久しぶりに会った友人が背後からやってくる場合、このように迅は読み逃す。だって最後に顔をあわせた時に見えていたのは、帰宅した彼を出迎えるきょうだいと、広報の仕事で忙しく働く姿と、何年か先の未来でスーツを着て管理職をしている光景だったから。

「沢田ぁ、いつも言ってるけど、マジでビビる」

「ビビらせてるんだから、大成功だね」

 沢田フゥ太はクスクスと楽しそうに微笑う。悪戯が成功した子供のような微笑い声だ。彼は出会った当初から迅の予知をすり抜けるのがやけに上手くて、時々こうして驚かされることがある。

「ねぇ、迅。今日の夜の予定は?」

 フゥ太は背後から、迅の肩に手を置いたまま話をする。

「おぉ、俺を夕飯に誘ってくれるのは沢田だったのか」

「見えてた?」

「玉狛で食べないってところだけね」

 迅も振り向くような野暮な真似はしない。

「じゃあウチでご飯食べない?」

「ウチって──噂のママンの手料理?」

「噂の?」

「嵐山が美味い美味いって話して歩くからさ、柿崎も生駒も弓場も食べたいって言ってたよ」

 あれは二ヶ月くらい前だったか。フゥ太の家で夕飯をご馳走になったという嵐山が感激しながら言うのだ。彼は何でも美味いと言うし褒める時は全力で褒めるが、あの時の嵐山の眼はマジだったと、後に同い年の彼らも証言した。

「それは嬉しいな。何てったってママンの料理は世界一だよ」

 ママン──日本では聞きなれない響きだが、イタリアの血を引くフゥ太と友人でいると、異国の文化にも多少の親しみがある。ママンやパパンという単語、ハグや頬を合わせる──キスではなくバーチョという──挨拶。ママンの料理を特別に愛するのもあちらの文化だ。やたらと女性の扱いがスマートなところも血に文化が溶けているのかと思いきや、兄とその友人達を見て覚えたというのだから驚きだ。兄がイタリアで会社経営をしていると聞いてようやく納得した。彼は日本に来てそろそろ十年になるらしいが、こうして自分のアイデンティティを大切にしており、その姿勢には好感が持てる。彼は日本人でありイタリア人なのだ。

「ご飯誘ってくれるってことは、何か話があるのかな」

「友人を食事に誘うのに理由が必要?」

「ええ、うそぉ」

「ごめんごめん、今回はね、迅に聞いてほしい話があるんだ。もしかしたら見えてるかもしれないけど、直接、僕の口から話したい。見るんじゃなくて、聞いてほしい。僕のわがままに付き合ってくれる?」

 ずるい男だ。迅が積極的に友人を作らないで生きてきたことを知っているくせに、わざわざ友人という単語を強調して迅の心に付け入る。そのくせして、わがままだと言って迅を優位に立たせて、自分はあくまでお願いしている立場であると一歩引いているように見せかけながらも、心に付け入れられている迅が拒否しないことをわかっている。

 流石は嵐山と並んで二大ボーダーの顔を務めるだけのことはある。嵐山は生まれ持った気質でこなしているが、フゥ太の場合はすべて計算してやっている。どちらもどちらで質が悪いが、フゥ太の柔和でいながら有無を言わせないところは、数多の選択肢を常に選ばざるを得ない迅にとって心地の良い強引さなのだ。

