これほどまでに防衛任務を煩わしく思ったことは故郷を離れてこの三門に来てから一度としてない──それほどの失意に苛まれながらも参加しないという選択肢は与えられず、己の領分はきちんと弁えている隠岐孝二は、頭ではわかっていても抑えられないぐずりを同隊の先輩である水上敏志に指摘されながらも、沢田隊のデビュー戦の生観戦を泣く泣く諦めたのだ。時間制のシフトなので張り切ってトリオン兵を倒せば早く終わるというものではなく、B級ランク戦はステージの広さで制限時間が決まるけれど、生駒隊の担当時間は二時間のため、時空が歪まないかぎり隠岐が会場に駆け込むことは不可能、隠岐の数倍は頭がまわる水上に「さっさと諦めぇや」と見捨てられては、枕を涙で濡らす以外にできることは何もなかった。
生産性のないぐずりであると自覚しながらも不貞腐れを隠せないまま迎えた当日の防衛任務、イーグレットが火を吹いたのは二回だけで、こんなん別にうちやなくても良かったやん、というぐずりは、それでも誰の耳にも届かないように消化して、自分がアタッカーではなくスナイパーで良かったと、独り言を誰にも聞かれないというしょうもないことに感謝している自分に嫌気がさして、ぐずりの端っこがチロチロと苛立ちになりかけていると、隊長である生駒達人がわざわざ確認してくれたのか「隠岐、沢田隊勝ったらしいで」と流れ込んできた内部通信に、ぐうっと喉の奥が鳴り、やはりスナイパーで良かったと、イーグレットの銃床に額をつけながら思うのだ。
隠岐が初めて沢田フゥ太をボーダーの広告塔ではなく個人として認識したのは、ある日を境に学校の健康診断にトリオン計測という項目が追加されて、なにやら隠岐がその基準値を大きく上回るトリオンの持ち主だからという理由で故郷を離れ三門にやってきて間もなく、ポジション選択を終えてスナイパーの合同訓練に参加しつつアタッカーよりも厳しいB級昇格の高い高い壁を茫然と見上げていたころである。
ボーダーのライフル銃は素人でもそれなりに当たるように設定されているが、階級関係なしの合同訓練で三週間連続全体の十五パーセントに入り続けるというのは、ちまちまと得点を稼いでいればいつかは、という引っ込み思案では到底辿り着けない領域だ。幸いにも隠岐のトリオン量はボーダー隊員の平均値を上回るらしく、バッグワームという隠密トリガーを常時使用し長期戦は不利とされるスナイパーの弱点を克服してくれるが、これも捕捉・掩蔽訓練かB級に上がってランク戦に参加しなければ意味のない長所で、隠岐の目標は兎にも角にもB級昇格。わざわざスカウトされて遠いこの地に来ているのだ。いつまでもC級でうろうろし己の存在意義を見失うのは、まだ高校生の隠岐にとっては想像するだけでとても恐ろしい。
若い組織なだけあって、スナイパーの指導にあたる東春秋は隠岐よりもいくつか年上の成人した男であるが、戦争をする組織の指導者にしてはいささか若すぎる──映画に出てくる教官てのは現役を引退した四・五十代ぐらいのイメージ──ようにも感じられて、それでも組織全体が若者で構成されているからその意識も自然と薄れ、隠岐にとってフゥ太という男は、若いのに大人のような立ち振る舞いができる側、つまり子供を指導し導く側に立っていて、この場合の隠岐は、当然のように指導を受け導かれる側にある。
東と話をしているフゥ太を見て、隠岐は「あ、広報部隊の人やん」と思った。嵐山准と沢田フゥ太の名前はともかく、その顔を知らない者はこの日本にいないのではないだろうか。そこらの芸能人よりもよっぽど人々の印象に残っているに違いないその顔は、画面越しでなくとも眼を惹きつけられる華やかさがあって、隠岐は比較的イケメンだと褒められるほうだけれど、芸能人と比べたらそりゃあ一般人で、せいぜいクラスでは一番かっこいいけど学校全体では一番にはなれない微妙さ、というのが誰にも話したことのない自己評価だ。