「いいよ、楽しみにしてる」

「ありがとう。今日は何時に上がり?」

「防衛任務は入ってないし急用も入らないから、沢田が上がる時に連絡ちょうだい」

「わかった。十八時には上がれるようにするよ」

 最後に迅の肩を揉むようにして、フゥ太は隊室に戻って行った。振り返ってその背中を見届けるも、この距離ではもう未来は見えない。

 ボーダーの顔、三門市のヒーローとして、講演会にインタビュー、季節ごとのポスター撮影、コラボグッズの監修、スポンサーとの会食、ボランティア活動と、分刻みのスケジュールに防衛任務と新人指導にチームランク戦という本業を見事にこなす嵐山隊が非常に忙しいことは、たとえC級でも耳にしたことがあるだろう。広報という仕事の中身がわからなくとも、嵐山隊といえばいつも忙しそうにしている部隊、という認識がある。特に忙しいのは隊長の嵐山と沢田の二人だ。十八歳は労働基準法第六十一条に守られているはずが、高校卒業を目前としたことで業務の密度が跳ね上がっている。かくいう迅とて、暗躍を趣味としているせいで、その労働時間は厚生労働省も真っ青だ。

「時間ぴったりじゃん、すごいね」

「嵐の前の静けさってやつだよ。年末は本部に泊まりこみだ」

 駐車場の入り口で落ち合い、バイク置き場に向かう。

「いつ見てもイカついバイクだなぁ」

「カスタムが趣味になっちゃうとね──完成ってのがないから際限なくなるんだよ」

 バイクの知識がなくともいじってるのがわかる、ゴリゴリのカスタムバイク。西洋絵画に描かれている王子様フェイスのフゥ太よりも、同級の弓場拓磨のほうが似合いそうな黒いボディ。だがこれは、フゥ太が丹精こめてカスタムした彼の愛機なのだ。

「お兄さんがコレクターなんだっけ?」

「そうだよ。時価評価億越えのバイクとか持ってる。僕のカスタムなんて可愛いほうだよ」

「うわぁ、ガチの人だ」

 ヘルメットを渡されてかぶる。玉狛にバイクに乗る人はいないから、迅がバイクの二人乗りをするのはフゥ太の後ろに乗る時だけだ。ヘルメットで視界を遮られる感覚は不思議と悪くない。

 エンジンの振動が尻から伝わり体を振動させる。

 ちゃんと捕まっててね、と腰に回した迅の腕を確かめるようにさすってから、フゥ太はバイクを発進させた。

 ボーダーに所属する多くの隊員は、スカウト組を除けば三門市の住民が多い。生まれ育った町を守るため、というのがよくある志望理由だが、フゥ太は三門市外の並盛町に住んでいる。直接的な被害を受けたことのない地区からの志願者は珍しい。

 並盛町はやたらと治安が良いことで有名だ。並盛中・高の風紀委員会が自警団のような役割を担っているという話は聞くが、たかだか学校の委員会が町の治安に影響するのは難しい。だから尋ねてみることにした。

「なあ、並盛の治安が良いのって本当に風紀委員のおかげなの?」

 車体は赤信号を前に止まっている。

「そうだよ」

「え、どういうこと」

「風紀委員が地域の見回りをしてるんだ。風紀の腕章をつけてるから一目でわかるよ。ほら、噂をすればだ」

 言いながら、フゥ太は横断歩道を渡る少年を示す。

 昔ながらの黒い学生服だ。腕には風紀の腕章があり、その特徴はフゥ太の証言と一致する。が、迅の眼は少年の髪型に釘付けになった。

「これは見事なリーゼントで」

「風紀委員のトレードマークだね」

 迅は「すごい文化だね。いや、風習かな」と異文化に驚きを隠せなかったが、フゥ太は「伝統だね」と、その不思議な伝統を当然のように受け入れている。三門市民にとってネイバーやボーダーが当たり前になったように、並盛の住民にとっても風紀委員の存在は日常のようだ。

 動き出したバイクの後ろから並盛の町並みを眺める。買い物袋を持つサラリーマンも犬に散歩されている老人も、おかしなところは何もない。三門となんら変わらない。そういえば、最後に三門を出たのはいつだったか。

 海外で会社経営している兄がいると聞いていたわりには、沢田家はごく平均的な一戸建て住宅であった。それが顔に出ていたのか、バイクを停めたフゥ太が「うちは普通の家だよ。兄が金を持ってるだけ」となんでもないことのように言う。

「パパンもそれなりに稼いでるけど、ママンは普通が良いんだって」

 三人の里子を育てる家庭は普通だろうか。ごくありふれたものとは言えないが、日本一普通じゃない場所で暮らしているせいか、その価値観を受け入れるのは簡単なことだった。

「ただいま──」

 とフゥ太が言い切る前に、玄関を開けてすぐに少女がフゥ太に飛びついた。その後に少年が続く。たたらを踏まないフゥ太の体幹のおかげで迅との接触はまぬがれたが、ひょこっと顔を出した二人には見覚えがある。

「やあ、はじめまして。ランボとイーピンだね」

 少年の名がランボ。少女の名前がイーピン。血の繋がらないフゥ太の弟と妹だ。写真を見たことがあったが、実物のほうが上背が高く見える。

「私も知ってる、迅悠一さんね!」

「じゅんじゅんの親友の迅さんでしょ」

 二人の顔を見ると、それは見えた。ボーダーにある嵐山隊の隊室で、イーピンが今のように嵐山に抱きついて談笑している。いくら親族でもよほど特別な機会でもなければ内部に入るのは難しい。それにそばにいるフゥ太とランボが同じ服を着ているではないか。

「もしかして、二人ともボーダーに入隊するの?」

「見えたみたいだね。今夜、迅を招待したのはその話をするためなんだ」

 こうして三きょうだいを見比べても血の繋がりは感じられない。けれども、にこりと人当たり良く微笑う口元には、同じ家で過ごしてきた年月が、あった。

「いつまで玄関でおしゃべりしてるのかしら。夕飯が冷めちゃうわよ」

 と、エプロンを付けた女性がやってきた。沢田奈々と名乗った彼女の少女のような若々しさは、とても──沢田の長男は二十三歳らしい──四人の子供を持つ母には見えないが、世界一の料理を作るという噂のママンだ。彼女は顔いっぱいの笑顔で迅を招き入れた。彼女の笑顔から見えた未来には愛情が溢れていて、迅は誰にもバレないようにちいさく鼻をすすった。

 帰宅時間をあらかじめ知らせていたのか、食卓にはすでに夕食が用意されていた。匂いだけで美味しさがわかる、そんな、とても良い匂いがする。

 さあさあ座って、と椅子を引かれて腰を下ろす。迅の横にランボ、向かいにイーピンとフゥ太、ランボとイーピンの間に奈々が座る。

 子供たちが「いただきます」と手を合わせると、奈々は「召し上がれ」と微笑う。迅もそれに倣うと、やはり奈々は花が咲くように微笑った。

「食べられないものがあったら無理しないでね」

「いえ、大丈夫そうです」

 テーブルいっぱいの料理は見た目こそ鮮やかだが、ひとつひとつの盛り付けは家庭料理らしくざっくりとしている。それが逆に、らしくて温かいことを、迅は玉狛に教えてもらった。カラトリーが箸だけなのも、同じ理由で迅の心はくすぐられる。

 何から箸を伸ばそうかと悩んでいると、フゥ太が色々と盛り付けた皿を寄越した。彼と外食に行くといつも取り分けてくれるから、兄としての習慣なのかもしれない。

 メイン料理は──なんだろう、ハンバーグのようだがスライスしてある。

「食べてみて。イタリア料理でね、ポルペットーネっていうんだ」

 フゥ太と奈々が嬉しそうに見守るので、迅は箸で挽肉を切り分けた。

 ひとくち食べてみると、口のなかに広がるのは香草の香りだ。続いて手作りソースの酸味。噛み締めると肉汁があふれて、鼻の奥で豊かな香草と肉の香りが合わさる。迅は思わずフゥ太と奈々の顔を見た。すると二人は微笑みを深める。