「隠岐、ちょうど良いところに来たな」
芸能人に遭遇したミーハー心が、凝と二人に注がれてしまったらしい。羞恥心にかあっと体が熱を持つ。東に手招きされてそばに寄っても何となく顔を上げづらい。
「まあ知ってると思うが、嵐山隊の沢田フゥ太だ。沢田、彼は隠岐孝二、大阪のスカウト組の一人だよ」
「僕も知ってますよ、トリオン能力に優れた子ですよね」
日本人離れした顔立ちから流暢な日本語が流れるのはそれなりの違和感があって、隠岐の地元では話題作りに見目の良い外国人を広告塔にしてるんじゃないかなんて噂も囁かれていたから、それを真に受けていたつもりはなくとも、頭の中に流れてしまったことがますます隠岐の羞恥心を膨れさせ、視線を合わせることができなくなってしまった。
関西人として、異邦人として、コミュニケーション能力にはそれなりの自信があるはずなのに、愛想笑いのひとつもできずに背中を丸めている自分が恥ずかしい、負の悪循環である。
「おまえが人見知りとは珍しいな」
フォローのつもりだろう東が言う。隠岐は「すみません」とへらりと微笑うが、微笑ったところで隠岐より背の高い二人には見えない。
ああ、どうしよう、このまま立ち去ってしまおうか、未だかつて経験したことのない状況に隠岐は内心パニックで、これが生身であれば手の平と脇に冷や汗をかいていただろうが、トリオン体のおかげでひとつ恥を重ねずに済んでいると、痛覚を切れても怪我をしたことだけは違和感としてわかるようになっているトリオン体の感度は、髪をさわられてもリアルな感覚を隠岐に伝えた。
「ただの人見知りかな、それとも、気分が悪いのかな」
学校にいたら間違いなく校内一のイケメンであろう顔が、隠岐の顔を覗き込むようにすぐ近くにある。
「だ、大丈夫です──俺トリオン体やし」
「トリオン体を過信してはいけないよ。体調が悪いのを換装で誤魔化したりしたら駄目だからね」
言いながら、その手はどうしたことか、幼子にするように頭を撫でる動きをする。
「故郷を離れて三門に来てくれているんだ、何か困ったこと、つらいこと、相談したいことがあればまわりを頼って良いからね。東さんはとても頼りになる人だし、僕も話を聞くことくらいはできる。何かあったらいつでも嵐山隊の隊室においで、歓迎するよ」
認めよう──隠岐はちょろい男であった。自分が異邦の地にいることと、彼の白い肌やヘーゼルの眼に勝手な共通意識を見出したことも否定はできないが、とにかく、頭を撫でられるなんて親からも何年もされていないコミュニケーションの威力と優しい言葉に、ころっと陥落してしまったのだ。隠岐はフゥ太に懐いた。それはもう、猫のように。言っておくが猫は認めた相手にはけっこう懐く生き物である。部隊の仕事で忙しい彼を運良く見かけることがあれば、尻尾を立ててかまわれに行った。
「沢田先輩、聞いて下さい、俺、ようやっとB級上がりました」
「それはおめでとう、よくやったね」
隠岐は自然と頭を傾けて、フゥ太が頭を撫でようとする手を受け入れる。
面倒見の良いフゥ太にかまわれに行く者は隠岐以外にも多くいて、東ほどではないが彼に教えを乞う者は多く、弟子とまではいかなくとも来る者拒まずに何でも教えてやるから彼の周りにはいつも人が溢れているけれど、隠岐の知る限りでは、このように頭を撫でるのは隠岐に対してだけだった。
「これで生駒の隊のスナイパーになれるね」
「はい、お待たせしてもうたから、キビキビ働かんとドヤされてまう」
「せっかくだから何かお祝いをしようか」
「え、そんな、気ぃ使わんといて下さい」
隠岐が首を振ると、ただでさえ普段から柔らかく微笑うというのに、「今度、食事でも行こうか」とさらに優しくするものだから、このボーダーにおいて上層部の次に忙しい二大広告塔の片割れが何を言うのだろうと、隠岐は誘ってくれた喜びだけはきちんと胸にしまい込んで、やんわりと断ることにする。
「そんな暇あったら寝たほうが良いですよ、俺には売店でジュースでも奢って下さい。ちょうどいま、サイダー買ったら猫ちゃんのマグネット付いてくるんです」
首を傾げて背の高いフゥ太を見上げる、甘えた仕草をすると、彼はどうしたことか喜ぶ。年上が年下に戦い方を教えるボーダーには後輩をかまいたがる者が多くいて、諏訪隊の諏訪洸太郎などはスカウト組を気にかけてよく声をかけてくれるし、東も弟子やら後輩やらを頻繁に焼肉に連れて行っている。元嵐山隊だという柿崎、生駒、加古なんかも良い先輩だ。
「先輩って、俺の頭なでるの好きですよね」
道すがらそんなことを言ってみた。人の頭、ではなく俺の頭と言ったのはわざとだ。
「そうだね」
──そうだねって、なんやねん。
図星をつかれたならもっと照れるとか、たじろぐとか、何かないのか。隠岐の知らない新しいフゥ太の表情が見れはしないかと攻めてみたところで、彼は隠岐よりも、二歳差という数字なんかよりも何倍も大人の男で、優秀で、上手で、隠岐のちょっかいで乱せるはずもない。
「似てるんだよ、おまえの癖毛が、弟にね。つい撫でたくなるんだ」
家族と離れた異邦の地、自国防衛を掲げても結局は戦争のための組織、実力主義の階級制度、払われる給料がそのままの評価であり、そこへ才能を見込まれスカウトされてきた身ひとつの自分。かまってくれる先輩に懐く理由なんて星の数ほどあって、この時に買ってもらったサイダーに付いていた猫のマグネットは隠岐の部屋の冷蔵庫の扉に貼ってある。
オペレーターの細井真織は隊室に戻った皆を「お疲れ様」と迎えてくれた。生駒隊としての本日の予定は終了したから各自解散となるが、デスクに向かう隠岐は「沢田先輩のところのログってもう更新されとる?」と換装を解く余裕もない。
「そう言うと思ってすぐ観れるようになってるで。今モニター繋ぐから大人しく座っとき」
「流石はマリオちゃん、なんて優秀なオペやろな」
「ほんま勿体ないくらいですわ」
「俺も沢田隊のログ観たいっす!」
映画のディスクなんかを持ち込んでいる生駒隊のモニター周りは充実している。円形のテーブルのモニター正面に隠岐が腰かけると、その周りにわらわらと集まってくる。
「え、みんな観るんですか」
「おん、沢田の隊長っぷりも気になるし、知っとるか、妹のイーピンちゃんめっちゃ可愛いからな」
フゥ太と同級である生駒は、フゥ太のきょうだいにまだ会ったことのない南沢海に「二人ともモデルみたいに別嬪さんやで」といつもの調子で、水上は換装も解いて冷蔵庫からドリンクを持ち出している。
「ほな、流すで」
細井の合図でモニターにログが流れ始める。佐鳥が実況を担当したというのにログに実況が含まれないのが悔やまれる。同じポジションのよしみだ、後日話を訊きに行くとしよう。
ログはステージ選択後の転送直後から始まる。市街地Aに転送された隊員達が動き出し、フゥ太が隠岐と似ていると言った弟、黒髪の巻毛を持つ沢田ランボが映し出される。
「画面越しでもどえらいイケメンやな、ランボ君ていくつやっけ」
「もうすぐ十四歳らしいですよ」
「まじか! 完成度高いな」
隠岐の回答に生駒ははしゃぎ、妹の沢田イーピンが映ると「ほら可愛いやろ」と言うが水上の「マリオが拗ねますよ」と言うひとことから「そりゃアカン! 俺らにとったらマリオちゃんが一番可愛いからな!」「マリオ先輩が一番っす!」「キモっ! なんやねん別に拗ねんわ!」という掛け合いが始まるも、隠岐はそれどころではなかった。
画面の中のフゥ太がアイビスを手にしている。