「美味しい。わっ、すごい、美味しい」

 口に出して伝えたけれど、口に出さなくとも伝わっていただろう。

「ママンの料理はぜんぶ美味しいんだよ」

 ランボのような年頃の少年が手放しに母親を褒めることは珍しいんじゃないだろうか。早くに親を亡くしている迅にはわからない、世間一般の意見だけれど。

「ポテトサラダは私も手伝ったのよ」

 イーピンが得意げに言った。

 嵐山が奈々の料理を誉めた理由がよくわかった。彼女の料理はとても美味しい。けれども、それだけじゃない。食卓をかこむ子供たちがとても嬉しそうに食べるのだ。そしてそれを見守る奈々が、世界で一番幸せそうな顔をしている。たしかに彼女の料理は世界一だ。同じ理由で、玉狛で皆が日替わりに作る夕飯も世界で一番美味しい。

 賑やかな食卓についつい箸が進んだ。「ごちそうさまでした」と箸を置くと胃が重く、背もたれにくたりと体を預けてしまう。

「あっ、皿くらい下げますよ」

 奈々が席を立ったのにつられて腰を上げたが、お客様だからと断られた。彼女の笑顔は押しが強くて、フゥ太はお客様のお相手をしないとね、と座らされた。二人のかわりにランボとイーピンが奈々を手伝う。

 二人はリビングのソファに場所を移した。

「今日は来てくれてありがとう」

「こちらこそ招待してくれてありがとう。すごく美味かったよ。この味を知らない三人には自慢しないと」

 同級の三人には嵐山と一緒に語って聞かせてやろう。

 フゥ太はやはり幸せそうに微笑って、今夜の本題を切り出した。

「ランボとイーピンが来年からボーダーに入隊する。だからね、僕は嵐山隊を脱退して家族三人でチームを組むよ」

 その選択が見えていなかったわけじゃない。ただ、つい最近までは可能性の低い未来だった。なにがフゥ太にこの選択をさせたのだろう。

「私たちが入隊するって意見を曲げなかったの」

「最初は反対されたけどね。三人でチームを組むのはフゥ太の妥協案」

 食器を下げるついでに補足が加わる。

「まあ、そういうこと」

「この未来はたしかに見えてたよ。でも、よく根付さんが許したな」

「プレゼンは得意だから」

 広報の為なら法にふれるギリギリを攻められるメディア対策室長を納得させるプレゼンなら是非とも聞いてみたいものだ。

「オペレーターは花さんにお願いしたよ」

「え、花さんって、黒川花さん?」

 フゥ太は頷く。その顔は迅が尋ねることに気付いている。

「あの人、チームのオペレーターやる時間なんてあるの」

 黒川花は本部長補佐を務めるオペレーターの一人だ。現在は同じく本部長補佐の任についている沢村響子が戦闘員だった時代からオペレーターをしており、新人の指導から戦闘員への指示出しまで幅広い業務をこなしている。その多忙さからはとてもチームのオペレーターを兼任できるとは思えない。

「実はね、花さんは兄さんの同級生なんだ。その縁もあって無理を言った。二人を所属させるならオペレーターは妥協できないし、僕は花さん以上に優秀な人を知らない。だから彼女に頼んだんだ」

 フゥ太のこの貪欲さを迅は知っている。嵐山隊を三門のヒーローとして民衆に印象付けるのに大いに役立ったからだ。嵐山の清廉潔白な魂と、フゥ太の狡知とも呼べる要領の良さがなければ今の民衆の支持はない。一瞬は驚いたけれど、そんな男を広報が手放すはずがないことは百も承知。根付栄蔵は前線から退いたフゥ太が自分の直属の部下になることを知っている。何故なら迅がそれを見、伝えたから。

「俺は好きだよ。フゥ太の目的のためなら手段を選ばないところ」

 なるほど、フゥ太のプレゼンの内容は予想がついた。

「こればかりはね。僕は家族を守るためにボーダーに入ったから」

 入隊当時からこのような含みのある微笑みを見せることがあるフゥ太には、なかなかにハードな人生を送っている自覚を持つ迅でさえも計り知れないところがある。未来は見えても過去は見えない迅にとって、フゥ太は友人であると同時に、共犯者になり得る存在なのだ。