驚きに空いた口が塞がらない。
「沢田先輩、スナイパーに転向したんやな」
「びっくりしたぁ!」
「イコさんも知らなかったんですか?」
「聞いてへんよ」
「へえ、B級下位相手にもぬかりなく対策するなんて流石やな」
隠岐が現実を受け入れられない間にも試合は進む。そうこうしている──脳味噌がフリーズして詳細がわからない──と、ランボとイーピンが一点ずつ獲得し、乱戦の最中、フゥ太が茶野隊にヘッドショットを決めたではないか。
皆がそれぞれ「元A級、容赦ないな」とか「沢田先輩、怖!」とか何とか言ってるが、それどころではない隠岐は項垂れることしかできない。
「隠岐、おまえ大丈夫か」
「──聞いてへん──こんなの聞いてへんて!」
「うっわ、隠岐先輩の情緒やばいっすね」
海老名隊のスナイパーが自主的にベイルアウトして試合は終了したものの、隠岐は顔を覆ったまま動けない。
フゥ太が広告塔のために選ばれた見目が良いだけの外国人ではないことは、市民からの期待に応える完璧なキャラクター演出と、後輩には慕われ先輩には頼りにされるボーダー内での立ち振る舞い、隠岐のような優しくしたところで何のメリットもないC級を気にかけてくれた面倒見の良さ、A級ランク戦でみせる戦略家としての一面、上層部とも堂々と議論する胆力からわかり、彼がスナイパーに転向したのではなく、スナイパーからオールラウンダーに転向したことも、この一試合だけでわからせる技巧は一朝一夕のそれではない。
「──イコさん、沢田先輩がオールラウンダーに転向する前の話って聞いたことあります?」
「いや──ないな。そもそもこの試合観るまで、ずーっとオールラウンダーやと思っとったからなぁ」
「あれやないですか、嵐山隊のフォーメーションのために転向したとか」
水上の発言に納得した隠岐はようやく顔を上げて、細井にもう一度ログを流すように頼んだ。
何度見ても見事なヘッドショットだ。バッグワームを使わないで全体に圧力をかけているのも嫌らしい。寄られたら負けというスナイパーの弱みを根底から覆している。パーフェクトオールラウンダーと呼ばれる木崎は玉狛所属であるから、本部の隊員隊は本当の意味でパーフェクトオールラウンダー──フゥ太のスナイパーのポイントが何点かは不明──の怖さを知らず、このまま沢田隊が勝ち進めば何週間後かには生駒隊と戦うことになり、スナイパーの牽制をするのはスナイパーの役目だ。隠岐はフゥ太と戦うことになる。隠岐のイーグレットがイーピンかランボを撃ち抜けば、茶野隊を襲ったあの狙撃が隠岐を襲うだろう。
「ちょっと練習してきますわ」
「なんや隠岐、日和ったか」
わかっているくせに、水上はこうやって日頃から隠岐を煽る。
「パーフェクトオールラウンダーとの対決ですよ、テンション上がらんほうが可笑しいですわ」
ログを何周かして満足した隠岐は、換装体のまま隊室を後にして狙撃手用の練習場に向かいながら懐かしい記憶をふり返る。
「トリオンに恵まれているのは良いことだ。それだけあれば弾の威力だけじゃない、他のスナイパーにはできない自分だけの戦闘スタイルを確立できる」
あれはスナイパーの経験を持ちながらオールラウンダーである彼だからこそ言えた言葉だった。そしてフゥ太の何気ない助言があったからこそ、隠岐は思考を止めずにグラスホッパーという機動力を手にすることができた。彼はきっと「それは隠岐の努力だよ」と微笑うけれど、彼を慕う者達は口をそろえて言うだろう。
それでもきっかけはあなたの優しさと言葉だったと。
日本人でありながら外国人の容姿を持つフゥ太に異邦人としての親近感を覚えたのが最初であったが、家族でチームを組んだ彼は異邦人でも外国人でも何でもなくて、そう想う隠岐とて、生駒隊と有ればこの地も第二の故郷になりつつ、あった。