 フゥ太はボーダーを辞めないし、何より死なない。何かの加護下にあるかのように、彼だけは死ぬ未来が一切存在しない。迅にとってこれ以上に頼もしいことはない。

「大丈夫だよ、沢田。その選択は正しい」

「迅、そうじゃないよ。僕は──」

 その言葉はデザートを持って来たランボとイーピンによって遮られた。腹は十分すぎるほどに膨れているが、アイスキャンディー一本ならどうにか食べられそうだ。ランボにおすすめされて、迅はブドウ味を食べた。

「送って行くよ」

「まだ電車動いてるし平気だよ」

「いいから」

 問答無用でヘルメットを渡されて、迅は帰りもフゥ太のバイクに乗ることになった。

 家々に明かりが灯るかわりに空いた道を進む。ボーダーの顔として、バイクを愛する者として、フゥ太はいつでも安全運転だ。ひとっこひとりいない赤信号を無視することも、スピード違反をすることもない。この愛機でスピードを出したら楽しいだろうに、二人乗りをしていてもそんな欲は微塵も伝わってこない。

 帰り道に風紀委員を見かけはしなかった。並盛は噂通りに治安が良い町だ。

 バイクは玉狛支部に繋がる橋の前で迅を降ろした。

「今日はごちそうさま」

「迅」

 手を振って去ろうとした迅の腕をフゥ太が引き止めるようにつかむ。見えていた未来だった。避けられなかった。

「迅、僕たちは僕たちの未来を自分で選ぶよ。そのための力が欲しくてボーダーを選んだから。僕は強者になりたい。もしもの時に誰かのせいにしないために。弱者として誰かを憎むだけで終わらないために。だからね、たとえ僕の家族に何かがあったとしても、それは守れなかった僕の責任だ。迅のせいじゃない」

 フゥ太はひとつ息を吐いて続ける。

「せめて自分の責任であれば、僕はとことん僕だけを憎みきれるから」

 ──家族が無事なら何の問題もないので、最後まで思いっきり戦えると思います。

「だからね、迅。何が起ころうと君に責任はない。君のせいじゃない。無駄な罪の意識を背負う必要はないんだよ」

「俺に見えていたとしても?」

「そうだよ。だって迅は神様じゃない。僕と同じただの人間だ」

「あーあ、いっそのこと、神様なら良かったのにな」

 やめろ、余計なことを言うんじゃない。嵐山といい、フゥ太といい、どうして彼らはこうして迅を引き止めるのか。

「残念だったね。君は僕の友人の迅悠一だ。神様になんてなれないんだよ」

 フゥ太はそこまで言って迅の腕を離した。

「覚えておいて。僕は今日みたいにね、いつでも迅を連れ出せるんだ」

 入隊当時から計り知れなかったフゥ太の微笑みは、今日になっても受け止めきれない含みがある。ボーダーを辞めない彼が一体どこに連れ出してくれると言うのか。

 おっと、いけない。未来の分岐は無闇に増やすものではない。

 迅は今度こそ手を振ろうとして、自分からフゥ太の腕をつかんだ。

「ねぇ、どうして〈風刃〉に選ばれたのに辞退したの」

 二年も経てば時効にはならないだろうか。嵐山は参加したから迅がスコーピオンで心臓を突いた。フゥ太は観戦にも来なかった。

「僕が持つには覚悟が足りなかった」

「覚悟って、なんの」

 フゥ太はそれ以上答えなかった。おやすみ、と言い残して帰っていった。まるで愛する家族に向けたような優しい響きが、あった。

 玉狛支部にはまだ明かりがついている。今朝の予知のとおりならば、バイクの音に気付いた泊まりこみ勢がおかえりを言ってくれるはずだ。

 明日は朝イチで根付に会いに行こう。フゥ太の嵐山隊脱退に嘆いた市民からの問い合わせで、ボーダーの電話回線がパンクするのを防がないといけないから。

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